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記事No.855に関するスレッドです


(No Subject) / こたろう 引用
No.855 2014/04/11(Fri) 21:15:37

新トピで失礼します。
●自分なりの交友行動法
楽しみの共有として
向かうのはわかるのですが、その内容
(なにをどういう風にしたら
自分は現時点で楽しいと感じるのか)を
イメージではなく現実においての
体験で知る、ということで
いいでしょうか。

その内容は人の趣向、
あるいはその時点での
精神的な自立の具合による。

例えば買い物は好きだけど
人と一緒にいくのはわずらわしい。
その場合楽しいことだけど
共有する楽しみとはいえない。

山登りは好きだけど、
あのおしゃべりな人と行くのは
疲れるから、大人しいあの人と
行く。


●話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない

とりあえず大学には行けています。
今はほぼ誰とも会話していません。

自分は人間関係を築くに当たり、
100と0に二分してしまうのがやはり課題
だと思っているのですが、
例えば趣味が同じだという事がわかったと
すると、その人とは友達になるべきだ、
という圧力を感じます。

気が合うかどうかより、
その趣味がやりたいからやっている
という自立した姿にやはり
憧れる。
オープンなタイプの人だと、
共通の趣味について話が盛り上がれば、
「一緒にいこうよ」というのが
自然な流れだという事は多いと感じます。
もちろん、それがたんなる社交辞令だというのは
これから増えていく年齢ではあると
思うのですが、
それでもその言葉が恐ろしくて、
そういうタイプの人に自分の趣味を
隠したくなったり、新しい趣味をしたくても
知り合いに誘われるのが怖くて
やらなかったりします。

サーフィンとかやってみたいんですが...


共有できる楽しみがそこにあっても
(共通の趣味、興味)楽しくない、
というのはなんら不自然ではない事だ、
という認識は大丈夫でしょうか?
会話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない、
なども「楽しみ」の要素になりますよね。

これはある程度、健康な心の人でも
あること。

でも、心がより自立して、
自尊心が高まれば、
「どんな自分でも受け入れてもらえる」という
必要性が少なくなる分、
より広い交遊に、
居心地の良さも含めた「楽しみ」を
感じられるようになる。
しかし、これは長い目でみる
必要がある。




今は、居心地の悪さを感じずに済む関係の
中で、まずは「理解し合うこと」より
共通部分の楽しみを向上させる、という
ベクトルにしていきたいと思います。


また、共有できる話題を話すのみに
留め、一緒に休日にそれをしたりと
いうことはしない、という距離感を
作れれば、関係性の中の中間的、
グレーゾーンの付き合いを増やして
いける気がするのですが、
これに関しては具体的な言葉の使い方とか
を考えていった方がいいのでしょうか。

毎回用事をでっちあげるのも
変ですし、かといってあなたとは
休日は過ごしたくないというのも
変ですし。


 
「本当に確かなもの」を増やしていく^^ / しまの 引用
No.858 2014/04/13(Sun) 17:02:18

>楽しみの共有として 向かうのはわかるのですが、その内容 (なにをどういう風にしたら 自分は現時点で楽しいと感じるのか)を イメージではなく現実においての 体験で知る、ということで いいでしょうか。

それでいいと思いますヨ^^。まあ多少イメージで把握もしておくことも有用だと思います。そして実際の体験で知っていく。両方ですね。後者より重いとして。
その積み重ねで、自分はどんなことを、誰とするのが本当に楽しいと感じるのか、「本当に確かなもの」を増やしていくのが成長であり人生の歩みになると思います。

書いて頂いたものざっとコメント入れるならこうしたもの。
「〜なら友達になるべき」という「圧力」をかけたところで友達にはなれない。
「姿への憧れ」から入るのはokだが、それだけでは長くは続かない。「結果」の姿ではなく、「過程」を楽しめるか
「共有できる楽しみがあっても楽しくない」は、実際のところ「共有できる楽しみ」ではないということ。人と一緒に行える活動かどうかのカテゴリー分けはあるとして、その後の話からが取り組みになる。
「自尊心」「自分を尊敬できること」であり、交友の広さとはとりあえず別の話
「言葉の使い方」は生活の全ての場面で重要。

