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記事No.847に関するスレッドです


(No Subject) / こたろう 引用
No.838 2014/03/27(Thu) 19:33:35

1.
昔の割とおしゃべりな自分とかと比較されて「どうした?病気?」と見られるのがおぞましい恐怖です。

⇒合理思考
自分が感じているほど他人は自分に興味はない。
これは宇宙の愛を求める、世界の中心が自分であるという感覚によってそう
感じている。
・・・しかし現実に他人と対面したら、その人の目は自分に向く。
表情に関しては昔とは違って上手く笑えなくなっているし、自分が輪に
入れない状況が続いたことによって、親愛の中にある雰囲気の他人に対して
憎しみが固着していて、やはり「どうしたんだこいつ?」とは思われると
思う。
しかし、そもそもの問題は他人の中の自己像を現実の自分の進歩や興味よりも
明らかに優先どころか、それが全てであることだと思う。


2.
>オドオドならまだいいですが無感情なのは異常者の印象をあたえそうです。

⇒これに関しては合理思考が思いつきません・・・
 異常者というといいすぎかもしれませんが、壁があって
 怖い、心を閉ざした関わりづらい空気を悪くする人間という感じの
 印象は与えると思います。
 
3.
>こういう転落イメージの膨張

⇒大学を中退しても、仕事が全くないわけではない。
 しかし大学の人間関係が出来ずに、社会人としての人間関係が
 築けるのか疑問。

「これこれの転落をする」という自動思考への対抗打になる合理思考を検討してみる。
(4.)
>内面感情を問う姿勢

⇒「荒廃化」した感情を抱えたまま生きる決意、というところですかね。
特に、「自分は何もせずに与えられるべき人間である」
「なぜ俺が頭を下げなければいけないのか。」
「あんたたちは俺のために何でも尽くすべきだ」といった
<宇宙の愛を求める態度>
全く実力も能力とも釣り合っていないのに
こういった感情が自分の仕草などに出てしまって
それを見抜かれる恐怖。


後は、こんな自分と一緒にいて幸せになれるはずがないのに、
相手と友達になったり、知り合いになったり、ましてや恋人になるなんて
望めない、というのは望む資格思考だと思うのですが、
どうしてもこれがぬぐいきれないというか。
それによって高貴に感じている部分もありますが、

実際には、資格というよりは
実際に付き合っていくうちに自分の傲慢さや、愛情の無さ、皮相さに
気づかれて、それによって嫌われるという経験を
避けるために、前もって自分を挫いているんだな、という感じですね。


 
合理思考の例^^ / しまの 引用
No.839 2014/03/28(Fri) 10:29:55

では先のアドバイス(No.836)続きということで^^。

1.
>昔の割とおしゃべりな自分とかと比較されて「どうした?病気?」と見られるのがおぞましい恐怖です。
・どう思うかは彼らの勝手。仕方ない。
・そう思われたとして単位が不合格になるわけでもない。何も起きない。
・「どう見られる」かではなく、自分として何ができるか、何を望むかに向き合う必要がある。


2.
>オドオドならまだいいですが無感情なのは異常者の印象をあたえそうです。
・一時的な無感情は別に異常ではない。そもそも異常者とは何を言うことなのか、自分自身の思考を確認する必要がある。

3.
>こういう転落イメージの膨張
「これこれの転落をする」という自動思考への対抗打になる合理思考検討してみる。
>大学を中退しても、仕事が全くないわけではない。しかし大学の人間関係が出来ずに、社会人としての人間関係が築けるのか疑問。
・大学は中退しない。人間関係とどっちを選ぶかの問題ではない。

結局、大学を卒業することと、友人を前にしたキャラの演じ方と、どちらを重要視するか判断決断問題になると思います。
当然前者正解になると思います。
さらに言えば、そもそも人間関係のために何かを捨てるというような姿勢で、人間関係は作れるのかという問い必要になると思います。「人間関係」というイメージが先にくる思考そのものが、もう現実に何を生み出すものでもないということです。これをいかに直視するか。
人間関係などお構いなし(ただし当然建設的行動法の中で^^)本当の自分で行動し生きる先に、本当の人間関係ができます。人間関係ができなくても大学には行くといった「決断思考」こそが、将来の人間関係豊かにしていくと思います。

(4.)
>内面感情を問う姿勢
どんな内面感情をどのように問う姿勢が起きているのか、具体的にあげればこれも同様検討材料になります^^。
>「自分は何もせずに与えられるべき人間である」「なぜ俺が頭を下げなければいけないのか。」・・(略)・・こういった感情が自分の仕草などに出てしまってそれを見抜かれる恐怖。
・内面感情がどう見られるかではなく、実際そこにある行動場面材料について、どんな行動法で向かうかの問題になる。行動法の知恵とノウハウを使うとき、内面感情がどう見抜かれるかという問題は起きない。

