しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


新規トピック入力フォームへ 記事検索 過去ログ記事サイトトップの検索の方でヒットします^^) 

現実場面での相談 / taka 引用
No.1145 2015/11/11(Wed) 22:36:18

島野さん、こんばんは。
今を原点に成長思考で行こうと決意しましたが、なかなか心が不安定で特に朝は絶望的な気持ちになります。
今日は現実生活で心理的に困ってるいくつかの場面を相談させて下さい。

今まで自己イメージを作り上げて接客していたため、それがないありのままの自分だとどうお客さんと接していいかわからなくなりました。
やはり接客でも自分を演じないほうがいいのでしょうか?
笑顔は必要だと思いますが、素の自分だと笑顔が出ません。
今までは心の中で「ついてるついてる」や「生きとし生けるものが幸せでありますように」といったセリフを呟いていましたがこれも感情を強制することになるんでしょうか?

お店のディスプレーを頼まれてマネキンに服を着せたりするんですが、自信がなく
作った後に自分で見るとなにか納得できず不細工な印象を受けます。
そして他のスタッフに変だと思われてるんじゃないか、他の人がやった方がいいんじゃないかといった気持ちになります。
もともとファッションに対する強い憧れがあるんですが、同時にそういう華やかさに対する恐怖心もあって服屋さんに入るのにずっと恐怖心がありました。
自分が服屋さんで働き始めてからは、だいぶ和らいだんですが
自分のセンスに自信がなく、今はもう何がオシャレなのか
お客さんが何を求めてるのかわからなくなりました。
お客さんとの会話も自信が持てないため恐怖心がでて声をかけるのに躊躇しています。

お店にたまに上層部の方が来られるのですが、その人達とうまくコミニケーションがとれません。
すごく恐怖心を感じ避けてしまいます。
その時感じるのは自分の経歴や年齢にたいする負い目です。

他のスタッフが談笑しているとき、昔はそれに愛想笑いをしていたのですが、
本心は全然楽しいと思えず、そういう場合は無理に笑う必要はないのでしょうか?
それだと場が白ける気がします。

やはり自分の経歴や年齢にたいする負い目が強いです。
もう自分は社会的に死んでるんじゃないかと。

自分は本当はファッションの華やかさや人との触れ合いが好きです。
自分は小さいときから家で疎外感を感じていて、その拗ねた気持ちがネックになって
人と素直に交流できないんだと思います。

そういう面からも、今の仕事はある意味で自分の希望する職場なのかもしれません。
ここで店長を目指して、他の人と堂々と渡り合って、同僚にも信頼され
センスも良くてお客様にも頼りにされる、そんな自分になれたらと思います。

しかしアルバイトから社員を目指すのはハードルも高くかなり成績が良くないといけません。
その試験も半年に一回でありもう集計期間も始まっているため、こんな精神状態ではだめです。


こういう悩みを解決するにはやはりコーディネートや生地の性質などをコツコツ勉強して
一歩一歩向上しているという前進感でしょうか?

アドバイスがあればよろしくお願い致します。


 
「高い自己イメージ」を追うことなく外面問題に最善を尽くす^^ / しまの 引用
No.1148 2015/11/13(Fri) 16:06:12

以下質問とも合わせてのコメントとしましょう^^。
『接客におけるプラスαの生み出し方について』 takaさん No.1142 2015/11/08

なお削除頂いたトピックにあった『「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ^^ 』コメント記事は、
『劣等感の解消』 takaさん No.1120 2015/10/03
トピック収録する形で載せておきます^^。

で、こちらを取り急ぎ手短に。
大分混乱しておられるようですが、「感情と行動の分離」の姿勢原則から言えるのは、
・外面問題については、できる最善のことをすればいい。そこで内面感情がどう良くなるかは問わない
ということです。

ですので、

>やはり接客でも自分を演じないほうがいいのでしょうか?

は、思いっきり演じればいいと思いますヨ^^。『接客』とはそうした仕事だと思います。
そこに、

>自分は本当はファッションの華やかさや人との触れ合いが好きです。
>そういう面からも、今の仕事はある意味で自分の希望する職場なのかもしれません。ここで店長を目指して、他の人と堂々と渡り合って、同僚にも信頼されセンスも良くてお客様にも頼りにされる、そんな自分になれたらと思います。

との気持ち込めればなお良し。その気持ち大いに結構じゃないですか^^。

そのように、外面においては、そこにある問題課題ごとに、最善のことをすることです。それが何かは、おそらくはお分かりになっているのでは。
内面感情多少の揺れただ流して、それをすればいいのです。

内面まで完成された自分を、すぐに求めないことです。
それが高い自己イメージばかり追わない、ということです。お分かりですかな^^。



劣等感の解消 / taka 引用
No.1120 2015/10/03(Sat) 11:43:11

すいません。特定されると怖いので削除させて下さい。

すいません、自己イメージについてのトピックを削除したら、島野さんの記述も消えてしまいました。
せっかく書いて頂いたのに申し訳ありません。
みなさんの参考になる話だと思いますし、私自身また見返したいので
もし可能なら島野さんの記述だけでも復活させて頂きたいです。
申し訳ありません。


 
「劣等感の克服」へのハイブリッド心理学の「取り組み実践」^^ / しまの 引用
No.1122 2015/10/06(Tue) 16:53:29

「劣等感」の克服

まず、「劣等感」克服は、ハイブリッド心理学からは一言で、

・生涯にわたる成長の総合的結果として、解消されていく。
言えるかと思います。
それが、

>なんとかこの劣等感を解消したいのですが、島野さんのアドバイスを頂けると幸いです。

への、まずは基本指針になるでしょうし、「この劣等感が足を引っ張ります」について言えば、それは足を引っ張るものというより、今立っている場所の話考える方が正解ではないか、ということになると思います。それを受け入れ、原点として、前に進むしかない、と。

つまりよくやる喩え表現というので言うならば、そうした「劣等感」というのは、足にクサリでつながれた重りというよりも、寒風吹きすさぶ北の氷雪地帯にいるという場所だと言えるかと。
その寒風足を引っ張ると言って、それをクサリの先の重りを断ち切るように解消する方法というのはまずなくあるのはただ一つ地道にそこから南国の楽園まで、自分の足で地道に前進していくことだ、と。
すると重要なのは、寒風に耐え、氷雪の地を前進できるような技術と能力だということですね。それなしに、温暖な地の快適な平野前進するのと同じ様子で、前進しようとしても無理、と。


「劣等感」とは

喩えるならそんな話ということで、心理学説明をしますと、

・「劣等感」とは、「自己否定感情がまとわりついた自分と他人との比較意識」
などと定義できるかと。

すると心理学的に、心の健康と幸福にとって問題なのはあくまで「自己否定感情」であって、「比較意識」必ずしも問題なのではない、というになります。
自分他人比較してみることが役に立つテーマや場面あるのであれば、比較するのも大いに結構。たとえば各種技術習得のため、うまくできている人から学ぶとか、あるいは人権が守られてない地域の人の姿を見て、自分がいかに恵まれているかを感じ取ったり、自分が何に貢献できるかを考えるきっかけにするとか。

ですので、「劣等感」へのアドバイスと言うと、得てして「自分と他人を比較するのは無駄。人は人自分は自分」といった言葉出てくるかと思いますが、ハイブリッド心理学からは、そうした言葉は出ないです。
そうではなく、自分と他人を比較することも時に役に立てながら、いかに「成長」の全体に向かうかを自分の課題と考える、というのを、基本アドバイスにします。

それによって、当然、比較意識の解消、が目標なのではなく、自己否定感情解消目標になるわけですね。
「自己否定感情の解消」とはどういうことかとハイブリッド心理学位置づけるのかと言うと、もうこれは成長の歩みの全体だということになるわけです。


ハイブリッド心理学の「取り組み実践」へ

まずはそれを総論として、実際何をどうすればいいかアドバイスとしては、

・そのようなものとしてハイブリッド心理学の「取り組み実践」に入ることを検討なされてはいかがかと^^
というになります。

その一言に尽きます、というかその一言しか言えません・・というのではあまりにも不親切かと思いますが(^^;)、実際、「取り組み実践」に入ってみて何をどう感じたかという情報が出てきて、より具体的アドバイス言えるかと思います。
まそれだけ、ハイブリッド心理学独自の心理学の世界展開しており、はあくまでハイブリッド心理学取り組む上でのご質問ご相談へのアドバイスだけができる立場です。

