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記事No.939に関するスレッドです


「学び」の奥深さ / 引用
No.928 2014/07/01(Tue) 01:49:40

 こんにちは。
 前回の書き込みにおいて「本格的な学びに入ってきた」ということで、今までとは打って変わって本格的に前へ進めるようになる!という感覚のもとで過ごせることをまず期待するようになりましたが、しばらく経つと「実はハイブリッドに関して何もわかっていなかった自分」を自覚する、という感じになりました。
 先生のサイトの説明の中でそういう話にも触れられていたこともあり、幸いそこで動揺したり混乱するということはなかったので、落ち着いて身の回りのことについて自分自身の考えを持つことに専念しつつ日々を送るようにしています。

 典型的にミスってたことを実感したものとして、たとえば相手を説得する場面についてですが、理詰めでやるべきものなのだと無意識のうちに思い込んでいたことでした。
 カラオケの採点機能でそこそこのスコアが出るようになったのを世間話で知人にした時、そのうちの1人が、カラオケを教えてほしいなどと結構執拗に頼み込んでくるようになり、面倒だなあ…と感じつつ、まず自分は一人でカラオケに行くのが好きなことを前提として話した上で、採点とカラオケの上手さは別であることを、上手さとは無関係にスコアを上げる方法(実際にやってみると、かなり不自然で気持ち悪くなります。実際私も、自分の歌声に意識せず歌ってた頃は、点数が上がることで上達してると勘違いしてました^^;)なども交えて説明し、更に歌の教え方など具体的にはわからないということなどを結構理詰めで説明し、他をあたるよう説得したのですが、どうやら「一人で歌うことは寂しいことだ」という考えで居るらしく、なかなか引き下がってくれずにいい加減イライラした、ということがありました。仕方ないのでアプローチを変え「勝手に上手いと決め付けてついてこられても困るし、プレッシャーになるだけだから」と、感情面での根拠も伝えたら何とか引き下がってくれました。そう言えば以前仕事上で常連さんから無茶な要求をされた時にも、「ルールですので」というだけではなく「ルールを破ると最悪クビになりますので」という言葉などで、若干情に訴えるニュアンスも含まれていたように思えます。確かに理詰めでだけでは、特に相手が感情で物を考える習慣の強い人であれば、まずその理屈を理解できずに話が平行線を辿る可能性もあり、最悪の場合、理屈っぽい奴だということで怒りを向けてくる可能性も考えられるな…と。単に理詰めで説明して納得させるのではなく、その場に応じて、情理両面での材料が必要だというのを痛感しました。

 前回ご提案のあった「オープンな交友関係について再び考えてみる」ということについてですが、実際自分が経験したものや周囲で見聞きしたものをあわせて考えると、大抵の交友関係は、それぞれ千差万別な比率で「オープンさ」と、いろんなトラブル…はっきりした揉め事であったり水面下での陰口や誹謗中傷、不毛な争いのような「面倒くささ」をミックスしたようなものなんだろう、と、理屈の上で結論付けましたが、やはり「面倒くささ」に巻き込まれるのは嫌だなあ…という感覚は拭えませんでした。その後二つのことが思い浮かびました。
 まず1つは、「建設的な行動法について、今はまだ、人と接する場面ではそういう行動があんまり出来ていない。たとえば会話するときなどは、その話題に関することで頭がいっぱいになり、破壊型か建設型かをチェックしながら発言するということが出来ていないな」ということでした。平たく言えば「話題について考えながら建設型の文法を考える余裕が無い」自分が居る、と。
 もうひとつは、「そもそも、俺は人の輪に入ることありきで行動するのが好きな性分なのか?」という自分への問いでした。今のところ大抵は一人で完結できるようなものへの関心しか持てていない分、そうでなければ「付き合いのための付き合い」にストレスを感じるのは避けて通れないだろう、と。いろんな場面を考えましたが、やはり自分は一人でマイペースに行動できることに魅力を感じるので、まずは人と関わることを避けられない場面で、必要な行動と並行させてどれだけ建設的な行動について考える頭を確保するか、というのが課題になりそうに感じました。とりあえずは慣れが必要だな、と感じている次第です。
 また、進展があったらご報告いたします。


 
「自らによる成長の歩み」へ^^ / しまの 引用
No.933 2014/07/10(Thu) 14:57:09

執筆の方ちょっと手放せなくなり遅くなりました^^。


「自らによる成長の歩み」へ

>しばらく経つと「実はハイブリッドに関して何もわかっていなかった自分」を自覚する、という感じになりました。

それこそがまさに真の理解への入り口になるという、
「パラドックス前進」
ですね^^。

>前回の書き込みにおいて「本格的な学びに入ってきた」ということで、

「本格的な学び」は、まずは取り組み実践の進め方そのものを、
「「最初の一歩」から「自らによる成長の歩み」へ」
というギヤチェンジするということになりますね。
それを念頭に、今回の材料についてコメントするならば、以下のような感じ。


