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「心の死と再生」の理解と向き合い^^ / しまの 引用
No.926 2014/06/28(Sat) 14:14:10

お待たせしまして^^ゞ

>CENSOREDを決意するほどに悩みぬいた人が、悟りを開くように人生の意味を知る、といった体験談をたくさん目にしました。ハイブリッド心理学でも「心の死と再生」として説いていますね。ただ、運なのだろうと思います。いろいろ思い通りにならないながらも健康な心で生きていく人もいれば、病んだ心からスタートしてやがて幸せに向かう人もいるでしょう。でも、やっぱり生きることが苦しすぎて死を選んだ人もいます。

「心の死と再生」について、この場を借りて僕自身の考察整理も記した上で、実践面でのアドバイスなど^^。


「心の死と再生」の理解

まず「心の死と再生」についてのハイブリッド心理学の考えは、一言では、
「心の死」「心の再生」への通り道になり得る。
・一方で、
「再生」がいかになされるかは、「心の死」どう起きるかではなく、本人の心がいかに「成長」に向かおうとしていたかの、「背景」に依存する。
というものになります。

「心の死と再生」というのは、もともと極めて難解心の仕組みと言えると思います。そうちょっやそっとの説明で語れるような代物ではないと。
そこでこの場を借りて僕自身の理解整理しておきますと、
注・そんな理論面には関心ないということであれば、ここは飛ばし「実践面のアドバイス」行って頂いて構いません^^。

まずそれは2種類の、かなり毛色の異なる心のメカニズム関係して起きるものです。(下記参考資料1)

a)「成熟」の一般メカニズム
「心」がその大元の「命」からはがれた薄っぺらいものであることにおいて、「心」自らに絶望する「心の死」が起き、「命」新たな「心」再生させるというメカニズム

b)「自己操縦心性の崩壊」のメカニズム
「現実の見下し」によって「空想」の中で自分を支えるという、思春期発動する病んだ心の仕組み「自己操縦心性」が、自らを攻撃し自己崩壊を起こすというメカニズム。これにより「自己操縦心性」に伴う「現実覚醒レベルの低下」といった症状治癒する。


「心の死と再生」が起きる条件

どちらも、意識表面上の表現「絶望感」であり、しばしばCENSORED念慮」などを伴います。
ただし、我々人間に生じる「絶望」CENSORED念慮」全部こうした「心の死と再生」になるものとして起きるのではなく、
・単にものごとがうまく行かず自暴自棄
・外面状況への絶望とだけの意識

というのは、この「心の死と再生」のメカニズムには乗っからない
また、「心の死」が起きても「再生」質量共に貧弱な程度にしか起きないケースもあります。これについては下記参考資料1で以下のように書いている次第。
-------
「崩壊」治癒メール相談途上においても起きることがあり、何もせずただやり過ごすようアドバイスして乗り越えてもらった後には、例外なく、以前より動揺度減少した、「足元がしっかりして」きたような心の状態への、後戻りのない向上治癒が見られます。
一方、「崩壊」治癒による感情変化質的内容が、自他への肯定的感情さらには「生きる喜び」感情といったプラス方向への開放的変化へと結実するかどうかは、かなり個人差があるのが見られました。
それは結局その人以前からの姿勢が、いかに「破壊」ではなく「建設」という行動のあり方、そして自分から愛することができるといった「成長」心底から望んでいるかによる、というのが結論として言えるようです。つまり心底から「破壊」ではなく「建設」を、そして「成長」望んでいながら、病んだ心による歪み内面の壁となって前進阻まれていた時、今までの病んだ心「崩壊」が起き、そこからその人は、プラス方向へと開放されていく感情足場に、より本格的「成長」「成熟」へと歩むようになるのです。
一方そうではなく、以前からの姿勢がなかなか「成長」へと向いていない場合は、「崩壊」による治癒動揺度減少のみとどまるようでした。
-------


また下記参考資料5でも、以下の文章から下で、その「個人差」について結構詳しい考察を書いています。(今は僕もちょっと読み返し省略^^;)
-------
一方、この「心性崩壊」が、先に触れた「建設的絶望体験」の人々と同じような、生きる姿の根本変化を生み出すかどうかには、多少人により違いがあることが、最近分ってきました。
-------


