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合計 2 件の記事が見つかりました


「社会を生きるスキル」・「価値」と「匿名性」 再^^ / しまの 引用
No.1155 2015/12/10(Thu) 10:06:42

遅くなりました^^。

「社会を生きるスキル」の定義

まず前半ビッグデータうんぬんについては、申し訳ないご質問テーマ何なのか僕の方でちょっと読み取れなかったです^^ゞ

まず一つ確認して頂いておくと良い点は、ハイブリッド心理学「社会を生きるスキル」という言葉言っているもの何かです。
これは、
・実際にその人が生きる社会を相手に、その人が「自分はこの社会を生きることができる」という自信を感じさせるような、さまざまなスキルの総合体
だ、と定義できます。

それは行動学であり、仕事のスキルであり、より広範囲対人的、生活的、人生的な場面の対処スキル総合体です。
自分はそれを獲得した、という自信持てるようになる、またそれが目標になる、人生の段階があるというをしています。僕の経験も踏まえると、まずは30代後半からの段階になる、と。


「スキルの構造」

つまり、「総合的スキル」と、それを構成する「素材スキル」「材料スキル」という、「スキルの構造」がある、というになりますね。
正確には、まずは以下のような3段階構造理解すると良いかと。

          (人生を生きるスキル)
              /  \(「命」につながるスキル)
   社会を生きるスキル
         /|\ ・スキルを舵取るスキル
生活のスキル 対人スキル 仕事のスキル
                     /|\ 
                  個別素材スキル
          (読み書き、身体技能、専門技術、etc)

より大きくは、「社会を生きるスキル」の上にさらに総合的「人生を生きるスキル」生まれる、という4段階があると言えますが、とりあえず今回の話の範囲ではないということでよろしいかと。

で、今回書いて頂いた話題は、個別素材スキルについてのものということになるかと。
これはもちろん、時代の流れに応じて大きく変化する、ということになります。
一方、総合的なスキルほど、その本質時代の流れ超えて不変だ、という考え「社会を生きるスキル」とは、そうして時代によって変化する素材スキルどう自分が持つべきかという、「スキルを舵取るスキル」重要な要素になると言えるでしょう。

ロボット技術などの進化に応じて変化するのは「個別素材スキル」レベルであり、それだけではまだ「社会を生きるスキル」にはなりません。そうした技術スキルどう舵取るか、から「社会を生きるスキル」関係してきます。
技術進歩によって、そうした総合的「社会を生きるスキル」にも大きな変化があるとすればロボット感情持つようになるといった事態起きた時だろうが、それは未来永劫ないだろうというのが僕の考えだというのを述べた次第です。

「個別素材スキル」個々の内容については、「ハイブリッド心理学」としてはあまり踏みこむものではありませんが、僕自身の社会経験を踏まえたアドバイスであれば、多少可能です。
ですので、

>そこから新しい問いを生み出し、またそれをビッグデータを参考に検証し、という所までもが視野に入っているのが怖いな、と感じますが。

これは実際どんな課題場面で、何に困っているというなのか、を絞ってもう少し具体的に書いて頂くと、僕としての意見アドバイスできるかも知れません^^。


「価値」と「匿名性」

>匿名性において生み出すのは、人物性を高めるための、、、またよくわからなくなってしまいました。その人に付随する能力は全て匿名性においての能力ととらえるという事でしょうか?

