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合計 14 件の記事が見つかりました


「趣味交友行動」も成長の中で模索する^^ / しまの 引用
No.1143 2015/11/08(Sun) 11:38:01

>そして僕は、「チャラい」カルチャーに馴染むために自分を偽らなければいけない事を感じたことから、「穏やかな趣味」に退却したように思うのです。実際には穏やかな趣味にもある程度の魅力は感じるものの、気持ちがより動くのは上であげたようなサーフィンやストリートダンスといったジャンルじゃないかな、と思っています。

これは一言で、「性格的な気後れで入れない趣味サークル」といったものになるかと。
アドバイスとしては、のような指針になりますね。
成長の歩みと、広い視野の中で、自分なりの趣味交友のあり方を模索していくのがいい。豊かさへの前進は、固定的な答えではなく、模索そのものが生み出す。
と。

触れていただいた僕の話にしながら、ポイントまとめますと、


1.成長の歩み ・・・ 固定的な自己像を力づくで演じる姿勢から、自分のありのままの内面感情に向き合い、真の自己における成長に向かう姿勢へ。

>学生時代の話だったと思いますが、男勝りな性格の女子生徒に対して、合わせるような事をしていたが、気疲れしてそれもやめた・・・といったシーンがあったかと思います。
「5章 解かれたパズル - 来歴の遡りの始まり」中(P.74)ですね^^。ちょっと長くなりますが引用しますと、
=====
 僕の中には、自分の容貌によって女の子に注目させようとする衝動があった。それでいながら、僕は〃恋愛のことしか頭にない″彼女達に軽蔑を向けていた。
 そうなった根底には、自分が女の子と自然に親しくできないことへの挫折感と屈辱感があったように思える。僕は中学の時、心の中では恋愛至上主義のような感情を抱きながら、外では女の子にぎこちない態度しか取れない自分をじれつたく感じた。男の子のような活発な女子に対して、きさくで親しみやすい自分を演じようとしたこともあった。だが何となく気後れから、自らその「試み」から「退却」した。以後その女子からは自分が「変な男」という感じで見られるという感覚を僕は持った。
 僕は、自分自身が理想的な姿になれなかったから、その原因を他人の中に求めた。僕は自分の不満感を、回りには愛するに値する人間が少なすぎるからだと自分に説明した‥。
=====


まあそれは偽りの自己像を演じようとして失敗した「小さな挫折」ではあったでしょうが、真の自己における成長への転換点にもなるというものですね。その転換点に立った大学4年の僕が、中学時代のその「小さな挫折」思い返すというシーンです。
この後は、当時は教えられなかったけど自然と、というか宿命的(?)に、「感情と行動の分離」歩みへと向かうわけですね。まずは内面開放で、置き去りされていた絶望開放されてしまったわけですが、何とか健康な心へと^^。


2.広い視野 ・・・ 多種多様人の交友あり方

これはずばり一言で言って、おおよそティーンまで仲間内自然発生的サークルの世界では、特定の性格傾向のカルチャーそこに成立し、後からそこに入ろうとするのは、よほど性格傾向が合わないと難しいというのが、実際に出てくると思います。

しかし、「社会人サークル」になると、もう違います「俺たち仲間だゼィ乗っていこうぜ」でも、「皆でぜひ仲良くし合いましょう」でもなく、それぞれが参加できる時に、参加できる範囲で、参加すればいいものもたくさん出てきます。性格傾向多様な人々から成る集団サーフィンストリートダンスにも、そういう社会人サークル少なからずあるのではと。
そうなると必要なのは、人に迷惑をかけず、そして基本的な人との親しみ行動が持てることです。
ですので、いろいろ書いて頂いた、性格カルチャーのような問題は、なくなってきます。


3.自分なりの交友行動の模索

2つからまず言えるアドバイスとは、こういうことです。
社会人以前と以降とでは、世界が全く違います。社会人以前の世界の固定イメージを脱し、まず社会人としての自信の全体に向かい、それを足場に、自分なりの交友行動のあり方を模索していくののがいいでしょう
と。

交友行動法は、いつも言っている通りです。より純粋な「楽しみ喜びの共有」として目指すことです。嘘のない自分としてです。
それができない場では、孤独受け入れる内面の妨げは、特定の性格カルチャーへの対処法なんて話ではなく、社会人としての人との一般的な親しみ行動がどう妨げられているかという視点で、取り組む必要がある。

タイムラインとしては、「新入社員」目の前に、まだ仕事も一人前になる前に、学生気分のような趣味サークルへの誘い来るかも知れませんが、「模索」もっとずっと後に続くと考えるのがいいでしょう。
仕事のスキルでの自信が、社会人としての一般的な親しみ行動への、一つの支えになります。というか、社会人としての自信がついてこそ、社会人としての一般的な親しみ行動自分はどうできるかが、一つの確かな足場の上で、模索できるようになります。
ここはもう一つ質問入れて頂いている「社会を生きるスキル」というテーマつながりますね。この後で^^。


4.模索の先にある豊かさ

これは先のトピック
『自己イメージについて』 takaさん No.1131 2015/10/28
コメント最後に書いた、
=====
この向き合いによって何を見出すかは、一度に全ての答えが出ることは、ありません向き合いで、次第違うものが見えるようになっていきます。そして最後には、歩み最初からは予想だにつかない、最終的な答え訪れる。そんなものです。10年20年、さらにはそれをはるかに超え人生の歳月を通して、です。
=====