そこで結局「心の死」を経て「心の再生」に向かうとは、一言「背景」と言ったものとして何があった場合かと言うと、次のようなものが考えられます。
まず以下必須のもの。この全てが揃うこと条件であり、どれか一つでも欠けると、「心の死と再生」起きない

1)現実を受け入れて前に進もうとする姿勢
2)「望み」に向かう姿勢
3)失意と絶望の体験
4)自分の今までの心のあり方の誤りの自覚

ここで重要なのは、まず「心の死」というのは3)この体験基本カテゴリーとして、その中4)起きるのが「心の死」だということです。上述単にものごとがうまく行かない自暴自棄など「心の死と再生」ならない大きな理由がここにあります。

その4つがまず必須条件であり、ハイブリッド心理学でなくとも「心の死と再生」を見る人生哲学などは、必ずこの4つ踏まえて生まれていると思います。
一方、ハイブリッド心理学ならではの、「実践的」な要因3つあり、これは「再生」への促しをするものと言えると思います。ま家庭用衣料染料で言えば(洋服好きの僕の趣味からの喩え^^ゞ)上記4つ染料剤本体次の3つ促進剤という按配です。

5)「心の死と再生」への理解 (ここで書いていること下記参考資料など全て
6)「ただ流す」姿勢
 (「ただ実存を守れ」下記参考資料4など)
7)「新しい感覚の現われ」への意識姿勢
 (下記参考資料2


参考資料

1.『概説 - 4.心の成長変化 (4)「心の死と再生」という特別形』
2.『概説 - 5.歩みの道のり (2)真の前進へ』 ・「パラドックス前進」
3.ブログ2010-04-12『「絶望」の名手になれ』
4.『実践編上巻』 3章 自己の受容・未知への選択 「ただ実存を守れ」
5.『理論編下巻』 4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−


実践面のアドバイス

以上がまずは

>ハイブリッド心理学でも「心の死と再生」として説いていますね。ただ、運なのだろうと思います。
に対して、「心の死と再生」についてじっくり理解するならそんな話になりますという^^。まあそれ言うかはどうかは、には考えがないです。そこには運の面もあるだろうし、そうではない、自ら生み出す面もある、と。

ですのでに、

>今は怒りも悲しみも特にありません。ただCENSOREDという選択肢があることに少し安心しています。こんなとき島野さんなら何と言うのだろう、
に対しては、僕から運ではない、ハイブリッド心理学「取り組み実践」として自ら生み出していく面としてはどうなるかポイントお伝えするものになります。運の面については僕には手が出せない^^;

で、一言でいうとこうなるかと。
「心の死と再生」を最後の心の砦(とりで)として、一貫した「取り組み実践」に向かう。


まずは「実存を守る」

まず実際のところ湧いてくるCENSORED念慮については、当然「ただ流す」「感情と行動の分離」内面側実践です。
CENSORED衝動強い場合には、僕から心持ちの姿勢としては
・「実存を守れ」

という言葉使っています。

これいついては上記参考資料4など。
また比較的最近読者広場ご相談関連した話をしていますので、一読されると良いかと。
『根源的自己否定感情、その他質問』 にーなさん No.609 2013/09/06
第2レス
『「最も大切な愛」という頂きへの裾野からの歩み^^』 しまの No.630 2013/09/27
の中の
「実存を守れ」
ですが、う〜んちょっとトピック全体が長いので抜粋しますと、
---------
その時本人には、自分の心に何が起きているか良く分からない、つまり実際は今まさに心の健康化が起きる瞬間ではあっても「意識」はただ「今駄目になった」としか感じない形で起きますので、そのように自分の心に起きていることと、自分の体という「実存」をもう別のものとして見て、体の方は守ることをしなさいという話をしているということです。

さらに言えば、「実存を守れ」とは、死んでいい、CENSOREDばいい、ということでもあるんですね。「今の心」においては。すると新しい心が再生されます。「実存を守れ」とは、そうした心の仕組みにおいて、自分の「心」は死ぬとして、「体」と、「心」のさらに根底にあって心を再生させる何かという全体は守れ、ということでもあるわけです。実はこれこそ飛躍的に変化させる、最大の原動力だと僕は感じています。
---------

