ゲシュタルトの祈り存じています。
素敵ですよね。
わたしももう縁が薄くなりましたがこの言葉をぜひという身内とのやり取りに苦しみました。
我が家よりもよほど経済的にも社会的地位にも恵まれているご家族でしたが必ずこちらによってくるのです。 どうやらその人は普段は自分のご家庭が一番と満足されている様子ですが、職場や(職場はその方よりももっと裕福な方や有名なお名前をお持ちの方々のようで本人が語っていました。)世間で自分が下の立場に立たされたり少し惨めな気持ちになるとそのタイミングで我が家に来て私と話すことに気づきました。
私はどちらかというと肩書き、お名前はどうでもいい主義で、そこではなくて人としての礼儀や品性や自分との相性、やりとりのなかで関係性も好みも決めるほうなので、世間で息苦しくなると違う価値観のわたしのところにきて楽に息が吸える環境を望み、その反面また向上心というものが出てくると私が頑張らないように見えて不満が出てきて外の世界に社交?に出かけるようだな・・と思ってみてました。
まあそれだけでしたら、たまにそういう気分だったのね、充分頑張ってるのだからたまにのんびりしてね・・くらいでいい交友関係を続けられたんですが・・・、途中から謎のマウントがはじまりやんわりそれの失礼さを伝えましたがより激昂してマウントを仕掛けてきたので関係を1度離しました。おそらく距離が近くなりすぎてお互い様ですが甘えが出てしまったように思います。
まさにゲシュタルトにある、私は私の人生であり、私はこれでいいので、あなたはあなたでご自分がこれでいいと思われる人生をお好きなように選択なさったらいいのでした。 それに対してこうしたらもありませんし、それを選んだのね・・もありません。ああそうしたんだね。あなたにとってベストと信じます。位にしか思いません。
こう思われるのではないか、きっとこう思ってるのだろう、、と思われるみたいでしたが私は私の人生を生きること、構築していくことに精一杯で余力もなく忙しく、人様の人生に、それもそこまでの流れも背景も全て知っているわけでもないのに一部だけを全てに拡大して助言したり正しい選択をレクチャーできるほど偉くもなければ余裕もなくそんな権利も力も有していないのです。
その方とは今は疎遠ですが、少し変わられたそうです。
お互いの変化の中で、その途中、また道が交差することもあるのかもしれないですがまたそのときにはお互いに今の自分でこれでいいと思えてそれを肯定し合える関係性であえるといいなと思っています。そしてもうあうことも関係性を築くこともなかったとしてもきっとそことは別の道で幸せであり今はお互いにこの全てがベストだと信頼できる自分でありたいです。 No.11490 - 2022/05/31(Tue) 07:57:18
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