しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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(No Subject) / tok 引用
No.1314 2019/02/28(Thu) 13:56:22

島野さんこんにちは。
結局、どれだけ今がダメでも、自分にできることをやっていくしかないと思い雑用やらやっています。
相変わらず仕事もなく一人だけ放置されています、
人間に承認欲求なんてものがなければ、どれだけ生きやすくシンプルになるでしょう。
出来ることをやっても、アウトプットの質が悪いのと能力が低いので、結局相手にしてもらえない。こんな仕事別にしたい訳でもないのにとやる気がなくなってきます。

なるべく肯定形で物事を捉えるよう努力してますが、孤立し自分が無能だと感じる出来事に直面すると、なかなか難しいです。まともな仕事をしてちゃんと人に認められて、ここに居場所を持てると感じられるようになるまで頑張れるだろうか。そもそも、仕事が嫌いだと言うのに笑

望みが自分でも分からないために、どこを目指したらいいのか不明です。
現実から少しずつ出来ることをしてるつもりですが、成果を出してないので居心地も悪く孤立している。あの人よりマシだと思わせるために居るのかなとすら思えてきますが、そう言うことドツボにはまるのでなるべく考えないようにしてます。

承認が欲しいだけで、仕事内容自体はどうでもいいんだと思います。
でもそれが望みだと感じられたところで、前進感はないです。
少しでもスキルを上げるよう、自社のサービスを理解できるよう、努めるだけですね。
どこに向かいたいのか、そのうち見えてくるのかもしれませんね


 
Re: / tok 引用
No.1315 2019/02/28(Thu) 13:57:07

間違えて新規投稿してしまいすみません。いまいち、使い方に慣れませんね


 
Re: / しまの 引用
No.1316 2019/02/28(Thu) 14:06:04

いえいえ、あまりレスが多くなるとトピックの更新が分かりにくくなるので、適宜新規で入れて頂くので歓迎です。
順番に後日コメント入れますので^^。


 
Re: / tok 引用
No.1318 2019/03/01(Fri) 17:56:44

ありがとうございます。
今日、またミスをしてしまいさらに落ち込んでいます。
汚名返上どころか逆に行ってしまい。結局きちんと仕事をしてこなかった自業自得の結果だと感じています。
周囲が自分を無能な怠け者と見下してるというイメージに対し
・もう無理だな辞めたい
・これから変えていくしかない
・この年齢でこんなんじゃどこいっても無理
・イメージが正しいとは限らないが現実を知らずにいたい
・目の前の針の穴のようなタスクに没頭するだけ
などなどさまざまな思考と感情に翻弄されています。
感情と行動の分離の実践は、そもそも根底にかなり健康的な成長志向があってこそですね。
退行欲求に流されないだけの前向きさと希望がある人なら上手くいくのかなと感じています。


 
仕事への向かい方・望みへの向き合い方・テーマ出し思考^^ / しまの 引用
No.1322 2019/03/19(Tue) 16:49:20

ざっとアドバイスを書き、入れようとして3/1に追加して頂いた部分に気づいたのですが、
>今日、またミスをしてしまいさらに落ち込んでいます。
については、とにもかくにもミスをしないための具体的ノウハウどう身に着けるか問題になると思います。
それは具体的な仕事内容いかんですので、書いて頂ければ具体的にアドバイスできるかも知れません。

以下、2/28部分へのアドバイスになりますが、「テーマの具体化」というのが全般的にアドバイスできるものになるかと思います^^。


「仕事への向かい方」「望みへの向き合い方」といった基本的なテーマになると思いますので、「こうすればいいですヨ」というような付け焼刃はなく、まず基本的なテーマ理解と、それを使った自己向き合い思考馴れることから、ということになると思います。
ちょっとキーワードの羅列的なものになるかと思いますが、ざっと書いてみますと、

仕事への向かい方としては、
 ・少しでも「面白さ」「やりがい」を感じられるもの選ぶ
 ・必要なスキルの本質を見抜く・・・これについてはこの掲示板「スキル」とかで検索すると参考になるトピックいろいろ出てくるかと思います^^。また、職種作業内容など言って頂ければ「仕事の普遍的スキル」という観点からの、多少とも具体的なアドバイスできるかも知れません。
 ・「個人の能力発揮」ではなく「役割の遂行」、そして「人との優劣競争」ではなくそれとはまさに逆「誰によるものと示すことなく結果を生み出す」という「匿名性における価値の生み出し」といった姿勢意識を向ける。
などがまずはお勧めできるものになります。
それが自ずと、仕事の成績の向上、そして回りからの評価と信頼つながっていくであろうものとしてですね。

「認められたい」「人に勝ちたい」という気持ちについては、まずは「ただ流す」です。「自分はどうせこんな気持ち」自己批判するのでも「こんな気持ちでは駄目」かき消そうとするのでもなく。
もしそれが前進へのガソリンになればそれも良しとして、苦々しい感情つながっているだけのようであれば、まさにその苦々しさバネに、「真の自尊心」とは何か取り組む良いでしょう。
実践4-1「価値観」の理解 / 「自尊心」への価値観
まとめたように、「打ち負かし自尊心」「愛され自尊心・認められ自尊心」「生み出し自尊心」といったバリエーションを知り、自分自身の選択問うというものですが、考え方視点について多少とも読書重ねながら、日々の出来事向き合う中で、その具体的な現われ方感じ取りながら、自分ではどう感じ考えるか検討していくという、地道で長い取り組みになります。
詳しく『入門編上巻』『実践編上巻』などが取り上げています。
それを通して、「生み出し自尊心」へと向くことができるに従い、より揺らぎなく上記のような仕事への向き合い方になる、というものになります。

>望みが自分でも分からないために、どこを目指したらいいのか不明です。
については、「望みへの向き合い方」というテーマになるかと思いますが、さらに漠然抽象としたものになりますが、基本的には、
望みに蓋をしているものを一つ一つ取り去りながら、人生に向き合い続ける
といったものが指針になります。
そこで「望みへの蓋」とは何かということになりますが、マイナス思考であったり、価値観であったり、心に染みついたマイナス感情であったりと、結局『実践の学び』として整理しているもの全てになりますね。
そうしたもの取り組めるよう、ここではまずは、「テーマ出し思考」というようなものをお勧めできますね。
「望みが自分でも分からない」とのことですが、それはやりたい仕事見つからないということか、それとも仕事以外の生活面のことか、ならば「趣味」にはどう向き合っているか。交友問題か。あるいは人生全体の望みというようなか。
そうして「言葉」自分の心掘り探ることで、テーマ出れそれに応じた話がまた出てきます。

そうした「テーマ出し思考」自分でできるようになると、前進感変わってくると思いますので^^。



乱暴な国家への対応 / noname 引用
No.1313 2019/02/20(Wed) 13:01:35

政治的な質問になってしまいますが。
島野さんは、韓国の攻撃的とも捉えられる日本への姿勢に対して、日本はいかに対応していくのが得策と考えますか?
特に徴用工問題はこの先日本経済に大きな被害を与えると考えられます。レーダー問題や竹島問題では、韓国側は自国有利な証拠を国家が捏造している模様。慰安婦問題でも、一度まとまった慰安婦財団を一方的に解消し、国家間の約束すら政権が変わればすぐに破棄する。
日本の常識ではあまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのではとすら感じます。

韓国だけではなく、中国は武力や経済的優位を背景にしてより露骨に無茶を通そうとしています。

このような姿を見ると人間関係のようにも捉えられ、ジャイアンがのびたを搾取する姿を見ているような、悔しさ、歯がゆさを感じるところです。

このような言わば乱暴者に対して、日本は、そして我々個人はどのような対処をするのが適切と考えますか。

日本が中国の属国のような姿になる可能性も想像し、危機感を抱いています。
今までの比較的平和な日々は、日本に平和ボケをもたらしたように思います。近年の苦悩は日本に危機感を取り戻す良いきっかけになりうるのかもしれません。問題の捉え方は様々できると思います。また、韓国が悪いという論調にも偏りはあり、多面的に評価すればどうとでも言えるという気はします(「どうとでも言える」ということを利用して韓国は無茶を押し付けているように感じられます)。

