しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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悲しみの克服について / 治男 引用
No.1190 2016/07/14(Thu) 11:33:50

島野メモ:
異性関係および家族関係についてのご相談最初のご入力内容省略しました^^。


 
自己方向づけあってこその「心を解き放つ」・自己分析例など^^ / しまの 引用
No.1192 2016/07/24(Sun) 11:41:42

自己方向づけあってこその「心を解き放つ」

>心を解き放てというキーワードで検索したら、このサイトに繋がりました。思い出すと苦しい、考えると苦しいという状況ですが、自分を受け入れる、全てを受け入れるという事で何とか対処しようと考えるものの、浮き沈みがあり、非常に苦しいのが実情です。何とか克服したいと考えています。お助け下さい。

これは一言で、こんなアドバイスになりますね。
行動法をわきまえ、未熟な感情を見分け、それでも自分自身の中で守るべき「愛への望みの感情」を見出した時、そこに答えが示されるであろう。
と。
それが「心を解き放つ」ことによる答えとしてです。闇雲心を解き放ったところで、答え出ず収集がつかない自己方向づけあってこそ「心を解き放つ」ことが意味を持つ、ということになります。

ハイブリッド心理学では、そうした「心を解き放つ」ための取り組みを、生涯にわたる「心の成長」歩みとして営むための実践説明しています。
まずはそうした「心の成長」というもの自体に、どのように関心を持てるか、になると思います。サイト眺めて、じっくり読んでみようか、という気持ちなれるようであれば、おそらく上述「そこに答えが示される」といのがどういうことなのか、おぼろげ見えてくるかも知れませんし、そうでなしに、ただその最後の答えだけ体感できるようなアドバイスいまここで、というのはちょっと難しいかも知れない。

といった話になるかも知れませんが、実際進めるとしたらどんな感じになりそうか、ごく要点書いてみましょう。・・とは言っても、書いて頂いた状況からじっくり考えてみると、ごく要点だけでもまあ以下のような結構な話の量になります。


悲しみ苦しみの克服までの歩み・自己分析例など

まずは話の繰り返しからになりますが、「心の成長」というものそれ自体に、関心を持てるか。「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、それが、依存的な恋愛感情と、それがうまくいかない悲しみ苦しみ抜け出す方向に、そもそも心が向くどうか分かれ目になると思います。

そうして「心の成長」という大上段から、自分人生採用する価値観行動法「選択」自らに問いていくのがになります。
ここに再び分かれ道があり、ハイブリッド心理学採用する価値観行動法を、自分自身本当に心底から選択するかです。そう思ったのは実は自分への演技のようなものだったと、意識の鎧脱ぐことに向き合う時間結構必要になるかも知れません。

ハイブリッド心理学採用する価値観行動法とは、
「愛」「楽しみと喜びの共有」として向かう、それが実現できない時孤独を受け入れる、という価値観であり、
「建設的対人行動法」として、共通目標共通利益のみに着目して行動する、それがないならば何もしない、という行動法です。
これを、自分成長するための価値観行動法として、これからの人生のためのものとして心底から選択するか
そこから多少「行動学」、まあ今回の話で言えば恋愛行動学のような知恵とノウハウ加えるいいでしょう。異性との交際であれば、一度交際を解消したのであれば、その後基本プライベートな接触はしないのが原則です。それがマナーでもあります。それができず
>3年半後の事実の判明に、何も出来ませんが、相手の女性に、全て分かったよ、責めたりしないから会話しませんかと留守番電話に残しました。
といった行動をするのは、ストーカーに発展する可能性ありとして、過剰な拒否反応を招くのも無理ない話です。
異性から振られた「理由」問うのも、言ってしまえば、こんな言葉でご容赦ですがちょっと愚かです。それはただ、こっちが相手にとってベストではなかっただけのです。それ以上特別な「理由」問えるのは、それなりに堅く結婚の約束をした場合などになるでしょう。
自分がこんなに思っているのだから、相手もそれに応える「べき」といった思考は、健全な思考ではありません。これはよろしいでしょうか。
また既婚段階相手との交際を開始したのであれば、それこそ振られる理由など問うべくもない^^; これはいいですよネ。

そうして心の成長向かうための価値観行動法選択への方向性しっかりと持つことが、内面感情ありのままに開放するでの安全弁になると同時に、開放する感情「自己分析」を通して解きほぐし整理するための、足場土台になります。
つまりそこから行うのは、自分の中感情一つ一つ切り分け心の健康と成長におけるその位置づけを理解すると同時に、それぞれ自分の感情に対する自分の姿勢を、明瞭にすることです。
3つの姿勢どの位置づけとして、自分はそれぞれの感情を扱うのかです。「全て受け入れる」なんていう建前抽象論(?)ではなく。
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情


「自己分析」として重要なのは、感情連鎖流れどこに行き着くかを確認するようなものではなく(それは流されているだけ)、感情連鎖をより前の方へと遡り、まずどんな感情があり、そこにどんな感情もしくは観念が加わることで次の感情に変化したのだという、自分の感情の流れのメカニズムを分析することです。だから「自己分析」
そしてそこに入り混んだ不合理な要素見分けることが、何よりも、耐え難い悪感情消滅するのに助けになると思います。
たとえば愛情怒り憎しみ変化する流れであれば、上述の、「自分の思いに相手は応えるべき」といった観念や、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージ入り込んだ可能性がある。
またそれが苦しみ変化するのであれば、相手は応えるべきだとする、自分の一途で気高いはず(?)思いに、実は自己欺瞞があり、心の中で自分の首を絞めるような自己攻撃感情起きているのかも知れない。あるいはもっと一般的に、気に入ったものは手に入れないと気に食わないという、人生での感情がそこで悶絶起こしているのかもしれない、などなど。

そうやって自己分析不合理要素感じ取ることが、耐え難い悪感情消滅させる最大の助けになるのですが、結局それも、最初に言った、心の成長への価値観と行動法心底から選択していてこそ、それら自分自身不合理だと感じ取れるのであり、その時悪感情消滅する、という効果なり得るわけです。

そこからさらに、自己分析進めることができるでしょう。相手を好きに感じた感情という、起点部分分析です。
それは何を好きだったということか。性格外見、あるいは性的魅力か。そこの辺あまり書いておられない文面全体雰囲気からまず僕が想像したのは、まあ総合的に言って(?^^;)女性としての魅力が今までで一番高かったような相手というかなと。であれば、もしさらに特別に女性としての魅力が高い人物手に届き得る形現れたら、自分はどう感じるだろうか、といった仮説的命題設定をしてみて、自分の心さぐりを入れてみるのも、「自己分析」としていいエクササイズになります。もしそうであれば、その相手もう用無しの(雑な表現ご容赦^^;)、つまり相手を取り替え可能な「愛」だったのではないか、とか自分に問うことができるかもしれない。
まあ僕の感想率直に言って、
>今でも大切で愛している事を自覚しています。
という言葉は、書いて頂いた状況では、どうも不釣り合いのように感じます。その言葉は、それなりに確実な絆を、それなりの人生の時期を通して持った相手使える言葉ではないかと。
「今でも特別に魅力を感じる」というのと、「今でも大切で愛している」というのとは、大分違う感情です。前者はとくかく利己的に相手を欲求しているだけ。それを後者感情であるかのように自己偽装しようとした時、相手からの拒否は、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージに、「うじ虫」「ナメクジ」といった最大級の嫌悪を向けられるイメージ加わるというのがメカニズムです。あるいはこれが「苦しみ」原因かもしれない。

そうやって心の成長への価値観行動法持ち感情不合理要素見極める「自己分析」できるようになれば、さらに、まさに「心を解き放つ」ことが意味を持つ歩みへと向かうことができます。
不合理要素不純要素ない「望み」感情を、心の中で開放し、人生の歩みとして、それに向かうことです。それらはどう実現し満たされることが可能なのか。それを人生において追及することです。
「結婚」とかの固定観念を、心の中では取り外すことが重要です。もちろん外面行動の形として一つの選択にはなるものとして。単純女性の外見などの魅力惹かれる感情であれば、反道徳的ではない範囲行動たとえばお気に入り女優画像収集とかもいいでしょう。そうした個別的願望実現方法個別的に探究した時、「結婚」というのは、相手が好きだという感情だけではなく、相手と共ににどんな家庭を作りたいとかの、共同事業的感情重要になってくることも分かるでしょう。

そうした探究歩み最後に、「心の豊かさ」というものがどう生み出されるのかというテーマが、視野に入ってくる。
「心の豊かさ」とは、「自分から愛せる気持ちの増大」だ、と言えるでしょう。自分自身でそこに幸福を感じられる形で、と。
そしてそれは、実は上記感情の位置づけの中の、
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情
心の中燃やす量応じて生まれていく。
というのがハイブリッド心理学からの結論です。この辺もうここで詳しい説明をするのはやめ、そんな歩みがあり得る、という言葉だけ終わらせておきましょう。

とまあ以上のような心の成長歩みがあるとして、「悲しみ」本当に完全に克服されるのは、つまり「悲しみ」「心の豊かさ」変化し尽くされる、まあそれを「救い」というのであれば救いは、その歩み最後になって訪れる、というものになります。
その途上では、まず価値観行動法への取り組み、そして「自己分析」習得習熟などの、格闘になるだろうと。
上に書いたものは、あくまで参考的ガイドであり、実際の歩みは、自分の足で、つまり自分が考え自分で自分に問う言葉を沢山持っていく歩みとして行って、初めて意味があります。
それに向かうか、ですね。

ということで、僕からのアドバイスは、「道はある」ということですね。それは上述のようなだ、と。まあそれは一つの人生の道そのものだ、ということになりますね。
実際にそれに向かうかどうか、読書日々の向き合いという地道「人生の学び」として、ハイブリッド心理学取り組み実践入ってみるか、と検討頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1194 2016/07/27(Wed) 11:05:30

愚かな事とご指摘の通り、相手は応えるべきと考えていたのは事実のようです。
幸福になりたいと考え、今の自分がいる家庭は本当に居たい場所ではないと思っています。前に進めたいと感じるようになりました。
すみませんが、この記事を削除して頂けないでしょうか?
スパムメールが急増しています。ここに登録してしまった為と推測しています。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1195 2016/07/27(Wed) 12:51:42

とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1196 2016/07/27(Wed) 17:28:20

> とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
> ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


迅速な対応有難う御座います。治男は大丈夫です。
愚かな質問をしてしまったのは、相手をそんな人ではない、信じているという感じから
抜け切れなかった為と思われます。どうしてあのようなとか、こんな事を問いただした
のかなど、過去に遡ると残念な気持ちになるばかりです。もっとより良い方法や繋がり
方法があったはずという後悔でしょうか。
面会できなくなってから長い期間繰り返しの自己問答を行った為に、愛していると錯覚
してしまったのかも知れないと思う様になってきています。想定問答の末に、もう一度
会えた場合、本当にこの感情が愛なのか確認したいという考えもありました。
今となっては完全に会う事も会話も不可能という状況になり、相当相手が私を嫌悪して
いると考えられるのに、そんなはずは無いという感情と、嫌ってもらって結構だという
思いが出ます。そんなはずは無いという状態の時は、凄まじく悲しくなり、嫌って
もらって結構だと思うときは楽な気持ちになる傾向が分かっています。
相手の二股は私に対する裏切りで、私自身も家族を裏切っていたため、自業自得となり
自分の悪行がすべて自分に帰ってきたと思うようになっています。そして相手は自爆し
てしまったと考えています。一番誠意を持って相手を大切に思っていたのは私自身以外
に無いと考えた時、苦しくなります。相手は一分一秒たりとも自分を思い出しても考え
てもいないと思うとき、楽になります。これまでの3年半の間に、少しずつ、一つずつ
諦めてきたと思っています。最後のこの一月ほどの間に分かった事実が強い悲しみを
もたらし、また同じように苦しくなりました。そして、もう一度嫌ってもらって結構だ
という言葉を繰り返す事で自分を楽にしています。


