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記事No.1290に関するスレッドです

WINGBEAT COFFEE ROASTERS

セツクス依存症です / リリィ 引用
No.1290 2018/12/03(Mon) 13:19:01

36歳主婦です。
10歳から自慰を覚え15歳でセックスを覚えてから、沢山の人と手当たり次第に寝てきました。
そもそも15歳の時のお相手もセフレですし、自分は淫乱なんだと思ってきました。
30歳で結婚してからは夫以外の人とは寝ないと決めたのですが、今年プロの男性と寝てしまいました。
結局、プロの方の子供を孕んでしまい、自分は何て弱いんだろう。駄目なんだろうと苦悩しました。その事を逐一、相談していた友達にも呆れられてしまい。本当に自分が何故生まれたのか、よくわからないのです。
セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。
今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。
結婚してるのだから、夫とすればいいのですが、夫とは達した事がなくこのままで結婚前のようには手当たり次第に誰かを探すのではないか?と不安です。
私はどうしたら、変われますか?永らくこの症状に気が付かずに生きてきた為、仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。
アドバイス頂ければと思います。


 
「依存症」へのハイブリッド心理学アプローチ^^ / しまの 引用
No.1292 2018/12/16(Sun) 15:53:37

これも先のご質問相談「美容整形」といったのと同じくハイブリッド心理学ではあまり頻繁には取り上げないテーマなのですが、ハイブリッド心理学からどのようなアプローチになるのかなとちょっと一考してみましょう^^。
「依存症」というテーマですね。その中「セックス依存症」という特定テーマ独自の話もあるか。


「依存症」とは

まず「依存症」とは、特定の行為にのめり込む様子そのものではなく、そこに「やめたいのにやめられない」という心身ストレス自己コントロール不能があるものを言いますね。これは世の医療関係良く言われ周知のことと思います。
問題その先で、なぜそうなるのか原因と、ではどう克服するかというアプローチについては、かなり世の医療関係一般違うアドバウス言うことになるのかなと。
一般的には、依存症の裏にある心の闇多少配慮をしたとしても、深い心理分析にはあまり踏み込まないまま、とにかくやめるための隔離や防御、また自助グループ参加による励ましなどになるのかなと思います。
一方ハイブリッド心理学からアプローチするなら、裏にある心の闇についての、結構細かい分析からになると思います。それが自ずと、克服アプローチ方向示し始める

がまず「依存症」の裏にあるものとして想定するのは、「身をけずるような空虚感」です。それから逃れるために、たとえば飲まずにいられない
ただそれが「依存症」という激しい姿になるのには、もう一枚加わるのではないかと。
それは、「やめられないこの自分は駄目だ」という自己叱責が、「自分というものを保てない」かのようなパニック感を起こし、そこから逃れるためにその依存行動走る、というものではないかと想像します。過去自分が保てないような混乱感から、セックス救われたという心の状態一度出来上がると、パニック混乱からその依存行動繰り返し走るというのはもう分かる話です。
するとつまり、「依存をやめられない自分という自己叱責パニックから逃れるために依存する」わけですね。こうなるともう自己循環自動的にその依存行動コマが回ることになります。
書いて頂いた状況についても、そんな面があるのではと。こんな自分では・・という不安混乱頂点に達すると、誰か自分を抱いてくれる人探さずにいられなくなる、と。


克服への真の基本姿勢

それに対して、どう向き合うのが良いのか。
そうした今までの依存行動に、「もうこれは絶対駄目!」という禁止かけるであろう世の一般と、実はまさに逆の姿勢から入るわけですね。
過去の依存行動に、感謝することです。過去の依存的セックス行動に。なぜならそれが、自分を保てなくなくなるぎりぎりの精神破滅から、自分を救ってくれたのですから。
その上で、これからは、その自分を救う役割を、自分自身が果たすことです。

