しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / 引用
No.1003 2014/12/02(Tue) 01:33:02

 こんにちは。

 物理的変化として、混沌としていた自室があらかた片付きました。
 参考にしたのは、TVにも結構出演されていた近藤真理恵さんの著書などですが、よく言われている「物を大切にする」という言葉の意味合いを考え直すのにもずいぶん役に立ちました。少なくとも、自分の役には立たないような物を嫌々ながら収納に押し込んで持ち続けてる状態は、決して物を大切にはしていないのではないか、と。自分に必要な物や持ってて嬉しくなるような物など、残す物を厳選してそれを大切にするほうがよほど精神衛生上良くなることに気づきました。
 他には、余所のサイトで勧められていた精神世界系の著書を読んでみました。感情と行動の分離を理解する手助けになるとともに、先生の説明の中で「他の取り組みも本質は同じ」ということを仰られてましたが、それを実感するような記述もありました。その著書の内容に沿って考えると、私の場合は、思考や感情を自分そのものだと思い込んでそれを前提にあれこれ考えていたことも感情と行動の分離が捗らない理由の一つに挙げられるように思えました。

 最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。それに沿っていくと、何かの行動を起こす場合に他の人との関わりを増やす必要がある、という感覚はだいぶなくなってきており、その方が自分にとってしっくりきている実感があります。これまでの行動も考えてみれば一人での行動が起点になっていましたし、今は一人で楽しめるものを増やす、あるいは一人で行動できる範囲を広める時期なのかもしれない。と感じてます。たまに一人で遊びに行ったとき「この面白さを共有できる人がいれば尚良いかもしれない」と思うことはありますが、同じことに興味関心を持ってる人が周囲にいるならともかく、残念ながら今はそういう人が居なくなってるので、それなら無理をする必要もないか、という感じでいます。勿論、自分も周囲も興味関心が移り変わる可能性はあるので、その時はその時でまた考えるとして。

 大きな流れで考えている間に、大学以降自分の人生の進み方に芯が無くなったのを自覚しました。その原因を考えてみると、ここ数年は人間関係に懲りまくっているものの、在学中や社会に出て間もない頃は人との関わりを増やすことを考えすぎており、特に在学中は、人の輪に入る度に上手くやっていけないことを大学の勉強も将来の進路もそっちのけで悩み続けていた、というのを最近思い出しました。親類や学外の知人などから「勉強だけではダメだ」と言われたのをバカ正直に受け止めすぎたのもあり、だんだん勉強は悪いものなのだという感覚を持つようになっていったことも記憶しています。道徳思考の中でお金は汚いものだと言ってる人が巷には少なくないため、この辺は「学歴」や「勉強」を「お金」に置き換えると非常に考えが纏まりやすかったのですが、そういう周囲の道徳思考に流されて自分の進路について自分の頭で考えることを怖がっているところもあったかもしれません。「このまま勉強で進路を決めていったら周囲が敵だらけになる!」と思いつめていました。大学受験の直前に叔父や叔母から呼び出されて「受験したくないならしなくていいんよ?」と言われたり、在学中には「普通に生きなさい」と言われたりしたのをよく覚えているのも、そういう話の象徴だったように思えます。冷静に考えれて学内に目を向ければ、公務員だの国家資格だのを目指そうと真剣に目標を立てている人もかなり多かったし、敵しかいなくなるとは限らなかったにもかかわらず。
 そういうものを思い出しているうちに、自分には無いと思い込んでいた学歴に関するプライドは、ただ抑圧されていただけだということに気付きました。最初にご相談させて頂いた内容の通り、特に仕事中は気が短いことが多いですが、抑圧されていたプライドによって「何故この俺がこんなことで糊口を凌がなきゃならないんだ!?」という感覚も水面下に存在したことに気付きました。これに対する答えは上記のように既にハッキリ出ており、強烈に凹んだ感情を流すことになりました。その後、「確かに在学中は他人に流されすぎて、大学に行ったことが無駄になってしまった。ならば、もし自分が真剣に勉強したらどれだけのことができたんだろうか?」という疑問が湧いてきて、「それならば今試してみようか」という結論に至りました。
 参考書を調べてみると評判の良さそうなものがあったので、ためしに1冊買って読んでみると、意外にスラスラ読み進めることができました。あるいは、断片的な記憶はあったので、たまに懐かしさを感じたりしました。少し前までそういう行為や願望こそが偽物だと決めてかかってたのが嘘のようです。資格試験を目指すかどうかはさて置き、学生の頃に全然身につかなかったものを取り戻したい、少なくとも母校を出たのに見合う程度のことは吸収したいと感じています。まさに、十ウン年前の忘れ物を取りに行くような感じだな、と。

 とりあえず、勉強への推進力が付きそうなものが見つかったのは大きな前進のように思えます。反面、当分の間は仕事中に流す感情が増えそうですが。
 最近までの進み具合として、ご報告させていただきます。


 
Re: 学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / しまの 引用
No.1006 2014/12/06(Sat) 16:48:28

具体的問題での前進があるようで、なによりです^^。

具体的問題での前進積み重ねの中で、心の基盤強くなり、それによって、「価値観」「人生の前進」といった大きく長いテーマについての考え方にも変化が起きてくる、ということになるかと。
そうした前進向き合い生涯続く、という見通しでまずは向かうとよろしいかと^^。

>最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。

これはどんな問題があって「何かを変えないと」と感じたのかをより明瞭化することで、ハイブリッド心理学からのアプローチも出てくるかも知れませんね^^。

長いテーマへの取り組みについては、進み具合について僕からコメントなどおよばないものになると思いますが、問題の状況に応じた歩みの道のり中長期的な視野などについては多少アドバイスできることもあるかと思いますので、質問などあればまた何でもお寄せ頂ければ^^。



生活 / コト 引用
No.997 2014/11/03(Mon) 12:00:14

 長年その職業を全うされ、定年を迎えた方が、その後何をするかは自由である時間を、特にやることがない、という方もいます。
 長年働き、その仕事で身につき、学んだことなどたくさんあり、尊敬いたします。
そして、自分と違う分野の職業を長年されていた方と話をした時、その方が何もすることがないというのは、もったいないなと感じました。そして、そのような方の話を聞きたいと思いますし、本を出版していれば読むこともできます。ただ、どの職業でも、たくさんの定年者がありますから、特別なことではないかもしれません。

 それから、働くということは、大変なこともあり、どのような仕事が良いのかと、立ち止まってしまうこともあります。

 また、自分の生活の中で、何をしていきたいのかは良い視点かと感じます。

 

 


 
「仕事」への向かい方の3段階^^ / しまの 引用
No.998 2014/11/06(Thu) 14:01:19

「仕事」への向かい方は、人生を通して以下3段階になる、というのが僕からの意見およびアドバイスになります^^。

第1段階「収入のため」 ・・・ 欲しい収入、必要な収入を得るために、とにかくできることから始める。僕の場合学生時代アルバイトからこれがスタート

第2段階「自己の能力探究」 ・・・ 自分この社会どこまで行けるかの、能力発揮の追及へと邁進する。僕の場合社会人時代がこれに該当しますね。行きたい会社その中での自分のポジションどう高められるかへと向かう。

第3段階「本当のやりがい」 ・・・ 文字通り、本当のやりがい向かうこととして仕事向かう僕の場合はこの執筆活動です^^。

細かい説明省き僕の場合の例説明としましたが、およそそうした大きな3段階があるというのは何となく分かるのではないかと思います。
そこで重要なのは、この3つの段階というのを順に積むことで、最後の第3段階「本当のやりがい」としての仕事の向かい方見えてくるだろう、ということですね。「本当のやりがい」という仕事の向かい方望ましいものであるのは誰にとってもそうだと思いますが、上記第1段階第2段階すっとばして、最初からそれを望んでも、「本当のやりがい」として仕事にしたいものの内容そのものが、見えてこないと思います。

