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今問うべき「自立した心の世界の建設的行動法」^^ / しまの 引用
No.776 2014/01/30(Thu) 18:02:33

克服成長への心の仕組み

まず克服成長への心の仕組み理屈部分^^。

>?@
>これは、不合理だと理解して、「行動戦略型自己理想」につながる「建設的行動法」を見据えて、現実行動に出ようとしても、「人物印象方自己理想像」を持って同じ現実行動に出ようとした時と同じような否定感情が沸かざるを得ず、現実行動が妨げられ、実行ができなくなる、という事でしょうか?

いえ、「人物印象型理自己想像」不合理だと感じ、意識思考の上では捨てたとしても、それだけではまだ「人物印象型理自己想像」働きを続けているかのような否定感情く、というです。
分かりやすいかもしれないストーリーで言えば、たとえば「主婦の理想像」の信念抱きながらもそうなれず「うつ」になる、といったケースカウンセリングを受け、そんな完璧な主婦などいないという言葉納得し、心が楽になったのを感じる。そうして意識思考の上ではもう理想信念は持たなくなるのだが、ふとまた自分よりもそうした理想像に近い他人を見かけた時、心が沈んでいき、無気力が起きてくる・・。そんな流れ
つまりでは「こんなマイナス感情に値する問題ではない」と思いながらも、はというか引き続きマイナス感情を起こす、というような話です。
まあこれは要は一言で、理想を捨てれば低い自己評価、自信のない状態が解決するというわけではないということだと言えるかと。理想を捨てればいい、ではなく、自信を持てるようになる何かを持てることが真の解決、と。

で、それについて「現実」における克服成長への取り組みをしましょう、というです。
それが「建設的行動法」になる、という
ですので、「建設的行動法」を見据えて現実行動に出れるようになってくれば、かなり話が違ってくると思います。

ただしこの2つつまり「不合理な自己理想を捨てる」「建設的行動法ができるようになる」には、かなり距離あります。一度に切り替えることができるようなものではありません。
まず「人物印象型理自己想像」不合理を理解し、それを捨て去ることで一段階がそれをどう受け入れられるかに、多少とも時間がかかるでしょう。
に、「建設的行動法」学ぶので一段階。それをどう理解納得できるかに、また多少時間がかかるでしょう。ここでもやはり、がそうした新しい心の世界向かうことができるかどうかが、問われてくるかも知れません。
実際の行動ができるようになるのがまた次の段階
年単位で、一歩一歩を歩んでいくものになります。


「自己理想」を問う前に行動法を学ぶ

>ここがよく理解できません。「空想の感情」?つまり、こんな自分を演じられたところで現実における成長も問題解決も出来ていないということでしょうか?

「演じる」とは、本当ははそうでないから(言葉は悪いですが)その振りをする、というになると思います。シナリオ作成から結果評価までをふんだんに「空想」を駆使して。
真の問題解決は、もはや何の意識も働かせる必要もなく、自動的に、安定したプラス感情が湧き出るようになることです。「これはどう?」と、人がどう思うかなどの空想を働かせる必要もなく、好ましい「結果」「現実」において生み出せることで。
そのために、「建設的行動法」学ぶことから始めるものとして、「現実における克服」向かいましょうという話。
ただし「演じる」というのが全く無駄ということではなく、「その場しのぎ法」としては役に立つ場面もあります。これも結構重要^^。

>「行動戦略型自己理想」を組み立てるために「建設的行動法」をベースにした、一つ一つの場面や問題に対しての言葉、行動を選択するということですか?

まずは「建設的行動法」とはどんなものかを学ぶことからです。自己理想どう描けるか以前に。
その習熟豊富になるほど、やがて「行動戦略型自己理想」描けるようになってくる、という道筋です。

>しかしそれに取組む事に対しての妨げは、「行動戦略型自己理想」を作ったところで同じようにのしかかってくる、のではないのですか?「行動戦略型自己理想」が確かな物に感じられた上で、現実に対した場面で、妨げの感情が沸き、行動できなかったという経験が、進みようがない心を自覚させて崩壊に向かうということなのでしょうか。

順番で、自己理想(人物印象にせよ行動戦略にせよ)どう描くか以前のさまざまな「建設的行動法」習熟することで、妨げが減っていき、「行動戦略型自己理想」が描けるようになってきます。
「崩壊」については次の話の方に含めましょう。