「単に理詰め」ではない「原理原則行動法」

>典型的にミスってたことを実感したものとして、たとえば相手を説得する場面についてですが、理詰めでやるべきものなのだと無意識のうちに思い込んでいたことでした。
>単に理詰めで説明して納得させるのではなく、その場に応じて、情理両面での材料が必要だというのを痛感しました。

これはGoodな前進ですね^^。
その通り、まあ「論理的思考」から始まるものの、それは「一方理屈だけで考えるのではない」ゆえに、話が長くなると昨日のブログでも触れた通り^^。
話が長くなるとは、「学び」沢山出てくるということであり、そのそれぞれについてまず自身の理解納得を問うことに「実践」がある、というになります^^。

「原理原則行動法」などの「行動学」「単に理詰め」ではないことは、
・「場と相手に応じた原理原則」
重要になる、というのがまあ上級編(^^;)になってきますね。これについては、
『人間関係について』 にーなさん No.710 2013/11/27
トピックでの第3レス
『「目的思考」「自分自身への論理的思考」でまず現状の思考法行動法を確認する^^』
しまの
No.745 2013/12/18
具体例の中で、
======
場と相手に応じた原理原則出せるように取り組みます。この辺はちょっと上級編^^「知識」「言葉の選択」さらには「相手を見究める目」問われる場面もあり、まさに長期的な学びと実践の積み重ね重要になります。
======
触れていますので参考になるかと。まあこれが使いこなせるようになるのは、「成長の歩み」かなり後半になってからのように思います。それだけ沢山の経験積み重ねと、年季の先に、身についてくる。

まずは紋切り短絡でワンパターンにならずに、
「3種類の行動学」
どんな場面どれがベストかという学びと検討常に行うに、そうした積み重ねできる頭に入れておくと良いかと^^。


取り組みの方向

一方書いて頂いた後段は、「実践」始まりとなる「何が問題、課題、望みか」が、またそこから始めるアプローチそのものが、ややつかみ切れていない印象^^。
まとにかくは何でもかんでも(雑な言葉^^;)手近「学び」実践法にせよ成長の理解にせよ、
・継続的読書 ・・・ 自分の理解納得を問いながらじっくり読む
・日々の「実践」 ・・・ 「問題・課題・望み」に対応する「学び」を正確につかみ、これもまず自分の理解納得を問う

という
「一貫した「実践」の歩み」
しばらく続けてみることが、前進要領つかむためにも最短になると思いますので^^。

書いて頂いた後段については、やや断片的になりますが、僕からはこんなコメントができるかと。
そうした断片的な話全体を通して、自らの取り組み一歩の方向どう感じ取るかは、ご自身委ねられるということになると思います。

>大抵の交友関係は、それぞれ千差万別な比率で「オープンさ」と、いろんなトラブル…はっきりした揉め事であったり水面下での陰口や誹謗中傷、不毛な争いのような「面倒くささ」をミックスしたようなものなんだろう、と、理屈の上で結論付けましたが、

ミックスはできないと思います^^; それはまるで海外旅行について自分の望みを吟味しようとうする際に、まず海外旅行とはスイスの絶景中東の危険さアフリカの灼熱ミックスしたようなものだ、と考えて検討に入ろうとするような^^; 結果、まずどーも面倒・・とだけになるのが必至かもですね・・。
それぞれ別個の人間関係事象として、それぞれについて建設的対処法の詳しい「学び」に進むか、ということになるかと。

>その話題に関することで頭がいっぱいになり、破壊型か建設型かをチェックしながら発言するということが出来ていないな」ということでした。平たく言えば「話題について考えながら建設型の文法を考える余裕が無い」自分が居る、と。

具体的状況内容ごとでの、一つ一つの取り組み積み重ねになると思います。詳しい具体的状況内容を言っていただければコメント可能かと^^。

>「そもそも、俺は人の輪に入ることありきで行動するのが好きな性分なのか?」という自分への問いでした。
>とりあえずは慣れが必要だな、と感じている次第です。

こうした「自分への問い」は、「望み」への向き合いと、それに向かうための視点の「学び」どう経ているかによって、前進役割の有無と意味合い違ってくるということになると思います。
書いた頂いた文面からは僕からはその状況は分からず、それを自身で確認すると良いというになりますね。
「慣れ」というのは得てして問題の明瞭化をしないままの現状維持を意味するので、やや要注意。この辺がご自身でもちょっと何かつかみ切れていない部分のような印象も。

