しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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仕事 / コト 引用
No.1042 2015/04/02(Thu) 22:02:31

 トピックについて島野さんは、自分で考察が出来ない段階の方が使用しているなどの文から、自分で考えることにしていますし、コメントを載せることを今回躊躇しましたが、本日は疲労が多いためもあり、島野さんのご意見も聞こうと考えました。

 職場全般を見て、その方が発する言葉は、発言する方は大体決まっていて、そしてその方に合わせて、面白おかしく反応する方がいる。反応せずにいると、つまらないとか空気が読めない方、元気が無い方、相性が合わないなど、否定的な反応がある。場の雰囲気としては、明るく活発なリアクションを望んでいる方が多い。そのような中、私の方は、合わせるのではなく、その方の発言を否定も賛成もせずに、たくさん話をする方なのだなと感じながら、特に率先して会話の反応をせずに過ごすことが多いです。私だったら、そのようなことではいちいち人に愚痴やリアクションをしないけどなと思いながらの時もあります。他の方では、仕事に集中している方も数人います。それそれが、その方の接し方があり、このことが人間関係というのであると考えます。
 また、そのリアクションに合わせた場合、好意を持たれる利点はありえます。しかし、その方に合わせることで、自分として考え実践したい対応があるため、合わせる事は無理やり行う行動になります。
 私が魅力を感じる方としては、相手にリアクションを求めることは特に無く、何かに取り組んでいることや、教えてもらいたい時に、自分の聞きたいことをしっかりと聞いてくれ、アドバイスなどの話し合いがあるなどです。
 リアクションを楽しんでいる方からすると、私は人の目を気にすることなく、自分自身のあり方を実践している姿や私の対応の仕方に不満がある方がいます。たしかに、その方々は、場の雰囲気や気を使っているからリアクションを持つこと、また素の感情での対応も考えます。
 また、どちらかといえば、実際の場面で、心の中で私はこの方はこのような対応をされる方だなあと、その方について客観的に考えています。
 知人とこのようなことについて話をした時は、いろんな方の反応の仕方をみて、学ぶと良いよなど話されていました。私は、人の顔色を気にして動くのではなく、人に好かれるためにというより、また嫌味を言われることを考えてしまうよりも、ぶれることの無い芯のある自分を作って実践をしていきたいと考えています。しかし、一部の方は、そのような対応をする方には、変わっているとか空気が読めない、つまらない人、発達障害や字人格障害があるのかとか、何かの疾患に結びつけ悪口のはけ口や、いじめ・攻撃をする方も多いと考えます。
 いじめや攻撃については、いじめられる対象は目立っていたり、その方の態度に不満であったり。しかし、いじめる方が、イライラや不満が多くて、人や物・環境に当たることが多いと考えます。
 リアクションが思うように出来ないなどその方は、ため息が多く、疲れた様子を感じることがあります。一人ひとりが、業務の疲れや、日々の生活の対人の場面でいろいろ考え、誰もが疲労があると考えます。私は、以前は気を使う方でしたが、現在はいろいろ考えて動じない自分が増えているため、動揺が少なくて穏やかな感じでありあります。
 島野さんのご意見を下さい。


 
「職場業務外の親交への不安」の克服指針^^ / しまの 引用
No.1044 2015/04/08(Wed) 10:57:19

「職場での業務外の親交」における不安

これはまずどんな課題テーマかの確認からしますと、広く
・職場における業務外での人とのつきあい方
というものになると思います。
休憩時間での歓談に始まり、宴会、さらには休日のレジャーなどなど。

でそれについての僕の考えとして答えずばり言いますと、
・定型的な答えはなく、柔軟に対応するのが良い。業務の一部のようなものがあれば、それを的確に判断し、極力前向きに参加する、そうでないものはもう全く人それぞれの好き好きになる。
というのがまず言えるものになります。

ですので、

>場の雰囲気としては、明るく活発なリアクションを望んでいる方が多い。

というのはその人たち好き好き自分もそれに参加したければ参加すればいいし、それより他の時間の過ご方したければそうすれば良し、という話になりますね。
しかしそうはスンナリ穏やかに落ち着けない、という問題になると思います。自分もそうした人たちにうまく合わせられないと駄目なのではないか、うまく合わせられないと白い目で見られたりひどくするといじめに遭ったりしてしまうのではないか、といった不安さえ起きてくる。

>ぶれることの無い芯のある自分を作って実践をしていきたいと考えています。しかし、一部の方は、そのような対応をする方には、変わっているとか空気が読めない、つまらない人、発達障害や人格障害があるのかとか、何かの疾患に結びつけ悪口のはけ口や、いじめ・攻撃をする方も多いと考えます。

も、そうした懸念方向にあるものかと。


「職場業務外の親交への不安」の克服指針

そうした「職場業務外の親交への不安」克服へのハイブリッド心理学からの指針は、3つになると言えるかと思います。
 1.「ただ流す」という原則
 2「頑な」でなく「柔軟」に
 3.自分なりの交友を幅広く模索し続ける

それぞれ要点ごく簡潔に説明しますと、以下の通り。


1.「ただ流す」という原則

職場業務外親交場面についても、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢実践を、一貫して行います。

この話の流れ特に重要になるのは、「内面感情はただ流す」という側面になるでしょう。

>一部の方は、そのような対応をする方には、変わっているとか空気が読めない、つまらない人、発達障害や人格障害があるのかとか、何かの疾患に結びつけ悪口のはけ口や、いじめ・攻撃をする方も多い

といったものを、実際に何か言われたのではない限り、あくまで「空想」として受け流し、その空想に反応した行動をしてしまわないことです。たとえばにぎやかに談笑している人たちにらみつけてしまうとか^^;

また万一何か陰口で言われたような場合も、極力過剰な反応をしないことが大切です。
「つまらない人」と言われたのであれば、相手の趣味嗜好に合わないという仕方のないこととして流す
一方「空気が読めない」と言われたなら、どんな問題があったのかを自分なりに考えてみて、もう少し明瞭にする。
障害があるのかと言われたのなら、実際そうした障害を持つのかどうかでまた話が違いますが、人にどう言われたかの前に、自分自身として障害というものにどう向き合うかが問われてきます。
そのように、万一「言われたこと」については、一つ一つ建設的対応法を考えるのが実践になります。言葉の一つ一つ内容が違いますので、面倒ですがその実践地道な積み重ね成長への道です。

また「否定的に言われる」のと「いじめ攻撃」とはまたかなり話が違います。ここではこれ以上省略しますが、まさに一つ一つの内容の違いを見分け、それぞれに建設的対処をじっくり考えるという実践になってくるわけですね。


2「頑な」でなく「柔軟」に

そうして「一つ一つの内容の違い」というともつながりますが、「こんな自分で行けば」と一つのパターンを決めて人に接するというのはちょっと無理があり、否定的行動でない限り多少は流されるのも可、という考え方でいくのがお勧めになります。
揺れ動きの中からこそ、本当の自分が見えてくるからですね。可能性の発掘というのもあるでしょう。
「こんな自分で」というのを最初から決め打ちしてしまうのは、得てして成長をブロックする姿勢になります。
ですので、