 
「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる^^ / しまの 引用
No.1198 2016/08/02(Tue) 11:44:35

心の成長の全体にまず取り組む

同じアドバイスになりますが、
心の成長へと向いた中で心を解き放った時、そこに動揺や悪感情を凌駕する、新たな感情が見出される。
ということになります。に、知性理性心の成長考えたもの遥かに超えた、自分自身でも予想だにしなかったような、輝きを帯びた感情としてです。

そこで多く場合、まず「心の成長に向く」という前段段階課題になってきます。それなしに、こうしたアドバイス場面で、最後の、輝きある感情が解き放たれるところだけおいしいとこ取りしようとしてもそうは問屋が卸さない、というものとしてです。
そしてこうしたアドバイス場面僕にできるのは、その前段段階である「心の成長に向く」というものに向けて、ご相談者そうさせてあげる、というのはできず、というのも、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、まずそこにおける「自ら」といのが、究極人に言われてできるものではなく、自分で選択しなければならないものだからです。
で、こうしたアドバイスの場面で僕にできるのは、心の成長向くためのヒントとなるキーワードか、もしくはご相談者の方現状でどのように心の成長に向けていないか指摘することまでになる、という按配です。

そして心の成長に向かうとは、「生涯の学び」として当たる必要があります。これは身体の健康向かうのが「生涯の学び」であるのと同じです。食事運動その他生活習慣身体各所維持向上病気怪我予防対処知識などなど、これ一冊読めばそれで全て大丈夫ですヨ、なんて話は毛頭なく、日頃から新聞TVなどでそうした情報接するに、自分自身実践試行錯誤など積み重ね必要になります。

心の健康と成長のためには、価値観と行動法、感情のバリエーションやその変化の仕組みの理解、さらには生き方姿勢を形作る意識基盤などなど、理解すべきこと広範囲におよぶのですが・・その項目全体『辞典』整理しているように・・、問題は、そのための正しい情報日頃本や新聞TVなどで発信されるような状況ではなく(まこの辺の意見はさまざまでしょうが)としては、ハイブリッド心理学著書時間の折日頃読む習慣と、日常生活での実践を模索することとして、まずは心の成長に向かうということ全体取り組むのを、検討されると良いのではないのかなと提案するのがアドバイスになる次第です。


「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる

具体的問題に際してアドバイスできるのは、ごく外面の行動法答え・・これは具体的に言え、今回の話については、行動法として前アドバイスで言った通り、あとは上記のように、心の成長の全体向かうにおいて、当面の話との関連においてヒントになるキーワード、もしくはご相談者どのように現状で心の成長に向けていない察せられるポイントを指摘するまでができること、という

・・とアドバイスの前置きアドバイスそのものより長い感(^^;)がありますが、前アドバイスへの補足的に言えるのは、どのように現状で心の成長に向けていないかの部分になると思います。

それはこの部分です・・と端的な文章引用しようかと思いましたが、どの文章というより、上の追加レスの全体になりますね。
「愛」を、「気持ち」の問題としてばかり問い、生み出す行動として問えていない、という状況察せられます。

互いが好きという気持ちが合うことをゴールのように抱いている雰囲気察せられるのですが、そんな相手世界ゴマンいてもいいわけ(まそんな好条件はなかなかないのが実情ですが^^;)です。問題は、そこから実際何ができるのかです。
互いが好きという気持ちだけでメシを食うことはできず、現実生活の設計と維持という、一大事業問われるのが人生そして結婚というものです。たとえば「信じている」という言葉出てきましたが、それはいったい何を信じているということか。相手が自分を好きという気持ち信じたところで、互いの現実生活前進しないわけです。
その前に、自分は相手との現実生活を築くためにどのような姿勢と行動を持つか問われます。それが明確であれば、、次の問題相手を信じるかという問いにはならず、そうした具体的行動レベル相手は合意するかどうかです。
互いが好きかどうかというのは前段的な話として、相手と実際何をしたいか、何ができるかが、問われます。念のため、性愛行為以外現実生活行動としてです。
実は、そうした「気持ちの問題だけではない行動への姿勢」持っていれば、相手の態度違っていたのでは、とも思えるのですが・・。

心理学的テーマで言えば、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」です。
そしてその姿勢欠如した時、「愛」が、互いが好きという気持ちの一致がゴールのように抱かれ、その後が意識されずに、そのゴールによって相手が自分を幸福にしてくれる、相手が自分に良くしてくれるというようなイメージで抱かれる傾向が出てきます。
どうもそうした姿勢ではないか、と。
「心の成長」向かうことでことで、「愛」が、大分違う角度からも見えてくる。その先に、前アドバイスで書いた、
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

といったものが見分けられるようになり、(3)答えとして見えてくることもある、というになります。

とりあえず今言えるのはこんなところですかねー。ということで、ハイブリッド心理学取り組み全体向かえそうかなど検討頂ければ^^。
「心の成長」の中で「愛」がどう変化するかといったテーマについて手早くは、以下のような原稿など読みつまんでみて頂くといいかもしれませんね。
メール相談事例集

・No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う
・「魂の感情」への向き合い の説明および事例


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1199 2016/08/02(Tue) 20:57:30

(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?
妄想や一定の考えに捕らわれた心を解放するには、心の成長が必要であり、自ら進んで
実践に移すという事だと思います。病んだ心と思いつつ、とらわれたままです。
納得が行かないと何時までも考えるという感じです。
負のスパイラルとでも言うのでしょうか?
死んだ者をいつまでも思い出し、悲しむという事と似ているような気もします。

昨日、釣りに行って仲良くなった同年輩の男性が魚を私にぶつけてきて元々汚い
ズボンに血がつき、ムッとしました。
何時もの自分なら、へらへら笑って、何も無かったような表情を維持するのですが、
通常怒りを表さないのが自分の弱さでもありますが、相手に怒りが伝わったらしく
無口になってしまいました。でも、自分を何時も抑えるような感じなので、これで
良いのだと自分を言い聞かせました。
何時もの通り、悲しく苦しい思い出を、楽しい釣りの時間にも考えていました。
今でも愛していると思い込んでいる女性の実家へ行ってみようと、この2ヶ月の間
何度か考えました。
昨日、実家へ行ったら、もっと嫌な気持ちになると思いました。
まだまだ隠されている嫌な事が有るのではないかと、これ以上嫌な思いはしたくないと
思いました。従って、恋心はあるけれど、好きだけれど、普通の女性として良心が
有ると考えられなくなってきました。
悪感情がまたまた出てきて、人を信頼するという事が出来ないという感じです。
人は性善説で見ており、小学校で塗り込められた良い人という考えや記憶から外れ
られないのです。従って、相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。
これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人では
ないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。
だから苦しむという事だと思いました。


 
「人の様子」よりも「自分の価値観と行動法」に取り組む^^ / しまの 引用
No.1201 2016/08/09(Tue) 09:01:58

明日から北アルプス登山に出かけますので、迅速手短に^^。

>これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?

「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」原則に立った実践として検討していきます。

対人行動であれば、「建設的対人行動法」として、「共通目標共通利益のみに着目した行動」行います。「愛」を、「喜び楽しみの共有」として向かう価値観にも沿った行動法です。
ですので、相手も同じように楽しみ喜ぶであろうものであれば、何かの行動をしたいという気持ちを、実行に移せば良し(1)
そうでないもの、たとえば「怒り」は、行動化しない(2)
ただ相手に近づきたい。でも相手はそれを喜ばない。であれば行動化しない。それでも相手を思う気持ちに、自分にとって大切なものあると感じるのであれば、それを心の中で守る(3)
で言うとそんなことになります。

そのように、まず「行動法」「価値観」についての自分の考えを築くことによって、それを舟の碇のように水底におろし、荒波のような感情流されることなく解きほぐせるようになります。

上記追加レス材料も、まずはそうした取り組み方必要になりますね。それはまだ未着手のようですので、まずそれを検討頂くと良いかと思います、というのがアドバイスになると思いまず。

>相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人ではないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。だから苦しむという事だと思いました。

これも、「善悪」の価値観テーマになります。ハイブリッド心理学ではについて「良い人」「悪い人」という分類しません行動については、法的、また人道的な観点からの善悪もちろん問います。「原理原則」という視点扱います。
そうした視点なし「良い人」「悪い人」というのを漠然と考えていると、自分の欲求に応える人が「良い人」で、そうでないのが「悪い人」といった、てんで方向性なしのイメージの話になってしまいますね。
この辺『入門編上巻』詳しく説明しています。

ということで、現状
・人の様子→感情動揺
という流れになっていると思いますが、そこから、
・→自分の価値観と行動法の検討(ハイブリッド心理学の学び取り組み)→感情動揺の解きほぐし
という進め方をするよう、検討してみて頂ければと思います^^。

まずは多少の読書からになると思います。じっくり「生涯の学び」として進めて頂ければ。そうした進め方をしようとして、これこれが不明といったなど明瞭化して頂ければ、さらに踏み込んだアドバイスもできるかと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1203 2016/08/16(Tue) 12:06:36

入門編第1巻を読み始めました。まだ、まえがきの部分からそれ程進んではいませんが、
重く沈んだ苦しい感覚が何度も打ち寄せてくる状況が少し変わっています。
あまりにも酷い仕打ちをされて、例えば、相手の女性が引越しをしたという事を周りの
人々は知っているが、自分だけは知らされていないという小さな事柄を知った時、
また、隣に座っている人と夕食をとったけれど、私とは面会さえしてくれなかった事、
そんな事ができる心根はいったい何かという事を考え続けた苦しい時間が本当に無駄
であった様な、忍耐力がついたから良いかといった感覚が出てきました。
どうしてそんな事が出来るのか信じられないという感覚から、あきれてものも言えない
という感覚です。いままで、早く忘れたいと思っていた事が、徐々にどうでもよくなって
来た感じです。ふと気がつくと、相手の立場になって何時も考えています。
自分が相手だったらという考え方だから自分本位かもしれませんね・・・
自分の事を優先させることにしたい。思い出したくない様なお付き合いは金輪際しない。
あまりにもくだらなく下劣な行動をしない。自分勝手で卑怯でインチキで人非人の様な
本当に酷い無茶苦茶なやりくちで他人を置き去りにしない。
私は、幸せになりたい。私にとって幸せとは何か。愛する女性を愛しぬく。一生をかけて
幸せにする。そのために、年金が出るまでに何とか出会う。自分を真正面から見てくれる
信頼でき、本当の意味で愛する事ができる女性と生きる。というものです。
しかし、これだけ囚われると本当に困ったものだと、どうしたら良いか分からなくなる。
これを乗り越えたら、きっと幸せに向かえる気がする。


 
読書と実践^^ / しまの 引用
No.1205 2016/08/23(Tue) 09:47:51

まずはさまざまものの見方考え方価値観思考法行動法内面感情の理解の仕方、そして心への取り組みについて触れるという感じでいろいろ読み進んでみて頂ければと思います^^。