これは突飛なアドバイス聞こえるかも知れませんが、実は「認知療法」大家デビット・バーンズが示した真実の克服姿勢です。自分の不合理行動どうにかしたいなら、まず今までのそれに感謝することからです、と。事実そうするしか手がないなら、そうするべきであったということなのです、と。多分「認知行動療法」はこうした真のアプローチの精神抜いたまま、ただ禁止訓練をするようなものになっているのではないかと。
ともかく、「過去の依存に感謝しなさい。そしてこれからは自分がその役割を担いなさい」というものですね。依存行動繰り返すのではなく、と。


具体的実践

深刻な自己コントロール不能についてはそうした向き合い転換図るとして、あとは具体的実践になりますね。
美容整形についてのアドバイス同様ハイブリッド心理学では精神論道徳論ナシです。ただ社会行動学からの良し悪し出てきますね。
3つ取り組みになると思います。

1)良し悪しをセットで見る目
依存症克服にあたり、地味ながらも・・つまり即効性はないものの、最終的な答え見出すための一番基礎になるのがこの、「良し悪しをセットで見る目」になると思います。
つまり、ある行為魅力的な側面と、不快な側面を、セットで見る目です。そしてその行為向かおうとする時、自分が不快な側面にも向かう行為をしようとしていることを、しっかりと意識することです。
まあ実際魅力と不快がセットであるならば、セットとしてのその行為について、自分がどのように向かうべきものかの答えを出さねばならないわけです。魅力的側面だけ取って、不快な側面後から不本意に遭遇するもののように意識するのではなく。
お酒であれば、その旨さと酔いの至福だけでなく、その後悶絶するような二日酔いを、飲む行為なのだとしっかり意識する。その両者量的バランスどうなのかも、しっかり吟味しながらです。
パチンコであれば、勝つ興奮だけでなく、負けて大きく損をする行為を、今行うのだとしっかり意識する。
無差別的な性行為であれば、うーんまずは犯罪に遭う危険・・場合によっては即命に関わるような。病気を移される危険。また配偶者がいるのであれば知られた時にどうなるか。

それはとっくに聞いた話だ、ということにはなるかも知れませんが、重要なのは、要求に蓋をするのではなく、いかに根底から健全化できるかです。
そのためには、基本的自制利くという前提において(それが不可能な時上記のような向き合い)、心の中では欲求を開放したで、まず不快な側面についてしっかり確認して自制を確かなものにし、さらにその上で、その欲求健康で自然な度合いを超えた性質部分について精緻な自己分析をする、といった実践有用になります。

・基本的自制
この「基本的自制」と「精緻な自己分析」について詳しく説明し始めると、それぞれで本が書けてしまうような話になると思いますが、ごくキモのポイントを書いておきましょう。
まず基本的自制確実にするためには、精神論的・道徳論的な思考ではなく合理的科学的思考でいかに日ごろから生きていくか重要になると思います。道徳的善悪というよりも、打算計算自分にとり合理的なほどほどの線徹底的に追求する。まあお酒パチンコには「ほどほどな量」があるとしても、不倫にはほどほどというのはないとは言えるでしょうね。
ともあれ、道徳論精神論で欲求に蓋をするというのは、鬱積した欲求がふとしたきっけかけで堰を切って暴走するという、元の木阿弥になりがちですので、合理的計算打算探求に切り替えるのがお勧めということです。

・精緻な自己分析
精緻な自己分析というのは結構高度な話になりますが、その分問題の核心せまり得るものになります。
自己分析闇雲に行って効果が出るものではなく、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という「感情と行動の分離」姿勢しっかりと心底において根づいた上で、建設的行動を妨げるマイナス感情について、自分でも分からなかった根底の理由突きとめられることで、劇的な変化起きるものと言えます。
詳しくなどに譲るとして、ずばり今回の話関係しそうなポイントは、
愛が深く妨げられるごとに、性が強く刺激を帯びる。
という心のメカニズムです。
それはどのように起き、そして回復克服されるのか。島野の考えとは、愛が損なわれた悲しみを葬り去ることでこそ、それは深く損なわれるのであり、その回復克服は、いかに他人と深い性愛体験のようなものを持てるかなどではく葬り去った悲しみを自身の中でどれだけ取り戻し受けとめ尽くせるかにある、といったものになります。
その視点から考えるに、

>セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。

というのは、問題の始まりの核心実は性的な悪戯をされたことではなく、それよりずっと前の段階何らかのきっかけ生まれた、幼心に抱かれた「あるべき愛が損なわれた」という闇の感情かも知れない。それがなければ、悪戯払いのけられるようなものとしてです。
そしてこれらが回復克服されるのは、
『理論編下巻』最後の方これ一番下「魂に魂が宿る」)で「Y子さん」島野伝えてきたような、「悲しみへの向き合い」あるいは「悲しみの取り戻し」のような体験になるかも知れません。
性の問題限らず心の問題根底結局「愛」の問題行き着く、というのがハイブリッド心理学の思想とも言えます。
上記「Y子さん」の言葉も含め、その全体については『理論編下巻』ぜひ一読頂ければと思います。

2)全てのマイナス感情への本格取り組み
そうして核心の問題回復克服されるごとに、逆のメカニズム働くと言えます。つまり、
愛が深く取り戻されるごとに、性の刺激は薄れていく。
というものです。
これはより一般化した表現(?)をするならば、
心を病むごとに、性が強く刺激を帯びる。
ということであり、
心が健康になるごとに、性の刺激は薄れていく。
ということです。

心の病み回復克服取り組みがうまく進むごとに、視点性の問題よりも、心の問題全体移っていくということでもあります。
それをなるべく先取りするよう、性の問題だけに視野を狭めず全てのマイナス感情について取り組んでいくといい。これが2つ目実践アドバイスになりますね。
『辞典』「実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針」など見て頂くと、ざっとどんなことがあるのか把握できると思います。

3)生活全体の充実向上
病みの傾向動揺といったマイナス面への取り組み上記のようなものとして、あとは生活全体の充実向上というプラス面への積極的な取り組みになりますね。これは言わずもがなですね。
上述心のメカニズムなども含めて言えるのは、病んで空虚な心の中で、性はまさに闇夜に光る月のように魔力的な力で心を惹きつけるものである一方健康で充実した心の中では、まさに輝く青空に浮かぶ月のように、その魅惑的刺激を薄めるものです。その輝きの絶対値同じまま。

そうした心の世界違いをぜひ視野に置いて、それ以外のものへのアンテナ張るようにしていく。まあ個人的な趣味嗜好の問題はありますが、動物を飼ったり植物を育てたりといった、「命」に触れる活動などが、島野からお勧め一つですね。

最後もう一つ視点

>仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。

とのことですが、医学的に言って、人間の性機能30代半ば頃から急速に衰え始めます。徐々に、というよりもガタンガタンと階段を下りていくように。それに伴い、性行為の快感度急激に薄れていきます。その後は、イメージの中で性行為が快楽のように映るだけの、残滓を追うような姿になりがちなのが現代人ですが、まあ参考になるかどうか、今57歳ですが、ここで述べたような心の取り組み究極的な結果なのか、男性機能はまだありますが(^^;)性欲ほとんど消えています。それが実に快適な心の状態でもあります。面倒なことが一切ないし^^;
ともあれ、セックスを取ったら・・と言ってもそれは取られるというよりも、内側から消えていってしまうものです。そう遠くない将来・・。