が、そのまま言えますね。

流れとしては、
まず性格カルチャーに応じた自己像を演じるなんて姿勢捨て嘘のない自分との「楽しみ喜びの共有」行動どうできるのか模索開始する。そうして、ありのままの自分向き合うことで、そのための芽生え始めます。
そしてまずは社会人としての自信目指し向かう。それによって次第に、安定感生まれてきます。それが実際行動範囲を広げさせてくれます。そして本当に「望み」となる趣味交友活動向かってみたりする。

そうした「模索」の中で、「魂の感情」への向き合いもあれば、それ自体成熟生み出します。同時に、人との交友への願望という、持って生まれた課題が、次第満足感の中で、収まって行ったりもします。ま人生後半過ぎてからかと。
そうして、
a.人との交友がうまくいき、そこに満足感幸福感を得られる。
b.もしくは交友が必ずしも望み通りには行かなかったとしても、
「魂の感情」への向き合いによる心の成熟の結果、一人で過ごしていても満足感幸福感が湧く心の境地へ。

といった道のりが、ハイブリッド心理学の考える流れになます。


僕の話の例残りで言えば、

>島野さんの話でいうと、確かトランスが好きだったとおっしゃってたと思いますが、同じようにトランスが好きな人の仲間内に入れば、それは「登山好き」「写真好き」の集団とはかなり違う傾向があり、両方で同じような自分でいるのは難しいんじゃないかな?と思ったりします。そこをどのようにして処理したのかなぁ、と思った次第です。

社会人になって模索した交友は、テニススキー活動です。
20代後半から、まずはちぐはぐな内面を抱えながらも、なんとか「純粋な楽しみと喜びの共有の行動」見出し、参加を続け、30第後半あたりになって、社会人としての自信出てきて、そうした交友行動かなり安定したものへ。活動としてはもっぱらスキー
そして40代後半あたりから、それを生涯の交友とできるかどうか模索段階へ。で結局の場合、一人でマイペースに生きることが好きな面最後勝ち身体体力的な面もあり、スキー部活動からは一歩距離を置いて至ります。
トランス登山比較的後発趣味で、これはもとより人とどうこう共有するものでなく自分で楽しむもの位置づけです。

ですので、上記大学4年転機から、ありのままの嘘のない自分でどう行動できるかという中でのものであり、同じ自分でいられないのをどう処理するかといった問題は、ありません
まさにそうした「自分を演じる」という姿勢捨てることからが、スタートということですね^^。

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「自分自身への嘘」の克服は「感情のまま行動できる」ことにあらず^^ / しまの 引用
No.1020 2015/01/08(Thu) 16:19:55

「自分自身への嘘」とは

>下巻前半で触れられている「自分自身への嘘」ですね。

「自分自身への嘘」というのはかなり難しいテーマですが、これもやはり「問い」から論理的に整理していくのが大切ですね。
まずテーマ正確な定義から。

「自分自身への嘘」は、内面感情で起きることを指します。自分自身にとって本当のものではない感情を自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけている状態です。かつそストレスさえも自覚できない状態です。
これは「心の病み」であり、やがて感情が自己コントロールできない暴走を起こす危険があります。まず自分がそうしたストレスを自分自身の心にかけていることに気づくことから、心の健康への歩み生まれ得ます。

ですので、

>相手に合わせるために行きたくも無い場所へ行ったり、話したくも無い事を一生懸命聞いたり、という事が嘘になるので、

これは外面行動法の問題であり、「自分自身への嘘」とはまた別の話です。
相手に合わせるために、本当は行きたくない場所自分は行きたいのだと自分に思い込ませようとしたり、話したくもないこと自分は話したいのだと自分に思い込ませるといった心の動き起きるにつれ、それは「自分自身への嘘」という心の病みの問題になってきますね。


「自分自身への嘘」の克服

その克服は、まずは「心の依存」から「心の自立」向かうという転換に、歩みの始まりがあるというのがハイブリッド心理学考えです。
自分の感情を相手に受けとめさせるのではなく、自分の感情を自分自身で受けとめ、外面行動は「行動学」によって建設的に行動する。

それによって「自分自身への嘘」すぐ克服されるのではなく、まず「自分自身への嘘」純粋自分自身との関係における問題になる、ということです。その先に、最終的な克服は、「望み」向かって生き歩みの全体が、この人生み出します。『概説』説明している「心の成長変化のベクトル」全てを通して、ですね。


「感情のままに行動」が健康形成長形ではない^^;

ですので、

>そもそも、人といる時に自分に嘘をついていない状態ってなんだろう?と、思うんです。例えば、家にいる時の自分が嘘のない自分なら、相手に話しかけられても「あぁ」、興味がない話なら「へぇ」で終わりです。
>人といる時は多少なりとも、自分に負荷をかけて思考し、積極的に疑問を言葉にしたり、相手に対しての問いかけを考えたりします。

については、外面行動法問題と、「自分自身への嘘」という問題を、それぞれ別テーマ問題として考える必要があります。

まず留意しておかなければならないのは、感情のままに行動できることが、必ずしも健康形でも成長形でもないということです。
多少は相手に合わせることが自分自身にとっても良い結果になると思えば、「相手につきあう」というのもごく自然で健康交友行動法です。相手への配慮のため、多少は自分に負荷をかける必要が出る場面もあるでしょう。
こうした判断も、「心の自立」の先に、積み重ねていくことで「成長」つながっていきます。

ということで、テーマの整理からですね。よろしいでしょうか^^。

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「一緒にいたいと感じない」のがベースの交友行動法^^ / しまの 引用
No.975 2014/09/24(Wed) 11:07:05

またちょっと遅くなりました^^ゞ

「一緒にいたいと感じない」のが基本

まず9/11に入れて頂いたもの。
>共有内容が楽しめるのに、その人と行動をしないという事が相手にわかれば、その人といることそのものが嫌なのだと相手は受けとりますよね?

