[ 掲示板に戻る ]

記事No.678に関するスレッドです


生活について / ピヨ 引用
No.671 2013/10/27(Sun) 21:48:44

 晴天の休日、家の掃除と物の整理をして片付きました。
また、自分の予定、読書や買い物等やりたいこともやることも済ませ快適です。
仕事も、順調にこなしています。
 それから、食事のありがたさ・晴天のうれしさ・夜の睡眠のうれしさも感じています。
その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。
 その日のやることを、行い快適であること。
 話は、変わりますが、人口動態や社会問題にも目を向けてみると、人口推移では、60才以上になると、男性が減っていることを見ました。

 生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。

 そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。健康の保持と、加齢からくる老化や自分の弱点からの症状などは受け入れながら、回復や目的と発想を目指すということになるのかと感じました。また、絆を考えながら。

 島野さん、別の見方がありましたらお願いします。
 

 


 
「何のために生きるか」という問いが消える歩み^^ / しまの 引用
No.672 2013/10/30(Wed) 09:36:49

>その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。その日のやることを、行い快適であること。
>生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。

「何をするため、何のために生きるか」という問いに対しては、いろいろな表現ができると思いますが、
まずは「幸福になるために生きる」というのが素朴で素直な話になると思います^^。

ハイブリッド心理学「取り組み実践」としては、昨日アップした『入門』『3.取り組み実践』でも書いていますが、
「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、自らの「望み」に向き合い、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
というのが、「何のために生きるか」というか、「どう生きるか」という、ハイブリッド心理学からの「生き方」の答えそのものになります。

そこで「幸福」とはか、「望み」とはかという具体的な話になってきて、それはまずやはり「楽しみ」「快適さ」「健康」といったものであるのが、自然な姿として良いものと思いますね^^。「絆」もですね。

ハイブリッド心理学としては、そこからはさらにそうした「幸福」「望み」に向かうための、より具体的な思考法と行動法や価値観への取り組み重視しています。そうした具体的なものにおいて誤った方向に向かうと、なかなか「幸福」に近づけず、「何のために生きる?」という問い嘆きを含んだものになってしまいがちです。

また、そうして「幸福」「望み」に自ら向かう思考法行動法積み重ねを通して、「望み」そのものが、より惑いなく、「結果」をあまり問うことなく「幸福感」増えていくもの変化するよう、「成熟」道のりがあると考えているのがハイブリッド心理学です。
その先に、「自分」というのは大きな「命」のつながりの中の、ほんの断片、ほんの仮りの姿感じるようになるという「永遠の命の感性」に至った時、「何のために生きる?」という問いそのもの消えている、という心の成長歩みがある、と。

この辺の話手短にまとめたものを、『入門』引き続き書いていきますのでご参考にして頂ければ^^。


 
物思い・恋・生活について / ピヨ 引用
No.675 2013/11/03(Sun) 10:30:48

・「幸福になるために生きる」
・「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
・「楽しみ」「快適さ」「健康」「絆」。

島野さん、コメントありがとうございました。上記は、素敵な言葉であると感じました。

 ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

 最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。
たしかに、心から想う方がいる時は、その方に言葉や関心を向けることが自分の望みそのものとなり全力を尽くして生きているといえます。

 しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

 それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。


 恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

 コメントお聞かせ下さい。


 
「恋」が「愛」に変化する道への目^^ / しまの 引用
No.676 2013/11/04(Mon) 17:19:56

体調悪化を伴う治癒

>ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

『理論編下巻』の
4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−

などで説明している、特別な治癒過程についてのかと思います。
一言でいうと、病んだ心の底には、普段は蓋をされた、不安定な感情の塊があり、何かの衝撃的な体験の中でその蓋が取れて、不安定な感情の塊が一度どっと吐き出された後に、すっきりと健康になった心が現われることがあるという話ですね。
心理療法の世界では「カタルシス」と呼ばれているものの一種と言えると思います。その中には、不安定な感情の塊どっと吐き出される時一時的に体調悪化が起きることもありますが、心配はいりませんというですね。

ですので、「頭がボーッとして物思いにふける」といった状態は、まずは全く関係ない話になると思います。まこれは誰でも時にはあることということで^^。


「恋」が「愛」に変化する道への目

「恋」はまずは、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
お答えした話の中での、

「恋愛」同義語という話で良いかと思います。「愛」よりも「欲」比率が高いもの。

>しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

というように。

一方、「恋」「愛」入り口とも言えますね。まだ「愛」にはなり切れてないとしても、その先本当の「愛」見出されるかも知れない。
「恋」→「愛」→「絆」(つながりが保たれる)
という過程がある、というになると思います。

ということで、僕からの意見としては、人生の大きなテーマとしてあるのは、一番太い「愛」と「絆」ですので、それに向かう途上過程について言うならば、

>最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。

というのは、まあそうだと言ってもいいかも知れませんね。
でももっと大切なのは、「恋をする気持ち」「本当の愛」へと変えていくもの何か見る目だという言葉を添えたい^^。
でそれは何かと言いますと、ハイブリッド心理学からは、
「愛」外面行動としては「分かり合い認め合う」ことではなく「喜びと楽しみの共有」として向かう
「愛」「欲」まだ混ざっている場合には、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではな惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、というを持っておく。

この2点を踏まえて、あとはもう「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすことだ、と。そうして多少悩み苦しむ体験経る中で、「恋」が「愛」に変化していくとはどういうことかが、分かってくる、と。これはもう長い人生の道のりそのものになりますね。

>それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。

これはまあ、仕方ないこともあるとして、もったいないことだという話になるかと。まずは自分「こんな状況では無理」と決めつけないで、心をオープンにしておくことから、というになるかと^^。