また以前のメール相談で、比較的似た状況つまり就職を迎える人生時期においてCENSORED念慮を持つ若い男性へのアドバイスとして使った言葉など言えば、
・今取れる心持ちとしては結局こうなるだろうというものを言うならば、「当面は屍になったつもりで生きる」
というものです。
まずそこから、それでも自分の体が動くもの、自分にできるものを、ゼロベースで探していくことからになる、と。
実はそれこそ「再生」向かうためのベストの姿勢であることを、僕自身何度もその姿勢を通った体験から感じる次第です。

内面取り組み

そこから、「感情と行動の分離」姿勢に立った、内面および外面への2面の取り組み進めるのですが、
まず内面取り組みにおいては、
CENSORED念慮」については、上に述べたように「実存を守る」「屍になったつもりで生きる」といった対処をしたならば、もはやそれは向き合いの対象になりません。それはあまりに末端症状でしかないからです。

むしろ、CENSORED念慮」至るまでの自分の感情の流れを、
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ
に出てくる具体的視点に照らし合わせ「自己分析」できることが重要になってきます。
特に
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
5.悪感情への対処

などの視点重要になるでしょう。
そうして視点で、自分は何をどう感じて、感情はどう流れた、というのを自己把握していく。


外面取り組み

一方外面取り組みとしては、当面の問題、それは上記内面取り組み明瞭化する感情の流れを生み出した、当面の外面問題ということになるでしょうが、それについて、それらの感情いったん置いといてハイブリッド心理学の上記「学び」テーマの中の
3.行動学
などからはどんな行動法の選択肢があるかを、まずは把握することが必須になります。

「就職」であれば、ハイブリッド心理学からは「やる気」「協調性」なんて精神論姿勢論ではなく、「価値の生み出し」「原理原則行動法」といった具体的ノウハウの習得武器に、それに向かうというものになります。
これについてはとりあえず、よく紹介しているものですが、以下など一読頂くと良いでしょう。そこに、内面向き合い見える感情の流れはまることなく、自分の行くべき道の方向感じ取れるか。

『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピックの中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586 2013/07/23

『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10への第2レス
『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21
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「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・
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「未知」は生涯をかけて模索していく

「取り組み実践」としては、ざっとそんなところになりますね。
それによって、まず当面CENSORED念慮」については、きれいさっぱり解消するような歩みは、ハイブリッド心理学では想定していません。
その根底に何があるのか、その真の克服はどこにあるのか。それを、生涯をかけて模索する歩みになる、と想定します。そうした道のりを、今掲載中『概説』でも書いています。

「未知」が訪れるのも、まずはずっと先のことだと考えるので正解でしょう。そもそも「未知」は、期待して向かうものではないし、ましては期待して裏切られないものとして得るものではありません。それではバリバリの「既知としての解決」を求めるというになってしまいますね。
一方CENSORED念慮」解消は想定していないとは言っても、実際それが向き合いテーマにはならず、上述のようなもの取り組み対象であることへの理解納得ができてきた段階で、実際のところもうもうそれは問題になるものとして湧くことはなくなると思います。
そして全ての解決は、人生も後半になった頃になるかも知れません。それでも余りある幸福後半の人生得られるようになってくる。そうした「成長」歩み探求しているのが、ハイブリッド心理学になります。

まずはざっとそんなものとして、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」取り組むことに興味を持てるかなど、検討してみて頂ければ、ということになりますね^^。
その取り組みにおいては、若いほど、
『概説 - 5.歩みの道のり』
で説明するような「心の基盤」について、自分ではどうかと、一つ一つ理解と納得を問う向き合い大切になることを、申し加えておきましょう^^。

取り組み実践の一つ一つについて、分からない点等あればまた何でもご質問頂ければ^^。

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「今なすべきこと」の優先順位づけから^^ / しまの 引用
No.794 2014/02/17(Mon) 18:03:09

>「まだ浅い深い付き合い」とはどういうことでしょうか?