その先に、「価値観」「行動法」選択に応じて自分自身問題材料どう考えられるかという、選択テーマを明確にした思考取り組みをするのが、まずは道筋になると思います。
たとえば
・「愛」への向かい方価値観として、「楽しみ喜びの共有」それとも「分かり合い認め合い」として向かうという、価値観選択がある。自分内面感情そのどちらで動いているのか。別の価値観に立った時、どのように考えられるか、といった思考取り組み
それが「実践」になりますね。

そうしたテーマ選定的この部分はどうか、といった材料あれば、また新規トピックなどで入れて頂ければ懇切アドバイス返していきますので^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1206 2016/08/25(Thu) 12:19:13

人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?
今、かなり強く相手の女性がちっぽけで愚劣で汚らわしく思うようになりました。
以前は、その女性はマッサージ師をしていた為、指が割と太く、それも真剣にやっていた
から素晴らしいとか、とっても前向きで、尊敬すらしていたのに、これまでの私への
暴言や愚かな行動と拒絶を見ていると、人間としてかなり愚劣で劣っているし、誠実さや
問題に対し正面から向き合う、人を裏切らないという真摯さのかけらも見受けられない。
嫌な悲しい思いをさせたくないという愚かな思いやりが、益々強く私の心を傷つけると
いう事を考えもしていないと見られます。
同じ会社の2人と肉体関係におよび、夕食を同席する危険な事すら気にもしないという
態度と思いやりの無さがあまりにも悲しくちっぽけ過ぎる程に思うようになりました。
そんな人ではないという思いを深く裏切られたという残念な思いすらも、もったいないと
思うようになってきました。色々な悲しみ・苦しみ・悪感情を凌駕する、新しい気持ちが
芽生える事がひょっとしたらあるのではないかと、時と共に感じる様な、そして、希望が
持てるようになりました。こうした事ばかり考えていると読書が進まないという動揺と
いうか、集中できないという感覚なので、まだ少ししか進んでいません。


 
「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ^^ / しまの 引用
No.1207 2016/08/30(Tue) 09:18:09

「人を信じる」とは

>人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?

まず「信じる」とは「疑わないこと」だと辞書では出てきますね。
それが「人を信じる」というテーマとなれば、
?@人の心の根が良いものであることを仮定した思考を選択する
?A期待をかける

という、大きく2つになると思います。ま言葉の定義ですね。

ハイブリッド心理学では、「人を信じましょう」というしていません
人の心の根が良いものであるかどうかは、ケースバイケースです。疑うことが必要になる場面も、社会生活では出てきます。安易な儲け話持ちかけられた場合など^^;
一方心の根が良いか悪いかは、心の健康にも関係します。心の根悪いものに傾くのは、心を病んで生じる「心の荒廃」関係します。心が健康であるほど、「良心」にも傾くというのが、ハイブリッド心理学の考えです。
誰が誰にどう期待をかけるかどうかは、もう完全一般論のない、人それぞれ「望み」になりますね。

心の成長への取り組みとしては、そうしたものとして、
・人と社会を見る目を、人生を通して築いていく
・自分の望みに向き合う

という2面重視しています。


「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ

そこにさらにハイブリッド心理学採用する各種思考法行動法生き方姿勢加えて考えるならば、「人を信じる信じない」といった思考そのものを、卒業する方向向かうのが、ハイブリッド心理学取り組みだと言えると思います。

人の心成長によって変化します。もし自分心の成長を目指すのであれば、人の心決めつけず、変化の可能性も視野に入れたいところです。
一方でハイブリッド心理学採用する「原理原則行動法」は、人の心の内面執拗に問うことなく外面における客観的な事実に基づいた、厳然とした対処行う方向のものです。

そうして、人生を通して人と社会を見る目築きながら、実際の場面においては、人の心が変化するものであることへの視野も持ちながら、内面にあまり立ち入ることのない厳然とした行動法も行っていく。
そうした多面的な心の視野持ちながら、自分が何を望むのか真正面から向き合う。すると最後人をどう見て自分がどう行動するかは、人が信じられるか信じられないかに増して、自分自身をどう信じるかの方が重き持つものになっていきます。

「心を解き放つ」惑い煩い動揺凌駕する感情開放されるというのも、そのように揺らぎない自己築く方向性先にあるということになりますね。

今回の件に限らず、日常生活人生さまざまな場面において検討するものとして、そうした自己方向づけ参考としていろいろ読んでみて頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1208 2016/08/31(Wed) 12:17:42

ハイブリッド心理学入門編1巻の25ページ、悲しみの彼方への旅72ページまで進みました。
入門編1巻に怒りは自らを傷つけ、悲しみは治癒を促すという事が本日までの良い言葉
として私の心の中に残りました。
相手の女性はそんな事をするはずは無いという気持ちと、その酷い言動のせいで、不快な
男性の上司になり、定年前に関連会社へ出向して収入が減額される事を避けるという良い
話に乗ることが出来ないという流れの中で、怒りと悲しみが拮抗します。
「私悪い事してる」その他口には出せないほど惨く汚らわしい言葉の意味を3年半かけて
知ったという事で、記憶から消えない状態です。
悲しみが続いているのも事実で、他の対人関係も切れ切れになってしまいました。
愛の共有によって幸福になりたいという希望がありながら、前に進めなかった事の残念さ
がありますが、自分の気持ちが判然としたという事が唯一何か良かった事としています。
昨日、お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくないと
言われました。益々、弱りきっています。
今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替え
なければ自滅する感じです。道を歩いていて他人が極めて不愉快に感じます。
いままであれほど会いたかったのに、今では恐ろしくて会いたくない。間違って会って
しまった時に備える為に、発言する内容を2通り考えていましたが、もちろん相手は
逃げ隠れするから心配ないと思いつつ、それすらも嫌になりました。自分の部下以外は
全員が敵で、我家族は別離したい対象でしかありません。今、心を入れ替えないと
本当に自滅すると感じます。
本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが強く沸いてきました。


 
「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け^^ / しまの 引用
No.1209 2016/09/06(Tue) 13:41:29

「感情と行動の分離」の原則に立った検討

ハイブリッド心理学からは、どんな問題についても、
「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」
という「感情と行動の分離」原則に立って検討します。

>益々、弱りきっています。今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替えなければ自滅する感じです。

というで言えば、こんなアドバイスになるかと。
・まず、気分感情としてではなしに、外面の客観的現実問題を見分け、それに対処する建設的な行動学を学び、心の健康と成長のためのものの見方考え方に接し、馴染んでいく。
・それを皮切りに、内面感情の揺れを生み出した自分の考え方について幅広く見直しながら、内面感情にも深く向き合っていく。


つまりまず、「弱りきっている」「自分がつぶれてしまう」感じることにある、感情の問題と、客観的現実問題切り分けることからです。

もしそれが身体的病気怪我疲労、もしくは金銭的な、あるいは仕事上トラブルであれば、対処必要であり、また対処知恵が出てきます。
一方、「お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくない」言われたというのは、対処すべき問題ではありませんそう思われたのであれば残念なことでしょうが、反撃したところで何も生まれません。まず何もしないことです。それが心の優しさ包容力自らが培う方向性への、第一歩になるでしょう。

そのように、まずは「問題の切り分け」から。


「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け

まあ書いて頂いていること全体として、「過去への怒り悲しみ」というものになっていると思いますが、それをまず、「現在の問題の見方考え方への取り組み」というものに切り替えるのが、基本的心の切り替えになると思います。

そこで治男さんの場合重要になるのは、
・個人的な望みや意向に沿うか否かの問題と、「善悪」の問題の混同
というのを脱することだと思います。

自分他人個人的な望みや意向沿うか否かは、基本的人それぞれの勝手であり、まずは人の動きを受け入れるのがいい。それについて惑い悩み不要方向へと、心を持っていきたいものです。
一方、法的、人道的、さらには社会や集団の仕組みから言える「善悪」というものについて、客観的で原理原則的な考え方取るようにする。

まあちょっと抽象的かと思いますが、まずは「現在の客観的な問題」内容正確に把握することから始め単にものごとが自分の思い通りになっていないのを受け入れる、もしくはしっかり対処が必要な問題には対処する、という切り分け取り組んで頂くといいと思います。
対処が必要そうな問題については、ハイブリッド心理学からまた具体的アドバイス可能かと思います。レスがあまり長くなるのも見ずらいかと思いますので、適宜新規トピックにして入れて頂ければ^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1210 2016/09/06(Tue) 14:12:06

本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが沸いてきました。それが本当に自他共に正しいと思えます。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1211 2016/09/06(Tue) 15:24:54

>幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければなりませんね。

「“今”を原点としたスタート」として向かって頂ければ^^。
また具体的取り上げたい場面課題材料等あれば、個別新規トピックなどで入れて頂くとよろしいかと^^。



ハイブリッド心理学においての具体的な実践についての質問です。 / Air 引用
No.1202 2016/08/13(Sat) 00:27:38

島野さん、初めまして。
現在25歳の社会人の男です。

私の悩みに関してハイブリット心理学では
具体的にどういった取り組みをしていくのかについて質問させてください。

私の悩みは2段階あります。
純粋な悩みと、その悩みを解決できない悩みです。

まず純粋な悩みの方から説明させていただきます

この悩みは、
【人の目・人からの評価を過剰に気にする。】
が一大テーマになっているように感じます。

特に直面することが多く私自身悩んでいることを以下に列挙します。

1.自分の要望をなかなか人に伝えられません。その相手が家族だとしてもです。

相手の言動に対しての要望の場合と自分の純粋な要望な場合があります。

その要望が相手の言動に対しての改善の場合、
嫌だけど我慢できる範囲なら言わないでおこうと思っています。

でもどうしても我慢できず伝えずにいられないという時は
怒りがこもった伝え方をします。
(例:「なんで〜なんだよ!」など。)

そう伝えた後、相手のその言動が改善しようがしまいが
自分の感情は怒りのままです。

改善の場合→「改善できるんだったらもっと早くやれよ!」と思い、怒りの感情。
改善しない場合→「俺はこれだけ我慢してるんだから俺の気持ちを汲んでくれてもいいじゃないか!」と思い、怒りの感情。

その要望が純粋な自分の要望な場合、
「これを要望したら相手に嫌われるんじゃないか」「迷惑なんじゃないか」
「まだそんなことを要望できるような関係じゃないのにと思われるんじゃないか」などと思い
要望することに強く恐怖・不安を感じます。

そのため要望できない、もしくは要望したとしても相手の機嫌を伺うような物言いになります。
(例:嫌だったらいいんですけどもし嫌じゃなかったら〜、など。)

そして要望が受け入れられない時には
「嫌われてしまった」「やはり迷惑をかけてしまった」
「こんなことならやっぱり要望するんじゃなかった」と考え
自己嫌悪、自分を責めるような感情になります。


2.仕事で分からないことがあった時になかなか質問できません。

「こんなことも分からないのか」「バカなのかこいつは」
「なんで今更こんな質問するんだ」「今時間ないのに迷惑なやつだ」
と思われるんじゃないかと思い恐怖を感じます。

