剣聖 - 神 |
世界は、滅びへの道を一歩一歩進んでいる。 それは、時計の針が時を刻むようにゆっくりと。しかし、逆らうことのできない決まり事。色褪せた大地に、燃える暁の陽光が差し込む頃。一人の少女が全身に繋がれた鎖を鳴らしながら歩くのも人間の業だろうか?
「こっちだ」
屈強な兵に、獣のように連れられる少女。破れた服には返り血が付き、痛々しいほどに体は傷だらけ。瞳に生気はなく、胸に二本の剣を抱いたまま、一点を見つめている。
「跪け」
廃墟のような場所に連れてこられると後方から蹴られた。這いつくばるように彼女は膝をつく。 まるで、物。人間として扱われていないのは明白だった。
「おやおや、久しく見ない間に随分と大きくなった」
小太りの男が薄ら笑いを浮かべながら近づいていく。 その声を聞いた瞬間、少女屈強な数人の兵さえ引きずる力で無数の鎖を引っ張った。
「お前ぇ!!」
生気のなかったはずの瞳に業火の炎が宿る。怒りだけが少女を突き動かす。拘束具が体に食い込むが、腕や足が裂けてでも殺してやると言わんばかりの憎悪が男に向けられている。 だが、男は気にするそぶりもなく汚らしく口角を上げた。
「怖い、怖い。しかし、感謝はされても怒りを向けられる筋合いはないなあ?」 「ふざけるな! 騙したくせに!!」 「騙した? 何を言う、貴様の望み通り強くしてやっただけ。それよりも、まだ人間の言葉が話せたのか。獣小屋に五年も閉じ込めておいたのに。くくく、お笑いよ」
下品な笑みを浮かべ、腹を抱える男。 許せなかった。あの日、自分を地獄に落とした神官がのうのうと、自分を死より苦しい目に合わせておきながら肥えていることに。 少女の怒りは、頂点に達していた。
「死ねぇぇぇぇ!!」
鎖を引き千切り、少女は胸に抱いた剣を抜く。 周りにいる兵たちが食い止めようとするが、紙きれのように切り刻まれるだけ。生まれながらの剣聖には、ただの兵など路上に転がる小石程度の障害でしかない。予想外の事態に、神官の顔色は一気に強張った。
「は、話と違う!! 鎖は絶対に壊れないという話ではないか!? 守れ! 儂を守れ!!」
額に浮かぶ脂汗。神官は周囲の兵を身代わりに逃亡を図るが、肥えた体は鈍い動きしか出来ない。後方から聞こえる兵たちの絶叫が男の耳に痛いほど響く。 一人、また一人、轟く絶命の音色。赤黒い液体を剣から垂らし、少女は神官に近づいていく。
「待て待てっ!! 儂を殺したところで、貴様の運命は何一つ変わらないぞ!? な? な? あの時のことは謝る! だから、だから! 殺さないで!!」
泣き叫び、命を請い。肉塊は許しを求める。
醜い。
これ以上醜いものはあるだろうか、と少女は嘆く。 自分を貶めた人間の末路はこんなものか、感情をぶつけるまでもない。 未だ騒いでいる醜肉に、剣聖は無言で剣を振り降ろした。
「あぅぁ……」
呆気ない最期。神官だった物からは大量の血が溢れ、水たまりのように広がっている。声を上げることも、動くこともない、ただの屍。 周囲には五年もの間、閉じ込められていた獣小屋のように人間達の屍が無造作に転がっている。 虚無。 少女の心に広がっていくのは、ぽっかりと空いたような虚しさだった。 血を払い、剣を鞘に仕舞う。
「終わり……? こんなもの……?」
二本の剣に問いかけるが、答えはない。全てから解放され自由を手に入れたが、ずっと箱入りの剣聖だった彼女には、何をすべきなのかも分からなかった。
「おやおや、全部殺してしまいましたか」
突然、どこからともなく聞こえた声。 少女が辺りを警戒するように見渡すと、どこから現れたのか。一人の老紳士が微笑みながら歩み寄ってきた。
「誰?」 「そう、警戒なさらず。私は貴方のすべきことを知っている者です」 「私の?」 「はい。共に来ていただければ、貴方が生まれた理由が分かります」
決して笑みを崩さず、柔らかな物腰を見せる紳士。 だが、根拠もなければ得体の知れない人物を信じるほど、少女は愚かでなはい。
「証拠は?」 「証拠、ですか? では、王から賜った書状はいかがでしょう?」 「見ても分からない」 「おや、そうですか。では、貴方の本当の名前を知っていると言ったら?」
老紳士の言葉に、少女は息を呑む。 自分の名前を知っているのは、あの人だけ。もし、本当にこの老紳士の言うことが本当だとしたら、あの人が自分を呼んでいる可能性がある。
「言ってみて」 「構いませんよ」
