私はアスペルガーよりです。 毎回似たようなことで定型発達の家族ともめます。 お互い様、や、そこへ至るまでの『気持ち』や『その人への愛情』を伝えたいしわかって欲しいと必死で話をすればするほどどんどん噛み合わずになぜかこちらとしては怒るところではないところで反対にとったり最後まで聞かずに決め付けられて会話を終了させられます。
例が思いつかないですが・・、 定型と思われるその人の話はこちらが何時間も傾聴し共感的に、もしくはまあわかるけれどこうかもよ・・くらいで気持ちの切り替えなど、それでも8割は共感のみで残りにはそんなことで自分を落とすことはないという感じであくまでも私が大切なのはその家族なのです。 私には個人的にトラウマになっている過去の出来事があり、それ以外ではふつうなのですが、そこに関してだけはどうしても切り替えが出来ずに感情的に一時的になります。 そして、そこに、家族は『いい加減にしつこい!』といいつつ、なぜかその話題に近いことやその話題に繋がる人についての話を出してくるのです。
そして私が最初はうっすら聞いていられてもトラウマをフラッシュバックして防衛反応からでしょう・・ヒートアップすると『またか・・』となるのです。
私からしたら、『しつこい』のはその定型家族もなのです。 どうして毎回毎回この話だけは私はいやだしもういいよと言ってるのに『ただの話』といいつつ毎回毎回してくるのか。 そして、案の定私が最初は聞けてもだんだん無理になってパニックになったりすると私が悪くなるのか。
定型家族に、何回も『あなたは私をしつこいと言うけれど、それはあなたも同じように思う。どうして私はその人達の話は今無理だとずっと言ってるのにただの話しとしてそのことばかり話をするのか』と尋ねるのですが、 『自分はいつも単なる世間話で、そんなどうでもいい話で毎回のようにパニックになったり怒ったり嘆いたりすることがわからない。あなたがおかしい。からっとしていないししつこい。』とのこと。
相手いわく、『ああただの世間話をしてるんだな。』と楽しそうにただ話を聞いてもらいたい。それだけでいい。 なのにあなたはせっかく穏やかなときは出来ていても結局最後の最後無理になる。・・・そうです。
それもわかります・・。情けないです。一理あります。
ですが私としてはこう思ってしまうのです。 『せっかく穏やかなときは出来ている、というときはそのことについてとか人についてではないと思う。その人のことだってあのこと以前はずっと話として傾聴してきた。でも本当にいやだったし、私は本当にいやなんだ。あなたにとったらただの話でも私は何度も傷を抉られるきがしている。こんなに頼んでいるのだから、ただの話でもそこだけ他の人とするとか頻度を減らす努力をするとかあまりそこには触れないとかはできないのだろうか』
相手:『別に悪いことじゃないのだから気にしすぎている。単なる話だからいちいちそんなことまでする必要性を感じない』 私:『一般論で悪いことではないけれど少なくとも私は今はまだ傷が癒えてなくてそのことはいやなんだと言っているのだからやめてほしい』 相手:『そんなこと言っていたら何も話なんか出来ないね。なんでいちいちあなたの顔色伺って喋らないといけないの?』 私:『・・・。(心の声:どうしてこの人はいつもいつも一般論じゃなくて正論じゃなくて目の前の大切なはずの一緒に暮らしている家族の私が嫌だとこんなに言っても絶対に自分の意見ばかりなのか・・、また私が我慢していいよいいよいうのか・・。(これまでは私の我慢や無言やいてもいなくてもわからないような影の薄さでうまくいってきました。相手はいいよーいいよーと寛容に好きにさせて欲しいタイプです))』
定期的に同じことで喧嘩になります。 今日も早速先程喧嘩しました。
着地点がわかりません。 いつも話し合いは出来ません。話し合おうとして私が議論しようとすると感情で遮られてその話は終わり!しつこい!となります。 No.11579 - 2023/09/02(Sat) 12:16:06
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