>ぶれることの無い芯のある自分を作って実践をしていきたいと考えています。

といのは、「ぶれることのない芯のある自分を作って」から「ぶれることの中から自分の芯を見出していって」というに、ちょっと補正するとよろしいか^^。


3.自分なりの交友を幅広く模索し続ける

そうして、多少は流されるのも可として、むしろ揺れ動きの中から自分の芯を見つけていくような、「交友関係」の自分なりの形を、長い目で模索しいていく
というのがまずは指針になります。

それを、生涯にわたる歩みとして、続けなさい、というのがハイブリッド心理学からの答えになります。
つまり職場の業務外場面でのそうした心の揺れ動きの問題は、職場での行動法の問題というよりも、人生全体における自分なりの交友のあり方問題の、一つの場面過ぎないということです。

本当に揺れ動きがなくなるのは、もうかなり人生も後半「円熟」段階になるという長い目で見ておくのが良いかと。
それまでは、全てを成長の場面機会として受け入れることにこそ、まずは心の落ち着き見出したい
そこから上述のように一つ一つの言葉で内容も違うという人との接し方場面に、一つ一つじっくり取り組んでいく。


まずはそんな指針になりますね。検討してみて頂ければ^^。
なお「芯のある自分の見つけ方」については、事例集次のアップ具体的意識法など説明しますので、それを参考頂ければと^^。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1045 2015/04/08(Wed) 18:02:59

  島野さん、たくさん考察して下さいました。読みながら、そう・そうと同感しました。
 また、柔軟さが必要と感じました。
 
 新学期の季節、新しい方との出会いで、いろいろと苦戦されている方も多いと考える。

 保育園児・学校・社会人・高齢、どの場面でも、人との付き合い方を考え、学ばれていることも考えた。

 自分を振り返ることも含めて、今回のコメントを振り返り、取り組んで行こうと考えます。
 とても参考になりました。ありがとうございました。



焦りとペース / こたろう 引用
No.1039 2015/03/17(Tue) 19:10:30

焦りの解除に取り組んでいると、時間がゆったり流れるような感覚に
なりますね。一人でいる時は、なるべくゆったりと物事に取り組みたいと
思うようになりました。
人といる時に、そのペースを守れるのかどうかが課題です。



日本人、特に都会のペースは何でもセカセカしている気がします。

テレビ、そしてインターネットはどんどんスピーディーに進化してきていますね。

会話のペースなんかも、速すぎて、それについていけない事が悪いと
思ってました。でも、実際そうしたいかというとそうしたくないんだと
思います。昔はもっとゆったりしてたのかなと思うとうらやましいです。
もちろん現代でも、自分のペースを乱さずに生きている人はいますが、
昔は多数派だったんじゃないかな、と想像してしまいます。

テレビやインターネットそのものが、ずっと触れ続けているとそのスピードに
脳がフィードバックを受けるものであると思います。
ある分野のスピードが上がると、他の分野の既存のスピードがストレスに
感じるようになり、その解消が一つの課題になった時、それを解消したサービスが
市場において「価値」を持つようになりますよね。
もしもサービスの質が同じならば、速い方を選ぼうというのが一般的かと
思います。

しかし、そうやって日常に受けられるサービスが高速化していくほど、
心も焦っているのではないかと思うようになりました。
(焦りには、悪感情からの逃避という側面もあると思いますので、
悪感情が少ない人は、実際に速いテンポで焦りというストレスは無く生きている人も
いるのかもしれませんが。)
今までは、自ら立ち止まって一つ一つ処理していこうと思わなくても、
コンピューターの速度が自分が考えるスピードよりも遅かったのが、
今は立ち止まるという選択をしないと考えるよりも速いペースでどんどん
次の事を調べていく事が可能です。
「ネット・バカ」という本で、ハイパーリンクが埋め込まれたwebページに
常に触れている事で、一つのものにじっくり取り組んだり、じっくりと本を読んだり
する能力がどんどん劣化している事が指摘されていました。


この方向に価値を生み出していく事が、本当に人のため、社会のためなのか?
と思うようになりました。


一方、「ゆっくり」というのも一定の需要があると思われます。
それは忙しない日常の反動から生まれたものが大きいのかもしれません。

例えば、料金の高いホテルやレストランでは、迅速な対応よりも、
ゆったりとした時間を邪魔しないような対応が求められるのではないかと
思います。単価の安いサービスになればなるほど、回転率も上げなければいけないため、
スピードが要求される物が増えていくのではないかと思います。


出来るならば、ゆったりと焦らない自分で生きていきたい。
それに、ゆっくりとした時間は価値であるはずだ。
それを生み出す事もいいんじゃないのかな、と。


そう思うと共に、現代においての広い「社会を生き抜く強さ」には背を
向ける事になってしまうんじゃないかな、という不安があります。

なぜなら、仕事ではスピードが要求されるものが
やはり多く、どこでもやっていける!という自信を持つためには
それも能力の一つになるのではないか、という事からです。


ゆったりと丁寧に動いたり話そうとする自分が、
「何か飾っている人間」だと嫌悪感を向けられる恐怖もあります。


悲しみの彼方への旅で、
積極性の欠如でしかないものを「落ちついた自己像」として美化していた、
という記述があったと思います。


それから、「最初から見た目のスマートさを求める」事に対しての
悪い意見もあったかと思います。



これらと、焦りを解除して目指そうとする先が、
かみ合わない気がして、指針がぶれています。
何かヒントをいただけないでしょうか。


 
「焦りの解除」と「行動のペース」^^ / しまの 引用
No.1040 2015/03/21(Sat) 11:21:51

「焦りの解除」ポイントは、『取り組み実践詳説』
「学びの一覧表」「4. 悪感情の克服」サマリーしたように(P.6)
================
焦り・・焦りは比較的即座に解消が可能であり、またそれが必要な悪感情でもあります。ものごとは焦りの中では行わないのが基本です。「最低ラインを決め、あとは思い切って捨てる」のが基本です。
================

というものになりますね。
つまり、「こんなペースでこれだけやればこれだけできる」という、行動の習熟と計算しっかりやり、「今回はこれでいい」という「覚悟」によって、「焦り」捨て去ることができるというもの。

従って、取り組み個々の行動課題ごとになります。
一律に「家で一人でいる時のゆったり感」を目標にできるものでもないかもですね。街でショッピングを楽しむのであれば、ぜひそうでありたい。一方、スーパーのレジのバイトをするのであれば、そうもいかない。それが田舎都会かでもまた話が違ってくる、というように。
それでも何事も、「熟練」の域達した時には、外面迅速てきぱきと行動しながら、内面家で一人で過ごすのと同じゆったり感、といったことも可能になるかも知れません。

ですのでまずは、

>一人でいる時は、なるべくゆったりと物事に取り組みたいと思うようになりました。人といる時に、そのペースを守れるのかどうかが課題です。

についても、あくまで行動課題場面ごとに、どんな課題か、そしてそのスキル向上どんなものかという内容にまず取り組んでみて頂くのがお勧めです^^。
最初から「ゆったり」を目標にするのではなく、あくまで自分が目標とする行動課題のスキル向上、それがある程度できてきてから、自分なりにどう望む「ゆったり」が可能か取り組んでみる、という順番お勧めですね^^。