人生を通して、上記の3段階があるという長期的見通しを持った上で、10年、20年かけて「本当のやりがい」にできる仕事を見つけていく、という向かい方良いと思います^^。

書くというのは、「本当のやりがい」として見出したもの他に例がなく、人に伝えることに意味があると感じた場合になると思います。「本当のやりがい」の段階にまで行ければを書くかどうかあまり大きな違いではなくなると思います。

ごく手短に、そんな意見およびアドバイスになりますということで^^。

参考:
『進路相談』 masaさん No.871 2014/05/01
トピックでのコメン
『「選択肢の正しい立て方」・「仕事」への入り方』 しまの No.877 2014/05/05


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.999 2014/11/06(Thu) 20:02:04

回答ありがとうございます。

 群馬の山の写真、紅葉きれいですね。雪で、寒さも感じました。

 「本当のやりがい」について、考えさせられました。

 定年後の方であれば、自分のやりたいことに専念するということかと感じました。

 「本当のやりがい」は、仕事だけに見いだすのではなく、仕事は生活のためとして、それ以外の自分の時間でやりがいに取り組まれている方も多いかと感じました。

 「本を書くというのは、人に伝えることに意味があると感じた場合」とのこと。

 また、自分の考えをまとめたり、深めたりする場合は、文章に書いてみることや、文献の参考を加えたりして、論文を書くこともあるかと思いました。

 働いていると、会社としての忙しさがあります。やりがいはありますが、あれもこれもと業務が増えていき、燃え尽き症候群ではないですが、この業務量で良いのだろうかと疑問に思えることもあります。ただ、忙しさは会社全体に言えることで、業務をこなすことで少しずつでも仕事がはかどり、自分の成長ともなると言えます。しかし、その流れに乗れないのであれば、悲観的になることもあるし、責任の軽い職に転職するなどがあるかと感じます。
 
 また、生活の為に仕事を変えられない方もいると思われます。それから、その仕事を全うすることを選ぶ方も多く、定年して仕事を時間していた時間が自由時間となり、何もやることが無いという方も、いらっさるのかということかと思われます。

 今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。
 この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。
 
 しまのさんは、考え執筆されることは、やりがいとのこと分かります。
 私は、毎日の目にしたことや、考えたことや感想は、いきがいの要素と言えます。

 例えば、今日は、なぜあの方は悪口を言いふらし、根回しをしているのだろう行動を目にした時、「あの方は、被害者だと思われたいことや、不安であるからなのだろう」など、感じました。そして、人の生き方を考えさせられたり、自分の生き方は〜すると答えにつながります。

 社会からいろいろなことを求められており、会社自体が忙しくなっていると感じます。

 忙しさに流されず、また業務をこなすことを基本に考えながら、悲観的から抜け出して、進んで生きたいと考えています。その中で、生きがいについても考えて行きたいです。

 再度、ご意見お願いいたします。
 
 

  


 
Re: 仕事 / しまの 引用
No.1000 2014/11/12(Wed) 14:47:38

次の3つのパターン人それぞれということになりますね^^。
 A)「本当のやりがい」として仕事に向かう
 B)仕事以外でやりがいのあることを持つ
 C)定年になり、やりたいことが見つからない

一番幸せなのはまあまあ避けたい、という感じかなと^^。

になるのは、上記コメントしたような3段階を経て、というのが僕の考えになりますという話。仕事については第1段階「収入」もしくは第2段階「能力探究」までの向かい方にとどまり第3段階「本当のやりがい」として向かうまでにはならなかったケースだというになりますね。
いずれにせよ、にならないよう、定年以前から自分のやりたいことを模索する姿勢重要だ、というになると思います。


>今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。

この辺一過性で収まらず問題を感じるようであれば、具体的対処検討するのがいい話にもなり得ますね。知恵とノウハウというものが、かなり具体的問題内容ごとに出てきます。
何かヒントなど欲しいものが出たおりは、新規トピックなどで何でもご質問入れて頂ければ^^。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1001 2014/11/12(Wed) 20:35:37

 「自分のやりたいことを模索する姿勢」と、考えさせられます。

 比較的のんびりしている職業もあると思われますが、社会で求められている情報量や貢献度などから、毎日必死に仕事をこなしている職場の多いと感じます。多忙の職場は、どんどんやることが流れ作業的というか、舞い込む気がいたしております。

 より良い向上、社会の仕事を考えることは、やりがいにもなることです。

 自分のやりたいことを模索するとは、業務の向上もありえると言えます。

 外的な出世や優雅な生活としてではなく、いろんな対人の中で、働くのであるから、対人場面からの自分自身の心身の向上に取り組むことが、自分のやりたいこととも言えます。
 しかし、これは誰もが毎日対人場面があるのだから、当たり前の喜怒哀楽であるからとなりますか。また、やりたいことの模索に対してのレベルは高くはないとなりますか。

 自分の内面から、向上させる取り組みが、生きること。そして、やりたいことそのものと感じます。


 
Re: 生活 / コト 引用
No.1002 2014/11/13(Thu) 20:24:51

 本日感じたこと。

 人は、毎日何かしら、いろんな場面があり学んでいると感じます。しかし、人はそんなには変わらない部分があり、毎日同じ会話場面を見ます。

 そして、自分は相手に流されずこういう自分でいようと考えたことを、日々しているとも考えます。そのことを、日々確信していきます。

 ですので、自分自身の向上とは、ありのままの自分であるとも考えると、やりたいことというのは、自分そのもの姿であると感じました。

  相手との違いを、当たり前に見れることでもあると言えます。 
  ありのままの自分でいて、相手からの不快にも、気にせずにいられること。

  このような中で、やりたいこととは、自分の心身の向上と考えると、仕事からのやり がいというのは、職場を通して自分の心身の向上の実践ということなのか。

  まだ、答えが出ません。



(No Subject) / こたろう 引用
No.989 2014/10/13(Mon) 10:38:51

新規トピックで失礼します。

もちろん、打ち負かすことに自尊心を持ち、
わかり合う事に愛を求めれば、その姿勢で関わる人にとって迷惑になるのは目に見えています。


しかし、人生の姿勢にかかわりなく、
この場所には自分よりももっと生来的に愛情を
持てた人間がいるほうが良いとか、
このチームにはもっと実力がある人が
入ったほうが良いとか、こういう迷惑に
なってしまうという感覚は起こってくると
思います。


例えば、明らかに自立した愛を持てずに、
依存的な愛になってしまう人が、
自分でそれをわかっていて、
なのに誰かと結婚をしようという
発想になる事自体が、どうなってるんだ?
と感じます。


相手のただ一回の人生の一部分に、
愛情を持てない人間と結婚する時期を作って
しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?
と思います。


成長する存在として自己を見るならば、
少なくとも外面的には共有部分を楽しむという
姿勢で結婚生活を送るなら良い、
という事になると思いますが、
それでもなお、健康な愛情を感情レベルで
持った人と結婚した方が絶対に幸せだし、
仮に子供が産まれても、心理障害を持つ事は
考えづらい、という事は事実でしょう。
それなのになぜ自分を相手に
勧められるのか?


