■ 「業務外の人間関係不安」の克服^^ / しまの |
引用 |
No.961 2014/09/09(Tue) 14:20:46
では引き続き前の方の話について^^。
アドバイスとしては2つのテーマになりますね。 ・就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する ・「業務外の人間関係不安」は「健康形」を基準に克服に取り組む
就職はマイナス材料ではなくプラス材料で検討する
就職は、「苦手なこと」などマイナス材料ではなく、「得意なこと」や資格などプラス材料で検討するのが、まずは良いというか答えが出る検討法です。マイナス材料で考えても、方向が見えようがない。 また、そうすることで自ずと、マイナス材料に直面する必要のない範囲というのも、最初の答えが出てきます。
たとえば、 >高学歴なのに、トラックドライバーになったり、会話の少なくて良いライン作業を仕事とする人が増えているといった記事も見ました。 という話であれば、 車の運転に自信がある、給料が目標に合っている、といったプラス材料からそうするのであれば大いに結構な話。一方その人が人との会話が苦手というマイナス材料について、当然、営業の仕事よりは大分支障が少ないですね。 つまり、プラス材料で検討することによって、それが同時に、マイナス材料の可能な回避の答えにも、大抵なるということです。 そうした検討手順を踏まず、ただマイナス材料への怖れから考えても、方向性と答えが出ようもない、という話。 これはよろしいでしょうか。とにかく自分のプラス材料を把握することからですね。
今回のマイナス材料、「業務外の人間関係、飲み会が苦手」といったことについても、まずはプラス材料で就職を考えれば、自ずと避けられる、というか強くは求められない程度という答えは多少出ると思います。 たとえば休日にレジャーに誘われるのが嫌というマイナス材料がある人が、プラス材料から考えていって、それがどこよりも求められてくるであろう職場、たとえばダイビングショップという話になることは、あまり考えられない。会話が苦手な人がプラス材料で考えれば、その結果は、何よりも会話能力が重要になる職種には、多分ならないですね。 この理屈はよろしいですかな。まあとにかく自分のプラス材料をあげて考えてみることですね。
「業務外の人間関係不安」は健康形を基準に克服検討
その上で、「業務外の人間関係、飲み会」といったものがない職場というのは、基本はないと思います^^; どこでもそうしたのはあると考えて臨むのが正解。 それは就職を考える上で、材料になるものではない、ということですね。
ではどうするかについては一言で、 ・「業務外の人間関係不安」は「健康形」「成長形」を基準に克服に取り組む というアドバイスを言えます。
つまりまず、業務外で飲み会や休日イベントに誘われた時の対処に、「行くべきor断って良い」などの一律の答えなどなく、これはもう仕事場の行動法の問題というより、個々人の人生全体における人との交友行動全般における心の健康と成長の問題だと言えます。
ハイブリッド心理学からの指針は、 ・親睦交友行動の「健康形」「成長形」についての理解納得を足場に、「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の姿勢および実践で臨む というものになります。
親睦交友行動の「健康形」「成長形」とは、まずは ・相手との無用な衝突をすることなく、自分をより豊かにするものという基準において、特定の交友行動を行う行わないの判断対処を、自分自身でできる といったものになりますね。 興味があれば参加する、なければ無理には参加しない。飲み会は職場の忘年会新年会や歓送迎会などは業務に近い性質もあり所用なければ参加など、常識的な範囲はまず参加するとして、あとは好きにすれば良し。 そうした柔軟性があるものを「健康形」として、体験を通して自分なりの行動を動揺なくできることへと向かっていくのが「成長形」だと言えます。
それに向かうための取り組み実践とは、
1)上記「健康形」「成長形」への理解納得を問う これがまず足場固めになります。理解納得ができなければ、ではどう理解納得できないかに取り組む必要があります。そんなこと絵空事、なぜなら・・というように自分の考えを明瞭化する。明瞭化できれば、その不合理や病みを分析取り組みできるかも知れない。
次に、理解納得が持てればの先として、 2)具体的場面における自分の行動選択検討 うまく判断できず、流されて参加する羽目になるのも、まずは良しとするのがいいですね。重要なのは、参加したくない時、どう断るかよりも、参加しないとして何をしたいかを自分に問うことです。それがあれば断る方法も見えてくるし、なければ流されてしまうのも多少自分に許す。
3)具体的場面における内面の妨げ感情の分析 自分は何をどう怖れ惑っているのか。 これは結局、 >そうすると、次会うときからは「この人は私とは話したくないのだ、私と一緒にいるのは 苦痛なのだ」という目で見られているという感覚がつきまとい、苦しくなります。 といった話になるでしょうが、上記2)まで行くことで、そうした怖れへの視線に変化が起きるということです。それはその不安自体が杞憂であり不要と感じることになるかも知れないし、そうした空想と怖れは消えない、ただ自分の外面行動としては健康なものをできた、という足場によって、「ただ流す」ことが可能になる、といったものになるかも知れない。 いずれにせよ、そうした具体的体験の中での模索を積み重ねることで、「自分なり」が見えてくるし、怖れ惑いも次第に減少していきます。模索する体験を経ることなく、あらかじめ怖れ惑いがなくなる考え方などを求めると、答えは出ないと思います。
以上、今回のご相談内容への、ざっとアプローチ手順になりますです。検討してみて頂ければ^^。
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