まずはそんなところで^^。
今は人間関係がどううまく行くまいが大学に行くという決断こそを安全ラインとして、そこから自分にとっての本当の人間関係の築き方というものに、じっくり時間をかけて取り組む、というのがお勧めになりますね^^。

そしてその「決断」とは、結局根本は、感情に負け自分を失う(それによって感情がいっそう悪くなる)か、感情を超える意志を持つ(それにより現実を向上させることで感情が良くなる)かの姿勢の違いであり、後者持つかというになると思います。
(参照:『入門 - 4.心の成長変化(1) / 「感情を鵜呑みに考えない」という全てのスタート』)


 
Re: / こたろう 引用
No.841 2014/03/29(Sat) 16:28:34

結局そこですよね。

内面感情なんですが、
自分もなんとか人の中に入れそうだと
思っているうちは、
そこまで嫉妬心による殺意?みたいな
ものが沸かないのですが、
無理そうだ、と思った途端にそれが
吹き出してきて、猛烈な劣等感に
かられ、態度に出さないのも厳しい感じに
なります。


異常者で意味するのは
この間逮捕された統合失調症の
通り魔みたいな感じですかね。
完全にまわりの人と自分を違うものだと
感じ、全く断絶した世界として壁を
作った感じ。
自分が明るい輪に入れないと感じたときに
同じような風になっている感じがして、
怖いです。

行動法がわかれば内面感情が
見抜かれる問題は起きないというのは
やっぱり納得できません。

同じ言葉を発していても、
やはり内面感情が見抜かれれば
関係は上手くいかないと思います。


 
Re: / こたろう 引用
No.843 2014/04/03(Thu) 10:14:33

行動法についてです。


現段階では、
好かれるのも怖い、
嫌われるのも怖い、
良い印象を持たれるのも
悪い印象を持たれるのも怖い、
という状況です。

これは、好かれるのが恐いというよりは
一度期待される自己を裏切ってしまったときの
相手の落胆、その落差が恐いということで、
もちろん表裏一体だと思うのですが、
どう人と関わっていくか混乱しています。


つかず離れずで、
嫌われるわけでも好かれるわけでもない
キャラクターになろうとか...


しかしこれは感情の揺れを最低限に
したいという選択であって、
どうなのでしょう...


人間関係が築けなくても
大学に通うのはもちろんなのですが、
やはり最初の印象はその後の関係性に
関わってきますよね。
なかなかラインが決まらないのは
それもあります。
最初にむすっとして壁を作ってしまうと
そういう印象が固まってしまうし、
そういう印象を持たれていること自体に
耐えられそうもない。
かといって話をしていけば
仲が深まり、距離感に悩まされる。

誘われたりしたら、断って相手を
避けていると思われるのが苦痛。

嫌われる、ひかれるのは
きついが
好かれるのも困る。
興味を持たれないのも
苦しい。


まあ、人にどう思われるかが
重要で、かつ自分が愛情を持てない
というならこの板挟みはある意味当然で、
どの苦しみを流していくのが
先の成長につながるか、ですかね。

対人関係にとらわれすぎて
自分の興味や関心に時間が
とれないのも厳しいですが...


●感情を出さない、について

先のレスをもう少し細かく言いますと、
内面感情を内にキープするってどういう状態
なのかなと、思いまして。

?@表情や外面印象にもあまり差がない状態で、
かなりの不安や恐怖や怒りを内側にみてとれる。
その上で建設的な行動。
この場合だと、相手が自分の感情に気づいていないだろつうと思えるので、その安心感はある。

?A表情や外面印象には出る。
声が震えたり、汗が出たり、顔が強張ったり、
目が死んでいたり。鬱病?と思われたりする
ように元気がなかったり。
その上で建設的な行動。
相手が自分の感情に気づいているかもと思われるので、
それが気づかれる怖さはあるが、
それは仕方ないものとして、
行動で関係は維持する。

?B表情や外面印象には出る。
しかし、相手は自分の感情に気づいていても、
それによって軽蔑したり見下したりするかは
人によるし、そう感じるのは自分の自分に対する
見方だという認識が、安全の保証になる。
その上で、建設的な行動で
関係は維持する。

例えばですが、恐怖感、不安、
感じているとどうしても顔が強張り、
青ざめます。
血の気がひくという感じ。

ましてや恐慌感情の渦?心性崩壊に向かうような
状態で、人前に出れば、目は虚ろで、
顔は青ざめて、という状態だと思うのですが、

外面の安全をふまえてそれを流すというのは、
「嫌われない」
「悪い印象を与えない」
「関係が崩れない」
「引かれない」
という事ではなくて、

先のレスにあったように
「嫌われても死なない」
「悪い印象を与えても仕事がなくなるわけじゃない

「関係が崩れても、死なない」
「引かれても、生きていける」

といった事になるんですよね?