>今は、居心地の悪さを感じずに済む関係の 中で、まずは「理解し合うこと」より 共通部分の楽しみを向上させる、という ベクトルにしていきたいと思います。

それでいいと思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.859 2014/04/17(Thu) 12:17:15

●望んでいるけど楽しめない

優越したい、打ち負かしたいという
感情が一番対人状況でリアルな
感情ですが、一方で一緒に楽しい
時間を過ごしたいという気持ちも
その底にはあります。
この場合は優越したい、
あらを探したい、自分が上だと
証明したいというのは出来るだけ
否定せず内に留め、楽しみたいという
気持ちをもとに外面行動をしていく
ということになると思います。


共有する行動への興味が
共通していても、
共有できる楽しみがないということ、
はやはりそうですね。

そのような場合の内容について
考えてみました。

●話があわない。
→普段の生活、笑うポイントなど。
●劣等感を感じて楽しめない。
→自分は人を好きになれないのに、彼は
友達を普通に作れる。
自分はやりたいことを見つけられてないのに、彼は
打ち込んでいるものがある。
自分は中身がからっぽに感じ、見た目ばかりに気を使っている気がするが、彼は自分の独自の価値観を持っているから見た目にそこまで執着していない。


会話をすればするほど劣等感で
心が萎えていきます。
情報が入ってくればそれが
比較項目として自動的に劣等感を
感じてしまう。

例えば

こないだ知り合いが...
→自分は知り合いが少ない
酒飲みの席で...
→大学で大人になる前にみんな社会人への
橋渡し的な関係性を学んでいるのに
自分は飲み会なんてほとんどいってない


会話ができないのではなく、
なにを聞いてもそれが「そっちは?」
に転じる事が嫌だし怖いので、
話すことがなくなってしまうんです。

それでも前者の意味では楽しみがあるんです。
くだらない話をしているだけで
面白い。一緒にカラオケでふざけたりとかは
楽しい。
だからこそ失いたくない交友。



しかし後者(劣等感によって話すことがない、居心地が悪くなる)があることで、
結果自分よりも劣っていると感じる人
たとえば友達はほとんどいない、
人とうまくやれない、見た目がダサい、
面白くない、流されて生きてる、

あるいは、劣等感を感じるけど
相手がそれを自虐する自分を見下すよりは
受け入れてくれる、あるいは笑ってくれる、
という2パターンの関係しか
作れない。

自尊心に向かうことが答えでも、
交友は相手あってのこと、
今は
劣等感で楽しめないから会わないという
選択をすれば、相手はもう縁が切れたと
判断する可能性も充分あります。

どう返事すればいいか迷っているうちに
旧友から
「しばらく連絡とってないだけで
切れる関係だとは思ってなかったんだが...
残念。」
というメールがきました。




関係を切りたくないけど今は
会う元気がないことを素直に
いうべきでしょうか。

僕の望みとしては彼らとは
共有する楽しみはあるので
切れたくないのです。


しかし今は会えないといって
いつか元気がでるのか疑問です。

だから劣等感を内に持ちながら
遊ぶ友達は増やしていきたいんですが...


一人きりで常に行動していて
周りの大学生は休憩時間がやがやして
いるのを見ると羨ましくて
死にたくなります。
大学の勉強も打ち込めるほど興味が持てるわけでもなく、行きの電車帰りの電車では知り合いに会うことに
怯え、家ではこんな自分にしたのは親のせいだと
いう感情にさいなまれ、不幸や不機嫌をみせつけるような態度をとってしまいます。
毎日頭痛がしますし日に日に笑えなくなりますし
表情の心配があるならその状況に入らない、
を続ければこの先表情は上向くことは
ないと思います。

人格障害的感情を
自分のハンディとして受け入れて
克服するんだという気持ちがポーズでしか
ないんだと実感しています。


とりあえず大学に通うのを最低ラインに
しているものの、日をおうごとに割れるような
頭痛が増していきます。
結局行けっていわれているからいっている、
みたいな感覚です。