>ゆったりと丁寧に動いたり話そうとする自分が、「何か飾っている人間」だと嫌悪感を向けられる恐怖もあります。

これについては、
1)やはり場面に応じた適切な行動法の模索と習得
2)それでも残るそうしたマイナス感について、「ただ流す」、さらに必要に応じより細かい色合いの自己分析

と、やはり外面建設的行動法をまず船の碇もしくは安全弁とした、2段階2面のアプローチになります。


>悲しみの彼方への旅で、積極性の欠如でしかないものを「落ちついた自己像」として美化していた、という記述があったと思います

成長向かう過程一般言えることで、「ありのままの自分に向き合う」という課題一場面ですね^^。そこからまた、次の一歩向かう


>それから、「最初から見た目のスマートさを求める」事に対しての悪い意見もあったかと思います。

「見た目のスマートさ」とらわれると能力向上の本質を見失ってしまうものもあれば、「見た目のスマートさ」手掛かりにして向上できるものも、両方あると思います。やはり行動課題内容いかんですね。


ということで、「焦りと解除と行動のペース」という課題テーマについては、やはりまず個々の行動課題ごとのアプローチがあり、その中その課題も取り組めるというものになると思います。その取り組み総論的ではなく、各論的になる・・という表現で分かりやすいかどうか。
行動課題としてこんなもの特定して頂ければ、さらに具体的アドバイスも可能かも知れませんね^^。



仕事 / コト 引用
No.1034 2015/02/26(Thu) 20:20:42

 私は、どのような所で求人を出しているのかと考え、求人を見ることが好きな方です。
そして、受けてみたいと思う求人があり、最近応募し、合格にはつながらない経験をしました。
 自分の経験よりも、会社側が、できれば即戦力や同社と同様の経験者。それから、より若い年代新規採用者に近い方を採用するなどと考えられます。私は、現在の仕事もやりがいやありがたさはありますが、これまでの経験を他の所で活かしたいと考えることや、今まで無かった求人を目にした時に、受けてみたいと感じることがありました。
 今回のような、合格につながらない時、残念な気持ちになります。しかし、今受けてみたいと感じた求人は、今の自分だからそう感じているのであり、過去にはそのような求人は無かったことであるため、年齢でも引っかかってしまうのはしかたないとは感じます。そして、この現状を受け止めることと、再度自分の現在の毎日の仕事をしっかりとこなすことを考えて行っています。それから、興味がある求人に挑戦することは、良い行動とは感じていてます。また、求人を見ることで、自分の仕事に対する姿勢が作られていくことにつながっているように考えています。
 島野さんの、求人に対する経験があると思いますので、参考までご意見が聞けたらと考えました。


 
求人求職における「自分」と「相手」^^ / しまの 引用
No.1035 2015/03/01(Sun) 17:32:34

求人に接した体験というのは、人生の中で3つの時期のものがあるという状況です。
1つ目学生時代アルバイト
2つ目大学院修士卒業時の、IT系を絞った就職活動
そして3つ目は、出版した『入門編』売れ行きが低調(^^;)で、執筆では生計は立たないのを自覚し、とにかく生きるための再就職というのを考えた2011年経験。これについては『取り組み実践詳説』などでも触れていますが(P.263)幾つかの会社に応募し不採用になる中で、自分にはやはり執筆しかないと確信に至り、とにかく自分一人なら食いつなぐという形で執筆専念継続となった次第です。

それぞれ体験談ちょっと添えておきますと、学生時代のバイト軽作業部類でしたが、にちょっと接客的作業が入るものもあり、若い頃無愛想だった性格が災いしクビになったものがあり、その時自分は社会で受け入れられない人間かと失意感じたなんてのもありました。
一方大学院卒業時1985年社会バブル景気へとまっしぐら超売り手市場だったこともあり、IT会社への就職結構スンナリ
出版の不成功再就職検討した時は、執筆開始当初から生計が立たないようなら潔く執筆を辞めるという覚悟でしたので、これも運命、今までに得た「社会を生きる自信」をまた生かす時だと、本気で再就職を考えたという経緯で、今から振り返ると不採用になってホント良かった・・感じる次第です。受かってたら執筆なんてもう無理ですからね。ほんとアブナイアブナイ^^; という感じ^^; まともかく、よっぽどの即戦力でないと本格的再就職なんてなかなかできない今日この頃という感じですね。

そんなよもやま話を踏まえ、僕の意見としては、
@「自分が」 社会で何をしたいか、何をできるか、どんな能力スキルを目標にするか
A「相手が」 自分をどう選ぶか

という2つを、しっかり分けて認識して向き合うことが大切だ、ということになるかと。

もちろん、まずは@の方にしっかりと向き合うことが大切だ、ということになりますね。しっかり「向き合う」だけではなく、その対象分野について、また関連する社会動向などについてしっかり学び、情報を仕入れることを、いかに着実にできるかが大切
それによって、Aの方は自ずと結果がついてくる。ただし、@がしっかりできれば必ず自分が選ばれるとは限らず、応募者が多数であれば、ほんの僅か自分より条件の整った人が選ばれることもある。それはもうほんの紙一重の差程度のものとして。ま多少とも「水もの」(運に左右されるもの)だということですね。そうした覚悟もまた重要だということになりますね。

こうした二面の向き合い認識持つ先に、僕の学生時代のように、無駄に「自分は社会で受け入れられない人間だ」なんて感じる必要もなくなってくる、というになると思います^^。


 
Re: 仕事と言葉について / コト 引用
No.1036 2015/03/01(Sun) 19:06:21


  島野さんの、良く考えていただいた意見を読むことができました。

 採用に至らないとは、人気の企業であり、また若い方のが採用されやすい、競争に残るには、並みでは乗れないとのこと感じます。
 さらに、不採用になってから、良く考えると、実際その企業で働かないで、今の生活を続けた方が良いとの察しが下さっていることもあると感じることもありました。
 受からない失意も、挑戦には伴い、これも自分にとって自分の行動の結果であり、自然な感情とも思えています。

 「社会で何をしたいか、何をできるか、どんな能力スキルを目標にするか
その対象分野について、また関連する社会動向などについてしっかり学び、情報を仕入れることを、いかに着実にできるかが大切。自分が選ばれるとは限らず。」と。その通りと、感じたことと、失意が軽減しています。

  本日は、ある方のホームページで、読んだ記事がありました。
 「母子関係で大切なことは、安定して安心と安全、満足と快を子に供給し続けることで、豊かな情が育ち、それが充足されていないと、大人になって心理的にうまく接することは出来ない。」と書かれていました。

