■ 内面感情ではなく「場面」に取り組む^^ / しまの |
引用 |
No.720 2013/12/03(Tue) 09:28:16
取り組み実践の手順
>このような状況における、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」学び・取り組み実践は具体的にはどういったことになるか教えていただけないでしょうか?
取り組み実践は、どのような状況においても、 『入門 - 3.取り組み実践』の 「外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践 で説明した、 1)「心の健康と成長に向かい得る行動法」の理解 2)それについての自分の納得、および内面感情への向き合い 3)それを踏まえての行動の結論検討 という手順で進めます。
多くの人にありがち、というか大抵の人はそうなるのが、上記1)のステップが抜けてしまうものです。ハイブリッド心理学の方向性に沿った、「心の健康と成長に向かい得る行動法」が良く分からないまま、内面に向き合おうとします。そして自分の「気持ち」「感じ方」のどこが悪いのだろうと考え始めてします。 するともうもう全く違う方向、今までの思考の繰り返しになってしまいます。3)の行動結論も、出ようもない。
書いて頂いた内面向き合いも、ちょっとそんな感じかもですね。
否定価値はどう働くか・・
まず以下についてコメントしておきますと、
>ただ、これが自分の中にある「否定価値」から来ているのだろうか、自分は相手を否定しているのだろうかと思うと、なんだか自分が根本的に間違っているような気持ちになります。相手を否定することによって「自分は正しい」という傲慢な気持ちもあるようです(自分が神になる…でしょうか?)。
「否定価値」はまああるのでしょう。それをもし脱しているようなら、こうした問題はとうの昔に解決可能なものへと解きほぐされると思います。
ただ、上記引用で「否定価値」がどう働いているのかを言うならば、相手への否定感情が湧くことよりも、「自分が根本的に間違っているような気持ち」というのが、「否定価値」が直接働いている部分なんですね。 また少し後の、 >内面では「どうせ自分なんて」という落胆と悲しみを感じます。 という部分。それが、まさに「否定価値」が働いて、意識の表面に現れているもののように見えます。
それに比べりゃー、相手について否定的感情が湧くのは、書いて頂いた状況ではむしろ恐らく健康な話で、実際相手に何か嫌なところがある(^^;)からだと思います。それを無理してつき合っているのが問題・・と行動結論まで安直に進めるとまた元も子もないので、上記のような取り組み実践手順をしっかりと踏まえましょうという話になるわけです。
「楽しみの共有」vs「友達約束同盟」
するとどうなるかをごく手短に書いてみますと、問題場面は恐らく仕事場面ではなく交友の話として、ハイブリッド心理学からの「心の健康と成長に向かい得る行動法」とは、 これも『入門 - 3.取り組み実践』の中の『「学び」の主要テーマ』の中では、 4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法 で書いた、 ================== 「愛」 ・・・ 「分かり合い認め合う」というものではなく、より純粋な「喜びと楽しみの共有」として位置づけ目指す ================== という、最も基本的な話に該当します。交友であれ恋愛であれ、さらには家族関係であれ、これが基本になります。
書いて頂いたのは、多分、「分かり合い認め合う」という姿勢モードでの、交友の話だと思うんですね。 「友達なんだから、こうするよね」というモード。そうならない時、「嫌いなの?」という、本来プラスの世界のはずの「交友」が、マイナスの世界の「もめごと」のようなものと化してしまいます。「友達約束同盟」の姿勢と呼べるものですね。
そうではない、「楽しみの共有」として交友を築く姿勢を、まず「選択」するかが問いのテーマになります。 それは、楽しくないのであればつき合わない、というか一緒の行動を特に無理にしない、という姿勢であり行動法です。 さらにこれをカドを立てることなく実現するため、「言葉の使い方」が極めて重要になるものとしての、 3.行動学 の具体的実践も出てきます。 ごく入門的な例を言えば、「私はそれには参加しません」という否定形の言葉ではなく、「私はその日はこれに行く予定です」といった肯定形の言葉のみを使う。 どーでもいい話ですが最近、会社時代の親友が遊びに来た時、事前の連絡時に親友もそうした言葉の使い方をしているのを見て、続く友達っていうのはやはりそうなんだなーと感じたひと駒がありました^^。
「内面」ではなく「場面」に取り組む
そうした観点から、「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解する」ことに取り組むということです。 上に書いた手順の通り、具体的場面における「心の健康と成長に向かい得る行動法」が、ハイブリッド心理学の方向性からは具体的にどうなるかを、知ることからです。 そしてそれについて自分の理解納得を問うことから、自分の内面感情を理解することが始まります。
そのようなものとして、まず「場面」に取り組みます。 これは先の蓮さんへのレス 『課題は「離反」ではなく「依存」^^』 しまの No.712 2013/11/29 でも書いた話。 最初から「内面」に取り組むのは、誤った取り組み法です。それは船の碇を下ろさないまま、海の上の作業をしようとするような話です。感情という海流に流されたまま、その感情がどこからどの方向に流れるのか、どう役立てればいいかもつかめなくなります。 海の上で作業をしたければ、まず碇をおろして自分の思考と行動を安定させることが必要です。根本的な目的は海流つまり感情を把握し、それを役立てることだったとしても、自分という船が安定していないのであれば、まず思考と行動に取り組むことだけを、先に行う必要があります。
ということで、 >このような状況における、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」学び・取り組み実践は具体的にはどういったことになるか は、
>最初から苦手と感じたり、途中から何かをきっかけにそう感じたり、状況は様々ですが、自分の中に相手に対して何かしらのストレスを感じることが内的に起きています。 さらに自分の心の中を見ていくと、その人の言動や行動に対して否定的な感情があります。
というのが、いったいどのような内容の「場面」のことなのかの、正確で詳細な把握理解からです。その一つ一つについて、ハイブリッド心理学からの「心の健康と成長に向かい得る行動法」を言えます。そして次に、それについての理解納得を問うことから、「内面」への取り組みが始まる。
「状況は様々」なのを、一つ一つどういう状況なのかの詳しい把握からです。そこに、それが自分にとってどういう意味の出来事であったのかの、まさに「分析」も始まります。 具体的場面の内容ありきの取り組み開始になりますので、差しさわりない表現範囲で詳しい場面状況など一つ一つ取り上げて頂ければ、それぞれについて具体的アドバイス返していけますので^^。
動揺根本消滅までの道
補足として、こうした動揺が根本的にゼロへと消滅するまでの道のりを大まかに書いておきますと、まずは 1)「楽しみの共有」行動法への納得を問う段階 2)その実際の実践を問う段階 を通して、実際の他人との間で、外面においてはもう完全にカドが立つことなく交友行動を行うもしくはやめるの判断決断ができるようになることの先は、最後は 3)実際自分が相手をどう好きかそうでないかの「望み」に向き合い、そうした行動法を携えて向かう中で、「望み」そのものが成熟していく、つまり相手をどう好きかによってどんな交友を続けるかの結論が、次第にブレのないものになっていく。
という道のりになると理解しておいて頂くといいでしょう。 「感じ方」について、「正しい」「悪い」という尺度で取り組むことは、そこにはないのだ、という話になります^^。
またこの文脈で「否定価値の放棄」には、まずは触れることはできません。他の取り組みも含めて、自分が「強く」なったことを足場に、ものごとの悪い面に目を向ける衝動に向き合う作業として取り組みますが、「神的なものへの思考」などといった哲学宗教的なテーマにかなり本腰を入れて取り組む作業になります。道順としては、上記2)と3)の間あたりです。
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