しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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仕事 / コト 引用
No.1013 2014/12/26(Fri) 19:45:41

 仕事とは、業務を取り組む場所であり、やることがたくさんあります。その時間の中で、淡々と業務をこなすだけではつまらなく疲れるから、不満の発言のりアクションや、ワイワイと楽しい話題をする方がいた方が良いと話される方もいます。
 たしかに雰囲気というものはあり、おもしろい話題があった方が、楽しいということは分かります。しかし、仕事をこなすことを優先させ、仕事量が多く時間を目一杯取り組みたいという姿勢があります。
 雰囲気の不満を言う方は、仕事が大変だから、楽しい雰囲気が必要なことや、楽しく仕事をしたいと考えているのかと思います。
 仕事は、仕事をするために集まった集団であり、友人関係とは違う。
 日々、集団内で個々が、対人の持ち方を考えていると思います。
 島野さんの、ご意見をお願いします。


 
仕事場における親しみ^^ / しまの 引用
No.1014 2014/12/29(Mon) 18:36:23

もちろん、仕事場仕事をすること第一の目的として集まる場であり友だちを作ることを第一の目的として集まる場ではありませんね。
ただもちろん、だからと言って仕事を通じて親しくなる相手ができる可能性に、背を向ける必要もないということになると思います。

まあそれが基本的な話として、ハイブリッド心理学から加えることのできる視点としては、以下2つになるかと。

仕事がつまらないからワイワイしたい(ということはそれは仕事とは関係ない話題)といった消極的、逃避的な親しみではなく、仕事を前向きに行う向上心や楽しみ、情熱を共有するという積極的、成長的な親しみに向かいたい。

・そうした積極的、成長的な親しみどう向かうことができるかは、仕事場に行ってからではなく、生活と人生の全体日々そうした積極的、成長的な親しみ向かうことへの取り組み重要になってくる。

まずは手短に、そんな視点になりますね^^。


 
Re: 状況 / コト 引用
No.1015 2014/12/30(Tue) 18:11:09

私も、同感です。
また、仕事を前向きに行う向上心や楽しみ、情熱を共有するという積極的、成長的な親しみは、すばらしいことです。
生活と人生の全体で日々そうした積極的、成長的な親しみに向かうことへの取り組みが重要になってくるということも、その通りと思います。
 ただ、このように考えていない方としては、違う対応をされていることが現実にはあります。

 個々人は、これまでの生き方・考え方で、状況や方法を見ることから、態度や対応の違いが出てしまうのだと感じます。それゆえ、ある意味、相手に対する苦痛を感じるのではなく、自分自身の方法はどうしていくかということなのかと思いました。

 島野さん、補足がありましたらお願いいたします。
 
 
 


 
「取り組み実践」^^ / しまの 引用
No.1018 2015/01/03(Sat) 14:59:18

>相手に対する苦痛を感じるのではなく、自分自身の方法はどうしていくかということなのかと思いました。

そうですね。まさに、自分自身としてはどんな姿勢どんな行動法で行くのかが課題となる。
そうした「積極的で成長的な親しみ」理想だとして、実際どうすればそれに向かうことができるのか。

そこにまさに、 ハイブリッド心理学「取り組み実践」始まる、というになります。
それは「積極的で成長的な親しみ」絵に描いた餅のように自分に押しつけるのではなく、

「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の基本姿勢と実践を携え、「望み」に向かって生きる。
というものを、生活と人生の具体的場面一つ一つについてじっくり検討するというのを、生涯にわたり行っていくもの、ということで^^。

そうした「取り組み実践」について、ごく大まかなこと『概説』で、より詳しく『取り組み実践詳説』説明し(無料電子書籍こちら^^)、また今後『メール相談事例集』でその具体的な様子など紹介していきますので、ぜひ参考にして頂ければ^^。


 
Re: 生活場面 / コト 引用
No.1019 2015/01/03(Sat) 16:37:07

 
 私自身、日々遭遇する生活の中で、考えていることが、

 まさに、相手はどうであれ、自分はどんな姿勢と行動法を選ぶのか。そして、「感情と行動の分離」の基本姿勢と実践を携え、「望み」に向かって生きることは、自分のためであるということ。そして、相手にとってはこの行動方が気に食わないと思っている方がいても、躊躇せずに貫くこと。

 生活と人生の具体的場面の一つ一つについて、じっくり検討するということが、
生涯にわたり行っていくものであることを気づかされました。

 島野さん、新たに前に進めます。ありがとうございました。

 