「心の死と再生」・「依存」から「自立」の転換

>?A建設的行動法に対しての疑問
>話が膨らんでしまったんですが、合宿の時明らかに自分が破綻するような状態になったのですが、ようは自分で破綻に誘導するようにはできないということですよね。

その通り基本的にはできません自分の足首つかんで足元さらって自分を転倒させられるかと言えば、できないと思います^^; それと同じです。
自分の意識破綻する可能性もある体験の場に、その可能性を想定した上で、勇気を持って向かうというのは可能ですね。ただしその場合でも、意識の破綻崩壊は、「破綻崩壊したい通りに破綻崩壊」などど安易に受け入れられるものとして起きるのではなく、感情としてはあらゆる面において受け入れられないものとして起きます。まさにそうであるからこそ意識が死んで再生するものであることを知っておき、耐えてやり過ごすことが大切になるわけです。

さらにただしそうした体験「再生」としての意味を持つのは、「依存から自立へ」という転換への姿勢持っている場合です。その時、今までの「依存」に根ざしていた心死に、「自立」の心の足場を一歩強めた心再生されます。
でないと、駄目な体験がまた一個、だけで終わってしまう^^;

この「依存から自立へ」という転換への姿勢については、まずは関連内容掲載途中ですが、
『入門 - 4.心の成長変化 / 「心の成熟」の法則』

3)「愛」を単一軸とした「心の成熟」
参照
そこで書いているように、その転換とは、「今までの心」のまま行動法を変える工夫というレベルのものではなく、「今までとは別の心」へと向かう、という転換であることが重要です。
そこで「大自然を生きる一匹の獣」というをしていますが、人間以外の動物は、「自意識」あまり持たないので、自然とその大きな転換向かいます。その最初の転換は、しばしば親獣から突き放されるというで。それは子獣にとってその時失意になったとして、「自意識」あまり持たない獣の心では、「命」が生み出す「自立」への力直接働きほどなくして「自立する心」へと切り替わるわけです。
人間「自意識」があるので、大抵「今までの心」にしがみつき、「今までの心」の中で思考しようとします。まあいつまでもを始めとする他人や社会の庇護の下で生きるという生活様式もあり。

それを超えることが重要になるわけです。つまり「今までの心」のまま行動法を変える工夫というレベルのものではなく、「今までの心」とは全く違う「新たな心」の芽が自分の中にあることを感じ取り、それに立って、新たな行動法に向かう、という取り組みになるわけです。もちろん社会の庇護から外に出るなんてことではなく(ターザンでもなし^^;)社会というものを自分が生きる大自然としてうまく使うものとして。


「依存から自立へ」の転換と共にある「建設的行動法」

ですので、「建設的行動法」一言でいっているものも、実は「依存から自立へ」という、「行動法」というテーマよりもさらに根本的根源的な、「依存から自立へ」というテーマを含んでいるものであることを、ご理解頂ければと思います。

それはつまり、即実行に移せるプラス行動法であると同時に、実行するしないに関わらず自分の中にある「新たな心」に気づくためのヒントでもあるということです。このような行動法をする心とは、どんな心なのだろうか。自分の中に、それはあるのか・・向き合うこととして。
そしてそうした行動法向かうことができる自分の心存在気づいた時、その行動向かうという新たな局面始まるでしょうし、そうではなくとも、そうした学び心の懐に入れながら、潜在的「依存から自立へ」という転換を受け入れ始めた時、今までの心ではもう先にいけないというどん詰まりの体験の中で「意識の破綻」「心の死と再生」になるということが、起き得るようにもなる、ということです。

ですので、我々意識実践として行うことができるのは、まずはとにかく「依存から自立へ」という姿勢を込みにしたものとしての「建設的行動法」を学び、その理解納得を問うことからになるわけです。
それが、
『入門 - 3.取り組み実践 / 「取り組み実践」の3ステップ』
で説明している、「応用の学び」「向き合い」という手順です。結局全てこれを通るんですね。