交際ならば、20代を過ぎれば、
結婚を前提にしている人も多いのに、
心に欠陥を抱えた人間と付き合って大事なチャンスを得られる時間を浪費させてしまう、という発想はないのかな、とか。



この「もっといい人がいる」という
発想は、歪んでいるとは思うのですが、
事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。


しかし実際は、(特に心が健康な人は)
自分が相手に一番ふさわしいとか、自分よりも
良い仕事ができる人がいるというのは
事実だとしても、恋愛はするし、スポーツのチームであれば
最大限自分に出来ることはするし、
仕事もしますよね。



合理思考がすっきり整理できればと
思いますが、どういった言葉になりますでしょうか。


それと地続きに、
望みについても疑問があります。


内面では望みを解放する、という
事ですが、
上記のような発想になってしまうため、
望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。
というのは、自分の性格を考慮した、望みの
ビジョンは、現実感がないわけです。

そこで、現状の性格の障害をクリアした理想自己像が描かれて、
その自分が例えば女性を幸せにしていたり、
仲間と笑っていたり、子供をあやしていたり、というビジョンになります。
これだと、その望みのビジョンに矛盾が感じられなくなり、描きやすくなります。


つまり、自分がなにをしたい、誰とどうなりたい、というのではなく、
こういう風な自分が、こういう風な雰囲気でこんな言葉を発して、その自分に誰かがこんな感情をもったりする、とか、
こんな自分が、このスポーツをしていて、
その自分に誰かがこんな感情を抱く、という望みになります。


「受け身の愛」という望みを解放するとして、
今のダメダメな、臆病で人に気を遣えない
自分が、それでも特別だから一方的に愛される、といった望みもある事は自覚しました。
一方、その望みを描いた後で、これは現実にはありえない事だ、という認識が出て、
女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる、
といったイメージを描き直す、という
感じです。


 
Re: / こたろう 引用
No.990 2014/10/13(Mon) 11:32:53

女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる

→という自分が、女性に好かれる


に訂正です。


お聞きしたいのは、
望みの描き方は後者でいいのか、
という事です。


後者は「嘘をついた自分」になる
のでしょうか。

嘘をついた自分というのは
愛されるためにこうでなければならない
というあるべき姿を当てはめる事だと
理解していますが、
愛されるためにというよりは、
そういう自分でいる事が気持ち良い、
そういう自分が愛される事が気持ち良い、
というイメージなんです。


またこの全てが、
愛され自尊心、または受け身の愛の
ベクトルにあるのはわかるのですが、
まずは内面ではその望みを解放するという
事ですよね?


内面の健康な成長として、またそれに向かう外面行動としては生み出す自尊心に向かう。

生み出す自尊心は、それによって愛される事を
結局望むことになるのではないか?
といったテーマの記事が、過去原稿にあったと
思うのですが、場所を見失ってしまいまして、
もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。


 
「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く^^ / しまの 引用
No.991 2014/10/17(Fri) 11:57:44

「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

これは学びのテーマとしては、まずは「望みへの向かい方」であり、

・「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

という指針言えるというになりますね。
これは特に若い年齢において、長い人生の歩み視野として重要な指針になります。

>女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる →という自分が、女性に好かれる に訂正です。お聞きしたいのは、望みの描き方は後者でいいのか、という事です。

まず「内面感情はただ流し理解する」という内面側指針として、「ありのままに流す」としてはそれで良いと思います。
一方ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」指針としては、外面側行動法があり、それを学び実践しながら、「望み」への向き合いも生涯続ける、というものになります。
まあただ「望み」を解放すればいいという話ではなく、と。

この辺は、最新『概説』では、
4.心の成長変化  (2)「心の業の捨て去り」と「魂の望みの感情」による心の成長の本格的前進
・「感情と行動の分離」の両輪による「魂の望み」への前進
で、
========
まずは外面の軸主輪として、まずは今望むもの向かうための、建設的行動法行動学学び実践するのです。それがまずは、私たちが望むものに近づくための能力向上させると同時に、「望み」内容惑いと邪心に満ちたものから、より洗練されたものへと「鍛え上げて」もくれるでしょう。
========

などと述べている通り。

また『実践詳説』では、
9章 「成長の望み」と「真実の望み」の導き
「否定価値の放棄」の扉はどう見えるのか (P.154)

で、
========
順番としては、まず「成熟」の変化へと向かい得る心の基盤を先に用意してから、「望み」を次第に「開放」していくという流れになります。
これをに考えないことが極めて重要です。とにかく望みを開放できればいいという話とは、大違いです。例えれば、ぬか床に用意してから、野菜を入れるということです。これをとにかく野菜を容器に入れてから、ぬか床を作ろうと必要なものを探し始めようとしていたのでは、野菜腐ってしまいます。そうした心の基盤をまず築かないと、「望み」腐ってしまうのです。人生腐ってしまうのです。
========

とか喩えて書いた通り。


「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

そして「異性に愛される」という「望み」について言えば、

・「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

という大きな人生の歩みへの視野を持つ、というのがハイブリッド心理学からの指針です。
それなしに、ただ「望みを解放しよう」としたところで、

>内面では望みを解放する、という 事ですが、上記のような発想になってしまうため、望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。というのは、自分の性格を考慮した、望みの ビジョンは、現実感がないわけです。

「愛」という「望み」へのビジュンを明確にしたければ、まずいったん「愛」ばかりに見入るのをやめ、人生の全体に目を向けることです。
学生であれば、やはり就職中核にした生活設計など。そのあかつきに、多少婚活などもやってみて、自分がどんな異性への向かい方ができるのか模索する、ということになるかなと。
それをしないまま、今あれこれ考えても、ちょっとぞんざいな表現ですが、ちょっと無駄^^; と。またそうした人生行路という大上段アプローチなんて面倒なことではなく、異性に好かれる言葉や仕草なりナンパ術(^^;)なりのアプローチ法というのも世に存在し得ると思いますが、それはハイブリッド心理学取扱いメニュー外になりますのでご了承あれ^^。
ハイブリッド心理学はあくまで、「命の生涯」という視野の下における、心の成長の歩みとして、あらゆるテーマを扱います。


「望み」のための「行動法」の各種学び

とうことで、色々書いて頂いたご質問へのアドバイスは、まずは上述のような大きな視野ありきの話になりますね。
「望み」を内面においてありのままに解放するのはいいとして、まず「望み」に向かうための「行動法」の「学び」積み重ね、それを携えて再び「望み」に向き合う。これを人生で続けることです。いますぐ答えは出ないのを受け入れて。
ここで言う「行動法」とは、もちろん単に表面の行動法だけではなく、それを支える価値観人生観や、社会行動の良識的、常識的なルール理解などの学びといった全てを含みます。

とりあえずご質問へのアドバイス手短に書いてみますと、

>相手のただ一回の人生の一部分に、愛情を持てない人間と結婚する時期を作って しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?と思います。
>この「もっといい人がいる」という 発想は、歪んでいるとは思うのですが、事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。

まずはそれぞれの人が自身の人生をしっかりと考え、それぞれに合った相手を自ら選べばいいことですね。外野の他人がとやかく口を挟む問題ではない。
スポーツのチームにしても、どんな人が参加してい良いかは、そのチームの人が考え判断する問題です。プロを目指しているチーム趣味の集いでは全然違ってくる。一律な基準などない。

>後者は「嘘をついた自分」になる のでしょうか。

「嘘をついた自分」なるかどうかは、自分で向き合って判断するしかないです。
まあ一般的に、「こんなキャラを演じる」という姿勢は、「嘘をついた自分」になる危険がかなり高く、一方上述のような人生設計アプローチには、「嘘をついた自分」になる要素はあまりないですね。問題描いた人生設計がそううまく行く幸運は少なく困苦を受け入れ、人生設計を模索し続けることが重要になりますね。

