しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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(No Subject) / こたろう 引用
No.989 2014/10/13(Mon) 10:38:51

新規トピックで失礼します。

もちろん、打ち負かすことに自尊心を持ち、
わかり合う事に愛を求めれば、その姿勢で関わる人にとって迷惑になるのは目に見えています。


しかし、人生の姿勢にかかわりなく、
この場所には自分よりももっと生来的に愛情を
持てた人間がいるほうが良いとか、
このチームにはもっと実力がある人が
入ったほうが良いとか、こういう迷惑に
なってしまうという感覚は起こってくると
思います。


例えば、明らかに自立した愛を持てずに、
依存的な愛になってしまう人が、
自分でそれをわかっていて、
なのに誰かと結婚をしようという
発想になる事自体が、どうなってるんだ?
と感じます。


相手のただ一回の人生の一部分に、
愛情を持てない人間と結婚する時期を作って
しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?
と思います。


成長する存在として自己を見るならば、
少なくとも外面的には共有部分を楽しむという
姿勢で結婚生活を送るなら良い、
という事になると思いますが、
それでもなお、健康な愛情を感情レベルで
持った人と結婚した方が絶対に幸せだし、
仮に子供が産まれても、心理障害を持つ事は
考えづらい、という事は事実でしょう。
それなのになぜ自分を相手に
勧められるのか?


交際ならば、20代を過ぎれば、
結婚を前提にしている人も多いのに、
心に欠陥を抱えた人間と付き合って大事なチャンスを得られる時間を浪費させてしまう、という発想はないのかな、とか。



この「もっといい人がいる」という
発想は、歪んでいるとは思うのですが、
事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。


しかし実際は、(特に心が健康な人は)
自分が相手に一番ふさわしいとか、自分よりも
良い仕事ができる人がいるというのは
事実だとしても、恋愛はするし、スポーツのチームであれば
最大限自分に出来ることはするし、
仕事もしますよね。



合理思考がすっきり整理できればと
思いますが、どういった言葉になりますでしょうか。


それと地続きに、
望みについても疑問があります。


内面では望みを解放する、という
事ですが、
上記のような発想になってしまうため、
望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。
というのは、自分の性格を考慮した、望みの
ビジョンは、現実感がないわけです。

そこで、現状の性格の障害をクリアした理想自己像が描かれて、
その自分が例えば女性を幸せにしていたり、
仲間と笑っていたり、子供をあやしていたり、というビジョンになります。
これだと、その望みのビジョンに矛盾が感じられなくなり、描きやすくなります。


つまり、自分がなにをしたい、誰とどうなりたい、というのではなく、
こういう風な自分が、こういう風な雰囲気でこんな言葉を発して、その自分に誰かがこんな感情をもったりする、とか、
こんな自分が、このスポーツをしていて、
その自分に誰かがこんな感情を抱く、という望みになります。


「受け身の愛」という望みを解放するとして、
今のダメダメな、臆病で人に気を遣えない
自分が、それでも特別だから一方的に愛される、といった望みもある事は自覚しました。
一方、その望みを描いた後で、これは現実にはありえない事だ、という認識が出て、
女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる、
といったイメージを描き直す、という
感じです。


 
Re: / こたろう 引用
No.990 2014/10/13(Mon) 11:32:53

女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる

→という自分が、女性に好かれる


に訂正です。


お聞きしたいのは、
望みの描き方は後者でいいのか、
という事です。


後者は「嘘をついた自分」になる
のでしょうか。

嘘をついた自分というのは
愛されるためにこうでなければならない
というあるべき姿を当てはめる事だと
理解していますが、
愛されるためにというよりは、
そういう自分でいる事が気持ち良い、
そういう自分が愛される事が気持ち良い、
というイメージなんです。


またこの全てが、
愛され自尊心、または受け身の愛の
ベクトルにあるのはわかるのですが、
まずは内面ではその望みを解放するという
事ですよね?


内面の健康な成長として、またそれに向かう外面行動としては生み出す自尊心に向かう。

生み出す自尊心は、それによって愛される事を
結局望むことになるのではないか?
といったテーマの記事が、過去原稿にあったと
思うのですが、場所を見失ってしまいまして、
もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。


 
「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く^^ / しまの 引用
No.991 2014/10/17(Fri) 11:57:44

「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

これは学びのテーマとしては、まずは「望みへの向かい方」であり、

・「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

という指針言えるというになりますね。
これは特に若い年齢において、長い人生の歩み視野として重要な指針になります。

>女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる →という自分が、女性に好かれる に訂正です。お聞きしたいのは、望みの描き方は後者でいいのか、という事です。

まず「内面感情はただ流し理解する」という内面側指針として、「ありのままに流す」としてはそれで良いと思います。
一方ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」指針としては、外面側行動法があり、それを学び実践しながら、「望み」への向き合いも生涯続ける、というものになります。
まあただ「望み」を解放すればいいという話ではなく、と。

この辺は、最新『概説』では、
4.心の成長変化  (2)「心の業の捨て去り」と「魂の望みの感情」による心の成長の本格的前進
・「感情と行動の分離」の両輪による「魂の望み」への前進
で、
========
まずは外面の軸主輪として、まずは今望むもの向かうための、建設的行動法行動学学び実践するのです。それがまずは、私たちが望むものに近づくための能力向上させると同時に、「望み」内容惑いと邪心に満ちたものから、より洗練されたものへと「鍛え上げて」もくれるでしょう。
========

などと述べている通り。

また『実践詳説』では、
9章 「成長の望み」と「真実の望み」の導き
「否定価値の放棄」の扉はどう見えるのか (P.154)

で、
========
順番としては、まず「成熟」の変化へと向かい得る心の基盤を先に用意してから、「望み」を次第に「開放」していくという流れになります。
これをに考えないことが極めて重要です。とにかく望みを開放できればいいという話とは、大違いです。例えれば、ぬか床に用意してから、野菜を入れるということです。これをとにかく野菜を容器に入れてから、ぬか床を作ろうと必要なものを探し始めようとしていたのでは、野菜腐ってしまいます。そうした心の基盤をまず築かないと、「望み」腐ってしまうのです。人生腐ってしまうのです。
========

とか喩えて書いた通り。


「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

そして「異性に愛される」という「望み」について言えば、

・「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

という大きな人生の歩みへの視野を持つ、というのがハイブリッド心理学からの指針です。
それなしに、ただ「望みを解放しよう」としたところで、

>内面では望みを解放する、という 事ですが、上記のような発想になってしまうため、望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。というのは、自分の性格を考慮した、望みの ビジョンは、現実感がないわけです。

「愛」という「望み」へのビジュンを明確にしたければ、まずいったん「愛」ばかりに見入るのをやめ、人生の全体に目を向けることです。
学生であれば、やはり就職中核にした生活設計など。そのあかつきに、多少婚活などもやってみて、自分がどんな異性への向かい方ができるのか模索する、ということになるかなと。
それをしないまま、今あれこれ考えても、ちょっとぞんざいな表現ですが、ちょっと無駄^^; と。またそうした人生行路という大上段アプローチなんて面倒なことではなく、異性に好かれる言葉や仕草なりナンパ術(^^;)なりのアプローチ法というのも世に存在し得ると思いますが、それはハイブリッド心理学取扱いメニュー外になりますのでご了承あれ^^。
ハイブリッド心理学はあくまで、「命の生涯」という視野の下における、心の成長の歩みとして、あらゆるテーマを扱います。


