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記事No.1155に関するスレッドです


社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / こたろう 引用
No.1133 2015/11/05(Thu) 17:05:06

ハイブリッド心理学では、存在する(ように思える)レールでまずは仕事をする事により、この現実社会というジャングルを知る事、
まずその中で生きていく自信をつける事がスタートであるという論調があり、
それぞれの唯一無二の生き方というのは望ましいが、そうやって枠組みを作り終えた先に、心が現在の仕事に全く
向かわなくなる事を皮切りに、始めざるを得ない事である、とあります。

これは、仕事というものが何か平準化できるスキルによって、おおよそ同程度の教育を受けた人物ならば
代替できるものが多数を占めているという事が前提であるように思います。

最近、人工知能についてさかんに取り上げられています。何冊か本を読みました。
日本は比較的遅れているようですが、米国ではすでに自動化の波がホワイトカラーにも押し寄せているようです。
人工知能が、価値を生み出す過程で発生する、大量のデータをもとにしたリサーチ、情報を加工する事、伝える事、
理知的に相手の言っている事をくみ取る事、相手のニーズを把握する事、などの面で、平均的な人間の能力を上回るように
なってきているという事です。

ざっくりいってしまうと、「理知的な能力が必要とされる課題に対して、より早く正確でミスのない思考、分析、対処をする」事においては、
すでに人工知能に席を奪われている仕事が発生していますし、こうした性質の仕事はこれからどんどん奪われていく事は
間違いないと思います。

さらに、ロボットのハードの部分も進化しています。
3Dプリンターや、ロボットアームなどは、センサー技術の進化と共に、どんどんミクロな物を扱えるように進化しています。
これによって、空間認識力と肉体の動きを組み合わせた能力が必要とされていた、物理的な課題に対処する能力もどんどんアップしているといえます。


そんな中で、僕が考える今後も人工知能に代替されない仕事は以下のようなものです。


第一に、生み出される価値そのものに人間である事の意味が存在しているものです。消費者としては、対象となる人間そのものが商品であり、それが
コンピュータおよび機械になった場合、多くの人が「価値を感じる気持ち」を抱かなくなるであろう、と推測できます。
アスリート、ミュージシャン、ドラマや映画や舞台の俳優、お笑い芸人、ダンサー、大道芸人、マジシャン、マッサージ師、アイドル、風俗嬢やホスト、
レンタル彼女、カウンセラーなんかもそうですね。


第二に、生み出される価値自体には、人間は直接存在しないけれども、それを人間が「作った」事が商品の大きな付加価値になるものです。
舞台演出家、作家、映画監督、音楽家、何か人を感動させるような思いやストーリーを持った職人、料理人(この場合は、精巧で上質なものを作り出せるだけでは勝負できないと思います。空間認識技術と加工技術の向上で、精巧で正確であるという軸では近いうちに必ず人間は逆転されるはずです。)
このグループは、生み出される価値が「人間の感情の動きへの共感」を含んでいる事において、それを生み出した人自身の心情などに思いを馳せる事が
商品そのものの価値として付与される性質があるために、たとえ人工知能が発達する事によって、人間の感情のパターンがアルゴリズム化されて同じような成果物が作れるようになったとしても、この付加価値の差によって残り続けるであろう仕事だと思います。音楽家、料理人などを含む職人という括りでは、成果物そのものは単純な意味で「味覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」「聴覚」を満足させる意味では人工知能には勝てなくなっていくでしょう。音楽も、人間の生理反応をモニターしてビッグデータ化すれば、人工知能にも「聴覚」を満足させるものが作れるようになるはずですし、料理に至っては正確な調理時間などを調整出来るようになれば、常に高いレベルの味を出せるようになります。この人が作ってくれたから」というストーリーとしての嬉しさを付与価値としてもてなければ、同程度の質を維持できたとしても淘汰されるでしょう。ストーリーとは、その人の思いや、哲学や、歴史における感情への共感です。
「ウマイもの」「上質なもの」ではなくて、そのストーリーを買いにいくといってもいいでしょう。


上記の性質がもはや前提として要求される仕事の他に、
上記の性質が付加価値になる仕事もあります。すぐに思いつく所でいうと、セールスマンや販売士です。
これらの仕事は、様々な能力が結果に影響します。今まででいうと、「より正確で細かい情報を常に把握していて、メリットデメリットをしっかり話してくれる事」が
大事な要素の一つだったと思います。しかし、これはビッグデータを扱える人工知能が得意とする所です。人間では限界のある膨大な他社製品との比較も、
コンピューターにとっては大した負荷ではないでしょう。さらに、嘘をつかれる可能性も非常に低いです。
自らが問題だと感じた課題を解決するためにニーズが生まれますが、問題解決にとって適切なものをニーズとして設定する事は、解決策になるものの分野に
詳しくないとなかなか出来ません。そのため、その分野に明るい人と話をする事によって、その方により適切な解決策を示してもらえるという事があります。
このようにニーズを掘り起こす、再設定する事が出来るのはセールスマンや販売士の能力として強いものの一つだと思います。そのためのコミュニケーションは、
相手の方の理解度などを図った上で言葉を選んだり、難しい内容を相手の方にあった形に加工して説明する技術など、「理知的に課題を解決するため」のものですが、まだ少し人間に優位性がある気がします。ただこれも、徐々に人工知能が出来るようになっていく事でしょう。例えば、その人の学歴やスマートホンの閲覧履歴などのデータから、その人にあった難度の言葉に文章を加工したり、その人にとってひっかかりとなる言葉を文章に上手くちりばめたり、といった能力は、
現在のamazonのあなたへのおすすめ、googleのネット広告などの技術の延長線上にあります。