「まだ浅いつき合い」打ち間違いです^^; コピペ使ったせいもあり^^ゞ

「交友が深まる中で出てくる話題」というのは、書いて頂いたような話として言えますね。その場の目的限定した話題から、徐々にプライベートな話題へ。
ただに、「出せば必ず交友が深められる話題」というのは、言えないですね。いきなりプライベートな話題をしても引いてしまう人もいるかも知れないし、いきなり悩みの語り合いを望むのはやっぱあまり健全形ではない^^;

結局、交友が深まるのは、かなり総合的な要因の結果だと思います。人間的な近しさや、互いにとっての魅力、そして一緒にいる安心感信頼感など。
ですので、基本的に、ストレスに駆られて交友を持とうと思っても、交友はあまり成立しない。これをしっかり心に踏まえることが大切になると思います。


「今なすべきこと」の優先順位づけから

・・・等々、書いて頂いた質問一つ一つアドバイスしようとしても収拾つかない雰囲気を感じましたが、一番重要なのは、「自分の人生で今本当にすべきこと、できること」見極めができていないのが問題ではないかと。
それで言えば、「会話でどう間を持たせられるか」なんてのは、今それどころではない状況ではないかと^^; どう会話できるかよりも、まずとにかく学校に出席するといった「優先順位づけ」重要です。

そうして「自分の人生で今本当にすべきこと、できること」の最低ラインから見極めて、行動する。その積み重ねで次第に心は成長し、心が成長すれば気持ちに余裕も生まれ、友人との会話といったことも考えられるようになるかも知れない。

>3年間の休学になるともう仕事の選択肢が...それどころかバイトも雇ってもらえないのではないかと思うといかなくてはいけないのに、

についてであれば、バイトのためには前レスでの

まず「仕事場面のコミュニケーション」については、
『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10への第2レス
『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21
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「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・
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といった視点です。

結局、今はまず雑談など一切しなくてもできる行動というものを見極めるというになりますね^^。前の2つのレスもそうした優先順位づけのための知識です。

あるいは、「自分の人生で今本当にできること」とは、何かサポートを得ることかも知れない。大学の何かそうした相談機能とか。
それも含め、検討してみて頂ければ^^。

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「交友行動」が課題ではない人生の段階へ^^ / しまの 引用
No.783 2014/02/06(Thu) 11:52:22

2種類の交友行動法

これはまずは、ごく一般的な交友行動法として、「かなり深いつき合い」相手「まだ浅いつき合い」相手とでは、多少行動法が異なるということから考えると良いかと思います。

書いて頂いたように、
・「自分」についての情報のやり取りが増える
・ナイマスの内面を表現することも絆を深めることにつながり得る

のは、基本的には「かなり深いつき合い」相手ですね。家族親友恋人などごく少数相手

一方、社会に出て「まだ浅いつき合い」相手への一般的な行動法としては、
・自分のことばかり話すのではなく、相手と楽しめる話題があればそれについて話す
・マイナス内面は表現しない

というのが基本になると思います。そこから、いかに相手とのつき合いを深められるかは、自分が相手と心底からつき合いを深めたいと感じるか、相手がそう思っているかに、まずは拠りますね。どっちかがそう感じてないなら、ちょっと無理^^; まあこれは恋愛に限らず「片思い」というのが人生で体験するものですね。それを見分け、スマートな行動法にすぐもっていけるようになるのが、人生経験の積み重ねによってになってきます。
それもまずは、「まだ浅いつき合い」の相手への一般的な行動法ができることからだ、というになると思います。それができればまずは安全、というものとして。
はっきり共有することに楽しめるもの見出すことから。それがないなら無理に交友を強めようとする行動しない、と。

社会に出る、また「大学」という段階からは、「まだ浅いつき合いの相手」さらに「つき合いもしない相手」への、友好的な行動法というものが基本になると思います。
それに対して、小中高でまず最初に出会った友だちとの行動法でもって、大学以降の交友行動も考えると、とてもぎくしゃくしてしまうと思います。もちろん「大学」さらには「就職」においても、「最初に出会った仲間」とは、最初から「かなり深いつき合い」交友行動取れるケースもある。そんな相手ができるのは人生の賜物一つですね。
しかし、一度それを「逃してしまった」ら、深いつき合いはその形ではもう得られるものではなく、「まだ浅いつき合い」の行動法をしっかり取ることから始め、「かなり深いつき合い」にできかどうかをじっくり探るというモードに、切り替えなければならない、と言うことができると思います。


