しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作、そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」を進めるためのポイントのヒントなどを、ここではごく簡潔にアドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 『
メール相談事例集』や『実践編』書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
●返答は入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近の島野は日々の生活そのものでほぼ完全に手がふさがれ執筆関連にまわす時間があまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスはほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践の観点から今の問題がどう克服されるかという答えにすぐ行くのではなく、この問題に関連するハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学はどのように言っているのか、を再度確認し、自身の理解と納得を問うことを、行うのです。
そこで理解が正しく、納得が行くものであれば、自然と、では今のこの問題はその観点からはどう考えられるか、という検討思考に進むことができるでしょう。
一方、理解や納得が進んでいないまま、この問題は一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」の思考を無理にそして性急に当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方になりがちに思われます。
つまり一にも二にも、まずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵、およせ頂くご相談への最初のアドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」の観点そのものについて質問頂くと、理解と納得が進み、自然と問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません。
それはハイブリッド心理学の「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
にイメージ図示する、自分という車を運転して進む道のりだとして、島野がアドバイスできるのは、その個々の要素つまりハンドルさばきや地図の見方の基本といった、教習所の中でできることであるのに対して、それぞれの方の問題の最終的な克服とは、教習所の外に出て、それぞれの方が人生でどこに行きたいのかの、旅の先の進み方の問題になるからです。そしてそれぞれの方の人生はそれぞれが唯一無二であり、島野の人間と人生の成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的な克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的なアドバイスは、できないように感じています。

そんな話として、一にも二にも、まずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板を活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板を引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイスを記しておきましょう。動揺や困難に出会う全てのケースにおいて、まずは外面行動への着実で的確な答えを出せることが、荒波の海を進む航海のための、船の碇の役目を果たします。それによりまず波に流されることのない足場を持ち、そこから、自分がどの方角へ向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向を正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置が波に流されていてばかりで、人生という航海における自分の位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の、外面向け観点に合致していることが、この人生の航海における前進の全体が、ハイブリッド心理学の考える心の成長と治癒と豊かさへの前進に向かうための、条件になるでしょう。ただ外面を良くすればいいというのとは全く次元の異なる、ハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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■ (No Subject) / サカグチ 引用
No.1330 2019/08/13(Tue) 09:32:17

島野様

心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。
ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?

幼少期に愛を感じれば、自己肯定感を自然に持てるようになり、人とも自然に楽しく関われるようになる。
幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。その辺が僕の中で認識が整理できていません。

解説の方よろしくお願いいたします。


 
□ 「自己肯定感」と「自尊心」^^ / しまの 引用
No.1331 2019/08/19(Mon) 11:01:35

これはまず、

>心理学を学ぶと、自分を自分で好きになることが大切、自己肯定感などのワードがよく出てきます。
ハイブリッド心理学がこれらの言葉を定義し直すならば、どういう説明になるでしょうか?

についての結論として、ハイブリッド心理学が「自己肯定感」という言葉で呼び指せるものとしてどんな心理要素がありどんな構成になると考えるか、要点を図示的に書いてみますとこのようになります。
==============
「幸福感」・・・自身の状態について幸福を感じる感情
 |- 「喜び」「楽しみ」「充実感」などの幸福感への基本的感情
 |- 「自己肯定感」・・・「自分」が意識され、自分のあり方として「自分はこれでいい」という肯定を感じる感情。
     |- 「自尊心」・・・「自己肯定感」の中で、「自分への高い評価」という性質のもの。「自分を尊敬信頼できる」という心の安定基盤。人生の歩み出し、そして「社会に出る」という青年期から壮年期にかけての重要な心の課題になる一方で、多くの人が、「真の自尊心」をなかなか築けずに
「愛され自尊心」「認められ自尊心」「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」「否定できる自尊心」といった、いくら追っても真の自尊心に近づけない、方向違いの「プライド感情」に駆られてしまう。
        |- 「社会を生きる自信」・・・「行動学」や「仕事の普遍的スキル」などの実際の習得を通して獲得される、「自分はこの社会でうまく生きていくことができる」という堅固な自信感。壮年期中盤での獲得がまずは目標になる。