そこで妨げ軽ければ「建設的行動法」への理解納得がすんなり進み、行動に向かうことができるかも知れない。
妨げ深かった場合2パターンが考えられる。
a)今までの「依存」の心へのしがみつきが続いてしまうかも知れません。「建設的行動法」への理解納得ができない。これはハイブリッド心理学による取り組み進まないケース。その場合の他の取り組み方法は、僕は知らない^^; (僕の専門はあくまでハイブリッド心理学ということで^^)
b)そうではなく「建設的行動法」への理解納得ができ始める。「習熟」などはまだ遠く妨げが強く向かうこともできない。「崩壊」が起きることが考えられるのはこの段階です。つまり今までの心ではもう先にいけないことを、意識よりも深いところ心が感じ取る段階です。だからと言って「今までの心」が自分で自分を「新しい心」に入れ替えることなどできないわけです。だからそこで一度「今までの心」が死ぬということが起きます。そし新たな心再生されます。
『悲しみの彼方への旅』がまさにこの段階の様相を書いたものであるわけです。

ということで、結局「取り組み実践」としては、まずは今直面する問題課題についての、「依存から自立へ」という姿勢を込みにしたものとしての「建設的行動法」学んで頂き、まずそれについて自身の理解納得に向き合って頂く、というものからになるわけです。


理解納得できていない自分に気づくことが第一歩

そこで「自身の納得理解に向き合う」という段階で、重要なポイントを言っておきますと、
「自身の納得理解を問う」とは、「いかに自分は納得理解していないか」を自身に明瞭にすることから始まる。
ということです。
これは上記妨げが軽い場合も、深かった場合でもです。

というのは、まずは、心底での納得をしないまま、自分に当てはめてみるという思考姿勢始めるからです。
それで多少うまくいく面もあれば儲けもの。でもどうもやはり言われた通りには行かない。そこまで行って、初めて、入り口立つわけです。自分の心底での本当の感じ方考え方こうなのだ、と自覚することから始めるものとして。
そうして自分がいかにハイブリッド心理学が示す「建設的行動法の学び」とは違うものに向いているかを認めることができた時こそが、第一歩踏み出した時だと言えるでしょう。
まあこの第一歩の間に、起きるべき「崩壊」あるのなら起きているでしょう^^。


今問うべき「自立した心の世界の建設的行動法」

ということで、上記引用の文章に書いて頂いたお悩み内容については、その言葉一つ一つコメント入れるのではなく、ざっと全体を見て、ハイブリッド心理学から示すことができる「学び」はこうだ、というのをずばり短文で出しておきましょう。
それはこんな感じのものです。
     *     *     *     *     *
貴方がこれから(今)向かう人間集団は、特定の目的の下に運営されるものであり、その中における馴れ合い親しみの和は、第一の目的ではない。まずその「特定の目的」を果たすことに、徹しなければならない。学校であれば勉強。授業を受けること。
また、与えられた集団で馴れ合い親しみの和があり、その中に入れることを「あるべき姿」と感じるのは「ティーンの世界」までのことであり、まずはその世界に別れを告げなければならない。少なくとも外面行動としては。
人との親しみの和に加わりたければ、自分のことを話して分かってもらって、というものではなく、自分が心底から興味と楽しみを感じる、「自分」ではない「ものごと」についての話題を共有するという行動法のものによって、行わなければならない。それが見出せない、そこに加わることを心底から楽しめないのであれば、孤独を受け入れるべきである。
そしてそもそも、これからまず向かうべきは、人との和に入ることではなく、「社会に出る」ことを見据え、そのための情報を得ることなどから実際にその活動へと向かい、また社会を生きるスキルについても基本的な学びを得始めることである。

そうして一度今までの「依存の愛」から旅立ち、「社会で生きるスキル」による「自立の自尊心」を得てから、再び「愛」という人生の課題に向き合うと良い。その時、心はもう別のものへと変化しており、全てが、今とは違う見え方をするであろう。そこで「愛」に向かうことに再び妨げが現れたとしても、まさにその克服の模索によって、今の心からは全く未知なる答えが、見出されるだろう。
     *     *     *     *     *

といったものです。

まず言えるのは、「どうすれば談笑の輪の中にいられる自分に」というテーマに、心が虜の状態だと思います。しかし「今向かうべき成長」は、もうそれではないのだ、ということです。
それについて僕の感慨を書いておけば、「幸せなティーンの時代」を得るために、それは必須なものだと感じます。しかしそれを得る人間と、得ることができないまま人生の次の段階に向かわなければならない人間がいる。
後者でした。そしてこたろうさんも、今の段階では後者でしょう。それを受け入れず、そうした「幸せなティーンの時代」を得てから「社会に出る」という観念に、しがみついているという印象。でに、「談笑できない自分のままでは社会に出られない」なんていう恐怖感とらわれるようにもなる。そうして多数の若者が、社会に出ることにへの誤った不安恐怖あえいでいる昨今・・。