それを乗り越えて質問してもその回答に理解できないところがあった時に
そこを追求できず分かったふりをしてしまいます。

追及できないのは上記の質問できない際の思考と同じものが浮かぶからです。
「こんなことも分からないのか」「バカなのかこいつは」、、、。

追及できずに分かったふりをしたあとは
「何のために質問したのか」「結局状況が変わっていないじゃないか」
と自己嫌悪になります。

そして「これでまた同じ質問したらさらに無能なヤツと思われるだろう」と考え
もう同じ内容で質問することはできません。

でも状況は依然として分からないことが分からないままなので
「じゃあもうどうすればいいんだ・・・。」と焦り・追い詰められた感を感じます。

3.マンションに住んでいるのですが、
その帰り道で前を歩いている人も同じマンションに入って行った時に
怒りや自己嫌悪といった感情になりつつ、迂回して少し時間が経ってから帰ります。

その時の自分の内面をあえて言語化するならば、

「俺は同じマンションに住む人と同じエスカレーターに乗りたくない。
なぜなら窮屈感や同じマンション住民として挨拶をしなくちゃいけないといった義務感を感じ、
それらが不快だからだ。

だけどこのまま俺もマンションに入ったら同じエレベーターに乗るかもしれない。
それは避けたいから少し迂回してから帰ろう。

でもなんで俺はこんなことをしているんだ。前のヤツがいなければ普通に帰れたのに!(怒り)

家に帰るだけでこんな状態になっているのは俺だけなんじゃないのか。
俺がおかしいんじゃないか。なんで俺はこうなんだ。(自己嫌悪)」

となります。

4.他人と会話する時に自分の本心・本音を過剰に隠します。

具体的には、
・面白くもないことに笑う、
・相手の意見と自分の意見が違う場合には自分の意見を殺し相手に合わせる、
・頭の中でひとつひとつ自分の発言が相手を不快にさせやしないかとチェックし、
これなら大丈夫だろうと確信できたことだけ発言する。
→なので言葉がすぐでてこない。
→でもあまりにも返しが遅いと会話が成り立たなくなるので、焦る。
→とんちんかんなことを言ってしまう。
→自己嫌悪。

などです。

なので、人と会話するだけで異常に疲れを感じます。

この結果だけ見ていると、私にとって人との会話というものが
“私はあなたの敵ではないですよ、無害ですよ、だから攻撃しないでねと全力でアピールする場”
になっているみたいだと今感じました。

5.挨拶しても返ってこない、メールをしても返ってこないなど
自分からの働きかけに対して自分が望むような反応が返ってこない時
自分の存在というのは相手にとってはその程度なんだ、と思い自己嫌悪になります。

「こっちからわざわざ働きかけているのにその反応はなんだ!」と怒りの気持ちも湧いてきますね。


そして次に、これらの悩みを解決できない悩みです。

これらの悩みを解決するために本などを読むのですが
そこで次の段階の悩みに進みます。

大体の流れを書いてみます。

1.悩みに合致したテーマの本を読んでみる。

2.
(内容が理解できて行動できる場合)
→とりあえず行動してみる。
→うまくいかない。
→自分なりに今度はこうしようと考えまたやってみる。
→うまくいかないことが続く。
→嫌になる。
→解決への行動をやめる。

(内容が理解できて行動できない場合)
→行動しようと思う。
→「失敗したら恥ずかしい」「この行動をしたら人からこう思われんじゃないか」と考える。
→恐怖・不安を感じる。
→嫌になる。

(内容が理解できない場合)
→とりあえず先を読んでみる。
→やっぱり理解できない。
→嫌になる。
→理解しようとするのをやめる。

3.自分の望みは叶えられないんだ、一生このままなのかと思い、絶望のような感情になる。
4.その悩みを解決することから離れる。
5.生活する中でまたその悩みに直面する。
6.やはり解決したいと思う。
7.1に戻る。

この流れを中学生ぐらいの頃からずーっと繰り返しています。

実際、ハイブリット心理学の書籍を木曜日に1日かけて入門編の上巻、下巻を読んだのですが、
理解できないところが多く、結局自分の悩み・課題について
今ここから自分は具体的にどうしていけばいいのだろうと悩んでしまいました。

ちなみに理解できないというのは、納得ができない、というより
日本語として分からないといいますか、読んでもまったく頭に入らないといった感じです。


こういった状態から心の成長に向かうには
具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。

こういった質問自体が他人への依存であり病んだ心なのだとは思うのですが
ご回答いただければ嬉しく思います。

よろしくお願いします。


 
「頭で理解」の真の姿・悩みの状態ではなく内容に取り組む^^ / しまの 引用
No.1204 2016/08/22(Mon) 14:26:24

実践のステップ

これはまず、人生で役に立つ生き方思考法行動法実践というものが、どのようなステップを経て身になっていくのかの説明からするのが良いかと。
それに照らし現状での進め方どんな不足があるのか、というできるかと思います。

で、実践のステップには主に3つがあります。
?@まず頭で理解する
?Aそれを実際の場面で応用実践する
?Bそれを積み重ねる


実はそこにさらにもう一ステップがあり、
?C結構な積み重ねの先に、心が実際に成長変化する
成長変化するとは、もはや四苦八苦することなく、心が自動的に、自らを幸福にするように動くようになるのを、自分自身で実感できるといことです。
そこに至り?@の「まず頭で理解」したことが、人生の真実であったことへの確信得られることになります。それにより、応用実践積み重ねは、もはや微塵の揺らぎもないものとなり、心の成長変化加速度的に進むことになる。
おおよそそんな流れを言うことができます。


「頭で理解」することの重要性

そうした心の成長への実践ステップの中で、どれが一番重要か僕の考えを言うならば、
?@まず頭で理解する
というステップです。

なぜなら、それがないと何も始まらないという、単純順番的もありますが、それにも増して、人生で本当に役に立つ姿勢と思考法行動法とはどんなものなのかという、その真偽のふるい分け重要になるからです。
それだけ、に出される生き方や思考法行動法の指南は、最後まで本当に役に立つものが驚くほどまれな、一時しのぎの励まし慰めもっと悪ければごまかし大多数占めているからです。

そこでありがちなのが2パターン
一つは、「頭では分かっているつもり」という、自分自身への建前の、ごく浅く上辺だけの思考実際行動場面になると、分かっているつもりのものとは正反対の行動をしたりするケース

そしてもう一つ多少とも奥の深い話になりますが、今聞いて話として言葉として理解できるというのは、変わることのできない今の心の中ですぐ分かるという程度の話しかない、ということです。
つまり、今の心未知の心変化する道筋を述べたものを、実際そうした体験をまだ経ていない心で、理解できるはずもないわけです。
むしろに、今聞いても分からないような話としてこそ、今の未熟な心が豊かに成熟した心へと変化していく、道筋と鍵がある。そうした目線を持って、まず学ぶことから始めなければならない、ということです。
ただしそうして学ぼうとする、世に出される生き方指南大半は、一時しのぎ程度、さらにはごまかしでしかない。
それをどう見極め整理していくか。そうしたものとして、
?@まず頭で理解する
というステップ重要になる、ということです。


「頭で理解する」の真の姿

そのため、「頭で理解する」こととして重要なこととして、
・「頭では分かっているつもり」という「理解の浅さ」への理解
・言葉として(実感として)分からないことの中にこそある次のステップを感じ取る理解

といったものを言えます。

たとえば、
>(内容が理解できて行動できる場合)→とりあえず行動してみる。→うまくいかない。
>(内容が理解できて行動できない場合)→行動しようと思う。・・・・→恐怖・不安を感じる。→嫌になる。
というのは、「理解できている」とのことですが、結局は分かっていないわけです。なぜうまくいかないのか、なぜ不安を感じてしまうのか。ではどうすればいいのか。

姿勢行動法について「理解する」言うのであれば、「こうできればいい」という基準あったとして、それができない場合なぜできないのか、できそうなものになぜ不安を感じるのか、ではそのギャップ克服どのようなものとしてあるのか、というさらに一歩踏み込んだものあってこそ、「理解する」言えるものになります。
またそうした一歩踏み込んだ知恵提供してこそ「心理学」なのですが、世に出ているもの9割がたは、そうできれば何の苦労もない、「こうできればいい」という絵に描いた餅のような基準言うだけのものが大半かと思います。

一方でハイブリッド心理学は、言葉としても容易に理解できないであろうことかなり言うと思います。たとえば、
・今の心が死んだ後に、新たな心が芽生える
・「魂の望みの感情」のの燃焼量に応じて「自発的幸福」が増大するのが、「心の豊かさ」への最終的な答え

といったなど。
ではこれにどう向かい得るか言うならば、結局やはり言葉として覚えないと、なかなか進みようがないわけです。言葉として覚えることで、それだけではそこに向かって進みはしないけれども、多少ともその方向を向く。そして生きる体験で、やがて「これがそのことなのか!」見える時訪れるわけです。力強い前進できるようになるのはそれからです。

ですので、「頭で理解する」という最初のステップで、まず問題課題解決ヒントになりそうな情報本などからを得るのはいいとして、そこに、
・そこに書いてあるのは、そうできれば苦労はないような、うまくいった基準の姿か、それともそれができない場合の原因究明や克服など、さらに踏み込んだ深い知恵か
・いずれにせよその内容について、自分は本当に心底から理解納得するか

という2面の、「自分の考え」明確にする作業加えることが重要になります。
まあ深い心理学ほど話が何段階にもわたり、納得理解を進めるのも難しく最初うまくいく姿だけを安易に謳ったもの惹かれると思います。いいでしょう。それを実践してみる体験の中で、うまく行かない原因が見え、より深い心理学言っていることが、言葉として分かってくる。ただ解決姿理解できない。そしてさらに人生の歳月で・・。
といった長い取り組みになると思います。


ハイブリッド心理学ではどう取り組むか

ということで、話が理解できてどうこう、あるいは理解できなくて、という「理解する」ということ自体どう理解するかという前段的な話すっかり長く(^^;)なりましたが、上述のようにまず自分が理解していると感じること自体について厳密に問いながらことに当たるのがお勧めですというのを主旨として、ハイブリッド心理学ではどうなるのか簡潔アドバイスしましょう。

このご質問への回答になりますが、
>こういった状態から心の成長に向かうには具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。

多少とも読んで頂いていればこの言葉出てきているのがお分かりと思いますが、ハイブリッド心理学では、
「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」基本原則に立った「実践」を、具体的場面課題ごとに実践することを行います。

で、それが書いて頂いた、

>1.自分の要望をなかなか人に伝えられません。その相手が家族だとしてもです。・・(略)・・自己嫌悪、自分を責めるような感情になります。
>2.仕事で分からないことがあった時になかなか質問できません。・・(略)・・「じゃあもうどうすればいいんだ・・・。」と焦り・追い詰められた感を感じます。
>3.マンションに住んでいるのですが、・・(略)・・俺がおかしいんじゃないか。なんで俺はこうなんだ。(自己嫌悪)」となります。
>4.他人と会話する時に自分の本心・本音を過剰に隠します。・・(略)・・なので、人と会話するだけで異常に疲れを感じます。
>5.挨拶しても返ってこない、メールをしても返ってこないなど・・(略)・・自分の存在というのは相手にとってはその程度なんだ、と思い自己嫌悪になります。
>そして次に、これらの悩みを解決できない悩みです。

といった「悩み」解決のためには、どうすればいいかですが、
まず言えることはこうなります。
それは解決はできない。それは悩みの「内容」のことではなく、「状態」のことだからだ。
悩み内容ごとに、解決向かって「実践」問うことができます。その積み重ねによって、「悩み」「状態」も、変わるかも知れない。