「健康な成人」場合
・共有できるものが楽しめるのにそうしないのは、相手は自分と一緒にいるのが嫌なのだと傷つく。
ではなく、
・大抵の人はすでに「一緒にいる相手」が多少ともできて(あるいは一人でいるのが好きなどの個性ができて)おり、新たに出会う相手とことさら一緒にいたいとは感じないのが基本であり、それを心得てもいる。従って互いが相手に関心を持たないことに、特に傷つきもしない。
というものになると思います。
まずはこれが想定できるかですね。

あとはそれをベースとして、もし新たに仲間になりたい相手が出たら、自分から積極的にその気持ちを表明し誘う行動をする。それでうまく行けばいいし、趣味嗜好や性格の不一致でうまく行かなければ仕方のないこと。
それで別に「傷つく」必要もないですね。
「傷つく」というのは、自分が労せずして誰にでも愛され評価されるはずといった、不合理な自己愛根底にある場合、という心理メカニズムが考えられますので、「傷つけてしまう」「傷つけられる」といった話の全体が、心の健康と成長とは別方向の中である、という理解大切です。
つまりそうした感覚は、ただ内面で流し、行動判断の材料にはしない、という指針になります。


「見える」かのように感じる他人の内面は「外化」「投影」

また
>これは空想ですか?
については一般に、

・「見える」かのように他人の内面の気持ちを感じるのは、基本的に自分の内面が映し出された「外化」「投影」のメカニズム。
です。
これは心を病む傾向深刻さに応じて、その強さも激しくなってしまいますので要注意ですね。
・「見える」かのように感じる他人の内面はあくまで自分の内面を映したものと心得、「行動」はあくまで実際に相手が行う言動の客観的内容に対して行う。
というのが重要になります。

「実践」としては、
1)上述のような「健康形」の理解
2)それを基準に、自分の中に流れる感情の分析理解。健康で合理的な感情(行動の材料にできる)と、病んで不合理な感情(行動の材料にできない)の区別。
3)最終的な行動判断

という3ステップじっくり取り組むものになりますね。

まあ最終的には「何もしない」というので問題ないと思います^^。1)と2)の段階での理解重要になりますね。
検討頂ければ^^。
9/19に入れて頂いた方についてはまた後日^^。

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「業務外の人間関係不安」の克服^^ / しまの 引用
No.961 2014/09/09(Tue) 14:20:46

では引き続き前の方の話について^^。

アドバイスとしては2つのテーマになりますね。
・就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する
・「業務外の人間関係不安」は「健康形」を基準に克服に取り組む



就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する

就職は、「苦手なこと」などマイナス材料ではなく、「得意なこと」資格などプラス材料で検討するのが、まずは良いというか答えが出る検討法です。マイナス材料で考えても、方向が見えようがない。
また、そうすることで自ずと、マイナス材料直面する必要のない範囲というのも、最初の答えが出てきます。

たとえば、
>高学歴なのに、トラックドライバーになったり、会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。
というであれば、
車の運転に自信がある、給料が目標に合っている、といったプラス材料からそうするのであれば大いに結構。一方その人人との会話が苦手というマイナス材料について、当然、営業の仕事よりは大分支障が少ないですね。
つまり、プラス材料で検討することによって、それが同時に、マイナス材料の可能な回避の答えにも、大抵なるということです。
そうした検討手順を踏まず、ただマイナス材料への怖れから考えても、方向性と答えが出ようもない、という
これはよろしいでしょうか。とにかく自分プラス材料把握することからですね。

今回マイナス材料「業務外の人間関係、飲み会が苦手」といったことについても、まずはプラス材料で就職を考えれば、自ずと避けられる、というか強くは求められない程度という答え多少出ると思います。
たとえば休日にレジャーに誘われるのが嫌というマイナス材料がある人が、プラス材料から考えていって、それがどこよりも求められてくるであろう職場、たとえばダイビングショップという話になることは、あまり考えられない会話が苦手な人プラス材料で考えれば、その結果は、何よりも会話能力が重要になる職種には、多分ならないですね。
この理屈はよろしいですかな。まあとにかく自分プラス材料あげて考えてみることですね。


「業務外の人間関係不安」は健康形を基準に克服検討

その上で、「業務外の人間関係、飲み会」といったものがない職場というのは、基本はないと思います^^; どこでもそうしたのはある考えて臨むのが正解
それは就職考える上で、材料になるものではない、ということですね。

ではどうするかについては一言で、
「業務外の人間関係不安」「健康形」「成長形」を基準に克服に取り組む
というアドバイスを言えます。

つまりまず、業務外で飲み会や休日イベントに誘われた時の対処に、「行くべきor断って良い」などの一律の答えなどなく、これはもう仕事場の行動法の問題というより、個々人の人生全体における人との交友行動全般における心の健康と成長問題だと言えます。

ハイブリッド心理学からの指針は、
・親睦交友行動の「健康形」「成長形」についての理解納得を足場に、「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢および実践で臨む
というものになります。