「望み」のための「行動法」の各種学び

とうことで、色々書いて頂いたご質問へのアドバイスは、まずは上述のような大きな視野ありきの話になりますね。
「望み」を内面においてありのままに解放するのはいいとして、まず「望み」に向かうための「行動法」の「学び」積み重ね、それを携えて再び「望み」に向き合う。これを人生で続けることです。いますぐ答えは出ないのを受け入れて。
ここで言う「行動法」とは、もちろん単に表面の行動法だけではなく、それを支える価値観人生観や、社会行動の良識的、常識的なルール理解などの学びといった全てを含みます。

とりあえずご質問へのアドバイス手短に書いてみますと、

>相手のただ一回の人生の一部分に、愛情を持てない人間と結婚する時期を作って しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?と思います。
>この「もっといい人がいる」という 発想は、歪んでいるとは思うのですが、事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。

まずはそれぞれの人が自身の人生をしっかりと考え、それぞれに合った相手を自ら選べばいいことですね。外野の他人がとやかく口を挟む問題ではない。
スポーツのチームにしても、どんな人が参加してい良いかは、そのチームの人が考え判断する問題です。プロを目指しているチーム趣味の集いでは全然違ってくる。一律な基準などない。

>後者は「嘘をついた自分」になる のでしょうか。

「嘘をついた自分」なるかどうかは、自分で向き合って判断するしかないです。
まあ一般的に、「こんなキャラを演じる」という姿勢は、「嘘をついた自分」になる危険がかなり高く、一方上述のような人生設計アプローチには、「嘘をついた自分」になる要素はあまりないですね。問題描いた人生設計がそううまく行く幸運は少なく困苦を受け入れ、人生設計を模索し続けることが重要になりますね。

>生み出す自尊心は、それによって愛される事を 結局望むことになるのではないか?といったテーマの記事が、過去原稿にあったと 思うのですが、場所を見失ってしまいまして、もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。

まず理解手短に言うと、
「愛」という望みが我々にある限り、それは「愛されること」への望みでもあります。愛されることを望むことにならない、「愛」への望みなどない。そして人間「望み」本流は、「愛」です。
これがハイブリッド心理学人間理解です。

次に、愛されることへの望み支えるものとして、自分としては自分をどう尊敬できるかという「自尊心」持ち方に、いくつかの分かれ道が出ててくる。
「打ち負かし自尊心」は、愛される望みバッティングし、相手を打ち負かし自尊心を得ても、その相手からは愛されなくなる
「愛され自尊心」は、愛されないと自分に自信が持てなくなる。結果愛されたい望み「不安」つきまとい、やがて自分に自信を失い、愛されたい相手に向かえなくなる。
「生み出し自尊心」は、まず自分は自分で支える。それによって、「不安」超えて「愛されたい望み」に向かうことが可能になり、やがて「望み」に向かう成熟によって、「愛されたい望み」そのものが、「自ら愛する望み」へと変化していく、という流れになります。

これは単独の記事で扱っているような話ではなく、ハイブリッド心理学全ての本がこの人間心理理解に書かれていると言えるものになりますが、とりあえず
ブログ記事書籍No.2 愛と能力の成長課題
収録
『「愛」と「能力」の人生課題』シリーズ
など読んで頂くと、「能力」という現実課題「愛されたい望み」の2つに、実際どう向かうのが良いか考え方など書いていますので参考になるかと思います。

あとは
1)目の前の問題については「読んで解決」ではなく「今取るべき外面行動の答えを出す」ことで対処。
2)心の懐を肥やす作業として、定常的に読書

という二頭立て実践で、理解を深めていって頂ければと思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.992 2014/10/26(Sun) 23:24:47

ありがとうございます。

つまり、最初は望みの感情を明確化するより、
全般的な関係で、うまく行動する事の技術を
磨くという方針なんですね。


その後の価値観については、
「自分がいいと思う相手を選べばいいだけで、周りがどうこういう問題ではない」という事ですが、
もう少し具体的に合理思考をいただけないでしょうか?


周りがどうこうというより、
本人の意識としてはどうなるのかなと
いうことです。

前記事に述べたような事が事実だと
感じられるとして、それでも自分がそうしたいから、
それで良い、という事ですか?

恋愛関係において、チーム活動において、
仕事において、自分よりも絶対にふさわしい
相手がいる。でも、自分はその女性が好きだし、
そのチームでそのスポーツをやりたい、その仕事をしたい。という状況です。

例えば、自分ではなくもっと心の健康な人が
チームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。

そういう、「有り得た良き現実」を
心を病んだぎこちない人間である自分が、
壊してしまう恐怖感。

所属の条件というのは最低条件という
イメージですね。自分がその条件は満たしていても、
もっと良い人が、もっと愉快な人が、という
事が発想として出てきてしまうんです。


健康な思考だとどうなるのでしょうか。

足を引っ張らないように努力するのみ、
という風に努力する人もいれば、
そんな事かんけーないね、俺がやりたかったんだから。
という風に見える人もいますが。


そもそも人に不快感を与える事に、ついて、
相手に報復を受けないように、という目的に応じて
ハーバード交渉術のような行動法があって、
不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。
という発想自体がないのでしょうか?
善悪観念に根差しているから?
相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?


相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?


 
Re: / こたろう 引用
No.993 2014/10/26(Sun) 23:49:42

前回スレッドの内容とかなり重複してしまっていましたので、
もう少し細かい質問になるように補足します。
最後の部分を引用させていただきます。

>自己の幸福をどんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」は「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」、「自尊心」は「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時、こんな人間は消えた方がといった観念はなくなる、という流れになります^^。



「喜びと楽しみの共有」を目的にするとしても、取り組みがすすんで感情が良好になるまでは、
自然な愛情を持っている人間の方が
より相手にとって、楽しい、あるいはくつろいだひとときになります。
つまり、より良い喜びと楽しみの共有があるはず、自分は挙動不審でも
共有できる楽しみがあるから参加していても、相手にとってはそんな人と一緒に
いる時間は楽しみではない可能性が高い。


「現実において生み出すこと」を目的とするとして、
感情があまり関与しない生み出すもの(仕事でいえば、裏方でコツコツやるようなものや、事務作業など)であれば、一定の能力を得られるまでは自分よりもふさわしい人間が確実にいるという発想になりますし、
感情が関与するもの(販売接客業、なにかボランティアなどでの活動など)であれば、
生来的に他人への愛情を持てた人間の方が確実にふさわしいという発想になります。



つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば
健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には
なってしまう気がするのです。


しかし、これでは全然、現実に向かえません。


 
「健康形」「成長形」を基準にした行動法検討^^ / しまの 引用
No.995 2014/11/02(Sun) 10:43:05

>例えば、自分ではなくもっと心の健康な人がチームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。
>健康な思考だとどうなるのでしょうか。

「あまり重要なことではなく、あまり気にしない」になると思います。「休憩時間」「飲み会」であれば。
実働時間、業務時間において円滑なコミュニケーションを持てることは重要になりますね。

ただしそれは「愉快」というのとはちょっと違うと思います。趣味の集いだけではなく本格的技術向上などを求めるスポーツなど団体行動も含め、「仕事」というものであれば、「愉快」を求めるものではなく、「達成感」「成果」を求めると思います。それは基本的に厳しいものであり、愉快になれるというより、困苦の克服を共にするというものが団結への方向性になると思います。
それが「健康形」であり「成長形」になりますね。

>そもそも人に不快感を与える事に、ついて、相手に報復を受けないように、という目的に応じて ハーバード交渉術のような行動法があって、不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。という発想自体がないのでしょうか?善悪観念に根差しているから?相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?
>相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?