・・で話を終えてまさに不親切ですので(^^;)、少し見通し持つようなをしますと、ハイブリッド心理学取り組み実践に入るとはどうすることかと言うと、

・自身の悩み問題の克服と成長のための、手がかり足がかり視点を増やす
ということから始める、ということになるかと。
具体的には、サイト冒頭
『ハイブリッド人生心理学とは』では
実践の学び
での
3.行動学
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
5.各種悪感情への対処の理解

といったもの。
ごく簡略な説明『メール相談事例集』
はじめに・「取り組み実践」とメール相談 - 「取り組み実践」とは - 「学び」
などにありますので参照頂ければ^^。

それで言うなら例えば

>自分の過去について堂々と説明できないのです。結果的に人と深い関係を築けず、友達も恋人もいない状態です。
というのは、人との関係を築くということを、「愛」へのどのような価値観行動法持っている上での話なのか、そしてそこで起きる感情動揺悪感情詳しい内容と、その克服についての考え方どう持つか、
といった視点検討していきます。
そこにおいて、過去の話は、基本的に不要です。今、どのような価値観と行動法、そして自己理解を持つか、に取り組みます。


寒風の中を前進する技術

そうした視点持つことで、上述の、寒風に耐え、氷雪の地を前進できるような技術というもの、そしてそれを自分どうできるか能力といったものが、検討できるようになるわけです。
例えば引き続き、

>自分の過去について堂々と説明できない
について言えば、「愛」
=====
「愛」「分かり合い認め合う」ではなく、純粋「喜びと楽しみの共有」として目指す価値観

=====
立つならば、人との関係構築において、必ずしも自分の過去の説明など必要ありません。もっと重要なことがある。もちろん過去に触れることもあるでしょうが、何を重要と考えるかによって、話の仕方工夫できるでしょう。

そういったさまざまな検討を通して、

>もちろん私のような状況では厳しい道だとは思いますが、その職業を通して自分のアイデンティティを確立したいのです。そんなときこの劣等感が足を引っ張ります。

も、「引っ張られる」ものなどではない、という視野開けて来るかもしれない。
そうした「取り組み実践」を通して、「成長」が生まれ、その総合的結果として、「劣等感」などは根底からなくなっていく。これが見通しとして言える流れです。


そんなものとして、ハイブリッド心理学「取り組み実践」に入るのを検討なされては、という提案が、アドバイスになりますね^^。
その先は、カウンセリングやセミナーなど設けているわけではなく「自己取り組み」として進めて頂くという不親切なものになりますが(^^;)(その分全部タダ^^;)自己取り組みされる方手早く情報を探せるよう、『ハイブリッド心理学辞典』整備開始したところです。

まずはこんな話で^^。細かい質問等あればまたここで書いて頂ければアドバイス返します^^。


 
Re: 劣等感の解消 / taka 引用
No.1124 2015/10/07(Wed) 11:43:45

島野さん、こんにちは。

大変わかりやすい、親切な返答をありがとうございます。
さっそくハイブリッド心理学の「取り組み実践」に入っていこうと考えています。
ハイブリッド心理学のHPや島野さんの著作を少しずつ読み進めています。


島野さんが提案してくださった実践の学びの
3.行動学
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
5.各種悪感情への対処の理解
を取り組んでいこうと思います。

特に私は社会人経験が乏しく、3の「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」という3種類の行動法、および「仕事の普遍的スキル」などは早急に取り組まなければと考えています。
実は今職場で窮地に立たされており、その面においても切実に必要性を感じています。

また島野さんが指摘してくださった愛に関する価値観についても、私自身納得するところがあり、たまにですが人との関係の中で喜びと楽しみの共有を感じることがあります。
その時は楽しく幸せであり、爽やかな気分を味わうことができました。
しかし愛とは「分かり合い認め合う」という価値観がもともと私が持ってきた価値観であり、今もその傾向は強いです。
その比重を逆転させ、喜びと楽しみの共有という価値観を強めていくことが、今の課題だと感じました。

ところで具体的な実践方法についての質問なんですが、行動学や愛と自尊心のための価値観と行動法を学ぶ方法として、読書を勧められていると思うのですが、それは基本的に自分で関心のある本を選んで読み進めていくという方法でしょうか?
もしくは、ハイブリッド心理学での推薦図書があったり、あるいは島野さん自身が行動学を直接ご教授されていたりするのでしょうか?
まだHPの内容を全部確認したわけではありませんが、今のところそういった記述は見つけられませんでした。

HPの内容を全部確認してから質問するのが、筋だとおもいますが、何分今切羽詰まった状況でして、できれば推薦図書などを示していただけると非常に助かります。

よろしくお願いいたします。


 
行動学の入り口情報など^^ / しまの 引用
No.1125 2015/10/08(Thu) 15:05:55

>HPの内容を全部確認してから質問するのが、筋だとおもいますが、

いえいえ、現在膨大なページの中に散在しているになっていますので、全部確認するなんてのは大変すぎ。で『辞典』による整理自らの急務としている次第です。

まずはざっと以下あたりを読んで頂くと良いかと。この掲示板でよく出しているリンクです。
ブログ記事
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)

より本格的に学ぶための「ハイブリッド心理学指定の必読書」。まこれはじっくり読書向け。
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

あと『事例集』事例No.001、No.002ぜひ読んでみて下さい。


そんなところで、ざっと雰囲気つかめてくると思います。

あとは場面状況など差し障りない範囲具体的に書いて頂ければ、それに応じ具体的なアドバイスここで返していきます。まそれが僕からの直接指導になりますね^^。
適宜新規トピックで入れて頂ければ^^。


 
Re: 劣等感の解消 / taka 引用
No.1129 2015/10/17(Sat) 12:48:14

島野さん、こんにちは。

さっそくハーバード流交渉術を買いました。
島野さんのHPと一緒に読み進めています。
どうもありがとうございました。
また具体的な場面でのアドバイスが欲しいときは
質問させていただくと思いますが、その時はよろしくお願いいたします。


 
Re: 劣等感の解消 / しまの 引用
No.1146 2015/11/12(Thu) 18:33:20

僕のコメント一緒に削除されていますが、とりあえず原稿チェックのプリント残ってますので、OCRで復活させて次のコメント時に挟み込むなど考えておきますので^^。


 
「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ^^ / しまの 引用
No.1147 2015/11/13(Fri) 15:43:41

(親トピック削除のためコメント記事のみここに収録しています^^)

これはじっくりアドバイスを^^。


「自己イメージ法」の役割と罠

これはまず、

>コーチングなどでは理想の高い自己イメージを持つことを推奨しています。

という、「理想の高い自己イメージを持つ」ことの役割意義理解から話を始めるのが良いかと。

一言で、「自己イメージ法」とも呼べるであろう、自分を高めるための方法、というになりますね。
定義としては、「高い自己イメージを持つことによって、気持ちを持ち上げ、目標への動機づけにする」というものだと言えると思います。

これについて僕の意見簡潔に述べるならば、まず墓本的にはそれは人生で役に立つものだと思います。まずは「こんな自分になりたい」という高い自己目標像描くことから、成長への歩み始まるそれはいいと思います。
ただしそこから、大きく2つもしくはが、待ち受けている、と。


罠その1・「内実」が伴わなければ「張りぼて」

1つ目分かりやすい話だと思います。
「高い自己イメージ」として抱くものとは、基本的「人の目にこう見られる自分」という外面体裁です。
ですので、そこに「内側内面の充実」である「内実」伴わないと、そこにあるの「はりぼて」といものになる、というものです。
正真正銘の張りぼてというのは、たとえば北京五輪の時、近くのみすぼらしい貧民街を高級そうなビルの絵を描いたつい立てでおおったものなど。
職業においては、正真正銘の張りぼてだとその職業が続けられないことになるものであり(ニセ医者など)、一応はまっとうな資格として就いている職業それなりの内実があるからだという話になりますが、それでも起きてくる可能性があるのは、その職業の意義を高めるような心こもっていないこもっていない、と評されるような姿です。
これが典型的で最悪なものは、警官が起こす事件とか、消防士が起こす放火など。
そうなるとそれはもう「精神的な張りぼて」姿だと言えるものになるでしょう。
ご質問の状況も、そうした「精神的張リぼて」が、まあそうした外面的悪質性なしに、ごく内面において起きているものと言えるかも知れませんね。外面体裁のレベル魅力を感じ、目標にしようとしたものの、それを自分がやる意義とやリがいを、心底からは感じられていない、というもの。


