|
No.1274 2018/05/06(Sun) 19:54:43
例えば、「宇宙の愛」を求める気持ちについて。
意識では、これはもう求める事のできない気持ちだ。実現不可能な事を 求めている事で、どうやっても不幸にしかなり得ない、現実は自分の願望を 満たす事はありえないのだという絶望感しかなくなる。
では、「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に 注力しよう。
という価値観選択を問う場面で。
自分の中の反発する部分は 「許せない。わずかでも自分を優遇するのをやめる人間がいるならば、その人間には 敵意を抱くべきだし、報復をするしかない。」 と告げます。
その感情に従って、仕事の場面で明らかに自分が悪い場面で、 かなり配慮してもらいながら注意を受けた際にも、 屈辱感が行動に現れ、目は怒りを保ったまま言葉では「はい。ありがとうございます」 と答えたり、といった自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている 現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか? それは不合理ではないのか?
と問うても、
「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」
という結論にしかならず。
それは、宇宙の愛における挫折が引き起こす感情であり、ここで自分の対処能力を 高めていく事でいずれ克服できるものだ、という思考をしようが、
また表層の思考が 「このままでは本当に自分の立場がなくなってしまう!たしかに今の仕事は自分にとって 心から情熱を感じられるものではないし、ずっと続けていく気持ちにはなれないが、 ここで人間関係における問題を抱える事は、環境を変える上でもハンディキャップに なってしまう!」
と訴えるも、その思考は自分の内面のほんの表層でじたばたしているだけで、 その下には現実の危機を全く無視をして頑なに自分の宇宙の愛へのしがみつきと、 静かな怒りがずっと広がっている。
表層の思考はすぐにそのブラックホールに吸い込まれ、無になってしまう。
表層で行った思考が、人に面した時にはその下の重苦しい空間に全て吸収されてしまい、 全くの無駄になる。
こんな感じなんです・・・。
最近以前にも増して自分の問題に向き合いづらくなっています。 日々の連続性が感じられなくなり、もちろん自分で選んでその場所にいるのですが、 突然その場所に存在しているかのような感覚に陥ったりします。
自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか? 最近本当に、今自分だと感じているものが全くの偽物であるような感覚が強まっています。
表情の使い方や、声色など、全く違う自分が押し込められて存在している。
その自分に切り替わってしまった場合、他者としては連続した人間として 自分を受け止める事ができるのか?
たしかに自分の中では「嘘をついては何もかもに価値を感じられなくなってしまう」という 事が確信できることだったとしても、ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を 他者は許容できるわけがない・・・。
そもそも現実における対処能力がついているわけではないので、 地に足のついた自分が少しづつ成長して・・・という段階でもない。 僕には起こらない事なのかもしれませんが・・・。 |
|