相手の感情にまで責任を置きすぎることに問題があるというようり、相手の感情として空想する内容が誤っている、ということになると思います。
もちろんさまざまであり、我々が空想した他人の感情が、実際そのように抱くようなタイプの人もいるし、全くの杞憂であり何も気にしないようなタイプの人もいる。
そうした中で、「健康形」「成長形」での感じ方を基準に、人の感情についても配慮する行動が、当然心の健康と成長に向かうものになります。病み形未熟形を基準にして配慮する行動法だと、心の病みと未熟のままでいるものになります。
ハイブリッド心理学としては、その前者道を行く、ということになりますね^^。

>つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば 健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には なってしまう気がするのです。

上述のような、「健康形」「成長形」を基準にした行動法として、一つ一つの場面について向かい方を検討するというのが、取り組み実践になります。
一つ一つの具体的場面ごとにです。どれとして厳密に同じものはありません。

もちろんそれは「健康形」「成長形」で感じられるようにならなければという話ではなく、自身の内面感情としては未熟形病み形流れるとしても、それに完全に呑まれるのを踏みとどまり、健康形成長形のあり方を想定し、とにかく外面行動はその方向において行うということを目指す、ということです。
それが「感情と行動の分離」であり、その積み重ねの中で、内面感情あと追いの形で健康形成長形へと変化を始める、というものになります。
そうした「健康形」「成長形」想定について、まずはぜひ取り組んでみて頂ければ^^。



衝動 / マリノ 引用
No.986 2014/10/03(Fri) 12:48:48

こんにちわ

現在、島野殿の心理学を人生の羅針盤とさせていただいております

現実ではなく、イメージに反応してしまう自意識
それを直したく、
本当にそうなのか?という確認作業をつづけております
人が怖い、場が怖い、などです

なぜそうなったのかについて
自分なりに掘り下げを行ってきましたが
1つの原因らしきものがありました

幼少期に2回の転向を経験し、学校では物理的に孤独な日々を
過ごしました
悲しみと寂しさを誰にも打ち明けられず、
表面では何事もないふりをして、内面の激しい混乱を隠していたことです

子供を保育園、小学校へかよわせております
それだけでも心配はつきませんが
それを見ていると、自分が経験したことはそれなりに過酷な経験だったような
気がします

小さい子供なら、その依存心から
かまってほしい、ちやほやしてほしい、自分の面倒をみてほしい
という気持ちがあるはずです
それをかなえられない
絶望と直面し、人、場を見下し、憎み、怒りをためこんでいたようです

負けず嫌いもあり、自分からうちあけられない、助けをもとめられない
学生時代は「幼稚園からやりなおしたい」という気持ちが
意識の底にありつづけました
依存心をかなえられないのに、大丈夫と行動する
自分の嘘が自分を苦しめていると、その時はわかりませんでした

高校からは、物理的に絶対孤独にはなりたくない
為、片っ端から誰にでも話しかける行動をとり
現在仕事の面でそれが役に立っている面もあります

ただ、内面のネガティブな感情はつねにくすぶり
些細なきっかげで、怒りという形で爆発します
心に潜む獰猛な獣の存在には、気づいており
それを隠す為にくたくたになる日々でしたが

以前そこに気づきがあり、投稿させていただきました

世界の現実は
自分中心ではなく、70億分の1人として
自分があり、
自分だけちやほやしてもらう、かまってもらう
面倒をみてもらう
ということはなく、それを頭で理解し、周りをよく見て
やっとそれを腹の底から納得することが
できました

そして、理不尽に周りを見下し、憎しみ、怒る
ことも減り、
あとは自分の望みはなんなのか?自分はなにがしたい?
それを問い続けております

そこで現在の結論は
幼稚園までさかのぼり、
自分の望みは、人の目からの自由、心の自由です

それに対しては恐怖心があります
?@自分の依存心を隠し続け、ニセモノの自分という
イメージが固定されています
?A怒り憎しみを向けていた周りは、敵だ
というイメージが固定されています

そこで冒頭のイメージが正しいかどうかの
確認作業となっており、それを続けて行こう
と思っております

今、島野さんへ相談したかったのは
自分自身に動揺する体験があったからです

先日のことですが
幼少期に経験した気持ち「とてつもなくさびしい、かなしい」
が、鮮明な映像としてよみがえりました
タイムカプセルのようにリアルに、時を超えて蘇る驚きとともにです

そのときは苦しさで、のたうちまわり、
ゴジラが火を噴くように、その感情を吐き出しました
その感情は尽きることなく湧き上がります

この状況で、その感情は
ただ流せばいいのか、ほかに何か手を打ったほうがいいのか
自分に起こった変化が大きく、動揺しております

何かアドバイスあれば、よろしくお願いいたします


 
心の豊かさへの視野の下に「ただ流す」^^ / しまの 引用
No.988 2014/10/05(Sun) 18:33:32

あさってから秋の北アルプス登山に出かける計画のため、手短早めに^^。


内面感情は「直さない」

まずはいかなる問題場面内容についても、「感情と行動の分離」一貫した実践になりますね。
それで言うなら、

>現実ではなく、イメージに反応してしまう自意識 それを直したく、本当にそうなのか?という確認作業をつづけております人が怖い、場が怖い、などです

これは「直さない」です。「イメージ」「内面感情」側の話だからです。「ただ流し理解する」
「それとは別に」、「外界現実の客観的な内容」に対して、行動の反応をできるようになればいい。「イメージ」とは別に、「外界現実の客観的な内容」についての思考どう築くか、というになりますね。
イメージ自意識が反応してしまうのはいいんです。イメージ自意識内面感情側。それがイメージ行動が反応すると、まず建設的でない行動になってしまいます。これを踏みとどまり、「外界現実の客観的な内容」に対する、建設的行動法を学び実践していく、ということになります。


「感情の膿」を「ただ流す」

ということで、

>先日のことですが 幼少期に経験した気持ち「とてつもなくさびしい、かなしい」 が、鮮明な映像としてよみがえりました タイムカプセルのようにリアルに、時を超えて蘇る驚きとともにです そのときは苦しさで、のたうちまわり、ゴジラが火を噴くように、その感情を吐き出しました その感情は尽きることなく湧き上がります
> この状況で、その感情は ただ流せばいいのか、ほかに何か手を打ったほうがいいのか 自分に起こった変化が大きく、動揺しております

については、「ただ流す」というのがまずはやはり答えですが、重要なのは、どんな目線視野の下に、ただ流すかです。

それで言いますと、まず言えるのは、そうしたリアルに蘇り噴出す感情というもの自体は、いいことなんですね。
そうしたのは「感情の膿」などと呼んでいるものでもありますが、身体症状の「膿」と同じで、埋もれているものが、見えないまま慢性的な疼きを引き起こします。慢性的な鬱屈感情ですね。それが、身体症状において「膿」表面化し流れた分だけ快方に向かうように、においても「感情の膿」流れた分だけ、心が軽快化します。ま一度に起きる変化微量なため、過度な期待はしない方が(?^^;)いいとして。


心の豊かさへの視野の下に「ただ流す」

まず耐え難い感情の湧き出しについてはそうした目線で何とかやり過ごすとして、さらに重要なのは、「イメージに自意識が反応」といった、より日常的な心の動きを、どんな目線視野の下に、ただ流すかになります。

それは一言で、心の豊かさへの外面内面目線視野です。
「幼稚園からやり直す」といったのとは(^^;)全く別世界に、それがある。

外面においては、先日
『対人関係』 リュクスさん No.960 2014/09/06
トピックでの
『「対人恐怖」「悪口妄想」の克服^^』 しまの No.976 2014/09/27
でも書きましたが、
まず何よりも「一人になれる」「一人で行動できる」「一人で楽しめる」ことにおいて、「自分自身において嘘のない、純粋な楽しみと喜び」を見出す。次にそれを人と共有するものして親愛行動に向かう。