相手を論理や原理原則で打ち負かしても問題は解決するとは思えず、かといって相手から食い物にされるのを黙ってみていることもできず・・・。適当な落とし所というものはあるのでしょうが、それは高度に政治的な問題として、我々一般人が答えをだすことができないものとも思います。
島野さんの対応術を伺いたいです。


 
「魂の原理原則」と国家間のウインウイン行動法と「和解学」^^ (前) / しまの 引用
No.1320 2019/03/15(Fri) 13:29:51

これは3段階考察するものになると思います。
1)行動学一般(敵対構図におけるもの)
2)国家間の交渉術
3)現在の日本の外交懸案問題
政治的問題への発言基本的には僕の執筆活動範囲外なのですが、こうした問題についてどう考えるかというのも、「社会を見る目」として「社会を生きるスキル」という基本取り組みテーマにはつながる話ですので、一つの具体例として僕がどう考えるかなど一通り書いてみようかと思います。
まあこれも本が一冊書けるというか何十冊も出ているテーマですが、としては他の場で触れることはないと思いますのでここで考察を大体全て書いてみようかと、かなり長くなりますので分けて入れましょう。
まず考える上での前提視点から。


敵対構図における行動学

まず基本的な話ですが、ハイブリッド心理学としての社会行動法「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」3つ構成される建設的行動法100%になるようにします、という文きり回答です。
参照:『辞典』 実践3-1 行動学
そこで敵対構図場合は、「原理原則行動法+ウインウイン行動法」という応用形焦点当たることになります。

まず基本的理解確認ですが、「建設的対人行動法」「共通目標共通利益にのみ着目して行動する」いいとして、
「原理原則行動法」「相手への意見は言わずに、相手も拠って立つ原理原則を示唆してこちらの思い通りに相手を動かす」という行動法です。
ですので、

>相手を論理や原理原則で打ち負かしても
これはとりあえずハイブリッド心理学として言う「原理原則行動法」ではありませんので^^。まそれは「論破行動法」とか呼ぶと良いかと。
ハイブリッド心理学としての「原理原則行動法」は、相手「ぜひそのレールに乗って進むといいですよ」と言い、実はそのレールこちらの都合の良い方角に伸びている、という構図行動法です。
それが「ハーバード流」でもあるととしては理解している次第です。

「ウインウイン行動法」自体については特に説明は良いかと。ポイントは、「相手にも勝たせる」という側面実際どううまくできるかになるでしょう。その結果こっちが負けの構図になっては元も子もない。
これをどんな形実現するかは、各個人采配となり見識の豊かさになると思いますが、僕個人としては「相手に華を持たせ自分は実を取る」というのが結構好きですね。
いずれにせよ「ウインウイン行動法」相手との勝ち負け意識があるとまずうまくできないと思いますので、まずいかに本当にウインウインの精神を身につけるかまでの心の成長人生経験積み重ね大切になると思います。
たとえば「打ち負かし自尊心」から「生み出し自尊心」への転換取り組み『辞典』 実践4-1 「価値観」の理解 / 「自尊心」への価値観)が直結しますし、人間的なゆとりというのも足場になるでしょう。これは意識してそれを目指す長い歩みによって生まれるものです。


「現実において生み出す」

上記行動学からの一般論ポイントとして、もう一つ「感情を鵜呑みにしない」という「感情と行動の分離」基本実践からの一般論ポイント出てきます。
これは行動入り口出口という位置づけでの2つになります。
まず行動入り口においては、「空想上の脅威に対処する」のではなく「現実上の脅威に対処する」
そして行動出口としては、「現実において生み出す」です。「気を晴らす」ことを行動出口にするのではなく「現実における向上」という「結果」最大限に生み出す行動選択肢から選び実行します。
まあこの点上記ポイントも含め、敵対構図の相手からの脅威勝ち負け勝負と捉えて自分が勝った気分になれる行動をするというのが、ハイブリッド心理学採る行動法との対極にあるものと言えます。

では具体的どんな話になるかを見ていきますと、まず

>あまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのでは
>韓国だけではなく、中国は武力や経済的優位を背景にしてより露骨に無茶を通そうと
>ジャイアンがのびたを搾取する姿を見ているような
>このような言わば乱暴者
>日本が中国の属国のような姿になる可能性
というのは空想上のイメージであり、それに対して何か行動対処する問題ではない。これはいいですよネ
一方相手国どう理解するかという認識の問題はありますね。これは後述

行動対処必要現実的脅威としてレーダー照射の問題は、さすがタチが悪いな・・感じましたが、河野外相「抗議します」一辺倒もう少し別のやり方もあるのでは・・とちょっと一考した次第です。
まず状況認識として、
・レーダー照射はほぼ事実であり、恐らく現場の人間が日本側への嫌がらせで衝動的に行ったという可能性が考えられる。北朝鮮の瀬取り支援目的という説も。
・これが日本との間で取り上げられたとして、この幼稚な行動をそのまま認めて謝るというのは韓国にとりあまりに不面目であり、韓国内の反日感情の中行い難い。
・レーダー波形などの証拠で国際的にも完全な断定とするためには、恐らく米国軍などの介入が必要。しかしこれは日米韓連携の全体が揺らぎしかねない。そもそも起きた問題がそれに見合うものかという疑問が当然出てくる。

といったものです。
僕が考えたもの「現実において生み出す」になるでしょう。ただしここでは国家間の交渉術という特別な面考慮せず、まあこういう対応の例というのも一般論的にはあっていいだろう程度の話です。
は、まず現実上の脅威としてはあくまで実際攻撃されたわけではないわけです。その上でそれが実際どの程度危険な蛮行であるのかはさまざまな意見が出ると思いますが、実際の攻撃となるともう次元が違うという隔たりは、きちんと認識する必要があると思います。
それを踏まえ「現実において生み出す」ものとして目的にするのは、「今後このようなことが起きないようにする」だと思います。相手を懲らしめる、ではなく。そのため相手が進んで乗るであろうレール差し出すという、まあとりあえずウインウイン型行動法になりますね。
そこにもう一つ考慮ポイントとして加わるものがあり、相手ありそうな場合、それを追い詰めないことです。追い詰め型行動をすると、敵対姿勢完全に強くなり、もうウインウイン型難しくなります。相手には触れないでおく。

そうした考慮踏まえると、こんな感じ
・レーダー照射頑として認めないという姿勢見えた段階にて、対応者上位このような対応切り替える。「レーダー照射を受けたという報告だが、実際そんなことがあったのか調べて欲しい」。まあ「そんなことはなかった」返ってくるのは火を見るより明らかでしょうが、なら「そうか。今後とも互いに気を引き締めていこう」終わり
・相手側論点自衛隊「威嚇飛行」切り替えたの対して、「そこまでの低空ではなかったと思うが注意しよう。そちらもぜひ注意してくれ。」終わり
まあこの対処法戦法とは、
・相手を責める気はないことを示す。
・まずこちらから「我々は自己反省ができる存在だ」と示す。

これを、多少とも相手を立てるような形行うわけですね。あくまでこっち何の損も出さない形で。
その結果相手は気分を良くして、相手側も自らが自己反省できる存在であることを示そうとするだろう。相手側上位者気分良く現場を叱責できる。
といった狙いのものになります。

まあこれが島野流「華を持たせ実を取る」交渉術一例ですが、あくまで国家間交渉という特殊性度外視した、ごくごく架空の考え方例としてだけの話ですので^^。
実際国家間交渉となると、また別の要因考慮しなければならなくなる。もうハイブリッド心理学範囲ぜんぜん超える話ですが、これもちょっと一考しておこうかと。


国家間交渉

国家間の交渉、特に敵対構図におけるそれは、以下2つの要因大きな影響下にあると考えられます。
・自国内世論の動向。これを無視すると次の選挙危うくなる。
日本の状況としても・・まこれが地球人類の状況(^^;)でもあると思いますが、上記島野流良しと考える割合は果たして1パーセントにも行くかどうかでは^^;;;
・「原理原則」が一枚岩ではない。
原理原則とはいわば「群れの中の掟」であり、人間場合「国家」「群れ」としてその中で生きるわけです。その結果群れ群れ対立した時、「群れの中の掟」でその対立解決することはできず結局「戦争」至ったのが人類歴史です。その反省から、地球全体一つの群れにするべく国連組織ができたわけですが、「国」という群れ境界強固にあるのが現状であり、「国際司法に訴える」というのが国内裁判のようにすっきりとはなかなか行かないのが現状
ですので、

