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記事No.975に関するスレッドです


(No Subject) / こたろう 引用
No.957 2014/09/03(Wed) 23:37:09

仕事やアルバイトの向かい方に関しては、
業務の価値に応じて、自分の役割を理解して、ノウハウを使って
取り組む事、コミュニケーションにおいては
一貫して「業務内容や目的について、価値言葉を使って話せる事」というのが
アドバイスになっています。

これに関しては、業務中に関しては理解できます。
もちろん、業務内容についての構造的理解があり、論理的なつながりを
理解できていることと、人とその理解を共有できるような
コミュニケーションがとれる能力が大前提になるでしょうし、
それが出来れば「仕事がうまくいかない」事による居辛さは
なくなるでしょう。


原則、明示的条件としては
それが出来ることが仕事場にいる事の条件になると思います。


しかし、その条件を充分に満たせているのにいづらいケースは
多いと思います。


「気持ち」や「やる気」はどちらかというと、業務内容に対してというより
そういったコミュニケーションを業務外の人間関係、飲み会なども含めて、そういった
場面で求められるものではないでしょうか。


例えば、自分がアルバイトをしていた店舗は、スーパーなど、
働いている人の趣味や休日の過ごし方がバラバラであると考えられる
ものではなく、
むしろその休日の過ごし方自体のサポートが業務でした。

例えて言うなら、ダイビングショップの様な感じですね。


そもそも、それに興味が無い人はなかなか働きにこないわけです。
高給でもないですし。

最初のうちは、まだお互いに打ち解けていない事もありますし、
店長が、同じ店舗の人とは一緒に休日を過ごさない人でした。
一部の人は、一緒に行ったりしていましたが、そうではない人も多かったです。
一定数そういう人がいれば、別に気になりませんでした。


しかし、徐々に打ち解けはじめると、趣味が共通しているので、
店舗内で一緒に海に行こうという人が増え、自分も誘われる事が出てきます。


例えば、これがスーパーのアルバイトで、
「私たち、今度ディズニーランドにいくんです。一緒にどうですか?」というお誘いなら、「自分は苦手なので、ごめんなさい、結構です!」と言えます。


つまり、内容を楽しめないから、行かないという事が言えるわけです。
これの何が良いのかというと、「あなたを嫌っていたり、苦手だと思っているわけではない」という風に相手が理解することが出来ることです。


しかし、やりたいこと、好きなことが、共通している。


こうなると、「なぜ一緒にいかないのだろう」という目を相手が向けているという
外圧を感じるわけです。


これが50代の主婦の方だったとします。
そうすると「若い子はオバちゃんといても楽しくないもんね〜」という
認識をされていると思えるので、まだ良い。


これが、同世代で趣味が共通しているという条件があるのに、
断る。となると、「私が嫌いだから来ないんだ、私が苦手だから来ないんだ」
という風に、相手が考えるだろうと感じられる。


そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは
苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、
苦しくなります。仕事中も話していて、そう思われていると感じると
もう苦しくて、業務に集中できない。


もちろん、建設的行動法としては「その日は〜をするので、すみません」という
言葉を使うのが良い、ということになると思うのですが、
時々しか会わない友人などならそれでも納得できると思います。
しかし、何度も会う人、何度も誘われる人にそうやって断るのは、相手も納得できないでしょう。


それに、「来月であいている日があったら行かない?」と誘われた場合は
どうするのでしょうか。
来月開いてないならその次は?といわれた場合には。
日取りをあわせるから今月中であいている日を教えてくれ、という誘われ方も
ありますよね。


休憩時間もそうです。休憩時間まで、業務内容についての会話ばかりする人は
むしろ少ないと思います。ある程度はあると思いますが。
あるいは、入りたてでわからない事だらけの時ならば、疑問だらけで
当然なので、業務について質問するのも変ではない。
でも、慣れてくると、「この人は自分の話全然しないなぁ。壁を作られている」という目で見られるようになってくる。
幸い、当時のバイト先はショッピングモールだったので、
休憩時間に外出する事が不自然ではありませんでした。
さらに、休憩時間がズレていたので、同時に休憩をするとしても2、3人ほどまで。
そのため、余裕のあるときは店のバックルームで同僚と休憩を共にする事もあれば、
無い時には外出して食事をする事も多かったです。
帰りも、アルバイトよりも社員の方が、レジ閉めなどがあるため帰りが遅く、
時間がズレていたため、あまり人と一緒に帰るシチュエーションが無かったです。