内面においては、「魂の愛への望み」の感情を、自分自身で受けとめる
この辺については先日アップした
・「愛」という本流の「望み」への妨げ
以下を読んで頂ければ概要になりますので^^。

この2面に、長い人生の歩みを通して、心が豊かになる。
これがハイブリッド心理学の考えです。


以上、ざっと考え方など。じっくり「学び」を進めながら、目の前の問題への建設的対処と、長い目での向き合い向かってみて頂ければ。
なるべく具体的場面における、こうした方向性に沿った具体的行動法への引き出し増やすのが一番いいですね。それとの対比で、「幼稚園からやり直す」といった観念の不合理感じ取るという方向に向かいたい。

上記内容への質問等あれば引き続きレスで、具体的行動法質問などあればまた新規トピックなどで入れて頂ければ^^。



(No Subject) / こたろう 引用
No.957 2014/09/03(Wed) 23:37:09

仕事やアルバイトの向かい方に関しては、
業務の価値に応じて、自分の役割を理解して、ノウハウを使って
取り組む事、コミュニケーションにおいては
一貫して「業務内容や目的について、価値言葉を使って話せる事」というのが
アドバイスになっています。

これに関しては、業務中に関しては理解できます。
もちろん、業務内容についての構造的理解があり、論理的なつながりを
理解できていることと、人とその理解を共有できるような
コミュニケーションがとれる能力が大前提になるでしょうし、
それが出来れば「仕事がうまくいかない」事による居辛さは
なくなるでしょう。


原則、明示的条件としては
それが出来ることが仕事場にいる事の条件になると思います。


しかし、その条件を充分に満たせているのにいづらいケースは
多いと思います。


「気持ち」や「やる気」はどちらかというと、業務内容に対してというより
そういったコミュニケーションを業務外の人間関係、飲み会なども含めて、そういった
場面で求められるものではないでしょうか。


例えば、自分がアルバイトをしていた店舗は、スーパーなど、
働いている人の趣味や休日の過ごし方がバラバラであると考えられる
ものではなく、
むしろその休日の過ごし方自体のサポートが業務でした。

例えて言うなら、ダイビングショップの様な感じですね。


そもそも、それに興味が無い人はなかなか働きにこないわけです。
高給でもないですし。

最初のうちは、まだお互いに打ち解けていない事もありますし、
店長が、同じ店舗の人とは一緒に休日を過ごさない人でした。
一部の人は、一緒に行ったりしていましたが、そうではない人も多かったです。
一定数そういう人がいれば、別に気になりませんでした。


しかし、徐々に打ち解けはじめると、趣味が共通しているので、
店舗内で一緒に海に行こうという人が増え、自分も誘われる事が出てきます。


例えば、これがスーパーのアルバイトで、
「私たち、今度ディズニーランドにいくんです。一緒にどうですか?」というお誘いなら、「自分は苦手なので、ごめんなさい、結構です!」と言えます。


つまり、内容を楽しめないから、行かないという事が言えるわけです。
これの何が良いのかというと、「あなたを嫌っていたり、苦手だと思っているわけではない」という風に相手が理解することが出来ることです。


しかし、やりたいこと、好きなことが、共通している。


こうなると、「なぜ一緒にいかないのだろう」という目を相手が向けているという
外圧を感じるわけです。


これが50代の主婦の方だったとします。
そうすると「若い子はオバちゃんといても楽しくないもんね〜」という
認識をされていると思えるので、まだ良い。


これが、同世代で趣味が共通しているという条件があるのに、
断る。となると、「私が嫌いだから来ないんだ、私が苦手だから来ないんだ」
という風に、相手が考えるだろうと感じられる。


そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは
苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、
苦しくなります。仕事中も話していて、そう思われていると感じると
もう苦しくて、業務に集中できない。


もちろん、建設的行動法としては「その日は〜をするので、すみません」という
言葉を使うのが良い、ということになると思うのですが、
時々しか会わない友人などならそれでも納得できると思います。
しかし、何度も会う人、何度も誘われる人にそうやって断るのは、相手も納得できないでしょう。


それに、「来月であいている日があったら行かない?」と誘われた場合は
どうするのでしょうか。
来月開いてないならその次は?といわれた場合には。
日取りをあわせるから今月中であいている日を教えてくれ、という誘われ方も
ありますよね。


休憩時間もそうです。休憩時間まで、業務内容についての会話ばかりする人は
むしろ少ないと思います。ある程度はあると思いますが。
あるいは、入りたてでわからない事だらけの時ならば、疑問だらけで
当然なので、業務について質問するのも変ではない。
でも、慣れてくると、「この人は自分の話全然しないなぁ。壁を作られている」という目で見られるようになってくる。
幸い、当時のバイト先はショッピングモールだったので、
休憩時間に外出する事が不自然ではありませんでした。
さらに、休憩時間がズレていたので、同時に休憩をするとしても2、3人ほどまで。
そのため、余裕のあるときは店のバックルームで同僚と休憩を共にする事もあれば、
無い時には外出して食事をする事も多かったです。
帰りも、アルバイトよりも社員の方が、レジ閉めなどがあるため帰りが遅く、
時間がズレていたため、あまり人と一緒に帰るシチュエーションが無かったです。




しかし、会社となるとそうもいかないことが多いでしょう。
昼食の休憩は一定のタイミングで、よく何人かで食事にいく人をみます。
周辺にそういった場所がなければ社員食堂しかないでしょう。



会社に勤めるにあたり、明示的な条件としては「仕事が出来る事。業務上のコミュニケーションがとれること。」が原則だと思います。

しかし、非明示的な条件(条件という言葉はふさわしくないかもしれません。空気、周りの見方、という感じ)は
それぞれの職場で違うなりにあるでしょう。
会社の規模によっても傾向があるはずです。


ドライな職場とか、ウェットな職場とか、よく言いますよね。

知恵袋などでも、自分は仕事は仕事だと割り切りたいけど、ウェットな職場なので
社員旅行やバーベキューなどが頻繁にあって、困る。

といった内容の相談をよく見ます。



職場は愛を求めるものではないというのは原則としてはわかるのですが、
心の健康な人であれば、自然と職場でも愛や友情は芽生えますよね。


そういう人たちの中で、愛を求めない事は、
ドライで職務遂行と事務的会話のみに徹するような職場で
愛を求めない事とは遥かに難易度が違うはずです。


やはり周りがそうだと、「そうできない自分」というギャップに苦しめられます。
これは、仕事場面問わずでしょうが。


そうして、「愛のない」あるいは「明るくない」輪の中にしか行けないという
ことになっている。



こんな基準で、仕事やアルバイトを選ぶと、自分の取り組みたい事に
挑戦できなくて、苦しいです。特に、アルバイトでは飲食店などのチームプレーが
中心であることもあり「和気藹々」がデフォルトな感じがします。
高学歴なのに、トラックドライバーになったり、
会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。


 
嘘について / こたろう 引用
No.958 2014/09/04(Thu) 21:25:02

こちらの方が急ぎの相談です。
早めにアドバイス頂けるとありがたいです。

アルバイトをはじめたいのですが、
2年間の社会的なひきこもり期間での
休学をどう
説明すべきかがわかりません。


一般的にいって、留学やなにか取り組みがあっての休学というのならば自然だと受け止められるでしょう。

自分は対人恐怖性で休学したというのが
実情で、その後のアルバイトも派遣しかしていないため、説明できません。


いつやめるかわからないとか、精神病だとか
思われてしまうと受からないでしょう。

まずは面接を通過するための嘘が必要です。


通ったとしても、その時の事を聞かれる可能性があります。あからさまな嘘をつくのはその点後々面倒です。
アルバイトならまだ、そこまで徹底した理由を話す必要もないと思われますが、後々就職活動するときはさらにどう説明するか迷います。