 このことは、当然の事で、重要な言葉であり、言葉で言うのは簡単ですが、そう言い切れるものなのだろうかと課題が残りました。
 そして、私自身振り返って考えてみると、幼少時は満足のある親の関わりがあった。しかし、親自身の生活環境から、すべて子供に満足の環境を与えていられるのもでもないといえるし、自分が成長するにつれて、自分の考えや、親の考え方の違いも考えるようになるため、もっとこういう親であったらと、親のせいにしていた子ども自身の思考の部分も大きく影響すると考えられた。
 このように、自分が大人になってから、気がつくことが多く、ただ言葉での「安心と満足と快を子に供給し続けること」だけでは、子育てを実際する方にとっては、では具体的なアドバイスになってはいないように感じられました。
 たまたま、この記事を目にした日に、レストラン席の隣席が、可愛い赤ちゃんと父の2人で、父が良い関わりをしているのを感じました。子育て中は、食事、身の回りのお世話など、無我夢中で行っていることと言えますし、親自身良い関わりを持とうと努力をしていると感じます。しかし、子供のタイプ個性や、親の個性により、言葉や行動は、それぞれ一人ひとりことなることや、思春期から大人になってから、多くの方が人間関係で困難を感じる方が多いのは、ある意味自然というか、人間ゆえとも感じられます。
 親も、子も、良い関わりをすることは、重要と安易な言葉を言う前に、親自身も、子供自信も「自分は、社会では受け入れられない人間だとは思わないように」という言葉の方が、惹きつける言葉に考えられます。しかし、社会では受け入れられない人間だと思わないようにという言葉の具体的な言葉は、やはり安心と快の充足に行きつくのかもとも考えられますが。大人から見た快の充足でも、子供から見たら快の充足ではなく、お互いの考えが食い違うこともありえますし、子供はまだ自己中心的であるから、大人が教え導くことも生活でありなど考えます。
 このことについて、島野さんならではの考えをお願いいたします。


 
母子関係と成長^^ / しまの 引用
No.1037 2015/03/02(Mon) 15:25:08

>「母子関係で大切なことは、安定して安心と安全、満足と快を子に供給し続けることで、豊かな情が育ち、それが充足されていないと、大人になって心理的にうまく接することは出来ない。」と書かれていました。
>このことは、当然の事で、重要な言葉であり、言葉で言うのは簡単ですが、そう言い切れるものなのだろうかと課題が残りました。

そうですね、それだけだとちょっと話が狭すぎるかも知れませんね^^;
ハイブリッド心理学では、大人になってどう人にうまく接することができるようになるかは、その人心の成長と成熟総合的結果だ、と考えます。
まあ幼少期の母子関係というのも、その中一つの要因。ただし完璧な親はいませんので、蒸し返してもどうにもならない面が多く(^^;)、そこに何か不十分なものがあったとしても、誰もが持つハンディの一つとして、自身がどう人への接し方を学びか、そして成長全般に向かうか重要になってくる、ということになると思います^^。


 
Re: 記事について / コト 引用
No.1038 2015/03/02(Mon) 18:54:55

早速、コメントを読むことができました。島野さん、ありがとうございます。

「心の成長と成熟の総合的結果であり、生活の過程では、誰もが持つハンディの一つとして捉え、自身が人への接し方を学び、成長全般に向かう」と。

 自分自身をまとめると、人の記事に左右されるのではなく、自分はこうしていくという、心の成長に向かう行動を貫くことであると考えることが出来ました。



パニック 不安について / えむ 引用
No.994 2014/10/31(Fri) 14:13:48

しまの様

十数年前に医師からパニック障害と診断を受けました
症状を怖がったり、逃げたりして、行動範囲が狭くなり、このままではいけないと思い症状と向き合いつつ行動をしています
思考に振り回されながらの行動は非常に辛かったのですが、ある時ふと思考と行動を別にすると楽に行動が出来てる事に気づき、現在少しずつ行動範囲を広げているところであります
もっと思考と行動を別にするという事について考えを深めたいと思い、ネットで検索していたら、しまの様のブログに出会う事ができました
強く共感する事が多く、やっぱり思考と行動を別にする事は間違っていなかったんだと思いました
先日、今までにないくらいの平坦な気持ちで外出が出来、パニック発症前のような外出を普通に行ける感覚を思い出すくらいでした
思い出せた喜びさえも、冷静なものでした
そのように行動できる事が少し続いていました
そのような状態だったのですが、急になんともしんどい思考がグルグル...と出てきました
今までの、順調にいっていたのに症状が戻ってしまったとかではない感覚...、自分ではどうしようもないというか...
もちろんその思考を無視しつつ、行動は続けています
これは治っていく過程のものなのでしょうか
今までのようにこの思考が出て来てショックを受けているという感じではないのですが、一体これはなんだろうという感じです
私はもう前に行くしかないので、ここからの進み方も含め教えていただけると嬉しいです


 
感情と思考と行動の食い違いの中にこそある成長^^ / しまの 引用
No.996 2014/11/02(Sun) 11:47:04

これは明快ですね。
まず、「感情」「思考」(今できる)行動」常にうまい具合に歩調を合わせ、悩み動揺のない状態が金輪際続くようになるということなどあり得ず、もしそうだとしたら、「成長」を一切止めた状態だということです。ま臨終間際の悟りの境地というのであれば、そんなのもあるかも知れない^^;
つまり「感情」と「思考」と「行動」の食い違いの中にこそ、我々が別の人間のように成長変化していくための、糸口があります
その糸口に向き合い、「感情」と「思考」と「行動」の食い違いの中に、自己の成長のための「学び」を見出すことです
それを、生涯続けることです。これが生涯続くものと考えておくのが正解です。

「学び」は、「これを心がければ後はもう大丈夫」というような大雑把いっしょくたのものではなく、具体的場面状況内面状況の一つ一つについて、沢山「学び」が出てきます。
ハイブリッド心理学はそれを可能な限り全て扱っているので、説明も膨大になっており整備がこれからですが、まずはもうすぐ完結する『ハイブリッド心理学 概説』
3.取り組み実践
を読んで頂くと、実際どんな「取り組み」をするのかがざっとイメージできるかと。

あとは本当にもう一つ一つの場面状況ごとに、この掲示板ご質問相談頂いているように、具体的検討を行います。
何でも材料あればまたいつでもお寄せ頂ければ^^。


 
Re: パニック 不安について / えむ 引用
No.1031 2015/02/17(Tue) 10:40:25

しまのさま
具体的な場面での相談をさせてください

所謂不安発作を経験し、その記憶があるので、逃げられない場所(自分がそう思っている)にいると、またその発作がこの場所で起こったらどうしようと解決できない不安でいっぱいになり、それに伴い身体反応が出てきてさらに不安になります
記憶は消えないものだし、予期不安がありながら行動しても辛いという状況には変わりはありません
徐々に慣らせば自信がついて楽になると聞きますが、日によって近い場所でも怖いし、そのまた逆もあります
私の場合、自分が意図しないタイミングで不安に気持ちがいかない出来事などが起こり、自然にそちらに気を取られていれば遠い場所でも大丈夫だったりします
要は意識すれば大きな不安が起こり、意識をしない、忘れていれば不安は起こりません
何回遠くに行っても、意識するしないの問題であり、記憶があるかぎり辛い症状は慣れそうにありません
ただただ我慢しながら行動しています
以前と比べると、思考、感情によって行動を全くしなかった時を考えると随分進歩はしたのですが、行動しても辛い症状が緩和されないので凹みつつはあります
行動する事でまた新たに辛い記憶を作っている気もします
苦手な場所での不安、湧き上がる感情との向き合い方を教えていただきたいです
一つの具体例を申しますと、車で移動し、距離が遠くなるほど帰りは無事運転して帰れるだろうかと考え、不安が大きくなり身体反応も出てきてしまいます
すごく不安になるから身体反応が出てきて当然ですよね...
ちょっと行き詰まりを感じ、焦っているのかもしれません
アドバイスをいただけると幸いです
よろしくお願いします


