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No.936 2014/07/12(Sat) 17:43:04
アドバイスありがとうございます。
>後段は、「実践」の始まりとなる「何が問題、課題、望みか」が、またそこから始めるアプローチそのものが、ややつかみ切れていない印象^^。
読み返していると、確かに「交友関係」において何を望んでいるかがぽっかりと抜けているのを自覚しました。 一方、人の輪に入らないことで生じる問題も、嘘偽りなく考えると何も思い浮かばず、これじゃあ考えても何も進むわけがないですね。 今思い浮かぶのは、せいぜい、カラオケに関して、機械からの評価ではなく、自分は実際どのぐらいのレベルかという生の情報に僅かながら興味があるぐらいです。 より明確な「望み」が出てきたら再度考えてみます。
>ミックスはできないと思います^^; んー…これについては、不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものと全く無縁な集団などあり得ない、という感覚はどうしても抜けません。 ちなみに、そういうものの標的にならない方法について調べても納得のいくものが見つからなかったので、「肯定型文法」から「建設的行動」まで身につけていく以外に今は手段がないのだろうな、という感じの流れにもなりました^^;
あと、「慣れ」については、「肯定型文法」への「慣れ」という意味合いでしたが、誤解させるような書き方で申し訳ありません。
>何がどうなると期待したのか。 自分の問題をガンガン解決していけるようになること、でしょうか。 あるいは、今までの取り組みでおそらく明確に出てこなかった「愛」へのアプローチも出来るようになる、とか。
このへんを考えるにあたり、最近、「愛されること」や「褒められること」は危険である、という感覚が次第に浮き彫りになってきました。 「愛される」「褒められる」というのは、そこに色眼鏡が入ることも珍しくなく、多少妄想に近いようなものも混ざってくるため、その分相手の妄想から外れないような振る舞いを強いられることになり、逸脱すると「そんなお前はお前じゃない!」という怒りを向けられるようになる、と。社会的によくあるのはスポーツ関連の報道ですかね。負けたら掌返してボロクソに叩く、というやつですが、それが身近な人間関係にまで蔓延しているのではないか、という恐れです。 まあ、「愛される」場面でなら、最悪の場合「あんたの妄想劇に付き合ってやる義理はない」と言って関係を断てば済む話ではありますが、仕事の場面で評価された場合、それで辞表を叩きつければすぐに文無しになってしまいますので、その辺は問題かもしれません。 まあ、意外なところから問題が浮上したので、どうアプローチしていけばいいか、再度調べてみようと考えてます。 |
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