罠その2・「高い自己イメージ」は実は「低い内実」の表現

もう一つは、多少難しい心理メカニズムになってきます。
「高い自己イメージ」実は「低い内実」表現だ、というものです。
これは分かりやすい例として、「自転車に乗れる自分」という自己イメージとして、未出版(そのうち無料電子書籍化予定^^)ですが
『理論編上巻』
7章 「自尊心」の混乱と喪失−2  −なぜ自信が定着しないのか−

「自信」と似て非なる「高い自己評価(プライド)」感情
などで説明しています,
我々まだ自転車をうまく乗リこなせていない段階で、「うまく自転車に乗れる自分」という「高い自己イメージ」描きます。それを目標とし、また自分はそんなはずだ、と自分を鼓舞することが役立ち、またそれが必要にもなります。しかし本当に乗りこなせるようになった時、それはもういらない、と。
一般的に言って、高い技能ほど、高い習熟向かうごとに、向上導くのは「自己イメージ」なんて薄っぺらい(^^;)ものではなくなってきます。内側細かい技術なり精神性なりになってくる。

冒頭に書いたように、「高い自己イメージ」役に立つのは、「目標への動機づけ」というあくまで最初の最初であって、 そこからスタートしたらなら、視点変えなければならないわけです。
一般的に言って、そこから「専門性」出てきます。内側細かい技術なり精神性なりについての。「高い自己イメージ」言っている範囲では、そうした専門性いらない
そんな状況で、「高い自己イメージ」推奨しているだけコーチングとは、それこそ内実のあまりない、張りぼてのコー チングです(失敬^^;)。まあその安直さ人受けしてセミナーにすれば売れるんでしょうけどね^^;


「高い自己イメージ」が裏に生み出す自己嫌悪

さらに一歩踏み込んで考えるならば、技能などのレベルが高い人ほど、「高い自己イメージ」よりも、「いたらない自己イ メージ」より積極的に持つようにするのでは、とも思えます。
それが「謙虚」という美徳です。それこそ自分を本当に高め、自分に利益をもたらすものであることを、高いレベル向かう人ほど、感じているのでは、と。

そしてしきりと描こうとする「高い自己イメージ」というのは、得てして北京五輪で言ったように、臭いものに盖をするための強烈な香水であったりします。
そしてがそれに駆られる、という病んだ心理メカニズム起きてくるわけです。意識の表面では燦然と輝く自己像描かれ無意識追いやられた、「みすぼらしい自己像」心の底くすぶります。この心の膿深刻であるほど、意識の表面燦然とした自己イメージ空想に駆られる度合い病的に強くなってきます。
見逃せないのは、ここで「エセで傲慢な自分」という自己嫌悪感情が、無意識用意され、そして膨張していくことです。そしてそれから逃れるために、「高い自己イメージ」不自然高潔な精神的精練性を帯びたものへと練り上げ られていくかも知れません。そして薄氷「燦然とした自己像」と、「みすぼらしくエセで傲慢な自己像」錯綜し渦を巻く。
・・と少し病的心理メカニズムまで話を膨らませましたが、こうした心理過程心の底固着してきて、「神経症的人格」出来上がる次第です。

まそこまで錯綜した心理となるとここではもうど一でもいいとして(というより結構関心度の高い話?^^;)、こうした薄氷「高い自己イメージ」脆くも崩れ「みすぼらしくエセで傲慢な自分」という自己イメージへと雪崩を打って一気に切り替わっていく様子が、『悲しみの彼方への旅』などにも出てきます。P.146からの3ページにて。

ですので、

>人にどう思われるかあまり気にならなくなりました。

もともとそう深刻な話ではないとして、それだけ心の健康度が増してきたということかと思います^^。


「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ

ということで、

>自己イメージを意議的に高<持つという事について島野さんはどう思われますか?

については、一言で、それはあくまで「目標への動機づけ」としてはok
ただし実際何か目標向かうにおいては、さらにはその目標そのもの自分にとっての価値の妥当性再検討するにおいても、「高い自己イメージ」なんてものではなく、別の視点へと移る必要がある、ということになります。
そうした別の視点なしに、意識的に自己イメージをただ高く持とうとするというのは、あまり役に立つものではなく、があるというか、それ自体未熟病み症状のようなものだ、と。

ではその別の視点とはどんなものかというと、それがまさにハイブリッド心理学取り組み実践全てだということになリますが、ポイントまとめておきましょう。

まずスローガンとしてはこう言えます。
「自己イメ ージ法」はるかに超える成長へ、と。つまりそれは、
自己イメージを高めるのではなく、自己の現実を、そして自己の真実を、高めることです。

そうして「自己の真実を高める」ための実践とは、「感情と行動の分離」姿勢で始めるハイブリッド心理学取り組み実践です。
「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」というものです。


自己イメージは「ただ流す」内面感情側の扱い

まずポイントは、そこにおいて「自己イメージ」は、「ただ流し理解する」という、内面感情一つとして扱う、というものになります。
ですので、「意識的に高く持つ」というよりも、まずは湧くがままに湧かせ、自分がどんな自己イメージを持つのかを、まずは把握することです。高い自己イメージも、「唾棄された自己イメージ」呼べるものも。
そしてそれを鵜呑みにすることなく、自己の現実、自己の真実の全体を高めるための方向を見極めてい<


「価値」と「望み」を見極めていく

すると見極めていくものが、外面および内面双方出てきます。

一言で、外面においては「価値」を、内面においては「望み」を、見極めていく、と。

まず外面における「価値」として、
たとえば税理士一つの目標になるのであれば、それがどう華やかな職業かというイメージどうこう描けるかではなく (それは一応内面感情として流すとして)、税理士が企業や社会にどんな「価値」を生み出すか、といった命題に、「価値言葉」答えられるようになるというのが一つ目安になるでしよう。
税理士目指すことが、自分にとってどんな価値があるかを自分に問える状態になるための、目安としてです。
こうした「価値言葉」での思考については、
『入門編下巻』P.212-213で書いていますので一読頂ければ。

あとそれと重なる視点として、「匿名性において生み出す」という姿勢視点知るといいでしよう。誰ともつかない者が行う、価値あること。それを自分は行うという姿勢です。
これについては、
『理論編下巻』
7章 人生の答え−2  −「魂の望み」への歩み−

「匿名性において生み出す」・「揺らぎない自尊心」への第一歩
解説しています。

重要なのは、こうして「価値を生み出す」という姿勢こそが、来歴において華やかな知人達の世界に入れなかったというような挫折感情を、真に克服するになるということです。
それは決して、「見返せるだけの華やかな職業」なんてイメージをどう追ったところで、克服できない、と。その先にあるのは、空虚孤独だ、と。これは内面「望み」視点として、 下でまた書きますので^^。
これは上記入門編下巻続き、P.214で次のように書いている通りです。
=====
 これは特に、来歴において自らの「存在の善悪と身分」を負ったような挫析感情がある場合に、その克服のために決定的に重要になります。
 この姿勢は必ず、人からの信頼を得ることができます。それがやがて、心の傷凌駕するのです。
=====

と。


「望み」への向き合いと「人生の道理」への目

そうして、外面においては「価値」向き合う一方で、内面においては、「望み」に、深く向き合うことです。

「高い自己イメージ」であれば、それによって、自分は何が得られるものとして、望んでいるのか
そしてそれが、「現実」において起き得るものなのかを、しっかりと見据えることです。「現実」というのは、しばしばイメ ージの華やかさとは裏腹な面を、我々突きつけるものです。それをしっかりと見据え自分が何を望んでいるのか、そして何が自分に真の幸福をもたらすのか、自分は何を本当に望んでいるのかに、向き合い続けることです。

その向き合い歩みで、人生の道理を見る目を、いかに築いていくかが、問われることになリます。
薄っぺらいものに心を奪われていれば、その薄っぺらいものに、やがて滅ぼされます。深いものに心を向けることができた時、やがてその深いものによって支えられるのです。
いくら他人に浅く広くちやほやされたところで、やがては空しさ孤独訪れるのは、著名人の自殺に示されます。 やはり愛する家族を持つことが、幸福一つの道標にはなるでしよう。しかし外面体裁を材料に、いわば力づくで結婚 したところで、得られるのはもう似て非なるものになる可能性が高い。等々。
こうしてどこまで人生の道理見極めることができるかは、もうその人次第ですね。しかしそれが、結局、その人「これが自分の人生だ!」言えるものつかむための、足場になるわけですね。