「まだ浅いつき合い」が行動法ベース

ということで、こたろうさん場合も、「かなり深いつき合い」の行動法だけで考えているのが一因ともなっている、ぎくしゃく度かなり重症(^^;)なものと言えると思います。
もちろん考え方だけではなく、来歴に由来する根深いマイナス感情の問題もあるでしょうが、その克服のためにも、まずは行動法を安定させることからになると思います。まず行動法を安定させ、それでできてくる余裕足場に、じっくり根深い問題にも取り組めるようになる。

重要なのは、「まだ浅いつき合い」の行動法ベースに考えるのみでなく、実際それをベースに行動できることです。それができて、その中で、どう深められるかを探り、そうできる材料をしっかり見つけたら、深めていく。
これは「行動学」からも、つまり行動法の効果理屈で考えても言えることです。実際
a)まず「まだ浅いつき合い」の行動法取ってから、「かなり深いつき合い」の行動法模索し向かうというのは、基本的対人関係の「豊かさ」に向かう方向性なのですが、これがに、
b)まず「かなり深いつき合い」の行動法行動法を取って、「まだ浅い深いつき合い」の行動法模索し向かうというのは、基本的には難しいことであり、そこでは関係が「破局破綻」そして「消滅」に向かうというものになります。

また、心理学からは、「まだ浅い深いつき合い」の行動法取れない状況で、「かなり深いつき合い」の行動法どう取れるか悩むというのは、まず言って相手がそれを求めている、自分はそれに応えなければという思考によってになるのですが、これは得てして「関係妄想」の原型と言えるものです。「現実」に出てそれが覆った場合、程度の深刻さバリエーションはあると思いますが精神的破綻が起きます。
まあそれがに、本人「依存」を脱し「自立」に向かう姿勢があったならば、「今までの意識の崩壊」による健康化つながる道になるのですが、そうではなく本人がたとえば攻撃性を伴う依存にとどまったままだと、ストーカー的行動へと道をそれてしまうことも出てきます。

そうした話を踏まえ、こたろうさんのケースで言えるアドバイスとしては、「かなり深いつき合い」の行動法多少とも検討し得るとしたら、相手からそれに相応しい働きかけが、今実際にある場合です。今現時点において、深く心配するような連絡があるのであれば、検討できる
しかし2年も会ってないということであれば、いったん全てリセットされたものとしてゼロから、という想定で、具体的行動法を検討するのがベスト、ということになると思います。


「目的ベースのコミュニケーション」と「雑談」

以上が考え方の、前回からの補足として、細かいご質問への返答など書いておきますと、

>えと、これはそもそも「物事」と「自分をわかってもらう」という会話内容についての区分があまりハッキリしていないのかもしれません。それに関して、具体例などありましたらお願いします。

僕自身の体験で言いますと、僕の場合心の健康化に大いに役立ったものとして、会社のスキー部への参加がありました。そこは基本的心が健康で明るい人々の輪でしたが、まずはスキーの話盛り上がるわけです。どの斜面どんな滑りとか。
まず「自分」のことから話す人はいない感じですね。
ごく短いこの話で、違いが多少分かるかどうか。

>>「仕事のスキル」を得るとは、そこに必ず、人とのコミューニケーション材料を、今までの学生時代の馴れ合いの輪の中の談笑とは全く違う形で、得ていくことでもあります。そこから逆に、仕事以外の場における人との交友への入り方というものも、見えてくるかも知れません。
>こういうものは、いわゆる「雑談術」などのビジネス本から得るのでしょうか。島野さん的なノウハウは何かありますか?