「真の自尊心」とは
「真の自尊心とは、自分が自らによって幸福に向い得る生き方を持つ存在であり、自分の人生の羅針盤としてその自らの生き方を尊重し尊敬できるという感覚」(理論編上巻P.92)
うまり「真の自尊心」とは、自分の人生の生き方の方向性とその能力への自信であり、基本的構成要素を考えるならば以下の3つなどが指摘できる。
 1)自尊心への価値観として「生み出し自尊心」・・・「現実において生み出す」ことを自尊心の基盤と考え向かう姿勢。
 2)「社会を生きる自信」・・・実際にこの社会をうまく生きることができるという能力獲得実績への自信。
 3)「望み続ける誇り」「命をかけて向かうものを得る」・・・「望み続ける」ことが自らの心を成熟させ豊かにすることを体得し、人生の生き方方向性を確固としたものにする(入門編下巻P.219)。その先に「命をかけて向かうもの」を得た時、「自尊心」という心の課題が完全に達成されると共に、「自分を」どう感じるかという自尊心命題そのものが心から消滅する(入門編下巻P.253)。
==============


まあこれも先の「愛への取り組み」の話同様、ここでとても全体説明ができるものでない沢山の話になりますので、執筆作業として、今更新中の「「愛」への理解と価値観と取り組み」の次は「「自尊心」への理解と価値観と取り組み」というページを設け完成させるようにしますのでp(^^)q


ということで全体説明はそちらに回し、ご質問への主なポイントなどコメントしますと、

>幼少期にはぐくまれた、自己肯定感は大人になった時、無条件の自己肯定感として生きることを支えてくれます。

「無条件の自己肯定感」というのはちょっと過大視かも知れませんね。実際のところ今生きる現実場面での行動がうまくいかずトラブルになるばかりだと、自己肯定感なんて言っていられる状況ではなくなるというのが現実かと思います。
「基本的な自己肯定感」として、心の底流での感情としての自己肯定感というのにはなるかもしれませんね。
それがあったとして、心の表面での、今生きる現実場面での問題対処はやはりうまくできてこその、堅固な自己肯定感が心に築かれるということになると思います。

一方そうした「基本的な自己肯定感」を得られずに育った場合・・これはつまり「根源的自己否定感情」という問題が心に起きるということになりますが、この場合もやはり、今生きることにおいて、まず心の表面での問題対処がうまくできるようになることによる自尊心を築くことが、その克服への足場になる、という話になります。
つまり、根源的自己否定感情が心の底にあったとしても、まず心の表面というか心の中核において、「真の自尊心」を築くというのが道のりになります。それを足場にした、人生後半の「成熟」への歩みに、根源的自己否定感情の最終的克服も訪れる、というのがハイブリッド心理学の見出す心の歩みです。

ということでここでは「自尊心」にテーマを絞り、

>一方生み出し自尊心によって価値を生み出して感じる自己肯定感は、自分はこれだけ価値を生み出しているという、自己の主観的な基準のもと、相対的に自分に価値を感じるという自己肯定感ではないでしょうか。でも、それは、もっと価値を生み出さなければ、というプレッシャーによって自分の心に強いストレスをかけてしまう、オーバーワークにつながる、それが完璧主義など高すぎるプライドなどと表現される状況だと思うのです。そうなると果たしてこれは幸福に繋がっているのか?疲れ果ててしまうだけでは?と感じてしまいます。

ですが、この「相対的に自分に価値を感じる」というのは「自分に絶対的価値を感じない」という話になるともうそれは自尊心を感じられないという話のような気もしますが・・^^;
というのは言葉の問題として、「生み出し自尊心」というのは、何を生み出すかとして「幸福」「解決」「最善の結果」といった類のものであってこそ、そう言いますね。もちろん「現実において」です。
一方、「特定の基準で生み出す」ことでプレッシャー、ストレス・・となると、最終的に何を生み出しているのかと言うとやはり「プレッシャーやストレスそして不幸を生み出している」のであり、とてもここで言う「価値の生み出し」には当たらないという話になると思います。
結局そこで「特定の基準で生み出すことで自尊心」を得ようという姿勢とは、「優越自尊心」「打ち負かし自尊心」に該当するのではと。ま仕事では当然オーバーワークへと暴走しがちな姿勢ですね。
「生み出し自尊心」の姿勢だと、そこで「行動学」「仕事の普遍的スキル」などを駆使して、余裕のある仕事の仕方をして、かつ評価もされるといったベストの結果を生み出してこそ、自分としても満足できるという姿勢になると思います。