ではその先に残る人間の優位性は何なのか?というと、
「より満足のいく、信頼におけるベストな提案ができる」事ではなく、
「その人といる時間、その人から買った事実が付加価値になる」事なんじゃないかと思うんです。

法人同士の契約においては、これに流される事は、特に質の軸が「正確さや精工さ」にある分野ではよろしくない事だと
思います。ハイブリッドの言葉でいえば、原理原則や科学的思考よりも、感情に流された判断をしてしまった、という事になると
思いますが、いうなれば、感情に流された判断を起こさせる事が出来る人材が、あえて人間にセールスをさせる上での
必須価値になるのではないでしょうか。何だかあの人は好きだから、一緒にいて気持ちがいいお客さんだから契約を続けている。
営業マンは商品の前に「自分を売れ」という、ある種古臭くも思える価値観が、価値としてより強まるのではないでしょうか?
それも、「より間違いのない良い提案が出来る」事は武器にならない中で、です。


個人が販売士から買う場合、その責任は自分に帰ってくるだけですので、
「その人といる時間、その人から買った事実が付加価値になる」事に流されてしまう可能性はぐっと上がると思います。
これも同じで、意識的、無意識的に最終的な成果物ではなくてその人といる時間やその時の感情、「ストーリー」を買いに行っているといえます。


看護師や介護福祉士や教員をはじめとして、対人的な仕事全般が同じような競争にさらされると思います。
特に看護師や介護士は「いたわり」といった気持ちを暗黙裡に求められやすい職種であるからなおさらですが。
教員は、すでにネットで大学の授業が全て受講できるようになっていたりしますね。理解度を図るためにはスマートホンで日々テストを行って、
自動的にレベルにあった問題が出るようなプログラムの方が、教員が一人一人を見るよりも、はるかに勉強の無駄を省けます。
逆に教員に求められるのは、その人と一緒にいる事によって人間的に成長できるような、直接的なコミュニケーションが出来る事であったり、
「思考力」ではない人間の能力を伸ばしてあげられる事でしょう。

つまり、こうした仕事において今まで一義的に必要だとされていた「理知的な思考、分析」「わかりやすい説明や相手の意図を理解するコミュニケーション力」、「肉体を使った作業」のみが出来る人間は、
人工知能やロボットにとって代わられるのは時間の問題であり、今まではあくまで二義的だった「一緒にいて楽しい、気持ちいい、リラックスできる、嬉しい」
など、ポジティブな感情を、生み出した成果物によってではなく、自分自身の身体表現、コミュニケーションによって人に喚起する事が出来る人間が、
職業人として生き残っていくという事です。
それが必須事項ではなかった職種も、徐々にそうなっていくのではないかと思います。


これが何を意味するのかというと、「社会に需要があるスキル」が全く変わってしまうという事です。
こうして、もともと重宝された能力が陳腐化するというのは、歴史においてずっと続いてきた事ですが、
僕としてはこんな事を思ったりします。
自分自身の身体表現や直接的なコミュニケーションによって人とポジティブな感情を共有する事につまづきを抱えた人間が、
社会で何とか自信を持つための足掛かりとして選べる仕事が、まもなくほとんど、なくなってしまうんじゃないだろうか、と。


最終的な価値に、人間が物理的に存在しないもの。正確さや精工さや効率が質の尺度になるもの。
それを生み出す事において、おそらく今まで多くの心につまづきをかかえた人が、なんとか生み出す自尊心を培い、それを支えに生きてきたと思います。
農家、工場労働、職人、エンジニア職、裏方と呼ばれる仕事、などなど・・・。プロセスや、誰が作ったか、その人の人格、
そんなものよりも、最終的にできたものの価値が重要だったわけです。

しかし、上記のように、僕が考えた限りでは、表現として、あるいはストーリーとしてのプロセスそのもの、誰が作ったか、その人の人格、これこそが
仕事として、今後社会における「人間」の需要になっていくという事はどうしようもない事実に思います。


それが、近い将来の「大自然としての社会」なのではないでしょうか?