親睦交友行動「健康形」「成長形」とは、まずは
・相手との無用な衝突をすることなく、自分をより豊かにするものという基準において、特定の交友行動を行う行わないの判断対処を、自分自身でできる
といったものになりますね。
興味があれば参加する、なければ無理には参加しない。飲み会職場の忘年会新年会や歓送迎会など業務に近い性質もあり所用なければ参加など、常識的な範囲まず参加するとして、あとは好きにすれば良し
そうした柔軟性があるものを「健康形」として、体験を通して自分なりの行動を動揺なくできることへと向かっていくのが「成長形」だと言えます。

それに向かうための取り組み実践とは、

1)上記「健康形」「成長形」への理解納得を問う
これがまず足場固めになります。理解納得ができなければ、ではどう理解納得できないか取り組む必要があります。そんなこと絵空事、なぜなら・・というように自分の考えを明瞭化する。明瞭化できれば、その不合理病み分析取り組みできるかも知れない。

次に、理解納得が持てればとして、
2)具体的場面における自分の行動選択検討
うまく判断できず、流されて参加する羽目になるのも、まずは良しとするのがいいですね。重要なのは、参加したくない時どう断るかよりも、参加しないとして何をしたいかを自分に問うことです。それがあれば断る方法も見えてくるし、なければ流されてしまうのも多少自分に許す

3)具体的場面における内面の妨げ感情の分析
自分は何をどう怖れ惑っているのか。
これは結局
>そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは 苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、苦しくなります。
といった話になるでしょうが、上記2)まで行くことで、そうした怖れへの視線変化が起きるということです。それはその不安自体が杞憂であり不要と感じることになるかも知れないし、そうした空想と怖れは消えない、ただ自分の外面行動としては健康なものをできた、という足場によって、「ただ流す」ことが可能になる、といったものになるかも知れない。
いずれにせよ、そうした具体的体験の中での模索積み重ねることで、「自分なり」が見えてくるし、怖れ惑い次第に減少していきます。模索する体験を経ることなく、あらかじめ怖れ惑いがなくなる考え方などを求めると、答えは出ないと思います。

以上、今回のご相談内容への、ざっとアプローチ手順になりますです。検討してみて頂ければ^^。

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「対人恐怖」「悪口妄想」の克服^^ / しまの 引用
No.976 2014/09/27(Sat) 13:48:49

たいへん遅くなりましたが、「対人恐怖」「悪口妄想」克服について理解しておきたいこと一通り書いてみましたので参考頂ければ^^。


「対人恐怖」「悪口妄想」の克服のための「実践」

ハイブリッド心理学が考える「対人恐怖」「悪口の被害妄想」克服は、まずはのような3ステップ「実践」積み重ねによる、というものになります。

1)心の健康と成長に向いた建設的な対人行動法の理解
建設的であることによって、
 ・人を恐れる必要のない行動法
 ・人に悪口を言われることのない行動法

であることに安心を持てるような行動法を、まず理解することが最初になります。
で言った、「純粋な楽しみと喜びの共有として行動する」といったものが、それになります。

2)自分の内面感情の理解(自己分析)
に対して何かの行動へと駆り立てる自分の内面感情が、上述建設的行動法から見て、
 a)建設的行動法に沿ったものであり、行動に移して良い感情 (ex.これこれを一緒に楽しみたい)
 b)建設的行動法に沿わず、行動に移すべきでない感情 (ex.自分を誘わなかったことを非難し理由を問い正したい)
どっちか検討する。
同時に、自分が感じているもの何をどのよう「怒り」「怖れ」「望んで」いるのかなど、自分の感情解きほぐす、ということもここで行います。

3)問題場面での自分の行動の最終判断
自分の感情解きほぐしを経て、最終的には「自分は本当に何を望んでいるのか」問い、それが「生み出す」ことにつながるのであれば、そのための建設的行動法最終判断して実行する、というものになります。
「生み出す」ものでなければ「何もしない」「感情をただ流す」答えになります。


対人恐怖・悪口妄想はどのように消えていくのか

のような「実践」によって、対人恐怖・悪口妄想どのように消えていくのかについて言うと、まず重要なのは、
・「建設的行動法」が分かれば、さらにはできれば、対人恐怖・悪口妄想が消える、という安易短絡的なものではない。
ということです。

そうではなく、
・自分が心の健康と豊かさ、そして本当の強さに向かっているという実感が心の中で形作られ、建設的行動法がそれを生み出しているという心底からの確信ができるに至り、それでも湧き起こる対人恐怖・悪口妄想を「心の中でただ流す」によって、流した分だけ、もはや二度と起きないものへと心の根底から消え去っていく。
というものになります。

従って、それに向かうためには、建設的行動法そのものの理解並んで、さらには増して心の幸福と豊かさ、そして本当の強さとは何か建設的行動法がそれにどうつながっていくのか、といった理解重要になってきます。


「取り組み実践」

そのため、ハイブリッド心理学活用を行う「取り組み実践」は、次の二頭立てで行うものになります。

1)目の前の日常生活および人生の場面への上記「実践」の取り組み。
2)人生を通して心の健康と豊かさに向かうとはどういうことかについての学びと取り組み。


この2つ相互依存関係にある取り組みだと言えます。
後者長い目があってこそ、目の前の場面感情に流された短視眼的な行動で道をそれず、成長に向いた行動をより確かなものとして行うことができます。
また、成長長い道のり別の人間のように変化していくというのは、頭で分かるようなものではなく、「実践」実際多少とも積み重ねる体験によって、「こういうことか!」と分かるようになります。これがさらに目の前の場面での行動成長に向いたものへと、確信の下で導くようにもなるでしょう。


