山田孝雄著『日本文法学概論』を公開した。
1100頁もある著で、この夏中かかったという感じです。旧くなった文法ですから読まれるべきというものではない、と考えます。が、時枝の論じ方を思い出しながら読んでみると、山田文法を念頭に、或いはその成果をふまえているのだなあ、と思わせます。時枝の詞と辞の峻別というのは、山田の賓格ー述格を批判的に捉え返す面があったり、とか。 国会図書館で画像公開されて居ますが、日本語の文法学として古典であるとして、部分的に参照するに便利なものとして、PDF版の意味はあるでしょう。底本として使った第八版は、初版と比べると紙型を作り替えたみたいで、細かなミスが散見されます。賓格と述格が入れ替わるという大きなミスもあります。まあ、他人のミスは目に着きやすく、自分のミスは見落とすもので、このPDFも恐らくチョコチョコとミスっているでしょうが、公開します。
山田孝雄という人物には、批判的な批評をしておきたいところですが、この著に限って言うと、示された文例に、かれの尊卑の感情が丸出しになっている。敬語、敬譲の表現の例では、天皇に対しては敬語と言うぐらいは目をつむるとして、「大佐どの」「文部大臣殿」があって、一方「卑め又は侮る意をあらはすもの」の例では、「百姓め 大工め 弱虫め 馬鹿め」。最もけしからん例に関しては、本文中に脚注<イエローカード>を入れておきました。
ヨーロッパから輸入した文法体系に対する批判は、時枝も山田に倣っている、というよりも、こぞって輸入文法論を批判してみせる、という感を持ちます。日本語は、ヨーロッパ語と基礎的なところで構造が違う。それはそうだとしても、西洋文法学を輸入して、日本語に当てはめようとした人たちへの批判がちょっと鼻につく。主語ー述語構造に対して、日本語は特に必要がなければ「主語」を立てない、と自慢げに言っている気もする。そこは自慢するところではなく、主語を曖昧にして、言い逃れの余地を残そうとする態度をとがめておく必要もあるのではないか。 |
No.431 - 2020/10/05(Mon) 10:48:12
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