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記事No.1269に関するスレッドです


(No Subject) / こたろう 引用
No.1269 2018/04/10(Tue) 20:19:32

ブログ記事書籍no6
「感情と行動の分離」の足場

1章 「感情と行動の分離」の心の足場

「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」する
という感覚にはなり得ない。

価値観選択の話でもそうですが、必ず「反発」する心の部分がありますよね。

そうではなくて、理知的に考えた場合は「納得」はする。

でもその反発する心の部分が、論理的に正しくてもそれを絶対に
認めようとしない。

心底からの真剣さで問おうとするとは、その反発する心の部分に
対して問うことになると思うのですが、頑として認めようとしないですし、
それでも問うことをやめずにいると、葛藤がただただ膨張していくのみです。

だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、
「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。


結局これは「心底からの納得」にはならないし、
「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。



「思考」についても同じで、
論理的に正しいということがいくらわかっても、
それは自分の中の確かなこと、にはならない。

どう考えても論理的に正しい事であっても、どこかで
「自分だけでそれを正しいと判断する事」を保留にしている感覚が
つきまとう、といいますか。

色々と考えて考えて、納得の上で積み重ねた思考が、
それを思考している人物像と一緒に、突然に雲霧消散してしまうような
感じなんです。


 
「心底」「本心」^^ / しまの 引用
No.1271 2018/04/12(Thu) 16:35:13

>「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

次の2つ意味があると思います。
・「上辺(うわべ)」との対比
「上辺」含みやすく、「心底」ないもの。「上辺だけ」という表現をするとこれが明瞭になってきますね。
・外部からの影響によってブレない確かさ、強さ
そうしたものとして「心底からこう感じる、こう考える」という表現をしますね。

そうしたものとして、心底でどう感じ考えるか取り組みとして、価値観行動法自己分析といった実践が出てきます。

ブログ記事書籍No.6 「感情と行動の分離」の足場
詳しく取り上げているように、「心底」とは「本心」でもあり、辞典での「心の基盤」一つと言えますがは項目立てしてなかったですね。後で追加しようかなと。
「意志」密接な関係があるものと言えます。「本心に立つごとに、意志は確かなものになる」言えるかと^^。


>自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」するという感覚にはなり得ない。

「全体が納得」というのはあり得ず選ばなければならないということになると思います。人生選択積み重ねです。夕食あれもこれも全部食べたいと思っても限界があるわけです。優先する望み限界を、身をもって探求しながら、今の自分にとり最適夕食献立おおよそこんなもの、といものが次第に確立できていきます。
価値観行動法結局そうしたものだと思います。自分が幸福になるために、結局こうしたものにする、と。


>だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。結局これは「心底からの納得」にはならないし、「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。

それはその通りですね。
そこでまず、自分は実は建設的行動法を心底では選択などしていない!はっきり認める方が(実際そうなのであれば)価値観選択向かいやすいというを、
『取り組み実践詳説』
4章 「学び」への理解 - 「学び」への入り方

でも書いている次第です。
-----------
ですから、そのような心底からの納得この心理学の学びに問うということは、ここにもう一つの道が現れる可能性を含むことでもあります。
それは、この心理学に納得せず、この心理学に「ノー」を突きつけることです。
これがはっきりすれば、これもまた単純な話になります。この心理学を選ばないのですから、この心理学が言うような心の豊かさの境地ならないのは、不思議な話ではありませんね。これはもう人それぞれの自由です。
-----------

と。(P.76)
そこから再度折りにふれ再検討続けてみるといい。それで結局別の方向に行くことにしかならなければ、もうそれで仕方ないじゃないですか、というになります。
ハイブリッド心理学自己取り組み心理学ですので、言えるのはここまでになります。

上記前後に、「本心」に立って選択を問う姿勢について比較的詳しく書いていますので参考頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1272 2018/04/17(Tue) 19:09:46

選ぶ、という事は強制であり当てはめではないんですか?
考察した結果、選ばざるを得ないというか、
それ以外はありえない、というのならわかります。

しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

心底って、だれのですか?
そもそも日常の意識が自己操縦の上にあるんですよね?

半強制的にかられている本当の自分ではない何か、が
今の意識なら、その上での納得も自己操縦の感情に


 
Re: / しまの 引用
No.1273 2018/04/24(Tue) 12:53:03

>しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

この辺具体的内容など書いて頂くと、島野ならこう考える(考えた)という、実際に即したアドバイスができるかも知れませんね。難解理論的説明よりその方が参考になるかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1274 2018/05/06(Sun) 19:54:43

例えば、「宇宙の愛」を求める気持ちについて。

意識では、これはもう求める事のできない気持ちだ。実現不可能な事を
求めている事で、どうやっても不幸にしかなり得ない、現実は自分の願望を
満たす事はありえないのだという絶望感しかなくなる。

では、「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に
注力しよう。

という価値観選択を問う場面で。

自分の中の反発する部分は
「許せない。わずかでも自分を優遇するのをやめる人間がいるならば、その人間には
敵意を抱くべきだし、報復をするしかない。」
と告げます。

その感情に従って、仕事の場面で明らかに自分が悪い場面で、
かなり配慮してもらいながら注意を受けた際にも、
屈辱感が行動に現れ、目は怒りを保ったまま言葉では「はい。ありがとうございます」
と答えたり、といった自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている
現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか?
それは不合理ではないのか?