>相手を論理や原理原則で打ち負かしても
とのことですが、国家間相手を論理や原理原則で打ち負かすというのは、ないと思います。「こっちが正しくそっちは間違っている」責めても、「そっちこそ間違っておりこっちが正しい」返されるだけ。国際司法がそのどっちかに軍配をあげるというのはとても難しい結果「打ち負かす」というのがあるとすれば、国家間においては武力のことになると思います。

そのため、武力衝突避けながら敵対構図での問題解決したい場合、やはり「ウインウイン型」基本になりますが、それは「原理原則行動法+」というよりも、別の特有の型になる。
「ディール(取引)型」ですね。まあ島野流ではなく(これはどーでもいい^^;)「トランプ流」ですかね。これそれとを交換しよう材料差し出して、互いが差し出したものぱっとつかんでさっと離れる、という
これが、相手国多少とも同じ原理原則が通用する相手か、それとも通用しない、それこそ乱暴者国家であるかで、その一発取引の様相鮮明にします。後者の場合、一応懐にを忍ばせておき、会合の場見極め一瞬の接触済ませたら再びパッ大きく距離離す、というものへ。

では前者、つまり多少とも同じ原理原則が通用する相手国敵対構図になった場合どうか。
もちろん原理原則型望ましい。ただし「打ち負かす」なしです。勝ち負け意識表に出たとたん、土俵はもう原理原則とは別のもの移ってしまう。武力か。それともディールか。
あくまで勝ち負けではない原理原則立たねばならないんですね。それこそ真の原理原則言えるものに。


「魂の原理原則」

ということで、もう一つ視点加えておくことができます。
勝ち負けディール超え国家間動かし得る原理原則ですね。これはに、動物の種超えて働くことさえあるものです。
それを「魂の原理原則」と呼んでいいのではないかと。
「魂の感情」は、自意識の薄れた、命の重みのある深い感情などと定義できるものです。それを感じ取ることで、我々生きることの意味知り、それを遠ざけた時我々生きる意味見失う
そうした「魂の感情」どのような内容のものとしてあるのか、どのような動きをするのかの法則が、「魂の原理原則」呼べるものになるだろうと。ま「魂の法則」でもいいですね。

ハイブリッド心理学は、「魂の感情」「愛」という単一軸下にある、と考えます。まこうしたステートメント「魂の原理原則」内容だということになります。
親子の愛決して捨て去れないものとしてあること。窮地にある者眼前にした時、救いたいという気持ち湧き起こること。
それが国家間動かすことがあります。「人道的援助」というものですね。地震などの災害に際して、国際間援助の手差し伸べられます。これは取引ではなく「魂の感情」基づいて行われるものです。
「魂の原理原則」には、強制力ありません強制によって「魂の感情」引き出すことはできません
では何によって引き出されるのか。それを我々「人間性」と呼びます。「人間性」損なうごとに、湧き出なくなり、代わり利己的に他者を蹂躙するようになっていきます。そして「罪」犯すわけです。とは真逆向いた時、そこに現れるということですね。
真逆向き犯すまでではなくとも、「魂の感情」薄れ、やがて消えてしまうというもう一つ問題があります。
「心の浅はかさ」です。ハイブリッド心理学はこれを、発達「自意識」芽生えた結果宿命だと考えています。それにより人間の「心」は、大元「命」からはがれた薄っぺらいものとして動くようになったと。そうして「魂の感情」失われるごとに、代わり人の心表面的なものおおうようになります。その代表的なものが、「人の目」「お金」そして「性」です。ただし「性」もともと命に根ざした重みあるものなので、魂の感情が失われることでその刺激がどう増大するのかは、見えにくいものとしてあります。

かくして、「魂の原理原則」として、「愛」「罪」「お金」関係というのが出てくることになります。
真の愛お金では買えません浅はかな、形ばかりの愛であれば買えるでしょう。
お金では消えませんお金できるのは、もたらした損害補いだけです。では罪そのものどう消えるのかと言えば、罪を犯した者後悔の痛み触れた時罪を犯された者悔しみの痛みも、消えていくのです。
心の浅はかな人は、謝罪要求された時金を払ったのだからもういいだろう、一度謝ったのだからもういいだろうと言ったり、何度謝ればいいんだ逆に怒りだしたりします。また逆の立場において、自分が受けた小さな害に、相手を脅しお金など法外な見返りを要求するという出来事起きたりします。その時、今度害を受けたはずの者罪人へと化すのです。
加わってくる要因として、未熟さ弱さ、さらには心の病みの傾向があると、謝るということがうまくできません謝ることに「負け」「恐怖」感覚伴ったりそもそも何が起きたのか認識歪むことによってです。心の成熟と強さそして健康さによって、より純粋な感情謝ることができる共に、そもそも犯す存在ではなくなっています。
「どれだけ謝ればいいか」は、「魂の原理原則」からは、罪の深さにより、社会的マナー問題でもあり、それ以上魂の深い感情やり取り問題だということになります。往来で軽くぶつかった程度であれば、軽く会釈する程度でいいでしょうし、怪我をさせたのであれば、回復の見込み立った時点最後の謝罪としても良いでしょう。
では人をCENSOREDしまった時いつまで謝ればいいのか。「永遠に」「魂の原理原則」からの唯一の答えになります。命ある限り、その罪を悔いるのです。謝罪を伝えるべき相手が、もうこの世にいないのですから。そして自分終わってなった時、殺された魂を訪れ、泣いて謝ればいいのです。その時その魂の罪は消え、やがて純粋な人間として生まれ変わるのです。
実際そうした「魂の原理原則」基づいたものと言える、大勢の無念の死悼む儀式行われることがあります。いつ終えるという期限設けられることなく。そこで「いつまでやればいいのだ」言う者は、再び同じことを繰り返す人間に生まれ変わる戒められることになります。

ハイブリッド心理学ではこうした「魂の原理原則」を、科学vs超常科学論議組みするのではなくあくまで個人内部心理メカニズム考え方として、その情緒性の方向性立った時人の心生きていく中豊かさへと向かい背を向けた時生きることが次第に空虚に向かってしまうという心の仕組み働いていると考えています。


 
「魂の原理原則」と国家間のウインウイン行動法と「和解学」^^ (後) / しまの 引用
No.1321 2019/03/15(Fri) 13:31:39

外交懸案問題への受けとめ

ざっと以上前提視点として、現在日本外交懸案問題についての僕の受けとめ書いてみようかと思います。
まずは全体イメージを一人走りさせないよう、細かく個別問題分析から。

1)レーダー照射問題
上述の通り、実際の攻撃を受けるのとは次元が異なるものであり、すっきり解決したものでなくとも、この出来事自体現実的脅威ではなくこれ以上取り上げる必要はないと思います。
一方背景反日感情があるのは間違いなく以下問題絡め検討したい。

2)徴用工・慰安婦問題
確か法的原理原則にそぐわない言動韓国側行っているかと思いますが、問題見極めをしていくと、日本マスコミ報道日本人一般受けとめかなり違うもの見えてくるかも知れません。
まず徴用工問題については、最初聞いた時日本にとんでもない経済的影響があるように不安を感じましたが、よくよく情報注視していると大分違う感じですね。差し押さえ対照になるのは、新日鉄については、韓国内保有する、韓国企業との合弁の(?)企業の株3900万円程度。結局韓国主権下の財産であり、しかも金額規模としても一個人の訴訟額程度でしかありません。このやり方で、日本の主権下にある企業財産どうこうされることはあり得ないわけで、日本経済全体への影響というほどのものではなく、あくまで個別企業の個別の外国投資成果の問題だと感じます。
慰安婦問題については、詳しくは知らないのですが、これももともと日本全体への経済的影響という問題ではないと思います。これはいいですよネ。
つまりは、そこにあるのはあくまで経済的脅威の問題ではなく、あくまでやはり、感情的反発の問題ではないかと。