その辺のじっくり確認検討から始めてみて頂ければ^^。



■ re「愛への取り組み」 序説 / サカグチ 引用
No.1329 2019/08/10(Sat) 06:32:47

島野さん

とてもわかりやすく、腑に落ちる回答ありがとうございます。
前に進んでいきます。



■ (No Subject) / 白花 引用
No.1327 2019/07/22(Mon) 12:31:48

反社会的な行いや、タブーを犯す人々が物語ではしばしば描かれます。
古くはアダムとイブの禁断の果実、それから現代に至るまで、物語において禁忌は欠かせないものとなっているように思います。
犯罪・不倫・異常性愛・裏切り・残虐表現etc...
禁じられるほど欲求を掻き立てられる心理ですね。
私自身、そういったテーマを持つ作品を好み、創作もしています。
念の為おことわりしておくと、現実場面において反社会的・タブーな行動への欲求は現状感じません。

■ 望みのメカニズム
http://tshimano.jp/bbslog/200506.html

この一連の記事を拝読してから、皮相化した欲求=反社会的・タブーに基づいた創作に触れたり生み出すことに疑問を抱いています。
不健全なこととして見据え、脱却を目指すか。欲求のまま行動するか(もちろん他人に迷惑をかけないコミュニティ内で)。
感情・外面を判断材料に自分にとっての最善の行動を探っていこうと思います。

しまのさんは反社会的・タブーを取り扱った作品群に対してどういった視点をお持ちでしょうか?
健康な人の視点に関心があり、コメント投稿させていただいた次第です。


 
□ 「反社会性やタブー破りの魅力」への取り組み^^ / しまの 引用
No.1328 2019/07/24(Wed) 11:10:20

望みのメカニズム
http://tshimano.jp/bbslog/200506.html

>この一連の記事を拝読してから
かなり以前の原稿になりますね^^。指摘頂き読み返したところ結構今後のまとめで使える部分がありそう。ありがとうございます^^。
で、

>しまのさんは反社会的・タブーを取り扱った作品群に対してどういった視点をお持ちでしょうか?
についてはごくシンプルに、創作作品については僕の心理学考察材料、および個人的読書趣味としても対象外になりますです。

まずもう最近は、小説・ドラマ・演劇・映画といった類は全く見なくなってきました。もう還暦も近い歳にもなり(あと1年半くらいですが)、「世の中にはこんなこともある」という知識欲がおおかたお腹いっぱいという感じで、『世界仰天ニュース』や『アンビリバボー』のようなまとめ再現Vなどは楽しく見るのですが、途中の細かい描写などはもう見てもあまり興味湧かない感じで・・^^;
さらに反社会・タブー行為そのものになると、ニュースで見ればもういいや、という感じかなと^^; というか基本見たくないものと感じるのですが・・^^;

ということで、物語創作そのものについては、もちろん興味持つ人は若い年齢層を中心に沢山いると思いますので、実際反社会的行動などするのでもない限りは、自分自身でも十分楽しめるものであれば趣味さらには収入を目論んだ活動とするので一向に良いと思います^^。
ただしそれが、どうも自分自身で心底から楽しめるものではない部分があるとすれば、ちょっと一考の余地はあるかも知れませんね。

なお
>不健全なこととして見据え、脱却を目指すか。
についてちょっとコメントしますと、「異常性愛」や「残虐表現」については上記掲示板原稿でも触れていますが「望みの停止による情動の皮相化・荒廃化」という特別なメカニズムが絡んでいるとして、より一般的な反社会性やタブー破りに惹かれる心理というのは、
・社会で本道と成り得るような望みの目標について、来歴の中での何か自信の喪失や断念。
・檻の中で「良い子」でいることを期待するかのような文化環境。ま日本の学校というのは大抵そうですけどね。
という2つの要因が背景にあって、ちょっと社会や世間の目への反発感情というのが心の底流に流れている、というのが心理メカニズムとしては考えられると思います。

脱却への取り組みとしては、善悪観念を根底からとっぱらったサバイバル世界観に立った上で、自尊心への価値観の転換を大きな足場にして、「行動学」や「仕事の普遍的スキル」などの獲得による自信の構築に向かうことで、反社会性やタブー破りといったもの自体の魅力も減少するであろう、といったもの。
これも結局はやはり特定の心理分析解きほぐしアプローチというより、『辞典』で整理しているような取り組み実践の全体になりますね。
ご返答になりましたかどうか^^。



