軽度ですがアスペルガー気質を持つと自覚しています。 これまでも周囲の違和感や家族との差異を感じてきました。 しかしこれまではまあ人それぞれかなとも思いながら違和感にふたをして合わせたりほどほどの距離を保って関わってきました。
ここ最近急激に違和感と気持ち悪さを感じることがあり定型の人すべてではないのでしょうが、周囲の定型がそんな感じなのとそれに疑問を抱かない様子であることに強く心地悪さを感じています。
先日我が家では不幸がありました。 闘病の長かった身内が逝きました。 私が奇妙な気持ち悪さを感じるのはその後です。 亡くなった身内はおそらくアスペルガーとADHDを軽度から軽中度くらい持っていたように感じます。 生きている間、いつまで面倒をかけるのかというような内容で話をしていたり身内の中でも故人の性質に合わせられる私や他の傾向のある身内(私の妹であったり似た特性のおじだったり)に世話を任せたり説得させたり色々でした。それは相性もあるのでかまわなかったのですが、亡くなったとたんに直後から自分がいかに故人を愛していて大切に思っていたのか饒舌に語るようになりました。 故人との思い出を世話になった人に語っては涙ぐみ、いかに闘病生活中家族が親身になったのか本人が幸せだったのかという内容です。 人の心のうちまでは入れないので好きにしたらいいとは思いながらも、生きてる間は邪魔者扱いで亡くなったとたんに手のひらを返したようにそのような状態になっていることへの違和感と薄ら寒さ、演劇芝居でも眺めているような乖離感がすごいです。 一人くらいならばその人は演技性の人格障害だったのだろうかと思えたのですが、おそらく定型に分類されそうなタイプの身内が一斉にそういう感じなのと、私がその違和感をさりげなく話してもどの人もピンときていない様子から気持ち悪く感じるようになってしまいました。 正直、ただ、亡くなってもう自分に関係がなくなったからそんなことになってるのでしょう?と思っています。 罪悪感からの反動なのかもしれないですが、それも別に必要ないのでただ静かに喪に服し淡々といてほしいのです。 生きてる間はお金や世話や発達傾向に迷惑をかけられたくないから離しておいて、亡くなったら急速に近寄ってくるとかいらないのです・・。 ただ普通に最期のお弔いをして、日常でいいです。
葬儀以来続く、思い出語りと泣いたり諸々に意味が分からなくなっています。 自分たちのこれまでの対応に切ない気持ちがあっての涙なのか、それとも清々してすっきりしたからこその安心感の涙だったのか、いなくなって初めて大切だったことに気づいた温かさと後悔の涙なのか・・雰囲気にのまれての涙なのか・・・、たぶんですが、私が疑問なのは、泣いているけれどここまではあまり関わらなかったことや今も思い出は語るけれど本人がどういう気持ちで闘病していてそれを同じ傾向のある家族に語っていたのか、そこには理解のないことへの温度差とか乖離なのかもしれないですね。 書くことで色々整理できて見えてきたことと、それは個人の問題だから他人の私には立ち入ってはいけないデリケートなことであること、私や外側からどう見えたとしても本当の心中は結局当人だけの者で私が判断したり決め付けたり邪推しては失礼なものであったことを思い出せました。 ありがとうございました。 No.11472 - 2022/04/29(Fri) 08:06:52
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