 
不安発作への感情と行動の分離アプローチ^^ / しまの 引用
No.1033 2015/02/22(Sun) 18:24:51

ハイブリッド心理学の「感情と行動の分離」

これはまずは、「感情と行動の分離」呼んでいる心の取り組みの、ハイブリッド心理学独特の内容理解から始めていただくとよろしいかと思います。

その言葉ただ聞いただけでは、行動と感情を切り離し、行動は思い切って感情を切り離して行うといったことを連想するかと思いますが、ハイブリッド心理学での「感情と行動の分離」は、
・外面行動への取り組みと、内面感情への取り組みを、それぞれ別に行う
というのが主旨になります。「外面行動は建設的なもののみ、内面感情は流し理解することのみ行う」、というものとして。
感情を切り離して行動する、ではなく、感情への向き合いと行動のへの向き合いを切り離す、とでも言えますかな。
そこから、行動法の考え方感情への向き合い方それぞれについて、ハイブリッド心理学独特の、詳しい内容が出てきます。

>以前と比べると、思考、感情によって行動を全くしなかった時を考えると随分進歩はしたのですが、行動しても辛い症状が緩和されないので凹みつつはあります 行動する事でまた新たに辛い記憶を作っている気もします

これはまだ、ただ「感情を切り離して行動」という素人思考(失敬^^;)の段階かと。そのため、小手先の意識法多少の効果はあるようなものの、根本的な克服永遠に望めない、という状況かと思えます^^;

ではハイブリッド心理学アプローチによる、根本的な克服はどうなるのか、基本的指針から具体的取り組み内容までざっと書いてみますと、


「外界現実」の危険と安全を感情で判断しない

まず基本的指針としては、「動揺する感情を克服したければ、まず感情を鵜呑みにして考えない」という、「感情と行動の分離」最初自明の原則をより具体的に、今回「不安発作」という問題テーマについて言うと、

・「外界現実」の危険度もしくは安全度を、感情を鵜呑にして判断しない
というものが出てきます。
この、つまり感情で外界現実の安全と危険を判断することで、我々道を誤るわけです。不安を感じるから外界が危険だと判断することで、外出恐怖になったり、何でもできる気分道頓堀に飛び込んで死んだり(^^;)します。
そうではなく、外界現実の危険と安全を、あくまで「客観的論理思考」で判断する姿勢と、その具体的内容を築きあげることが重要になってきます。精神論姿勢論ではなく。
そうして、
・「客観的論理思考」で判断できる「外界現実」への対処能力を築いた時、感情は自ずと安心安定化する
とうことです。


身体反応を込みにした状況の客観的判断の取り組み

今回の問題についても、まず不安感情の有無で外界現実の危険と安全を判断しようとするという姿勢根底にあり、
======
自分は不安ではないかと意識する
  ↓            ↑さらにマジに
身体反応が出てくる→危険だと感じる
======
という膨張パニック不安起きているものだと思います。

でそれへの対処は、不安感情の有無によって外界現実の危険と安全を判断するのではなく、客観的事実による判断をするということなのですが、恐らくそれは、
======
不安の有無で判断しない→身体反応が起きない
======
という安直なものにはできず、

・身体反応を込みにした状況について、不安かどうかではなく客観的事実による判断をできるようにする
という取り組み必要になると思います。
つまり身体不安反応含めたもの「外界現実」として認識し、それを、感情を鵜呑みにせず客観的論理思考で判断するようにする、ということです。

もしそれが心臓発作による心肺停止や意識喪失につながるほどの症状であるのならば、はっきりとそれは危険なことであり、長距離の運転を諦めべきだ、ということです。
あるいはそれは、多少とも「流せる」ものなのか、つまり身体反応が出ても一気に運転不能にはならず、何分くらいなら耐えて安全に車を停止させることができるのかを、見極めることです。そしてその後に、深呼吸するなり落ち着いて運転復帰できるか、それとも数時間は回復しない症状となるのか、を見極めることです。

そうした見究め取り組みによって、自分は今この程度なら身体反応があっても運転可能だという、客観的判断をするようにしていくわけです。
そうした見究め判断と、次に多少とも距離を伸ばせるかどうか模索を行う。
これをとことん、続けることです。人生をかけて、と言えるような本腰を入れた取り組みとして。


アプローチとしてはざっとそんな感じですね。不安反応が起きない意識法」というような安直なものではなく、不安反応とことん分析するといった感じになりますね。
パニック不安にせよ、他の不安症状にせよ、ハイブリッド心理学からのアプローチはそのように、「気にしない」ではなく「とことん合理的に向き合う」というものになります。

実際にはさらに「身体症状」内容について個々の検討といったことも出てくるかも知れませんが、まずはアプローチ方向としてはそんな話として、できそうか検討してみて頂ければと思います^^。

「外界現実を感情で判断しない」ということについては、以下など参考文献としてじっくり理解頂くとよろしいかと思います^^。
ブログ記事書籍No.1ハイブリッド人生心理学の紹介
(4)内面感情の開放カテゴリー
「感情による決めつけ」の解除シリーズ
ブログ記事書籍No.8心の成長と治癒の過程
特説・「心が良くなる」とは



(No Subject) / こたろう 引用
No.1009 2014/12/08(Mon) 00:44:08

こんにちは。
まだまだ理解できない部分もありながら、
最近はほかの事に時間をとられ、
なかなかハイブリッド心理学に目を通す時間が
取れていません。
自分ではなにが聞きたいのか、どこが
疑問なのか、という時点で頭がぐちゃぐちゃに
なってしまう所がまだまだ多く、、、
そういう意味でも、メール相談実例集を
楽しみにしております。



さて、今回の質問なのですが、
思考記録についてです。
島野さんは、悲しみの彼方への旅、を
読んでいても、自己と向き合い、それを
言葉にするという作業にすごく時間を
割いていたのではないかと思います。
土台に一つ一つを積み上げる論理思考が
あるので、時間にするとそんなに長くは
なかったのかもしれませんが、
僕はものすごく時間がかかります。


また媒体がアナログとデジタルと
二つの選択肢があることもあり、
あっちに書いたりこっちに書いたり、
毎日違うテーマで考える事が出てきて、
とても一つ一つ考えて解決していくように
出来ません。



これは心理面以外の考察も含めて、
自分の中で迷いがあるんですが、
いわゆる完成した、その時なりの答えや、
形ができた文章(blogに書いてるようなかんじですかね?)ではなく
暫時的な思考や分析などを書いたノートは
どうしていましたか?(あるいは現在どうされてますか?)