■ (No Subject) / サカグチ 引用
No.1325 2019/07/07(Sun) 16:47:46

島野様
返信ありがとうございます。
理解できました。サイト内
「愛」への理解と価値観と取り組み
の中の愛への取り組みという内容がまだ記入されていません。追記よろしくお願いします。

愛されたいという思いが全ての行動の原動力になっていることは、以前から気づいていました。
その閉ざされた世界での愛、分かりあい、認め合い、親密感を感じる愛を求めてきました。
しかし、その姿勢によって、恋愛がうまくいかなかったり、終わったりしていく、ということ。確かに今までもそうだったと思います。しかし閉ざされた愛に別れを告げて、楽しみと喜びの共有に愛を目指す、というのは、なんと受け入れがたい考えでしょうか。著書読ませていただきました。理解はできました。しかし、わかりあい認め合う愛を求め合う中にも、関係性の中で多くの人が、一時見いだすことのできるうっとりした感覚。僕らはつながっている、同じ思いだ、という恍惚とした感覚。失う悲しみにのたうち回りながらも、あの時の幸せが欲しい、そんな人に出会いたい、と皆思う。なぜならそれが既知の感覚の中で最も幸せな感覚ではないしでしょうか、それを捨て去るとしたなら、人生で求めるものを僕はまだ知りません。ハイブリッド心理学によって辿り付こうとしているもの。その感覚がどんなものか、未だかつて経験したことがない、そこに向かっていく。孤独と空虚と寂しさ、惨めさ、を抱えながら!それも長い道のりになる。
著書の全体を理解しなければ、とても受け入れがたい価値観です。喜びと楽しみの共有というならば、まず自分なりに楽しめることを見つけなければならない。仕事の原理原則を理解し、可能な限り価値を生み出し、仕事を楽しみ、そして趣味を見つけて、それを共有できる仲間を見つけていく、ああ、愛への道のりは遠い、といった心情です。


 
□ 「愛への取り組み」 序説^^ / しまの 引用
No.1326 2019/07/21(Sun) 11:35:50

「愛」への理解と価値観と取り組み
>の中の愛への取り組みという内容がまだ記入されていません。追記よろしくお願いします。
これは了解です^^)/ 『実践編下巻』に着手し始めていますが、まずこのページの完成に取り組みましょうp(^^)q
「「愛」への理解」と「「愛」への取り組み」の2つになりますね。
ただその基本説明でも
================
言えるのは、「愛」に取り組むとは、「人生」に取り組むのとほぼイコールだということです。
================
と述べた通り、きわめて幅広く深い話であり結構な量になりますので、ここでは幾つかポイントをコメントし、ページを埋める作業をこの後進めたいと思います。1、2か月はかかるかなーと。進展はブログでもお知らせしますので^^。


でまずこれですが、

>僕らはつながっている、同じ思いだ、という恍惚とした感覚。失う悲しみにのたうち回りながらも、あの時の幸せが欲しい、そんな人に出会いたい、と皆思う。なぜならそれが既知の感覚の中で最も幸せな感覚ではないしでしょうか、それを捨て去るとしたなら、人生で求めるものを僕はまだ知りません。

いえ、「捨て去り」はしませんですね^^;
それを目標、望むタ−ゲットにするのでもいいわけです。「一つになれた恍惚」というやつですね。アーチェリー競技で70m離れた的の中心点としては。
問題は、意識作業として実際何を狙えばそれを射止めやすいかですね。矢には重さとそれに働く重力、さらにその時々に向きと強さの違いがある、風の作用がある。
ならば、ただ目で見て矢の向きと的が一致したというその方向にストレートに矢を放っても、的にあたらないのはもう分かった話ですね。
ならば、最終的に矢が的に一番向かいやすいような、別のものを指標に、矢を放つ必要がある。それだけの話です。