これもやはり、何の話をしているのかという、テーマ整理しておくのがいいですね。互いが別のものの話をしているのに気づかないまま、かみ合わない議論をしないよう。

「価値」「匿名性」については、今回のような話題範囲としては、3つテーマ事項分けることができます。

1.「価値」そのものの内容種類
「価値」そのものの内容タイプ
「容姿」「声・仕草」「文章」「曲」「デザイン」「レシピ」「製造技術」「社会行為」「品物」「制度」「手続き」エトセトラ、エトセトラ
これら全てが、「価値」あるものです。魅力価値経済価値効率性価値、などなど。

2.「価値」そのものの「人物性」と「匿名性」
上記のような「価値」社会供される時に、それが誰のものか、誰によるものかという情報同時に伴うかどうか。これを「価値の人物性」と呼べるでしょう。
逆に、誰のものか、誰によるものかという情報見えなくなる度合いを、「価値の匿名性」いう言葉呼んでいいと思います。

すると、「価値」内容種類によって、自ずとその傾向が出てきます。
上記内容種類書いたようなに、「価値の人物性」大きいと言えます。「容姿」となると、もうその人そのものですね。あとは名前出るかどうかだけ。
逆に、後ろのものほど「価値の匿名性」大きいと言えるでしょう。誰のものか、誰によるものかというのはあまり表に出なくなる。それでも場合によっては、例えば「アベノミクス」のように、誰が発案したかを冠する、「人物性」の高い「制度」があったりする。まその「価値」どう評価するかはまたによりさまざまとして。

ここまで2つ「価値」そのもの内容性質についてのであるのに対して、3つ目全く違うものになります。
それは内面の姿勢です。

3.「社会を生きる姿勢」としての「匿名性において生み出す」
ハイブリッド心理学「匿名性において生み出す」呼んでいるのは、個人内面の姿勢であり、「価値」そのもの内容性質話ではなく「価値」を生み出すことに生きようとする「社会を生きる姿勢」さらには「生きる姿勢」の、一つのあり方指しています。

前の方takaさん向けアドバイスとして書いた、
『「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ^^』 しまの No.1147 2015/11/13
でも触れた、
『理論編下巻』
7章 人生の答え−2  −「魂の望み」への歩み−

「匿名性において生み出す」・「揺らぎない自尊心」への第一歩
での解説ベース理解頂くといいでしょう。
引用しますと、その定義とはまず、
------------
 より純粋な望みへと向かい、「生み出す価値」への目を育てることです。価値を生み出すのが「自分」だということにこだわらずに、生み出す価値そのものを、ただ高めることに意識を注ぎます。
 これを「匿名性において生み出す」と呼んでいます。
------------

とあります。つまり「価値を生み出すのが「自分」だということにこだわらずに、生み出す価値そのものを、ただ高めることに意識を注ぐ姿勢」です。これが「匿名性において生み出す姿勢」定義ということで良いでしょう。

そのきとして、以下のようにあります。重要な言葉太字にしました。
------------
 「匿名」であるとは、誰ともつかないということです。「未熟」から始まるこの道のりの常として、私たちはどうしても「自己顕示欲」の中で、「自分」がどう見られるか、一方で「誰が」どう人に見られているかという、結果イメージばかりに意識が向かいがちです。それがひいては、「こう見られなければ」「こんな風に見られてしまっては」と自分にストレスを加えるという結果を生み出すわけです。
 その視線を、価値を生み出すのが「自分」であろうと「誰」であろうと構わずに、生み出される「価値」そのものに目を向けることです。これが「人物を問わない」魂の感情に実によく馴染みます。
 これがひいては、足手まといの「自己顕示欲」によって動揺する自分を抱えながらも、それに惑わされずに安心して人と接することのできる、しっかりとした方向性を私たちに与えてくれるのです。
------------


ということで、ここで「魂の感情」という新たな視点が出てきています。
これについてはここではあまり話を膨らませずポイントは、「生み出す価値そのものをただ高めることに意識を注ぐ」という姿勢によって、「自己顕示欲による動揺を脱した、安定した対人方向性」向かうという、内面姿勢言っているものだということです。