以前、大学で友人に空白期間になにをやっていたのか聞かれた時には、その話にならないようにうまく回避する言葉を使うというアドバイスでしたが、聞かれたことに正直に答えないのは嘘をつくことと同じ感覚があります。

こういうのが、必要な嘘を自分に許すこと
という物になってくるのでしょうか。


 
Re:嘘について / しまの 引用
No.959 2014/09/05(Fri) 10:40:54

ではこちら取り急ぎ先に^^。

まず基本的に言って嘘は言わないのが健全ですね。病みの始まりです^^。
また「嘘を許す姿勢」は、隠された嘘表面化させなくしていくための姿勢という中での話です。嘘をなくす姿勢総論で、その中細かい各論的話^^。
その上で、「ついても問題ない嘘」という行動法の知恵とノウハウ出てくると思います。ただし些細で軽微なものになるでしょう。たとえば面倒な勧誘の電話があった時、思いっきり暇な時でも「今仕事中なので」と言うように^^;

で書いて頂いた2年間休学となると、嘘はマズイのでは・・と思います^^;
表現を工夫することはできると思います。「精神的な問題で体調を崩しなかなか復帰できなかった」とか。
こうした場合どのような対応が良いのかは、ちょっと僕の引き出しの中にはなく申し訳ないのですが、むしろ大学の就職課とかに相談した方が、似たような境遇の生徒さんも結構いるでしょうし、結構常套的なやり方が分かってきているかも知れませんね。とりあえずまず情報として得ておくと良いのではと^^。

いずれにせよ、まずは休学の件関係なしに、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものを見出し、次にそれでさらに休学の件をどうカバーするかという構え向かうのが良いと思います。
先に書いていただいた質問の方が、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものに関係すると思いますので、またちょっと後で^^。


 
「業務外の人間関係不安」の克服^^ / しまの 引用
No.961 2014/09/09(Tue) 14:20:46

では引き続き前の方の話について^^。

アドバイスとしては2つのテーマになりますね。
・就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する
・「業務外の人間関係不安」は「健康形」を基準に克服に取り組む



就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する

就職は、「苦手なこと」などマイナス材料ではなく、「得意なこと」資格などプラス材料で検討するのが、まずは良いというか答えが出る検討法です。マイナス材料で考えても、方向が見えようがない。
また、そうすることで自ずと、マイナス材料直面する必要のない範囲というのも、最初の答えが出てきます。

たとえば、
>高学歴なのに、トラックドライバーになったり、会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。
というであれば、
車の運転に自信がある、給料が目標に合っている、といったプラス材料からそうするのであれば大いに結構。一方その人人との会話が苦手というマイナス材料について、当然、営業の仕事よりは大分支障が少ないですね。
つまり、プラス材料で検討することによって、それが同時に、マイナス材料の可能な回避の答えにも、大抵なるということです。
そうした検討手順を踏まず、ただマイナス材料への怖れから考えても、方向性と答えが出ようもない、という
これはよろしいでしょうか。とにかく自分プラス材料把握することからですね。

今回マイナス材料「業務外の人間関係、飲み会が苦手」といったことについても、まずはプラス材料で就職を考えれば、自ずと避けられる、というか強くは求められない程度という答え多少出ると思います。
たとえば休日にレジャーに誘われるのが嫌というマイナス材料がある人が、プラス材料から考えていって、それがどこよりも求められてくるであろう職場、たとえばダイビングショップという話になることは、あまり考えられない会話が苦手な人プラス材料で考えれば、その結果は、何よりも会話能力が重要になる職種には、多分ならないですね。
この理屈はよろしいですかな。まあとにかく自分プラス材料あげて考えてみることですね。


「業務外の人間関係不安」は健康形を基準に克服検討

その上で、「業務外の人間関係、飲み会」といったものがない職場というのは、基本はないと思います^^; どこでもそうしたのはある考えて臨むのが正解
それは就職考える上で、材料になるものではない、ということですね。

ではどうするかについては一言で、
「業務外の人間関係不安」「健康形」「成長形」を基準に克服に取り組む
というアドバイスを言えます。

つまりまず、業務外で飲み会や休日イベントに誘われた時の対処に、「行くべきor断って良い」などの一律の答えなどなく、これはもう仕事場の行動法の問題というより、個々人の人生全体における人との交友行動全般における心の健康と成長問題だと言えます。

ハイブリッド心理学からの指針は、
・親睦交友行動の「健康形」「成長形」についての理解納得を足場に、「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢および実践で臨む
というものになります。

親睦交友行動「健康形」「成長形」とは、まずは
・相手との無用な衝突をすることなく、自分をより豊かにするものという基準において、特定の交友行動を行う行わないの判断対処を、自分自身でできる
といったものになりますね。
興味があれば参加する、なければ無理には参加しない。飲み会職場の忘年会新年会や歓送迎会など業務に近い性質もあり所用なければ参加など、常識的な範囲まず参加するとして、あとは好きにすれば良し
そうした柔軟性があるものを「健康形」として、体験を通して自分なりの行動を動揺なくできることへと向かっていくのが「成長形」だと言えます。

それに向かうための取り組み実践とは、

1)上記「健康形」「成長形」への理解納得を問う
これがまず足場固めになります。理解納得ができなければ、ではどう理解納得できないか取り組む必要があります。そんなこと絵空事、なぜなら・・というように自分の考えを明瞭化する。明瞭化できれば、その不合理病み分析取り組みできるかも知れない。

次に、理解納得が持てればとして、
2)具体的場面における自分の行動選択検討
うまく判断できず、流されて参加する羽目になるのも、まずは良しとするのがいいですね。重要なのは、参加したくない時どう断るかよりも、参加しないとして何をしたいかを自分に問うことです。それがあれば断る方法も見えてくるし、なければ流されてしまうのも多少自分に許す

3)具体的場面における内面の妨げ感情の分析
自分は何をどう怖れ惑っているのか。
これは結局
>そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは 苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、苦しくなります。
といった話になるでしょうが、上記2)まで行くことで、そうした怖れへの視線変化が起きるということです。それはその不安自体が杞憂であり不要と感じることになるかも知れないし、そうした空想と怖れは消えない、ただ自分の外面行動としては健康なものをできた、という足場によって、「ただ流す」ことが可能になる、といったものになるかも知れない。
いずれにせよ、そうした具体的体験の中での模索積み重ねることで、「自分なり」が見えてくるし、怖れ惑い次第に減少していきます。模索する体験を経ることなく、あらかじめ怖れ惑いがなくなる考え方などを求めると、答えは出ないと思います。

以上、今回のご相談内容への、ざっとアプローチ手順になりますです。検討してみて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.968 2014/09/11(Thu) 17:58:52

これは空想ですか?
共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?



これは健康な人だと、一緒に行動するほどの
仲にはお互いになりたくないんだなという
納得のもと、絶妙な距離に落ち着くという
感覚なんですかね?



自分が嫌われるのが怖いという強度で、
相手も嫌われるのが怖いのだという感覚になってしまうから、必要以上に相手を傷つける事を恐れているのでしょうか?