そうした向き合い歩みの道があるというのが、アドバイスになりますね。
この向き合いによって何を見出すかは、一度に全ての答えが出ることは、ありません向き合いで、次第違うも のが見えるようになっていきます。そして最後には、歩み最初からは予想だにつかない、最終的な答え訪れるそんなものです。10年20年、さらにはそれをはるかに超えた人生の歳月を通して、です。
ぜひじっくり検討してみて頂ければ^^。



批判的思考を含めたカルチャーの趣味への望み、それに向かう事が嘘をついた自分になってしまう事 / こたろう 引用
No.1132 2015/10/31(Sat) 17:25:20

話が拡散してしまったので、具体的に困っている問題テーマを
まずは軸にします。


具体的に困っている問題テーマとしては、
「批判的思考を含めたやりとりが、和気あいあいとしたコミュニケーションとして自然に存在する傾向のある人が多い趣味の「行為の内容」に魅力を感じるが、そこにいる人たちの自然なコミュニケーションに馴染もうとすると、自分を偽らざるを得ない(批判的思考を元にした言葉ややりとりを発する事が自然なので、そうしてしまう)場合、その趣味とはどう向き合うべきか」
です。


状況は、とりあえず趣味となるスポーツや音楽の集まりとします。

まず、自分の望みの一つとして感じるのが、その「批判的思考を含めたやりとりが多い人が多い傾向がある趣味」なのです。この言葉には色々な意味がありますが(本気でそれに取り組んでいない、という意味にとられる事があるが、ここでは違うという事)、「チャラい」と称される傾向がある趣味という事です。
それが僕の場合はサーフィンや、ストリートダンスになります。
サーフィンの場合は少し違って、自然志向が強いグループでは、やりとりも「登山が好きな人」一般のやりとりに近くなる気がしますが、ハデなトリック(技)を・・・といった色合いが強くなると、エクストリーム系スポーツ(スケボー、BMX、スノーボードなど)の雰囲気が強くなり、グループ内での会話のやりとりも、いわゆる「チャラい」雰囲気のもの、批判的思考を含めた和気あいあいとしたやりとりが自然であり、それがカルチャーであるという雰囲気になるわけです。

ストリートダンスも同じように、やはりお堅いオジサンには「チャラい」と称される傾向があり、上記のエクストリームスポーツに近いカルチャーがあります。そもそものルーツが、ケンカの代わりにダンスで勝負をする、という所から始まっていたり、ヒップホップという音楽はなじりあいや罵り合いを昇華したような部分もあります。握手からのグーパンチ、のような挨拶の交わし方や、下品さも含めて「カッコイイ」というカルチャーになるわけです。

必然的に、かわされる冗談も下品なものが多い傾向があったり、なじりあいや、からかいあう事が、和気藹々としたコミュニケーションとして一般的になるわけです。


僕の場合は、こういうカルチャーには馴染めないのですが、サーフィンでいえば行為そのものや、ダンスでいえばそのカルチャーに含まれる音楽と、それに合わせて踊るという行為は望みとしてあるのです。


それで、一応ざっくりと反対に位置するとしてしまえば、先のレスでも触れたような「穏やかな楽しみの共有」の傾向がある趣味の場合は、
比較すればはるかになじめるというか、自分が浮いているという感覚を感じずに済むのです。
それが、ハイキングや裁縫やガーデニングや料理など、になるのかなと思います。
これは自分の幼少期の、ままごとや人形遊びやお絵かきが好きだった、「穏やかにみんな仲良くしようよ」みたいな繊細で、少し気弱な少年の自己像に
よく馴染みます。そういう場にいると、心の底にいるこの少年の自己像を封印せずに、ある程度今の表層意識の自分が、年齢相応の社会性を添付して表現できる、という感覚が強いのです。

冗談などもあまり下品なものはなく、穏やかな方が多い。比較的仲がよくなっても、
なじりあいや、からかいあうなどのやりとりは少ないと思います。



やはりこの両方の環境で交わされるやりとりや、言葉の調子などは、
結構違うものだというのが実感です。「その趣味自体の話をする」その楽しみの共有をする、という意味では
共通していますが、そのやりとりの調子、冗談の傾向、関わり方の雰囲気などはやはり違うと思います。



そして僕は、「チャラい」カルチャーに馴染むために自分を偽らなければいけない事を感じたことから、「穏やかな趣味」に退却したように思うのです。実際には穏やかな趣味にもある程度の魅力は感じるものの、気持ちがより動くのは上であげたようなサーフィンやストリートダンスといったジャンルじゃないかな、と思っています。


島野さんの話でいうと、確かトランスが好きだったとおっしゃってたと思いますが、
同じようにトランスが好きな人の仲間内に入れば、それは「登山好き」「写真好き」の集団とはかなり
違う傾向があり、両方で同じような自分でいるのは難しいんじゃないかな?と思ったりします。そこをどのようにして処理したのかなぁ、と思った次第です。


そのほかに、学生時代の話だったと思いますが、男勝りな性格の女子生徒に対して、合わせるような事をしていたが、気疲れしてそれもやめた・・・といったシーンがあったかと思います。まさに僕も同じで、もともとやっていたダンスという趣味が、そういった外交的で、語弊があるかとは思いますが、ぶしつけで荒く、下品であるような人も多くいる趣味だったので、入って行けずに、その世界のはじっこで一人でやっているような感覚でいました。


 
「趣味交友行動」も成長の中で模索する^^ / しまの 引用
No.1143 2015/11/08(Sun) 11:38:01

>そして僕は、「チャラい」カルチャーに馴染むために自分を偽らなければいけない事を感じたことから、「穏やかな趣味」に退却したように思うのです。実際には穏やかな趣味にもある程度の魅力は感じるものの、気持ちがより動くのは上であげたようなサーフィンやストリートダンスといったジャンルじゃないかな、と思っています。

これは一言で、「性格的な気後れで入れない趣味サークル」といったものになるかと。
アドバイスとしては、のような指針になりますね。
成長の歩みと、広い視野の中で、自分なりの趣味交友のあり方を模索していくのがいい。豊かさへの前進は、固定的な答えではなく、模索そのものが生み出す。
と。

触れていただいた僕の話にしながら、ポイントまとめますと、


1.成長の歩み ・・・ 固定的な自己像を力づくで演じる姿勢から、自分のありのままの内面感情に向き合い、真の自己における成長に向かう姿勢へ。

>学生時代の話だったと思いますが、男勝りな性格の女子生徒に対して、合わせるような事をしていたが、気疲れしてそれもやめた・・・といったシーンがあったかと思います。
「5章 解かれたパズル - 来歴の遡りの始まり」中(P.74)ですね^^。ちょっと長くなりますが引用しますと、
=====
 僕の中には、自分の容貌によって女の子に注目させようとする衝動があった。それでいながら、僕は〃恋愛のことしか頭にない″彼女達に軽蔑を向けていた。
 そうなった根底には、自分が女の子と自然に親しくできないことへの挫折感と屈辱感があったように思える。僕は中学の時、心の中では恋愛至上主義のような感情を抱きながら、外では女の子にぎこちない態度しか取れない自分をじれつたく感じた。男の子のような活発な女子に対して、きさくで親しみやすい自分を演じようとしたこともあった。だが何となく気後れから、自らその「試み」から「退却」した。以後その女子からは自分が「変な男」という感じで見られるという感覚を僕は持った。
 僕は、自分自身が理想的な姿になれなかったから、その原因を他人の中に求めた。僕は自分の不満感を、回りには愛するに値する人間が少なすぎるからだと自分に説明した‥。
=====


まあそれは偽りの自己像を演じようとして失敗した「小さな挫折」ではあったでしょうが、真の自己における成長への転換点にもなるというものですね。その転換点に立った大学4年の僕が、中学時代のその「小さな挫折」思い返すというシーンです。
この後は、当時は教えられなかったけど自然と、というか宿命的(?)に、「感情と行動の分離」歩みへと向かうわけですね。まずは内面開放で、置き去りされていた絶望開放されてしまったわけですが、何とか健康な心へと^^。