>生み出す自尊心は、それによって愛される事を 結局望むことになるのではないか?といったテーマの記事が、過去原稿にあったと 思うのですが、場所を見失ってしまいまして、もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。

まず理解手短に言うと、
「愛」という望みが我々にある限り、それは「愛されること」への望みでもあります。愛されることを望むことにならない、「愛」への望みなどない。そして人間「望み」本流は、「愛」です。
これがハイブリッド心理学人間理解です。

次に、愛されることへの望み支えるものとして、自分としては自分をどう尊敬できるかという「自尊心」持ち方に、いくつかの分かれ道が出ててくる。
「打ち負かし自尊心」は、愛される望みバッティングし、相手を打ち負かし自尊心を得ても、その相手からは愛されなくなる
「愛され自尊心」は、愛されないと自分に自信が持てなくなる。結果愛されたい望み「不安」つきまとい、やがて自分に自信を失い、愛されたい相手に向かえなくなる。
「生み出し自尊心」は、まず自分は自分で支える。それによって、「不安」超えて「愛されたい望み」に向かうことが可能になり、やがて「望み」に向かう成熟によって、「愛されたい望み」そのものが、「自ら愛する望み」へと変化していく、という流れになります。

これは単独の記事で扱っているような話ではなく、ハイブリッド心理学全ての本がこの人間心理理解に書かれていると言えるものになりますが、とりあえず
ブログ記事書籍No.2 愛と能力の成長課題
収録
『「愛」と「能力」の人生課題』シリーズ
など読んで頂くと、「能力」という現実課題「愛されたい望み」の2つに、実際どう向かうのが良いか考え方など書いていますので参考になるかと思います。

あとは
1)目の前の問題については「読んで解決」ではなく「今取るべき外面行動の答えを出す」ことで対処。
2)心の懐を肥やす作業として、定常的に読書

という二頭立て実践で、理解を深めていって頂ければと思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.992 2014/10/26(Sun) 23:24:47

ありがとうございます。

つまり、最初は望みの感情を明確化するより、
全般的な関係で、うまく行動する事の技術を
磨くという方針なんですね。


その後の価値観については、
「自分がいいと思う相手を選べばいいだけで、周りがどうこういう問題ではない」という事ですが、
もう少し具体的に合理思考をいただけないでしょうか?


周りがどうこうというより、
本人の意識としてはどうなるのかなと
いうことです。

前記事に述べたような事が事実だと
感じられるとして、それでも自分がそうしたいから、
それで良い、という事ですか?

恋愛関係において、チーム活動において、
仕事において、自分よりも絶対にふさわしい
相手がいる。でも、自分はその女性が好きだし、
そのチームでそのスポーツをやりたい、その仕事をしたい。という状況です。

例えば、自分ではなくもっと心の健康な人が
チームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。

そういう、「有り得た良き現実」を
心を病んだぎこちない人間である自分が、
壊してしまう恐怖感。

所属の条件というのは最低条件という
イメージですね。自分がその条件は満たしていても、
もっと良い人が、もっと愉快な人が、という
事が発想として出てきてしまうんです。


健康な思考だとどうなるのでしょうか。

足を引っ張らないように努力するのみ、
という風に努力する人もいれば、
そんな事かんけーないね、俺がやりたかったんだから。
という風に見える人もいますが。


そもそも人に不快感を与える事に、ついて、
相手に報復を受けないように、という目的に応じて
ハーバード交渉術のような行動法があって、
不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。
という発想自体がないのでしょうか?
善悪観念に根差しているから?
相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?


相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?


 
Re: / こたろう 引用
No.993 2014/10/26(Sun) 23:49:42

前回スレッドの内容とかなり重複してしまっていましたので、
もう少し細かい質問になるように補足します。
最後の部分を引用させていただきます。

>自己の幸福をどんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」は「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」、「自尊心」は「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時、こんな人間は消えた方がといった観念はなくなる、という流れになります^^。



「喜びと楽しみの共有」を目的にするとしても、取り組みがすすんで感情が良好になるまでは、
自然な愛情を持っている人間の方が
より相手にとって、楽しい、あるいはくつろいだひとときになります。
つまり、より良い喜びと楽しみの共有があるはず、自分は挙動不審でも
共有できる楽しみがあるから参加していても、相手にとってはそんな人と一緒に
いる時間は楽しみではない可能性が高い。


「現実において生み出すこと」を目的とするとして、
感情があまり関与しない生み出すもの(仕事でいえば、裏方でコツコツやるようなものや、事務作業など)であれば、一定の能力を得られるまでは自分よりもふさわしい人間が確実にいるという発想になりますし、
感情が関与するもの(販売接客業、なにかボランティアなどでの活動など)であれば、
生来的に他人への愛情を持てた人間の方が確実にふさわしいという発想になります。



つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば
健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には
なってしまう気がするのです。


しかし、これでは全然、現実に向かえません。


 
「健康形」「成長形」を基準にした行動法検討^^ / しまの 引用
No.995 2014/11/02(Sun) 10:43:05

>例えば、自分ではなくもっと心の健康な人がチームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。
>健康な思考だとどうなるのでしょうか。

「あまり重要なことではなく、あまり気にしない」になると思います。「休憩時間」「飲み会」であれば。
実働時間、業務時間において円滑なコミュニケーションを持てることは重要になりますね。

ただしそれは「愉快」というのとはちょっと違うと思います。趣味の集いだけではなく本格的技術向上などを求めるスポーツなど団体行動も含め、「仕事」というものであれば、「愉快」を求めるものではなく、「達成感」「成果」を求めると思います。それは基本的に厳しいものであり、愉快になれるというより、困苦の克服を共にするというものが団結への方向性になると思います。
それが「健康形」であり「成長形」になりますね。

>そもそも人に不快感を与える事に、ついて、相手に報復を受けないように、という目的に応じて ハーバード交渉術のような行動法があって、不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。という発想自体がないのでしょうか?善悪観念に根差しているから?相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?
>相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?

相手の感情にまで責任を置きすぎることに問題があるというようり、相手の感情として空想する内容が誤っている、ということになると思います。
もちろんさまざまであり、我々が空想した他人の感情が、実際そのように抱くようなタイプの人もいるし、全くの杞憂であり何も気にしないようなタイプの人もいる。
そうした中で、「健康形」「成長形」での感じ方を基準に、人の感情についても配慮する行動が、当然心の健康と成長に向かうものになります。病み形未熟形を基準にして配慮する行動法だと、心の病みと未熟のままでいるものになります。
ハイブリッド心理学としては、その前者道を行く、ということになりますね^^。

>つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば 健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には なってしまう気がするのです。

上述のような、「健康形」「成長形」を基準にした行動法として、一つ一つの場面について向かい方を検討するというのが、取り組み実践になります。
一つ一つの具体的場面ごとにです。どれとして厳密に同じものはありません。

もちろんそれは「健康形」「成長形」で感じられるようにならなければという話ではなく、自身の内面感情としては未熟形病み形流れるとしても、それに完全に呑まれるのを踏みとどまり、健康形成長形のあり方を想定し、とにかく外面行動はその方向において行うということを目指す、ということです。
それが「感情と行動の分離」であり、その積み重ねの中で、内面感情あと追いの形で健康形成長形へと変化を始める、というものになります。
そうした「健康形」「成長形」想定について、まずはぜひ取り組んでみて頂ければ^^。