悲しみの彼方への旅では、大きな動揺があった
後に、とっさにメモをするシーンなどもありますね。
書いたノートは、どうされていましたか?



最近認知行動療法の
カウンセリングを受けています。
注意点として、ものすごく言われたのが、
出来事の具体的な時間の始まりと終わりと、時系列での自分の思考、行動、対処などの順番を具体的に印すという事でした。

いつもこういう風になるんだよなー
ではなくて、
具体的な一つの出来事の間に
起こった自分の心や体の反応、行動や対処を細かく知る事を積み重ねる。
ハイブリッド心理学でも具体的なエピソードの
振り返りが出来ていると進歩が生まれやすいのかなと思います。


こういったアセスメントシートというプラットフォームがあると、ブロックごとに思考、行動、感情、と別れていて振り返りやすく感じました。



島野さんが自分の感情と向き合っていた時
(現在もあると思いますが)どのように
ノートを取って、管理していたのかな、
という事をできるだけ具体的に知りたいです。



 
感情と思考の記録整理^^ / しまの 引用
No.1010 2014/12/11(Thu) 16:03:52

>暫時的な思考や分析などを書いたノートはどうしていましたか?(あるいは現在どうされてますか?)
>悲しみの彼方への旅では、大きな動揺があった後に、とっさにメモをするシーンなどもありますね。書いたノートは、どうされていましたか?

まず「そのまま保管しているだけ」です^^。

なお、書く媒体については、以下のような変遷がありますね。
30代くらいまで・・・書く作業が結構早くできたので(特に学生時代)、そのままB5の大学ノート日記として。それができない状況(授業中など)手帳メモ書きなど。
40代くらいまで・・・きれいに(読めるように^^;)書くスピードが次第に遅くなり、A4コピー紙をたたんだものポケット持ち歩き、殴り書きでまとめてB5の大学ノート写し書きする。何と書いたか自分で判読できないものたまにあり^^;
50代以降(今53^^)・・・PC上のテキストファイル直接打つ。なんかこれが楽で早くもあり^^。

>注意点として、ものすごく言われたのが、出来事の具体的な時間の始まりと終わりと、時系列での自分の思考、行動、対処などの順番を具体的に印すという事でした。

重要ですね。それが自分の心の動きを自分でしっかり把握するということになると思います。

>こういったアセスメントシートというプラットフォームがあると、ブロックごとに思考、行動、感情、と別れていて振り返りやすく感じました。
>島野さんが自分の感情と向き合っていた時(現在もあると思いますが)どのようにノートを取って、管理していたのかな、という事をできるだけ具体的に知りたいです。

これは日記など書いたものについて、その内容を整理するための何かの管理方法などあるか、というご質問ですかな。

ならば返答としては、「ない」です^^。
つまり、自分自身の心の動きや、自分の考えを整理するという作業を、まず自分の心の中、頭の中で行います。そして整理できたという感覚をもって、書くという作業を行います。
また、ある程度整理された結果を書くという前提があるので、書くためにしっかり頭の中心の中で整理するという意識作業が起きている、とも感じます。

思考整理のためのワークシート的なもの以前メール相談の中でも検討したことがあるのですが、結果的にあまり効果が感じられず、やめています。
これについて改めて考えるに、自分の心の中頭の中で整理できるということが、まさに前進の基盤になるのではないかと。で、心が成長変化する。
まあいい喩えかどうか、自分の部屋自分で整理掃除できることが重要ということですね。整理したい場合外部の人を呼ぶというのだと、部屋結局いつも散らかったまま

自分の頭の中心の中での整理作業とはどんなものかと言うと、『概説』では
・「言葉」による実践の推進
として説明し、最近僕自身の体験例ブログ
2014-12-07『初冬の北アルプスで向き合った「望みに向かうこと」と「幸福」-5』
書いたりしましたが、
とにもかくにも、「言葉を使って自分自身との対話問答をする」ということです。
「今起きている問題とは何か」「外部で客観的に起きている問題は」「自分の心の側の問題は」「行動学ではどうなるか」などなど。

>土台に一つ一つを積み上げる論理思考があるので、時間にするとそんなに長くはなかったのかもしれませんが、僕はものすごく時間がかかります。

一つ一つを積み上げる論理思考は、車輪と同じで、それがないともう時間の長短の問題ではなく全く前に進めなくなると思います。思考整理全滅というのが得てして起きかねない。
カウンセリングで題材になったものなどを書いていただければ、一つ一つの論理思考から、どんな感じになるか具体的アドバイスもできるかも知れませんね^^。

p.s
『メール相談事例集』ようやっと作業着手できる感じです^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1011 2014/12/24(Wed) 00:03:01

お返事ありがとうございます。

なるほど。

言葉を使って自分自身との対話問答をする、というのは
落ち着いていないとキツいですね。

うつ病でよく言われるのが「ワーキングメモリの劣化」ですが
如実に実感します。
一度に意識に保っておける問いかけや言葉などがストレス状態に
よって大きくムラがありますね。湧いては消えていってしまう事が
多いです。

そういう時に中途の思考を紙面で行う事は
現段階では仕方ない気がします。

「今起きている問題とは何か」「外部で客観的に起きている問題は」「自分の
心の側の問題は」「行動学ではどうなるか」

などの問いを控えておくのは良いですね。



ここでまた根本的な問いなんですが、

行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?


 
論理的思考エクササイズ^^ / しまの 引用
No.1012 2014/12/26(Fri) 14:09:27

>行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?

論理的思考良い題材になると思います^^。
論理的思考をするならば、以下のように順序立てて、それぞれをじっくり思考検討するになりますね。
以下、まずご自身で考えてみるエクササイズをしてみてはいかがかと^^。

@「行動学」とは何か
ヒントとしては、その「種類」明瞭にすることです。ハイブリッド心理学では、3種類の行動法から成るものを行動学と呼んでいます。
その3種類とはか。ハイブリッド心理学の説明からそのまま抜き出すので構いません。
『概説』 3.取り組み実践
などから。

Aここでの「嘘」とはどんなことを取り上げるか
これも「種類」考えると良いでしょう。オレオレ詐欺のような「嘘」か。今年大きなニュースとなった某音楽家某生命科学研究者における「嘘」か。それとも「自分自身への嘘」という、内面心理における「嘘」か。

B上記@とAがどうつながり、「行動学による行動は嘘にならない」という命題がどのように成立するか。

まあそのように、「行動法」なり「嘘」なりの「種類」関係しますので、「行動学による行動は嘘にならない」大きなくくりで言う話ではない感じですね。
あるいは、そこでの「嘘にならない」というものに関係するのは「行動学」よりも「価値観」かも知れないですね。

ともかく、どの辺までは思考検討できたか報告頂ければ、次のアドバイスへ、ということで^^。

論理的な「答え」を導き出すためには、「問い」からまず論理的に考えることが重要、という次第です^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1016 2015/01/01(Thu) 14:36:05