それだけ、というのは一体どんだけーと思わず言葉が浮かびますが(^^;)、大きく2つの話になると思います。

1)実践的有効性
一つは、「一つになれた恍惚」を直接意識的目標にして行動するという姿勢が、逆にそこから遠ざかる、それを壊す結果へと、自分を向かわせることになるという心の罠があるということ。
ここにまた2つのものがあり、一つは「愛を求めて怒る」そしてその怒りによって「愛を求めて相手を破壊する」という心の経路があるというもの。「一つになれた恍惚」を直接意識的目標にするという姿勢でいた時、それがうまく得られない(相手がそれに応じない)ことが怒りを生み出し、その怒りが、相手との関係を破壊に向かわせる。もちろん、うまく行っている間はいいのですが・・という話ではあります。
そしてもう一つが、我々は本来、常に変化し続ける存在だということ。戯れるように一緒に川面を流れる2枚の木の葉が、ほんの数秒後にさえも引き続き一緒にいるかどうかは分からないようにです。
つまりこれは、「あなたは私と前と同じように一つになれるはずだ」とは言えない、言ってはいけない、ということです。もしそう言った時、その言葉に含まれるストレスがまさに相手との関係を破壊することになるからです。

まず、こうした心の罠にはまらないものとして、最終的には「一つになれた恍惚」も最も得やすい行動法を取ると良いでしょう、という話です。
それがつまり、「楽しみ喜びの共有」として「愛」に向かう、という価値観と行動法だということです。
これはごく実践的な話として、そういうことだと言えます。
またこうした「共有重視」の行動法に習熟すると、逆のような関係、つまりこちらは望んでいないのに一緒にいることを無理強いされるような関係になった時に、できるだけ波風立てずに相手と距離を置くような対処も、自然とうまくできるようになります。

2)「依存から自立へ」の心の変遷と「愛」
そしてもう一つ大きな話としてあるのが、上の我々は本来常に変化し続ける存在というのをさら展開する話になりますが、「依存から自立へ」という人生の道がある、その先にこそ「愛への道」がある、という話です。
まさしく『入門編下巻』の主題になりますね。
その特別な話に関連しそうな言葉を書いておられるのが、
>その閉ざされた世界での愛、分かりあい、認め合い、親密感を感じる愛を求めてきました。
との、「閉ざされた世界での愛」。

手短に書きますと、「閉ざされた世界」とは、私たちの心がそこから生まれ出る世界であり、「自分だけに注がれる特別な目」がある一方で、「存在の規律」の圧迫がある世界。です。
対し、「開かれた世界」は、「存在の自由」が原則となる一方で、「自分だけに注がれる特別な目」がない。だからこの世界だけで生きようとすることは、「存在の規律」の圧迫からは解放される代わりに、「空虚」という代償を伴うのだ、と。
ハイブリッド心理学が示す「愛への道」は、「閉ざされた世界」に別れを告げ、「開かれた世界」における「自尊心」の獲得を足場に、「第3の心の世界」に向かう、というものとしてある、というものになります。それは「魂の世界」だ、と。
ただしその前に、「否定価値の放棄」を成す必要がある。自らの心において、「魂」を開放できるためにです。

・「愛への道」
とわけの分からない話(?^^;)になるわけですが、要は、我々の心には外面的にも内面的にも大きな変遷変化が用意されているということです。
・外面的変遷・・・社会に出て、いっぱしの社会人としての自己を確立し、それを足場に自分の家庭を築き、今度は自分が子供を育てる側へと回る。
・内面的変遷・・・「愛される」という受身依存の愛情要求の中で、自己の内実を見失い動揺に苦しむという姿から、「自ら愛する」という自己確立を足場にした「愛」を持つことのできる姿へ。
この外面的そして内面的な変遷の両方で、我々は事実、「愛」への向かい方として特筆できる、ある道筋があると言えます。
それは、「一度愛に別れを告げ、そして再び愛に向かう」という道筋です。その時、「成長」が一歩刻まれる、と言えるものとして。
これを何度も繰り返すのが人生だとも言えますね。
そこで「一度愛に別れを告げる」という局面では、確かに、「過去の幸せ」への未練を一度「捨て去る」とは言えるかも知れない。

・「愛」への取り組み・序説
ということで、まずキーワードレベルでポイントを列挙しましたが、ぶっちゃけた表現をするなら、まず言って、
既知の感覚において最も幸せと感じたものをまた得るなどという、甘くて楽で安直なものなどない。
ということかと^^;
ごく実践的に言って、上記の「社会人としての自己の確立」という人生の宿題に、自分なりにどんな答えを出すかという取り組みがあり、人はその中で成長変化していきます。そうして交友の中での話題も、歳と共に変化していく。「愛」というものの感じ方見方も、中高生の頃のものとは別世界のものも見えてくる。
そうした広い視野を持って人生に向かうことそのものが、「愛」への取り組みだということになりますね。