「人類愛」

ということで、

>恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

への返答としては、
「恋」「愛」への入り口としては必要。ただし、その入り口に入ったら、いつまでもその入り口を見ているのではなく、その先「愛」目を向けたい。

また一番太い「愛」と「絆」は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものだと思います。
ですので「人類」という全体自分が相手にするものとして本当に「愛」の感情を持つというのは、一般的な人間ではちょっと難しいと思うのですが・・。嘘偽りのない「人類愛」持つ可能性のある人としてまず考えられるのは、たとえばローマ法王とかダライ・ラマといった人物が浮かぶのですが。

ちなみに自分の執筆を、「人間のための仕事」と感じる感覚でやっているのですが、「人類愛」となるとどうも・・という感じですね^^; 自分が「愛」を向ける相手とのしての人類全体なんて、とてもじゃないけど僕のイメージ能力の中には入らない。
島野はあくまで俗人凡人ということで・・^^ゞ


 
生き方について / ピヨ 引用
No.677 2013/11/04(Mon) 20:45:24

 島野さん、回答ありがとうございます。

「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすのは、愛を得られる過程となり得るからということ。

 恋の、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではなく惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、という目を持っておき、その先の「愛」に目を向る。
 また、一番太い「愛」と「絆(つながりが保たれる)は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものであり。「喜びと楽しみの共有」として向かう。


「人類愛」とは、表現の仕方に語弊がありました。
島野さんのように、人間の大切なことを教える方の活動のことを言いたかったのでした。「人間のための仕事」とありました。
 話は変わりますが、いろいろな職業がありますが、ほとんどが人間のための仕事と感じますが、島野さんは、「生き方を教える人間の基本の心の仕事」と感じます。

 家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

 また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

 それから、自己の価値を持つことは基本ですが、家庭や職場の人間同士の違いで体調を崩される方が多いと感じますが、その方の行動を見て感じること(なぜ相手は、否定的な感情の方なのだろう。周りが振りまわされて、逆にこちらが疲れるなど)がこちら側の人間の生き方の学びになります。
 そして、この中での疲労感は、自己こちら側の未熟・弱いな部分であったり、自信が無い時に出やすいこともありえるえとも感じます。

 人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。
 
 島野さんのコメントを聞かせて下さい。
 


 
Re: 生き方について / しまの 引用
No.678 2013/11/06(Wed) 18:10:50

>家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

これも、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
(↑クリックして表示される最後の記事)
で言った、太い絆細い絆になりますね。絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆数に限りがあるものになると思います。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、他の異性と過度に親密になるのは避けるのが「誠実」だという話になるかと^^。

>また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

「恋」から始まるのは異性相手愛と絆の場合ですね^^。

>人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。

対人行動社会行動での「学び」になりますね。これはもうハイブリッド心理学「取り組み実践」として、「建設的行動法」など具体的「学び」用意していますので、何か具体的材料などあれば個別新規トピック質問頂くと良いかと思います^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.679 2013/11/06(Wed) 19:48:15

絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆は数に限りがあるとのこと。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、親密な異性は避けるということ。

 対人行動や社会行動での「学び」。
具体的材料などあれば個別に新規トピックで質問頂くとのこと。

 分かりました。

 島野さん、コメントありがとうございました。


 
/ ピヨ 引用
No.682 2013/11/10(Sun) 16:47:14


 島野さんの文2010、1、21 命の生涯より、

(全ての人に愛される愛を手にする「心の強さ」を支えに、もう一つの命の望み、「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」に、向き合うのが良い。
これは人により、これからの実際の外面目標にする場合もあるし、人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合もあるでしょう。)について。

 (1)実際の外面目標にする場合もある。

 (2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合    もある。

 上記、(1)・(2)について、もう少し、お聞きしたいと感じます。噛み砕いて、例えば〜などとコメントを望みます。


 
「ただ一人の相手と愛し愛される」という人生テーマ^^ / しまの 引用
No.685 2013/11/12(Tue) 09:50:31

2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
書いたものですね^^。

「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」について、

(1)実際の外面目標にするケース
これは現在恋人がおり結婚模索している、あるいは今は相手がおらず婚活などで相手探しをする、といったものが当てはまりますね。
またすでに結婚している場合も、夫婦をより深めることに努力する、など。

(2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になるケース
受験就職恋愛どころではないという場合も、そもそも何のために進学、そして就職するのか、といった「人生観」への向き合い大切です。一流大学一流企業に行けたとして、どのように幸福になれるのか。ただ仕事に身をすり減らして一生を終えて満足か。
するとそこには必ず本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標テーマが出てくると思います。一流企業は、そのためのほんの一つの手段に過ぎないかも知れない。まあもちろん異性獲得が目的の全てではないとして。
というように、今は恋愛結婚に向かうのではないとして、まずは「内面考察をするというものです^^。

「晩婚活」なんてのも昨今はあるようで、にとっても、人生のテーマになるという話ですね^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.687 2013/11/12(Tue) 20:48:30


 仕事は、異性と出会うためという選択より、〜になりたいう職業・自分の希望があり選んでいる比重が高いと感じます。

 また、その仕事から得られる経験と能力の向上・誇りなどが得られるとも感じます。
快適な生活の質を高めることにもなります。しかし、過労や人間関係など心身の負担も伴うとも感じます。
 
 家族が仲良く暮らしていない家庭も多い気がします。なんかしらの悩みもあるとも感じます。自ら、一生独身を選択する方もいると思います。そういう生き方もあると思います。

 本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標は、素敵なことです。

 内面考察は、人生観に大切と感じました。



- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

Rocket Board Type-X (Free) Rocket BBS