でこれについて、明らかに問題である(対処が必要である)事柄が、日韓双方それぞれある可能性高いように感じています。
まず韓国側問題は、「日韓請求権協定」に基づく日本からの経済援助に、徴用工慰安婦への補償含まれていたにもかかわらず、もっぱら財閥企業などに優先的に回し(その結果韓国経済発展した)、個人への補償が実際不十分である可能性
一方日本側問題は、「お金で解決済みだ」「一度謝ったのだからもういいだろう」という姿勢であることです。お金とは「日韓請求権協定」であり、「一度謝った」「村山談話」ですね。
つまりこれは、韓国は法的原理原則にも悖(もと)り、日本は魂の原理原則に悖る、という構図
その結果日本から十分な謝罪と補償がないのみならず自国からも見放されたと感じた元徴用工慰安婦今回の行動に出た、という構図考えられると思います。

その2つの問題についてそれぞれ背景にある要因指摘できそうです。
まず日本側問題背景にあるのは、日本の対外侵攻と統治にあった非人道的な部分度合いについて、公で客観的な情報が整理されていない、触れないでおく、伏せておく、という姿勢取られてきた思われることです。一方言論と報道の自由あるので、時に、老いた帰還軍人からの「人間ではないことをした・・」という懺悔の言葉新聞TV目にすることになります。それを知った時「何度謝ればいいんだ」などとはとても言えないような出来事をです。
もちろんそれらは、ナチスによるユダヤ人虐殺ポルポト政権による国民虐殺のような、政策として成されたものではなかったとしても、同じ日本人としてそこにあった永遠に悼み、決して同じことを繰り返さないために、例えば終戦記念式典そうした要素明示されるものになっていたならば、昨今日韓間国民感情なども全く違うものになっていたのではと感じます。この点先日文大統領「力を合わせて、被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心の通じる真の友達になるでしょう」という言葉にはかなり共感を感じている次第です。
一方韓国側問題背景にある・・というかこれは日本側問題にもなるのですが、元徴用工損害賠償請求したことについて、韓国の最高裁「個人請求権は消えていない」認めた結果この騒動起きているのですが、実は同じ見解日本側でも過去に出されているとのこと。これをTV報道見た時は思わず「えっ、それじゃーだめじゃん」一人ごちましたが。

ということで、徴用工・慰安婦問題について言えば、韓国が無茶を言っているというより、日本側かなり不完全な対応をもってもう終わったとする不備不足のツケ回ってきた、というものである印象感じています。
日本企業はそのとばっちり受けた形でもありますが、実はキャスティングボードを握る立場でもあります。ここまで述べた状況を踏まえてウインウイン型の交渉知恵ひねれば、韓国政府と日本政府の双方を動かすような起死回生的なものさえあり得ると感じますが、それは今やっているらしい門前払いとは真逆の、まず相手の声に耳を傾けるというのを最初「歩」の駒一手として将棋の一局始めるような、映画じみた複雑なものになると思います。それについて空想を広げることはもう今回の考察範囲を超えていますので、まずは基本的理解への意見としてこんなところまでで^^。

3)領土問題
領土問題についても、じっくり見ていくとどうも残念ながら日本不利な状況見えてくるのを感じます。
まず、そもそも領土の係争があった場合決着をつけるための、国際的な原理原則とは何かを考えます。
するとまず人類の歴史という始まりから考えると、それは法的な原理原則の下で・・などというものではなく(国際法などない時代から始まるのですから当然)、基本は勝ったもの勝ち領土決まります。どっちの国の方が正しいという話はなく。これは例えばサルの群れ2つあり、なわばりを争った時、我々人間からどっちの群れのものになるのが正しいなどと言えないのと同じですね。
しかしそこで、サル全体保護を考えて人間が介入するというのももちろんアリですね。人間場合も、人類全体の保存と繁栄を考え、勝ったもの勝ちというのはもうやめようという機運が、第二次世界大戦後花開くことになります。
そこでどんな原理原則国際的採用されることになったのかはちょっと勉強不足なのですが、まず「先住民の自治の尊重」いうようなものだと思います。ただし厳密な基準があるのではなく、基本的先住民の動向など考慮の上の、戦勝国自由意志による、というものではないのかと。
その結果人のまとまった定住性が低い場所ほど、国際的な原理原則決着するのは難しくなります。
するとどうなるのかと言うと、国際間交渉から分かるかと?思いますが、最後「ディール」になるわけですね。ロシアアラスカ現在の日本円にして数百億円売ったとかがまさに典型例

上記基本的理解として踏まえた時現在日本抱える領土問題とは、第二次世界大戦後国際的な約束(サンフランシスコ講和条約など)において明確な線引きから漏れて多少とも玉虫色になった部分だというのが、見立てです。
つまり、「解釈の正しさ」をめぐっての争いになる。それも、かなり細かい話の部分についての。のような勉強不足の人間からは、ちょっと良く分からないような^^;;
つまり、そこにある問題もともと国際的な原理原則からは問う重みがないということですね。日本解釈がどうかについてはここでは踏み込まないとして、他国が嘘をついており日本の主張が正しいとして、それを国際機関持っていったとして、「確かにあんたの言うことが正しいかも知れんが、最終的なことは相手国と仲良く話し合って決めてもらえばいい問題だ」といこうとになってしまうのではと。
国際的な介入今後もないのではということですね。これがもっと何か国際的な約束にもとるようなものであった場合国際的な介入が起きます。ロシアによるウクライナ侵攻非難する欧米各国経済制裁行っているように。ところが北方四島ロシア支配については、国際的介入ないですね。つまり容認されてしまっているのが現実思われる。あとは日ロ二国間で話し合って下さい、と。

そうして国際的原理原則およばないでいる場所について、残りの強力な持ち駒として登場するものがあります。「実効支配」ですね。
これは結局、戦争の形は取らないものとしての、「勝ったもの勝ち」という古来から原理原則ですね。北方四島戦闘放棄した状態攻め込まれ尖閣竹島「早いもの勝ち」のようなでです。で竹島韓国実効支配取られ尖閣は幸い日本取った
で、今度はその実効支配について両国間非難の応報対立することになる。
そして日本としては自国の主張こそが正しい信じている。いいでしょう。それをどうできるか。
それは残り決着方法「ディール」として使えるということです。・・としてしか使えないという表現の方合っているでしょう。それを取引魅力的な材料感じる相手国はないでしょうから。

そうしたものとして、「ディール」臨む姿勢というのがになる、必要とされる、というのが僕の意見です。
その上どう取引を進めるかは、やはり今回の考察範囲を超えており作戦空想の詳しい展開は省きますが、一言で言えば、尖閣竹島現在の線引きのまま両国間の関係改善を最大化するのが得策北方四島早く譲歩するほど多くを得られるという目立てが、ごくごく個人的意見です。
まあそこでの主張の対立は、基本的に言って祖先が交わした手紙の内容のような類に感じます。そんなの忘れ未来志向で最適決着図るというのも十分あって良い感じています。

4)経済全般
最後に、上記のような外交懸案問題の、日本経済全体への影響について。
>日本の常識ではあまりに無茶な行為を平気で行っており、日本は不利な防戦一方で、このままではいつか日本が潰されてしまうのではとすら感じます。
>日本が中国の属国のような姿になる可能性も想像し、危機感を抱いています。
というご意見部分ですね。
これについては、僕個人としては楽観的見立てです。問題として大きくないし、日本の経済力当面はまだまだ強いという楽観です。

3つの理由からです。
1つ目に、ごく単純問題金額規模としてです。触れた3900万円というのは、まだ個人の問題程度規模です。それが3900億円となると、大企業揺らぐ規模にはなる。国家ガタガタしてくる規模というのは数十兆円といったものですね。桁が違います。
2つ目に、経済の仕組みへの理解としてです。それに対しそれらの問題は、基幹的な事柄では全くなく、ごくごく末端的なことでしかない。

グローバル社会経済というのは、お金血液として猛烈な勢いで回りながら、さまざまな国原料さまざまな国作られたもの流通することで、その流れで通用する貨幣でそこそこの生活費さえ持てば、毎日おいしいものを食べることができる世界になっています。
そのため結局何が重要なのかと言うと、他国に出せる産業あることです。モノを輸出するものであれ、向こうからやって来てお金を落としてくれるものであれ。つまり、外国から見て魅力あるものあることです。
それがないと、世界で回っている良いもの自分の国のお金買おうとしても、「あんたのところから買いたいものはないから、そんなお金では売れないよ」言われてしまう。もちろん外貨獲得手段もない。結果自給自足の時代にすぐ戻ることもできないので、パンがない、薬もないという状態があっと言う間に訪れるわけですね。先日朝日新聞にも、原油価格低下によってそうした苦境に陥った南米国の、やせ細った母病気なのに薬のない幼児ゴミ箱から残飯を探す若い家族といった姿伝えられていました。
そうしたものから見ると、日本は、他国から魅力あるものに溢れていると思います。工業製品農畜産の技術と品質自然と食文化芸術分野、そして日本的な生活そのもの、などなど。
それで言うならば、食い物にされているうちが、むしろ華なんですね、と言えるかと。他国から食い物にしたくなるようなものがなくなった時こそが、経済崩壊への入り口です。
だから我々目の前のことにおいて「価値の生み出し」へととにかく注力まい進していればいい。そう思います。