内面姿勢ですので、そうした姿勢持つかどうかは、人それぞれです。「価値」そのもの人物性匿名性大小関わりなく
容姿声の出し方といった、人物性の高い価値を、ここで言う「匿名性において生み出す」という姿勢追求している人もいれば、「品物」という匿名性の大きめなものを、バリバリの自己顕示欲で追求している人もいるかも知れない。
ハイブリッド心理学の取り組みとは、もちろん、「匿名性において生み出す」という姿勢知り、その選択を自分に問う、というものです。
それが「自らの人物性を高めていくかの一つの方法論」だと言うのは、「自らの人格性」という言葉の方が分かりやすいかも知れませんね。それが「価値の人物性」として人の目出るかどうかさまざまとして。これはよろしいですかな。

ということで後段のご質問についても、まずは以上どう疑問等が残る再整理して、あればまた書いて頂ければ^^。

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「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ^^ / しまの 引用
No.1147 2015/11/13(Fri) 15:43:41

(親トピック削除のためコメント記事のみここに収録しています^^)

これはじっくりアドバイスを^^。


「自己イメージ法」の役割と罠

これはまず、

>コーチングなどでは理想の高い自己イメージを持つことを推奨しています。

という、「理想の高い自己イメージを持つ」ことの役割意義理解から話を始めるのが良いかと。

一言で、「自己イメージ法」とも呼べるであろう、自分を高めるための方法、というになりますね。
定義としては、「高い自己イメージを持つことによって、気持ちを持ち上げ、目標への動機づけにする」というものだと言えると思います。

これについて僕の意見簡潔に述べるならば、まず墓本的にはそれは人生で役に立つものだと思います。まずは「こんな自分になりたい」という高い自己目標像描くことから、成長への歩み始まるそれはいいと思います。
ただしそこから、大きく2つもしくはが、待ち受けている、と。


罠その1・「内実」が伴わなければ「張りぼて」

1つ目分かりやすい話だと思います。
「高い自己イメージ」として抱くものとは、基本的「人の目にこう見られる自分」という外面体裁です。
ですので、そこに「内側内面の充実」である「内実」伴わないと、そこにあるの「はりぼて」といものになる、というものです。
正真正銘の張りぼてというのは、たとえば北京五輪の時、近くのみすぼらしい貧民街を高級そうなビルの絵を描いたつい立てでおおったものなど。
職業においては、正真正銘の張りぼてだとその職業が続けられないことになるものであり(ニセ医者など)、一応はまっとうな資格として就いている職業それなりの内実があるからだという話になりますが、それでも起きてくる可能性があるのは、その職業の意義を高めるような心こもっていないこもっていない、と評されるような姿です。
これが典型的で最悪なものは、警官が起こす事件とか、消防士が起こす放火など。
そうなるとそれはもう「精神的な張りぼて」姿だと言えるものになるでしょう。
ご質問の状況も、そうした「精神的張リぼて」が、まあそうした外面的悪質性なしに、ごく内面において起きているものと言えるかも知れませんね。外面体裁のレベル魅力を感じ、目標にしようとしたものの、それを自分がやる意義とやリがいを、心底からは感じられていない、というもの。


罠その2・「高い自己イメージ」は実は「低い内実」の表現

もう一つは、多少難しい心理メカニズムになってきます。
「高い自己イメージ」実は「低い内実」表現だ、というものです。
これは分かりやすい例として、「自転車に乗れる自分」という自己イメージとして、未出版(そのうち無料電子書籍化予定^^)ですが
『理論編上巻』
7章 「自尊心」の混乱と喪失−2  −なぜ自信が定着しないのか−

「自信」と似て非なる「高い自己評価(プライド)」感情
などで説明しています,
我々まだ自転車をうまく乗リこなせていない段階で、「うまく自転車に乗れる自分」という「高い自己イメージ」描きます。それを目標とし、また自分はそんなはずだ、と自分を鼓舞することが役立ち、またそれが必要にもなります。しかし本当に乗りこなせるようになった時、それはもういらない、と。
一般的に言って、高い技能ほど、高い習熟向かうごとに、向上導くのは「自己イメージ」なんて薄っぺらい(^^;)ものではなくなってきます。内側細かい技術なり精神性なりになってくる。