そんなことも視野に、以上3つ実践取り組みなど検討してみて頂くと良いかと思います^^。


 
アドバイスありがとうございます / リリィ 引用
No.1293 2018/12/17(Mon) 15:27:25

ご丁寧な回答ありがとうございます。不覚にも声をあげて泣いてしまいました。

私の根底にある怒りを燃料に性欲の炎が私を焼き尽くすような状態で、薄汚い性欲を持っているんだから醜い気持ちが心の底にあるからセックスは止められないんだ。と、事あるごとに自分を攻めてきましたし、その度に誰かの身体を求め自分自身では壊せないから相手に私の事を壊して貰いたくて恐ろしい目に遭ったり、惨めな思いも沢山して来ました。今までは、セックスしてくれるかどうかでしか人を見ておりませんでした。そんな状態でしたが、過去の依存行動に感謝する。の文を拝見しかなり救われました。

既に最初に悪戯してきた相手も、初体験の相手もこの世におらず私は底無し沼のような場所に独り取り残されたような気持ちになっていたのかもしれません。初体験の相手の事が本当は好きだったように思うのですが、ちゃんと伝える事が出来ないままで肉体関係だけを繰り返し、付き合わないなら別れる事もないと開き直り、今日までが過ぎてしまった事を後悔していますが、彼が旅立った今となっては最早どうする事も出来ないでいます。

この「好き」の感情にも歪みが生じており、まずセックスしてからの相性で人を好きになる事がほとんどで、通常の恋愛における好きになってからセックスすると言う行程を一度も踏んだ事がなく、もしかしたら今まで好きと思った感情は全てまやかしで、私に人を好きになるような感情は無くセックスを得る為の手段として好きの気持ちに似たような状態になっていたのではないか?今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。
もしかしたら、その結果セックスに多くを割いてしまったが為、一度も誰の事も好きでなかったのかもしれないと思うと恐ろしいのですが、本当の事を知りたく思います。

性機能の事はわかりませんが、肉体的な衰えは感じ初めており、このままでは誰からも関心を持たれず抱かれなくなるのでは無いか?の不安はずっと付きまとっていました。今まで選ばなかったタイプともセックスする必要があるかもしれないと思うと苦痛で仕方ないのに、セックスしないとはとても言えない自分が嫌でたまりませんでした。性欲が内側から消えてくれる日が来るのが楽しみやら、淋しいやら今は複雑です。人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

何とか好きになる気持ちに生じた歪みを正して本当の愛までたどり着きたいです。本当の愛が見つかるなら性の刺激が薄れても仕方ない事なのかな?と思えています。恐縮ですが、またアドバイス頂けたらと思います。 よろしくお願いします。


 
「本当の愛」への道^^ / しまの 引用
No.1294 2018/12/21(Fri) 15:06:34

アドバイス残りがあった感じですね^^。
依存から抜け出すというのを超えて、豊かな心に向かうというより大きなご質問でも、「本当の愛」といった言葉出てきてますね。ハイブリッド心理学主題にも近づいてきます。

これもちょっと逆説的で、まずは「本当の愛か?」と問うことを、やめることからになるかもですね。
なぜなら我々それが分からない未熟から歩むのですから、そう問うことは、何か良く分からないものを無理に空想上のイメージにして、それに満たない現実を批判するというマイナス状態にしかならない可能性大きいからです。やはりこれも道徳的意識の一方で心の根底は何も変わらないというものになりがち
まずちょっと訓示のような言葉浮かびましたので書いてみましょう。

人との関係において、「本当の愛」を求めてはいけません。それを求めた時、人は「今そこにある愛」を見ることができなくなるのです。
外面行動においては「愛」を、「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、内面においてそのための、偽りのない自分の感情を、追求し続けることです。その中で自分が最後まで守り続けるべきものはどれなのかを、探していくのです。
そして、愛が完璧でないことを、許すことです。その時「本当の愛」は誰にも気づかれることなく、また気づかれる必要もなく、道ばたの土に芽生える小さな草の芽にように、芽生え始めるのです。

を追って要点書いてみますと、また3つになりますね。まあその順に3つのステップで実践するというより、テーマにそうした広がりがあるということであり、実践としては同時にその3つに、今すぐ取り組み始めるというものになると思います。
1)愛の感情だけに見入らない
2)「喜びと楽しみの共有」として愛に向かう
3)人生の全体に向かう