しかし、会社となるとそうもいかないことが多いでしょう。
昼食の休憩は一定のタイミングで、よく何人かで食事にいく人をみます。
周辺にそういった場所がなければ社員食堂しかないでしょう。



会社に勤めるにあたり、明示的な条件としては「仕事が出来る事。業務上のコミュニケーションがとれること。」が原則だと思います。

しかし、非明示的な条件(条件という言葉はふさわしくないかもしれません。空気、周りの見方、という感じ)は
それぞれの職場で違うなりにあるでしょう。
会社の規模によっても傾向があるはずです。


ドライな職場とか、ウェットな職場とか、よく言いますよね。

知恵袋などでも、自分は仕事は仕事だと割り切りたいけど、ウェットな職場なので
社員旅行やバーベキューなどが頻繁にあって、困る。

といった内容の相談をよく見ます。



職場は愛を求めるものではないというのは原則としてはわかるのですが、
心の健康な人であれば、自然と職場でも愛や友情は芽生えますよね。


そういう人たちの中で、愛を求めない事は、
ドライで職務遂行と事務的会話のみに徹するような職場で
愛を求めない事とは遥かに難易度が違うはずです。


やはり周りがそうだと、「そうできない自分」というギャップに苦しめられます。
これは、仕事場面問わずでしょうが。


そうして、「愛のない」あるいは「明るくない」輪の中にしか行けないという
ことになっている。



こんな基準で、仕事やアルバイトを選ぶと、自分の取り組みたい事に
挑戦できなくて、苦しいです。特に、アルバイトでは飲食店などのチームプレーが
中心であることもあり「和気藹々」がデフォルトな感じがします。
高学歴なのに、トラックドライバーになったり、
会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。


 
嘘について / こたろう 引用
No.958 2014/09/04(Thu) 21:25:02

こちらの方が急ぎの相談です。
早めにアドバイス頂けるとありがたいです。

アルバイトをはじめたいのですが、
2年間の社会的なひきこもり期間での
休学をどう
説明すべきかがわかりません。


一般的にいって、留学やなにか取り組みがあっての休学というのならば自然だと受け止められるでしょう。

自分は対人恐怖性で休学したというのが
実情で、その後のアルバイトも派遣しかしていないため、説明できません。


いつやめるかわからないとか、精神病だとか
思われてしまうと受からないでしょう。

まずは面接を通過するための嘘が必要です。


通ったとしても、その時の事を聞かれる可能性があります。あからさまな嘘をつくのはその点後々面倒です。
アルバイトならまだ、そこまで徹底した理由を話す必要もないと思われますが、後々就職活動するときはさらにどう説明するか迷います。


以前、大学で友人に空白期間になにをやっていたのか聞かれた時には、その話にならないようにうまく回避する言葉を使うというアドバイスでしたが、聞かれたことに正直に答えないのは嘘をつくことと同じ感覚があります。

こういうのが、必要な嘘を自分に許すこと
という物になってくるのでしょうか。


 
Re:嘘について / しまの 引用
No.959 2014/09/05(Fri) 10:40:54

ではこちら取り急ぎ先に^^。

まず基本的に言って嘘は言わないのが健全ですね。病みの始まりです^^。
また「嘘を許す姿勢」は、隠された嘘表面化させなくしていくための姿勢という中での話です。嘘をなくす姿勢総論で、その中細かい各論的話^^。
その上で、「ついても問題ない嘘」という行動法の知恵とノウハウ出てくると思います。ただし些細で軽微なものになるでしょう。たとえば面倒な勧誘の電話があった時、思いっきり暇な時でも「今仕事中なので」と言うように^^;

で書いて頂いた2年間休学となると、嘘はマズイのでは・・と思います^^;
表現を工夫することはできると思います。「精神的な問題で体調を崩しなかなか復帰できなかった」とか。
こうした場合どのような対応が良いのかは、ちょっと僕の引き出しの中にはなく申し訳ないのですが、むしろ大学の就職課とかに相談した方が、似たような境遇の生徒さんも結構いるでしょうし、結構常套的なやり方が分かってきているかも知れませんね。とりあえずまず情報として得ておくと良いのではと^^。

いずれにせよ、まずは休学の件関係なしに、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものを見出し、次にそれでさらに休学の件をどうカバーするかという構え向かうのが良いと思います。
先に書いていただいた質問の方が、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものに関係すると思いますので、またちょっと後で^^。