そうなると、必要とされる仕事のスキルというのは、
今ある面白さをさらに発展させたものを生み出す技術、人を目の前で楽しませる技術、人にしかしてもらえない事を、この人にしてもらいたいと
思ってもらえるような技術、自分の体で、声で、言葉で、直接人を癒す事が出来る技術、遊びを発想する技術、遊び方を楽しく教えられる技術、こういったものになっていくのではないでしょうか。
二義的にこういったものが求められるとされた職種でも、です。
そして、一にも二にもこうしたものが求められない職種は人工知能と機械にとってかわられるでしょう。
理知的な思考力などが特別に優れている人は、人工知能の上に立つ立場として生き残りますが、
今後必要とされるレベルが上がるばかりですし、ごく一部の人に限られると思われます。


これは、大筋でいうと、自分自身が直接「愛される事」がスキルになるという事が多分に含まれる事になると思われます。
愛せるようになるための自尊心を築くために、社会において価値を生み出す事が必要になるならば、
それに愛される事が足掛かりとして、今まで以上に必要になる。

社会において有能であるという事は、自分から離れた成果物の価値によってではなく、
自分自身という人間が、プライベートで愛される事とほとんど同義になっていく。


つまりプライベートでは欠損をかかえながら、社会人としては自信を持って行動できるようになる、
という段階を経る事ができなくなるという事です。
これはいわば、顔の見える関係の中で生きてきた「村」の時代に回帰するようなものでもあるように思います。


こうなると、ハイブリッド心理学の「社会を生きるスキル」における、属人性を弱めた「開かれた世界」の行動法の前提が
揺らぐのではないでしょうか。もちろん分かり合い認め合う事を求めるという事ではないですが、「この人と」や「この人だから」が
重要なポイントになる事において、だれが、が重要になるという点。
仕事において、直接生み出そうとしている価値を価値言葉で話すだけでなく、
それ以外の話で、そして身体表現で、相手の感情を喚起できる事が必要になる点。
原理原則の判断を超えた、感情のレベルで相手を動かす事が出来る能力が価値として求められる点。

ここにおいては、最初から感情が豊かな人は勝ち組です。
対人的な仕事において、人を自分自身の身体表現やコミュニケーションによって喜ばす事が
出来る可能性が高いです。

さらに、世間的に求められる「立派」や「正しさ」を追い求めてきた人よりも、
自分自身の唯一無二の望み、嗜好をひたすら追い続けてきた人が、仕事にありつけるようになります。
なぜなら、その嗜好に対しての「思い」そのものが、その人の豊かな感情を引き出し、それ自体が価値であり商品であるからです。
本当に好きな人が好きなものを指導してくれる事、語ってくれる事は、その時間自体がそうでない人から伝達される単なる情報よりも
高い価値を持つからです。


これ自体は、ハイブリッド心理学がゴールとする生き方と親和性の高い社会の需要だと思います。
特に後者は。実際に今まで遊びだとされていたものが、どんどん仕事になっている流れがありますね。
もちろん唯一無二の生き方が、そういったものばかりではないですが、今まで「安定」と考えられていた仕事から「不安定」である
リスクを抱える仕事に、とされていた多くの事が、逆転するような事態も想定できると思います。


逆に言うと、「安定」を自尊心の足掛かりとして、そこから自分自身の唯一無二の望みを解放していく、という
プロセスが難しくなるのではないか、と思います。
最初から、その人が本当に望むものに、没頭している人が一番求められるようになるからです。


そして、感情そのものが豊かでない段階から、身体的で直接的なコミュニケーションにおけるプラス感情を喚起する能力が求められる事において、
人によっては容易に「自分を偽る事」につながってしまうような、
「面白さ」や「人を喜ばす」事の技術的な習得が、非常に重要になってくるという事。
感情強制につながりやすい、感情表現そのものが、仕事のスキルとして非常に重要になってくる事。


社会における仕事の需要が変化することで、
ハイブリッド心理学の色々な部分が前提として崩れてしまう感じがしています。


未熟でまだ論点がまとまりきってない部分もありますが・・・
考察をお願いします。


 
Re: 社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / tom 引用
No.1134 2015/11/06(Fri) 09:32:10

突然横レスしてすみません。人工知能は未来の「提案」はできるのでしょうか。


 
Re: 社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / tom 引用
No.1135 2015/11/06(Fri) 09:48:58

>社会における仕事の需要が変化することで、
ハイブリッド心理学の色々な部分が前提として崩れてしまう感じがしています。

うちの上司に聞いてなるほどそうかと思ったのは、生活が(先に)あって、仕事があるのだ、ということです。育児による休暇や休職に文句言わない人でした。
また人間は人工知能に従っても、地球は従わない。


 
Re: 社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / tom 引用
No.1139 2015/11/06(Fri) 11:14:22