2.広い視野 ・・・ 多種多様人の交友あり方

これはずばり一言で言って、おおよそティーンまで仲間内自然発生的サークルの世界では、特定の性格傾向のカルチャーそこに成立し、後からそこに入ろうとするのは、よほど性格傾向が合わないと難しいというのが、実際に出てくると思います。

しかし、「社会人サークル」になると、もう違います「俺たち仲間だゼィ乗っていこうぜ」でも、「皆でぜひ仲良くし合いましょう」でもなく、それぞれが参加できる時に、参加できる範囲で、参加すればいいものもたくさん出てきます。性格傾向多様な人々から成る集団サーフィンストリートダンスにも、そういう社会人サークル少なからずあるのではと。
そうなると必要なのは、人に迷惑をかけず、そして基本的な人との親しみ行動が持てることです。
ですので、いろいろ書いて頂いた、性格カルチャーのような問題は、なくなってきます。


3.自分なりの交友行動の模索

2つからまず言えるアドバイスとは、こういうことです。
社会人以前と以降とでは、世界が全く違います。社会人以前の世界の固定イメージを脱し、まず社会人としての自信の全体に向かい、それを足場に、自分なりの交友行動のあり方を模索していくののがいいでしょう
と。

交友行動法は、いつも言っている通りです。より純粋な「楽しみ喜びの共有」として目指すことです。嘘のない自分としてです。
それができない場では、孤独受け入れる内面の妨げは、特定の性格カルチャーへの対処法なんて話ではなく、社会人としての人との一般的な親しみ行動がどう妨げられているかという視点で、取り組む必要がある。

タイムラインとしては、「新入社員」目の前に、まだ仕事も一人前になる前に、学生気分のような趣味サークルへの誘い来るかも知れませんが、「模索」もっとずっと後に続くと考えるのがいいでしょう。
仕事のスキルでの自信が、社会人としての一般的な親しみ行動への、一つの支えになります。というか、社会人としての自信がついてこそ、社会人としての一般的な親しみ行動自分はどうできるかが、一つの確かな足場の上で、模索できるようになります。
ここはもう一つ質問入れて頂いている「社会を生きるスキル」というテーマつながりますね。この後で^^。


4.模索の先にある豊かさ

これは先のトピック
『自己イメージについて』 takaさん No.1131 2015/10/28
コメント最後に書いた、
=====
この向き合いによって何を見出すかは、一度に全ての答えが出ることは、ありません向き合いで、次第違うものが見えるようになっていきます。そして最後には、歩み最初からは予想だにつかない、最終的な答え訪れる。そんなものです。10年20年、さらにはそれをはるかに超え人生の歳月を通して、です。
=====

が、そのまま言えますね。

流れとしては、
まず性格カルチャーに応じた自己像を演じるなんて姿勢捨て嘘のない自分との「楽しみ喜びの共有」行動どうできるのか模索開始する。そうして、ありのままの自分向き合うことで、そのための芽生え始めます。
そしてまずは社会人としての自信目指し向かう。それによって次第に、安定感生まれてきます。それが実際行動範囲を広げさせてくれます。そして本当に「望み」となる趣味交友活動向かってみたりする。

そうした「模索」の中で、「魂の感情」への向き合いもあれば、それ自体成熟生み出します。同時に、人との交友への願望という、持って生まれた課題が、次第満足感の中で、収まって行ったりもします。ま人生後半過ぎてからかと。
そうして、
a.人との交友がうまくいき、そこに満足感幸福感を得られる。
b.もしくは交友が必ずしも望み通りには行かなかったとしても、
「魂の感情」への向き合いによる心の成熟の結果、一人で過ごしていても満足感幸福感が湧く心の境地へ。

といった道のりが、ハイブリッド心理学の考える流れになます。


僕の話の例残りで言えば、

>島野さんの話でいうと、確かトランスが好きだったとおっしゃってたと思いますが、同じようにトランスが好きな人の仲間内に入れば、それは「登山好き」「写真好き」の集団とはかなり違う傾向があり、両方で同じような自分でいるのは難しいんじゃないかな?と思ったりします。そこをどのようにして処理したのかなぁ、と思った次第です。

社会人になって模索した交友は、テニススキー活動です。
20代後半から、まずはちぐはぐな内面を抱えながらも、なんとか「純粋な楽しみと喜びの共有の行動」見出し、参加を続け、30第後半あたりになって、社会人としての自信出てきて、そうした交友行動かなり安定したものへ。活動としてはもっぱらスキー
そして40代後半あたりから、それを生涯の交友とできるかどうか模索段階へ。で結局の場合、一人でマイペースに生きることが好きな面最後勝ち身体体力的な面もあり、スキー部活動からは一歩距離を置いて至ります。
トランス登山比較的後発趣味で、これはもとより人とどうこう共有するものでなく自分で楽しむもの位置づけです。

ですので、上記大学4年転機から、ありのままの嘘のない自分でどう行動できるかという中でのものであり、同じ自分でいられないのをどう処理するかといった問題は、ありません
まさにそうした「自分を演じる」という姿勢捨てることからが、スタートということですね^^。



接客におけるプラスαの生み出し方について / taka 引用
No.1142 2015/11/08(Sun) 00:06:16

下のこたろうさんのトピックに関連するかもしれませんが、私自身販売の仕事をしていて、原理原則的な行動だけでは通じず、プラスαの部分が求められていると感じています。
プラスαとはお客様が感じる嬉しさや楽しさ、安心感や満足感といったポジティブな感情です。
原理原則的な行動のみだと、場合によっては冷たい印象を持たれるかもしれません。
ハイブリッド心理学の基本姿勢が原理原則的な行動や論理的思考にあるならば、このプラスαの部分をどう考えるべきか考えています。
もちろん楽しみ喜びの共有といった面もあると思いますが、それを前面に出し過ぎると、仕事としてはフランクになり過ぎると思います。

販売の仕事でも商品の知識といった点では論理的思考が可能です。
例えばコットン製品の説明については、ワタと言われる植物の種の周りに生えている繊維からとれ、それに撚りをかけて糸にして、その糸を編んで商品ができている。コットンは繊維の中心が空洞になっていて吸水性がよく汗をよく吸い、吸湿性もいいため蒸れずに肌触りが良い。といったように論理的につなげることができます。
また接客以外の業務も棚卸しや返品時のレジ処理などは会社としての原理原則がありそれに従って対応できます。

しかしお客様相手になるとそれだけではいきません。
一応接客に関しても会社としてのマニュアルはありますが、それをそのまま実行しても相手の反応も十人十色であり、なかなかマニュアル通りには進まないからです。
声をかけられて嬉しい人もいれば、話しかけられたくない人もいます。
同じ商品を勧めて喜ばれることもあれば、全く無関心ということもあります。
人間が相手の場合、コットンのワタのような論理的思考の始まりとなる確実なものがなく、自分の経験からくる想像から論理を組み立てていかなければいけなくなります。
このお客様は年齢はこれぐらいで服装の雰囲気はこうだからこれを勧めたら喜ばれるのではないかといったように。

相手の心情やニーズを自分で想像してそれをもとにするためどうしても不安定で恐れ不安が生じてしまいます。
また相手の心情を想像することは一歩間違えると病みにつながると思います。
ちょっとしたことですぐに、この人は怒っているのではないかなど想像してしまうと恐れがでて対人恐怖的になるからです。

しかし接客におけるプラスαを生み出すには相手の心情に配慮する心遣いが必要になってくると感じています。
もちろんしっかりした商品知識や業務に関する原理原則のうえにです。

これを生み出すにはどうすればいいか。

私の考えとしては、仏教やハイブリッド心理学を学んだり、名作とされる文学や絵画などの芸術を通じて、多くの人間に共通しているであろう心理や美意識に対する理解をベースに、自分の体験を積み重ねて、人に対する論理的思考の始まりとなるベースの経験値を広げていくのが良いのではないかと考えています。

そのベースをもとに接客のアプローチなどを論理的に繋げていきまた試行錯誤しながらベースの経験値を増やしていく。
つまり帰納法的なやり方になってきます。
それでも絶対に確実になることはなくあくまで対人においては不安定さを受け入れて。

そして自分の心が健康になるにつれて相手の心情に対する理解も病みにつながるようなものから、
建設的な発想をベースに行われるようなものになるのではないかと。

というのが現時点での私の考えです。

何か考察などがあればよろしくお願い致します。



怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1107 2015/09/04(Fri) 21:40:33