 
「業務外の人間関係不安」の克服^^ / しまの 引用
No.961 2014/09/09(Tue) 14:20:46

では引き続き前の方の話について^^。

アドバイスとしては2つのテーマになりますね。
・就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する
・「業務外の人間関係不安」は「健康形」を基準に克服に取り組む



就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する

就職は、「苦手なこと」などマイナス材料ではなく、「得意なこと」資格などプラス材料で検討するのが、まずは良いというか答えが出る検討法です。マイナス材料で考えても、方向が見えようがない。
また、そうすることで自ずと、マイナス材料直面する必要のない範囲というのも、最初の答えが出てきます。

たとえば、
>高学歴なのに、トラックドライバーになったり、会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。
というであれば、
車の運転に自信がある、給料が目標に合っている、といったプラス材料からそうするのであれば大いに結構。一方その人人との会話が苦手というマイナス材料について、当然、営業の仕事よりは大分支障が少ないですね。
つまり、プラス材料で検討することによって、それが同時に、マイナス材料の可能な回避の答えにも、大抵なるということです。
そうした検討手順を踏まず、ただマイナス材料への怖れから考えても、方向性と答えが出ようもない、という
これはよろしいでしょうか。とにかく自分プラス材料把握することからですね。

今回マイナス材料「業務外の人間関係、飲み会が苦手」といったことについても、まずはプラス材料で就職を考えれば、自ずと避けられる、というか強くは求められない程度という答え多少出ると思います。
たとえば休日にレジャーに誘われるのが嫌というマイナス材料がある人が、プラス材料から考えていって、それがどこよりも求められてくるであろう職場、たとえばダイビングショップという話になることは、あまり考えられない会話が苦手な人プラス材料で考えれば、その結果は、何よりも会話能力が重要になる職種には、多分ならないですね。
この理屈はよろしいですかな。まあとにかく自分プラス材料あげて考えてみることですね。


「業務外の人間関係不安」は健康形を基準に克服検討

その上で、「業務外の人間関係、飲み会」といったものがない職場というのは、基本はないと思います^^; どこでもそうしたのはある考えて臨むのが正解
それは就職考える上で、材料になるものではない、ということですね。

ではどうするかについては一言で、
「業務外の人間関係不安」「健康形」「成長形」を基準に克服に取り組む
というアドバイスを言えます。

つまりまず、業務外で飲み会や休日イベントに誘われた時の対処に、「行くべきor断って良い」などの一律の答えなどなく、これはもう仕事場の行動法の問題というより、個々人の人生全体における人との交友行動全般における心の健康と成長問題だと言えます。

ハイブリッド心理学からの指針は、
・親睦交友行動の「健康形」「成長形」についての理解納得を足場に、「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢および実践で臨む
というものになります。

親睦交友行動「健康形」「成長形」とは、まずは
・相手との無用な衝突をすることなく、自分をより豊かにするものという基準において、特定の交友行動を行う行わないの判断対処を、自分自身でできる
といったものになりますね。
興味があれば参加する、なければ無理には参加しない。飲み会職場の忘年会新年会や歓送迎会など業務に近い性質もあり所用なければ参加など、常識的な範囲まず参加するとして、あとは好きにすれば良し
そうした柔軟性があるものを「健康形」として、体験を通して自分なりの行動を動揺なくできることへと向かっていくのが「成長形」だと言えます。

それに向かうための取り組み実践とは、

1)上記「健康形」「成長形」への理解納得を問う
これがまず足場固めになります。理解納得ができなければ、ではどう理解納得できないか取り組む必要があります。そんなこと絵空事、なぜなら・・というように自分の考えを明瞭化する。明瞭化できれば、その不合理病み分析取り組みできるかも知れない。

次に、理解納得が持てればとして、
2)具体的場面における自分の行動選択検討
うまく判断できず、流されて参加する羽目になるのも、まずは良しとするのがいいですね。重要なのは、参加したくない時どう断るかよりも、参加しないとして何をしたいかを自分に問うことです。それがあれば断る方法も見えてくるし、なければ流されてしまうのも多少自分に許す

3)具体的場面における内面の妨げ感情の分析
自分は何をどう怖れ惑っているのか。
これは結局
>そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは 苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、苦しくなります。
といった話になるでしょうが、上記2)まで行くことで、そうした怖れへの視線変化が起きるということです。それはその不安自体が杞憂であり不要と感じることになるかも知れないし、そうした空想と怖れは消えない、ただ自分の外面行動としては健康なものをできた、という足場によって、「ただ流す」ことが可能になる、といったものになるかも知れない。
いずれにせよ、そうした具体的体験の中での模索積み重ねることで、「自分なり」が見えてくるし、怖れ惑い次第に減少していきます。模索する体験を経ることなく、あらかじめ怖れ惑いがなくなる考え方などを求めると、答えは出ないと思います。

以上、今回のご相談内容への、ざっとアプローチ手順になりますです。検討してみて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.968 2014/09/11(Thu) 17:58:52

これは空想ですか?
共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?