つまりまず、「自分の状態」悩み、それをどうこうしようとする姿勢から、「具体的場面課題」しっかり捉えて、その内容ごと知恵とノウハウを学び実践するのが、ハイブリッド心理学行うものになります。
まあもっと平たく言えば、悩んでいる場面の内容を、もっと具体的に検討せよ、ということですね^^。もっと具体的にした段階で、ハイブリッド心理学からいよいろ知恵とノウハウ、そしてより根本的生き方姿勢の選択肢提示が、出てきます。
それは『辞典』でいま整理していような項目わたります。
つまり、具体的問題ごとに、問題の内容を詳しく整理し、その克服のためのテーマを把握し、その内容を学んでいく、ということを地道行います。
それが、
>こういった状態から心の成長に向かうには具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。
への回答です。

そうしたものとして、一つ一つ取り組んでみるか、ですね。
そこからはもうここで書けるほど手短にはできず、それこそ一つ一つ取り上げての検討になりますが、どんな視点出てくるかのごくキーワードだけ書いておくと、こんな感じかと。

>1.自分の要望をなかなか人に
要望の内容
応じ「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」どれを用いるかといった「行動学」になります。

>2.仕事で分からないことがあった時に
「価値を生み出す質問」という仕事のスキル
読者広場以下トピックなど参考
『仕事における「質問の仕方」「モチベーション」「怖れの克服」^^』 しまの No.1150 2015/11/23

>3.マンションに住んでいるのですが
相手との知り合い度に応じた立居振舞い法検討

>4.他人と会話する時に
これも会話の内容に応じた行動学です。そこに本音と建前という区別問題ありません

>5.挨拶しても返ってこない
交友親愛への価値観および行動法全体にまず取り組みます。


もしハイブリッド心理学の取り組みとして進めたいようであれば、一つ一つまたトピックとして入れて頂ければ、それぞれまた時間頂くと思いますが、より具体的アドバイス可能です^^。



人が部屋に入ってくるのが嫌 / 卯衣 引用
No.1191 2016/07/23(Sat) 13:22:37

私の部屋はお姉ちゃんと同じなのですが、お姉ちゃんが入ってくる途端イライラします。
どうすればいいでしょうか?


 
「自己分析」で原因ごとに対処^^ / しまの 引用
No.1193 2016/07/25(Mon) 11:14:22

これは一個前のトピックでもテーマになりましたが、「自己分析」必要ですね^^。
自分は何を、なぜイライラするのか、と。
そうして見えてくる原因の問題ごと対策考える、ということになります^^。

たとえば姉にいつも何かイチャモンをつけられる、あるいは何かを干渉されるのにイライラする、ということであれば、さらに、イチャモンをつけられたり干渉されたりする内容それぞれに、どう対処するか取り組みます。具体的「学び」出てくるのはここからです。
あるいは姉の様子どうこうよりも、自分一人の部屋が欲しいのに、という気持ちからイライラが起きているのであれば、また別の話になりますね。まこの場合今どうこうできる話ではなく、将来計画をしっかり練ることが対処なるかも知れない。

そのように自己分析によってイライラ原因分析し、面倒かも知れませんが原因ごと個別に、地道対処積み重ねていく、ということになりますね。
その積み重ねで、対応能力の高い、落ち着いて行動力のある人間へと成長できます^^。



客観性を手に入れようとすると起こる矛盾 / 第三極 引用
No.1183 2016/05/26(Thu) 19:48:32

客観性は非常に重要な概念であり他者に迷惑をかけないようにするという点で欠かせないものであると思っています

しかし今の私に客観性はあまりありません それを補うための応急処置として賢者を装い、他者と関わらない事で客観性がなくても生きられるようにしました しかし客観性はないのですから人と関わったとき他者に迷惑をかける自分があるという事は変わらないわけです

ですので完全な解決のためには客観性が必要である事は変わりません 客観性を手に入れられたとしても変わらないかもしれません ですが今の私は他者に迷惑をかけたくないと思っています よって客観性を手に入れるだけであらゆる惨事を防ごうとするはずなのです 防げるのです

ここまでいっても客観性を手に入れられないのは私の有謬性にあります 私は原罪を抱えて生きているのです 私が未熟であったが故に他人に迷惑をかけた ですが今の私は客観性を持たないが故に過去の事象について迷惑をかけたという事実しか把握していません

しかし客観性という認知能力を手に入れるとあらゆる過去の負の遺産に悩まされる事になるのです あらゆる迷惑をかけた者達の意識を知る事になるからです 地獄です 私にとって客観性は諸刃の剣なのです 少し前の事ですが客観性がなかった事で他者に迷惑をかけた事があります それについて客観性を一時的に手にした時は相当自分の精神が参りました

迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。私はそれに耐えられません 今は客観性を放棄しているので精神は安定しています しかし私がちゃんと育てられていれば無謬でいられたはずなのです いや そもそもにおいて早期に客観性を獲得していれば私はきっと負の遺産を築き上げる事もなかったでしょう

今の私は過去の私を否定しています 違う人間なのだと。彼とは違うと。自己連続性の否定です 否定する事が価値ある事だと思い過去の自分を否定しているわけではありません 私はただ過去の自分が嫌いなだけなのです 私は私の過去を思い出したくありません 思い出してもいいのですが客観性の度合いが強くなるごとに鬱になっていきます

客観性を手に入れる事の矛盾です 私は客観性を手に入れたいです でも過去の自分が冒したことで悩みたくもありません 過去の自分を完全に切り離せない私が問題なのかもしれません ですが過去とつながっている以上過去を思い出させる人間と会う事は必ずあります ですがそのときに客観性を持っていれば持っているほどショックは大きくなるのです

この解決のためには過去を断ち切るために完全に引っ越すか記憶を消すくらいしかないでしょう しかしそれは現実的なことではない このような場合客観性を持ったまま精神を安定させる方法はあるのでしょうか?


 
「自分の過去の罪への苦しみ」への「客観性」取り組み^^ / しまの 引用
No.1184 2016/05/31(Tue) 21:32:43

「主観」と「客観」

う〜んこれはちょっと話が逆のような気ちらほらしているのですが、明日昼出て金曜まで予定にて北アルプス登山に出かける予定のため、手短に^^。
まあ一つには言葉使い方問題があるとして、言葉定義から確認しておきますと、

まずは、
「主観」・・・自身の感情によってものごと解釈した内容
「客観」・・・現実の事実からものごと解釈した内容

であり、そこでさらに、
「主観性」往々にしてものごと不正確で歪めて解釈する方向性であるのに対して、それを正確で健全な解釈へと修正するよう働きかける方向性として「客観性」がある、という言葉使い方になると思います。
これはよろしいでしょうか。

それで言いますと、
>しかし客観性という認知能力を手に入れるとあらゆる過去の負の遺産に悩まされる事になるのです
あらゆる迷惑をかけた者達の意識を知る事になるからです 地獄です

>迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。私はそれに耐えられません
>思い出してもいいのですが客観性の度合いが強くなるごとに鬱になっていきます
>過去とつながっている以上過去を思い出させる人間と会う事は必ずあります ですがそのときに客観性を持っていれば持っているほどショックは大きくなるのです

これは、上の定義で言う主観だとそう感じる、というかと^^。
一方書いて頂いた文面ですと、「客観」「仔細・克明」「主観」「曖昧・滅却」というような言葉の使い方書いておられるのではないかと。問題の件としては、自分過去「有謬」について克明仔細に思い出すことを「客観」表現し、そうすると上の引用のように感じる、という
まあ確かにその2項等式そのようになる傾向多いかも知れず、「客観」「曖昧・滅却」であることはないだろうが、「主観」「仔細・克明」描かれ虚構を作り上げる、ということもある。そうではないかがまずは要注意ですね。

つまり、文面では「客観性」得る悩みが出るという話のようですが、上記定義から言えば、ぶっちゃけて言ってしまってご了承ですが、そもそも「客観性」の視点がない、さらにはもしや、そもそも「客観性」が分かっていないというのが問題課題ではないかと言える、という話です。


「過去の罪への苦しみ」の克服取り組み

ということで、
>この解決のためには過去を断ち切るために完全に引っ越すか記憶を消すくらいしかないでしょう
しかしそれは現実的なことではない このような場合客観性を持ったまま精神を安定させる方法はあるのでしょうか?


という問いそのものからリセットさせて頂き、書いて頂いた範囲ハイブリッド心理学が捉える問題、そしてその克服への課題とアプローチなどざっと簡潔説明しますとの通り。

1.問題現象
「自分の過去の罪・有謬への苦しみ」

2.克服への課題とアプローチ
一言でこう言えます。
まず外面においては、その「罪」の重みとそれに応じた適切な補いの行動の選択肢を客観的に判断し実行することとして、適切な社会行動を果たす。
内面においては、「苦しみ」がどう克服されるかは、今問うことのできる問題ではなく、人生を通して心の成熟に向かう歩みによって、感じ方がどう変化するかの問題となる。

つまり課題としては3つとして構成されます。
 1)自分の過去の「罪」の重さを客観的に判断する。
 2)今現在において、それを補う行動として適切なものがあり得るかを、これもやはり客観的に判断する。
 3)心の成長成熟への歩みに向かう。これはこれから先数十年といったスパンの話となる。


1)2)で、「客観性」重要になります。ここにおいて、「引っ越すか記憶を消す」といった逃げナシです。
3)は、もうこの問題の件の話ではありません。これからの人生どう前向きに生きるかの全体問題です。
一言で、過去の罪とは、足につながれた重しです。それが完全に取り除かれければ前に進めないと、嘆きの中で生きるか。それとも、誰もが程度の差こそあれ、それを持つものと受け入れ、重しがつながれた足を踏ん張って前に歩くか。
そうして前に歩いていった長い歳月を経て、やがてその重しどんなもの見えるか。変わることなく身を潰すかかのような重みのままかも知れないし、実はもう何の重量も持たないものになっているかも知れない。どのどちらであろうとも、もはや揺らぎない心受けとめられるようになるのが、「成熟」だと言えるでしょう。

手短に、そんな話ですね。
まず1)2)については、たとえば人の金を盗んだ(^^;)となれば、相応の賠償を行うといったことが考えられるでしょう。
一方、
>迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。
というのが客観的に相応するのは、殺人を犯してしまったというレベルの、重い罪場合でしょう。
そうではなく、単に何か理想的な振る舞いを損なった程度で、「殺したい」という目で見られるというのは、健全な話ではありませんね。CENSORED」「CENSOREDといった言葉気軽に使うのが最近の若い人(^^;)風潮なのかも知れませんが、それはちょっと病んだ文化だという認識を持てることが重要になると思います。自身の攻撃衝動投影かという自己分析視点有用かも知れませんね。
そうして客観的な判断取り組む一方、だからと言って「殺したいという目で見られる感覚」などの「主観」を、どうこうしません。それは「ただ流す」ものにします。「感情と行動の分離」ですね。この基本原則についてはご理解頂いていますかどうか。


以上、ハイブリッド心理学からの考え方ごく手短に書いてみました。
まずは上記1)2)について、実際の具体的問題の件の内容に応じた「客観的判断」内容が、具体的に問題になりますね。
差し障りない範囲具体的お伝え頂ければ、が考える「客観的判断」考え方などをさらに具体的にアドバイスできるかと思います^^。



泣くことについて / しまの 引用
No.1176 2016/05/04(Wed) 09:24:39

ブログ記事(4/27)触れたように、最近以下のような趣旨ご質問を入れて頂きました。ご質問自体その後取り下げられておりますが、今までまとまった考察整理をしていなかった興味深いテーマと思いますので、取り上げさせて頂きコメント掲載などしようかと思います^^。