相手を傷つけたり、不快に感じさせてしまうことに恐怖があるんです。


 
Re: / こたろう 引用
No.973 2014/09/19(Fri) 22:46:09

アルバイトをはじめるにあたって、もう一つ大きな壁となっているのが、
「自分という欠陥商品を、外装だけある程度の見栄えに仕立て上げて、
相手に売りつけようとしている」という感覚です。


何かに参加するというときに
「その場所は自分がもしもいなかったらもっと良い時間、結果になっていたに違いない」
という思考になってしまう。


この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。


乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、
自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。



これが「望む資格」と考えていいのでしょうか?
人に許可されれば、望んでも良い。確かに、こういう姿勢自体に
精神的優越感を感じる感覚があります。



これが高じて、自分はこの世界の向上を考えるならば
居ないほうが良いとかいう思考に帰結する。


例えば面接であれば、
自分の欠点を全て赤裸々に話して、それでも雇っていただけるのならば
雇ってください、といいたい衝動にかられます。


そうじゃないのならば相手を騙していて、詐欺をしている。という
感覚。


多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか
書いてあります。




内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には
必須なのですが、
これは「嘘」にはならないのでしょうか?


 
「一緒にいたいと感じない」のがベースの交友行動法^^ / しまの 引用
No.975 2014/09/24(Wed) 11:07:05

またちょっと遅くなりました^^ゞ

「一緒にいたいと感じない」のが基本

まず9/11に入れて頂いたもの。
>共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?

「健康な成人」場合
・共有できるものが楽しめるのにそうしないのは、相手は自分と一緒にいるのが嫌なのだと傷つく。
ではなく、
・大抵の人はすでに「一緒にいる相手」が多少ともできて(あるいは一人でいるのが好きなどの個性ができて)おり、新たに出会う相手とことさら一緒にいたいとは感じないのが基本であり、それを心得てもいる。従って互いが相手に関心を持たないことに、特に傷つきもしない。
というものになると思います。
まずはこれが想定できるかですね。

あとはそれをベースとして、もし新たに仲間になりたい相手が出たら、自分から積極的にその気持ちを表明し誘う行動をする。それでうまく行けばいいし、趣味嗜好や性格の不一致でうまく行かなければ仕方のないこと。
それで別に「傷つく」必要もないですね。
「傷つく」というのは、自分が労せずして誰にでも愛され評価されるはずといった、不合理な自己愛根底にある場合、という心理メカニズムが考えられますので、「傷つけてしまう」「傷つけられる」といった話の全体が、心の健康と成長とは別方向の中である、という理解大切です。
つまりそうした感覚は、ただ内面で流し、行動判断の材料にはしない、という指針になります。


「見える」かのように感じる他人の内面は「外化」「投影」

また
>これは空想ですか?
については一般に、

・「見える」かのように他人の内面の気持ちを感じるのは、基本的に自分の内面が映し出された「外化」「投影」のメカニズム。
です。
これは心を病む傾向深刻さに応じて、その強さも激しくなってしまいますので要注意ですね。
・「見える」かのように感じる他人の内面はあくまで自分の内面を映したものと心得、「行動」はあくまで実際に相手が行う言動の客観的内容に対して行う。
というのが重要になります。

「実践」としては、
1)上述のような「健康形」の理解
2)それを基準に、自分の中に流れる感情の分析理解。健康で合理的な感情(行動の材料にできる)と、病んで不合理な感情(行動の材料にできない)の区別。
3)最終的な行動判断

という3ステップじっくり取り組むものになりますね。

まあ最終的には「何もしない」というので問題ないと思います^^。1)と2)の段階での理解重要になりますね。
検討頂ければ^^。
9/19に入れて頂いた方についてはまた後日^^。


 
「望む資格思考」vs「原理原則思考」^^ / しまの 引用
No.981 2014/09/28(Sun) 15:29:47

では9/19に入れて頂いた方^^。

「望む資格思考」というのは、「望む」という感情そのもの「資格条件」を設け、それに満たないのであれば「望む」という感情そのものを押し潰し抹殺しようとする観念衝動、と定義できますね。例えば「美男美女だけが恋する資格がある」とか。ひでえ話だ^^;
一方、

>この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。

というのは「場面に加わる」という外面行動のことをまずは言っていますので、厳密にはぴったり「望む資格思考」の例というものではないですね。
でもまあその内側には、十分「望む資格思考」一緒に貼りついて(^^;)いると思います。

ハイブリッド心理学からは
・原理原則思考
がその対案思考として検討するものになります。

そこで言う「場面に加わる条件」とは、具体的にはどのような内容のものか。それが社会行動全般、そして個々の場面状況における「原理原則」として妥当かどうかの検討を行います。
ですので、まずはどんな尺度として、欠陥うんうん低俗うんぬんという思考になるのかの、具体的内容明瞭化をした上で、原理原則思考との対比検討などがお勧めになります。

>多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか書いてあります。
>内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には 必須なのですが、これは「嘘」にはならないのでしょうか?

例えば居酒屋のバイトでは「明るい人」「人と接するのが好きな人」と出るでしょうし、実際それが必要な仕事でもあると思います。ですので、実際は自分はそうでないと感じている場合、「嘘」になるからどうこうという話よりも、実際やってみてもたない可能性がありますので、別の条件のバイト探しておいた方が賢明、というにはなると思います。「手先が器用な人」とか「パソコンができる人」とか。
いずれにせよ「嘘」基本的に無用なものですね^^。

追加質問ありましたら、そろそろ長くなったので新規トピックで入れて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.984 2014/09/29(Mon) 12:22:47

ありがとうございます。
具体的場面状況の問題よりも、もっと根本的な価値観かな、と
思いました。


世の中にとって、全体にとって、という
思考が先立つ場合と、
自分にとって、が先立つ場合があると
思うのですが、全体にとって、と考えてるときに
腹の真ん中に「ないがしろにされた!」と
怒りを露にする女の子のようなイメージを
感じました。

人はどう思うのかor自分はどう思うのか、
という対比で、自己の重心が語られる事が多いと思うのですが、僕が分岐としてよく感じるのは
全体の幸福なのか、自己の幸福なのか、
という、より下の層の対比状況だという
気がしました。


というのは、例えば、望みの状況を
考えたときに、おそらく自己の幸福を考える
価値観がベースなら「この人たちと一緒にいたいけど、嫌われたら怖い」という発想になると
思うのですが、僕の場合は
「この状況にとって自分は有用かそれともいない方がいいのか」という思考が第一にきます。

ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、
という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。


全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。


で、実際にそれを先に考えた場合に、
この腹の真ん中にないがしろにされたと怒る少女の
ような存在を感じます。


例えば、就活でグループディスカッションが
ありますが、グループに誰がいるか、という事が
その人の合否に直結することが充分ありえます。
自分がエントリーしたせいで、同じグループになった人が落とされたら、それは人の人生を潰してしまった事になる、という恐怖。
こういう様に、他人に迷惑をかけないために、自分の欲求を
潰す、というパターンです。


団体競技は、自分が失敗したことが
人の人生の一部分を壊してしまうという
恐怖感。

なによりもまず他人に迷惑をかけないことがスタートという思考の起点。

他人に報復を受けないように、自分が
やっかいごとに巻き込まれないように、という目的で
迷惑をかけない方法を考えるのではなく、
幸福な人間になることも、それによって
人に迷惑をかけない存在になれるから、といった
感覚。

ある意味、入らない、関わらないことが
最大限できる価値の産み出し、みたいな。


合理思考だと、
人に迷惑をかけるのは当たり前、
自分の幸福を第一に考えた先に、
他人に向けられる愛が手に入る、
それから産み出される価値が真に他人に幸福を与えられる、、、といった感じでしょうか。

しかしこれもまた自分よりも全体を第一に考えている思考で、ハイブリッドとは馴染まない気もします。


 
行動法と価値観^^ / しまの 引用
No.987 2014/10/05(Sun) 18:31:49

一応念のため、

>ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。
>全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。