学びの資料

ですので、
>参考になる資料があればお教えいただきたいです。
についても、

1)自身の悩みテーマにおける建設的行動法の具体的な学び
2)心の成長の歩み全体についての学び

という二頭立てで考えて頂くと良いと思います。

1)具体的学び
については、今後『メール相談事例集』整理予定で、それができるとこの辺読んでと分かりやすいのですが今はまだで、ちょっとご不便かと思いますがとりあえず、この掲示板「交友行動」とかのキーワードで検索(←クリックすると出ます^^)して頂くと何か参考になるトピックが出てくるかと思います。

2)成長全体の学び
これについてはハイブリッド心理学全て参考図書です^^。やはりまずは『入門編』からですね。


最初のアドバイス^^

ということで、まず全体としては以上のような話になりますという前提で、

>まずは対人恐怖・悪口の被害妄想から抜け出る方法が知りたいです。次に自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を見出していきたいです。
について最初の具体的アドバイスとして、

・「自分自身において嘘のない、純粋な楽しみと喜び」を見出すためには、まず何よりも、「一人になれる」「一人で行動できる」「一人で楽しめる」ことが必要。
ということになると思いまず。まず一人で行動でき一人で楽しめる。そこで見出す「向上」「楽しみ」を、人と共有する。そうしたものとして交友行動もあるのが、成長形になります。

・「日常生活の向上」という基盤
まずはごく平凡な日常生活の中で見出す向上楽しみにこそ、そのための材料があると言えます。炊事洗濯、料理、お洒落、美容、健康、防犯、などなど。
そこで「占い」に頼るといった非論理的思考でなく、こまめにネットから情報を仕入れ自分でも試行錯誤し研究するといった知恵とノウハウの姿勢が、なによりも、まず自分で楽しめ、次に人と共有することで交友行動も生き生きすることにつながるものになるでしょう。

・「マイナスを消す」ではなく「プラスを生み出す」
>また大学に入り、中・高校のクラスメイト(顔見知り程度の関係)が列車事故とCENSOREDで亡くなりました。これらのショックに加え夏休みを終えて後期に入り友達が以前のようにまたいなくなってしまうという怯えにとりつかれ対人恐怖・常に悪口を言われているという被害妄想意識から抜けられぬまま大学を卒業・・(略)・・
については、まずはそうしたマイナス出来事があるからどうこうする云々よりも、まずにおいて上述のような「プラスを生み出す」という姿勢と生き方、そして行動法を、見出すかになると思います。
それが確かなものになり、それでも流れるマイナス感情「ただ流す」ことで根底から消えていくという流れになるのは上述の通り。
来歴に躓きと妨げを抱えた場合マイナス感情克服については、『概説』全体説明しているようなものになる、というのがハイブリッド心理学考えです。ここでは手短に説明は不可能な、心の深奥の仕組みによって、ということになりますね。

いずれにせよ対人恐怖感悪口妄想は、「成長」の後で消えていく、という順番理解大切です。
我々弱く未熟な存在であることからスタートし、そうである限り、他人が怖いし、下手な行動をして悪口を招く可能性がある存在です。対人恐怖感悪口妄想は、身体の病気や怪我の際の「痛み」のように、自分に成長すべきものがあることを示すサインでもあります。それが最初から消えればこんな自分を演じられるのに・・といった発想すると、「成長」完全に閉ざされますので注意ですね。
>まずは対人恐怖・悪口の被害妄想から抜け出る方法が知りたいです。次に自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を
という「次に」というのは順番が逆だということですね。それらが消えるのは、最後です。

まずはざっとこんなところで。検討頂ければ^^。

具体的場面での建設的行動法については、「こんな時はどうすれば」という具体的材料があれば、書いて頂ければ具体的アドバイス可能ですので^^。

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Re: 「学び」の奥深さ / しまの 引用
No.939 2014/07/17(Thu) 16:14:53

検討を進めるとのことで、とりあえず押さえておくべきポイントコメントしておきますと、

>不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものと全く無縁な集団などあり得ない、という感覚はどうしても抜けません。

「集団」として世に成立するものとなるとそうかも知れませんが、重要なのはその中における個々人の行動法の違いですね。自身交友行動検討も、その把握ありきで前進可能になると思います。
あるケースで不毛なもめごとや陰口・誹謗中傷みたいなものが起きるものが、他のケースでは起きないという違い想定でき、それが個々人のどのような行動法や価値観の違いによる、というものがまず理解できればいいと思います。
できるだけ具体例ベース検討すると良いかと。

>最近、「愛されること」や「褒められること」は危険である、という感覚が次第に浮き彫りになってきました。「愛される」「褒められる」というのは、そこに色眼鏡が入ることも珍しくなく、多少妄想に近いようなものも混ざってくるため、その分相手の妄想から外れないような振る舞いを強いられることになり、逸脱すると「そんなお前はお前じゃない!」という怒りを向けられるようになる、と。