やはり、価値観に取り組まざるを得ないという事で、
あらためてこの二つを考えています。


まず、やはり否定価値感覚が花盛りであり、
昔から世の中や自然環境への高い理想、思いやり、気遣い、決して失礼のないようにする事などにおいて、周りの低い意識の人を否定して打ち負かす事が、自尊心のベースであったことは
いえます。
そして、その同じ強度の否定の怒りが、相手に向けられるというイメージと、
恐怖感情の強度になっているという事。


怒りの価値は、以前のレスで、
「大切な人が、無知によって身を滅ぼそうとしている時に使う」
という時には一つの意味があるという事でした。

また、改善向上のためにはむしろ落ち着いた心境の中での思考や行動が有用であり、
怒りはそれを妨げる、という事がまずは基本になると思います。

これは確かに共感できます。

逆にいうと、変わってほしい状態がある上で、自分でなんとか出来ない巨大な仕組みにおいて、それを変える事が出来る立場の組織や人物に、怒りを向ける事には意味があるのではないかと思いました。

しかしこれは、怒りを抱く事の意味というよりは、
怒りを「見せる」事の意味にはなると思います。例えばデモやストライキ。ぞろぞろとたくさんの人がいる場合に、その人たちがとても冷静に穏やかな表情でいれば、その訴えを投げかけられている側は「変えなければいけない危機感」を持たないはずです。それは巨大な怒りによって、「罪悪感」などを煽る意味があると思います。
ただストライキでは、出勤をしないという行動は、怒りを使う事のない行動での抗議とも
いえるかもしれません。
さらに、同じように抗議を抱く人を収集する事において、「怒りの共有」が大きな意味を持っていると思います。都心の駅前で拡声器で声を荒げているような団体は、それによって署名を集めようとしていますよね。
まぁただ僕は、あの怒りでむしろ話を聞く気もなくなってしまう側なのですが・・・。


あともう一つ。関西の文化である「ツッコミ」はどうですか?
まず状況によるというお答えは当然だと思いますので、それをふまえた上で、です。
基本的にはプライベートですね。


それから、「恐怖」についてです。不安や恐怖をつかさどるのは偏桃体だったと思います。

http://gigazine.net/news/20101225_fearless_without_amygdala/

そこまで長い記事ではないので、こちらを読んでいただきたいのですが、
「恐怖」という感情がなくなると、好奇心という感情が優先し
危険である物に近づいていってしまったりするという記事です。
また末尾において、恐怖という感情がなければ種は絶滅するという議論はよくあります。


ハイブリッド心理学においては、現実における危険を避けるために、実際の危険度などに
ついて感情に頼らずに知性で判断するという事になると思います。
また、タヌキが固まってしまって敵に食べられてしまう例がありましたが、
物理的な危険、社会的な危険に関わらず、実際に危険が迫った時に、基本的に冷静で体がリラックスした状態でいる方が有効な
対処が出来る事には基本的に同意です。


ただ、僕の中に色濃くあるのは「現実においての危険度と同じくらいの危険を感じなければいけない」という価値観です。例えば最初に、わっと浮かんでくる恐怖感情があるとして、それを知性で現実においての危険度を適切に判断した後に、最終的にその判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態なのです。その最終的な恐怖感情がないというのは一体どういう事なのかがわからないです。ある意味、「危険度を感覚として持てる」という事に安心感があるのでしょう。
それがあるからこそ安易な行動によって失敗をする事は今まで避けられたし、今後も
避けられるだろう、という事ですね。

「現実においての危険度と同じくらいの危険」だと思っているものが、
かなり誇大なものである、という事はまずあります。
それを差し引いて判断するという場合、それを差し引いた強度の「恐怖」は
感じなければいけないというのが僕のこの価値観の上での考えになります。


ハイブリッド心理学の考えだと、そうではなく、
実際の危険度について知性で判断を下し、その結果の危険度について「感情」として
抱く事はないという事が最終目標になるのでしょうか?
全く危険ではない状態と、危険な状態で、感情の状態としてはほぼ同じ状態を
保つことになるのでしょうか?それでも実際に危険を回避したり、建設行動をするという
動機付けが持てるのでしょうか?


というのは、「恐怖」を感じる事がないために、現実において
これらの対処をするという発想を持てずに、大失敗をする人を何度もみてきた経験が
あるからこれが疑問として浮かびました。


 
「怒り」「恐怖」の克服価値観 最新ハイブリッド心理学整理^^ / しまの 引用
No.1112 2015/09/12(Sat) 09:18:48

考慮すべき視点ざっと整理してみました。以下7つパラグラフにて。まこのテーマについての最新ハイブリッド心理学そのもの整理ですね^^。
 1.議論の前提
 2.「怒り」「恐怖」の心理生理学的位置づけ
 3.「怒り」「恐怖」の社会行動学的位置づけ
 4.「怒り」「恐怖」への価値観
 5.「怒り」「恐怖」の克服
 6.「心の依存から自立への転換」による感情の方向変化
 7.視点の全体整理把握からの取り組み



1.議論の前提
内面取り組み最も基本的な実践になりますね。
 1)感情の種類とそれぞれの位置づけ役割を理解する
 2)自分の人生でそれをどう位置づけていくかの価値観に向き合う

と。
それに応じ、実際さまざまな感情が起きる場面への向かい方対処の仕方も、大きく変わってくるという話。

でまず議論をする前提として、上記
 1)については、心理学生理学から、知識としてのの真偽や正確さ問える
 2)について、真偽や正確さの問題ではなく、それぞれの人の、文字通りの価値観であり、あるいは「思想」とも言えるもの
というテーマ位置づけです。
もちろん後者人それぞれの自由です。


2.「怒り」「恐怖」の心理生理学的位置づけ
ということで、「怒り」「恐怖」について、1)心理学生理学からの理解としてハイブリッド心理学認識しているものを一言で書くと、

「怒り」 ・・・ 自分より強大もしくは同等と、怪我を前提に戦うために、体内代謝停止に近づけに集め、破壊攻撃への筋力パワー最大化するための感情
「恐怖」 ・・・ 対処不可能性のある危険遭遇した逃避行動促すための、危険察知血流低下などの生理的悪化を伴う感情
などと言えると思います。

ですので、「怒り」「恐怖」も、どちらも生物学的大いに役割があります。それがないと、生物種として存続できないと言えるようなものとして。
これについては、脳の扁桃体とかの話を書いているリンク記事が持つ認識と、同一になると思います。記事内容に、とくに異議を挟むものではありません。

一方、心理学生理学的理解として加えたいのは、そのように役に立つ側面同時に、害のある面役に立たない面があるということ。
まず両者とも、生理的に悪化状態を生み出すことです。そのではできるだけ短時間のうちに切り抜け、その感情を解除することが重要になります。継続的な怒りや恐怖の下にあると、心身健康を著しく損ないます。
「怒り」は、そうして心身健康を一時的に害する代わりに、破壊パワーを得るためには役に立つという、諸刃の剣です。
これが「恐怖」になると、役に立たない事態が起き得ます。これはよろしいかと。腰が抜けて、そもそもの目的の逃避行動ができなくなる場合がある。


3.「怒り」「恐怖」の社会行動学的位置づけ
そうしてまず心理生理学的事実認識について真偽正確さ踏まえたら、あとはそれらを自分の人生でどのように生かすものにしたいかは、もう人それぞれ自由価値観思想だというになります。
これについては、ハイブリッド心理学からはもう一切議論をするものではなく、ハイブリッド心理学が採用する価値観こうです、それに向かう道こんなものです、という説明するのみになります。

ですがその前にもう一つ、「怒り」「恐怖」人に向かって表現することがどう役に立つかという、社会行動学的な理解真偽正確さというテーマを言うことができます。
あるいはご質問この辺にあるかもと。
そもかくそれについてのハイブリッド心理学としての考えはこうです。

「人の動かし方」としてとりあえず考えられるもの命題とすると、

・怒りを表現することで、相手を動かせる?
これは相手怒りの表現怯える弱さがあり、かつ感情によって行動する人物であれば、そうできる場合もある。
に言えば、怒りの表現怯えない強さがあったり、原理原則によって、あるいは「楽しみ喜びの共有」によって行動しようとする相手は、怒りの表現では動かすことはできない
となりますね。ハイブリッド心理学取るのはもちろん後者になります。
一般に、怒りを表現して相手を動かそうとする行動法は、社会では望ましくない行動法として見られる傾向があります。ただ遠ざけられる結果になるか、程度がひどい恐喝などの犯罪行為として扱われる場合があります。