ということで、今回投資株を勝手に使われてしまうといった類のものは、金額規模的にも言ってもそうですし、内容性質的にも、日本経済影響をおよぼすものではない、というのが僕の見立てです。むしろ日本から韓国投資不適格という見方出てくることによる韓国側へのダメージが、長い目では大きいかも知れませんね。
そもそも国の経済他国からの悪意的手法によって揺るがされてしまうということなどあるのだろうか・・と考えると、やはりそんなものはないように思えるんですね。あるのはやはり生産拠点そのものが物理的に壊されるようなものであり、怖いのはやはり大地震などの災害。あとはミサイルを打ち込まれるとか。それは今回の話出てきていない某隣国ですね。

乱暴言うとすれば中国著作権侵害気質などは確かに乱暴ですが、最近多少自浄が働き始めている気配もあり、米中交渉でまさにトランプさん釘を打とうとしているものだと思います。
また中国技術進歩確かに脅威ですが、今後世界経済勢力関係としては中国とその取り巻き達vs欧米連合という図式が考えられ、日本つくのはまずは後者ですね。まあそもそも前から米国の属国みたいではあるのが日本ですね。
そして技術覇権が危うくなれば、自由原則をかなぐり捨てて政治介入するトランプさんのような自国第一主義働く案外これが理にかなっているようにとしては感じています。
いずれにせよ、人間生きて活動している限りお金という血がめぐりモノ回るという仕組みで、経済時に休憩するような場面もあっても、活発あり続ける。こうした仕組みにおける日本に、全く楽観的である次第です。


「時間」という解決因子

ということでこれが結語にもなりますが、徴用工・慰安婦・レーダー問題、そして領土問題も、経済的大きな問題ではなく行動学的には・・まああくまで外野からの意見としてご了承ですが、解決は全く容易な問題だというのが島野受けとめです。そう乱暴な相手でもない上では触れませんでしたが、自身の乱暴な感情が投影外化されて相手が乱暴に見えるという心理メカニズム考慮するといいでしょう。そうして、相手の言葉の中にある一片の理を認めてあげた時、次にこちらの五片の理を相手に認めさせることは、もう箸をころがすような容易なことです。
ただし、感情でものごとを考えるのをやめ、一面的な「正しさ」の観念を脱し、建設的な行動法に徹する姿勢を心底から自分のものにすれば、のです。
そしてこれが、難しい。こうした心理行動学接することもないのが多勢です。人々は相変わらず「正しければ怒って当然」と考え、次第「正しければ破壊して当然だ」という感覚へと陥り、やがて自分の「正しさ」さえ壊してしてしまう。かつてはそれで戦争へと一直線だったわけですが、「とにかく戦争はだめ」という最後の歯止め利くでしょう。
ともかくそれが世論を作り、政治家世論を見ながら行動しなければなりません。結果、特に韓国との関係悪化の一途です。これが何か「解決」したというような報道見ることは、しばらくないようにも予測できます。

それでも楽観的でいる3つ目理由もう一つ解決因子があります。
「時間」です。まあそれが解決するだろうというか、期待したい
空に向かって吐いたつばが自分に戻ってくるのを知れば、韓国行動を変えるでしょうし、そして具体的に衝突する場面減れば、やがて問題が解決したという形ではなく、問題そのものがうやむやになる、忘れられていくというのが、一つ考えられる。そして10年もした頃に、またちょっと違う機運も現れてくるのではと。
いずれにせよ、これらは結局親がやってる隣人との喧嘩だと感じます。まあとことんやってもらうもいいが、変わったら、全てリセットして自分達のやり方やっていい問題だと。そして僕個人は、小さいことにはてんでこだわらない暢気な人間なので、この楽観の下能天気に幸せに生活していくのでいい、ともうタカをくくっているという次第です。
そして正直に言えば、この楽観あくまで僕が生きている間の時代については、というものです。その後のことは分からない^^;
これからの若い世代が、いかに「価値の生み出し」へと意識を向け続けられるかいかんだと思います。そうして僕が生きている間にでも、本当の友好関係向かい始めている両国見られれば嬉しいですね。


「和解学」の推奨

以上前提視点から問題の受けとめまでざっと書いてみましたが、「感情を鵜呑みに考えない」という「感情と行動の分離」から始まり価値観や行動法の選択取り組み日常生活人生問題向き合うという、ハイブリッド心理学「取り組み実践」全体が、こうした問題への対処の考え方としても、例えば島野の例で言えばこのような形になる、というものになります。

その最初始まりである「感情を鵜呑みに考えない」ということで重要なのは、何が起きたのか、何が問題なのかという問題の認識から、感情を鵜呑みにしない思考によって、見直すということです。たとえば「こんなひどいことされた!」感情で感じるままに問題を捉えてから、に、それに対しどのように対処することが感情を鵜呑みにせず建設的なのか、という検討努力取ろうとするというのがありがちですが、それだと答えがまず出ないものになってしまいます。
上記今回の話においても、まず「どんな問題が起きたのか」という最初の問題認識から、感情にまかせるのではない思考によって見直すという思考作業実は大半になっているのが分かるかと思います。価値観と行動法の選択という足場踏まえたものとてしてです。
そうして、感情を鵜呑みにせず問題を捉えることができた時もう答えは見えている。
そのようなものとして、ご参考頂ければと思います。

ですので、もし本格的外交懸案問題について検討しようとする場合は、そもそも問題は何なのかという認識の見直し、特に第二次大戦をめぐっての経緯事実についての、十分で客観的な情報・・上記で僕が書いたものはごく断片的なものにすぎませんので・・整理することから始められるとよろしいかと思います。
それも、日本の立場見るだけではなく、他国の立場見た場合のものも含めてです。
それについて、反日的態度の相手国とも協働して、特定国の立場に偏らない、歴史認識の合意こそが、根本解決のために必要だと感じていたのですが、ちょうど今回この考察頭の中まとめ始めた中で、そうした動きがまずアカデミズム起き始めているというのを朝日新聞見かけましたので紹介しておきましょう。

早大浅野教授主導しておられる『和解学』というもの。
2.27(水)朝刊より
前半
後半
「お互いがが主張する法的論理と『正義』がずれている」ことに問題の原因があり、それを「闘技(アリーナ場)型」という対話の場討議しようというもの。それはやみくもに合意を焦るのでもないという主旨なのか興味持てるものですが、複数の正義があることを認めその優劣を競わないというスタンスは、ハイブリッド心理学からも完全に支持できるものと言えそうです。
もし本格具体的考えたいようであれば、この活動への何らかの参加など検討されるのもよろしいのではと^^。



遅刻する人への対応 / waka 引用
No.1312 2019/02/19(Tue) 10:43:25

島野さんこんにちは。初めて投稿します。

昔から待ち合わせで30分も人を待たせる友人にイライラしてしまいます。
どうせ遅れるからと私も20分遅れるとさらに友人は遅れて来ます。悪びれる様子もないので私が損したような気分になります。
できれば待ちたくないのですが家に迎えに行っても待たされます。
こういう時の建設的行動はどういうものがありますか?