静寂の中、老紳士は目を細めながら剣聖の名を告げた。
『――……』
瞬間、少女は目を見開いた。 老紳士の口から聞こえた名前は確かに自分のもの。 そう、彼女が生まれた時、あの人から貰った唯一の贈り物。
「……わかった」 「納得していただけたようで良かったです。さあ、こちらへどうぞ」
老紳士に導かれるまま、剣聖は廃墟を後にした。
どれくらい経っただろう。 あれからしばらく、行く当ても分からないまま少女は馬車に揺られていた。向かいに座る老紳士は、何を尋ねても微笑み返すだけ。窓は閉じられ、どこにいるかも分からない。
「そろそろ着くようですね」
馬の嘶きが聞こえたかと思うと、馬車は減速して止まる。そして、老紳士が開けた扉から見えたのは、大きな城の前だった。
「降りる前に、こちらを。その姿では皆の注目を集めます」
渡されたのは、羽織る形の大きな装束。思えば、ところどころ破れた服を着たままで、女の子としては恥じらいがなかった。 少女は少し目を背けながら受け取ると、くるまるように身を包んだ。
「こちらへ」
老紳士の後について城内に入る。中は城を基調とした壁と赤い装飾が施された荘厳な作り。どことなく、あの神殿を思い浮かばせる。 床はふかふかの絨毯が敷かれ、裸足の少女にとっては感じたことのない心地よさだった。
「どこに向かっているの?」 「先ずは湯浴みをしていただこうかと」 「湯浴み?」 「はい。湯に浸かって疲れをお癒しください」 「疲れ……」
長らく獣小屋に閉じ込められてから忘れていたが、神殿にいた頃は風呂に入るのは当たり前だった。 少女は、気付かれないように自分の匂いを嗅ぐが、思わず鼻をつまんだのは言うまでもない。
「着きました。入り口にいる女中にお声がけください」 「わかった」
老紳士に言われるまま、女中に声をかける。すると女中は嬉しそうに手を合わせた後、少女をお風呂場に案内した。
湯浴みを終えた少女は、女中に通された部屋で休んでいた。 腰掛ける椅子は柔らかく、今まで自分がいた牢獄とは正反対。これまでとは違う待遇に、剣聖は戸惑っていた。
「いいのかな……」
数えて十の頃に牢獄に閉じ込められてから五年。地獄のような暮らしをしてきた彼女にとっては、王城で優遇される理由が見当たらない。どこか落ち着かなくて姿見の前に立つが、白金を基調とした服装に身を包んだ自分に驚く。 銀色の髪、青の瞳。幼い頃に見た覚えのある自分の容姿。だが、あの頃とは違って体は大きく成長している。 女の子らしくなったな、と鏡の前で色んな体勢を取っていた少女は、いつの間にか入り口にいた老紳士に気付かなかった。
「お気に召されたようですね」 「ひぇ!?」 「驚かせてすみません」 「よ、用があるなら言って」 「申し訳ございません。そろそろお時間だったものですから」 「お時間?」 「はい。貴方が剣聖であることを証明する時です。さあ、剣をお持ちください」
少女は頷き返す。そして、近くにあった二本の剣を腰に携えると、老紳士に続いて部屋を出た。 足音が城の廊下に響く。剣聖である証明を果たすために私はここにいる。 地獄のような日々を超え、剣聖という役割が、自分の生まれた意味がようやく分かる。きっと、皆が強くなった自分を受け入れてくれる。 少女はそう信じて大広間の先ある、展望場に出た。
――瞬間、大きな歓声に剣聖は包まれた。
『皆さん、ご覧ください! この方が我らの剣聖です!!』
少女を紹介する大きな声。民衆の活気は一層上がっていく。 その様子を見た剣聖は、不思議と笑みがこぼれた。自分の本当の居場所はここだ、と。今までの悪夢は全てこの時の為にあったのだ、と。 こんなにも多くの人が見てくれることが嬉しかった。
『これで世界は救われます!』 「……………………え?」
少し戸惑うが、剣聖としての使命は滅びゆく世界を救うことなのだろう。ここにいる人たちだけでなく、この世界の皆を助けるのが自分の生まれた……
『彼女を生贄にして、世界中を幸せにしましょう!!』 『わあぁぁぁぁ!!』
どうして、民衆は盛り上がっているのだろう? どうして、自分の死が喜ばれるのだろう? 少女には、理解できない。 剣聖として生まれた少女は最強が故に、孤独で。 世界を救う為だけに作られた、生贄。
この日、彼女は。 剣聖ルシアは、自分が死を全うする為だけに生まれたと知った。
[No.11942] 2020/03/27(Fri) 07:04:38 |