すみません、論点がずれてるかと思いますのでスルーしてください。邪魔して申しわけありませんでした。島野さん申しわけありません。


 
Re: tomさん / しまの 引用
No.1140 2015/11/06(Fri) 11:28:59

了解です。もし関係するポイントがあれば手短には書くかもということで^^。
スレ違いの方は削除しておきます^^。


 
「ロボット優位社会」・「匿名性」^^ / しまの 引用
No.1144 2015/11/09(Mon) 09:58:10

では引き続きこのご質問
テーマとしてはにこの2つかなあと読みましたが、

・「ロボット優位社会」とでも言えるものが到来した時、ハイブリッド心理学が言う「社会を生きるスキル」も話が違ってくるのではないか
・ハイブリッド心理学では「匿名性において生み出す」ということを言っているが、社会では「匿名性」ではなく「誰が」という「人物性」が重視されるのではないか

それぞれ手短に^^。


1.「ロボット優位社会は来ない」が島野の思想

まず、技術の進歩に応じて、社会で必要とされるスキル変化があるのはもちろんですね。たとえばかつてそろばん習字だったものが、今はパソコンインターネット、というように。
そうした、技術進歩に乗り遅れないことも重要。これはハイブリッド心理学以前常識になると思います。

僕の考えでは、起きるのは全てその範囲のことだ、というものです。ロボット人工知能いかに進化しようとも。
つまり、その範囲を超えた変化とは、人間ロボット(人工知能)関係が、のように変化する世界訪れることだ、ということになる。

【現在までの世界】
    上司(人間)
      |
 自分(人間)−同僚(人間)
      |
  道具(ロボット)


【新世界】
    上司(ロボット)
      |
 自分(人間)−同僚(ロボット)


こうした構図における「新世界」は、永久に来ない、というのが僕の考えです。
まあ少なくとも今そうだし、来年そうでしょう^^; なら、まず今の人間社会構造において生きていくスキル模索することだ、と。

こうしたテーマでの考え方のキモになるのは、
・「人工知能」が「意識」に目覚め独自の「感情」や「意志」を持つようになるなんてことがあるか
という命題かと思います。まSFの世界ですね。
僕の考えは、「No」です。人工知能「意識」を持つなんてことは未来永劫なく、それはあくまで電気回路の一つでしかない。
一応これについては、心理学コンピュータをどちらも多少専門的学んだ立場として、僕なりの哲学として整理しています。かなり過去原稿ですが、関心あれば以下一読頂ければ。
過去原稿 - 島野の心理構造理論
収録の、
「付 感情の科学論 - (4)意識はどこにあるのか−島野の仮説−」

いずれにせよ、人工知能膨大データ処理いかに進化しようとも、それらは「道具」過ぎないのだ、と。
使いこなせることが重要使いこなせないとは、道具逆に振り回されたり、道具過信妄信するといった姿です。そうならないように、と。
この点ハイブリッド心理学の思想本質は、かなりレガシーだと言えます。人間と社会の本質は、太古の昔から変わらないという、底流思想を持つ心理学です。
思想ですので、かなり違う人間観社会観を持つ別の思想や心理学もあると思います。どれを取るか選択ですね^^。


2.「高い人物性」への方法論としての「匿名性において生み出す」

に、社会では「匿名性」ではなく「誰が」という「人物性」重視されるのではないか、については、
・社会の目は匿名性から人物性へと向かう
とでも言えると思います。

たとえば村上春樹ほどになると、書いたもの小説であろうとエッセーであろうと長編であろうと短編であろうと、中身を見ずとも売れる
それが「人物性」の頂点姿として、最初「匿名性」つまり誰ともつかない者として、まずその行いの中身見るところから始まる

それが「社会の目」だとして、ハイブリッド心理学「匿名性において生み出す」は、そうした社会の中で、いかに自らの人物性を高めていくかの、一つの方法論だと言えます。
自分人物性高めたければ自分の人物性を追うのではなく、自分生み出す価値を追求することだ、と。自分という人物がどう見られるかという邪念超えてそれが逆に、自分の人物性を高めていくのだ、と。
ですのでこれは、「個人の姿勢」です。そこにおけるノウハウです。

個人の姿勢として、この「匿名性」「自己顕示性」「自己アピール性」というものになり、一般の仕事場ではちょっと敬遠されるもの、というになってくる。
ただ最初からタレント業目指すのであれば、「自己アピール性」についてのそれなりのノウハウ出てくると思います。からも多少は何か言えるかも知れない。
課題場面内容いかんですね。


いずれにせよ、ハイブリッド心理学としては、というか僕の執筆活動としては、社会文化論議論にはあまり手を出すものではなく、生活人生具体的場面課題ごとに、僕自身の社会人体験、人生経験見出したノウハウアドバイスするものになります。それを取るかどうかお任せということで^^。
ということで、より詳しく具体的場面課題材料ごとご質問ご相談をして頂ければ、より具体的アドバイスができるかと思います^^。


 
Re: 社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / こたろう 引用
No.1152 2015/11/27(Fri) 12:54:38

ロボットが意志を持つかどうか、という話はしてないです。それも議論のある論点ですが、挙げた例は、別にそうならなくても実現可能性があると言われているものです。おそらくマネジメントやロボットを使う立場の仕事はなくならないですが、産業革命の時と違って、代替された作業の失業者に与えられる新しい仕事は、席としては圧倒的に少ないという予測が主流になってます。

