No.1330 2019/08/13(Tue) 09:32:17
島野様
心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。 ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?
幼少期に愛を感じれば、自己肯定感を自然に持てるようになり、人とも自然に楽しく関われるようになる。 幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。その辺が僕の中で認識が整理できていません。
解説の方よろしくお願いいたします。 |
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No.1331 2019/08/19(Mon) 11:01:35
これはまず、
>心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。 ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?
についての結論として、ハイブリッド心理学が「自己肯定感」という言葉で呼び指せるものとしてどんな心理要素がありどんな構成になると考えるか、要点を図示的に書いてみますとこのようになります。 ============== 「幸福感」・・・自身の状態について幸福を感じる感情 |- 「喜び」「楽しみ」「充実感」などの幸福感への基本的感情 |- 「自己肯定感」・・・「自分」が意識され、自分のあり方として「自分はこれでいい」という肯定を感じる感情。 |- 「自尊心」・・・「自己肯定感」の中で、「自分への高い評価」という性質のもの。「自分を尊敬信頼できる」という心の安定基盤。人生の歩み出し、そして「社会に出る」という青年期から壮年期にかけての重要な心の課題になる一方で、多くの人が、「真の自尊心」をなかなか築けずに「愛され自尊心」「認められ自尊心」「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」「否定できる自尊心」といった、いくら追っても真の自尊心に近づけない、方向違いの「プライド感情」に駆られてしまう。 |- 「社会を生きる自信」・・・「行動学」や「仕事の普遍的スキル」などの実際の習得を通して獲得される、「自分はこの社会でうまく生きていくことができる」という堅固な自信感。壮年期中盤での獲得がまずは目標になる。
「真の自尊心」とは 「真の自尊心とは、自分が自らによって幸福に向い得る生き方を持つ存在であり、自分の人生の羅針盤としてその自らの生き方を尊重し尊敬できるという感覚」(理論編上巻P.92) うまり「真の自尊心」とは、自分の人生の生き方の方向性とその能力への自信であり、基本的構成要素を考えるならば以下の3つなどが指摘できる。 1)自尊心への価値観として「生み出し自尊心」・・・「現実において生み出す」ことを自尊心の基盤と考え向かう姿勢。 2)「社会を生きる自信」・・・実際にこの社会をうまく生きることができるという能力獲得実績への自信。 3)「望み続ける誇り」「命をかけて向かうものを得る」・・・「望み続ける」ことが自らの心を成熟させ豊かにすることを体得し、人生の生き方方向性を確固としたものにする(入門編下巻P.219)。その先に「命をかけて向かうもの」を得た時、「自尊心」という心の課題が完全に達成されると共に、「自分を」どう感じるかという自尊心命題そのものが心から消滅する(入門編下巻P.253)。 ==============
まあこれも先の「愛への取り組み」の話同様、ここでとても全体説明ができるものでない沢山の話になりますので、執筆作業として、今更新中の「「愛」への理解と価値観と取り組み」の次は「「自尊心」への理解と価値観と取り組み」というページを設け完成させるようにしますのでp(^^)q
ということで全体説明はそちらに回し、ご質問への主なポイントなどコメントしますと、
>幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。
「無条件の自己肯定感」というのはちょっと過大視かも知れませんね。実際のところ今生きる現実場面での行動がうまくいかずトラブルになるばかりだと、自己肯定感なんて言っていられる状況ではなくなるというのが現実かと思います。 「基本的な自己肯定感」として、心の底流での感情としての自己肯定感というのにはなるかもしれませんね。 それがあったとして、心の表面での、今生きる現実場面での問題対処はやはりうまくできてこその、堅固な自己肯定感が心に築かれるということになると思います。
一方そうした「基本的な自己肯定感」を得られずに育った場合・・これはつまり「根源的自己否定感情」という問題が心に起きるということになりますが、この場合もやはり、今生きることにおいて、まず心の表面での問題対処がうまくできるようになることによる自尊心を築くことが、その克服への足場になる、という話になります。 つまり、根源的自己否定感情が心の底にあったとしても、まず心の表面というか心の中核において、「真の自尊心」を築くというのが道のりになります。それを足場にした、人生後半の「成熟」への歩みに、根源的自己否定感情の最終的克服も訪れる、というのがハイブリッド心理学の見出す心の歩みです。
ということでここでは「自尊心」にテーマを絞り、
>一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。
ですが、この「相対的に自分に価値を感じる」というのは「自分に絶対的価値を感じない」という話になるともうそれは自尊心を感じられないという話のような気もしますが・・^^; というのは言葉の問題として、「生み出し自尊心」というのは、何を生み出すかとして「幸福」「解決」「最善の結果」といった類のものであってこそ、そう言いますね。もちろん「現実において」です。 一方、「特定の基準で生み出す」ことでプレッシャー、ストレス・・となると、最終的に何を生み出しているのかと言うとやはり「プレッシャーやストレスそして不幸を生み出している」のであり、とてもここで言う「価値の生み出し」には当たらないという話になると思います。 結局そこで「特定の基準で生み出すことで自尊心」を得ようという姿勢とは、「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」に該当するのではと。ま仕事では当然オーバーワークへと暴走しがちな姿勢ですね。 「生み出し自尊心」の姿勢だと、そこで「行動学」「仕事の普遍的スキル」などを駆使して、余裕のある仕事の仕方をして、かつ評価もされるといったベストの結果を生み出してこそ、自分としても満足できるという姿勢になると思います。
その辺のじっくり確認検討から始めてみて頂ければ^^。 |
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