と問うても、

「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

という結論にしかならず。

それは、宇宙の愛における挫折が引き起こす感情であり、ここで自分の対処能力を
高めていく事でいずれ克服できるものだ、という思考をしようが、

また表層の思考が
「このままでは本当に自分の立場がなくなってしまう!たしかに今の仕事は自分にとって
心から情熱を感じられるものではないし、ずっと続けていく気持ちにはなれないが、
ここで人間関係における問題を抱える事は、環境を変える上でもハンディキャップに
なってしまう!」

と訴えるも、その思考は自分の内面のほんの表層でじたばたしているだけで、
その下には現実の危機を全く無視をして頑なに自分の宇宙の愛へのしがみつきと、
静かな怒りがずっと広がっている。

表層の思考はすぐにそのブラックホールに吸い込まれ、無になってしまう。

表層で行った思考が、人に面した時にはその下の重苦しい空間に全て吸収されてしまい、
全くの無駄になる。


こんな感じなんです・・・。

最近以前にも増して自分の問題に向き合いづらくなっています。
日々の連続性が感じられなくなり、もちろん自分で選んでその場所にいるのですが、
突然その場所に存在しているかのような感覚に陥ったりします。


自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
最近本当に、今自分だと感じているものが全くの偽物であるような感覚が強まっています。

表情の使い方や、声色など、全く違う自分が押し込められて存在している。

その自分に切り替わってしまった場合、他者としては連続した人間として
自分を受け止める事ができるのか?

たしかに自分の中では「嘘をついては何もかもに価値を感じられなくなってしまう」という
事が確信できることだったとしても、ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を
他者は許容できるわけがない・・・。


そもそも現実における対処能力がついているわけではないので、
地に足のついた自分が少しづつ成長して・・・という段階でもない。
僕には起こらない事なのかもしれませんが・・・。


 
選択を問う思考法^^ / しまの 引用
No.1275 2018/05/13(Sun) 08:30:11

>自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている 現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか? それは不合理ではないのか?

選択を問うための思考法一般としては、「このまま行くか、それとも止めるか」というのはちょっと問う力が弱いですね。
しっかりと前進力のある対案候補を立てて考えることが重要になります。
つまり「Aのままでいくか、それともAを我慢してやめるか」ではなく、「Aで行くか、Bで行くか」問うことが重要
ダイエットなどがうまく行かないのもこうした選択思考できていないケース多いかも知れませんね。甘いスイーツを食べてしまうか、我慢するか揺れ動くだけ。結局意識を占めるのは「甘いスイーツ」なので、手が出てしまう結果になりがち。時間帯ごとに甘いスイーツとは違うものを食べる選択肢を考える、砂糖でなくキシリトールを使うスイーツ用意するとか、具体的対案選択肢立てるのが良い検討法です。

書いて頂いたものについては、ハイブリッド心理学の取り組みをするなら、ハイブリッド心理学のテーマ項目に沿った選択肢ていねいに考えてみて頂くと良いかと思います。
『辞典』まとめたようなテーマ項目ごとにです。「感情と行動の分離」から始まり、行動法「愛」と「自尊心」への価値観など。その選択に応じて今の問題どう変わってくるだろうかと。
すると、

>「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

というのは、「感情を鵜呑みに考えない」という取り組みのスタート原則選択するかどうかで、話が違ってくるということになるかもですね。

あと選択思考としては、選択肢の軸がしっかり合っていることが大切ですね。価値観としてAとBのどちら取るか。行動法としてAとBのどちら取るか。これが価値観Aと行動法Bのどちらを取るかという思考になってくると、つながりを追っていけば問いとして成立することもあるでしょうが、次第に軸がずれ選択の問いにならなくなっていく危険があります。
また感情基本的に選択するものではありません。ただ流し理解するものです。
ですので、

>「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に 注力しよう。 という価値観選択を問う場面で。

「宇宙の愛」を求める感情あるのであれば、それはそれで仕方ないことです。それはそうとして、選択を問うならば、仕事場面であれば、「パーソナルな愛情や特別扱いを求める姿勢」vs「匿名性における価値の生み出しに専念する姿勢」といったに、やはりなると思います。

今までの話振り返りながら、『辞典』などもつき合わせの上、じっくり検討してみて頂ければ^^。


あっあと、

>自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
>ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を 他者は許容できるわけがない・・・。

「自己操縦心性の崩壊」は、ありのままの現実に向かって生きようとする心が、空想世界に閉じこもって生きようとする心打ち破るという治癒として起きるものですので、ごく一時的に心身不調状態のようなものが起きても、すぐ今までにない軽快な前進力ある心が回復するになりますので、何も心配するものではないと言えると思いますヨ。あらかじめの理解が得られているごとに、その一時的不調より軽く、やり過ごしやすいものになると思います。
まずありのままの現実に向かって生きる方向性得るのがになります。その上の話ですので、他者から見て風邪か二日酔い(^^;)でいっとき調子悪そうだったけど・・程度にしか見えないで済むと思います。

あくまでハイブリッド心理学の取り組み方向性においてあるものとしてはです。ですので取り組み方向性にまだあまり向かっていない時点「自己操縦心性の崩壊」とかのテーマにはできないかと思います。これはよろしいでしょうか^^。



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