問題設定は人間が基本的にはする事になりますが、その問題を解決するための、パターンから共通項や傾向を抽出する原因究明は人工知能が担う事になると思います。そこから新しい問いを生み出し、またそれをビッグデータを参考に検証し、という所までもが視野に入っているのが怖いな、と感じますが。


匿名性において生み出すのは、人物性を高めるための、、、またよくわからなくなってしまいました。その人に付随する能力は全て匿名性においての能力ととらえるという事でしょうか?僕の場合は、属人的でない、唯一無二性のない能力=匿名性において生み出すもの、と今まではとらえていたようです。

上のスレッドで言ったように、「価値そのものに人間が存在するもの」で生み出される価値は、僕は匿名性において生み出す物ととらえていませんでした。確かに、声楽家も村上春樹さんの例と同じで、最初はその「声そのもの」に惹かれたために、その人に惹きつけられるわけです。モデルさんも同じで、その人の「顔」に惹かれて、「たたずまいの美しさ」に惹かれて、その人に惹きつけられるわけです。好きなカフェの店員の、「距離の取り方のうまさ」「対応の物腰の柔らかさ」に惹かれて、通ったりするわけです。これも全て「匿名性において生み出す価値」と捉えていいでしょうか?


>自分の人物性を高めたければ、自分の人物性を追うのではなく、自分が生み出す価値を追求することだ、と。自分という人物がどう見られるかという邪念を超えて。それが逆に、自分の人物性を高めていくのだ、と。

→例えば上のカフェ店員の「対応の物腰の柔らかさ」も、生み出す価値の追求といえます。
  そのための身体作法、相手をリラックスさせるような声の出し方、そのための体の脱力技術、言葉の選び方、
  これも全て「匿名性において生み出す価値の追求」と位置付けていいでしょうか?
  全て「相手の方の安らぎという感情」をゴールにした価値の生み出しといえます。
  そしてこれは人間がインターフェースでなければいけない価値の生み出しです。

  で、提供される豆の選定、抽出時間、こういったものは、味覚がデータ化されれば人工知能の方が上手く出来る
  分野になります。こっちのほうの追求は当然「匿名性において生み出す価値の追求」として位置づけられるものですよね


 
「社会を生きるスキル」・「価値」と「匿名性」 再^^ / しまの 引用
No.1155 2015/12/10(Thu) 10:06:42

遅くなりました^^。

「社会を生きるスキル」の定義

まず前半ビッグデータうんぬんについては、申し訳ないご質問テーマ何なのか僕の方でちょっと読み取れなかったです^^ゞ

まず一つ確認して頂いておくと良い点は、ハイブリッド心理学「社会を生きるスキル」という言葉言っているもの何かです。
これは、
・実際にその人が生きる社会を相手に、その人が「自分はこの社会を生きることができる」という自信を感じさせるような、さまざまなスキルの総合体
だ、と定義できます。

それは行動学であり、仕事のスキルであり、より広範囲対人的、生活的、人生的な場面の対処スキル総合体です。
自分はそれを獲得した、という自信持てるようになる、またそれが目標になる、人生の段階があるというをしています。僕の経験も踏まえると、まずは30代後半からの段階になる、と。


「スキルの構造」

つまり、「総合的スキル」と、それを構成する「素材スキル」「材料スキル」という、「スキルの構造」がある、というになりますね。
正確には、まずは以下のような3段階構造理解すると良いかと。

          (人生を生きるスキル)
              /  \(「命」につながるスキル)
   社会を生きるスキル
         /|\ ・スキルを舵取るスキル
生活のスキル 対人スキル 仕事のスキル
                     /|\ 
                  個別素材スキル
          (読み書き、身体技能、専門技術、etc)

より大きくは、「社会を生きるスキル」の上にさらに総合的「人生を生きるスキル」生まれる、という4段階があると言えますが、とりあえず今回の話の範囲ではないということでよろしいかと。

で、今回書いて頂いた話題は、個別素材スキルについてのものということになるかと。
これはもちろん、時代の流れに応じて大きく変化する、ということになります。
一方、総合的なスキルほど、その本質時代の流れ超えて不変だ、という考え「社会を生きるスキル」とは、そうして時代によって変化する素材スキルどう自分が持つべきかという、「スキルを舵取るスキル」重要な要素になると言えるでしょう。

ロボット技術などの進化に応じて変化するのは「個別素材スキル」レベルであり、それだけではまだ「社会を生きるスキル」にはなりません。そうした技術スキルどう舵取るか、から「社会を生きるスキル」関係してきます。
技術進歩によって、そうした総合的「社会を生きるスキル」にも大きな変化があるとすればロボット感情持つようになるといった事態起きた時だろうが、それは未来永劫ないだろうというのが僕の考えだというのを述べた次第です。

「個別素材スキル」個々の内容については、「ハイブリッド心理学」としてはあまり踏みこむものではありませんが、僕自身の社会経験を踏まえたアドバイスであれば、多少可能です。
ですので、

>そこから新しい問いを生み出し、またそれをビッグデータを参考に検証し、という所までもが視野に入っているのが怖いな、と感じますが。

これは実際どんな課題場面で、何に困っているというなのか、を絞ってもう少し具体的に書いて頂くと、僕としての意見アドバイスできるかも知れません^^。


「価値」と「匿名性」

>匿名性において生み出すのは、人物性を高めるための、、、またよくわからなくなってしまいました。その人に付随する能力は全て匿名性においての能力ととらえるという事でしょうか?

