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一貫した行動法で^^ / しまの 引用
No.820 2014/03/11(Tue) 10:40:08

>「相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる。」については、まさに日常の対人場面での理想の対応のあり方そのものでした。

そうですね^^。ただまあ「まず自分から愛せる自分」という絵に描いたような理想の姿自分に押しつけてもなかなかそうはなれませんので、
「喜びと楽しみの共有として愛に向かい続ける。その中で思い通りにいかない場面では、まず愛されることにしがみつかずに、悲しみを自分自身で受けとめ、そこから再び喜びと楽しみの共有として愛に向かう」
ということの積み重ねで、年齢を重ねる中自然とそうした理想の姿にも近づく、と心に入れておいて頂くと良いかと思います。

こうした年齢の積み重ね必要というは、
『入門 - 4.心の成長変化 / 「心の成長課題」と「成長の望み」の鍵 一覧表』
その下説明部分手短にまとめていますので参考頂ければ^^。

>相手が、あまりにも考え方が偏って、話し合いにならない時は、その方とは事務的なやりとり以外は、関わらないようにします。島野さん、これらは誰に対しても、自分から愛せるようにとの考えには、反することになりますか。

「誰でも自分から愛せる」というのは、以前ダライ・ラマにあげた「人類愛」これですね)ほどではないとしても、ちょっと理想が高すぎる(^^;)かも知れませんので、まずは「好きな相手」「愛する人」との実際の関わりあいで、相手から愛されることを待ちしがみつくではない行動を取れることが重要になってくる、ということからになると思います。
「好きな相手」「愛する人」ではない他人全般への行動法としては、これもあくまで「喜びと楽しみと向上の共有」という一貫した行動法になります。とくにその相手「愛する」とまでは行かないとしても。

つまり、行動法愛情の有無によって変えるものではないということですね。
そうした一貫した建設的行動法生きる中で、愛情をより自分から持てる人間へも成長するということです^^。

>心の成長を考えた時、いろんなことに対して不満を捉えるのではなく、より良い生き方を視点にしていくことかとまとまりました。

上述が、まさにそうした「より良い生き方」になるかと^^。

なお「自閉症」というのは心の問題というより、脳の先天的な障害が関係しているようですので、そうしたハンディがある相手という広い気持ちで見てあげるのがいいですね^^。

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「恋」が「愛」に変化する道への目^^ / しまの 引用
No.676 2013/11/04(Mon) 17:19:56

体調悪化を伴う治癒

>ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

『理論編下巻』の
4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−

などで説明している、特別な治癒過程についてのかと思います。
一言でいうと、病んだ心の底には、普段は蓋をされた、不安定な感情の塊があり、何かの衝撃的な体験の中でその蓋が取れて、不安定な感情の塊が一度どっと吐き出された後に、すっきりと健康になった心が現われることがあるという話ですね。
心理療法の世界では「カタルシス」と呼ばれているものの一種と言えると思います。その中には、不安定な感情の塊どっと吐き出される時一時的に体調悪化が起きることもありますが、心配はいりませんというですね。

ですので、「頭がボーッとして物思いにふける」といった状態は、まずは全く関係ない話になると思います。まこれは誰でも時にはあることということで^^。


「恋」が「愛」に変化する道への目

「恋」はまずは、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
お答えした話の中での、

「恋愛」同義語という話で良いかと思います。「愛」よりも「欲」比率が高いもの。

>しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

というように。

一方、「恋」「愛」入り口とも言えますね。まだ「愛」にはなり切れてないとしても、その先本当の「愛」見出されるかも知れない。
「恋」→「愛」→「絆」(つながりが保たれる)
という過程がある、というになると思います。

ということで、僕からの意見としては、人生の大きなテーマとしてあるのは、一番太い「愛」と「絆」ですので、それに向かう途上過程について言うならば、

>最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。

というのは、まあそうだと言ってもいいかも知れませんね。
でももっと大切なのは、「恋をする気持ち」「本当の愛」へと変えていくもの何か見る目だという言葉を添えたい^^。
でそれは何かと言いますと、ハイブリッド心理学からは、
「愛」外面行動としては「分かり合い認め合う」ことではなく「喜びと楽しみの共有」として向かう
「愛」「欲」まだ混ざっている場合には、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではな惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、というを持っておく。

この2点を踏まえて、あとはもう「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすことだ、と。そうして多少悩み苦しむ体験経る中で、「恋」が「愛」に変化していくとはどういうことかが、分かってくる、と。これはもう長い人生の道のりそのものになりますね。

>それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。

これはまあ、仕方ないこともあるとして、もったいないことだという話になるかと。まずは自分「こんな状況では無理」と決めつけないで、心をオープンにしておくことから、というになるかと^^。


「人類愛」

ということで、

>恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

への返答としては、
「恋」「愛」への入り口としては必要。ただし、その入り口に入ったら、いつまでもその入り口を見ているのではなく、その先「愛」目を向けたい。

また一番太い「愛」と「絆」は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものだと思います。
ですので「人類」という全体自分が相手にするものとして本当に「愛」の感情を持つというのは、一般的な人間ではちょっと難しいと思うのですが・・。嘘偽りのない「人類愛」持つ可能性のある人としてまず考えられるのは、たとえばローマ法王とかダライ・ラマといった人物が浮かぶのですが。

ちなみに自分の執筆を、「人間のための仕事」と感じる感覚でやっているのですが、「人類愛」となるとどうも・・という感じですね^^; 自分が「愛」を向ける相手とのしての人類全体なんて、とてもじゃないけど僕のイメージ能力の中には入らない。
島野はあくまで俗人凡人ということで・・^^ゞ

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