待つのが楽になるような方法があればいいかなと思いますが、相手を探して(数十分も)キョロキョロするのが苦手です。

逆に、待ち合わせに数分遅れただけで急かす人に対しては、私は数十分も待たされてるのに1,2分だけでなぜ?と思ってしまいます。
どっちにしても自分を軽視されていると感じます。
こうやって書いてみると
・時間に数十分遅れるのは悪いことなので怒る権利があり
・数分遅れは悪いことではない
という価値観があるのがわかりました。
人から被害を受けるという重心を欠いた思考だなとも思います。

どうしたいかを考えると、、数十分も待たされるのなら会わずに他のことをする時間にしたい、という感じです。
ですが地元の友人で近くに住んでるとばったり会ったり、非社交的なことを責められるのも嫌なのです。
明るく「することあって忙しくて逢えなくてゴメンね!」とでも言えたらいいのですが、おずおずと「しばらく忙しい」と言うと何をしてるのか、そんなに忙しいわけないという気まずい空気になり、来週再来週ははどうなのかと聞かれるとますます会うのが億劫になります。


p.s島野さんの初恋の相手との話を自分のことのようにドキドキしながら読んでいます(o^^o)
差し支えなければ近況などまた読めたら嬉しいです。


 
まず判断基準軸のブレをなくす^^ / しまの 引用
No.1319 2019/03/03(Sun) 10:24:55

これは一言で、
決断のための判断基準のブレをなくし、自分の心そして望みに向き合い続けるべし。
というものになりますね。

「決断のための判断基準」とは、問題への対処法決断際して、守るべき鉄則です。ものの見方考え方価値観思考法行動法など。それを守らずに対処法を決断したところで、良い結果を生むものではなくシッペ返しでまた苦しむのが火を見るより明らかなもの。
まずそれについて、しっかりとした自分の考え持つ共に全体としてブレのないものになることが重要です。でないと、まるであべこべな方向を向いている車輪で車を走らせようとするようなもので、うまく走ることができず、あげくの果てに嫌になって、自分に向き合うこともできなくなってしまいます。で藁にすがるように、人の言うことをそのままやったり人の真似をすれば・・、ということにもなるのですが、それはもう自分に嘘をついた行動になり、さらに心がすさんでいく、というのがありがちです。
ご質問の文面もちょっとそんな気配ちらほら、と^^;

まず判断基準としては、今回の話としてはざっと以下5テーマくらいになると思います。「そう考えるようにすればいいのか」ではなく、まず本心からの自分の考えどうなのか、そしてこれから本当にどんな考え方を取って生きていくのかという自己向き合い真剣さ足場になります。

1)社会常識・マナー
遅れ許容範囲場面種類により異なる友人との待ち合わせであればまずは数分まで会議であればぴったり0秒でもNGであり数分前常識マナー
参考例として島野の感覚では、友人待ち合わせなら遅れ20分以上事前に連絡する、また「ごめんごめん」口に出して謝る40分以上なら黙って帰られ流れでも仕方ないいつも30分以上待たせるような横柄ルーズな相手基本つき合わない^^;

2)待ち時間への対処法
何か特別な状況長い待ち時間予想される場合は、パソコンを持参して作業など時間の有効活用できるようにする。また自分から何度も相手を確認する必要なく向こうから到着連絡するよう、「ここにいる」「着いたら携帯入れて」など調整しておく。

3)ル−ズな相手への対処
改善の可能性見極め難しそうであれば距離を置く方向へ。改善させるための積極的働きかけ検討しても良いが、基本的人を変えるのは難しい

4)相手と距離を置く行動学
「肯定形の言葉で」というのが鉄則「誘ってくれてありがと。ただその日は○○なので。また連絡するね」とかの言葉使い付き合い悪さ非難されても全く変わらず飽きられるまでこれで。相手を非難し返すようなものは、距離を置くのではなく逆に破壊的な形で相手からの接近を招く行動法恨みを買う他の友人巻き込み破壊的結果を招く危険注意

5)純粋で豊かな交友を妨げる価値観や自己理想からの抜け出し
交友「楽しみの共有」として、まず自分がどう楽しめるのかを探求する姿勢が、純粋で豊かな交友への王道互いの「理解」「評価」「敬意」を友情と感じてつき合う関係というのは、すれ違い怒りにつながり壊れやすい
「友だちの多さ」「社交性」自己理想とするのも良いが、本当にそれが自分の性分に合っているのか適宜確認するといい。性分に合わない自己理想不幸の素
誘われたら応じるのが「善」断るのは「悪」という「道徳思考」「仲良し道徳」を持つと、一般的な社会常識マナーさえ見えなくなり交友に混乱をもたらすので注意横柄ルーズな人間から格好のつき合い相手にされてしまう危険も。

ざっとそんなところですね。
まずこうした判断基準軸について、自分の考えしっかりと向き合い自分の選択取り組んでみて頂くといいと思います。
そこから再度書いて頂いた疑問項目を、自分で見直してみるといいでしょう。よく整理できないものがあればまたご質問頂ければ^^。

そうして判断基準軸のブレをなくしで、今起きている問題どう考えるか、そしてどう対応していくのか、自分はどうしたいのかに、向き合う。そして今できる最善の行動思えるもの実践する。
その一歩一歩ごとに、「成長」があり、成長によってまた対応法の考え方変わるかも知れません。いやまだつき合えるぞ。あるいは、もうはっきりとこれはやめるべきと分かった、とか。
そうして判断基準軸のブレをなくして自分の進路を問い続けるという一歩一歩前進こそが、「建設的」だといことですね。「こうすればいいですヨ」付け焼刃で言えるものなどではなく。
まずはじっくり検討してみて頂ければ^^。


>p.s島野さんの初恋の相手との話を自分のことのようにドキドキしながら読んでいます(o^^o)

そのうちじっくり書こうと思っているので、人にも関心持ってもらえるようだと嬉しいですね。
ま近況としては、華やかで活発な初恋女性と奥手で朴訥な僕という、結局のところ小学校の頃の気持ちと関係がそのままなのだ、という感じですかね。僕自身の確信的決意としても男女関係的駆け引きなど一切なく、ごくごくたまに会う中で、僕が自分の思いに向き合い続けることが、僕の人生の豊かさを生み出したというもの(番宣テロップ?^^;)。
まあ我ながら面白い話だ、という感じです。こんなの他に聞いたこともない、と。まもうちょっと時間あると思いますがそのうち晩年に向けて書き始めるかと思いますので^^。



(No Subject) / tok 引用
No.1308 2019/02/11(Mon) 23:04:22

島野さん

今までの価値観で生きることの限界は感じています。例えば下記のような問題があります。

・受け身他力本願思考が強く、自分で切り開いていくという感覚がない
・仕事は、己の現実が惨めで恥ずかしいという感情に圧倒されてしまい目先に集中できない

仕事のことに関しては、実際の相談事例として過去記事は参考になりました。
ですが己の能力の低さに「この年齢でこんな事もできないなんて人がいるのだろうか?」といった自責や恥ずかしさを感じないよう、考えないようにする労力で疲れてしまうのです。

こうなりたい、頑張りたいという情熱や原動力があるわけでもなく、
できれば仕事などしないで家で引きこもっていたいタイプなので、何を原動力にして前へ進めばいいのかわからずにいます。

無駄なことを考えるより目の前のことをただ積み重ねるしかない、平日も休日も関係なく、でも一体何のために? 生きてていいことなんてこの先あるんだろうか、何の望みもないのに…と、放っておくとどんどんネガティブな方向に頭が行ってしまう。

考え方を変えなければと頭ではわかっていても、内面は虚無感や無気力、劣等感などが渦巻き、もう無理じゃないかと感じることもしばしばです。

原動力となるものがない、望みの方向性が見えないときはどこから手を付けたらいいのでしょうか。


 
Re: / tok 引用
No.1309 2019/02/12(Tue) 14:04:44

主に仕事面について、相談です。

感情と行動の分離、過去記事で注射の例えがわかりやすかったです。
怖い感情はありつつも、自分にとって注射の有無が今後どのように影響するのかを冷静に判断して、腹くくって受けるというイメージでしょうか。

今まで私がやってたことは、仕事ではなく言われたことをやるだけのことも満足にできない、
作業員であったという自覚と、自分はかなりどうしようもない人間なのだという気持ちを感じるままにしつつ、目の前のことに集中しようと努めてはいます。
このスキルでは同業種の転職は不可能ですが、社会を生きるスキルも分からないまま転職や退職を考えたところで、何も良い方向には行かないと思います。


 
Re: / tok 引用
No.1310 2019/02/12(Tue) 15:22:14

連投ばかりですみません。
職場では誰にも相手にされてない感じで辛くあります。
例えばプログラマなら業界10年の人が、初心者講座に通う的な感じで、若い人に混ざって恥を忍んで受けに行こうかと思ってもいますが、現時点で使い物にならないのが会社のお荷物でしかない気がして‥。
本来、プライドなんかかなぐり捨てて頑張らないでどうすんだよってとこなんでしょうけど。
仕事もプライベートも、健康(糖尿病予備軍です)面も、すべて行き詰まりを感じています。