そこで明瞭化すべき問題とは何か。そのための糸口は、例えば

>今までとは打って変わって本格的に前へ進めるようになる!という感覚のもとで過ごせることをまず期待するようになりましたが、

ここで「前に進める」とは、何がどうなると期待したのか。そうした自己分析が、何よりも「パラドックス前進」つながると思います^^。


 
Re: 「学び」の奥深さ / 引用
No.936 2014/07/12(Sat) 17:43:04

アドバイスありがとうございます。

>後段は、「実践」の始まりとなる「何が問題、課題、望みか」が、またそこから始めるアプローチそのものが、ややつかみ切れていない印象^^。

読み返していると、確かに「交友関係」において何を望んでいるかがぽっかりと抜けているのを自覚しました。
一方、人の輪に入らないことで生じる問題も、嘘偽りなく考えると何も思い浮かばず、これじゃあ考えても何も進むわけがないですね。
今思い浮かぶのは、せいぜい、カラオケに関して、機械からの評価ではなく、自分は実際どのぐらいのレベルかという生の情報に僅かながら興味があるぐらいです。
より明確な「望み」が出てきたら再度考えてみます。

>ミックスはできないと思います^^;
んー…これについては、不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものと全く無縁な集団などあり得ない、という感覚はどうしても抜けません。
ちなみに、そういうものの標的にならない方法について調べても納得のいくものが見つからなかったので、「肯定型文法」から「建設的行動」まで身につけていく以外に今は手段がないのだろうな、という感じの流れにもなりました^^;

あと、「慣れ」については、「肯定型文法」への「慣れ」という意味合いでしたが、誤解させるような書き方で申し訳ありません。

>何がどうなると期待したのか。
自分の問題をガンガン解決していけるようになること、でしょうか。
あるいは、今までの取り組みでおそらく明確に出てこなかった「愛」へのアプローチも出来るようになる、とか。

このへんを考えるにあたり、最近、「愛されること」や「褒められること」は危険である、という感覚が次第に浮き彫りになってきました。
「愛される」「褒められる」というのは、そこに色眼鏡が入ることも珍しくなく、多少妄想に近いようなものも混ざってくるため、その分相手の妄想から外れないような振る舞いを強いられることになり、逸脱すると「そんなお前はお前じゃない!」という怒りを向けられるようになる、と。社会的によくあるのはスポーツ関連の報道ですかね。負けたら掌返してボロクソに叩く、というやつですが、それが身近な人間関係にまで蔓延しているのではないか、という恐れです。
まあ、「愛される」場面でなら、最悪の場合「あんたの妄想劇に付き合ってやる義理はない」と言って関係を断てば済む話ではありますが、仕事の場面で評価された場合、それで辞表を叩きつければすぐに文無しになってしまいますので、その辺は問題かもしれません。
まあ、意外なところから問題が浮上したので、どうアプローチしていけばいいか、再度調べてみようと考えてます。


 
Re: 「学び」の奥深さ / しまの 引用
No.939 2014/07/17(Thu) 16:14:53

検討を進めるとのことで、とりあえず押さえておくべきポイントコメントしておきますと、

>不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものと全く無縁な集団などあり得ない、という感覚はどうしても抜けません。

「集団」として世に成立するものとなるとそうかも知れませんが、重要なのはその中における個々人の行動法の違いですね。自身交友行動検討も、その把握ありきで前進可能になると思います。
あるケースで不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものが起きるものが、他のケースでは起きないという違い想定でき、それが個々人のどのような行動法や価値観の違いによる、というものがまず理解できればいいと思います。
できるだけ具体例ベース検討すると良いかと。

>最近、「愛されること」や「褒められること」は危険である、という感覚が次第に浮き彫りになってきました。「愛される」「褒められる」というのは、そこに色眼鏡が入ることも珍しくなく、多少妄想に近いようなものも混ざってくるため、その分相手の妄想から外れないような振る舞いを強いられることになり、逸脱すると「そんなお前はお前じゃない!」という怒りを向けられるようになる、と。

これは「愛されていること」「褒められること」話というより「本当には愛されていないこと」「本当には褒められていないこと」の話というような^^;
相手を愛するではなく、自分の欲求の満足のために利用する。相手を本当には認めていないから、こっちの論理を押しつけるために褒める
これも、そうではない、本当に相手を愛する(愛される)本当に相手を認める(認められる)こととの違いというものを、まずは押さえてからの検討が良いかと^^。



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