ここまで書いていて自分は根本的に変われない人間
なんだと感じられます。
論理的に省みることが出来ている方とは
違って、感情に流されることしか
できないし、いつまでも現実から解離した理想にしがみつづけてしまう人間なんだなと思います。


このままだと感情が枯渇します。

その焦りもあって話したりする相手を
失いたくない焦りが
あるのだと思います。


 
「現実における選択」として「価値観の選択」に取り組む^^ / しまの 引用
No.861 2014/04/19(Sat) 11:54:17

「自尊心」価値観の選択

>優越したい、打ち負かしたいという 感情が一番対人状況でリアルな 感情ですが、一方で一緒に楽しい 時間を過ごしたいという気持ちも その底にはあります。

その2つの感情は、両立しないと思います^^; 人を打ち負かしたいのなら、一緒に楽しい時間をすごすのはまず不可能ですね。

選ぶ必要があるということですね。
ハイブリッド心理学からは、感情「ただ流し理解する」ものであって「選択するもの」ではありませんが、感情生み出す根底になるものとしての価値観思考法行動法「選択するもの」です。

この話の場合は、「自尊心」のための価値観の選択重要になってきます。
『入門 - 3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ / 4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法』
記載の通り、
========
「自尊心」 ・・・ 「人を打ち負かす」「人に認められる」よりも「現実において生み出す」こと、そこにおいて生み出す価値の、自分自身にとっての大切さにおいて獲得し築く
========
というものを、本当に自分のものとして選ぶか。それへの向き合いに、まず取り組む必要が出てくるということですね。

「価値観の選択」というのは、自分への建前思考では何の役にも立たない、結構難しい作業でもありますね。
これについては
『実践編上巻』
9章 価値観と行動学  −進み得る道はただ一つ−
などが参考になると思います^^。


「現実における選択」という根本

そうした「価値観の選択」できるための根底姿勢として、「現実における選択」というものが重要になります。
「現実の選択」という言葉で言っても良いかと。
現実というのは、空想で描いた通りの都合の良いものには、ほとんどならないものです。「これは現実においてあり得る」というものしっかりと見据え、選択しなければならない。上記の話で言えば、自分の中人との関係についての対立矛盾する感情を持ったまま、表面においては人と良い関係を築こうと望んでも、そうは「現実」という問屋が卸さない

だから、自分が実際現実においてどんな感情を持っているか向き合うことから始めたならば、それを生み出している自分の思考法行動法や価値観じっくり取り組み、その「選択」に向き合っていかなければならない、ということですね。

そうした「現実における選択」「現実の選択」として、確かなものを積み重ねていく中で、自分徐々に変化します。

>ここまで書いていて自分は根本的に変われない人間 なんだと感じられます。論理的に省みることが出来ている方とは 違って、感情に流されることしか できないし、いつまでも現実から解離した理想にしがみつづけてしまう人間なんだなと思います。

「空想通りに変われる」という幻想しがみ続けるか、それとも「現実における選択の積み重ね」によって変化していく道選ぶかですね。
実際、今、少なくとも学校に行っているという現実において、休学した自分からは変化しているわけです。まこれは暫定的な状態かも知れませんが、変化とはこうした地道な前進の積み重ねしか成し得ないということですね。

こうした「現実における選択」「現実の選択」のための心の基盤培うのは、『取り組み実践詳説』詳しく解説した意識過程の中では、「現実を見る目」になります。
「2章」にて主に説明していますので読んで頂くと良いかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.864 2014/04/20(Sun) 18:48:24

心底から「生み出すこと」を自尊心に出来ていないのは
感じます。
「生み出すもの」に価値を感じられるものがあまりないのかも
しれません。

行動としてそれを定着できれば、シフトする方向に行くと
理解していたのですが、今のところ向き合っても
「わかってるけど、人を打ち負かすのにうっすら喜びを感じるし、
揚げ足をとって調子に乗ってるやつをくじいてやりたい」
という感覚ですね。

打ち負かすことに快感を感じてしまうのは
感情が荒廃化している以上は、必然ではなかったですか?
その荒廃化感情を持ったまま行動は建設的に・・・というのが
方向性だと理解していたのですが。

感情では打ち負かすのに喜びを感じてしまっても、
これからの自分の価値観としてそれを選ぶか、ということでは
ないんですか?


