アスペルガーと関係あるのか分かりませんが、最近のお話で介護や身内の話が出ているのでこういうパターンもあります、という余計なお世話です。
私事ですが、私は私がアスペルガー傾向です。家族や身内には程度の差のある定型寄りとアスペルガー寄りの感覚と考え方対応法の人間が混ざっていると思います。
私の家も数年前から介護問題と家族関係の距離感の変化がありましたが、うまく噛み合わず結果喧嘩と誤解によるすれ違いによってとても傷つけあっていますが、伝わらなかったそれぞれの真相は私の知る限りこんな感じでした。
介護となった際に、アスペルガー側の人間は白黒つけて決めた人間が一人で責任持って介護する、介入干渉は必要以上要らない、という対応を好ましいと思い、逆に定型よりの感覚の人間はみんなで一緒に介護しよう?したい?、責任者はとりあえず決めても子供たちや孫など自由にそれぞれ介入干渉したい(さみしい、愛情、義理みんなで仲良く、共有)という対応を考えたようです。
どちらも間違いではなく気持ちも共感しますが、両方を同時に折り合いをつけることはできず、コロナ禍であることもありアスペルガー側のシナリオが強まり、定型側は寂しい、自分の親なのに、自分の家族なのに、何でそんな勝手なのか、と感情的になっていました。我が家の場合は正直、だからと言って責任もって介護する立場になりたいとまでは主張がなかったので(あっても正直私は私が好きな家族の介護者をしたかったのと嫉妬もあり困ったと思いますが。)我が家がその役を担いましたが、定型感覚の身内は『気持ち』の面でしこりが残ったようです。
また、親子間や個人間の思惑の違いや価値観の違いでもすれ違っていました。
介護される側の祖父母は外に出た子供たちにはそちらの家庭に迷惑をかけないように介護は任せずに同居している私たち家族に責任を持って介護をお願いしよう(私たちは反対にこれまでの間でだいいぶ祖父母の世話になっていたので私達自身もそれが妥当であると納得していました)、外に出たと言っている子供たちに最後の面倒はかけたくないから、(申し訳ないが同居の私たちに)お願いします、という子供たちへの愛情でした。 それを見聞きしていたので私達家族は自分たちのためでもあるがちゃんとどの子供たちにも公平であり外に出た子供たちの負担にならぬよう幸せを願う親心だと思いました。とても子供を愛している愛情深い祖父母と感じました。(多少嫉妬しました。)
しかし、私のやりかたがまずかったかわかりませんが、ふつうに説明しても水臭いとか家族なんだからと引いてはもらえず結局は線引きが曖昧になってしまいそうだったので、ひどいことというかもう必要ないのだという強い口調で一切切り捨てる形をとりました。そうでもしなければ誰が責任を取り誰がお金を出し誰がどれだけ介護するのか全てが曖昧になっていくからです。定型の感覚ではそれがいいのかもしれませんが、私を含むアスペ傾向の身内からしたら白黒つかずに最終的な責任者が曖昧になるほど介護終了後に気持ちよく終了するとはとても思えなかったのです。(みんなでやったといってもこちらのほうがやっているとか私のほうがお金を出した、こちらの方がオムツを取り替えたなど最初はよくともだんだん疲れてきたときに責任の擦り付け合いや誰が一番頑張っているとなることを避けたかったです。それならばきっぱりとここが責任持ってやる、他は介入しない変わりに寂しさはあるが実質上の金銭や時間や労働の負担はなし、とはっきりとさせたかったのです。勿論私達も一緒にいられる嬉しさというメリットと実質上の介護負担諸費費用それにかかる精神的肉体的疲労負担などのデメリットがあります。)
私はこういうことをひとつひとつ明らかにしなくともそれぞれが各々考え、自分たちは実の親から切られたの(捨てられた?傷つけられた?)ではなく、愛されているが故に守られ負担をかけないようにと最期まで愛され大切にされている、と気づくことができると思っていました。 それに気づき、私たちがそれを知った上で嫌な悪役までやって距離をとったことにもいずれたどりつき、自分たちはいつでも大切にされていたと親にも家族にも親族にも感謝できるとお互い幸せだと思いました。 今のところ残念なことに寂しさや悲しみでそこまでたどり着いていないようです。確かに寂しく悲しいですが、お前に頼むと言われ子供たちは外に出ているのだからもう苦労はさせたくないと言われて傍にいる私たちもまた少々寂しさや悲しみもあります。それぞれの立場で嬉しいことも悲しいことも嫉妬も羨望もあり自分の良い面も悪い面も受け入れた上でただその場所でやることをこなしている、いつかそれを踏まえてこの親族でよかった、と思いあえたらいいと独りよがりですが思っています。
(本当に独りよがりですが、これをふつうに伝えたら仲良くできるかといえばそう簡単でもないと思うのです。信じる信じてないではなく人は全部とることはできないので自分の家族と実家の家族全部仲良くできたら最高ですが、義理の両親や義理の家族、子育て・・・色々超人のようにはできないのですから、どこかで違う道に別れるのも本当に寂しいですが仕方ないと思うのです。一人ひとり考えや価値観も違いますから余計です。いつまでも実家と言っていては自分の家族は?義理の祖父母や両親は?子育ては?いずれ自然とそれぞれ独立する、そのタイミングが今だった、寂しいが感謝とともに前を向きたいです。) 意味不明で申し訳ありません。 ただ、目に見える部分ではたしかにそういうように見えるもしくは解釈になるが、その深層や見えない部分ではそれぞれを大切にする気持ちやそれぞれの形の愛情があるということが言いたかったのです。空気を読めずすみません。これで失礼します。私は傷つけてしまって大変申し訳ないと思いつつ私に結果的に介護を任せ身を引いてくれた自分の身内に心より感謝しています。寂しい気持ちをさせてしまったことへの消えることのない罪悪感のようなものもありつつ、それでも私は自分が介護することができてよかったしそうさせてくれた親族に感謝しかないです。数あるうちのひとつのパターン、こういう人もおります。傷つかれ方や今大変な思いの方が楽ができますように、よい年末をお過ごしください。 No.11261 - 2021/12/29(Wed) 21:09:19
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