こういう風にみられた、こういう目でみられた、
というのは外化のメカニズムとして
感じざるを得ないということでしたが、
それを外化だと認識することで、
不安がそこまで肥大せず、顔色や挙動不審な
動きなどにはつながらないという事でしょうか。

こういう風にみられた→感情がゆれる
→ゆれた感情の動揺を見抜かれた
→さらに怖くなる→さらに挙動不審に
→さらにそれがみられていると思い
→さらにビクビクする

このループでどんどん外面の仕草、顔色などが
悪化していってしまう。
最終的に本当に
「病んだ人」
「関わりたくない人」
「目が虚ろで気持ちが悪い人」
大部分の人に
こういう印象を持たれてしまう
のではないかと思うのです。


外面行動ができれば、表情の問題が
起きないというのが、納得できないのは
こういうところてす。




恐慌感情に襲われても、
外面印象としては普段通りだというなら
勇気を出して向かえると思うのですが、
顔が強張り、笑えなくなり、額が冷たくなり、
青ざめているのに、それに向かうというのは
どうしても難しい感じがする。


勝手ではありますが、
復学が目の前に迫っていて、
すごく怖くて混乱しています。
アドバイス頂きたいです。


 
最低ラインの再確認^^ / しまの 引用
No.844 2014/04/03(Thu) 11:44:17

取り急ぎ、恐らくはアドバイスできるのは今までと大体同じ話で、

>人間関係が築けなくても大学に通うのはもちろんなのですが、

結論として出たならそれで良くはもうあとの話になってきますね。

>やはり最初の印象はその後の関係性に関わってきますよね。

はまず、関係性は持てないことを覚悟するというになると思います。
重要なのは、自分にとって本当に確かな関係性とはどのようなものなのかを、これから模索することになるかと。ということは、確かでない関係性持たないという姿勢に、いったん安住の地を見出すことからではないかと。

そこから、今までとは全く違う関係性のあり方を、これからの人生築いていくということですね。それは長い道のり得るものであり、今は何もなくてもokだという姿勢で行くのがベストだと思います^^。

細かく書いて頂いた想定ケースについては、それぞれどう考えればいいかを考えても答えは出ず、それらの全てがもう問題なのではなく、実際に大学に行くことができるというのが問題。ということは、まずは無表情無口でも最低限必要な事務的会話はできるというのが、どの想定においても最低ラインになると思います。
まずはそれからですね^^。

それに耐えられないから何か方策を、という選択肢はなく、まずそれを耐えて次に何を模索できるか、というになると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.845 2014/04/03(Thu) 18:58:11

それに、耐えられないから何か方策を?
のそれ、というのは
「しゃべらないで無愛想であることによって
とっつきにくい、接したくない、恐い、といった
印象を持たれ、避けられると感じた状態」
でよいですか?


実は今日前もって大学に用事があり、
行ったのですが、
想定外の旧友?二人に会いまして、
自分の事をどう話すかをある程度は
決めていたのですが、
流れで
メンタル崩して、体調が...とか
2年間ほとんどなにもしていないとか
いってしまいまして...

いう必要もないことを
言ってしまうのは「普通こうだろ」を
裏切るのが恐いからですね。
相手の中でつじつまがあってないと
ものすごい不信感を持たれているような
感覚になってしまう。
暗いけど、メンタル崩してるなら 仕方ないと
納得してほしいんでしょうね。


しかし態度は自動的に昔の感覚だったので
もうよくなってるじゃん、

かれらの繋がりで、よく一緒にいたメンバーで
呑もうよとかいう話になってしまいました。
また、インターネットのsnsで
●●復活!とか書き込もうみたいな。


やはり、突然音信不通になったのが
いったいなんなのかとウワサになっていた
みたいで...


しかし、また昔のような自分をってのは
無理そうで、でも連絡をとらないのもむずかしい...

しかしまた流れに沿って、
自分を演じれば、同じことの繰り返し
なんですよね。
だからリセットしたかったのに...


変わってしまったんだなと
失望されるのが得策だということですか?