これは「愛されていること」「褒められること」話というより「本当には愛されていないこと」「本当には褒められていないこと」の話というような^^;
相手を愛するではなく、自分の欲求の満足のために利用する。相手を本当には認めていないから、こっちの論理を押しつけるために褒める
これも、そうではない、本当に相手を愛する(愛される)本当に相手を認める(認められる)こととの違いというものを、まずは押さえてからの検討が良いかと^^。

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(No Subject) / こたろう 引用
No.855 2014/04/11(Fri) 21:15:37

新トピで失礼します。
●自分なりの交友行動法
楽しみの共有として
向かうのはわかるのですが、その内容
(なにをどういう風にしたら
自分は現時点で楽しいと感じるのか)を
イメージではなく現実においての
体験で知る、ということで
いいでしょうか。

その内容は人の趣向、
あるいはその時点での
精神的な自立の具合による。

例えば買い物は好きだけど
人と一緒にいくのはわずらわしい。
その場合楽しいことだけど
共有する楽しみとはいえない。

山登りは好きだけど、
あのおしゃべりな人と行くのは
疲れるから、大人しいあの人と
行く。


●話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない

とりあえず大学には行けています。
今はほぼ誰とも会話していません。

自分は人間関係を築くに当たり、
100と0に二分してしまうのがやはり課題
だと思っているのですが、
例えば趣味が同じだという事がわかったと
すると、その人とは友達になるべきだ、
という圧力を感じます。

気が合うかどうかより、
その趣味がやりたいからやっている
という自立した姿にやはり
憧れる。
オープンなタイプの人だと、
共通の趣味について話が盛り上がれば、
「一緒にいこうよ」というのが
自然な流れだという事は多いと感じます。
もちろん、それがたんなる社交辞令だというのは
これから増えていく年齢ではあると
思うのですが、
それでもその言葉が恐ろしくて、
そういうタイプの人に自分の趣味を
隠したくなったり、新しい趣味をしたくても
知り合いに誘われるのが怖くて
やらなかったりします。

サーフィンとかやってみたいんですが...


共有できる楽しみがそこにあっても
(共通の趣味、興味)楽しくない、
というのはなんら不自然ではない事だ、
という認識は大丈夫でしょうか?
会話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない、
なども「楽しみ」の要素になりますよね。

これはある程度、健康な心の人でも
あること。

でも、心がより自立して、
自尊心が高まれば、
「どんな自分でも受け入れてもらえる」という
必要性が少なくなる分、
より広い交遊に、
居心地の良さも含めた「楽しみ」を
感じられるようになる。
しかし、これは長い目でみる
必要がある。




今は、居心地の悪さを感じずに済む関係の
中で、まずは「理解し合うこと」より
共通部分の楽しみを向上させる、という
ベクトルにしていきたいと思います。


また、共有できる話題を話すのみに
留め、一緒に休日にそれをしたりと
いうことはしない、という距離感を
作れれば、関係性の中の中間的、
グレーゾーンの付き合いを増やして
いける気がするのですが、
これに関しては具体的な言葉の使い方とか
を考えていった方がいいのでしょうか。

毎回用事をでっちあげるのも
変ですし、かといってあなたとは
休日は過ごしたくないというのも
変ですし。

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ありのままの自分を受け入れる一歩^^ / しまの 引用
No.852 2014/04/08(Tue) 16:49:07

>外面行動ができれば、表情の問題が 起きないというのが、納得できないのは こういうところてす。

表情の問題も含め、「楽しみの共有」として行動できそうならば、積極的にそうすればいい。できそうでないならいったん孤独を受け入れる、というになります。
表情の問題あまりに不安になるようであれば、無理をせずというです^^。
ですので?@?A?Bのどのケースにおいても、それでも「楽しみの共有」として交友行動をできそうか、したいかという問いになると思います。Yesであれば向かえばいいし、Noであればいったん退却も良し最初からどれをベースに、と決めておくようなものではないと思います。

アドバイス全体としては、あくまで今大学に出ること優先であり、交友2番手。そうした人生全体の全体舵取りの中で、ありのままの自分を受け入れることにまず成長の一歩があり、受け入れる時間多少持つことで、感じ方変化するであろう、そこからまた新しい一歩模索に行く、というものになります^^。


>交友を豊かにする自分なりの行動法、自分で考えることだとは 思うのですが、例えばどういった事になるのでしょう? 線引きを決めるということですか?

紋切りアドバイス(^^;)になりますが、ハイブリッド心理学からの「交友を豊かにする行動法」は、「楽しみの共有」として向かうものです。互いの間柄や距離線引きをするようなものではなく、流動的でオープンなものとしてです。
ですので「楽しみの共有」できれば積極的に行動を共にする、できなければ無理に行動を共にしないという姿勢行動法こそが、豊かな交友と、個人の確立共に築くことのできるものと考えています。

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交友行動の指針^^ / しまの 引用
No.847 2014/04/04(Fri) 10:07:42

交友行動については、
・「破壊」の行動モードでなければ何でもok。「絶交する」は破壊ですが、「今回は参加しない」は破壊ではないですね。そうした、モノは言い様によって破壊にならないのをうまく使い、ゼロか100かではない、自分に可能なラインを築いていく。
・相手もあることなので、最初から「これで」と行動法を決めるのは無理。多少流される成り行きでも良し。
・「友達ならこうすべき」「裏切り」とかは不合理思考。あくまで「楽しみの共有」として可能なものというのが合理思考。