これから向かうべき成長とは、社会に出て必要となる「仕事のスキル」などであり、それは「談笑できること」なんてのとはもう全く別のものです。この点は今の学校教育が、そうした現実の社会を生きる術教えていないことに弊害があると感じるのですが・・まあ教師が実際社会を知らないのだから始まらない・・なんてはさておき。
この辺具体的な話は、この掲示板「仕事の普遍的スキル」なんてワード検索してもらえれば、どんな話多少つかめると思います。

まあその上で、「談笑できるようになること」なんて目標持っておくのもいいと思いますヨ。「仕事のスキル」得るとは、そこに必ず人とのコミューニケーション材料を、今までの学生時代の馴れ合いの輪の中の談笑とは全く違う形で、得ていくことでもあります。そこからに、仕事以外の場における人との交友への入り方というものも、見えてくるかも知れません。
それが、「幸せなティーンの時代を得なかった者が、やがて豊かな人間関係を築く」ための、僕が知る王道です。
「仕事」なんてまだピンと来ないという状況だとしても、大学に入ればもうその視野は持てる段階です。これについては、りょうたろうさんへのちょっと前のコメント
『「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ^^』 しまの No.744
2013/12/17

など読んで頂くとよいかと。


マイナス内面は表現しないのが基本

今回は以上をまずはアドバイスとし、まずそうした大きな話について、どう感じるか向き合ってみて頂くと良いかと思います。

ご相談文面後半は、そうした大きな視点を全く持たずに細かい話を書いて頂いているようなので、逐一コメントを返すのは省略し、ちょっと気づいた点、もしくは上記最初に言った「やり過ごし方として結構重要」な点などを書いておきましょう。上述大きな話向き合うことで、細かい点多少対処が見えてくると思うのですが・・。

>その人たちと会ったら、自分の当時の状況と休学の2年をどう話して良いかわからない。
>関係をまた作るには自分のことを説明するべきか。それとも、対人恐怖感などは自分の中の感情として、適当な言い訳を作った方がいいのか。
>新たな関係を築く事になる人たちは、年下だが、自分の状況、休学についてどう話していいかわからない。また年齢や学年について、どういう関係性(学年が下だから下として敬語が良いか?)がいいのかわからない。

「分かってもらう」ための説明など一切いらず、「つなぐための言葉」言えればよろしい。たとえば「ちょっと軽いうつで休学していたけど復帰し、今後授業の方頑張りたいのでまたよろしく」とか。とにかく話の向き先込み入ったことに向かないよう言葉を配置するのがポイントです。前向き言葉で終えるなど。この辺は「言葉の選び方」という人生の日常の学びですね。
面と向かって言いずらいが伝える必要のある言葉先にメールで送っておき、会った時にはもう触れない、というのがこういう場合一番洗練された行動法になると思います。まもっと熱い会話を好む人など、人による好みはあると思いますが(僕はあっさりドライな方が好き♪^^;)
新しい学年では、聞かれない限り話す必要はないでしょう。ごく一般的な敬語かタメ口でいいと思いますヨ。

最悪、「輪に入らない普通の人」「演じる」ことも考えるといいかもですね。あまりにビビってしまうなら、どうやって「会う」かは諦め、一人おとなしくするしかない^^;

>(対人恐怖傾向を、なかなか人とうまくやれない、とカミングアウトしたほうがいいか?という疑問)「自己開示」についてです。
>こういう動機でのカミングアウトならば、「建設的な行動」といえるのでしょうか。

「自己開示」しません「自己開示」という発想は、人に心を閉ざす感情によって妨げられている人が、明るく人と接する人というのは「心を開いている」のだと、誤ったイメージを抱いた結果観念です。明るく人と接する人は、「自分」を開示することでそうなるのではなく、話題となる、「自分」ではない「ものごと」が、心底から面白い楽しいと感じているからです。それだけのことです。心底から面白いと感じずに、話が盛り上がる人間になどなれないということです。

