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「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」から^^ / しまの 引用
No.733 2013/12/10(Tue) 11:17:36

「交友行動をあるべき姿で律しようとする」という問題・・?

これは問題かなり明瞭で、ずばり、「楽しみの共有」としての行動を取れていないケースになりますね。

まずごく外面の行動内容を見ますと、ちょうど昨日チェンジさんへのレス
『Re: 愛想笑い』 しまの No.728 2013/12/07
で、
「こうした方がいい」という比較的肯定的な言葉を使っても、相手が自分で何も問題を感じていないのなら、まずは相手の否定になる、というのが当てはまります。そこにどんな問題があるのか、それを相手に指摘する必要があるのか、から検討するのが良い、と。

>「もういいんじゃない、話しているうちにお互いにわかってくるし」と笑いながら言いました。場は穏やかな笑いのムードであり、私の発した言葉はその雰囲気にも乗るような違和感のないものだったと自分では感じます。

についても、笑いながら言ったとしても、かなりの否定行動として受け取られる危険があると思います。この辺「言葉の慎重さ」は、人生を通しての勉強課題にしたいものです。
ともかく「行動学」的に分析するなら、なぜそこで止めようとしたのかです。「もうコンサート始まっちゃうよ」なら、カドは立たないですね。ではこの場合にーなさんなぜ止めようとしたのか。

そこから言えるのは、交友行動が、「楽しみの共有」ではないものになっている、というかより正確的には、交友行動が「楽しみの共有」だとして、それが「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じておられるのではないか、ということです。
もちろんそうした側面「団体行動」にはあるものであり、その場合はそれなりの「組織化」「規則の明確化」が、具体的行動場面先立って必要になってきます。「幹事」明示し、仕切るための発言権を与える、イベントの際に先立ってスケジュ−ル表を作り、時間の制約があるのであれば、「自己紹介は一人3分以内にて」添えておいたりする。そこまですれば、あとはもう「時間切れ〜」笑って言えることになってきます。
そうした前提条件なしに、ただにーなさん自分の心の中「自己紹介はスムーズに回るべき」と考えていただけの話であった場合は、にーなさん自分の考えだけでものごとを動かそうとしていると見られても仕方がなくなってしまうと思います。
文章を拝見する範囲では、その場はまだあまり規則立てた団体行動ではなく、時間が許す限りいくらでも脱線していてもいい場のような・・。となると、「場は穏やかな笑いのムード」を維持したようですが、内心ではかなり引いていた、あるいはショックを感じた人さえいた危険もあると言えるように思います。


「あるべき姿からの他人への否定」に取り組む

そうして前後に書いて頂いた内容を見るに、感じられるのは、こうした問題が、かなり根が深く、広く、人生の中で起きているらしい様子です。ちょっとこんな表現ご容赦ですが、印象として、まあそれほど重くないものだとして、自分で気づいていない病気を人生の中で持っている、という印象
まあその病気(^^;)とは、交友を「楽しみの共有」としようとしてはいるが、そこに「あるべき姿からの否定感情」がすぐに入り込んで、そもそもの「楽しみ」を破壊してしまう、というもの。
実はそうした「あるべき姿」があって、

>少し関係が和らぐ雰囲気があるとまた近づくという不安定な行動

取るのかも知れませんね。

ですので、まず取り組むのがいいのは、ずばり、「あるべき姿からの他人への否定」になると思います。
それを自分はどう心の中で他人に向けているか。そして場合によりそれを行動化してしまっているか。お姉さんとのから察するに、小さい頃はそれをふんだんに行動化してしまっていた可能性が高いと思われます^^; はそうではないと思いますが・・。
その否定行動の強さが深刻というよりも、その否定行動が自らの欲する他人との親愛を自ら破壊しているものであることに、自分で気づいていないならそれが深刻な問題、という感じがします。右手がしていることを左手が知らないというやつ^^;

それを行動化してしまったら、あとはもう後の祭りというか、相手がそれを見逃してくれるかどうかの運不運になってきますね。
その点、今回その友人は、にーなさんと同じく「こうあるべき」という観念からの否定行動を持つ人であるように思われます。つまりにーなさん似た者同士なんですね^^; そうした相手が、どうもにーなさん苦手とする相手であるように推測できます。


「行動法」と「価値観」への取り組み

ですのでそこからまずは、やはり「建設的行動法」への取り組みですね。
内面何をどう感じるかはさておいても、外面行動として「破壊」になるのではなく「建設」になる行動法、言葉の使い方、話の持って行き方取り組む相手の行動をやめさせたいのであれば、まず相手に問題をどう認識させるかから、というように。そこでもまた言葉を慎重に選ぶことを学ばねばなりません。さらに言えば、それが問題だと感じる自分の感覚が本当に妥当なものなのかも、確認しなければならないでしょう。
そうして、結局のところ自分を窮地に陥らせる行動を、まずはいかに事前に敏感に察知し踏みとどまれるようになるか。

それによってしっかりと安全弁を用意しつつ、という話になると思いますが、「価値観」本格的に向き合う必要がありますね。
交友行動が「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じている感覚思考がないか。あるいははっきり信念のようなものがあるかも知れない。『実践詳説』で書いた「道徳の授業型人生観」でもありますね。正しい自分が愛されるべき、と(P.123「人生観」の学び
さらにもっと直接、広く目を向けてみるものとして、自分がどのように人への批判否定の感情や思考を向けるているかを、しっかりキャッチするのがいいでしょう。おそらく、「こうあるべきなのに」という観念を伴いながら抱くであろうものとして。