すでに自分の存在を、当時の同期に
さらされてしまいました。


彼らとは縁は切りたくないですが、
全く関わらないのも難しいし...


 
Re: / こたろう 引用
No.846 2014/04/03(Thu) 22:33:44

重ねて申し訳ないですが、
細かくかいた想定ケースは、
僕の状況があまりに外面的関係が
築けない現状だから、
という意味でどれというのは
ない、ということですか?


外面行動が安定した場合でも、
同じ疑問は抱くと思うのですが、、、
それとも論点自体がおかしいでしょうか?


 
交友行動の指針^^ / しまの 引用
No.847 2014/04/04(Fri) 10:07:42

交友行動については、
・「破壊」の行動モードでなければ何でもok。「絶交する」は破壊ですが、「今回は参加しない」は破壊ではないですね。そうした、モノは言い様によって破壊にならないのをうまく使い、ゼロか100かではない、自分に可能なラインを築いていく。
・相手もあることなので、最初から「これで」と行動法を決めるのは無理。多少流される成り行きでも良し。
・「友達ならこうすべき」「裏切り」とかは不合理思考。あくまで「楽しみの共有」として可能なものというのが合理思考。


といったものを外面行動指針にして、その中で自分に可能なものを探して実行するというものになると思います。
あくまで「自分として何ができるか」優先基準です。「人にこう思われるように」という操縦的なものではなく。「こう思われる」という配慮無駄ではありませんが、あくまで2番手です。
それらの中で、本当に自分に無理なく、交友を豊かにする自分なりの行動法どんなものか探し、築いていくというものになります。
実際の行動で、体験通してです。

「イメージ」を基準に行動を決めるのではなく、「現実の体験」の中で自分を知り、行動法を向上させていくという地道な一歩一歩重要ですね^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.848 2014/04/06(Sun) 19:02:09

●感情を出さない、について

の下の部分についてが、
細かく書いた想定ケースなのですが、

感情と行動の分離によって、
心の中では恐怖や不安におびえながらも、
とてもムリだと感じながらも、
必要だから、あるいは望んでいるから、
現実に向かう、という事は
どこかでやることであって、
ハイブリッド心理学の基本ですよね?
交友に限らず。


そういうときに、
感情の膿がもとになって
白い眼でみられた、こういう風に感じられた、
というのは
「自分の内面でおこったことだ」
という理解が大切だという記述があったと思います。

心性崩壊が起こるときも、
その理解が大切だと。


そういった状況になるまで、
悪感情をかかえたまま行動するしかない。

そこで、上の?@?A?Bのどれがキホンになるのだろうか、
という事を聞きたいのです。


内面感情は見せるものではなく、自分で受け取るものだという
上で行動を磨いていく。
なぜそこまで表情や外面印象に関して島野さんがノータッチなのかがよくわからないのですが。それによって「現実」自体が変わってくると思うので。



交友を豊かにする自分なりの行動法、自分で考えることだとは
思うのですが、例えばどういった事になるのでしょう?
線引きを決めるということですか?


 
ありのままの自分を受け入れる一歩^^ / しまの 引用
No.852 2014/04/08(Tue) 16:49:07

>外面行動ができれば、表情の問題が 起きないというのが、納得できないのは こういうところてす。

表情の問題も含め、「楽しみの共有」として行動できそうならば、積極的にそうすればいい。できそうでないならいったん孤独を受け入れる、というになります。
表情の問題あまりに不安になるようであれば、無理をせずというです^^。
ですので?@?A?Bのどのケースにおいても、それでも「楽しみの共有」として交友行動をできそうか、したいかという問いになると思います。Yesであれば向かえばいいし、Noであればいったん退却も良し最初からどれをベースに、と決めておくようなものではないと思います。

アドバイス全体としては、あくまで今大学に出ること優先であり、交友2番手。そうした人生全体の全体舵取りの中で、ありのままの自分を受け入れることにまず成長の一歩があり、受け入れる時間多少持つことで、感じ方変化するであろう、そこからまた新しい一歩模索に行く、というものになります^^。


>交友を豊かにする自分なりの行動法、自分で考えることだとは 思うのですが、例えばどういった事になるのでしょう? 線引きを決めるということですか?

紋切りアドバイス(^^;)になりますが、ハイブリッド心理学からの「交友を豊かにする行動法」は、「楽しみの共有」として向かうものです。互いの間柄や距離線引きをするようなものではなく、流動的でオープンなものとしてです。
ですので「楽しみの共有」できれば積極的に行動を共にする、できなければ無理に行動を共にしないという姿勢行動法こそが、豊かな交友と、個人の確立共に築くことのできるものと考えています。



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