No.1268 2018/04/09(Mon) 19:56:32
最近、精神の分裂を以前より顕著に感じるようになりました。
自分の内部の思考としての声、そして実際に外面行動として表出する人物像。
ある時に、外から見られている最低限明るく快活な自分というイメージが思考していると気づき、 誰にも見られてない、自分で結論を出すための思考に切り替えようとすると、 途端に重く沈んだ自己像に切り替わる。
そして、感情にアクセスするとどうしてもそれが顔に出るという以前の困りごとが そのまま続いており、その自己像に切り替わると、鏡をみるとまるで人殺しのような目をしている。
はっと気づいて外面印象を整えると、また「人に見られる思考」に 頭の中の声が切り替わってしまう。
「嘘のない自分」についてですが、どこかに 「精神的な挫折などなかった自分」を演じようとするのは間違いだ、といった記載があったと 思いますが、そこが自分としては疑問です。
外面行動としての「嘘のない自分」というのは、「精神的な挫折などなかったとしたら、の自分」ではないのでしょうか? もしも、最も最初に世界に対して向かっていこうとする意欲が挫かれることがなかったら、 こんな自分でいれただろうに、という自分ではないのですか?
そもそもありのままの自分の変えられない性質のようなものを、 拒絶されているという認知を信じ込んだから、そうではない自分を演じようという意識になったはずなので。
それに対して、自活を望む報復的な自己像があり、普段はこれが基調になっていて。 最近その自分に「先がない」という感情がどんどん強く認識されるようになっています。 先がない、といっているのは「精神的な挫折などなかったとしたら、の自分」で、これが ホーナイのいう「真の自己」であるような気がしているんです。
しかしいざ人と話そうとすると、報復的な自己像に切り替えようとする強制感がものすごく、 結局「先がない」という感情を抑圧しながら報復的な自己像のまま発声する、みたいな状態です。
トイレにこもり、その強烈な葛藤に悶絶し、「真の自己」に立って建設的に話そうと意識を 切り替えては、報復的な自己像に乗っ取られ、またトイレにこもり・・・ ということを仕事中に繰り返してしまっています。
どちらかを認識すれば片一方がその瞬間は抑圧されます。
なので、最近は客観的にみたら声がコロコロ切り替わる、大人のようなしっかりした人物像を表出したあとにか弱い男の子のような人物像を表出したり、というかなり不審な状態になっています。
実際、この「選択できない」という状態の葛藤にさらされていることが、治癒につながっているという見方もあるのかもしれませんが、もうこんな状態では職場にいられないです。 |
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No.1270 2018/04/12(Thu) 08:43:22
>最近、精神の分裂を以前より顕著に感じるようになりました。自分の内部の思考としての声、そして実際に外面行動として表出する人物像。
「一貫した自己の確立」という、総合的な課題になりますね。付け焼刃でアドバイスできるようなものでもなく、取り組み実践の全てを携え、人生を通して成していくものになると思います。
>「嘘のない自分」についてですが、どこかに 「精神的な挫折などなかった自分」を演じようとするのは間違いだ、といった記載があったと 思いますが、そこが自分としては疑問です。
外部に対しては、「どんな人物像を演じる」かではなく、価値観と行動法の選択によって行動していきます。 精神的な挫折があったなかったというのは自分の内面感情の問題であり、それには影響されない行動法を見出すのがまず課題になりますね。
>実際、この「選択できない」という状態の葛藤にさらされていることが、治癒につながっているという見方もあるのかもしれませんが、もうこんな状態では職場にいられないです。
価値観と行動法の選択を通して成長に向かうという方向性があってこそ、葛藤にさらされることも治癒への通り道になり得るということですね^^。
ちょっと断片的かつ漠然としたアドバイスになりましたが、具体的場面ごとに、価値観や行動法といった取り組みテーマをしっかり意識して検討してみて頂ければ^^。 そうした、具体的場面ごとの、取り組みテーマを意識した内容など個別に書いて頂ければ、それぞれ島野の考えだとこうなるといったより詳しいアドバイスも可能かと思います^^。 |
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