冒頭に書いたように、「高い自己イメージ」役に立つのは、「目標への動機づけ」というあくまで最初の最初であって、 そこからスタートしたらなら、視点変えなければならないわけです。
一般的に言って、そこから「専門性」出てきます。内側細かい技術なり精神性なりについての。「高い自己イメージ」言っている範囲では、そうした専門性いらない
そんな状況で、「高い自己イメージ」推奨しているだけコーチングとは、それこそ内実のあまりない、張りぼてのコー チングです(失敬^^;)。まあその安直さ人受けしてセミナーにすれば売れるんでしょうけどね^^;


「高い自己イメージ」が裏に生み出す自己嫌悪

さらに一歩踏み込んで考えるならば、技能などのレベルが高い人ほど、「高い自己イメージ」よりも、「いたらない自己イ メージ」より積極的に持つようにするのでは、とも思えます。
それが「謙虚」という美徳です。それこそ自分を本当に高め、自分に利益をもたらすものであることを、高いレベル向かう人ほど、感じているのでは、と。

そしてしきりと描こうとする「高い自己イメージ」というのは、得てして北京五輪で言ったように、臭いものに盖をするための強烈な香水であったりします。
そしてがそれに駆られる、という病んだ心理メカニズム起きてくるわけです。意識の表面では燦然と輝く自己像描かれ無意識追いやられた、「みすぼらしい自己像」心の底くすぶります。この心の膿深刻であるほど、意識の表面燦然とした自己イメージ空想に駆られる度合い病的に強くなってきます。
見逃せないのは、ここで「エセで傲慢な自分」という自己嫌悪感情が、無意識用意され、そして膨張していくことです。そしてそれから逃れるために、「高い自己イメージ」不自然高潔な精神的精練性を帯びたものへと練り上げ られていくかも知れません。そして薄氷「燦然とした自己像」と、「みすぼらしくエセで傲慢な自己像」錯綜し渦を巻く。
・・と少し病的心理メカニズムまで話を膨らませましたが、こうした心理過程心の底固着してきて、「神経症的人格」出来上がる次第です。

まそこまで錯綜した心理となるとここではもうど一でもいいとして(というより結構関心度の高い話?^^;)、こうした薄氷「高い自己イメージ」脆くも崩れ「みすぼらしくエセで傲慢な自分」という自己イメージへと雪崩を打って一気に切り替わっていく様子が、『悲しみの彼方への旅』などにも出てきます。P.146からの3ページにて。

ですので、

>人にどう思われるかあまり気にならなくなりました。

もともとそう深刻な話ではないとして、それだけ心の健康度が増してきたということかと思います^^。


「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ

ということで、

>自己イメージを意議的に高<持つという事について島野さんはどう思われますか?

については、一言で、それはあくまで「目標への動機づけ」としてはok
ただし実際何か目標向かうにおいては、さらにはその目標そのもの自分にとっての価値の妥当性再検討するにおいても、「高い自己イメージ」なんてものではなく、別の視点へと移る必要がある、ということになります。
そうした別の視点なしに、意識的に自己イメージをただ高く持とうとするというのは、あまり役に立つものではなく、があるというか、それ自体未熟病み症状のようなものだ、と。

ではその別の視点とはどんなものかというと、それがまさにハイブリッド心理学取り組み実践全てだということになリますが、ポイントまとめておきましょう。

まずスローガンとしてはこう言えます。
「自己イメ ージ法」はるかに超える成長へ、と。つまりそれは、
自己イメージを高めるのではなく、自己の現実を、そして自己の真実を、高めることです。

そうして「自己の真実を高める」ための実践とは、「感情と行動の分離」姿勢で始めるハイブリッド心理学取り組み実践です。
「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」というものです。


自己イメージは「ただ流す」内面感情側の扱い

まずポイントは、そこにおいて「自己イメージ」は、「ただ流し理解する」という、内面感情一つとして扱う、というものになります。
ですので、「意識的に高く持つ」というよりも、まずは湧くがままに湧かせ、自分がどんな自己イメージを持つのかを、まずは把握することです。高い自己イメージも、「唾棄された自己イメージ」呼べるものも。
そしてそれを鵜呑みにすることなく、自己の現実、自己の真実の全体を高めるための方向を見極めてい<