「どうしたら愛が得られるのか」というテーマ問いに対し、『入門編下巻』基本指針を、「愛が欲しければ愛だけに見入るな」といった言葉書いています。「そして人生の全体に取り組むのだ」と。
(9章 愛への道)
=============
 「愛」への欠乏感と飢餓感に悩むケースでは、私はしばしば「愛が欲しければ愛だけに見入るな」という言葉を使ってアドバイスをしています。
 愛以外の人生領域に積極的に目を向け、まず自己の確立へと向かうのです。そして何よりも、自分から楽しめるものを見つけることです。
 その上で、愛を「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、再び向き合い直すのです。
 そこから、自分を見失うのではない、本当の愛への能力が、育ち始めます。

=============

といった言葉(P.268)
まあ我々おおよそ中学校にも入る頃、相手を好きという感情一致した時バラ色の世界が広がるようなこととして「恋愛」というものを意識し始めるわけですが、人生の歩みを通し、心が成熟していくで、それとはまったく次元の異なるものとしての「真実の愛」呼べるものを、見出し得る。それは相手をどう好き、愛してるかといったものとは全く異なるものであり、言葉で言うなら、自分の命の重みがどう相手に置かれるかといったことだと言えると思います。
ただそれは人生歩む途上で、どう心を見つめたところで見えるものでもなく、人生を通して見出す・・否、「見出す」ようなものでもなく、その人の人生そのものとして築かれるものだと。

まああまりアドバイスとしてまとまりがないですが、そうした広い視野を持って、人生のさまざまな問題取り組んでみるといいと思います。基本的な対人行動法「仕事」というもののスキル趣味など。
そうした全て積み重ねとして、「本当の愛への道」というのがあるということですね。
まあ当座の懸案事項については、

>今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。

それぞれの相手を本当はどう思っていたのか。本当に好きだったのか。
といった問い方ではなく
何を共有したのか。
という問い向き合ってみるといいと思います。前者の問い方はやはり道徳的自己批判だけなりがちなのに対し、後者の問い方真実に近づけるものになるのではと。その結果見えてくるものが、ほっこりできるようなものであれ苦々しく感じるようなものであれ、自分自身の真実に近づくことは、「強さ」生み出します。そして「強さ」が、「真実の愛」可能にしていくわけですね。

結婚好きという気持ちの一致より、「現実生活の共有・支え」というのがまずは実際的なものですね。まあこれもまた一つ話題テーマですが。
年齢的な話も含め、性感の一致なんてことではなく、たとえば今怪我や病気になった時最後に守ってくれるのは、少なくとも今は旦那さんなのではと。ならば性生活の中で達する必要なんてなく、その感謝の気持ちを込めて触れることができればそれで十分だと思いますヨ^^。

あっと、

>人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

これは全然秘密ではなく友人との会話心理アドバイスの場でも話題に触れた時は結構言ったりしている話です^^ゞ
そもそも性衝動性行動子供を生み育てるために作り出された身体機能です。子供を生む時期外れたらそれは消えるのが動物であり、その点人間明らかに過剰であり暴走迷走していますね。
自分という唯一無二の動物種としての健康と幸福追求した結果の一環として、57歳そういう状態であるのを、むしろ自然な健康だと自信を持って公言したいと感じるほどですので^^。まあ公言などする必要も機会もないですが。