ご質問内容
泣くのは体にいいという古い記事を読みましたがどうにも泣けません。というより、泣くのは究極的には無くすべきだとも思います。泣くというのは一時的にスッキリするだけ問題何も解決していない現実何も変わってないと思います。あんまり泣いてるとどうでもいいこと泣けてきますから生活にも影響が出ます。むしろ泣かない方いてスッキリしたにくる後味の悪い不快感を感じずに済みます。問題泣くかどうかではなく理性物事を見る、納得することだと思います。

記事ではテレビで見たものに泣いたそうですが、これはいわゆるお涙頂戴ものではないでしょうか?今の世の中お涙頂戴氾濫しすぎです。泣いて泣いてせがんできます。まるで泣かないことかのようにも思えてきます。
最たる例が、んで泣く大切な人んで泣くです。本当にそれが正しいのでしょうか。んでも泣きたくないです。本当強いなら泣かないはずです。わざわざ葬式など行くから泣けてくるんです。現実正しく見据えた人間ならば泣かないはずです。親離れできないから泣くんです。自立すれば泣きません。 納得すれば人の死受け入れたことにもなりますし感動ポルノを見ても理性当たり前の現実としか理解しませんので泣きません。一々泣いてらエネルギー使い果たしてしまいます。

泣くこと体にいいことと感動ポルノを見ても泣かない両立するには感動ポルノ見なければいいかもしれませんが、泣く要素至る所転がっています。見る泣いてしまうなら見なければいいで片付ける問題でもないと思います。泣かないならば感動ポルノ騙されることもなくなります。芸能人感動ポルノ泣いたりしてるもいますが聖人君子装っているようで気持ち悪いです。裏の顔持っているくせに自分善人仕立て上げようとしているのが見え見えです。

このように泣くという行為に対して良いイメージ抱けません 私の望みは最終的に泣かない。そして理想から自分を操縦しようとしない、です。泣かないという目的は既に達成済みだったのですが泣くと体にいいのかと思い最近泣いてしまいました。しかし後味の悪い不快感しか残らず後悔しております。

そこで泣くこと理想から自分を操縦することからの脱出役に立つのかどうか、また泣くという行為に対しての現在見解を教えてください。


 
「泣くこと」と心の成長 概説^^(前) / しまの 引用
No.1177 2016/05/04(Wed) 10:08:57

>そこで泣く事が理想から自分を操縦する事からの脱出の役に立つのかどうか、また泣くという行為に対しての現在の見解を教えてください

「泣くこと」「心の成長」、というテーマとして考えられることなど「概説」として整理してみましょう。
まあ「泣けばいいという話ではない」とは言えるかと思いますが、涙の中で脳が変化していくというような特別な成長治癒現象あるようであり、まあ本が一冊書けるテーマでもありそうですが、超サマリーを書いてみましょう^^。


「泣くこと」の心身健康への効用・一般考察

まず、
>泣くのは体にいいという古い記事を読みましたが

というのは僕が書いたものなのか、それとも新聞やネットなのかやや定かでない(前者かな)ですが、いずれにせよしばしば言われる話でもあるでしょうし、今の僕の考えとしても基本的にはそのように考えます。
こう表現できるものとしてです。

・「泣くこと」は「笑うこと」と同じように、ストレス解除とリラックス状態の表れであり、心身の健康と成長に沿ったものである。
と。
この表現ミソは、健康と成長「沿ったもの」という言葉にあります。つまりそれが健康と成長「生み出すもの」では必ずしもない、ということですね。
たとえば北アルプス登山などでもバテない体を作るべく近所山登り(+その翌日の近所階段上り)トレーニング3日周期で行っており、かなり効果が出てきているのですが、それと同じように、「泣くこと」定期的に行うことで心の健康と成長効果が出る、というようなものでは恐らくない

そうした言葉言うのであれば、結局は、「思考法行動法」そして「価値観」「生き方姿勢」全体健康と成長に向かうものあること、そしてその先生きる体験の全ての積み重ねが、心の健康と成長生み出すのだ、というのがまずハイブリッド心理学考えだと言えます。
その中で、「泣く」という体験自ずあったりなかったりするであろう、と。
ですので、「泣くこと」だけを単独に取り上げて、それが心の健康と成長に役立つもののように扱うことは、ハイブリッド心理学ではしないですね。まあもしそう扱うのであれば、『ハイブリッド人生心理学辞典』「実践の学び」の中にも「泣くエクササイズ」のような項目出てくるという話。そうはしてないですね^^。


「泣くこと」の心身健康への効用・ハイブリッド心理学考察

それでも、「泣くこと」健康と成長どう「沿ったもの」か考えるならば、ハイブリッド心理学としての視点幾つか整理することができます。
その中には、「泣くこと」心の健康と成長「生み出す」特殊な面もあるのが見えてくるようなものとしてです。

まずハイブリッド心理学としての指針「泣くということ」についても、
・内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う
という、一貫とした「感情と行動の分離」基本姿勢対処実践向き合います。

ですので、内面感情としてどうか、そして外面行動としてどうかという視点があり、そこにもう一つ涙が流れるという生理的現象側面どう考えるかという、大きく3つの視点出てくることになります。


「泣くこと」と内面感情

内面感情から見ていきますと、まず、泣く原因もしくはきっかけとなる内面感情種類とはどんなものか、というテーマが考えられます。それに応じて、泣くこと心身健康良いか悪いか違ってくるのでは、と。

すると言えるのは、泣く原因となる感情とは、実に多種多様であることです。たとえば「悔し涙」「嬉し涙」というように。
恐らくは、人間の感情全ての種類が、泣くこと原因きっかけなり得る喜怒哀楽という基本種類を考えてもそうだし、たとえば「不安」「安心」伴って流す涙といったものもある、というように。

すると、泣くこと心身健康良いか悪いかという問い自体があまり意味がない、というか二義的なことではないかというにもなってくる可能性出てくる。あるのはその感情が心身健康に良いか悪いかであり、そこに伴う泣くこと単独取り上げて健康に良い悪いないのでは、あるいは感情の違いによって、泣くこと健康への良し悪し違ってくるのではないか、と。
たとえば「怒り」ハイブリッド心理学が考える、心身の健康に害のある感情の代表であり、それに伴う涙、たとえば「悔し涙」流すことが心身健康に良いとは、とても思えない^^; 「嬉し涙」というのになると、心身健康に実に良さそうではあるが。


「泣くこと」の生理的学的効果

そこで、そもそも感情が極まって涙を流して泣くということの、医学的生理学的な機能とはどんなことなのか、という視点出てきます。涙が流れるということ自体ごく身体生理的な現象であるが、それが感情の極まりによって起きる意味とは。

それについてちょっとネットで見たところ、泣くというのは人間にのみあることで理由医学的科学的には今も解明されていないとかの記事もありましたが、一方見受けられたのは、泣くこと脳内ストレス物質の解消幸福物質の放出効果あることがかなり明確らしいこととして言っているものが結構あることです。
泣くこと大いに推奨しているものですね。

以下など。
涙の数だけストレス解消!(養命酒元気通信2013.3)
泣くことによるストレス解消や疲労回復効果/科学的に解明

そうした踏まえ考えるに、人間「泣く」というのは、薄っぺらい「心」「魂」と「命」につながる、一つの「貫通口」のような役割持っているのではないか、ととしては考えています。
つまりこういうことです。人間以外動物は、「心」基本的「命」のまま生きており、もとから備えるものである脳内ストレス物質解消幸福物質放出動きも、感情の揺れ動きに応じて連続的自動的に働く上流から下流への川の流れのように。
それが人間場合「自意識」出現により「心」「命」からはがれた薄っぺらいものとして働くようになる「心と魂の分離」起き日常的感情の揺れ動きが、本来備えるものである脳内ストレス物質解消幸福物質放出へと、つながりにくなる。仕切られ流れのようにです。

その結果感情の動き脳内ストレス物質解消幸福物質放出つながるのが、堰を開けるような非連続的切り替わりとして起きるようになったのではないか、と。
それが「涙を流して泣くという心身反応」なったというもの。
そこには、
・感情の極まり
・身体生理反応
・・・涙を流すという涙腺系反応しゃくり上げるという呼吸器系反応
結びつきあるわけですが、ストレス物質幸福物質「流す」「吐き出す」という脳の動作が、そうした身体生理反応のための自律神経機能を、いわば間借りするような機能するようになったのでは、というのが僕の想像です。

その結果脳内一度に大量ストレス物質解消幸福物質放出行われるというのは、どうしても「泣く」というのを伴わないと起きにくい、ということになっているのではないかと。
これが僕の考えであり、「泣くのは体に良い」よく言われることと、僕の考え大体同じだということになります。

つまりここまでの話総合すると、こう言えるかと。まず感情の種類に、心身健康への良し悪しがあり、それがまずは大きく方向決める
その上で、どの感情のケースにおいても、涙を流すことが、ストレス解消効果や幸福感増大の効果加えることにもなる、と。
まあ「怒り」心身健康害があるとして、そこで涙を流した時、多少その緩和する作用あるかも知れない、とも考えられますね。


「泣くこと」と心の成長成熟

そこにもう一つ考察加えることができます。本題にもなりますが、「泣くこと」「心の成長成熟」生み出すのか、もしくは何らかの関係があるのか。
上のネット記事でも触れられていますが、「泣く子は育つ」という言葉あったりする。これは本当か

これについては身近な人物事例2つあり、一人妹の子で、3、4歳物心ついた頃は、超人見知り慣れないことは何でも嫌がりすぐビービー泣くとしてもこんなに泣く子見たことがない程で、身内の間でも将来がちょっと心配・・という感じの子でしたが、それが育つにつれて明るい性格変化し、中学では何と生徒会長になり、身内の間でも驚いたというもの。

もう一人他ならぬ僕自身ですが、「よく泣いた時期」というのが僕の人生2つほどあります。
どちらも著作反映しており、一つ『悲しみの彼方への旅』大学4年頃、そしてもう一つが、ハイブリッド心理学の整理大きく前進した2004年から2007年頃43歳から46歳という時期でした。前者本のどの辺かはいいかとして、後者は、メール相談女性心の窮地思って泣いた(*1)とか、「自己操縦心性」起源「傷ついた自分自身への愛」であったのが分かった時、自分自身の心理学によって初めて涙を流した(*2)とか、「永遠の命の感性」獲得節目書いたものですが、「命」を看取った時、魂に魂が宿る。そこにおいて「愛」は永遠となる、と分かって泣いた(*3)とか。
それら涙の意味とは一言で、前者は、自分の病んだ心向き合いながら赤剥けの心就職もしくは大学院へという人生の進路向かおうとした苦しみでのであり、後者は、ハイブリッド心理学の執筆により「魂の機微」向き合う中でのだと言えるでしょう。
*1 理論編上巻 4章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−1 「傷ついた者への愛」パラグラフ
*2 理論編下巻 5章 「未知」への大きな前進−2 「自己操縦心性の起源は「傷ついた自分への愛」だった!」パラグラフ
*3 入門編上巻 10 章 人間の真実「愛」と「命」 「「永遠の命の感性」へ」パラグラフ
(P.330)


いずれにせよそうした「よく泣く時期」というのは、心の成長成熟変遷対応したものだ、ととしては考えます。
心の成長成熟変遷とは、詳しくは省略しますが(*)一言で、
「依存の愛」から旅立ち、「自立の自尊心」を経て、「成熟の愛」に向かう。
というものです。
場合大学4年の頃「依存の愛からの旅立ち」であると同時心の病みからの抜け出し、そして40代中盤「成熟の愛」へと向かう人生特徴的な時期であった、と。
*詳しくは『概説』 4章 心の成長変化 ・心の成長変化のベクトル 4 「成熟」 など参照^^

この「依存の愛からの旅立ち」「心の病みからの抜け出し」そして「成熟の愛」といったテーマは、涙が似合うものだと言えます。
では場合はどうか。これはまだ「依存の愛」生きている中でののようだが・・。


良く泣けば泣くほど心が豊かになる?