自己の幸福どんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」「自尊心」「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時こんな人間は消えた方がといった観念なくなる、という流れになります^^。

追加質問などありましたら新規で入れて頂ければ^^。



基本から再確認した結果 / 引用
No.970 2014/09/12(Fri) 15:38:07

お久しぶりです。

先生の書籍原稿について、3〜5巻は比較的よく目を通してたのですが、1巻、2巻は基本的なものだろうと考え、数回ざっと流し読みしたままになっていたのを思い出し、最近また読み返しました。改めて読んだとき、自分の幸福のために、という前提がかなり自分自身の中で希薄になっていたことを確認しました。
仕事にストレスを感じての暴飲暴食がやめられないことを問題として挙げてましたが、「油が回って値引きされた惣菜をつまみに安酒を飲むのが自分にとっての幸福なのだろうか?」という感じで、自分のやってることに対する問いかけが浮かんだり、酒無しでそういう惣菜を食べてみると非常に不味かったり、知り合いの美容師さんから髪に対する睡眠の重要性を聞いた時、酒で寝るのは寝たうちに入らないことを聞いたりと、従来とは違った物の見方が増えてきた感があります。自然と酒を飲む頻度は多少なりとも減ってきましたし、酒を飲んで寝て起きた後の心地の悪さというのはやはり実感せざるを得ない。こういうのを実感しながら自然と減っていくのが、自然な感じなのかもなあ、とは思います。

或いは、次第と、知らず知らずのうちにハイブリッドを善悪の基準にしようとしている自分が見えてきました。自分もまだ全然出来ていないにもかかわらず、あからさまにハイブリッドとは正反対の生き方をしている人を見て「ああいうのは駄目だから関わってはいけない」と。「建設的でないものを周囲から全て無くしてしまわないと自分が建設的になれない。建設的になろうとするのを邪魔されてしまう」という感じでしょうか。
また、「死」についての、自分にとっての嘘偽りない感覚では、健康型の残された時間の認識でも、それとは反対の見せつけ復讐型でもない、生きる中で背負わされるあらゆるしがらみからの解放とか、永遠の休息とか、そういう、いわゆるご褒美のようなものだと感じているようだというのを自覚出来るようになってきました。以前生じたことのある自分のCENSORED願望は、早く人生を終わらせて永遠に休みたい、というものから来るのかな、というのも見えてきました。
まずは実際に自分が嘘偽りなく考えていることや感じていることを認識することが重要なようなので、このようなものが出てきたのは前進・・・とまではいかないにせよ、妨げが明らかになっているということなのかもしれません。

「不完全性の受容」については、まず、前回ご報告した、相手を説得するのに成功した内容を元に「不完全な人、物について、それを計算に入れた行動が取れるようになることが必要」という閃きはありましたが、「自分のためとは言え、周囲の尻拭いをする羽目になりかねないのがなあ…」という抵抗感は拭いきれず、現実で何か関連する問題が生じた時にまた向き合うことになるだろう、ということで考えを止めてます。

ここのログもかなり参考になっているのを感じています。たとえば。

>「組織の規則」「参加の条件」は、ただ単に所属のための条件やルール。そうでなければ、その組織や集団からは抜ける必要があるが、その先にどう生きるかは自由。
>「存在の規律」は、そうした自由さえも認めないものです。

このあたりを読んでる時に「もしかすると、自分の「人と接するとトラブルが増えるばかりだから一人で生きた方がいい」というスタンスは、かえって逆効果なんだろうか?」という閃きがありました。
開かれた世界を生きる人ほど、「一人で生きたい」という人にも寛容であり、「あの人は一人で過ごすのが好きみたいだから、こっちからはそっとしておこう」という感じで居てくれるようですが、閉ざされた世界で生きる人は逆に「そんな生き方は駄目だ!そういう嗜好は間違っている!そういうさびしい生き方はしてはいけない!」と、向こうから勝手に干渉してくるものなのかもしれない、と。従来のやり方は、単に開かれた世界を生きる人を遠ざけ、トラブルの素ばかりを引き寄せてるだけなのかもしれない、と。
まあ、だからと言っていきなりむやみに人の輪の中に入る、というのもどうかと思うので、興味のあるものがあれば入っていく…入るのが怖ければその怖いという感情を認める。興味がなければ無難な対応を続ける、という感じでいこうかとは思います。

望みに関しても、おぼろげに見えてきている気はします。
去年、法律系の資格取得に関して再び目を向けつつも、やはりやめておこうと考えた時期がありましたが、その「やはりやめておこう」が、周囲の人の言葉を自分にとって都合の悪いように無意識に汲み取って自分の望みを抑圧するようなものだったようにも思えます。従来の「人生の望みってどうやって見つけりゃいいんだよ!」という状態は、最初から成熟した望みが出てくるよう、未熟な望みに蓋をしたかのような感じだったように思えます。
動機はいろいろと褒められたモンではないので微妙なところはありますが、それも「望み」であることには変わりなかったな、と。ならば、それに向けて真剣に、出来る限りのことをやっていく方がいいだろうと思いました。今の職場では、いろいろと問題や不満が多いとはいえ、バイトとしては割と月収はある方ですし、仕事をしながら資格取得を目指してる人はそれこそ山のように居るご時世ですし。

いろんな気付きが最近いろんな場所で得られ、むしろ何から手を付けようかと戸惑ってる自分もいますが、必要な場面に出くわしたら、改めてしっかり向き合おうと思います。


 
取り組みテーマ項目ごとの確認解きほぐし^^ / しまの 引用
No.977 2014/09/28(Sun) 11:47:05

とりあえず気づいた点など^^。


>或いは、次第と、知らず知らずのうちにハイブリッドを善悪の基準にしようとしている自分が見えてきました。

善悪道徳思考から卒業することから始まるのがハイブリッド心理学ですね^^。


>開かれた世界を生きる人ほど、「一人で生きたい」という人にも寛容であり、「あの人は一人で過ごすのが好きみたいだから、こっちからはそっとしておこう」という感じで居てくれるようですが、閉ざされた世界で生きる人は逆に「そんな生き方は駄目だ!そういう嗜好は間違っている!そういうさびしい生き方はしてはいけない!」と、向こうから勝手に干渉してくるものなのかもしれない、と。

この辺は、まず「自己起点」にて、自分では何をどう考え感じているのか明瞭化取り組みになりますね。「自己の重心」です。
「言葉」による実践の推進
よってですね。
まずそれは何のテーマなのか。実際に他人に何かを言われたことへの対処行動法か。それとも、「生き方自己像」をめぐる、人からの軽蔑の感覚問題なのか。
それぞれについて、ハイブリッド心理学からは指針出てきます。それについて、自身の考えを明瞭化させることが「実践」になります。まこの辺文面にはあまり出てないだけで実際やっておられるかもとして^^。


>「不完全性の受容」については、・・(略)・・「自分のためとは言え、周囲の尻拭いをする羽目になりかねないのがなあ…」という抵抗感は拭いきれず、現実で何か関連する問題が生じた時にまた向き合うことになるだろう、ということで考えを止めてます。

具体的行動法テーマになると思います^^。以前指摘しましたが、「不完全性の受容」「不完全さをもって害とはしない」ことであって、「実際にある害を放置する」ことではありません。周囲の尻拭いなどまっぴらなことをする羽目にならぬよう、「行動学」をどう役立てるか。これは具体的内容に応じ具体的アドバイス可能ですので^^。

「不完全性の受容」「否定価値の放棄」生み出す心理結果という位置づけになります。とりあえず「不完全性の受容」は、
「学び」の主要テーマ
にも書いていないように、それ自体が何か取り組みの中で意識する学びとしては位置づけていません。