ということで辞典のページの方に取り掛かろうかと^^。
なお辞典の方は理屈整理が中心で具体的場面での考え方などあまり出ない感じかと。
内容としては以下のようなものを考えています。
・「愛」への理解・・・「愛」の定義、変化バリエーションとして「愛」における「真と偽」「未熟と成熟」「健康と病み」など。
・「愛」への取り組み・・・理解と価値観を踏まえ人生に取り組むのとイコールという一般的な話を簡潔に触れた上で、思春期・青年期・壮年期・老年期という人生の局面とそこで体験し得る「自己操縦心性の崩壊」「否定価値の放棄」「永遠の命の感性の獲得」「超越的幸福」といった節目における「愛」への向かい方出来事の考察など。

具体的場面での考え方などについては、
『実践編』や『メール相談事例集』などご参考頂ければ。
あとこの掲示板でのアドバイスとして以下なども参考になるかと思います。
「愛を育てるための心のルール」^^ / しまの No.1228 2016/10/20



■ (No Subject) / サカグチ 引用
No.1323 2019/06/30(Sun) 17:28:05

島野さんこんにちは、
島野さんの著書、サイトいつも参考にさせていただいています

料理のやり方がわからなくて、人にばかにされて劣等感を感じることが、ありました。
サイト、悪感情の種類別の克服対処の指針のところに劣等感がありませんでしたので質問させていただきます。

持ちもん劣等感に関しては、劣等感を感じる分野に関して、能力を高めていくということになるでしょうが、
全ての能力を高めることは、実質不可能というか、高める必要がない、つまり人にばかにされないようにしようとする動機のみで能力を高めることに疑問を感じました。やる気にもならないし、全てをやっている時間もない

僕として、ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面になりたいというか、何かをできないことに劣等感を感じる内面そのものと解きほぐしを行いたいです。

料理に関しては、居酒屋で働いていた時にたくさん怒られた経験が、精神に起因していると感じますが、
ではそれをどう癒すというか解放していけばいいでしょうか?

よろしくお願いします


 
□ 「劣等感」の克服対処とは「成長」の全体^^ / しまの 引用
No.1324 2019/07/03(Wed) 17:01:05

>悪感情の種類別の克服対処の指針のところに劣等感がありませんでしたので質問させていただきます。

これはあれっ書いた気がするのだけど、っと確認したところ、後で書こうと枠だけ作っておいて中身は空欄でしたね^^ゞ
さっそくおととい入れておきましたので。一応以下の通り。
実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 / 劣等感・優越感
========
「劣等感」「優越感」は、人生の全体を「徒労」つまり「無駄な努力と苦しみ」に塗る最大の絵の具だと言えます。つまり人は他人に優越することで「自尊心」さらには「愛」を得ようとする姿勢によってその感情に振り回されることになるのですが、それは「自らを尊敬できる」という真の自尊心を得るものでも、そして「喜び楽しみの共有」という真の愛を得るものでもない、「自尊心と愛の蜃気楼」を追う姿勢である上に、まさにその姿勢によって、優劣のテーマ、たとえば学業、スポーツ、仕事、美貌といった目標課題への純粋で真剣な探究心向上心をなかなか持てず、結果優越に向かうこともできず、やがて「激しい劣等感」へという蟻地獄の底に落ちていくのが必至、という心理メカニズムがあります。
「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」へと目を向けることで、「劣等感」も「優越感」も次第に色を薄め、やがて人生を彩る絵の具パレットから、完全に姿を消すでしょう。
========


ということで、

>つまり人にばかにされないようにしようとする動機のみで能力を高めることに疑問を感じました。やる気にもならないし、全てをやっている時間もない

となるのが必至の心理メカニズムの感情だということですね。
ですので、

>ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面になりたいというか、何かをできないことに劣等感を感じる内面そのものと解きほぐしを行いたいです。

については、

1)基本的学び
「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」といったものの理解。ハイブリッド心理学からはどう言っており、自分では本心においてどう考えるか。
今回の話の文脈としては、まずは「真の自尊心」というテーマが重要ですね。ハイブリッド心理学からは、自分を外面からの断片的な評価の合計として見るのではなく、前に進む一つの存在として尊重すること、そして最終的には、自分が自らを幸福にする能力があると感じられることにおいて獲得するものだ、という考えになります。詳しくは『理論編上巻』あたりで、あと話が散在していますが(まあそれだけ影響範囲の大きなテーマということですね^^)辞典の価値観項目、『実践編上巻』でも扱っていますので^^。