まあモヤモヤしているものときほぐし視点持つとして、今答えを出すものというより、人生の全体への取り組み重要ということですね^^。


 
ありがとうございます。少しずつ進めそうです。 / リリィ 引用
No.1295 2018/12/27(Thu) 22:35:36

ありがとうございます。何度も何度も読み返しました。
不貞を働く度に、この夫婦関係は適切なのか?こんな歪な状態で本当の愛なのか?と、
夫婦でいる権利が私には無いのではないか?と、自問自答を繰り返してきました。
沢山の人の黒い性欲を刺激し、散々楽しんで悦んだ癖に、何も知らない旦那の隣で涼しい顔して清い振りをして添い遂げる権利が私にあるのだろうか?と性欲が鎮まると汚れた自分が嫌になる波が押し寄せて、惨めで仕方ないのに、為すすべがなく本当に長い間ずっと苦しかったです。

そんな不安定な状態でも、旦那は何も知らないとは言え沢山の時間を共有してくれた事、一緒に美術館に行ったり、旅行したり、ご飯を食べたりしてくれた事を思い出し、これからもずっとこの人と一緒にいたいと思いました。これが本当の愛なのかはわからなくても、私にとってはそこにある身近な愛です。

今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

それに、まだ性欲を完全に制御出来てる訳ではなく、雨の日には私の中で炎となって暴れ出すこともあります。それでも少しずつ穏やかな夜を積み重ねています。もしかしたら、このまま静かに昼の月のように薄っすらとした存在になるのかも?と思っています。
全部、話して変わるキッカケを与えてくださり島野さんには本当に感謝しています。ご丁寧に説明して頂いたお陰で、あれから誰ともセックスせずにいれています。もしかしたら、変われたのかもしれません。本当にありがとうございました。


 
過去の過ちの後悔の克服^^ / しまの 引用
No.1296 2018/12/31(Mon) 11:10:46

あともう一テーマあった感じですね。病み傾向からの抜け出し豊かさへの前進、そしてもう一つ重いテーマとしての残るのが「過去の過ちの後悔」克服です。

まず、

>今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

「愛」「喜びと楽しみの共有」として向かうものとする価値観からは、「知らずに生きたいというのは勝手な言い分では」というのとは明確逆の姿勢になります。
「何でも共有」「何でも分かり合うべき」ではなくあくまで共有するのは「喜びと楽しみ」つながるものだけです。それ以外のものは、無理に共有しない
「どちらが正しい」かではなく、それが「価値観の選択」というものなんですね。自分の価値観心底においてどれなのかと問い最終的自分はこれを取る!確信し、それに従った行動自信持てるようになる。
「何でも分かり合うべき」という価値観は、「愛」を、互いを自分の所有物にする欲求結びつきやすいですね。これはやがて「愛」壊れるパターンです。
それが本当に守りたい愛であるごとに、「喜びと楽しみの共有」以外のもの求めない、詮索はしない、という姿勢にも確信が持てると思います。に、本当の愛ではないもの愛であるかのようにしがみつこうとした時、「何でも分かり合うべき」という観念感覚起きるとも言えるかも知れませんね。

そうして「喜びと楽しみの共有」だけに徹して行動する具体的姿勢は、例え
メール相談事例集「No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う」
など読んで頂く参考になると思います。
また僕自身ですと、これは自伝小説続編物語のようなものとしていずれにしたいものですが、生涯唯一ずっと関わりを持ち続けることになった初恋女性は、国民的芸能人とも親交のあったりする、とても華々しい側面も持つ人なのですが、僕からそうした面について聞くことは一切せず、主に小学校の頃のこと今のことだけ話題にするのは、にとって決意とも言える姿勢でした。なぜならそうした面について僕から聞いた時、彼女と対等な関係ではなくなってしまうからです。だからSNSで彼女の活動振りを知ろうとするなんてのも、絶対やらない

ちょっと話が膨らみましたが、実は「後悔の克服」つながる話です。
これについての基本的指針を、
辞典 - 実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 悪感情の種類ごとの克服対処の指針 / 後悔
我ながら深い言葉だと感心(^^;)する短文書いています。
============
「もう忘れましょう」というありがちアドバイスとは真逆とも言えるものが、ハイブリッド心理学からの指針になります。
つまり後悔感情が少しでもあるのであれば、とことんその悔いの感情と共に生きるのです。それがその後悔超える成長へと導く唯一の道です。これがどういうことかは、まずは決して後悔をしないための決断によって行動する姿勢で生きるに、やがて見えてくるでしょう。
============