これもやはり、何の話をしているのかという、テーマ整理しておくのがいいですね。互いが別のものの話をしているのに気づかないまま、かみ合わない議論をしないよう。

「価値」「匿名性」については、今回のような話題範囲としては、3つテーマ事項分けることができます。

1.「価値」そのものの内容種類
「価値」そのものの内容タイプ
「容姿」「声・仕草」「文章」「曲」「デザイン」「レシピ」「製造技術」「社会行為」「品物」「制度」「手続き」エトセトラ、エトセトラ
これら全てが、「価値」あるものです。魅力価値経済価値効率性価値、などなど。

2.「価値」そのものの「人物性」と「匿名性」
上記のような「価値」社会供される時に、それが誰のものか、誰によるものかという情報同時に伴うかどうか。これを「価値の人物性」と呼べるでしょう。
逆に、誰のものか、誰によるものかという情報見えなくなる度合いを、「価値の匿名性」いう言葉呼んでいいと思います。

すると、「価値」内容種類によって、自ずとその傾向が出てきます。
上記内容種類書いたようなに、「価値の人物性」大きいと言えます。「容姿」となると、もうその人そのものですね。あとは名前出るかどうかだけ。
逆に、後ろのものほど「価値の匿名性」大きいと言えるでしょう。誰のものか、誰によるものかというのはあまり表に出なくなる。それでも場合によっては、例えば「アベノミクス」のように、誰が発案したかを冠する、「人物性」の高い「制度」があったりする。まその「価値」どう評価するかはまたによりさまざまとして。

ここまで2つ「価値」そのもの内容性質についてのであるのに対して、3つ目全く違うものになります。
それは内面の姿勢です。

3.「社会を生きる姿勢」としての「匿名性において生み出す」
ハイブリッド心理学「匿名性において生み出す」呼んでいるのは、個人内面の姿勢であり、「価値」そのもの内容性質話ではなく「価値」を生み出すことに生きようとする「社会を生きる姿勢」さらには「生きる姿勢」の、一つのあり方指しています。

前の方takaさん向けアドバイスとして書いた、
『「自己イメージ法」をはるかに超える成長へ^^』 しまの No.1147 2015/11/13
でも触れた、
『理論編下巻』
7章 人生の答え−2  −「魂の望み」への歩み−

「匿名性において生み出す」・「揺らぎない自尊心」への第一歩
での解説ベース理解頂くといいでしょう。
引用しますと、その定義とはまず、
------------
 より純粋な望みへと向かい、「生み出す価値」への目を育てることです。価値を生み出すのが「自分」だということにこだわらずに、生み出す価値そのものを、ただ高めることに意識を注ぎます。
 これを「匿名性において生み出す」と呼んでいます。
------------

とあります。つまり「価値を生み出すのが「自分」だということにこだわらずに、生み出す価値そのものを、ただ高めることに意識を注ぐ姿勢」です。これが「匿名性において生み出す姿勢」定義ということで良いでしょう。

そのきとして、以下のようにあります。重要な言葉太字にしました。
------------
 「匿名」であるとは、誰ともつかないということです。「未熟」から始まるこの道のりの常として、私たちはどうしても「自己顕示欲」の中で、「自分」がどう見られるか、一方で「誰が」どう人に見られているかという、結果イメージばかりに意識が向かいがちです。それがひいては、「こう見られなければ」「こんな風に見られてしまっては」と自分にストレスを加えるという結果を生み出すわけです。
 その視線を、価値を生み出すのが「自分」であろうと「誰」であろうと構わずに、生み出される「価値」そのものに目を向けることです。これが「人物を問わない」魂の感情に実によく馴染みます。
 これがひいては、足手まといの「自己顕示欲」によって動揺する自分を抱えながらも、それに惑わされずに安心して人と接することのできる、しっかりとした方向性を私たちに与えてくれるのです。
------------


ということで、ここで「魂の感情」という新たな視点が出てきています。
これについてはここではあまり話を膨らませずポイントは、「生み出す価値そのものをただ高めることに意識を注ぐ」という姿勢によって、「自己顕示欲による動揺を脱した、安定した対人方向性」向かうという、内面姿勢言っているものだということです。