マイナスの内面は、「カミングアウト」のみでなく全ての形において、表現しないのが基本です。一度表に出した自分のマイナス内面は、必ず一人歩きを始め、おうおうにしてそれが自分の内面を回復する妨げになります。そうでなくとも、何らかの「後始末」が必ず必要になります。面倒この上ない。
回復したいなら、マイナスの内面表現しない回復しなくて固定させていいのなら、好きにしていい。(おざなりアドバイス^^;)

あっあとこれ。

>自分がその場に入ることによって、その場が悪いものになってしまう。ぎこちないものになってしまう。

「幸せなティーン」の絵「あるべき姿」という善悪思考にまで高めてしまった結果。これはよろしいですかな。


ともかくまずは大きな話からですね^^。

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「目的思考」「自分自身への論理的思考」でまず現状の思考法行動法を確認する^^ / しまの 引用
No.745 2013/12/18(Wed) 16:43:23

原理原則行動法

>ひとつ疑問があります。貼ってくださったリンク2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)のマンション購入具体例についてですが、この場合の原理則立脚型行動法は、?@相手に対して常に肯定的であること ?A契約前であるから申し込みを取り消す権利がある…等になるのでしょうか?

まず「学び」をおさらいしますと、

根本として、「破壊」から「自衛」「建設」へ。

行動法は、喜び楽しみと向上を共有するという「建設的対人行動法」、相手への意見を言うのではなく原理原則を言うという「原理原則行動法」相手を勝たせて自分も勝つという「ウインウイン行動法」。

価値観は、「愛」「分かり合い認め合う」ではなく「喜びと楽しみの共有」として向かい「自尊心」「相手を打ち負かす」「人に認められる」ではなく「現実において生み出す」ことにおいて築くものとする。

行動法として重要なのは、相手への「否定」「破壊」基本的に用いないことです。
これはりょうたろうさんへのレス
『「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ^^』 しまの No.744 2013/12/17
でも、こう書いた通り。
========
キモは、我々の「行動」全てを、「破壊」ではなく「自衛」「建設」のものにすることを、目標にすることです。
すると、「楽しみ」共有するというプラス行動「建設的対人行動法」となり、それ以外の、与えられた問題課題達成や、マイナスの状況への対処は、全て基本「原理原則行動法」になるということです。これで、内面「怒り」「怖れ」などのマイナス感情は、行動の原動力として役目を持たなくなります。
========


ただし「相手を肯定する」というのは、あまり前面に出るものではありません。「楽しみや向上を共有する」のであり、「原理原則について言う」のであって。
まあ総じて、行動法としては「相手の肯定」ことさら取り上げない行動法だと言えますね。「相手の肯定or否定」というのは、どっちかというと内面感情の問題として取り組むものになるかも知れませんが、なるべくそれに左右されない、安定した行動法を行うようにします。

ちょっと注意する必要があるのが、「相手に対して常に肯定的」といった観念が、「何でも相手の言うとおりに」「常に暖かい気持ちを向け」「常に笑顔で」というような、固定的な「気持ち」「表情仕草」の枠はめ強制を行おうとするストレス内面にあるという、別の問題を示している可能性です。
そうした内面ストレス影響を受けない行動法として、上記のようなものがあるということです。

それに留意の上、上記で参考頂いたのマンション購入事例では、相手に対して肯定も否定もなくニュートラル「取消権利がある」その通りですね。

>ストーリーを拝見する限り、担当者は感情を害しているし、荒げていると見受けられます。そうすると、原理則立脚型行動法というのは単に相手の感情を荒げないような行動をするのとは違いますよね?

もちろん相手感情を害しており、だからこそ原理原則行動法登場になります。重要なのは、相手が自らをそれに従っていると認めるような原理原則を言えることです。つまり、相手が自らをそれによって納得させてしまう、自らの感情収めてしまう。そうした、強力な原理原則というのが重要になります。
その例では「権利」ですね。そのは一応ビジネスの場であり「権利」という言葉それだけのパワー発揮することはもう間違いない状況ですので、としてはもう何の動揺もなくその言葉を使い、実際それで収まったわけです。

原理原則行動法では、相手の感情を取り上げず相手が重視するであろう原理原則、もちろんそれによってこっちの思う方向に持っていく原理原則を、取り上げます。相手見定めることがかなり重要になります。

>その場に順応する言葉に対しても過剰に反応する人がいるということはないでしょうか?