と。
今回のご相談で言えば、「とことんその悔いの感情と共に生きるとは、「話してしまって楽に・・」という考えや姿勢決して取らない、ということです。それが苦しければ、その苦しみ自分自身の中で向き合うことです。

上記短文補足する言葉をまた訓示のように書くならば、こうなります。
過去への後悔を消せることで、未来への前進が見えてくる、のではありません。今という一瞬一瞬を自らの決断で確信を持って生きることを積み重ねた先に、やがて過去への後悔がどう消えるのかが分かる日が、訪れるのです。
と。
加えれば、それが訪れる日というのは、人生の歩み後半以降だと考えるのが正解です。その覚悟が、何よりこれから人生の歩み力強い足場になると思います。

それで具体的どんなものとして、後悔超えるもの訪れるのか。それを想像するのはまだ尚早言っていいかなと^^。
まず目の前の行動自信確信を持って向かえるようになることからですね。今回のアドバイス意識方法価値観といったテーマにまずじっくり地道に取り組んでいくことから進めて頂ければと思います^^。

なお今回のアドバイスちょっとデリケートな内容もありますので、僕のアドバイス内容いったんログ確保済ですので、投稿削除文章削除など何なりして頂いて構いませんので^^。その場合は僕のアドバイス部分だけ再掲載など調整しますのでご心配なく^^。


 
ありがとうございます。 / リリィ 引用
No.1299 2019/01/07(Mon) 21:18:39

ありがとうございます。
何でも共有するべきではない、喜びと楽しみを共有する。の言葉に、こんな世界があったのかと思い知り、私が目指す夫婦の形が見えた気がしました。

もうこれで長年の苦しみから解放されたのかな?意味のないセックスをせずに生きていけるのかな?と油断していたのですが、突然湧き出した性欲に負けて、知人男性とセックスしてしまいました。
この人に抱かれたら、病気になるかもしれない、旦那に今度こそ知られてしまうかもしれない、共通の知り合いにバラされてしまうかもしれない、性病にかかるかもしれない、この人と二度と会えなくなるだろう、リスクを考え自分が不快な側面に向かっている意識もあったのに制御出来ませんでした。

今までは行為前には期待も不安もあったけど、今回は自分に対する嫌悪感しかなく、このまま逃げ帰りたい。と思ったのに、結局セックスしてしまいました。
ただ、唯一の救いは私自身が変化してるからか以前のような刺すような強い快楽は無く、こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないセックスをしてるんだと客観的に見れました。
旦那にも知人にも申し訳ないし、また性病の検査に行かねばならないのは億劫ですが、今度こそ変わりたいと思っています。

性に溺れた過去を全て無い物として生きることは出来ませんし、今後も性欲の波が来て抗えなくなるかもしれません。そんな時に読み返して自分を制御する道しるべにしたいので、投稿削除や文書削除はしないつもりです。
多分この情報量だけで私にたどり着くのは不可能でしょうし、仮に誰かにセックス依存症である事を知られても断れるような人になりたいと思います。

この後悔が消える日が来るのかは想像出来ませんが、大変お世話になりました。何度も導いて頂きありがとうございました。また、人生の行き止まりに当たった時にはお願いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。


 
Re: / しまの 引用
No.1300 2019/01/08(Tue) 11:26:50

>こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないセックスをしてるんだと客観的に見れました。

まあそうした小さな変化積み重ねですね^^。そういっぺんで変われるものでもなく、揺り戻しというものもあると思います。それでもそうした小さな変化を、長い人生積み重ね続ける20年30年後には驚くほどの別世界にいる自分しみじみ感じる。
そうした長い目で向かって頂ければ^^。



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