衝動 / マリノ 引用
No.986 2014/10/03(Fri) 12:48:48

こんにちわ

現在、島野殿の心理学を人生の羅針盤とさせていただいております

現実ではなく、イメージに反応してしまう自意識
それを直したく、
本当にそうなのか?という確認作業をつづけております
人が怖い、場が怖い、などです

なぜそうなったのかについて
自分なりに掘り下げを行ってきましたが
1つの原因らしきものがありました

幼少期に2回の転向を経験し、学校では物理的に孤独な日々を
過ごしました
悲しみと寂しさを誰にも打ち明けられず、
表面では何事もないふりをして、内面の激しい混乱を隠していたことです

子供を保育園、小学校へかよわせております
それだけでも心配はつきませんが
それを見ていると、自分が経験したことはそれなりに過酷な経験だったような
気がします

小さい子供なら、その依存心から
かまってほしい、ちやほやしてほしい、自分の面倒をみてほしい
という気持ちがあるはずです
それをかなえられない
絶望と直面し、人、場を見下し、憎み、怒りをためこんでいたようです

負けず嫌いもあり、自分からうちあけられない、助けをもとめられない
学生時代は「幼稚園からやりなおしたい」という気持ちが
意識の底にありつづけました
依存心をかなえられないのに、大丈夫と行動する
自分の嘘が自分を苦しめていると、その時はわかりませんでした

高校からは、物理的に絶対孤独にはなりたくない
為、片っ端から誰にでも話しかける行動をとり
現在仕事の面でそれが役に立っている面もあります

ただ、内面のネガティブな感情はつねにくすぶり
些細なきっかげで、怒りという形で爆発します
心に潜む獰猛な獣の存在には、気づいており
それを隠す為にくたくたになる日々でしたが

以前そこに気づきがあり、投稿させていただきました

世界の現実は
自分中心ではなく、70億分の1人として
自分があり、
自分だけちやほやしてもらう、かまってもらう
面倒をみてもらう
ということはなく、それを頭で理解し、周りをよく見て
やっとそれを腹の底から納得することが
できました

そして、理不尽に周りを見下し、憎しみ、怒る
ことも減り、
あとは自分の望みはなんなのか?自分はなにがしたい?
それを問い続けております

そこで現在の結論は
幼稚園までさかのぼり、
自分の望みは、人の目からの自由、心の自由です

それに対しては恐怖心があります
@自分の依存心を隠し続け、ニセモノの自分という
イメージが固定されています
A怒り憎しみを向けていた周りは、敵だ
というイメージが固定されています

そこで冒頭のイメージが正しいかどうかの
確認作業となっており、それを続けて行こう
と思っております

今、島野さんへ相談したかったのは
自分自身に動揺する体験があったからです

先日のことですが
幼少期に経験した気持ち「とてつもなくさびしい、かなしい」
が、鮮明な映像としてよみがえりました
タイムカプセルのようにリアルに、時を超えて蘇る驚きとともにです

そのときは苦しさで、のたうちまわり、
ゴジラが火を噴くように、その感情を吐き出しました
その感情は尽きることなく湧き上がります

この状況で、その感情は
ただ流せばいいのか、ほかに何か手を打ったほうがいいのか
自分に起こった変化が大きく、動揺しております

何かアドバイスあれば、よろしくお願いいたします


 
心の豊かさへの視野の下に「ただ流す」^^ / しまの 引用
No.988 2014/10/05(Sun) 18:33:32

あさってから秋の北アルプス登山に出かける計画のため、手短早めに^^。


内面感情は「直さない」

まずはいかなる問題場面内容についても、「感情と行動の分離」一貫した実践になりますね。
それで言うなら、

>現実ではなく、イメージに反応してしまう自意識 それを直したく、本当にそうなのか?という確認作業をつづけております人が怖い、場が怖い、などです

これは「直さない」です。「イメージ」「内面感情」側の話だからです。「ただ流し理解する」
「それとは別に」、「外界現実の客観的な内容」に対して、行動の反応をできるようになればいい。「イメージ」とは別に、「外界現実の客観的な内容」についての思考どう築くか、というになりますね。
イメージ自意識が反応してしまうのはいいんです。イメージ自意識内面感情側。それがイメージ行動が反応すると、まず建設的でない行動になってしまいます。これを踏みとどまり、「外界現実の客観的な内容」に対する、建設的行動法を学び実践していく、ということになります。


「感情の膿」を「ただ流す」

ということで、

>先日のことですが 幼少期に経験した気持ち「とてつもなくさびしい、かなしい」 が、鮮明な映像としてよみがえりました タイムカプセルのようにリアルに、時を超えて蘇る驚きとともにです そのときは苦しさで、のたうちまわり、ゴジラが火を噴くように、その感情を吐き出しました その感情は尽きることなく湧き上がります
> この状況で、その感情は ただ流せばいいのか、ほかに何か手を打ったほうがいいのか 自分に起こった変化が大きく、動揺しております

については、「ただ流す」というのがまずはやはり答えですが、重要なのは、どんな目線視野の下に、ただ流すかです。

それで言いますと、まず言えるのは、そうしたリアルに蘇り噴出す感情というもの自体は、いいことなんですね。
そうしたのは「感情の膿」などと呼んでいるものでもありますが、身体症状の「膿」と同じで、埋もれているものが、見えないまま慢性的な疼きを引き起こします。慢性的な鬱屈感情ですね。それが、身体症状において「膿」表面化し流れた分だけ快方に向かうように、においても「感情の膿」流れた分だけ、心が軽快化します。ま一度に起きる変化微量なため、過度な期待はしない方が(?^^;)いいとして。


心の豊かさへの視野の下に「ただ流す」

まず耐え難い感情の湧き出しについてはそうした目線で何とかやり過ごすとして、さらに重要なのは、「イメージに自意識が反応」といった、より日常的な心の動きを、どんな目線視野の下に、ただ流すかになります。

それは一言で、心の豊かさへの外面内面目線視野です。
「幼稚園からやり直す」といったのとは(^^;)全く別世界に、それがある。

外面においては、先日
『対人関係』 リュクスさん No.960 2014/09/06
トピックでの
『「対人恐怖」「悪口妄想」の克服^^』 しまの No.976 2014/09/27
でも書きましたが、
まず何よりも「一人になれる」「一人で行動できる」「一人で楽しめる」ことにおいて、「自分自身において嘘のない、純粋な楽しみと喜び」を見出す。次にそれを人と共有するものして親愛行動に向かう。

内面においては、「魂の愛への望み」の感情を、自分自身で受けとめる
この辺については先日アップした
・「愛」という本流の「望み」への妨げ
以下を読んで頂ければ概要になりますので^^。

この2面に、長い人生の歩みを通して、心が豊かになる。
これがハイブリッド心理学の考えです。


以上、ざっと考え方など。じっくり「学び」を進めながら、目の前の問題への建設的対処と、長い目での向き合い向かってみて頂ければ。
なるべく具体的場面における、こうした方向性に沿った具体的行動法への引き出し増やすのが一番いいですね。それとの対比で、「幼稚園からやり直す」といった観念の不合理感じ取るという方向に向かいたい。

上記内容への質問等あれば引き続きレスで、具体的行動法質問などあればまた新規トピックなどで入れて頂ければ^^。



(No Subject) / こたろう 引用
No.957 2014/09/03(Wed) 23:37:09

仕事やアルバイトの向かい方に関しては、
業務の価値に応じて、自分の役割を理解して、ノウハウを使って
取り組む事、コミュニケーションにおいては
一貫して「業務内容や目的について、価値言葉を使って話せる事」というのが
アドバイスになっています。