といったものを外面行動指針にして、その中で自分に可能なものを探して実行するというものになると思います。
あくまで「自分として何ができるか」優先基準です。「人にこう思われるように」という操縦的なものではなく。「こう思われる」という配慮無駄ではありませんが、あくまで2番手です。
それらの中で、本当に自分に無理なく、交友を豊かにする自分なりの行動法どんなものか探し、築いていくというものになります。
実際の行動で、体験通してです。

「イメージ」を基準に行動を決めるのではなく、「現実の体験」の中で自分を知り、行動法を向上させていくという地道な一歩一歩重要ですね^^。

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「交友行動」が課題ではない人生の段階へ^^ / しまの 引用
No.783 2014/02/06(Thu) 11:52:22

2種類の交友行動法

これはまずは、ごく一般的な交友行動法として、「かなり深いつき合い」相手「まだ浅いつき合い」相手とでは、多少行動法が異なるということから考えると良いかと思います。

書いて頂いたように、
・「自分」についての情報のやり取りが増える
・ナイマスの内面を表現することも絆を深めることにつながり得る

のは、基本的には「かなり深いつき合い」相手ですね。家族親友恋人などごく少数相手

一方、社会に出て「まだ浅いつき合い」相手への一般的な行動法としては、
・自分のことばかり話すのではなく、相手と楽しめる話題があればそれについて話す
・マイナス内面は表現しない

というのが基本になると思います。そこから、いかに相手とのつき合いを深められるかは、自分が相手と心底からつき合いを深めたいと感じるか、相手がそう思っているかに、まずは拠りますね。どっちかがそう感じてないなら、ちょっと無理^^; まあこれは恋愛に限らず「片思い」というのが人生で体験するものですね。それを見分け、スマートな行動法にすぐもっていけるようになるのが、人生経験の積み重ねによってになってきます。
それもまずは、「まだ浅いつき合い」の相手への一般的な行動法ができることからだ、というになると思います。それができればまずは安全、というものとして。
はっきり共有することに楽しめるもの見出すことから。それがないなら無理に交友を強めようとする行動しない、と。

社会に出る、また「大学」という段階からは、「まだ浅いつき合いの相手」さらに「つき合いもしない相手」への、友好的な行動法というものが基本になると思います。
それに対して、小中高でまず最初に出会った友だちとの行動法でもって、大学以降の交友行動も考えると、とてもぎくしゃくしてしまうと思います。もちろん「大学」さらには「就職」においても、「最初に出会った仲間」とは、最初から「かなり深いつき合い」交友行動取れるケースもある。そんな相手ができるのは人生の賜物一つですね。
しかし、一度それを「逃してしまった」ら、深いつき合いはその形ではもう得られるものではなく、「まだ浅いつき合い」の行動法をしっかり取ることから始め、「かなり深いつき合い」にできかどうかをじっくり探るというモードに、切り替えなければならない、と言うことができると思います。


「まだ浅いつき合い」が行動法ベース

ということで、こたろうさん場合も、「かなり深いつき合い」の行動法だけで考えているのが一因ともなっている、ぎくしゃく度かなり重症(^^;)なものと言えると思います。
もちろん考え方だけではなく、来歴に由来する根深いマイナス感情の問題もあるでしょうが、その克服のためにも、まずは行動法を安定させることからになると思います。まず行動法を安定させ、それでできてくる余裕足場に、じっくり根深い問題にも取り組めるようになる。

重要なのは、「まだ浅いつき合い」の行動法ベースに考えるのみでなく、実際それをベースに行動できることです。それができて、その中で、どう深められるかを探り、そうできる材料をしっかり見つけたら、深めていく。
これは「行動学」からも、つまり行動法の効果理屈で考えても言えることです。実際
a)まず「まだ浅いつき合い」の行動法取ってから、「かなり深いつき合い」の行動法模索し向かうというのは、基本的対人関係の「豊かさ」に向かう方向性なのですが、これがに、
b)まず「かなり深いつき合い」の行動法行動法を取って、「まだ浅い深いつき合い」の行動法模索し向かうというのは、基本的には難しいことであり、そこでは関係が「破局破綻」そして「消滅」に向かうというものになります。

また、心理学からは、「まだ浅い深いつき合い」の行動法取れない状況で、「かなり深いつき合い」の行動法どう取れるか悩むというのは、まず言って相手がそれを求めている、自分はそれに応えなければという思考によってになるのですが、これは得てして「関係妄想」の原型と言えるものです。「現実」に出てそれが覆った場合、程度の深刻さバリエーションはあると思いますが精神的破綻が起きます。
まあそれがに、本人「依存」を脱し「自立」に向かう姿勢があったならば、「今までの意識の崩壊」による健康化つながる道になるのですが、そうではなく本人がたとえば攻撃性を伴う依存にとどまったままだと、ストーカー的行動へと道をそれてしまうことも出てきます。

そうした話を踏まえ、こたろうさんのケースで言えるアドバイスとしては、「かなり深いつき合い」の行動法多少とも検討し得るとしたら、相手からそれに相応しい働きかけが、今実際にある場合です。今現時点において、深く心配するような連絡があるのであれば、検討できる
しかし2年も会ってないということであれば、いったん全てリセットされたものとしてゼロから、という想定で、具体的行動法を検討するのがベスト、ということになると思います。


「目的ベースのコミュニケーション」と「雑談」

以上が考え方の、前回からの補足として、細かいご質問への返答など書いておきますと、

>えと、これはそもそも「物事」と「自分をわかってもらう」という会話内容についての区分があまりハッキリしていないのかもしれません。それに関して、具体例などありましたらお願いします。