まず「学び」テーマ項目レベルで、自分の考えを明瞭化する「実践」を進めていく。全てが揃った頃に、「否定価値の放棄」問える、という道筋になります。これは
2つの目標への歩み
など参照^^。
「学び」項目レベルで、自分の考えを明瞭化する。そこで自分はハイブリッド心理学の方向性とはどのように逆を取っているか、と自覚することことが前進につながる、
「パラドックス前進」
です。もし自分には自分の考えなどなく、他人依存なのだ、と自覚するなら、それも極めて前進になると思いますので^^。

「望み」については、まずは「必要なもの」の中からより良いものを選択するもの、という方向感で良いと思います。
「望み」の前に、上述のような取り組みテーマ項目ごとの確認解きほぐしが、まずはお勧め実践内容になりますね。解きほぐしが進むほど、「魂の望み」というさらに一段階深いものへの目線が、自然と生まれてくると思います^^。


 
Re: 取り組みテーマ項目ごとの確認解きほぐし^^ / 引用
No.985 2014/09/29(Mon) 15:11:43

レスありがとうございます。

>まずそれは何のテーマの話なのか。
確かにこの辺を書き込んでおりませんでした^^;
面倒事を避けるために基本単独行動を好むわけですが、何故か知らないけど、喜び楽しみを共有できそうにないかまってちゃんばかりがやたらと寄ってくるのが鼻につく、という話でした。まあ、問題といえるほどのものでもありませんが、めんどくさいのは確かです^^;
それに関して、一人でいるから、かえって「一人でいるのはさびしいことなのだ」と言わんばかりに、閉ざされた世界のかまってちゃんばかりを引き寄せているのかもな、と考えた次第です。

「不完全性の受容」への取り組みミスのご指摘、望みへのアドバイスありがとうございます。参考にさせていただきます。

また、ほかの方へのアドバイスを見てて自分の日常生活に対するものの見方にズレがあるのを確認。
「まずはごく平凡な日常生活の中で見出す向上と楽しみにこそ、そのための材料があると言えます。炊事洗濯、料理、お洒落、美容、健康、防犯、などなど。」について。ん?楽しみ?という感じで目が留まったのですが、考えてみれば自分自身、そういうものに関して「やらなきゃ生活が続かない面倒くさいもの」という感覚しかありませんでした。
少なくとも「楽しむ」という感覚が起きるのは想定外で、みんなめんどくさがりながらやってるんだろうな、という意識しかありませんでした。
ちょっと何か工夫が必要かもしれないと思ったので、何か考えてみます。



行動法について / ぱん 引用
No.962 2014/09/09(Tue) 19:45:27

 日頃、仕事で大勢の前で発言するような業務ではないことと、これまでもあまりおしゃべりなタイプではなく、じっくりと自分で考えることの方が好きでした。
 今回、挑戦したいと思っている職業があり、大勢の前で講義が伴う内容があるため、自分には勤まらないかなと躊躇もしています。
 不慣れな時期が、続いてしまうのも、困ってしまうのでと感じています。緊張することなく、話が出来るためにすることなど。
 その仕事ためなら、慣れるまで、緊張を緩和させる薬でも処方してもらうのもひとつの方法になるのかなとの考えも浮かんだしだいであります。

 ご意見、お願いします。


 
「人前で喋る自信」のつけ方ノウハウ^^ / しまの 引用
No.965 2014/09/10(Wed) 17:57:22

「人前で喋る自信」つけ方としては、

1)まず「喋る内容」への自信を築く
何を話すか、何を伝えたいか内容とにかくじっくり練る話すこと内容価値があれば、多少しどろもどろの緊張(^^;)があったとしても、聞く側では関心してくれます。
テーマポイントといった、メリハリの利いた話の構成ポイント「3つ」というのが少なすぎず多すぎずお勧めですね^^。

2)次に「喋る自分」への自信を築く
これはまずは、必要に応じリハーサル練習をするといったものです。資料を使うなら、まずこれについてこれを話し、次に・・というように頭の中たどり、しっくり来るかの確認とか、挨拶スピーチであれば実際に声を出してリハーサルしてみるとか。言いにくく舌をかみそうな語句がないかのチェック。あればスムーズに口が回るまで徹底反復練習など。
僕の例など出しますと、3年前母の告別式後の法要では僕が献杯の音頭を発したのですが、そのわずか10秒程度(?)の挨拶のために2日間何度も練習して臨んだなんてのがありました^^ゞ

まずはこの2つを、順番をしっかり押さえてというのが、「人前で喋る自信」つけ方ノウハウアドバイスになりますね。
緊張をまぎらす薬とかのに、ぜひ検討してみて頂くと良いかと^^。


 
Re: 行動法について / ぱん 引用
No.966 2014/09/10(Wed) 18:48:38

 ご意見、ありがとうございました。

  周囲に気に取られるのではなく、自分の話を伝えることに専念する。
 饒舌の方と、比べない。

  話のポイントを押さえていれば、長くしなくても良いと感じています。

  島野さんの10秒程度の練習で、2日間何度も練習と。練習の成果は、あったのだろ うと感じます。

  まずは、自分を鍛えるためにも、進歩するよう練習してみようと思います。


 
Re: 仕事について / ぱん 引用
No.971 2014/09/16(Tue) 18:46:20

 再び、仕事について考えています。

 慣れない仕事に挑戦するもの、自分を成長させるには、新たな苦しみ以上の喜びも得られると考えます。
 また、難儀な仕事は選ばず、現状で少しずつの成長をしていくという方法もあります。

 慣れない仕事に挑戦するには、準備もした上で、緊張を緩和させる内服の方法も取り入れた法が、より挑戦できるとも感じると、どちらの仕事が良いのかを考えると、勇気が要ります。


 
職場の同僚 / ぱん 引用
No.972 2014/09/17(Wed) 19:01:50

 仕事中、同僚のうわさを話して笑いあっている方を目にすることがあります。そのような時、聞いているだけで、同じ職場でこのような方がいると思うと良いとは思えません。
 また、どの職場でもこのような方は、いると思われます。このことから、何を学び、どう解釈するかで自分の考えが決まると思います。また、うわさの内容も、その方から見た意見であり、その方の考え方が良くないために、そのような話の流れになっていることも考えられます。
 島野さんの場合は、どのような解釈をされますか。


 
Re: 職場の同僚 / しまの 引用
No.980 2014/09/28(Sun) 14:45:38

仕事の選択はもちろん、少しずつジャンプアップ、ということでいいと思います^^。

仕事場でのうわさ話については、まず「客観的な害」「仕事への客観的な支障」それによって出るものかどうかの判断というのを、まず行うというのがアドバイスになります^^。
うわさ話限らず人の言動が良からぬと感じた場合対処法一般的な指針として、まず最初にそれを考える

まあ「仕事への客観的な支障」がある場合というのは、たとえば「誰々と一緒に仕事をするとヒドい目に遭う」といった噂話この場合は、どんなヒドい目に遭うという話なのか、その真偽を確かめ、必要な対処を講じるのが望ましいものになります。
一方「仕事への客観的な支障」がない場合というのは、誰と誰がつきあっているとか別れたとかの類ですね。仕事には直接関係ない、どーでもいい^^; こうしたのは、まず対処する必要もなく、まずは聞き流すので良かろう、となります。

まずは基本的な指針としてはそんな感じになると思います^^。


 
Re: 行動法について / ぱん 引用
No.983 2014/09/28(Sun) 18:02:23

 コメントありがとうございました。
 今後、個々の言動を観察して見ようと思います。




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