これに関しては、業務中に関しては理解できます。
もちろん、業務内容についての構造的理解があり、論理的なつながりを
理解できていることと、人とその理解を共有できるような
コミュニケーションがとれる能力が大前提になるでしょうし、
それが出来れば「仕事がうまくいかない」事による居辛さは
なくなるでしょう。


原則、明示的条件としては
それが出来ることが仕事場にいる事の条件になると思います。


しかし、その条件を充分に満たせているのにいづらいケースは
多いと思います。


「気持ち」や「やる気」はどちらかというと、業務内容に対してというより
そういったコミュニケーションを業務外の人間関係、飲み会なども含めて、そういった
場面で求められるものではないでしょうか。


例えば、自分がアルバイトをしていた店舗は、スーパーなど、
働いている人の趣味や休日の過ごし方がバラバラであると考えられる
ものではなく、
むしろその休日の過ごし方自体のサポートが業務でした。

例えて言うなら、ダイビングショップの様な感じですね。


そもそも、それに興味が無い人はなかなか働きにこないわけです。
高給でもないですし。

最初のうちは、まだお互いに打ち解けていない事もありますし、
店長が、同じ店舗の人とは一緒に休日を過ごさない人でした。
一部の人は、一緒に行ったりしていましたが、そうではない人も多かったです。
一定数そういう人がいれば、別に気になりませんでした。


しかし、徐々に打ち解けはじめると、趣味が共通しているので、
店舗内で一緒に海に行こうという人が増え、自分も誘われる事が出てきます。


例えば、これがスーパーのアルバイトで、
「私たち、今度ディズニーランドにいくんです。一緒にどうですか?」というお誘いなら、「自分は苦手なので、ごめんなさい、結構です!」と言えます。


つまり、内容を楽しめないから、行かないという事が言えるわけです。
これの何が良いのかというと、「あなたを嫌っていたり、苦手だと思っているわけではない」という風に相手が理解することが出来ることです。


しかし、やりたいこと、好きなことが、共通している。


こうなると、「なぜ一緒にいかないのだろう」という目を相手が向けているという
外圧を感じるわけです。


これが50代の主婦の方だったとします。
そうすると「若い子はオバちゃんといても楽しくないもんね〜」という
認識をされていると思えるので、まだ良い。


これが、同世代で趣味が共通しているという条件があるのに、
断る。となると、「私が嫌いだから来ないんだ、私が苦手だから来ないんだ」
という風に、相手が考えるだろうと感じられる。


そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは
苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、
苦しくなります。仕事中も話していて、そう思われていると感じると
もう苦しくて、業務に集中できない。


もちろん、建設的行動法としては「その日は〜をするので、すみません」という
言葉を使うのが良い、ということになると思うのですが、
時々しか会わない友人などならそれでも納得できると思います。
しかし、何度も会う人、何度も誘われる人にそうやって断るのは、相手も納得できないでしょう。


それに、「来月であいている日があったら行かない?」と誘われた場合は
どうするのでしょうか。
来月開いてないならその次は?といわれた場合には。
日取りをあわせるから今月中であいている日を教えてくれ、という誘われ方も
ありますよね。


休憩時間もそうです。休憩時間まで、業務内容についての会話ばかりする人は
むしろ少ないと思います。ある程度はあると思いますが。
あるいは、入りたてでわからない事だらけの時ならば、疑問だらけで
当然なので、業務について質問するのも変ではない。
でも、慣れてくると、「この人は自分の話全然しないなぁ。壁を作られている」という目で見られるようになってくる。
幸い、当時のバイト先はショッピングモールだったので、
休憩時間に外出する事が不自然ではありませんでした。
さらに、休憩時間がズレていたので、同時に休憩をするとしても2、3人ほどまで。
そのため、余裕のあるときは店のバックルームで同僚と休憩を共にする事もあれば、
無い時には外出して食事をする事も多かったです。
帰りも、アルバイトよりも社員の方が、レジ閉めなどがあるため帰りが遅く、
時間がズレていたため、あまり人と一緒に帰るシチュエーションが無かったです。




しかし、会社となるとそうもいかないことが多いでしょう。
昼食の休憩は一定のタイミングで、よく何人かで食事にいく人をみます。
周辺にそういった場所がなければ社員食堂しかないでしょう。



会社に勤めるにあたり、明示的な条件としては「仕事が出来る事。業務上のコミュニケーションがとれること。」が原則だと思います。

しかし、非明示的な条件(条件という言葉はふさわしくないかもしれません。空気、周りの見方、という感じ)は
それぞれの職場で違うなりにあるでしょう。
会社の規模によっても傾向があるはずです。


ドライな職場とか、ウェットな職場とか、よく言いますよね。

知恵袋などでも、自分は仕事は仕事だと割り切りたいけど、ウェットな職場なので
社員旅行やバーベキューなどが頻繁にあって、困る。

といった内容の相談をよく見ます。



職場は愛を求めるものではないというのは原則としてはわかるのですが、
心の健康な人であれば、自然と職場でも愛や友情は芽生えますよね。


そういう人たちの中で、愛を求めない事は、
ドライで職務遂行と事務的会話のみに徹するような職場で
愛を求めない事とは遥かに難易度が違うはずです。


やはり周りがそうだと、「そうできない自分」というギャップに苦しめられます。
これは、仕事場面問わずでしょうが。


そうして、「愛のない」あるいは「明るくない」輪の中にしか行けないという
ことになっている。



こんな基準で、仕事やアルバイトを選ぶと、自分の取り組みたい事に
挑戦できなくて、苦しいです。特に、アルバイトでは飲食店などのチームプレーが
中心であることもあり「和気藹々」がデフォルトな感じがします。
高学歴なのに、トラックドライバーになったり、
会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。


 
嘘について / こたろう 引用
No.958 2014/09/04(Thu) 21:25:02

こちらの方が急ぎの相談です。
早めにアドバイス頂けるとありがたいです。

アルバイトをはじめたいのですが、
2年間の社会的なひきこもり期間での
休学をどう
説明すべきかがわかりません。


一般的にいって、留学やなにか取り組みがあっての休学というのならば自然だと受け止められるでしょう。

自分は対人恐怖性で休学したというのが
実情で、その後のアルバイトも派遣しかしていないため、説明できません。


いつやめるかわからないとか、精神病だとか
思われてしまうと受からないでしょう。

まずは面接を通過するための嘘が必要です。


通ったとしても、その時の事を聞かれる可能性があります。あからさまな嘘をつくのはその点後々面倒です。
アルバイトならまだ、そこまで徹底した理由を話す必要もないと思われますが、後々就職活動するときはさらにどう説明するか迷います。


以前、大学で友人に空白期間になにをやっていたのか聞かれた時には、その話にならないようにうまく回避する言葉を使うというアドバイスでしたが、聞かれたことに正直に答えないのは嘘をつくことと同じ感覚があります。

こういうのが、必要な嘘を自分に許すこと
という物になってくるのでしょうか。


 
Re:嘘について / しまの 引用
No.959 2014/09/05(Fri) 10:40:54

ではこちら取り急ぎ先に^^。

まず基本的に言って嘘は言わないのが健全ですね。病みの始まりです^^。
また「嘘を許す姿勢」は、隠された嘘表面化させなくしていくための姿勢という中での話です。嘘をなくす姿勢総論で、その中細かい各論的話^^。
その上で、「ついても問題ない嘘」という行動法の知恵とノウハウ出てくると思います。ただし些細で軽微なものになるでしょう。たとえば面倒な勧誘の電話があった時、思いっきり暇な時でも「今仕事中なので」と言うように^^;