僕自身の体験で言いますと、僕の場合心の健康化に大いに役立ったものとして、会社のスキー部への参加がありました。そこは基本的心が健康で明るい人々の輪でしたが、まずはスキーの話盛り上がるわけです。どの斜面どんな滑りとか。
まず「自分」のことから話す人はいない感じですね。
ごく短いこの話で、違いが多少分かるかどうか。

>>「仕事のスキル」を得るとは、そこに必ず、人とのコミューニケーション材料を、今までの学生時代の馴れ合いの輪の中の談笑とは全く違う形で、得ていくことでもあります。そこから逆に、仕事以外の場における人との交友への入り方というものも、見えてくるかも知れません。
>こういうものは、いわゆる「雑談術」などのビジネス本から得るのでしょうか。島野さん的なノウハウは何かありますか?

これについては、まず「仕事場面のコミュニケーション」については、
『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10
への第2レス
『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21
=========
「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・
=========

のところなど読んで頂くと良いかと。「雑談術」というより、仕事の知識そのものですね。というか「雑談術」「ビジネス本」ではないような・・「自己啓発本」ではあるかも・・まどーでもいい話^^;

上述スキー部の会話、また仕事場面のコミュニケーションも、「楽しみ」伴うか否か違いはあるとしても、どちらも「目的」がかなりはっきりしたコミュニケーションです。前者スキーの楽しみ共有後者は仕事

それに対し「雑談」というのは、そうした「目的」がない会話ですね。
ごく手短に言えば、これはコミュニケーション術としては2番手になると思います。まず1番手目的ベースのものとして。
まずこの優先順位しっかり踏まえそうした「雑談術」が必要か、という問題からになると思います。
これもごく手短に言えば、にとってはそれはあまり必要なく、「雑談術」も特に持たない結果となった次第です。まあそれがあれば宴会が苦手とか克服できるのではと考えたこともありましたが、そんな漠然としたものより、スキー部への参加人生のパートナーの模索といった人生の歩みの中で心が成熟し、やがて執筆に心血注くようになったという経緯で、「雑談」というのは今は特に必要とも感じない次第です。というかちょっと時間の無駄を感じる面も・・^^;
まこれはあまり参考にならないコメントかもでしたね^^。


マイナス内面は出さない原則

>ここを具体例で説明していただけると助かります。マイナス感情は全て出さないというのはやはり極端だし、そういう人は不自然だし逆に人から避けられる気がします。良い人だけど人間味が無くて、とか。
>どういう意味で「後始末」が必要なのか、「一人歩き」とはどういう事なのか具体例があればお願いします。

「一人歩き」は、最近の言葉で言えば、「話が拡散する」というようなことです。
たとえば「対人恐怖傾向をカミングアウト」といったものが、話が拡散して友人知人にまず「対人恐怖の誰々さん」という認識のされ方になる可能性があります。人づてで面識を持つ際も、「あ、対人恐怖の誰々さんね」と、そうした話が先行する交際になる可能性があります。
一生それで良く、それで心が楽になる(?^^;)のであれば、カミングアウトするも良しということです^^。でない場合は、どうにかして、自分はもう対人恐怖ではありませんということを、知人友人に納得させる行動必要になってきます。これが「後始末」という話。

これも考え方の話に戻れば、マイナス内面の表出は、ごく限られた「かなり深いつき合い」では、場合によっては絆を深めることにもつながるかも知れません。
しかしそれも、それによってそのマイナス内面の克服の方向性がある場合はです。たとえば受験就職への不安などはそうした類かも知れません。

「対人恐怖傾向」の場合は、カミングアウトによって克服するものなのかは・・う〜んどうなんでしょうね(←長嶋さん口調?^^; いや無用なジョーク失敬^^;)
ハイブリッド心理学では、自己取り組みによって克服するものになりますので、少なくともハイブリッド心理学の取り組み実践するのであれば、カミングアウトはなしになります^^。

マイナス感情を出さない人不自然だと人に嫌われるなんてことはないと思いますヨ^^。実際の人の様子良く観察してみれば分かると思います^^。
最初の方で書いて頂いた

>例えば、人見知りだといわれれば人見知りの人は安心感を持つ場合がある。相手もリラックスして「喜びと楽しみの共有」がしやすくなる。

も、実際大抵の人むしろ緊張してしまうと思います。言わないでおくのが華です^^。


「交友行動」が課題ではない人生の段階へ

ということで、大きな話に戻って総括しますと、こたろうさんの置かれた状況においては、まず何よりも、「交友行動」が課題ではない人生の段階へ向かう、そのための知恵とノウハウを得ていく、という大きな視点何よりも重要になると思います。
そこにおいては、今交友行動がうまく取れないことも、妨げにはならないのだという心の視野得ることが、なによりも心の支えになるのではと。

そのためには、当面の行動法については、上述の通り、交友関係かなりリセットスタートという前提で行動法を安定させ、安定した日常のリズム中で、ハイブリッド心理学の取り組み法についても時間の折にじっくり読んで学んでいく、という今後の進め方ができれば、というのがアドイバスになります^^。

あっあと、より大局的人生の歩み方として、「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という流れの中にあるというのが一番大きな話になりますので、それについては『入門』今掲載中の部分(次に掲載予定の「取り組み実践による「心の成熟」への歩み」など引き続きじっくり読んで頂ければと^^。

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