・恐怖を表現して、愛され守られる?(ご質問には含まれない命題かも)
これも相手情に厚く、世話好きな人間であれば、そうなれる場合もある。ただこれは怒りの表現に折れるというほど直接的にはいかず、「何が恐いのか?」という内容に目が向くというのが基本になると思います。
恐怖を表現して愛され守られようとする行動一般にどう見られるかは、これはもうかなり人それぞれの好み的な話、どんな性格が好きかの話になると思います。あまり意識的な恐がり表現になると、ワザと?と、恐がりとは逆のずる賢さに見えて敬遠される場合がありますね。
また自立と自助を重んじる価値観人物からは、恐怖を表現する人対しては、守ってあげたいと感じるよりも、自らを奮い立たせてほしいと感じるという、別の方向になります。ハイブリッド心理学が取る価値観これになってきます。


4.「怒り」「恐怖」への価値観
以上、「怒り」「恐怖」心理生理学的位置づけ、およびその表現行動社会行動学的位置づけについては、理解真偽正確さ議論できます。
に、それを踏まえそれらを自分の人生でどのように使いたいか、配分したいかについては、正しいか誤りかではなく、人それぞれ価値観であり好みであり、自由です。
まあタバコどのように良いか悪いか考え方については、医学的な正しさや誤り言えますが、それでも自分は飲みたい吸いたいというになれば、それはもうその人の自由というですね。
でもやはり当然正しい知識にしての選択お勧めできる、と。

ハイブリッド心理学価値観とは、ずばり、「怒り」「恐怖」については、人生を通してその根絶を目指すものです。そのための取り組みアプローチ展開するのがハイブリッド心理学です。
限りなくゼロに近づけるさらに言って、ゼロそのものにする。それを目指すものです。
そんなことができるのか?という質問に対して、ハイブリッド心理学では、エベレストの頂きのようなその目標へのと、その歩み方説明するまでを行います。あと事例多少紹介します。その全体を結構なところまで歩んだ事例としては私自身のものとして。
エベレストの登山ガイド作ったとして、これが本当に登れるのか?聞かれたら、人それぞれになりますね^^; 、と言ったになる部分もあるかも知れないのは、まさにそのままです。またそもそも登りたい思うのかそれぞれの自由と。
ただ実際エベレストに登る場合強靭な肉体必要として、ハイブリッド心理学場合は、強靭な精神力・・ではなく、地道な継続の根気強さ、というになるでしょう。


5.「怒り」「恐怖」の克服
そんな話はさておき、「怒り」「恐怖」根絶を目指すというその主旨と、アプローチごく手短に言うと、
「怒り」「恐怖」特に対人場面でのそれが、人生の不幸を生み出す代表的な材料感じるからです。それをなくしたい。まずは「怒り」「恐怖」自分にとって克服対象とする。これは自由選択として、そうします。

そのため、
・「怒り」克服としては、「怒りを用いない行動法」学び実践する。原理原則による行動法であり、「喜び楽しみの共有」による行動法です。そうした対処法困難な場合、問題場面からまず距離を置いて平静を回復してからまた検討、といった対処法になるでしょう。
重要なのは、怒りどう役に立つか立たないかというよりも、怒りではない、「楽しみ」「喜び」「安心」「愛」などのプラス感情をいかに増やしたいと望むかになるでしょう。そこに分岐路がある、と。

・「恐怖」克服としては、まず
 1)恐怖感情主観的な強弱によってでなく合理的、そしてできるだけ科学的な知性理性の目で、客観的な安全と危険判断し、それに対して自衛回避策取るという方向性の対処
 2)そうして正しく安全を確保した上で、それでも流れる恐怖「ただ流す」ことをする中で、恐怖根底から消えていくという心理過程を持つ。

というものになります。

ですので、

>知性で現実においての危険度を適切に判断した後に、最終的にその判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態なのです。その最終的な恐怖感情がないというのは一体どういう事なのかがわからないです。

についてコメントしますと、「知性で現実においての危険度を適切に判断」というのは同じですね^^。
「その判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態」というのがちょっと異なりますね。
まず、「危険判断に基づいた自衛回避行動を取る」であり、それにより危険消えれば、もう恐怖感情持たなくて良い、と。
またそこで恐怖にひるむよりも、自ら行動するという意志強く持つほど、恐怖感情消えます。恐らくここがポイントになるかと。恐怖感は、受け身の無力感表裏一体ですので。
つまり克服ポイントの続きとして、
 3)自ら能動的に事態に向かい闘うという意志によって、恐怖「覚悟」「前進力」という別の感情に変化する。
ということです。まこう一言で書いたものが、生易しいものでないんですけどね^^;

そうして最終的な恐怖感情がないというのは、
 ・一つの一つの恐怖場面を地道に克服し、実際にもう生きることの全体が安全に囲まれるようになることで、恐怖はなくなる。
恐怖心理生理学的位置づけで書いたよううに、「実際に危険に遭遇」してしまった場面で流れます。それを、そもそも遭遇しない段階で自衛できる生き方を築くわけです。
 ・それでも人生にある対処不能の不遇事態などについて、そこを自分はどう生きるかという能動的な「意志」「覚悟」によって、それは恐怖とは逆の前進力の感覚へと変化させ得ます。
という大きな2つによるものと言えるかと。


6.「心の依存から自立への転換」による感情の方向変化
まずはざっと以上が、「怒り」「恐怖」というものをどう理解し、自分の人生でどう位置づけるかについての、考慮ポイント網羅したものになります。
ハイブリッド心理学としては、それらの根絶を目指すという方向性になり、実際それが成し遂げられ得るもの考えている次第です。
で、そうした大きな方向性そのものについて理解納得なかなかできない場合、最後の検討ポイントとして、やはり心の基盤一番大きな命題である、
・「心の依存から自立への転換」
どう持つかという問題になってきます。

一言で、「心の依存」で、自分の怒りや恐怖を相手に見せつけることで良くしてもらう、という姿勢生まれ「怒り」「恐怖」感情そのもの価値があるような感覚抱くことになりがちと言えるかと。
これについては、まずは、
・「心の依存から自立への転換」によって、感情のあり方はどのように変化するのか
について、まず頭で知識を得て、それはどういうことか自分の心の中じっくり考えてみる、といった実践から始めるのがよろしいかと思います。
まずは以下が、そのための学びになるでしょう。
『概説』収録の、
5章 歩みの道のり - (2)真の前進へ
・「心の依存から自立への転換」
など。
そこに収録されている「「心の依存と自立」の根本影響 対比表」が、感情流れさまざま変化全体把握分かりやすいと思います。


7.視点の全体整理把握からの取り組み
ということで、「怒り」「恐怖」についての価値観検討のためには、
・心理生理学的な位置づけ
・社会行動学的な位置づけ
・それらの根絶を目指すという価値観とそのためのアプローチ
・その価値観の支えとなる「心の依存から自立への転換」という心の土台

といったテーマ全体把握してこそ、方向づけが決まってくる、ということになりますので、まずは上記全体把握からじっくり検討してみて頂ければと思います。

コメントとして返せるのは、一つ一つ、まずそうした全体の理解と納得として確認してみて下さい、というものになりますね。
書いて頂いたものの中では、

>例えばデモやストライキ。
>関西の文化である「ツッコミ」はどうですか?
>同じように抗議を抱く人を収集する事において、「怒りの共有」が大きな意味を持っていると思います。

まず「怒り」という言葉いっしょくたに言うことのある
・上記説明生理学的悪化を伴う怒りの感情
生理的悪化は伴わない、ということはごく思考想念レベルでの批判思考や観念
この2つのレベル心身の健康という観点ではもう全く違うものです。
前者有害であり、後者特に有害ではありません。
ですので、後者まで含めた根絶まで目指すというようなものでは、さらさらありません。これはよろしいでしょうか。

ですので、上記前者だけをここでは「怒りの感情」呼ばせて頂くとして、
デモストライキツッコミも、一言で、その行動正真正銘「怒りの感情」を行動化するというものでない限り、つまり平静な感情を維持して行われるものであれば、ハイブリッド心理学からも、また社会行動としても、何ら問題のあるものではないと思います(あくまで法に反しない行動範囲で)。
それが正真正銘「怒りの感情」でその行動をするという様子になってくると、反社会的「暴動」と見なされるなど、問題のあるものになってくる。
ツッコミも、愛着感とユーモアでやるのは大いに結構本当の怒りでやるとなるとツッコミというよりドツキとなり暴力行為になってしまう可能性もありますね^^;