で書いて頂いた2年間休学となると、嘘はマズイのでは・・と思います^^;
表現を工夫することはできると思います。「精神的な問題で体調を崩しなかなか復帰できなかった」とか。
こうした場合どのような対応が良いのかは、ちょっと僕の引き出しの中にはなく申し訳ないのですが、むしろ大学の就職課とかに相談した方が、似たような境遇の生徒さんも結構いるでしょうし、結構常套的なやり方が分かってきているかも知れませんね。とりあえずまず情報として得ておくと良いのではと^^。

いずれにせよ、まずは休学の件関係なしに、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものを見出し、次にそれでさらに休学の件をどうカバーするかという構え向かうのが良いと思います。
先に書いていただいた質問の方が、今これからとして向かうことのできる就職への姿勢というものに関係すると思いますので、またちょっと後で^^。


 
「業務外の人間関係不安」の克服^^ / しまの 引用
No.961 2014/09/09(Tue) 14:20:46

では引き続き前の方の話について^^。

アドバイスとしては2つのテーマになりますね。
・就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する
・「業務外の人間関係不安」は「健康形」を基準に克服に取り組む



就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する

就職は、「苦手なこと」などマイナス材料ではなく、「得意なこと」資格などプラス材料で検討するのが、まずは良いというか答えが出る検討法です。マイナス材料で考えても、方向が見えようがない。
また、そうすることで自ずと、マイナス材料直面する必要のない範囲というのも、最初の答えが出てきます。

たとえば、
>高学歴なのに、トラックドライバーになったり、会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。
というであれば、
車の運転に自信がある、給料が目標に合っている、といったプラス材料からそうするのであれば大いに結構。一方その人人との会話が苦手というマイナス材料について、当然、営業の仕事よりは大分支障が少ないですね。
つまり、プラス材料で検討することによって、それが同時に、マイナス材料の可能な回避の答えにも、大抵なるということです。
そうした検討手順を踏まず、ただマイナス材料への怖れから考えても、方向性と答えが出ようもない、という
これはよろしいでしょうか。とにかく自分プラス材料把握することからですね。

今回マイナス材料「業務外の人間関係、飲み会が苦手」といったことについても、まずはプラス材料で就職を考えれば、自ずと避けられる、というか強くは求められない程度という答え多少出ると思います。
たとえば休日にレジャーに誘われるのが嫌というマイナス材料がある人が、プラス材料から考えていって、それがどこよりも求められてくるであろう職場、たとえばダイビングショップという話になることは、あまり考えられない会話が苦手な人プラス材料で考えれば、その結果は、何よりも会話能力が重要になる職種には、多分ならないですね。
この理屈はよろしいですかな。まあとにかく自分プラス材料あげて考えてみることですね。


「業務外の人間関係不安」は健康形を基準に克服検討

その上で、「業務外の人間関係、飲み会」といったものがない職場というのは、基本はないと思います^^; どこでもそうしたのはある考えて臨むのが正解
それは就職考える上で、材料になるものではない、ということですね。

ではどうするかについては一言で、
「業務外の人間関係不安」「健康形」「成長形」を基準に克服に取り組む
というアドバイスを言えます。

つまりまず、業務外で飲み会や休日イベントに誘われた時の対処に、「行くべきor断って良い」などの一律の答えなどなく、これはもう仕事場の行動法の問題というより、個々人の人生全体における人との交友行動全般における心の健康と成長問題だと言えます。

ハイブリッド心理学からの指針は、
・親睦交友行動の「健康形」「成長形」についての理解納得を足場に、「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢および実践で臨む
というものになります。

親睦交友行動「健康形」「成長形」とは、まずは
・相手との無用な衝突をすることなく、自分をより豊かにするものという基準において、特定の交友行動を行う行わないの判断対処を、自分自身でできる
といったものになりますね。
興味があれば参加する、なければ無理には参加しない。飲み会職場の忘年会新年会や歓送迎会など業務に近い性質もあり所用なければ参加など、常識的な範囲まず参加するとして、あとは好きにすれば良し
そうした柔軟性があるものを「健康形」として、体験を通して自分なりの行動を動揺なくできることへと向かっていくのが「成長形」だと言えます。

それに向かうための取り組み実践とは、

1)上記「健康形」「成長形」への理解納得を問う
これがまず足場固めになります。理解納得ができなければ、ではどう理解納得できないか取り組む必要があります。そんなこと絵空事、なぜなら・・というように自分の考えを明瞭化する。明瞭化できれば、その不合理病み分析取り組みできるかも知れない。

次に、理解納得が持てればとして、
2)具体的場面における自分の行動選択検討
うまく判断できず、流されて参加する羽目になるのも、まずは良しとするのがいいですね。重要なのは、参加したくない時どう断るかよりも、参加しないとして何をしたいかを自分に問うことです。それがあれば断る方法も見えてくるし、なければ流されてしまうのも多少自分に許す

3)具体的場面における内面の妨げ感情の分析
自分は何をどう怖れ惑っているのか。
これは結局
>そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは 苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、苦しくなります。
といった話になるでしょうが、上記2)まで行くことで、そうした怖れへの視線変化が起きるということです。それはその不安自体が杞憂であり不要と感じることになるかも知れないし、そうした空想と怖れは消えない、ただ自分の外面行動としては健康なものをできた、という足場によって、「ただ流す」ことが可能になる、といったものになるかも知れない。
いずれにせよ、そうした具体的体験の中での模索積み重ねることで、「自分なり」が見えてくるし、怖れ惑い次第に減少していきます。模索する体験を経ることなく、あらかじめ怖れ惑いがなくなる考え方などを求めると、答えは出ないと思います。

以上、今回のご相談内容への、ざっとアプローチ手順になりますです。検討してみて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.968 2014/09/11(Thu) 17:58:52

これは空想ですか?
共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?



これは健康な人だと、一緒に行動するほどの
仲にはお互いになりたくないんだなという
納得のもと、絶妙な距離に落ち着くという
感覚なんですかね?



自分が嫌われるのが怖いという強度で、
相手も嫌われるのが怖いのだという感覚になってしまうから、必要以上に相手を傷つける事を恐れているのでしょうか?


相手を傷つけたり、不快に感じさせてしまうことに恐怖があるんです。


 
Re: / こたろう 引用
No.973 2014/09/19(Fri) 22:46:09

アルバイトをはじめるにあたって、もう一つ大きな壁となっているのが、
「自分という欠陥商品を、外装だけある程度の見栄えに仕立て上げて、
相手に売りつけようとしている」という感覚です。


何かに参加するというときに
「その場所は自分がもしもいなかったらもっと良い時間、結果になっていたに違いない」
という思考になってしまう。


この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。


乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、
自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。



これが「望む資格」と考えていいのでしょうか?
人に許可されれば、望んでも良い。確かに、こういう姿勢自体に
精神的優越感を感じる感覚があります。



これが高じて、自分はこの世界の向上を考えるならば
居ないほうが良いとかいう思考に帰結する。


例えば面接であれば、
自分の欠点を全て赤裸々に話して、それでも雇っていただけるのならば
雇ってください、といいたい衝動にかられます。


そうじゃないのならば相手を騙していて、詐欺をしている。という
感覚。


多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか
書いてあります。




内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には
必須なのですが、
これは「嘘」にはならないのでしょうか?