・・と話が膨らむにつれ、話のテーマ自体良く分からないお感じの方出てくる気配ちらほらですが(^^;)、要は「泣くこと」上述のように脳内ストレス物質解消幸福物質放出加えて、心の成長ホルモン放出呼べるような効果があるのか、というテーマです。
つまり平たく言えば、良く泣けば泣くほど、心が豊かに成長成熟していくのか、ということです。より穏やかで安定した心で、自分から人を愛せるような、豊かな心へと・・。

上で「泣く子は育つ」という言葉引用しましたが、それは泣いたから育ったのか、ということです。泣かないと心は成長しない?
「寝る子は育つ」という言葉もあります。これについては、もう医学的にもそれが正解であるのが確かであるのはほぼ周知睡眠の中で身体成長ホルモン放出されるからです。
それと同じように、泣くこと心の成長ホルモンようなもの放出されるのか


「泣くこと」と「自己操縦心性の崩壊」

膨らませついでさらに話を膨らませると、病んだ心治癒としてハイブリッド心理学が考える「自己操縦心性の崩壊」も、泣くこと大いに関係があります。
・・とこれはついでの話というより、

>そこで泣く事が理想から自分を操縦する事からの脱出の役に立つのかどうか、

というご質問テーマそのもの関係してきますが、「自己操縦心性の崩壊」治癒大抵大泣きを伴います。恐らくその人にとって、人生で最大の大泣き一つに、まずはなるのが間違いないようなものとしてです。
その大泣き中で、あるいはその大泣きよって無意識の自分によって自分が操縦される、その病んだ心溶けて消えていくかのように・・。

これも詳しく省略しますが(*)「自己操縦心性」とは、最新整理としてはのように定義できるでしょう。
(*)まずは『概説』の 4章 心の成長変化 / (4)「心の死と再生」という特別形 -「自己操縦心性の崩壊」の治癒 などご参考

幼少期において意識破滅につながるような、破滅的自己否定感情を意識から切り離し葬り去る代わりに、思春期に発動する、半ば無意識化された自己理想化像を基準としたストレスに支配される心の状態、であると。
これが各種心身疾患土壌になるものと言えます。そして、
その情緒構造は「現実を見下し、自分を追い詰めることで自分を支える」という極めて理不尽なものであり、その治癒は、この心性が、ありのままの現実に立って生きようとする心の動きとの戦いに破れ、自らへの深い断念に至る、というものになる。
そうしたものとして、「自己操縦心性」は意識理性による修正はできず、その克服は、意識表面では一度「完全なる絶望」を通ることでまっさらで健康な心が生まれてくるという、「心の死と再生」の一形態になることへの理解がとても重要になる。

など言えるでしょう。ま最新最短定義文書いても、どうしてもこの程度の字数は必要になるもの。

そうして、「今までの生き方」への深い断念成されるのが、表面では「大泣き」として表われる、というわけです。


・・と大分長くなっていますが、ここまでが、「泣くこと」と心の成長とはどんなテーマかという、テーマそのもの理解のための視点洗い出しです。
これを踏まえテーマどう理解するか、そして島野の考え結論へと続けましょう。そしてご質問の文面垣間見られる、ご質問者本当の問題なのか、そしてそれへ取り組みどのようなものになるのか、へと続けます。3つくらい分けて入れが良いかと^^。


 
「泣くこと」と心の成長 概説^^(中) / しまの 引用
No.1180 2016/05/16(Mon) 11:53:41

「泣くこと」と心の成長というテーマ

「泣くこと」と心の成長というテーマそのもの理解のための視点洗い出しから始めましたが、まとめるこんな話です。

まず基礎心理学からは、泣くという心身反応はおよそあらゆる種類の感情によって引き起こされ得るものであり、泣くこと単独に取り上げ心身健康への良し悪し言うのではなく、その時感情心身健康良いものであるかどうかずは問われるだろう。
それでも生理学的には、どんな感情場合であっても、泣くこと脳内ストレス物質解消および幸福物質放出つながるのが、かなり確かなことらしい。

そうした一時的ストレス解消および幸福感だけでなく、さらに人生通して心の成長成熟(「自らによって幸福になる能力の増大」)泣くこと寄与するのかどうかについては、島野の経験的印象2つ言える。
一つは、「よく泣く」ことが「似合う」とも言える、心の変遷段階というものがあること。「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という変遷における、「依存の愛からの旅立ち」「成熟の愛への向かい」です。
もう一つは、「自己操縦心性の崩壊の治癒」には、「大泣き」「つきもの」であること。まさにその大泣きで、自らの無意識によって操縦それる、その病んだ心溶けて消えていくかのように。

以上踏まえて、「泣くこと」と心の成長というテーマとは、ハイブリッド心理学からはこのようなことだと言えるでしょう。
それは、「泣くこと」が、心の成長変化5つのベクトル(方向性)である「成長」「治癒」「浄化」「成熟」「超越」(*)の、「成長」「治癒」そして「成熟」寄与するのか、というテーマである、と。
(*)『概説』 4章参照

それぞれ一言で、のような心の変化としてです。
「成長」・・・「現実」を生きる能力と内面の強さの増大
「治癒」・・・「病み」の傾向の克服解消
「成熟」・・・自分から愛せる感情、「自発的幸福」の増大

なお「浄化」「超越」はそれぞれ、荒廃しすさんだ心が清らかさを回復する変化、そして「自分」を超えたものを見出し「自分」という惑いを捨て去る変化という、特別情緒変化であり、今回「泣くこと」の寄与というテーマ考える上では、それぞれ「治癒」「成熟」一環としてまとめて考えるので良いでしょう。

つまりこういうテーマだということです。
ハイブリッド心理学では、心の成長を、あくまで生き方の全体が心の成長に向かった上での人生の体験の積み重ねにおいて生まれるものと考え、その中で「泣く」のもストレス解除リラックス状態の表れとして自然に起きるものと位置づけ、それ以上に「泣くこと」を単独に取り上げてエクササイズのように推奨することはしていないが、それでも、心の成長の歩みの中で、泣いた時に、泣かない時に比べて、単にストレス解除や一時的幸福感だけでなく、特別に「成長」「治癒」「成熟」の心の変化が促進されるような効果はあるか。脳内におけるストレス物質解除や幸福物質放出だけではなく、心の成長ホルモン放出が起きるようなものとして。
というテーマになる、と。


島野の考え結論

そうしたテーマとして「泣くことの効用」今回初めて僕自身の考えじっくり整理してみたのですが、その結果僕自身としてちょっと意外な結論になった次第です。
つまりまあ、泣くこと単独にエクササイズのように奨励するものではない、というのは考察整理しても変わるものではなく脳内においてストレス物質解除や幸福物質放出だけではない心の治癒成長ホルモン放出のようなものが起きるのかという問いについては、大方「ノー」という結論になるのではという感覚考え整理していたのですが、結論「イエス」に近いものへと至った次第です。

つまり泣いた時、泣かない時には起きないような、心の治癒成長変化が、脳で起きるようだ、と。単に一時的ストレス解消ではなく。
ではそれをエクササイズ化するのもアリかというにもなってくるのですが、これはやはり違う

どういうことかと言えば、まず一言で、単純な話ではないということですね。
考察視点を、を追って書いてみましょう。

まず単純視点として、寝ることで体の成長ホルモンが良く分泌されるのと同じ構図で、泣くことで心の成長ホルモンが放出されるようなことはあるのかという問い仕方をするならば、それは恐らくないだろうと。
理由は、もしそうであれば世の中が少し違って見えるだろうという、ごく主観的観察判断です。もしそうなら、良く泣く人だれもが、心が成長し豊かな人へと変化しているのがそれとなく見えるのではと。実際はそうではないですね。良く泣く人そうでない人も結局、結構な歳月でもあまり変わりばえなく生きている様子が、まずは私たちの目に映るものになります。
実際のところ我々自身「体が健康で丈夫に育つ人=良く寝る人」という図式問うなら、「うんそうだ」感じるでしょうが、「豊かな心へと成長する人=良く泣く人」という構図となると、まずは「そうかなあ・・?」という感じになるのではと。それがさらに言葉を足し「豊かで強い心へと成長する人=良く泣く人」という構図となると「えっ違うような・・」となるのではと。またそこで「良く泣く人」という言葉部分「あまり泣かない人」置き換えて考えてみても、「う〜んそれもどうかなぁ・・」という感じになるのではないかと思います。

つまりは、人生豊かで強い心成長することとに対して、良く泣くことというのは、やはりあまり一義的なことではない、ということになるのではないかと。やはりまず生き方と体験の全体ありきであって、そこで良く泣くかどうかは、人それぞれ個人差のようなものでしかない、と・・。


心の成長につながる泣き方とつながらない泣き方

それでもやはり泣くこと心の成長完全に無関係とは言い切れない側面問い方というのも、すぐ考えることができると思います。
たとえば、良く泣いて、豊かで強い心へと成長した人もいれば、泣くばかりであまり成長しない人もいる。この違いは何か。

ここでハイブリッド心理学視点が入ってきます。
一言でこれはつまり、泣く姿勢2種類がある、泣き方の2態がある、というだ、と。
一言で、「自分を支えられずに泣く」のと、「自分を受けとめて泣く」のと。前者心の成長につながらない泣き方であり、前者心の成長につながらる泣き方です。

これも説明を始めるとあまりに長くなる恐れがあり、まずはごく具体的例として分かりやすそうなものをあげると、前者典型「怖さ」泣くものです。たとえば注射が怖くて泣く子供様子
一方後者どんな感情で泣くものかというやや複雑で、それよりも実際人物例などあげると良いかと思いますが、今多くの人が知っているであろう例として僕にまず浮かんだのは、ソチ五輪フィギュアフリー演技を終えた瞬間浅田真央天を仰いだまま嗚咽した涙です。
平たい言葉を使えば、前者子供の涙であり、後者大人の涙とも言えますね。ただこの言葉使い始めると、全ての子供の涙が心の成長にはつながらず、大人の涙ならつながるのかといった、本質をはずした議論にもなってしまうかと思いますので、まずは「自分を支えられずに泣く」のと、「自分を受けとめて泣く」という表現にしておこうかと思います。