これは健康な人だと、一緒に行動するほどの
仲にはお互いになりたくないんだなという
納得のもと、絶妙な距離に落ち着くという
感覚なんですかね?



自分が嫌われるのが怖いという強度で、
相手も嫌われるのが怖いのだという感覚になってしまうから、必要以上に相手を傷つける事を恐れているのでしょうか?


相手を傷つけたり、不快に感じさせてしまうことに恐怖があるんです。


 
Re: / こたろう 引用
No.973 2014/09/19(Fri) 22:46:09

アルバイトをはじめるにあたって、もう一つ大きな壁となっているのが、
「自分という欠陥商品を、外装だけある程度の見栄えに仕立て上げて、
相手に売りつけようとしている」という感覚です。


何かに参加するというときに
「その場所は自分がもしもいなかったらもっと良い時間、結果になっていたに違いない」
という思考になってしまう。


この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。


乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、
自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。



これが「望む資格」と考えていいのでしょうか?
人に許可されれば、望んでも良い。確かに、こういう姿勢自体に
精神的優越感を感じる感覚があります。



これが高じて、自分はこの世界の向上を考えるならば
居ないほうが良いとかいう思考に帰結する。


例えば面接であれば、
自分の欠点を全て赤裸々に話して、それでも雇っていただけるのならば
雇ってください、といいたい衝動にかられます。


そうじゃないのならば相手を騙していて、詐欺をしている。という
感覚。


多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか
書いてあります。




内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には
必須なのですが、
これは「嘘」にはならないのでしょうか?


 
「一緒にいたいと感じない」のがベースの交友行動法^^ / しまの 引用
No.975 2014/09/24(Wed) 11:07:05

またちょっと遅くなりました^^ゞ

「一緒にいたいと感じない」のが基本

まず9/11に入れて頂いたもの。
>共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?

「健康な成人」場合
・共有できるものが楽しめるのにそうしないのは、相手は自分と一緒にいるのが嫌なのだと傷つく。
ではなく、
・大抵の人はすでに「一緒にいる相手」が多少ともできて(あるいは一人でいるのが好きなどの個性ができて)おり、新たに出会う相手とことさら一緒にいたいとは感じないのが基本であり、それを心得てもいる。従って互いが相手に関心を持たないことに、特に傷つきもしない。
というものになると思います。
まずはこれが想定できるかですね。

あとはそれをベースとして、もし新たに仲間になりたい相手が出たら、自分から積極的にその気持ちを表明し誘う行動をする。それでうまく行けばいいし、趣味嗜好や性格の不一致でうまく行かなければ仕方のないこと。
それで別に「傷つく」必要もないですね。
「傷つく」というのは、自分が労せずして誰にでも愛され評価されるはずといった、不合理な自己愛根底にある場合、という心理メカニズムが考えられますので、「傷つけてしまう」「傷つけられる」といった話の全体が、心の健康と成長とは別方向の中である、という理解大切です。
つまりそうした感覚は、ただ内面で流し、行動判断の材料にはしない、という指針になります。


「見える」かのように感じる他人の内面は「外化」「投影」

また
>これは空想ですか?
については一般に、

・「見える」かのように他人の内面の気持ちを感じるのは、基本的に自分の内面が映し出された「外化」「投影」のメカニズム。
です。
これは心を病む傾向深刻さに応じて、その強さも激しくなってしまいますので要注意ですね。
・「見える」かのように感じる他人の内面はあくまで自分の内面を映したものと心得、「行動」はあくまで実際に相手が行う言動の客観的内容に対して行う。
というのが重要になります。

「実践」としては、
1)上述のような「健康形」の理解
2)それを基準に、自分の中に流れる感情の分析理解。健康で合理的な感情(行動の材料にできる)と、病んで不合理な感情(行動の材料にできない)の区別。
3)最終的な行動判断

という3ステップじっくり取り組むものになりますね。

まあ最終的には「何もしない」というので問題ないと思います^^。1)と2)の段階での理解重要になりますね。
検討頂ければ^^。
9/19に入れて頂いた方についてはまた後日^^。