 
「一緒にいたいと感じない」のがベースの交友行動法^^ / しまの 引用
No.975 2014/09/24(Wed) 11:07:05

またちょっと遅くなりました^^ゞ

「一緒にいたいと感じない」のが基本

まず9/11に入れて頂いたもの。
>共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?

「健康な成人」場合
・共有できるものが楽しめるのにそうしないのは、相手は自分と一緒にいるのが嫌なのだと傷つく。
ではなく、
・大抵の人はすでに「一緒にいる相手」が多少ともできて(あるいは一人でいるのが好きなどの個性ができて)おり、新たに出会う相手とことさら一緒にいたいとは感じないのが基本であり、それを心得てもいる。従って互いが相手に関心を持たないことに、特に傷つきもしない。
というものになると思います。
まずはこれが想定できるかですね。

あとはそれをベースとして、もし新たに仲間になりたい相手が出たら、自分から積極的にその気持ちを表明し誘う行動をする。それでうまく行けばいいし、趣味嗜好や性格の不一致でうまく行かなければ仕方のないこと。
それで別に「傷つく」必要もないですね。
「傷つく」というのは、自分が労せずして誰にでも愛され評価されるはずといった、不合理な自己愛根底にある場合、という心理メカニズムが考えられますので、「傷つけてしまう」「傷つけられる」といった話の全体が、心の健康と成長とは別方向の中である、という理解大切です。
つまりそうした感覚は、ただ内面で流し、行動判断の材料にはしない、という指針になります。


「見える」かのように感じる他人の内面は「外化」「投影」

また
>これは空想ですか?
については一般に、

・「見える」かのように他人の内面の気持ちを感じるのは、基本的に自分の内面が映し出された「外化」「投影」のメカニズム。
です。
これは心を病む傾向深刻さに応じて、その強さも激しくなってしまいますので要注意ですね。
・「見える」かのように感じる他人の内面はあくまで自分の内面を映したものと心得、「行動」はあくまで実際に相手が行う言動の客観的内容に対して行う。
というのが重要になります。

「実践」としては、
1)上述のような「健康形」の理解
2)それを基準に、自分の中に流れる感情の分析理解。健康で合理的な感情(行動の材料にできる)と、病んで不合理な感情(行動の材料にできない)の区別。
3)最終的な行動判断

という3ステップじっくり取り組むものになりますね。

まあ最終的には「何もしない」というので問題ないと思います^^。1)と2)の段階での理解重要になりますね。
検討頂ければ^^。
9/19に入れて頂いた方についてはまた後日^^。


 
「望む資格思考」vs「原理原則思考」^^ / しまの 引用
No.981 2014/09/28(Sun) 15:29:47

では9/19に入れて頂いた方^^。

「望む資格思考」というのは、「望む」という感情そのもの「資格条件」を設け、それに満たないのであれば「望む」という感情そのものを押し潰し抹殺しようとする観念衝動、と定義できますね。例えば「美男美女だけが恋する資格がある」とか。ひでえ話だ^^;
一方、

>この人の人生にわずかでも自分が登場することはデメリットだ。乱暴な言い方をすれば、自分よりも低俗な人間ばかりがいる場所ならば、自分が入る事はメリットになるので、入っても良いと思える。

というのは「場面に加わる」という外面行動のことをまずは言っていますので、厳密にはぴったり「望む資格思考」の例というものではないですね。
でもまあその内側には、十分「望む資格思考」一緒に貼りついて(^^;)いると思います。

ハイブリッド心理学からは
・原理原則思考
がその対案思考として検討するものになります。

そこで言う「場面に加わる条件」とは、具体的にはどのような内容のものか。それが社会行動全般、そして個々の場面状況における「原理原則」として妥当かどうかの検討を行います。
ですので、まずはどんな尺度として、欠陥うんうん低俗うんぬんという思考になるのかの、具体的内容明瞭化をした上で、原理原則思考との対比検討などがお勧めになります。

>多くのバイトの募集では「明るい人募集」とか「人と接するのが好きな人」とか書いてあります。
>内面感情を問わず、したたかに生きる、という姿勢が克服には 必須なのですが、これは「嘘」にはならないのでしょうか?

例えば居酒屋のバイトでは「明るい人」「人と接するのが好きな人」と出るでしょうし、実際それが必要な仕事でもあると思います。ですので、実際は自分はそうでないと感じている場合、「嘘」になるからどうこうという話よりも、実際やってみてもたない可能性がありますので、別の条件のバイト探しておいた方が賢明、というにはなると思います。「手先が器用な人」とか「パソコンができる人」とか。
いずれにせよ「嘘」基本的に無用なものですね^^。

追加質問ありましたら、そろそろ長くなったので新規トピックで入れて頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.984 2014/09/29(Mon) 12:22:47

ありがとうございます。
具体的場面状況の問題よりも、もっと根本的な価値観かな、と
思いました。


世の中にとって、全体にとって、という
思考が先立つ場合と、
自分にとって、が先立つ場合があると
思うのですが、全体にとって、と考えてるときに
腹の真ん中に「ないがしろにされた!」と
怒りを露にする女の子のようなイメージを
感じました。

人はどう思うのかor自分はどう思うのか、
という対比で、自己の重心が語られる事が多いと思うのですが、僕が分岐としてよく感じるのは
全体の幸福なのか、自己の幸福なのか、
という、より下の層の対比状況だという
気がしました。


というのは、例えば、望みの状況を
考えたときに、おそらく自己の幸福を考える
価値観がベースなら「この人たちと一緒にいたいけど、嫌われたら怖い」という発想になると
思うのですが、僕の場合は
「この状況にとって自分は有用かそれともいない方がいいのか」という思考が第一にきます。

ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、
という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。


全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。


で、実際にそれを先に考えた場合に、
この腹の真ん中にないがしろにされたと怒る少女の
ような存在を感じます。


例えば、就活でグループディスカッションが
ありますが、グループに誰がいるか、という事が
その人の合否に直結することが充分ありえます。
自分がエントリーしたせいで、同じグループになった人が落とされたら、それは人の人生を潰してしまった事になる、という恐怖。
こういう様に、他人に迷惑をかけないために、自分の欲求を
潰す、というパターンです。


団体競技は、自分が失敗したことが
人の人生の一部分を壊してしまうという
恐怖感。

なによりもまず他人に迷惑をかけないことがスタートという思考の起点。

他人に報復を受けないように、自分が
やっかいごとに巻き込まれないように、という目的で
迷惑をかけない方法を考えるのではなく、
幸福な人間になることも、それによって
人に迷惑をかけない存在になれるから、といった
感覚。

ある意味、入らない、関わらないことが
最大限できる価値の産み出し、みたいな。


合理思考だと、
人に迷惑をかけるのは当たり前、
自分の幸福を第一に考えた先に、
他人に向けられる愛が手に入る、
それから産み出される価値が真に他人に幸福を与えられる、、、といった感じでしょうか。

しかしこれもまた自分よりも全体を第一に考えている思考で、ハイブリッドとは馴染まない気もします。


 
行動法と価値観^^ / しまの 引用
No.987 2014/10/05(Sun) 18:31:49

一応念のため、

>ハイブリッド心理学は、なによりもまず自己の幸福を、という価値観がベースにありますね。というか一貫してそれを目的にした言葉しか並んでいないので、それに図々しさを感じている自分に気がつきました。
>全体の幸福を、と考えると愛のない人間は消えた方がいいという発想になっても不思議ではありません。

自己の幸福どんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」「自尊心」「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時こんな人間は消えた方がといった観念なくなる、という流れになります^^。

追加質問などありましたら新規で入れて頂ければ^^。




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