場と相手に応じた原理原則出せるように取り組みます。この辺はちょっと上級編^^「知識」「言葉の選択」さらには「相手を見究める目」問われる場面もあり、まさに長期的な学びと実践の積み重ね重要になります。

そうして、相手の感情をなんとかなだめなければ、そのために相手を肯定しなければ・・といったストレス無用な形で、問題を解決する行動法だということです。
よろしいでしょうか^^。


「目的思考」「自分自身への論理的思考」でまず現状の思考法行動法を確認する

>交友を「楽しみの共有」としようとしてはいるが、そこに「あるべき姿からの否定感情」がすぐに入り込んでと思われるエピソードとして先日こんなことがありました。
>「彼はもしかしたら彼女に興味を持ったのかも?自分より彼女の方をいいと思っているんだ」という卑屈な感情が何度か流れました。これは、「その男性は当然自分に興味を持つべき、自分ともっと話すべき」というあるべき姿からの否定感情と言えるでしょうか? また、こういった場面での原理原則行動法を教えてください。

それは「あるべき姿からの否定感情」というより、ただいじけてしまった気分であるような・・^^;
原理原則行動法は、「問題」「課題」はっきりとある場面に対して用います。その場面は、原理原則行動法によって解決すべき問題がある場面というものでは、特にないように感じます。
「自分ともっと話すべき」というあるべき姿からの否定感情」言えるかどうか、というより、実際「自分ともっと話すべき」と感じたのかどうかですね。

それが必ずしも不合理な「あるべき姿からの否定感情」だとは一律紋切り型には言えず、たとえばその相手すでに交際を開始した相手で、一般的なパーティでそうであれば、むしろ当然な話になるかも知れない。
ですのでその場面についてはむしろ、なんでそういうメンバー構成で会うことにしたのか、になると思います。

いずれにせよ、ここから先(細かい思考内容)は僕の方であまり先走りアドバイスするのではなく、『実践詳説』繰り返し指摘している
「目的思考」(P.46、思考の素地 「目的思考」
「自分自身への論理的思考」(P.64、自分自身に対する論理的思考
で、
自分は何を意図(何を目的に)して、どんな(その)行動を行ったのか。それによって事がどのように運ぶと考えたのか。
という自らへの問いをして、自身の思考法行動法を確認することから始めるのがお勧めになります。

重要なのは、それぞれの行動によって、自分が幸福になるように自ら向かうという思考と行動に、なることです。に言えば、自ら自分の幸福に向かうのとは違う行動を、取っていないか。そこに「あるべき姿からの・・」といった問題明瞭になるかも知れません。
いずれにせよ、まずは現状での自分の思考詳しく確認、からですね。

>>ともかく「行動学」的に分析するなら、なぜそこで止めようとしたのかです。
>前のレスにも書きましたが、止めようという意図は全くなかったんです。

についてもそうですね。ではどんな意図で言ったのか。ごめんなさい、前のレスでもてっきり何か問題を感じて止めようとしたとしか読み取れませんでした。
「自分はこれこれを意図して、こうなればいいと思って言った」というのを明確にすることで、そこにある思考の問題点への取り組みできるかも知れません。

これは「目的思考」とあわせて、
「現実を見る目」(P.49、「現実を見る目」という全ての始まり
という一番基盤となる取り組み項目になります。自分がこう行動したら、人はどう反応すると思っていたのか。そうした「現実を見る目」歪みがあれば、当然行動法もそれに巻き込まれて歪んでしまいます。

に、「目的思考」「現実を見る目」しっかり取り組むことで、行動法自ずと、ストレートに自ら自分の幸福に向かうものへと変えていく、そのため上述のような行動法検討する、という道順になります。

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「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ^^ / しまの 引用
No.744 2013/12/17(Tue) 14:30:14

「感情と行動の分離」と「一歩一歩の向上」の第一歩^^

>ハイブリッド心理学でいう原理原則のようなものを学びたいと思い最初は人的資源管理のゼミに応募したのですが、私は選考に落ちてしまいました。
>しかしそれでもなお残っている感情というのは、プライドが傷つけられたという気持ちや今までの成績により選考に不利になってしまったという後悔、もっといえば望んだのに拒まれたのが単にショックだったのか、と。ただ、感情についてなんとかしようとするのは間違っているという納得はすでにあったので、結局出た外面についての答えは「この状況からでも、自分にとって最大限利益になることをしよう」というものでした。最終的には会社法やCSRについて扱うゼミに決定し、企業の価値の生み出しの視点が学べるかなと思っています。