 
前進思考への転換^^ / しまの 引用
No.1311 2019/02/13(Wed) 11:34:36

これはずばり「前進思考への転換」から取り組むのがいいと思います。
『入門編下巻』では「思考の文法変換テクニック」(P.33)として説明しているもの。
抜粋しますと・・抜粋というか一部だけ省略ですが、
==========
 まず「怒り嘆き形」の思考を「望み形」の思考へ
 これが大きな流れを変えるものになります。「こんなんじゃ全然駄目!」「こうあるべきなのに!」と怒り嘆きの思考が湧いてきたら、「では自分は何がどうなるのを望むのか」を問います。
 これが、日常の思考を心理学的幸福主義の生き方思考に変えていく、大きな舵取りになるでしょう。その分、これは実際には結構な思案を必要とするものになるかも知れません。
・・(略)・・
 もう一つの「文法変換テクニック」は、より細かいレベルで実践します。
 「否定形文法」から「肯定形文法」へ
 これは話の内容を特に変えたり考え直したりすることはせず、とにかく文章として「肯定形」で終わるようにします。
 コップを落として割ったのであれば、「なんてこった、割ってしまった!」ではなく、「割らずに済んでたらいいな!」へ。これを日常浮かぶ思考で行うのは多少最初は違和感があるかも知れませんが、重要なのは人に伝えるために書いたり喋ったりする文章です。メールをよく使う人であれば、この見直し実践がしやすいでしょう。
 「‥でなければならない」「‥ではいけない」「駄目」「怒りを感じます」といった否定形で終わる文章を、「‥にできるといい」「‥であれば嬉しいです」といった肯定形に変えます。音楽のメロディを短調から長調に変えるように、機械的にでも。

 怒りと嘆きに心が流れそうになったら、必ずこの2つを実践するのです。
 自分に問うのです。では何がどうなるのが、お前の望みなのか。
 そしてそのための具体的な思考を検討するのです。何をどうすればそれに近づくか。完全無欠な人間はいないという限界に、しっかりと向き合いながらです。
 これを、100パーセント徹底させるまでやるのです。
 意識努力なしに自然に肯定形文法の言葉が出るようになった時、自分の性格も、マイナス思考が減り、人との対応の中でも、以前より情緒も安定し、穏やかで、かつ積極的になっていることを感じるでしょう。

==========

書い頂いた内容見るに、やはり基本的に「怒り嘆き形」なっておられるようで、マイナス指向土壌になっていると同時に、具体的な前進の方向性見えないものにさせていると思います。

こんな状況として理解頂くと良いかと思います。頭痛がして医者に行けば、「頭が痛いんです・・」と言えばあとは医者全てやってくれるかも知れません。原因を調べ適切な対処をする。
しかし、「人生」というのはそのようにはいかないわけですね。「人生がうまく行きません・・」と訴えて、良い人生作り出してやれる医者はいない^^;
それを人生への取り組みバージョン考えるならば、頭痛多少軽減できればいい程度なのか、それとも原因を究明し根本解決したいのか、あるいは頭痛というもののさまざまな原因について医学的な勉強をしたいのか、などなど、によって違い出てきます。そうして人それぞれが違う人生の歩みというものが出てくるわけですね。
そのように、「何をどうしたいか」「実際何がどうできそうか」という具体的内容落としていくことで、そこに前進始まるわけですね。
その内容方向性は、まずは自分自身だけ考えることができます。

そうしてまず思考の基本的な型前進形にしていく重要なのは、「今を原点」として前進すること。つまりいきなり高い完成形になろうとせずに、ゼロから、自分に着実にできること見出しにそれを拡大向上させていくというステップ踏んでいくことですね。
そのためには、まず目の前にある一本のペンを、右から左に動かすことができるか、といったレベルから考えるのだ、というのがハイブリッド心理学流です。
実際それもかなり困難なハンディというのが、いくらでもあるのだという人生観です。

まずアドバイスとなるのはそんな話ですね。ブログでも以下などで書いていますので一読頂ければ^^。
カテゴリー「(1)プラス思考」
カテゴリー「(3)人生を豊かにする思考法行動法と価値観」の中の「一歩一歩の向上思考」(3記事)

ということで、書いて頂いたもの幾つかコメントするならば、

>できれば仕事などしないで家で引きこもっていたいタイプなので、

この「家で引きこもっていたい」別にokですね。なら家でどんな風にすごせる方策を練るのも良し。これはちょっとまた別テーマ出てくる感じでもありますが、思考の全体「道徳思考」というハイブリッド心理学からはあまり望ましくないものなっているかも知れませんね。「こうであるべき」から考える思考。そこからの脱却重要です。
夫婦は何でも理解し合うべき、とか。ハイブリッド心理学からはそうではなく、「愛」「喜びと楽しみの共有」として向かうという価値観です。共有できない別々のものがあっても大いに良し
どちらも
『辞典』 実践-4 「愛」「自尊心」「人生」のための価値観と行動法
整理していますので参照あれ^^。

>例えばプログラマなら業界10年の人が、初心者講座に通う的な感じで、若い人に混ざって恥を忍んで受けに行こうかと思ってもいますが、現時点で使い物にならないのが会社のお荷物でしかない気がして‥。

これは具体的な話になりますが、もIT会社でプログラマSEをやった経験から言うと、プログラマSEかなり適性や体力(長時間労働)が要求される職種ですので、30代以降くらいから始めようとするのではかなりハードルが高くなるという個人的感想です。
手に職をつけるなら「簿記」とかの浮かびますね。まこうした職種紹介はもう僕の専門外になりますので、ごくごく参考まで。

いずれにせよまず思考の型前進形にしてみること。そして「今を原点」にすること。そこからどんな思考展開できるかになると思います。検討してみて頂ければ^^。



罪悪感との向き合い方 / tok 引用
No.1297 2019/01/05(Sat) 17:10:31

夫に対する罪悪感に悩んでいます。私たち夫婦は41歳で子供がいませんが、
それは私がずっと拒絶し続けてきたせいであり、その頃は精神的にかなり荒れており夫のことを傷つけてきました。
夫としては20代で産み育てる人生を歩みたかったのにもう生きる事に意味がない、残りの人生は抜け殻だといって昼夜逆転したり酒を飲んだり、半ば自棄的な生活を送っています。
今更になって後悔と罪悪感、この先に希望がない気がして押し潰されそうになっています。
償うことがもう出来ないのだと思うと、死んでしまいたい気持ちになります。
でもこれは自分が楽になりたい、自分が救われたいだけだという気もしています。
もともと人生に意味も何も感じず虚しさばかりが募ります。
自分のせいで夫の人生が狂ったと言われると死にたくなります。
どう向き合えばよいでしょうか。何もかも失ってCENSOREDする未来しか見えなくなっています。


 
Re: 罪悪感との向き合い方 / tok 引用
No.1298 2019/01/05(Sat) 17:12:43

冒頭の”その頃は”は20代のことです、分かりづらくてすみません。


 
「罪悪感」から「これからの生き方」への転換^^ / しまの 引用
No.1302 2019/01/13(Sun) 10:17:29

「罪悪感」への向き合い方というのは、これまた一冊の本書けるような沢山の話になりますが、まず一言指針書いてみるとこうなります。
問題を切り分け、具体的前進の検討や自分の根底の望みへの向き合いへと転換すべし。
と。

まず「切り分け」については、説明全体としてはちょっと言葉足らずですが『辞典』こう書いた通りです。
実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 悪感情の種類ごとの克服対処の指針/罪悪感
==========
「罪悪感」感じるものには、人の期待に応えられない自分の自己理想を損なう、そして他に害を与えたという、主に3つがあると言えるでしょう。
しかし「成長」への歩み立つならば、前二者「罪悪感」感じるのは不適切であり、それらは、自らの目標と「愛される望み」への向き合い、そしてありのままの自分を受け入れての前進という、心のテーマへと変化します。また他に実際に害を与えた時「罪悪感」合理的とは言えますが、それもやはり、償いと補いのための最善の行動への意志へと置き換わります。
そのように、「罪悪感」は、「成長」への歩み別れを告げるべき感情だと言えます。
==========