そしてそれを足場に、まずは
2)外面的前進
「真の探究心向上心」を感じられるものに向かう。
という取り組みが必要になると思います。
つまり、心理メカニズムを理解したとして、それで内面に向き合うことで綺麗さっぱりな心へ・・というのはちょっと絵に描いた餅であり、順番的に、外面行動として自分を何か変えるというのがないと、より深い内面向き合いにも進めないと思います。

「料理」がテーマであれば、上記の心理理解を踏まえ、まず料理がうまいとはどういうことか、それに対し自分はどうか、そしてそもそも自分は料理がうまくなることに、本当に情熱を持っているのか。
料理がうまいとは、たとえば僕は『鉄腕DASH』が好きで見ているのですが、先日もやった「グルメ厄介」コーナーに出てくる料理人などが真の「料理がうまい」の例だと思います。初めての食材を前に、そのクセを見抜き、臭みを消し食感を良くする方法を豊富な懐から探し出し、最後に豊富なバリエーションの料理に仕上げる。
これにはどれだけの勉強と実地の修行が必要か、と思います。それを考えれば、料理が下手だと馬鹿にされることの全てが、実はヒントの宝の山かも知れない。もし本当に料理がうまくなりたいのであれば、ですね。
そうではなく、実はもともとそんな情熱などないのだ、そもそも自分自身料理の細かい味の違いは分からないし興味もないのだ・・なんて話であれば、問題は「仕事の選び方」の方になってきますね^^;

そうして心理メカニズムについて学び、自分自身の理解納得を問い、外面行動での前進の仕方を考える中で、
3)精緻な内面向き合い
を試みてみるのが有用になると思います。
まあ内面向き合い以前の、外面問題そのものの見方見直しから含めてですね。
そもそも「料理ができないと馬鹿にされた」というのが、どんなことが起きたということか。その仕事場で必要不可欠な能力を自分が欠いたという、実は全面的に自分の問題なのか。それとも、多少の不足があったとして、法外に強い否定をされたという、パワハラ的問題か。それとも、そのどちらにも及ばないような軽い問題としてちょっとからかわれた程度のものを、自分が過度に敏感に受け取ったということか。
その最初のものに該当しそうであれば、とにもかくにも「馬鹿にされる」のが問題ではなく自分の向上前進が課題であり、2つ目に該当しそうであれば、ちょっと問題はかなり違ってきて結構高度な行動学的対処の話になります。3つ目に該当しそうであった場合に、問題は自分の過敏さなのだとはっきり自覚したならば、

>料理に関しては、居酒屋で働いていた時にたくさん怒られた経験

というものの中で、そこで自分がどのように嫌な気分や苦しみを味わったかをしみじみと追体験することが、理由が分からないまま起きる「馬鹿にされる恐怖」の反応のようなものを解消させる、精緻な内面向き合いになるかも知れません。
あくまで、自分がもはや馬鹿にされることを恐れる必要などない存在だという、かなり確固とした自信を獲得した上での話としてですね。

そのためには・・、と話を最初に戻しますと、辞典でまとめたように、「真の自尊心」「真の愛」「真の探究心向上心」へと目を向けることにまず取り組む。そしてそこに向かうためには、「行動学」や「仕事のスキル」といった、結局は辞典にまとめているような項目全体への取り組みが足場になります。
つまりやはり、「成長」への取り組み全体に向かうわけですね。
そしてそこにおいて前進すれば、そもそも人から馬鹿にされるような場面自体、まずはなくなると思うのですが^^。

ということで、結論的には、自分が向かうべき目標からして、「ばかにしてくる人がいたとしても、気にしないような内面」というようなものではなく、「成長の全体」に置き直して向かうと良い、という話になりますね。
「何かをできないことに劣等感を感じる内面」など解消したい、という目標はいいでしょう。そしてその方法とは、やはり「成長の全体」です。

ということで、どんな悪感情についても、その克服は結局、「悪感情の種類別の克服対処の指針」の基本説明で言っているのがちょっと難解かもですが、「成長」の全体に向かうのが答えになりますね^^。




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