外面答え検討内面感情を冷静に分析それぞれを別々に、いい実践ですね^^。それが「感情と行動の分離」外面内面2軸の実践の、基本形になります^^。
「人的資源管理」のゼミ落ち「会社法やCSR」のゼミ決めたというのは、まあはその専門ではない上での社会経験からの個人的意見ですが、大差ないと思いますヨ^^。
経営について知るためには、どちらいずれ習得せねばならない一環の中の一つだと思います。その上で、「人的資源管理」知識より実務技術重要になり、「会社法やCSR」学習時間を要するしっかりした知識重要になると思いますので、大学のゼミで専攻するなら後者の方が有利なような気がします。

>この勉強に対する不合理な恐怖を克服するため、まずこの章だけをやると決め、書いてあることをじっくりと読み、少しでも引っかかりを感じたら時間を惜しまずに別の媒体で調べてみる、といったふうにして勉強をしてみました。・・(略)・・亀の歩みのような作業でしたが、気がついたら今まであまり感じたことのなかった、主体的に勉強に取り組んでいるという実感が芽生えていました。それは私がこうあらねばならないと思っていたような姿(例えばあっという間になんでも憶えられるとか、何時間でも勉強し続けられるとか)とは全く違うものでしたが、むしろそれらがいかに現実を無視したものであったかと思い知りました。実際にそういった芸当をやってのける人もいますが、それはあくまで私がやったようなことを限りなく習熟していった先にあるもので、単に最終的な姿だけイメージしたものとはだいぶ違うことを実感しました。
>以上のようなことを通して学んだのは、具体的な行動を検討していく中でそれまででは想像しようもなかったものが見えてくる、ということです。島野さんが繰り返し強調しておられたハイブリッド心理学の基本的な歩みに、自分もようやく乗ることができたかなあと感じています。


これは上記「感情と行動の分離」実践とあわせ、大きな第一歩ですね^^。それが「一歩一歩の向上」という全ての基本であり、「成長」に向かうとは最終形をイメージすることとは全く違う。
参考までこの場で、最近読んでいい本だと思った
スマイルズ『自助論』
から、そうした「自己修養」について述べた部分など引用しておきましょう。
==============
われわれは、何ごとも徹底的に、しかも正確に学ぶ姿勢を基本に据えなくてはならない。・・(略)・・
・・(略)・・
かつてレナーズは、自分の学習法の秘訣をこう語った。
「法律の勉強を始める時、私は決心したのです。“学んだ知識は完全に自分の血肉にしよう、そして一つのことがらを徹底的にマスターしないうちは、絶対に次へ進んではならない”と。ライバルの多くは、私が一週間かかって読む本を一日足らずで片付けていました。けれど、一年もたつとどうでしょう。私の知識は、それを覚えた日と同じように鮮明に残っていましたが彼らは学んだことをすっかり忘れていたのです。」 (P.206)
==============

まあこの本真に優れた人間とはどのような様子かという幅広く説いているもので、そうなれるための具体的実践についてはあまり書いていないためハイブリッド心理学からの「必読書」するまでにはいきませんが、それでもかなりハイブリッド心理学の精神同一のものでありお勧め書籍です。


「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ

>私の心は今でも変わらず事あるごとに動揺します。

動揺本当に消えるようになる、さらには自分から消せるようになるのは、実際社会に出て、社会で生きる自信という心の足場得てからになります。
それまでは、動揺を安直に消す方法を探し求めるのではなく、内面感情の動揺にあまり左右されることのない、強い行動法知っていくこと、内面動揺によってそれが影響されないことを感じ取り動揺ただ流すというのがまずはアプローチになると考えておくと良いかと。