内面姿勢ですので、そうした姿勢持つかどうかは、人それぞれです。「価値」そのもの人物性匿名性大小関わりなく
容姿声の出し方といった、人物性の高い価値を、ここで言う「匿名性において生み出す」という姿勢追求している人もいれば、「品物」という匿名性の大きめなものを、バリバリの自己顕示欲で追求している人もいるかも知れない。
ハイブリッド心理学の取り組みとは、もちろん、「匿名性において生み出す」という姿勢知り、その選択を自分に問う、というものです。
それが「自らの人物性を高めていくかの一つの方法論」だと言うのは、「自らの人格性」という言葉の方が分かりやすいかも知れませんね。それが「価値の人物性」として人の目出るかどうかさまざまとして。これはよろしいですかな。

ということで後段のご質問についても、まずは以上どう疑問等が残る再整理して、あればまた書いて頂ければ^^。


 
Re: 社会を生きるスキルが大きく変わるのでは? / こたろう 引用
No.1157 2016/01/08(Fri) 17:46:19

前半の人工知能についてのお話、まずはありがとうございます。
納得できました。僕の疑問(というか不安?)としては、コンピュータの能力が人間の能力を現状以上に浸食することで、仕事のスキルの中の個別具体的スキルが、非常に高度な知的能力が必要とされるものと、対人の仕事における豊かな感情表現や、非マニュアル的な対人能力(内面の感情の豊かさが大きなアドバンテージになる。)に二極化する事によって、どちらもそこそこである所をスタートラインにするような仕事が減り、仕事のスキルにおける自信を培う事が出来なくなる人が非常に増えるのではないか、という事でした。
そして自らも、そこに残っていれるのだろうか・・・と。

また仮に、機械の生産能力や人工知能の能力が飛躍的に高まった時に、仕事をしなくていい人が多数派になる時代が来るかもしれませんが、その時に残っている「生み出せる価値」は、やはり自らの肉体を使って人間の感情に直接訴えかけられる事(人物性の高い価値の生み出し)が「生み出す価値」の主たるものになる、と。


「価値そのもの」と「価値を生み出そうとする姿勢」の区別については参考になりました。一応例を考えてみて確認したいのですが、人物性の高い価値を「匿名性において生み出す」というのは、例えばモデルさんや、ダンスなどのパフォーマンスをする人が、
「自分が素晴らしいと思われる」というよりは、純粋に「美しさやパフォーマンスのインパクト、相手に起こす事が出来る感嘆の感情をより膨らませるには?もっとエキサイトして楽しんでもらうためにはどういう風に表現する?」といった視線を持つ、という感じでしょうか。

そこを混同していたので、人物性の高い価値を追求している=自己顕示欲が強い、という構図がなんとなく出来てしまっていました。それが人物性の高い価値について追求する事のブレーキにもなっていたかなと。

ただやはり、人物性の高い価値の中で、自らの身体表現(声、動き、仕草、顔)が実際、価値を受け取る人の五感で感じられる「商品の一部」になる場合、感情の豊かさの土台は
非常に重大な事に思えます。
身体のパフォーマンスは、精神面と非常に関連していますよね。ある程度までは形になっても、どうしても「ふさぎこんだ」感情があると、体に固さが生まれます。
ダンスなどではその差は如実にわかります。ふさぎこんだ感情が、物理構造的に体を縮こまらせてしまいます。解放された身体から生み出されるパフォーマンスは、ただ歩いている姿を見ているだけでもうっとりしてしまいますし、見ているだけで自らの体も緩んでいきます。

有名な整体師の片山洋二郎さんという方が、書籍で、
人間の体は無意識レベルで共鳴しているという事を書かれてました。
直接触れる事がなくても、対面している状態で起こっているという事です。
怪しげなスピリチュアルの書籍であれば信頼できませんが、
長年の他者の肉体観察から導き出された答えだという事で、
なるほどなぁ、確かにそういう部分もあるだろうなぁ、と。


また、直接触れる場合は、さらにそれが顕著になります。
これは自分自身が受けたロルフィングというボディワークで起こって観察した事です。
非常に高いレベルで緩んだ体の方に触れられると、揉んだりしなくても、触れられた部分の筋肉が同期するように緩んでいくんです。施術者の技術というよりは、施術者の身体水準(脱力)が高度であればあるほど、施術効果が高まるという事です。
逆に、緊張した体を持った人に触れられると、それに対して反射的に筋肉に力が入り、
いくらマッサージされても一向に筋肉が緩まない、それどころか受ける前よりも疲れる、という事が往々にしてあるようです。


僕自身が、できることなら仕事としても追求したいなぁと思うのは、こういった「人物性の高い価値」・・・
人物性というよりは、「肉体」を伴う価値の生み出しといった方が適切かもしれないですが、そこでは「柔軟で脱力した肉体」がパフォーマンスを発揮する上での礎であるというのが現在持っている感想です。