失礼しました。

下巻前半で触れられている
「自分自身への嘘」ですね。


自分自身への嘘は、閉ざされた世界、あるべきものがある世界で
愛されるためにつくものであるとして、

開かれた世界の行動法として建設的行動法が
紹介されていますよね。



建設的対人行動法 ・・・ 共通目標共通利益のみに着目して行動する
原理原則行動法 ・・・ 相手人物に感じたことは一切言わず原理原則について話すという行動法
ウインウイン行動法 ・・・ 相手を勝たせて自分も勝つという行動法


相手に合わせるために行きたくも無い場所へ行ったり、
話したくも無い事を一生懸命聞いたり、という事が嘘になるので、
建設的対人行動法が一番そのテーマに
合うのかなと思いますが。


これは確かに納得がいきますね。



そもそも、人といる時に自分に嘘をついていない状態ってなんだろう?と、
思うんです。
例えば、家にいる時の自分が嘘のない自分なら、
相手に話しかけられても「あぁ」、興味がない話なら「へぇ」で終わりです。

人といる時は多少なりとも、自分に負荷をかけて思考し、
積極的に疑問を言葉にしたり、相手に対しての問いかけを考えたりします。

これも「自分自身についた嘘」なのでしょうか?


 
「自分自身への嘘」の克服は「感情のまま行動できる」ことにあらず^^ / しまの 引用
No.1020 2015/01/08(Thu) 16:19:55

「自分自身への嘘」とは

>下巻前半で触れられている「自分自身への嘘」ですね。

「自分自身への嘘」というのはかなり難しいテーマですが、これもやはり「問い」から論理的に整理していくのが大切ですね。
まずテーマ正確な定義から。

「自分自身への嘘」は、内面感情で起きることを指します。自分自身にとって本当のものではない感情を自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけている状態です。かつそストレスさえも自覚できない状態です。
これは「心の病み」であり、やがて感情が自己コントロールできない暴走を起こす危険があります。まず自分がそうしたストレスを自分自身の心にかけていることに気づくことから、心の健康への歩み生まれ得ます。

ですので、

>相手に合わせるために行きたくも無い場所へ行ったり、話したくも無い事を一生懸命聞いたり、という事が嘘になるので、

これは外面行動法の問題であり、「自分自身への嘘」とはまた別の話です。
相手に合わせるために、本当は行きたくない場所自分は行きたいのだと自分に思い込ませようとしたり、話したくもないこと自分は話したいのだと自分に思い込ませるといった心の動き起きるにつれ、それは「自分自身への嘘」という心の病みの問題になってきますね。


「自分自身への嘘」の克服

その克服は、まずは「心の依存」から「心の自立」向かうという転換に、歩みの始まりがあるというのがハイブリッド心理学考えです。
自分の感情を相手に受けとめさせるのではなく、自分の感情を自分自身で受けとめ、外面行動は「行動学」によって建設的に行動する。

それによって「自分自身への嘘」すぐ克服されるのではなく、まず「自分自身への嘘」純粋自分自身との関係における問題になる、ということです。その先に、最終的な克服は、「望み」向かって生き歩みの全体が、この人生み出します。『概説』説明している「心の成長変化のベクトル」全てを通して、ですね。


「感情のままに行動」が健康形成長形ではない^^;

ですので、

>そもそも、人といる時に自分に嘘をついていない状態ってなんだろう?と、思うんです。例えば、家にいる時の自分が嘘のない自分なら、相手に話しかけられても「あぁ」、興味がない話なら「へぇ」で終わりです。
>人といる時は多少なりとも、自分に負荷をかけて思考し、積極的に疑問を言葉にしたり、相手に対しての問いかけを考えたりします。

については、外面行動法問題と、「自分自身への嘘」という問題を、それぞれ別テーマ問題として考える必要があります。

まず留意しておかなければならないのは、感情のままに行動できることが、必ずしも健康形でも成長形でもないということです。
多少は相手に合わせることが自分自身にとっても良い結果になると思えば、「相手につきあう」というのもごく自然で健康交友行動法です。相手への配慮のため、多少は自分に負荷をかける必要が出る場面もあるでしょう。
こうした判断も、「心の自立」の先に、積み重ねていくことで「成長」つながっていきます。

ということで、テーマの整理からですね。よろしいでしょうか^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1025 2015/01/29(Thu) 01:36:46

では下巻五章の、閉ざされた世界でつかざるを得ない嘘というのは、「自分自身への嘘」ではなくて他人への嘘という事ですね。

他人への嘘をついている事に気づかないように
自分を騙している事が自分への嘘だ、と。

125pで、
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。

とあります。
ここでの自分への嘘という言葉は外面行動を指しているように思えますがどうでしょうか。


 
「他人への嘘」と「自分への嘘」^^ / しまの 引用
No.1026 2015/01/30(Fri) 16:37:31

>では下巻五章の、閉ざされた世界でつかざるを得ない嘘というのは、「自分自身への嘘」ではなくて他人への嘘という事ですね。他人への嘘をついている事に気づかないように自分を騙している事が自分への嘘だ、と。

やはり言葉の定義一つ一つ確認して整理するのが大切ですね^^。面倒かと思いますが。

「他人への嘘」・・・他人を欺くために、真実でないこと(これが「嘘」)を意図的に示すという外面行動
「自分への嘘」・・・自分自身にとって本当のものではない感情(これが「嘘」自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけるという、内面状態

ですので
>ここでの自分への嘘という言葉は外面行動を指しているように思えますがどうでしょうか。
「自分への嘘」はあくまで外面行動のことではなく、内面状態です。

また「閉ざされた世界」とは、「存在の規律がある世界」です。
その結果起き得るのは、「他人への嘘」「自分自身への嘘」両方だと言えるでしょう。

「閉ざされた世界」においてどのように「他人への嘘」起き得るのかは、某隣国を思い浮べれば具体的にイメージできると思います。これはよろしいですかな。
そしてまた「閉ざされた世界」において「自分への嘘」起き得るのも、某隣国具体的にイメージできると思います。実際にはこんな国なんてと思っているのに、この国サイコー!と自分で思いこもうとする。なぜなら、それが一番安全だから。

こうした「他人への嘘」「自分への嘘」という問題は、それぞれがどのように起きているのかを、それぞれに考えることが重要です。どっちが起きているのか、ではなく。
そこでキモになるのは、「自分への嘘」起きている時、それがどのように「他人への嘘」でもあるのかは、もうあまり問えない、ということです。なぜなら、何が真実かが、自分で分からなくなるのが「自分への嘘」だからです。

ですので、まずはとにかく内面において「自分への嘘」という内面問題脱する
に、それがどう「他人への嘘」という外面問題巻き込んで引き起こしていたのかへの対処をすればいい、という主旨になりますね。

いずれにせよ概念的にはそんな話ということで、より具体的には、具体的問題場面の何をどう検討したいかになると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1029 2015/02/16(Mon) 18:55:13

「自分への嘘」・・・自分自身にとって本当のものではない感情(これが「嘘」)を自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけるという、内面状態。


