■ 「交友行動」が課題ではない人生の段階へ^^ / しまの |
引用 |
No.783 2014/02/06(Thu) 11:52:22
2種類の交友行動法
これはまずは、ごく一般的な交友行動法として、「かなり深いつき合い」の相手と「まだ浅いつき合い」の相手とでは、多少行動法が異なるということから考えると良いかと思います。
書いて頂いたように、 ・「自分」についての情報のやり取りが増える ・ナイマスの内面を表現することも絆を深めることにつながり得る のは、基本的には「かなり深いつき合い」の相手ですね。家族、親友、恋人などごく少数の相手。
一方、社会に出て「まだ浅いつき合い」の相手への一般的な行動法としては、 ・自分のことばかり話すのではなく、相手と楽しめる話題があればそれについて話す ・マイナス内面は表現しない というのが基本になると思います。そこから、いかに相手とのつき合いを深められるかは、自分が相手と心底からつき合いを深めたいと感じるか、相手がそう思っているかに、まずは拠りますね。どっちかがそう感じてないなら、ちょっと無理^^; まあこれは恋愛に限らず「片思い」というのが人生で体験するものですね。それを見分け、スマートな行動法にすぐもっていけるようになるのが、人生経験の積み重ねによってになってきます。 それもまずは、「まだ浅いつき合い」の相手への一般的な行動法ができることからだ、という話になると思います。それができればまずは安全、というものとして。 はっきりと共有することに楽しめるものを見出すことから。それがないなら無理に交友を強めようとする行動はしない、と。
社会に出る、また「大学」という段階からは、「まだ浅いつき合いの相手」さらに「つき合いもしない相手」への、友好的な行動法というものが基本になると思います。 それに対して、小中高でまず最初に出会った友だちとの行動法でもって、大学以降の交友行動も考えると、とてもぎくしゃくしてしまうと思います。もちろん「大学」さらには「就職」においても、「最初に出会った仲間」とは、最初から「かなり深いつき合い」の交友行動が取れるケースもある。そんな相手ができるのは人生の賜物の一つですね。 しかし、一度それを「逃してしまった」ら、深いつき合いはその形ではもう得られるものではなく、「まだ浅いつき合い」の行動法をしっかり取ることから始め、「かなり深いつき合い」にできかどうかをじっくり探るというモードに、切り替えなければならない、と言うことができると思います。
「まだ浅いつき合い」が行動法ベース
ということで、こたろうさんの場合も、「かなり深いつき合い」の行動法だけで考えているのが一因ともなっている、ぎくしゃく度のかなり重症(^^;)なものと言えると思います。 もちろん考え方だけではなく、来歴に由来する根深いマイナス感情の問題もあるでしょうが、その克服のためにも、まずは行動法を安定させることからになると思います。まず行動法を安定させ、それでできてくる余裕を足場に、じっくり根深い問題にも取り組めるようになる。
重要なのは、「まだ浅いつき合い」の行動法をベースに考えるのみでなく、実際にそれをベースに行動できることです。それができて、その中で、どう深められるかを探り、そうできる材料をしっかり見つけたら、深めていく。 これは「行動学」からも、つまり行動法の効果を理屈で考えても言えることです。実際に a)まず「まだ浅いつき合い」の行動法を取ってから、次に「かなり深いつき合い」の行動法を模索し向かうというのは、基本的に対人関係の「豊かさ」に向かう方向性なのですが、これが逆に、 b)まず「かなり深いつき合い」の行動法の行動法を取って、次に「まだ浅い深いつき合い」の行動法を模索し向かうというのは、基本的には難しいことであり、そこでは関係が「破局破綻」そして「消滅」に向かうというものになります。
また、心理学からは、「まだ浅い深いつき合い」の行動法が取れない状況で、「かなり深いつき合い」の行動法をどう取れるか悩むというのは、まず言って相手がそれを求めている、自分はそれに応えなければという思考によってになるのですが、これは得てして「関係妄想」の原型と言えるものです。「現実」に出てそれが覆った場合、程度の深刻さにバリエーションはあると思いますが精神的破綻が起きます。 まあそれが逆に、本人が「依存」を脱し「自立」に向かう姿勢があったならば、「今までの意識の崩壊」による健康化につながる道になるのですが、そうではなく本人がたとえば攻撃性を伴う依存にとどまったままだと、ストーカー的行動へと道をそれてしまうことも出てきます。
そうした話を踏まえ、こたろうさんのケースで言えるアドバイスとしては、「かなり深いつき合い」の行動法を多少とも検討し得るとしたら、相手からそれに相応しい働きかけが、今実際にある場合です。今現時点において、深く心配するような連絡があるのであれば、検討できる。 しかし2年も会ってないということであれば、いったん全てリセットされたものとしてゼロから、という想定で、具体的行動法を検討するのがベスト、ということになると思います。
「目的ベースのコミュニケーション」と「雑談」
以上が考え方の、前回からの補足として、細かいご質問への返答など書いておきますと、
>えと、これはそもそも「物事」と「自分をわかってもらう」という会話内容についての区分があまりハッキリしていないのかもしれません。それに関して、具体例などありましたらお願いします。
僕自身の体験で言いますと、僕の場合の心の健康化に大いに役立ったものとして、会社のスキー部への参加がありました。そこは基本的に心が健康で明るい人々の輪でしたが、まずはスキーの話で盛り上がるわけです。どの斜面でどんな滑りとか。 まず「自分」のことから話す人はいない感じですね。 ごく短いこの話で、違いが多少分かるかどうか。
>>「仕事のスキル」を得るとは、そこに必ず、人とのコミューニケーション材料を、今までの学生時代の馴れ合いの輪の中の談笑とは全く違う形で、得ていくことでもあります。そこから逆に、仕事以外の場における人との交友への入り方というものも、見えてくるかも知れません。 >こういうものは、いわゆる「雑談術」などのビジネス本から得るのでしょうか。島野さん的なノウハウは何かありますか?