そしてあるレベルまでは、物理構造的に適切な体の使い方を工夫したり、
脱力を体に覚えこませるようなワーク、あるいは施術を定期的に受けるなどで
身体の水準を高めていくことが可能なのですが、あるレベルを超えようとすると
やはり「精神的な緊張」が体の脱力、パフォーマンスを向上を阻みます。対人場面での自己操縦心性による圧迫、反射的に嘘の自分を演じるスイッチが入る事で、体が不自然な形に固まってしまう事。


そこに突き当たる事がわかっているので、やっぱり自分には望めないんだ・・・
という絶望感があります。ただ、これが本当に追求したい望みであるならば、
実現する上でのネックが自己操縦心性である事がはっきり見えて、そこで「崩壊」が
起きるのかもわかりませんが。


しかし、先んじて「外面的スキル」を向上させる事が必要という事なので、
やはり難しいのかな・・・と感じてしまいます。


なので、「人物性の低い価値」、「身体の緊張度などがあまりパフォーマンスに影響しない仕事」を選び、そこにおいて「仕事のスキル」の自信を身につける事によって、精神の緊張度由来の肉体の緊張を軽減させて、それからやれるなら、そっちのもっと純粋な望みとして感じられる分野を・・・という風に自分を納得させようとしています。


まとめますと、このように、

「人物性の高い価値」は、「匿名性において追求」する事はできますし望ましいですが、
需要があるのはやはり「あるレベルの精神の健康、開放度があるからこその、脱力した肉体」を身につけられた人物。
「人物性の高い価値」を「匿名性において追求」する場合は、ある時点から物理的に肉体の脱力を維持する技術だけではなく、精神面が必須になってしまう。
であればやはり、精神的不具を抱えた人物が、人物性の高い価値を仕事として
追求するのは困難である事が多いのではないか。

という質問になります。


 
「障害」による「困難」の克服探求が人生^^ / しまの 引用
No.1158 2016/01/15(Fri) 10:16:05

>精神的不具を抱えた人物が、人物性の高い価値を仕事として追求するのは困難である事が多いのではないか。という質問になります。

それはもちろん、「障害」があればそこに「困難」発生する、と言えますね。「困難」生み出すもの「障害」言うという、言葉の定義そのものでもあるでしょう。
それは人物性の高い価値仕事としようとする場合限らずにです。人物性の低い価値仕事としようとする場合でも、たとえば高度な身体障害があれば、それに見合った困難生まれる、ということになると思います。
ですのでこれは「障害」具体的かつで客観的かつ詳細な内容ごとに、検討しなければならないものになると思います。

一方、「精神的不具」というのは多少偏った自己否定イメージになると思います。『悲しみの彼方への旅』でもそうしたものとしてその言葉が出てきたります(P.332)
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私に残り続けた問題とは、自分には、自分を人と結びつけるための感情や意欲や性格が根本的に欠損している、自分は人と親密になったり愛情を交わしたりすることのできない、精神的不具者なのだという感情でした。
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ということで、「精神的不具」という漠然とした否定イメージではなく、具体的かつで客観的かつ詳細な内容ごとに、検討していきましょー、というのがまずは意見
そしてそうするならば、「障害」を克服するものとしてこそ、「知恵」と「ノウハウ」と「技術」があり、その探求こそが人生になる、というのがハイブリッド心理学からの意見です。
それは克服できるものなのか。克服不可能で終わるものなのか。それは自分にとって大きな喪失か。それとも結局大したものでもない話だったと、人生が大きく転換するか。

これはもう人それぞれ内容ぞれぞれのケースバイケースですね。たとえば人前で喋ることに緊張とどもりの傾向を抱えて社会に出ようとしたが、それを克服したい一念取り組み、やがてTVの人気司会者になってしまうケースもあるかも知れない。あるいはそうした弱点短所を抱えたまま、人と接する仕事よりも手先の技術を生かした仕事を選んで第一人者になったもいるかも知れない。
ちなみに僕の上記の言葉について言えば、結局、一人でマイペースな生活をするのがこの上なく好きな性分であり、浅く広く人と親しく接することができるような「能力」は、もうどうでもいいというお気楽能天気ほぼ完結した今日この頃です・・とこれはどーでもいい話^^;

重要なのは、結果ではなく、いかに可能性と全力を尽くしたか、になります。可能性と全力を尽くすごとに、「命」が答えを出す、ということで。
まあとにかく、お若い状況と思いますので、視野を広く持った上で、具体的かつで客観的かつ詳細なレベルで、自分の得手不得手、克服への知恵ノウハウ技術、そして望む仕事、などの分析検討をするのがお勧めになりますね。

あとはまあ、何か「人物価値」「持つ人」「持たない人」あまり単純に分けない目培うのがお勧めになりますね。でも何らかの障害ハンディを持つのがスタートです。また「持つ人」見えるのは、あくまでそうした断面があり、見る人主観からそう見えるに過ぎません。「脱力できる人」なんてのも、別の人から見れば単なる不注意人間見えるかも知れない^^;

まとにかく、視野を広く持ち、自身の問題については具体的かつで客観的かつ詳細な内容ごとに、細かく検討していくのがお勧めです^^。



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