これについては、まず「仕事場面のコミュニケーション」については、
『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10
への第2レス
『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21
=========
「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・
=========

のところなど読んで頂くと良いかと。「雑談術」というより、仕事の知識そのものですね。というか「雑談術」「ビジネス本」ではないような・・「自己啓発本」ではあるかも・・まどーでもいい話^^;

上述スキー部の会話、また仕事場面のコミュニケーションも、「楽しみ」伴うか否か違いはあるとしても、どちらも「目的」がかなりはっきりしたコミュニケーションです。前者スキーの楽しみ共有後者は仕事

それに対し「雑談」というのは、そうした「目的」がない会話ですね。
ごく手短に言えば、これはコミュニケーション術としては2番手になると思います。まず1番手目的ベースのものとして。
まずこの優先順位しっかり踏まえそうした「雑談術」が必要か、という問題からになると思います。
これもごく手短に言えば、にとってはそれはあまり必要なく、「雑談術」も特に持たない結果となった次第です。まあそれがあれば宴会が苦手とか克服できるのではと考えたこともありましたが、そんな漠然としたものより、スキー部への参加人生のパートナーの模索といった人生の歩みの中で心が成熟し、やがて執筆に心血注くようになったという経緯で、「雑談」というのは今は特に必要とも感じない次第です。というかちょっと時間の無駄を感じる面も・・^^;
まこれはあまり参考にならないコメントかもでしたね^^。


マイナス内面は出さない原則

>ここを具体例で説明していただけると助かります。マイナス感情は全て出さないというのはやはり極端だし、そういう人は不自然だし逆に人から避けられる気がします。良い人だけど人間味が無くて、とか。
>どういう意味で「後始末」が必要なのか、「一人歩き」とはどういう事なのか具体例があればお願いします。

「一人歩き」は、最近の言葉で言えば、「話が拡散する」というようなことです。
たとえば「対人恐怖傾向をカミングアウト」といったものが、話が拡散して友人知人にまず「対人恐怖の誰々さん」という認識のされ方になる可能性があります。人づてで面識を持つ際も、「あ、対人恐怖の誰々さんね」と、そうした話が先行する交際になる可能性があります。
一生それで良く、それで心が楽になる(?^^;)のであれば、カミングアウトするも良しということです^^。でない場合は、どうにかして、自分はもう対人恐怖ではありませんということを、知人友人に納得させる行動必要になってきます。これが「後始末」という話。

これも考え方の話に戻れば、マイナス内面の表出は、ごく限られた「かなり深いつき合い」では、場合によっては絆を深めることにもつながるかも知れません。
しかしそれも、それによってそのマイナス内面の克服の方向性がある場合はです。たとえば受験就職への不安などはそうした類かも知れません。

「対人恐怖傾向」の場合は、カミングアウトによって克服するものなのかは・・う〜んどうなんでしょうね(←長嶋さん口調?^^; いや無用なジョーク失敬^^;)
ハイブリッド心理学では、自己取り組みによって克服するものになりますので、少なくともハイブリッド心理学の取り組み実践するのであれば、カミングアウトはなしになります^^。

マイナス感情を出さない人不自然だと人に嫌われるなんてことはないと思いますヨ^^。実際の人の様子良く観察してみれば分かると思います^^。
最初の方で書いて頂いた

>例えば、人見知りだといわれれば人見知りの人は安心感を持つ場合がある。相手もリラックスして「喜びと楽しみの共有」がしやすくなる。

も、実際大抵の人むしろ緊張してしまうと思います。言わないでおくのが華です^^。


「交友行動」が課題ではない人生の段階へ

ということで、大きな話に戻って総括しますと、こたろうさんの置かれた状況においては、まず何よりも、「交友行動」が課題ではない人生の段階へ向かう、そのための知恵とノウハウを得ていく、という大きな視点何よりも重要になると思います。
そこにおいては、今交友行動がうまく取れないことも、妨げにはならないのだという心の視野得ることが、なによりも心の支えになるのではと。

そのためには、当面の行動法については、上述の通り、交友関係かなりリセットスタートという前提で行動法を安定させ、安定した日常のリズム中で、ハイブリッド心理学の取り組み法についても時間の折にじっくり読んで学んでいく、という今後の進め方ができれば、というのがアドイバスになります^^。

あっあと、より大局的人生の歩み方として、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という流れの中にあるというのが一番大きな話になりますので、それについては『入門』今掲載中の部分(次に掲載予定の「取り組み実践による「心の成熟」への歩み」など引き続きじっくり読んで頂ければと^^。

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