これについては、まず「仕事場面のコミュニケーション」については、 『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10 への第2レス 『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21 ========= 「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・ ========= のところなど読んで頂くと良いかと。「雑談術」というより、仕事の知識そのものですね。というか「雑談術」は「ビジネス本」ではないような・・「自己啓発本」ではあるかも・・まどーでもいい話^^;
上述のスキー部の会話、また仕事場面のコミュニケーションも、「楽しみ」を伴うか否かの違いはあるとしても、どちらも「目的」がかなりはっきりしたコミュニケーションです。前者はスキーの楽しみの共有。後者は仕事。
それに対し「雑談」というのは、そうした「目的」がない会話ですね。 ごく手短に言えば、これはコミュニケーション術としては2番手になると思います。まず1番手は目的ベースのものとして。 まずこの優先順位をしっかり踏まえ、そうした「雑談術」が必要か、という問題からになると思います。 これもごく手短に言えば、僕にとってはそれはあまり必要なく、「雑談術」も特に持たない結果となった次第です。まあそれがあれば宴会が苦手とか克服できるのではと考えたこともありましたが、そんな漠然としたものより、スキー部への参加、人生のパートナーの模索といった人生の歩みの中で心が成熟し、やがて執筆に心血注くようになったという経緯で、「雑談」というのは今は特に必要とも感じない次第です。というかちょっと時間の無駄を感じる面も・・^^; まこれはあまり参考にならないコメントかもでしたね^^。
マイナス内面は出さない原則
>ここを具体例で説明していただけると助かります。マイナス感情は全て出さないというのはやはり極端だし、そういう人は不自然だし逆に人から避けられる気がします。良い人だけど人間味が無くて、とか。 >どういう意味で「後始末」が必要なのか、「一人歩き」とはどういう事なのか具体例があればお願いします。
「一人歩き」は、最近の言葉で言えば、「話が拡散する」というようなことです。 たとえば「対人恐怖傾向をカミングアウト」といったものが、話が拡散して友人知人にまず「対人恐怖の誰々さん」という認識のされ方になる可能性があります。人づてで面識を持つ際も、「あ、対人恐怖の誰々さんね」と、そうした話が先行する交際になる可能性があります。 一生それで良く、それで心が楽になる(?^^;)のであれば、カミングアウトするも良しということです^^。でない場合は、どうにかして、自分はもう対人恐怖ではありませんということを、知人友人に納得させる行動が必要になってきます。これが「後始末」という話。
これも考え方の話に戻れば、マイナス内面の表出は、ごく限られた「かなり深いつき合い」では、場合によっては絆を深めることにもつながるかも知れません。 しかしそれも、それによってそのマイナス内面の克服の方向性がある場合はです。たとえば受験や就職への不安などはそうした類かも知れません。
「対人恐怖傾向」の場合は、カミングアウトによって克服するものなのかは・・う〜んどうなんでしょうね(←長嶋さん口調?^^; いや無用なジョーク失敬^^;)。 ハイブリッド心理学では、自己取り組みによって克服するものになりますので、少なくともハイブリッド心理学の取り組み実践をするのであれば、カミングアウトはなしになります^^。
マイナス感情を出さない人が不自然だと人に嫌われるなんてことはないと思いますヨ^^。実際の人の様子を良く観察してみれば分かると思います^^。 最初の方で書いて頂いた
>例えば、人見知りだといわれれば人見知りの人は安心感を持つ場合がある。相手もリラックスして「喜びと楽しみの共有」がしやすくなる。
も、実際大抵の人はむしろ緊張してしまうと思います。言わないでおくのが華です^^。
「交友行動」が課題ではない人生の段階へ
ということで、大きな話に戻って総括しますと、こたろうさんの置かれた状況においては、まず何よりも、「交友行動」が課題ではない人生の段階へ向かう、そのための知恵とノウハウを得ていく、という大きな視点が何よりも重要になると思います。 そこにおいては、今交友行動がうまく取れないことも、妨げにはならないのだという心の視野を得ることが、なによりも心の支えになるのではと。
そのためには、当面の行動法については、上述の通り、交友関係はかなりリセットスタートという前提で行動法を安定させ、安定した日常のリズム中で、ハイブリッド心理学の取り組み法についても時間の折にじっくり読んで学んでいく、という今後の進め方ができれば、というのがアドイバスになります^^。
あっあと、より大局的な人生の歩み方として、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という流れの中にあるというのが一番大きな話になりますので、それについては『入門』の今掲載中の部分(次に掲載予定の「取り組み実践による「心の成熟」への歩み」)など引き続きじっくり読んで頂ければと^^。
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