であれば、愛されるためにつかざるを得ない「自分への嘘」はこれとは少し種類が
違うのではないだろうか、と感じました。


具体例を挙げてみます。

医学部家系に育った子供が、自分は本当はロックミュージシャンになりたいという願望を抱いたとします。しかし、親からは教養としてクラシック音楽を叩き込まれ、反体制派的なロックミュージックやJ-POPなどは、低俗な物として一蹴される。この子供は、ありのままの自分は受け入れてもらえない経験を幼少期にしているため、根源的自己否定感情を抱えていて、愛情欲求を抱えている。


結果として、親の前で「親の求める自己像」を無意識に演じる事となる。
自分の興味から目をそらし、そもそもそんなものは最初から求めていなかったのだと思い込み、
「あるべき姿」に向かうために多大なる努力をし、医学部に進学。

しかし、いくら親の求める自己像、つまりこの人物にとっての愛されるための「あるべき姿」を獲得する事に成功しても、そこには「自分への嘘」があるため、親に愛される事そのものに価値を感じる事が出来ない。


こういった論調で「自分への嘘」という言葉が使われている時、
「自分への嘘」で指しているのは、次のうちどちらなのか、という質問です。



@親の前で自分の本当の望み(少なくともこの時点で感じられる望み)をごまかして、愛されるための自己を追求している事そのもの。



A本当の望みを自覚しても、それに向かう事は親から愛されなくなる事を意味するため、
恐怖のあまり自覚する事を拒む無意識の動きが起きる。

つまり、親に求められた姿を追求する事、あるべき姿を追求する事を、
「自分の本当の望み」であると自分に思い込ませること。



自分としては、こういった論調の話の流れ(前のレスで触れた部分)でいわれる「自分への嘘」という言葉は、

@を指しているように思えます。

しかし、島野さんの最後のレスを見る限り、
これは「他人への嘘」を指しているように思えます。


@とAの両方が「自分への嘘」という言葉で述べられているような
気がしたため、言葉の定義を確認しておきたくなった次第です。


 
Re: / こたろう 引用
No.1030 2015/02/16(Mon) 19:41:55

加筆します。2つ前の僕のスレッドで挙げた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
125pで、
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここから考えた事は、
「いかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい」
の部分は、「他人への嘘」ではないのか、という事です。

つまり自分の現状、意識に上る本心では、荒廃化した感情のみが見える。
しかし、外面行動においてはそれをそのまま示す事はできない。
なぜなら、それを示せば相手に嫌われてしまうし、建設的な関係も築けないから。

だから、ふさわしいと思える外面行動をする。
しかし、目に見える感情が荒廃化している以上、それは「他人への嘘」に
なるのではないか、という事です。


これが、このスレッドの僕の二つ目のレスにある
>行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?

という部分に繋がってきます。


島野さんに示していただいた「自分への嘘」と「他人への嘘」の定義でいうと、
学びの応用思考によって、導き出された「建設的な行動法」は、
心が荒廃化している段階では「他人への嘘」ではないか、という事が言いたかった事です。


>「他人への嘘」・・・他人を欺くために、真実でないこと(これが「嘘」)を意図的に示すという外面行動。


心が荒廃化している以上、このようになると思うからです。


これに対しても二つの発想が考えられると思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
@他人への嘘ではない、という立場
 
 現在荒廃化した心を持っているとしても、荒廃化した感情の元になっているのは、
 愛、自尊心、善のすべてに矛盾する事なく向かえるものである。
 目の前に見える感情の底にあるものに目を向け、それを実現するべく行っている
 行動は、嘘とは言えない。例え、今自分が抱いている感情の中で、意識に上っている
 ものとは食い違った行動に見えるとしても。

A他人への嘘は必要だ、という立場

 これは他人への嘘になる。しかし、建設的な行動法にマッチした「心の成熟」が
 実現するまでは、他人への嘘というのは必然的に必要になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

書いてみて、おそらくAは違うだろうな、と思います。
感情と行動の分離という事が必要になるすべての場面が嘘だという話に
なってしまいますので。

が、この辺の事を明確な言葉でもう少し整理したいので、質問してみる事にしました。


 
「意志」によって克服する「自分への嘘」と「他人への嘘」^^ / しまの 引用
No.1032 2015/02/20(Fri) 11:25:50

>「自分への嘘」で指しているのは、次のうちどちらなのか、という質問です。
>@親の前で自分の本当の望み(少なくともこの時点で感じられる望み)をごまかして、愛されるための自己を追求している事そのもの。
>A本当の望みを自覚しても、それに向かう事は親から愛されなくなる事を意味するため、恐怖のあまり自覚する事を拒む無意識の動きが起きる。
>しかし、島野さんの最後のレスを見る限り、これは「他人への嘘」を指しているように思えます。

@Aも、「自分への嘘」ということになると思います^^。また結果的に、それは「他人への嘘」にもなると言えるかもしれませんね。
一応分けるなら、@「強い望みによる自分への嘘」であり、A「強い怖れによる自分への嘘」と言えますね。
成長過程は、「怖れの克服」を経て「望み」に向かうというものであり、まずA脱し最後@脱するという流れがある、ということは言えると思います。そうして真の自己確立されていく、と。


>つまり自分の現状、意識に上る本心では、荒廃化した感情のみが見える。しかし、外面行動においてはそれをそのまま示す事はできない。なぜなら、それを示せば相手に嫌われてしまうし、建設的な関係も築けないから。だから、ふさわしいと思える外面行動をする。しかし、目に見える感情が荒廃化している以上、それは「他人への嘘」になるのではないか、という事です。

内面感情を全てそのままさらけ出す、それによって分かり合い認め合うことを良しとする姿勢にいるなら、その通り、それは「他人への嘘」のように思えてしまうかも知れませんね。
が書いた
--------
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。
--------
も、自分の内面感情を人に見せるという姿勢において、「自分の感情がこうでなければ」というストレスが、「自分への嘘」であり「他人への嘘」にもなるのが、人に向かうあらゆる行動感じてしまうという心理状態を書いたもの、と言えます。

一方ハイブリッド心理学での「建設的行動法」は、そもそも、
・内面感情を全てそのままさらけ出す、それによって分かり合い認め合うことを良しとする姿勢
・自分の内面感情を人に見せるという行動
から脱却するという、大きな転換背景としています。

それは一言対比を言うなら、
・流れ変わる「感情」を超えた「意志」によって行動する。そこにおいて人との建設的共有を見出し行動する。見出せないなら孤独を受け入れる
・自分の「内面感情」ではなく、「意志」を人に見せる行動

だということになりますね。

そこにおいて、「自分への嘘」という問題も、「他人への嘘」という問題も、なくなります。
揺れ惑う内面感情という問題は、引き続き残ると思います。しかしそれはもう人との間での問題ではなく、純粋に自分自身内部の問題になる。

手短そんな話になりますね。「感情」ではなく「意志」だという大きな転換があるという話。もちろんこれは「心の依存から自立への転換」一環でもあります。これだけで本が書ける、大きなテーマです。
詳しくは、
グログ記事書籍No.2愛と能力の成長課題
対人行動と対人感情カテゴリー
などを読んで頂くといいかも知れません。

トピックかなり長くなりましたので、またあれば新規で入れて頂くとよろしいかと^^。




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