>怒りの価値は、以前のレスで、「大切な人が、無知によって身を滅ぼそうとしている時に使う」という時には一つの意味があるという事でした。

上記社会行動学的位置づけで書いた通り、相手怒りの表現怯える弱さがあり、かつ感情によって行動する人物であり、まあだからでもありますが愚かにも自らを滅ぼそうとしている時、それに対し怒ることが役に立つこともある、というになりますね。
まあ一般的社会行動としてはまず出てこない話ですし、信頼関係が築かれているプライベート場面になりますね。そしてその信頼関係は、もちろんこっち側建設的行動法姿勢によってこそ築かれるものです。ということはまあ一言で、しっかりした親が、幼児下手な行動で怪我をしそうな時叱るというなどがまずは考えられるかと^^。
そしてこの場合、あくまで「怒りの表現行動」であり、実際怒りの感情不要です。
基本大人同士の関係考えるような話ではありません^^;


全体理解踏まえるとそんなということで、
とにかくまずは、全体理解から始めて頂ければ。そこから、疑問点等を、そのどこのポイント関わるかという整理から解きほぐし検討して頂くといいと思います。
それでまた分からない点等あれば、どのポイント関連します、という視点整理アドバイスからまた返していけますので^^。


 
Re: 怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1117 2015/09/18(Fri) 17:17:45

すごく納得のいく説明をありがとうございます。

生理的悪化を伴わないごく思考レベルでの批判思考や想念は、
根絶まで目指すものではない、というのは正直今までの理解とは逆でした。

以前「バカじゃないの?」というじゃれあいの言葉についてお聞きした時は
否定言葉なので完全にアウトというご回答でしたので・・・

まぁこれも、状況によりますよね。

例えば、「バカじゃないの?」とツッコんでほしくて、バカな事をした時は、
むしろそう言ってもらえて嬉しいというのが僕の実感です。
呆れられつつもつい笑ってしまった、というイメージなので、ここで想定している
ものには生理的悪化は伴っていません。


テレビでも、「人を傷つける笑い」とか「誰も傷つけない笑い」とかよく分類
されますが、この辺も紙一重ですよね。笑ってしまう時には、自分の価値基準の見下しが
含まれている事も多いです。以外と簡単なようで、複雑な問題ではないかなと思います。


 
Re: 怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1128 2015/10/15(Thu) 15:36:36

一応このスレッドにもコメントをいただきたいのですが、

『生理的悪化を伴わないごく思考レベルでの批判思考や想念は、
根絶まで目指すものではない』という部分に関しまして、

つっこみをはじめとして、今出したような例、また親密度の高い関係に
おける「じゃれあい」の中で出る思考レベルでの批判思考や言葉については、

自分ではそういうつもりで言ったものが相手には「感情レベルの批判」と
受け取られる可能性もありますよね。

逆にいうと、精神的に未熟であればあるほど、言葉に自身の軽蔑感情などを
投影して受け取ってしまうため、相手がごく冗談、つまりつっこみ程度で言った
「想念レベルの批判」の言葉を、自分は「感情レベルの批判」として受け取ってしまう
という事もあります。


社会人同士の関係では、つっこみ、じゃれあいなどをはじめとして、想念レベルの
批判思考は学生時代に比較すると減るんじゃないかなと思います。
やはり、お互いにこれは「感情レベルの批判」ではないという確かさを、積み重ねた
関係によって認識しているという事と、あるいは、形式的な関係や浅い付き合いの場合は
ぐっと飲みこむような「胸のうち」を、安心して吐露できる間柄であるという信頼感に
基づいたものだと思うからです。


ゆえに、行動法としてあえて想念レベルの批判を口に出す事は基本的には避ける
事を心掛けています。

難しい場面としては、
@ごく想念レベルの批判思考として、何かを素晴らしいと称えるが故に、同じジャンルの別のものを批判して盛り上がる、というコミュニケーションが結構よくあります。
書籍のタイトルなどでも、何かをたたえるようなタイトルもあれば、それがあるからこそ
何かを痛烈に批判するタイトルのインパクトによって、購買意欲を煽るものが多くあるように、やはり批判思考によって感情を共有するパワーはすごいんだな、と思います。

簡単な例でいうと、非常に高付加価値の肉を一度食べたら、
「もうスーパーの肉は食べられない」といった表現をしたり、
北アルプスに登ってみたら、「近所の山を歩くのとはスケールも気分も全然違う」
といった表現をしたり、という事があります。


他には、タモリさんの例を出すと、
「俺はウィスキーが好き。ワインなんて飲んでるやつは洒落臭い。」
「やる気のあるやつは帰れ」
などという台詞を残していますが、自らしっかりと積み上げた価値観に基づいた
このような批判思考は、魅力的にうつる事もあります。


また例えば女性の好みなんかについて、男同士で語り合う時も、
相違点について「いーや、それは違うね!」などと言い合うのは楽しいものです。


これらは、僕の実感では、「穏やかな楽しみの共有」の集団と比較して、
「和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有」集団で多く発生する気がします。
これも勝手なイメージも含まれていますが、穏やかな楽しみの共有では、
ガーデニングや裁縫やハイキングなどの穏やかな趣味の集まり。
和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有の集団では、ストリートダンスや、サーフィン、
ハードだったりにぎやかなスポーツ
などの趣味の集まり。


これは生活、思考など全体の「リズム」のスピード感などが、
好きなものを条件付ける事があると思うので、ある程度はあると思うんです。
血気さかんな人は、より激しいスポーツに自然に惹きつけられ、
そういう方は性格の面でもある程度の共通点があったりする。

また、反体制的なカルチャーをバックグラウンドに持つ趣味や音楽は、
それ自体に「批判的な色合い」を濃く持っています。
ヒップホップミュージックや、プロレスなどの格闘技もそうでしょうね。
活動自体には楽しみを感じるのに、その批判的な色合いを持った文化、カルチャー
には馴染めないというケースが僕にもあり、これは望みとしてどう処理すればいいのか
難しいですね。


いずれにしろ、それが「場の楽しみ」につながるだろうし、求められていると
感じる事があります。僕自身もそれを楽しんでいるような気がする事もあれば、それをあまり楽しいとは思っていないんじゃないか、
と思う事もあります。
幼少期までさかのぼると、ケンカなどしている友人をみて、何も批判せず、誰も傷つかずに、みんな仲良くできればいいのに
と思っていた僕がいて、今も「望みの断念」などで荒廃化した他者批判的な自己の底に、
そういう自分がいる気がします。
そして「和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有の集団」では、
往々にしてこの「批判思考」を冗談にからめたコミュニケーションが自然なものとして
存在し、自らそれに合わせに行ってしまう事が、「嘘である」という感覚にさいなまれる
結果になる、という事が結構あります。


しかし、そういった類の方が多い分野の活動に、実際自分自身が
魅力を感じている事も多くあるのです。


想念レベルの批判思考を許容する事は、ある意味心の声においても批判思考を
採用する事にもなるので、「〜はダメでしょ」から「〜すればいい」に転換するという
ハイブリッド心理学のアドバイスに反する気がしています。

またそれと、上記のような「批判思考」をカルチャーとして持つ分野の活動が
自分の望みとしてある場合、どのように付き合っていくのかについて、
もう少しお話が細かく伺えればと思います。


 
具体的課題場面での整理^^ / しまの 引用
No.1130 2015/10/22(Thu) 09:27:50

ちょっと遅くなりました^^ゞ

・・とこれはちょっと問題テーマ自体不明瞭かもですね。
たとえば特定の外国文化との付き合い方であれば、その国の人結婚して親戚とのつき合い場面であったり、仕事場での対立場面であったりと、具体的場面ごとに問題課題設定でき、それぞれについて検討することになります。

それと同じで、どんな場面での、どんなことを課題とする問題の話かから、まず整理するとよろしいかと思います。
またそこで、内面感情問題外面現実問題自分の側の問題他人の側の問題、といった、さまざまな軸での整理もしていく。
そこから、自ず細かい視点展開されていきます。

検討頂き、また適宜新規トピックなどて質問入れて頂ければと^^。そこから「実践」始まりますので^^。




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