これはつまり結局前の方での
>ただ、これが自分の中にある「否定価値」から来ているのだろうか、自分は相手を否定しているのだろうかと思うと、
というのが、実際その通りだということになるでしょうが、それをまたさらに
>なんだか自分が根本的に間違っているような気持ちになります。
と感じるのがまた否定価値働きであり、問題の克服には全くつながらないわけです。そして
>自分の生活全体に影響を及ぼすものではない」と表面の意識では納得しつつ、内面では「どうせ自分なんて」という落胆と悲しみを感じます。
が、もう問題解決からは遠く離れた谷底甘い自己嫌悪耽るというものになってしまうわけです。


まず「行動学」を学ぶことから

取り組み実践としては、まずは「行動学を学ぶ」一言につきます。

上に書いた「団体行動」「組織化」「規則の明確化」と言った話は、「原理原則行動法」です。「楽しみの共有」という「建設的対人行動法」ができるためにも、まず楽しみ以前トラブル防止できるためにhも、「原理原則行動法」必須になります。

これからの対人行動場面のちょっとしたイザコザなどを、全て、まずは「原理原則行動法」で解決できるようにする。まずはこれが目標になるかと。
その取り組みの中で、「価値観」についても、自ずと分析できると思います。「原理原則行動法」としてはこう、という基準ができれば、後は、それとは違うものとして動く自分の思考も感情も、即座にピタリとその歪みが測定できるという次第です。それが前コメントで言った、海の上で作業するためのです。
上に、交友行動が「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じている感覚思考、また自分がどのように人への批判否定の感情や思考を向けるているか、という検討課題を書きましたが、これを先に意識するとまた否定価値で自分を否定する繰り返しだけになる可能性がかなり大きく、まずはあくまで「原理原則行動法」の習得が先だとするのが良いでしょう。
情報としては、まいどのリンク掲載ですが以下などから。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)
より本格的に学ぶなら、「ハイブリッド心理学指定の必読書」として
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

まあ推測できるのは、僕自身経験ありなのですが、「自分は正しく、皆間違っている、このままでは駄目になる」という、中身をあまり問わない宙に漂うような感情流れており、それがちょっとした出来事を捉えて他人への批判否定観念生み出す、というのが起きているかも知れませんね。
いずれにせよそうしたものどう「分析」「反省」したところで、それは克服できません。それの代わりになるものを築かなければ。血が悪くなる病気治療として、悪い血を抜き出すとして、そこに替わりとなる健康な血がなければ、また悪い血が生み出され体を満たしてしまいます。健康な血を用意しておき、悪い血を抜き出したらすぐに健康な血を埋めることで、やがて根本の造血機能健康化されるという次第です。

ということで、

>過去の過ちに対する後悔よりも、今後、望みへ向き合っていく中でブレないものとなっていくと思っていてよいでしょうか?

Noです。まず、自分から望みを妨げる行動法克服するのが当然先です。過去の問題についても、そこにどのような行動法の誤りがあったか、正解はどうだったかという答えを出せることが条件になります。
そうした妨げを克服しないまま望みに向き合おうとしたところで、まず起きるのは、今回の話で言えば、「親愛」の「望み」を向けることのできる相手に、何かの歪みを伴った限定が生まれることです。「この相手でなければ」と。ここでが、当初のご相談内容にも見事に重なってきますね^^。

>周りから誰も居なくなること覚悟で

は、もうまさに、自分の問題の克服を知らないまま、問題に加担する発想過去に成立した愛への病的な執着後悔にもつながってしまうものです。

ということで、「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」することからですね。それが全ての足場、そして自己分析の糸口になると思います。
心の惑い動揺があるほど、心ではなく客観的場面内容に取り組むのが近道です。「自分」「相手」「どっちが正しい」といった思考法で、全てが惑い動揺の繰り返しになりますので、それにはまらないようしっかり目を配りながら「この場合の行動法は?」という思考取り組んでみて頂ければ^^。

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Re: 愛想笑い / しまの 引用
No.728 2013/12/07(Sat) 17:15:28

どんな表情仕草がいいかというより、行動全体として肯定的建設的になることが重要だと考えます。

表情仕草は、その中でごく自然に、がまずはよろしいかと。
話の内容と食い違う笑顔などはやはり違和感を感じさせてしまうと思いますので、常に意識するのであれば、例えば「いつも口角を少し上げる」程度などがよろしいかと^^。

>それから、肯定で会話すると良いとのここから、〜より〜した方が良いよと話をした時、それは否定とも受け取れたと言われました。それは、〜よりと言う前に、相手の会話に対して、そうかもしれないねと受け止めることが先決かと感じました。

これがそうした、行動全体として肯定的建設的かという話で、もし相手が自分で何も問題を感じていないのなら、〜より〜した方が良いよと話をするのは、まずは相手の否定になりますね。その場合は、そこにどんな問題があるのか、それを相手に指摘する必要があるのか、から検討するのが良いかと。

ともかく、一律にどんな言葉を返すのがいいかというより、内容いかん行動法言葉の使い方問題になると思います^^。

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