「えー、本日は海岸清掃ボランティアにお集まりいただき、誠にありがとうございます。」
雲一つない炎天下の砂浜で、蛇神神殿の神官が声を張り上げている。この猛暑の中、神殿服に身を包んでいる。見ているだけで熱中症になりそうだった。小柄でやせっぽっちな青年が、青い顔をしている。服の下は汗が滂沱の如く流れていることだろう。肩口で切りそろえた銀髪が首筋や額に張り付いていた。
(オットー、お前の犠牲は無駄にはしないぜ。)
海パン・Tシャツ・サンダル・麦わら帽子の姿で不運な同僚を眺めながら、同じ蛇神神殿の神官ブルーノ・ハフグレンは思った。あぁ、のぼりに書かれた地ビールの文字がなんて魅力的なのか。同じ銀髪でも短く刈り込んだ長身細身の男は目を輝かせていた。
彼等が祭る蛇神は詩歌において海と風を司っているが、普段蛇神神官団は詩歌藩の上空を浮かぶ浮遊島で活動している。しかし、水竜の繭が初夏に出現して以降、彼等は定期的に繭の様子を調べることを目的として詩歌の本島に降りてきていた。その調査の際に本島の住民と交流を深めるという名目で行われているのが、この海岸清掃のボランティア活動である。
このボランティア活動を催す際に蛇神神殿から神官が派遣されるが、神殿服で参加する監督者と私服で参加する観察作業者の2つの役割を与えられる。このどちらになるかでボランティア活動が地獄になるか否かが決定するといって良かった。
地獄を味わっている同僚のオットーを尻目に、ブルーノは途方もなく大きな繭を眺める。形状、大きさ、色といったものに変化はない。相変わらず真っ白で巨大な夏の雲のようだった。 さすがにビールの泡を口の周りにつけてオットーの前には出れないなと考えて買ったかき氷を一口含む。ガラスの器に触れる掌がひりひりと痺れる感覚が、心地よい。氷を突き崩していくと見え隠れする甘く煮られた小豆が蠱惑的である。
繭の周りを回ってみると、下の方に小さな落書きを見つけた。どうやらクレヨンで書いたらしい。青色で「はやくおおきくなってね」とある。
本来、蛇神神殿の神官としては大事な水竜の繭に落書きがされていることなどあってはならないことである。繭の周囲に囲いでも作って「何人も近寄るべからず」とでも書いた立札でも立てておくべきだろう。事実、浮遊島の蛇神神殿で繭の出現を聞いたときにそのような対処をすべきだと自分も考えていたのだ。藩国政府から許可なき者の立ち入りを禁じるという指示が出されないことを知ったときは、藩国首脳部は何を考えているのかと訝しんだものである。
ただ、実際に本島に降りてきて繭が日常生活の一部になっている様子をみると、間違いではなかったのだろうと思う。繭には外傷もなく、他に落書きがあるわけではない。この海岸清掃のボランティアは開催されてから参加希望者は右肩上がりで増えている。
食べ終えたかき氷の器を店に返し、ふとオットーの方に目をやると、大胆な水着姿の美女達に詰め寄られて目を回している。 なんて羨ましい、お前だけに良い想いはさせねぇ。自分が一人かき氷を堪能していたことを棚に上げてブルーノ・ハフグレンは駆け寄っていった。
詩歌の夏は短い。この国に水着姿の老若男女と動物が海で戯れるというイメージがNWに定着して久しいが、それは国民の短い夏を精一杯楽しもうという姿に起因している。あまりにはしゃぎ過ぎて藩国全土を巻き込む大珍事が起こったと記録に残っているが、それについてはここで述べない。
とにかく、詩歌の夏は短い。それは、水竜の繭が出現した年も変わらなかった。初夏に登場した巨大な繭に数日は見物客がついたが、夏が本格化すると繭よりも海だ水着だと詩歌の国民は繭の隣で海水浴を満喫していた。ただ、藩国政府の調べによるとその年の海岸に落ちているゴミの数は昨年比87%減であったことは特記しておく。
[No.7777] 2013/02/11(Mon) 23:10:48 |