「原理原則行動法」がそうした「強い行動法」王道だと言えますが、

>ここから質問になります。島野さんは長い社会人生活で社会を生きるノウハウを学んでこられたということですが、私がそれをどうしたら効果的に学べるでしょうか?(もちろんこの読者広場も利用させていただこうとは思いますが)経営学部というなかなか恵まれた環境にいるので、会計学、ファイナンス、マーケティングなど様々なことが学べます。そういったものの中で特に役立つようなものはあるでしょうか。また社会で勝てる原理原則などは、実際に社会に出て学ぶか、この読者広場で場面に応じて質問するかぐらいしか無いものでしょうか。

については、一言こう言えるかと。
「勝てる原理原則は、人生の駒を動かした先全てにある。人生の駒を動かした先全てで学ぶ」と。

まあ社会出る、またその前においても「望みに向かう」という人生の前進全て「勝てる原理原則」があり、そうした場学んでいくものである一方、そうした前進なしに全て学べる特別な研究室のようなものなどない、ということですね。
たとえば先日にーなさんへのレス
『「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」から^^』 しまの No.733 2013/12/10
アドバイスしたのも、ごくプライベート交友行動の中で起きたいざこざへの原理原則行動法からの考え方です。

キモは、我々の「行動」全てを、「破壊」ではなく「自衛」「建設」のものにすることを、目標にすることです。
すると、「楽しみ」共有するというプラス行動「建設的対人行動法」となり、それ以外の、与えられた問題課題達成や、マイナスの状況への対処は、全て基本「原理原則行動法」になるということです。これで、内面「怒り」「怖れ」などのマイナス感情は、行動の原動力として役目を持たなくなります。
それがしっかり生活と人生の全般身についたという「自分の強さ」への自信芽生えてきた時に、上記最初にも触れた内面感情の分析が、劇的にマイナス感情の根本消滅へとつながるようになってくる、という次第です。

ということで、お勧めは、ずばり大局的視点から、
大学生活を、「社会に出る前に」としてすごすものではなく、「社会に出るということが、もう始まっている」ものとしてすごす、という姿勢考えていくことです。

ということは、まず具体的に言えるのは、大学後の進路具体的に考える。経営学部と言って、すぐ会社の経営者になることはまずなく(学生起業というのもありますが)、アクセンチュアのようなコンサル系会社への就職、そこにさらにIT技術も加えたりするのが一番間口が広くかつ高給(^^)分野になると思います(「SE」というのは体力労働的側面もある点ちょっと留意)。そうした具体的な検討を始めるのは、いくら早くても早すぎることはないでしょう。就活まだ先であっても、そうした具体的検討に応じて具体的情報増えてくれば、勉強すべきものとして追加すべきもの具体的に出てくる。インターンシップで実際の経験得るなんてことも可能でしょう。

そうして勉学という本業も、卒業後の就職も、「社会に出るということが、もう始まっている」ものとしてのぞむ
また交友についても、教室という与えられた枠の中でどう仲良く、といった「社会に出る前」モードのものではなく、趣味なり異性交際なり、目的を明確にしたオープンな場の交友という、「社会に出て」のモードを、今から模索し始めることです。
そうした場で、「勝てる原理原則」具体的場面という材料を得て、検討ができます。

まあ要は、「社会に出る」という姿勢実践をする。それで自ずと、「勝てる原理原則」学べる状態になる。


「勝てる原理原則」のための基本的思考法

で、そこで出てきた具体的材料については、どうも分からない場合また質問頂くのもいいですが、結構そのための基礎的思考というのがありますので、まずそれが身につくと何でも応用が利くようになる、と理解しておくといいですね。何でも聞かないとどうも分からないという場合は、基礎的思考できていないという課題があるということになる、と。

でその基礎的思考については、まずはハーバード流必須勉強項目。上記にーなさんへのレス中のリンクなど参照。
あとは、今後『詳細情報リンク集』などまとめる時これを含めようと思っているのですが、
過去掲示板2006.2
掲載
2006/02/03 ハイブリッド推奨 人生勝利の原理原則10則-1-2-おまけ
など一読して頂くと良いかと。
ここで書いているのがまさに、20年の社会人生活を経て「看破」した(ちょっとオーバー^^;)と言える、「勝てる原理原則 虎の巻」ですね^^。

ということで、
1)「社会に出るということが、もう始まっている」という姿勢と実践
2)「勝てる原理原則」を考える基礎思考への取り組み
3)人生の駒を動かす場の全てで「勝てる原理原則」を考えていく

という順番で取り組むとよろしいかと^^。

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