 
「望む資格思考」vs「原理原則思考」^^ / しまの 引用
No.981 2014/09/28(Sun) 15:29:47

では9/19に入れて頂いた方^^。

「望む資格思考」というのは、「望む」という感情そのもの「資格条件」を設け、それに満たないのであれば「望む」という感情そのものを押し潰し抹殺しようとする観念衝動、と定義できますね。例えば「美男美女だけが恋する資格がある」とか。ひでえ話だ^^;
一方、

>この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。

というのは「場面に加わる」という外面行動のことをまずは言っていますので、厳密にはぴったり「望む資格思考」の例というものではないですね。
でもまあその内側には、十分「望む資格思考」一緒に貼りついて(^^;)いると思います。

ハイブリッド心理学からは
・原理原則思考
がその対案思考として検討するものになります。

そこで言う「場面に加わる条件」とは、具体的にはどのような内容のものか。それが社会行動全般、そして個々の場面状況における「原理原則」として妥当かどうかの検討を行います。
ですので、まずはどんな尺度として、欠陥うんうん低俗うんぬんという思考になるのかの、具体的内容明瞭化をした上で、原理原則思考との対比検討などがお勧めになります。

>多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか書いてあります。
>内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には 必須なのですが、これは「嘘」にはならないのでしょうか?

例えば居酒屋のバイトでは「明るい人」「人と接するのが好きな人」と出るでしょうし、実際それが必要な仕事でもあると思います。ですので、実際は自分はそうでないと感じている場合、「嘘」になるからどうこうという話よりも、実際やってみてもたない可能性がありますので、別の条件のバイト探しておいた方が賢明、というにはなると思います。「手先が器用な人」とか「パソコンができる人」とか。
いずれにせよ「嘘」基本的に無用なものですね^^。

追加質問ありましたら、そろそろ長くなったので新規トピックで入れて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.984 2014/09/29(Mon) 12:22:47

ありがとうございます。
具体的場面状況の問題よりも、もっと根本的な価値観かな、と
思いました。


世の中にとって、全体にとって、という
思考が先立つ場合と、
自分にとって、が先立つ場合があると
思うのですが、全体にとって、と考えてるときに
腹の真ん中に「ないがしろにされた!」と
怒りを露にする女の子のようなイメージを
感じました。

人はどう思うのかor自分はどう思うのか、
という対比で、自己の重心が語られる事が多いと思うのですが、僕が分岐としてよく感じるのは
全体の幸福なのか、自己の幸福なのか、
という、より下の層の対比状況だという
気がしました。


というのは、例えば、望みの状況を
考えたときに、おそらく自己の幸福を考える
価値観がベースなら「この人たちと一緒にいたいけど、嫌われたら怖い」という発想になると
思うのですが、僕の場合は
「この状況にとって自分は有用かそれともいない方がいいのか」という思考が第一にきます。

ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、
という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。


全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。


で、実際にそれを先に考えた場合に、
この腹の真ん中にないがしろにされたと怒る少女の
ような存在を感じます。


例えば、就活でグループディスカッションが
ありますが、グループに誰がいるか、という事が
その人の合否に直結することが充分ありえます。
自分がエントリーしたせいで、同じグループになった人が落とされたら、それは人の人生を潰してしまった事になる、という恐怖。
こういう様に、他人に迷惑をかけないために、自分の欲求を
潰す、というパターンです。


団体競技は、自分が失敗したことが
人の人生の一部分を壊してしまうという
恐怖感。

なによりもまず他人に迷惑をかけないことがスタートという思考の起点。

他人に報復を受けないように、自分が
やっかいごとに巻き込まれないように、という目的で
迷惑をかけない方法を考えるのではなく、
幸福な人間になることも、それによって
人に迷惑をかけない存在になれるから、といった
感覚。

ある意味、入らない、関わらないことが
最大限できる価値の産み出し、みたいな。


合理思考だと、
人に迷惑をかけるのは当たり前、
自分の幸福を第一に考えた先に、
他人に向けられる愛が手に入る、
それから産み出される価値が真に他人に幸福を与えられる、、、といった感じでしょうか。

しかしこれもまた自分よりも全体を第一に考えている思考で、ハイブリッドとは馴染まない気もします。


 
行動法と価値観^^ / しまの 引用
No.987 2014/10/05(Sun) 18:31:49

一応念のため、

>ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。
>全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。

自己の幸福どんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」「自尊心」「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時こんな人間は消えた方がといった観念なくなる、という流れになります^^。

追加質問などありましたら新規で入れて頂ければ^^。



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