つまり、実際に他に害を与えた、そしてそれに対する贖罪などが済んでいないのであれば、罪悪感に耽っているのではなくどう贖罪つまり謝罪や賠償を行うかの具体的行動の検討しなさい、と。
一方、他の期待や自分の理想を損なったというとなると、本来それは「罪」というのとはちょっと話が違うのでは、と。この場合そもそも自分はどう生きたいか真剣に向き合うのが重要「自分としてはこれからこうしたい!」というのが明瞭になれば、そこからまた、過去に自他の期待に添えなかったことへの思いも、どこか落ち着き所を見出すのでは、という

ですので、書いて頂いた状況について考えると、まずは旦那さんの期待に添えなかったというものではある一方、実際に害を与えたことへの贖罪ができていない、というものではない、と言えると思います。社会的損害のような話ではなく、あくまで夫婦間の価値観や理想像の行き違い問題
ですのでそれについては、自分がこれからどう生きたいかに向き合うのが重要、ということですね。

こんな状況としてイメージするのがいいと思います。旦那と連れ立って車で旅行をしている。どちらも運転が未熟であり、時々交代しながら旅の途中まで来て、あらぬ所に来ていることに気づく
そこで、どっちが悪いという話をしても、あまり始まらないということですね。必要があれば運転技術の習得し直し加えたりしながら、改めてこれからどこに行きたいか、どう行けるか検討まず先です。そして、新たに出発するしかない。そうして多少とも望む方向に進むようになったら、互いに、あの時は自分の運転のこれが悪かったな、と思い返すこともできるかも知れない。

ということで、罪にどう向き合うかというよりも、これからどう生きるか全体になるわけですね。
そうして目線をまずは「過去の罪に向き合う」ではなく、「これからの生き方」切りかえられるか、に向き合ってみて頂くと良いかと思います。

そのためまずとにかく視野を広く持つことが重要だと思います。
20代で子供を育てることができなかったから人生終わりなんて、あまりに限定しすぎ^^;
これから産む可能性もあるかも知れないし、里親という選択肢もある。
またそもそも旦那さんの期待に応えだけが結婚というものでもない。
そうした問いを、自分で出していくことからですね。すぐに気持ちを切り替えられることを求めるのではなく、まず思考のレベル「こうしたものはあり得るか?」という選択肢立ていかにできるかからになると思います。

それが全ての始まりであり、そこでまた沢山歩み出しの苦労や躓きもあり検討事項出てくるかと思いますが、まずここでは始まり入り口ところ話だけにしておきましょう。まずはそうした目線の転換向き合ってみて頂ければ^^。


 
Re: 罪悪感との向き合い方 / tok 引用
No.1305 2019/01/23(Wed) 12:08:28

島野さん

ご返信ありがとうございます。
まさに「今後どう生きたいか」に集約する話ではあるのですが、そこが自分でもよくわからないのが問題だと思います。

夫として現在の状況は、
・100%私のせいである(当時私が、話し合う余地のない程激しい拒絶をしたため)
・里親は考えていない(自分の子供でなければ嫌、代理でも嫌)
・人生を犠牲にしてきたので、私が生まないならこのまま死ぬまで自暴自棄し続ける、私の言うことは絶対に聞くつもりはない

だそうです。
私自身がどうしたいかですが、この年齢になってもやはり生みたくはないのです。
今更言うのは、夫を傷つけてきた罪悪感と、老化を感じだした寂しさや焦りなどのせいだと思います。
夫には、精神的に荒れていた自分を支え続け、愛情を注いでくれたことに対する感謝の念があります。だからこそ、罪悪感もあります。

でもどう生きたいかを考える時、いつも虚無感と無力感に襲われます。
仕事でも職場では相手にされていない感じもあり、友人もなく、現実に失望することばかりで何をやっても無駄な気がして、趣味を持つ以前に物事に興味を持つことが出来ずにいます。
何かを見てもやっても、映画のあらすじだけ聞いてるような冷めた傍観的感覚です。
以前は優越感を持てそうなことが原動力になっていましたが、年々優越感を持てることも減ってきて今はほぼ皆無。

傷つかないために、どうせ何をやっても無駄、評価されなくてもいいのだ思い込もうとしています。それでいて地道な努力を嫌うくせに結果を欲しがる性格だと思います。

発達障害の傾向があり、理解力の低さ、社会的能力のなさ、会話の下手さその他全体的に能力が低いため、いつも人に馬鹿にされている気がしてなりません。逆に自分も他人を馬鹿にしていると思います。
他人は基本的に私を見下す敵だという考えがいつもあります。
自分に似た人を見下し、ないものを持つ人を過剰に大きく見て恐怖する。

じゃあどんなのが理想なのかというと、
何らかの能力に恵まれ、生き方に自信を持ち、人生を幅広く楽しみ、若く美しい女性を理想としているらしい。
趣味もなく夫と子供だけに全人生を捧げるような生き方は嫌だが、ただ一人であるのも嫌なのです。


こうして書いて見えてくる自己像は幼稚・未熟であり、恥ずかしい自分自身から逃げ、覆い隠したい目的で何か身に着けようとしますが、その事そのものには無関心なので面倒くさくなり続かないという。
そして、こんなダメ人生の責任をどうしてもとりたくないと考えています。

自分のしょぼい能力への不安と、夫との罪悪感に縛られて不幸になる未来が確定している気がして、ますます人生から逃げたくなっています。
今までの人生、自分を直視しないためだけに生きていたのかもしれません。


 
まず心の目を肥やすことから^^ / しまの 引用
No.1307 2019/02/08(Fri) 16:26:50

やはりまず自分がこれからどのように生きていきたいかという方向性持つことからになると思います。そこから、旦那さんへの対応見えてくるかと。
そしてそれが分かるのは、もちろん自分自身を置いて他にないということになるかと^^。
その点ちょっと物足りないかも知れませんが、ハイブリッド心理学「自らによる成長」のための自己取り組み心理学になりますので、あまり突っ込んで「こんな生き方はどう?」といったご提案をするものではなく、そうした自分自身への向き合い大切ですとアドバイスできるまでとなりますです。
子供をまだどうもうけられるか云々といったもあくまで自分への問いごく一例になりますので、ぜひ他の視点からも「これからこんな生き方はどうか?」という問い自分自身に向けてみて頂ければと思います^^。

「こう生きたい」という方向性が見えない場合ハイブリッド心理学からは、たとえで言えば、一度立ち止まって・・というかすでに立ち止まっているわけですが、運転技術や足回りの確認向上取り組みます。
つまり「価値観」「思考法行動法」さらには「心の自立」といった心の基盤について学び、それについての自分自身心のあり方確認検討し、今までと違う姿勢への可能性自らに問う、といった取り組みです。
そのためには、まずは多少読書からになると思います。

>以前は優越感を持てそうなことが原動力になっていましたが、年々優越感を持てることも減ってきて今はほぼ皆無。
>発達障害の傾向があり、理解力の低さ、社会的能力のなさ、会話の下手さその他全体的に能力が低いため、いつも人に馬鹿にされている気がしてなりません。逆に自分も他人を馬鹿にしていると思います。他人は基本的に私を見下す敵だという考えがいつもあります。自分に似た人を見下し、ないものを持つ人を過剰に大きく見て恐怖する。
といった記述から見るに、「自尊心」について学ぶのが良いかも知れませんね。これは『理論編上巻』詳しく取り上げています。
そうして多少読書進め、ある程度頭に入ってから、「これはどう考えられるか」具体的糸口材料見つけてみる、という進め方良いと思います。

と言いますのも、書いて頂いたことは主に「自己像」「自分自身への感想」についてですが、これは「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解する」というハイブリッド心理学「感情と行動の分離」基本姿勢において、感情側のものに位置づけられます。
つまり自分自身をそう感じていることについては、「ただ流す」それだけです。
もちろんそれだけだと何の変化要素もなく「外面行動は建設的なもののみ行う」というもう一方の軸重要になります。まずはその材料探しから。そのため心の目を肥やすことからですね。

そうして、ま読書進める前すぐでもいいのですが、「これはどう考えられるか」具体的糸口材料をどれか絞ってご質問頂ければ、また詳しいアドバイス可能かと思いますので^^。




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