後半、抽象的で理解できないです。
「現実における選択」「確かなもの」


確かではないものとはなんでしょうか。
価値観を、みせかけの納得で、それによって自分をかきたてる。
これは確かではないもの、ですね。

正直、ゴリゴリに心は依存に留まろうとしているので、
ハイブリッド心理学の価値観を自分に問うと、
反発ばかりって感じです。

だから確かな選択なんて全然できない。

なんで、自衛しなきゃいけないの?
社会に出る前にCENSORED
そんなめんどくさい事したくない。


心から返ってくるのはこういう言葉です。


結果、価値観をおしつけて強制的に
かきたてるような姿勢になってしまいます。



現実における選択の積み重ね。
どういう選択が積み重なっていくのか、イメージがわかないです。
価値観の向き合いの過程、なども。
例えばでいいんですが、バカなもので、
具体例が知りたいです。

でも価値観に向き合って感情が変わるわけじゃないんですよね。


 
「確かなもの」の「選択」の積み重ね^^ / しまの 引用
No.873 2014/05/01(Thu) 14:03:18

ちょっと遅くなりました^^ゞ

>確かではないものとはなんでしょうか。価値観を、みせかけの納得で、それによって自分をかきたてる。これは確かではないもの、ですね。

「確かでないもの」とは、たとえば「占い」です。これからの天気予測したいならば、占いではなく気圧配置による天気予報など、より確かなもの「選択」する。
思考法行動法価値観についても同じように、より確かなものを選択していく取り組みになります。「みせかけの納得」はもちろん、確かではないものですね^^。

>現実における選択の積み重ね。どういう選択が積み重なっていくのか、イメージがわかないです。

どう積み重なるかその時は良く見えないとしても、人生上述のように「より確かなもの」を自分で選択していくことを、とにかく日々重ねていくものだということです。そこに「成長」があると。
今回の話で言えば、「とにかく大学に行く」という「選択」今後の進路選択も、この選択あってこその次の積み重ねになりますね。

>打ち負かすことに快感を感じてしまうのは 感情が荒廃化している以上は、必然ではなかったですか?その荒廃化感情を持ったまま行動は建設的に・・・というのが
方向性だと理解していたのですが。

>感情では打ち負かすのに喜びを感じてしまっても、これからの自分の価値観としてそれを選ぶか、ということでは ないんですか?

それは大体その通りですね^^。湧いてしまう感情選べないので、それを内面に抱えたまま外面行動可能な限り建設的にするのが良いのですが、内面感情があまりにすさんでしまうと、外面での建設的行動ちょっと無理で、破壊行動なんとか抑えるだけになってしまうと思います。
その状態から抜け出したいならば、すさんだ感情が湧き出る根本的な大元に、取り組む必要があります。それが「価値観」であり、「自尊心」「人を打ち負かす」ことそれとも「自ら生み出す」ことのどちらに、自分として本当に重みを置くかという、自分への「問いかけ」していくというになります。

>正直、ゴリゴリに心は依存に留まろうとしているので、ハイブリッド心理学の価値観を自分に問うと、反発ばかりって感じです。だから確かな選択なんて全然できない。

もちろん「選択」自由です。ハイブリッド心理学からは、これこれの「選択」したならば次にこれこれの道がある、という道筋の説明をするまでになります^^。その道に実際行くかどうかは、お任せしています^^。基本的自助自己啓発の心理学になりますので^^。

>価値観の向き合いの過程、なども。例えばでいいんですが、バカなもので、具体例が知りたいです。

むしろ「価値観への向き合い」として単独具体的に言えるような過程はない、と言えると思います。まず日々の生活の全てにおいて、「本当に確かなもの」「選択」積み重ねをする「成長」がある。まずそれがあって、「価値観への向き合い」できるようになる、まずは言えるかと。
ですので上記最初「確かでないものの見分け」といったがまず通過点であり、その次に来るものとして向き合ってみて頂ければ^^。



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