この両者違い、そしれ後者心の成長につながるというのは、ハイブリッド心理学大きな3つのテーマつながりになります。
ハイブリッド心理学著書の全てを通してこれを説明しているようなものになりますが、それぞれ一言書いておくと、
(1)「心の依存」から「心の自立」への転換(心の基盤テーマ)・・・「気持ちを人に受けとめてもらう」という心の基盤から、「気持ちを自分自身で受けとめる」という心の基盤へ。
(2)「魂の感情」への出会い・・・「心の自立」に立ち、失意超えて自分自身の「望み」を受けとめる先に、訪れるもの。
(3)「心の成熟」の最終メカニズム・・・「魂の感情」総合的燃焼量に応じて「自発的幸福」増大するという、シンプル法則による。これは我々自身「意識」超えて、「命」つかさどる
この十分な理解ハイブリッド心理学の全体学ぶというになりますが、簡潔にまとめたものとしては以下など参照
(1)『概説』 5章 歩みの道のり (2)真の前進へ / 「心の依存から自立への転換」(pdf版P.84)
(2)『概説』 4章 心の成長変化 (2)「心の業の捨て去り」と「魂の望みの感情」による心の成長の本格的前進
/ 「魂の望み」の感情の異質性(pdf版P.37)
(2)『概説』 4章 心の成長変化 (3)「浄化」「成熟」そして「超越」という心の成長の真髄
/ 取り組み実践による「心の成熟」への歩み - 3)「魂の望み」への向き合い (pdf版P.54)


そうして説明ならいくらでも膨らむような話として、心の成長つながらない泣き方つながる泣き方とあるけですが、ここでご質問へのアドバイス一つ差し挟めるのが、前者の世界だけで考えていないか、という見直し視点です。
そうだとどうしても「泣くという行為」が、不面目な弱さの露呈「善人ぶり」など、人目ありきになってくる。ま「心の依存」の世界ですね。
心の成長につながる涙の世界というものも、視野入れることを考えてみるか。すると質問全体変わってくると思います。この後者の世界では、もやは「泣くという行為」のは「行為」ではなく、あくまで「心身反応」になりますね。作為的ではなしの。

そうしたアドバイス的な話はまたこの後まとめてとして、泣くことの効用考察整理続けますと、ここでの「心の成長につながる涙」も、やはりあくまでその時その人行動や感情体験の全体心の成長つながっているのであり、泣くという心身反応だけ単独に考えれば、効用はあくまで一時的ストレス解消幸福感加えている、ということだけだと考えられます。
その心身反応は、心の成長ホルモンまで放出するようなものではない、と。

しかし、視点次に移すと、話が違ってきます。


体験を通して知る「泣くことで脳が変わる時」

そうして僕自身泣くことで心の成長ホルモン放出のような効果まではないだろうという感覚考察整理続けたのですが、最後のケースに至り、どうも話はそれでは済まない、というのが出てきた次第です。

『(前)』コメント触れた、「自己操縦心性の崩壊の治癒」の際の「大泣き」です。
その、間違いなく人生で最大の大泣きの一つになるであろう経ることで、に、「脳が変化した」という表現単なる比喩イメージではない事実であるように見えるような、すがすがしく軽快な心の状態現われるのですが、その際大泣きというのは、その治癒の体験に付随して起きたものというよりも、その大泣きが治癒を生み出している、少なくとも促進しているように見えるふしがあることです。

自らの、優に10回以上は超えるその体験通して、そのことを直感的感じ取りハイブリッド心理学整理の中で僕自身加速度的心の成長治癒向かう頃「今、泣く時だ」とばかりにどっと涙を出すようなことも何度かあるような感じでした。その尽きる頃自分自身とは別のものが自分の頭を持ち上がらせ、目線が上に向くような感じに。
そこで起きることとは、尽きた頃「自分が別の人間になっている」という言葉ぴったりのようなものとしてです。
また、メール相談開始(今は終業^^)ご相談者の「自己操縦心性の崩壊の治癒」立ち会うようなことも数度あったのですが、そこでご相談者大泣きしているらしい様子に、内心「しめしめ(^^;)、これでこの人も健康な心に回復するだろう」といった期待をし、また実際相談者その後に、本人自身で驚くような自分の心の安定変化体験していました。

*なお上記のような僕自身「自己操縦心性の崩壊」プチ体験記述しているものとして以下がありますのでご参考^^。
・初期原稿 『ケース・スタディ』
 02 ハイブリッド療法の姿勢と感情分析過程が典型的に現れた数日間の体験
  5■ 2002年12月10日(火)  自己分析(2) 埋もれていた自己欺瞞が明らかになる
執筆活動の中で唯一の、僕から相談援助を申し出た、深刻な人格障害女性との関わりの中で、僕自身自分の感情があったことに次第に気づき、「自己操縦心性の崩壊」プチ体験のようになったもの。
その時の日記紹介しています。以下が該当部分
--------
・・とまで考え、はっと気づいた。僕は確信を持って、吐き捨てるように、“克服しないんだよ!”と自分に言った。
 そして何と泣き出してしまった。まさに、これが答えなのだ。それ以外には何もない。最も分りやすい例題としてサイトにも紹介できる。その皮肉を思い浮かべ、笑いながら泣いた。--------


涙によって「ストレスから生えた心」が消える

そのように、泣くことで、一時的ストレス解消や幸福感超え「泣き終わった時、別の人間になっている」とでも表現できるような効果あることがある。
これをどう考えるか。
一考すると、面白い答えました。

まず泣くことで、脳内心の治癒剤心の成長ホルモンが放出されるという単純な図式のものではないという考えは、変える必要はないと思われます。もしそうなら、良く泣く人全て心が健康で強く豊かに変化するでしょうから。実際はそうではない。
つまり泣くこと直接的脳生理作用は、あくまでストレス解消だという考え変わらないわけです。
そしてその一環として、「泣き終わった時、別の人間になっている」いうようなこと起きることがある、というもののように思われるわけです。

どういうことか。つまり基本として起きているのはやはり「ストレスの解消」なのですが、そこで起きているのは、心の内部でのストレス解消いうよりも、心の外部土台におけるストレス解消考えると、実にしっくりとします。
つまり心の内部ストレスが消えるのを超えストレスから生えていた今までの心が、消えるわけです。


「命」の領分へのつながり

キモは、ハイブリッド心理学が考える心の成長変化が、「今の心」維持した中での調子の良し悪し変化ではなく、「今の心」「新たな心」へと意識土台から変化していくような変化言うことにあります。
するとそれ意識努力意識体験による心持ち変化というレベル超え生理構造的レベル起きることであり、人間の場合「心」「命」からはがれているものであることにおいて、ハイブリッド心理学が考える心の成長変化は、基本的「心」領分ではなく、「命」領分にある、ということになります。

そう考えるならば、「泣くことが似合う」という「成熟」、さらには「成長」一般においても、泣くことストレス解消ではなく、心の変化の促進になることも考えられるように思われます。
たとえば「成熟」については、「心の成熟」最終メカニズムについて触れ、それは「魂の感情」総合的燃焼量に応じて「自発的幸福」増大するというものだと述べましたが、実際どのよう「魂の感情」燃やし尽くされればどう成熟するのかは、結局「命」が支配する、というのがになります。
つまり、泣くこと直接的効果ストレス解消であったとしても、それが「命」につながる心身反応であることにおいて、「心の成熟」メカニズムも、より直接的に作用させるものになることが考えられる、ということです。

「成長」
という基礎的変化も、同じ話になります。それは上記のように「現実を生きる能力と内面の強さの増大」であり、「現実を生きる能力」そのものについては「泣くことの効果」ないでしょうが、「内面の強さの増大」という側面については、涙を流す体験によってより強く促進されるかも知れません。これは何か自らの手痛い失敗を通して生き方を学んだような、痛みを伴う成長体験について当てはまるでしょう。


泣くことの「成長」「治癒」「成熟」への効果結論

かくして結論こうです。
ハイブリッド心理学が考える「成長」「治癒」「成熟」という心の変化ベクトルへの、「泣くこと」効用とは以下の通り。

まずそれは「心の病みの傾向の解消」である「治癒」において、泣くことによるストレス解消効果がさらに、「ストレスから生えた心」解消効果へと拡大することで、「泣き終わった時、別の人間になっている」とでも言えるような劇的心の治癒効果生むことがある。

「成長」「成熟」ベクトルにおいては、「治癒」ベクトルにおいてほどの直接的作用ないが、それでも「泣く」という心身反応「命」への接点であることにおいて、心の変化がより促進されることが考えられる
ただしこれは「愛」主テーマとなる「成熟」比べて、「現実を生きる能力」「自尊心」主テーマとなる「成長」ベクトルでは、泣くこととは無縁な、力強い前進行動による成長促進より主体になる言えるであろう。

さらに、「ただし」として言えるのは、これら全てが、泣くことに効果があると聞いて泣く努力をするのは、全くの無駄であり効果がないのは火を見るより明らかです。
心の変化を生むとは、自意識超えた心身反応、「魂」の反応として起きたものであり、それを開放したときに、上述のように心を変化させる効果がある、ということです。

また、泣くこと単独に心の変化効果を生むのではなく、本人の生き方姿勢と、その時の体験そのものが「成長」に方向づけられているのが前提であるのは、言うまでもありません。『(前)』コメント述べたように、堰を開くことに相当するとして、堰の前後の水路が、稲の苗を植えられた田に豊かな水を正確に導くものなっていないと意味はない、ということですね。


以上今回テーマへの僕自身の考察整理として、ご質問文面拝見して感じたことなど、簡潔に書いておきましょう。


 
「泣くこと」と心の成長 概説^^(後) / しまの 引用
No.1182 2016/05/21(Sat) 09:42:38

以上踏まえて、ご質問へのアドバイス簡潔にまとめておきますと、まあ一言で、
泣くことを単独に取り上げてその良し悪しを考えるのではなく、心の成長の全体に取り組む。
一言尽きますね^^。
それに向かうならば、ご質問全体が、もう違うものになるだろうと。

そうしてご質問文面一つ一つへのコメントここではもう省略してよろしいかと思いますが(おおまか^^;)一つだけ、

>私の望みは最終的に泣かない。そして理想から自分を操縦しようとしない、です。

は、それがまた「理想から自分を操縦する」ことになってしまうと思います。
考え方としては、「〜しない」という「消極形」理想望み考えると、「理想から自分を操縦する」ことになってしまう。
それを「〜する」「〜できる」という「積極形」理想望み考えるように取り組むそうするならば、その望み理想自分にとって真のものであるならば、それに向かって「自分を操縦する」ことは、何の惑い混乱持たないものになると思います。
望み理想自分にとっての嘘を含むものである時、「自分を操縦している」というそのストレス不毛感が、問題として表面化するわけですね。

いずれにせよ、ハイブリッド心理学の全体取り組むかどうか選択になりますね、ということで、ご質問への懇切なコメントというよりより僕自身の考え整理することを主旨としたトピックでした^^ゞ
アドバイスとしては正真正銘上記一言なんですけどね^^。

p.s
あっあとこれどーでもいい話ですが、最近全然泣かないですね。
その後確認したところ過去掲示板
『泣くのは体にいい』 しまの No.104 2003/10/31
で、「なんか2日に1度以上は涙を流しているような気が」なんてこと書いていますが、もう雲泥の差で、TV見ててもパネラーがボロボロ泣いていても「良かったじゃーん」口角上げて見ている程度グッとくるもの「こんな話あったんだー」関心しますが、もうここ数年も流してないかも知れないほど、感情の起伏少ない今日この頃です。
これは基本的に、『(前)』コメントで触れた、僕自身「永遠の命の感性の獲得」節目で、もうあまり涙を流さなくなった、という流れのように感じています。が、「心」から「命」につながる堰だとしたら、「心」がおおかた「命」つながった時、もうその堰も役目を持たなくなっている、ということかも知れない、などと考える今日この頃です^^。




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