昔は男と女の間に大きな川が横たわっている、とか言われましたけれど、最近になってアスペルガーと定型発達も同じだなあと感じます。
お互いに自分は極端に反対な側にいるようで本当は関わっているときの無理のない接地面はほんのわずか・・・(イメージとしては自分を覆う大きな丸(世界観)と相手の大きな丸(世界観)が人との関わりのときに交じり合ったり一瞬すれ違ったり重なるようなイメージです。) 本当はお互い一人の丸、自分だけの世界に生きているのだなあとしみじみ感じるようになりました。 ただ、重なったときだけ相手が認識できるし相手がいることに驚いたり嬉しくなったりして・・ついつい調子に乗って相手を自分の丸の中へ引き入れようとすると、相手からしたら自分の丸から離れるので苦しいし無理が出てくる・・自分は自分で自分だけの丸に相手が入ってくると圧迫感や違和感が出てくる・・・そうすると近づいておいて息苦しいから離れたくなってくる・・・そんなことを誰もがやってるんだなあと思うようになりました。
自分が一番なのもみんな同じだったので、自分と同じ意見には親近感も沸くし反対意見には自分を否定されたみたいで腹立たしい、たまにだったら物珍しくて他の意見も面白い、いつも自分と同じようだと親近感のマンネリ化でうっとおしい、飽きてきた・・となんだかようはみんなそういうことをしているような・・・
自分が一番と自分も相手も思ってるのだから話をしているときもほどほどお互い様くらいが妥協点というのも納得だし、両岸から歩いてきた2人が無理なく交流できるのは間にある川の上の橋位で、まあ少し譲歩すれば橋の上だけじゃなくてお互いの岸にもあがって同じ時間も共有できる・・・その辺で満足できればうまくいくんだろうなあ・・でももっともっとと相手を自分のほうへ引き寄せようとしすぎると相手からすればどんどん自分のテリトリーから引き離されて息ができなくなってくるわけだからそりゃあ揉め事も多くなるよね・・・って。
愛って何なんだろう・・自分と全て同じにしてくれること?何かプレゼントをくれること?・・自分に都合がいいこと?・・それともそれぞれを尊重してほどほどでまあいいかと満足すること?・・一人でいいこと?・・一緒にいること・・?・・それとも形は違ってもどれも愛に違いはなかったのか?・・・・
最近そんなことばかり考えています。 No.11290 - 2022/01/17(Mon) 07:37:06
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