「価値」と「望み」を見極めていく

すると見極めていくものが、外面および内面双方出てきます。

一言で、外面においては「価値」を、内面においては「望み」を、見極めていく、と。

まず外面における「価値」として、
たとえば税理士一つの目標になるのであれば、それがどう華やかな職業かというイメージどうこう描けるかではなく (それは一応内面感情として流すとして)、税理士が企業や社会にどんな「価値」を生み出すか、といった命題に、「価値言葉」答えられるようになるというのが一つ目安になるでしよう。
税理士目指すことが、自分にとってどんな価値があるかを自分に問える状態になるための、目安としてです。
こうした「価値言葉」での思考については、
『入門編下巻』P.212-213で書いていますので一読頂ければ。

あとそれと重なる視点として、「匿名性において生み出す」という姿勢視点知るといいでしよう。誰ともつかない者が行う、価値あること。それを自分は行うという姿勢です。
これについては、
『理論編下巻』
7章 人生の答え−2  −「魂の望み」への歩み−

「匿名性において生み出す」・「揺らぎない自尊心」への第一歩
解説しています。

重要なのは、こうして「価値を生み出す」という姿勢こそが、来歴において華やかな知人達の世界に入れなかったというような挫折感情を、真に克服するになるということです。
それは決して、「見返せるだけの華やかな職業」なんてイメージをどう追ったところで、克服できない、と。その先にあるのは、空虚孤独だ、と。これは内面「望み」視点として、 下でまた書きますので^^。
これは上記入門編下巻続き、P.214で次のように書いている通りです。
=====
 これは特に、来歴において自らの「存在の善悪と身分」を負ったような挫析感情がある場合に、その克服のために決定的に重要になります。
 この姿勢は必ず、人からの信頼を得ることができます。それがやがて、心の傷凌駕するのです。
=====

と。


「望み」への向き合いと「人生の道理」への目

そうして、外面においては「価値」向き合う一方で、内面においては、「望み」に、深く向き合うことです。

「高い自己イメージ」であれば、それによって、自分は何が得られるものとして、望んでいるのか
そしてそれが、「現実」において起き得るものなのかを、しっかりと見据えることです。「現実」というのは、しばしばイメ ージの華やかさとは裏腹な面を、我々突きつけるものです。それをしっかりと見据え自分が何を望んでいるのか、そして何が自分に真の幸福をもたらすのか、自分は何を本当に望んでいるのかに、向き合い続けることです。

その向き合い歩みで、人生の道理を見る目を、いかに築いていくかが、問われることになリます。
薄っぺらいものに心を奪われていれば、その薄っぺらいものに、やがて滅ぼされます。深いものに心を向けることができた時、やがてその深いものによって支えられるのです。
いくら他人に浅く広くちやほやされたところで、やがては空しさ孤独訪れるのは、著名人の自殺に示されます。 やはり愛する家族を持つことが、幸福一つの道標にはなるでしよう。しかし外面体裁を材料に、いわば力づくで結婚 したところで、得られるのはもう似て非なるものになる可能性が高い。等々。
こうしてどこまで人生の道理見極めることができるかは、もうその人次第ですね。しかしそれが、結局、その人「これが自分の人生だ!」言えるものつかむための、足場になるわけですね。


そうした向き合い歩みの道があるというのが、アドバイスになりますね。
この向き合いによって何を見出すかは、一度に全ての答えが出ることは、ありません向き合いで、次第違うも のが見えるようになっていきます。そして最後には、歩み最初からは予想だにつかない、最終的な答え訪れるそんなものです。10年20年、さらにはそれをはるかに超えた人生の歳月を通して、です。
ぜひじっくり検討してみて頂ければ^^。

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