裁量 / コト 引用
No.1004 2014/12/03(Wed) 19:24:34

 職場で主導権を握っているような方がいて、異議を申し出る方がいません。上司というよりは、勤続が長いということと、行動力から、その方の独断で業務を割り振っています。私は、どちらかというと、その方の独断で決めることではないと、感じる方であります。
 大勢で決めると、まとまらないということがあると思いますが、その方の思い通りに事を運ぼうとして、それが通ってしまいがちで、事が終われば良いとの感じです。
 そして、その水面下の不満などからか、別のことで小言を言う方が多いです。
 小言を言っている方が多いことと、言われたことを淡々とこなす事が求められることを考えると、長年組織で働くという事は、大変なことであると感じました。
 そのことを不条理と感じる中でも、その波に乗り、こなすことで、自分の中の許容範囲も広がるのかとも感じます。
 ただ、自分の価値観は、持ったままにです。
 また、視点を移し、自分の業務との兼ね合いをつけながら、突発の業務に対応できるようにとの姿勢でいれば、滞ることはないと考えます。
 島野さんも、会社の経験では、いかがでしたでしょうか。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1005 2014/12/04(Thu) 18:24:43

仕事は、疲れるものであると思います。周りの人も、疲れたと発言することを聴きます。
 仕事は、大切なものですが、最近は忙しさから、あくせくとして、やりがいどころか、こなす事で疲労で、毎日を終えていると感じがしています。
 収入が足りないと、生活が大変になるなどや、なりたい職業を全うする姿の尊敬など、
長期的な視野で考えれば良いのかと感じます。
 


 
Re: 裁量 / しまの 引用
No.1007 2014/12/06(Sat) 16:52:26

>職場で主導権を握っているような方がいて、異議を申し出る方がいません。上司というよりは、勤続が長いということと、行動力から、その方の独断で業務を割り振っています。私は、どちらかというと、その方の独断で決めることではないと、感じる方であります。

集団での行動秩序統率保たれるためには、「リーダー」必要不可欠になると思います。
仕事場面で言えば、社長部長など明示的に任命されたリーダーや、その下で経験の長さなどから暗黙的にリーダー的になっている人などが出てきますね。

もちろんリーダーの言うことが全ての場面で常に最善とは限らないでしょうが、全ての場面「全員で話し合い」を始めると文字通り仕事にならなくなってしまいますので、まずはそうしたリーダー裁量に任されるということになると思います。
もちろんもしリーダーの言うことが本当に間違っている場合は、対処必要になりますね。また間違いばかりしか言わないリーダーであれば、自然リーダーを他の人に代えようという雰囲気が出てくると思います。

ということで、まずはリーダ−主導権を持つのは良し問題があれば具体的内容に応じ対処、ということになると思います。問題対処については一般論ではなく内容に応じた個別知恵とノウハウになると思いますので、ヒント欲しい内容があれば言って頂ければ^^。

>長期的な視野で考えれば良いのかと感じます。

そうですね。長期的な視野目の前の問題課題への対処の学びという、二頭立てが良いと思います^^。
長期的な視野については、
『生活』 コトさん No.997 2014/11/03
へのレス
『「仕事」への向かい方の3段階^^』 しまの No.998 2014/11/06
僕からの考えということで^^。
目の前の問題課題への対処については、これもやはり内容に応じた個別知恵とノウハウになると思いますので、ヒント欲しい内容があれば言って頂ければ^^。


 
Re: / コト 引用
No.1008 2014/12/06(Sat) 19:54:10

「もちろんもしリーダーの言うことが本当に間違っている場合は、対処が必要になりますね。また間違いばかりしか言わないリーダーであれば、自然とリーダーを他の人に代えようという雰囲気が出てくると思います。」との話が、印象的でした。

 そのような雰囲気になるかは、遠い話の気がいたしますが、しばらく自分のやることに専念して、静止していようと思います。

 ご意見、ありがとうございました。



学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / 引用
No.1003 2014/12/02(Tue) 01:33:02

 こんにちは。

 物理的変化として、混沌としていた自室があらかた片付きました。
 参考にしたのは、TVにも結構出演されていた近藤真理恵さんの著書などですが、よく言われている「物を大切にする」という言葉の意味合いを考え直すのにもずいぶん役に立ちました。少なくとも、自分の役には立たないような物を嫌々ながら収納に押し込んで持ち続けてる状態は、決して物を大切にはしていないのではないか、と。自分に必要な物や持ってて嬉しくなるような物など、残す物を厳選してそれを大切にするほうがよほど精神衛生上良くなることに気づきました。
 他には、余所のサイトで勧められていた精神世界系の著書を読んでみました。感情と行動の分離を理解する手助けになるとともに、先生の説明の中で「他の取り組みも本質は同じ」ということを仰られてましたが、それを実感するような記述もありました。その著書の内容に沿って考えると、私の場合は、思考や感情を自分そのものだと思い込んでそれを前提にあれこれ考えていたことも感情と行動の分離が捗らない理由の一つに挙げられるように思えました。

 最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。それに沿っていくと、何かの行動を起こす場合に他の人との関わりを増やす必要がある、という感覚はだいぶなくなってきており、その方が自分にとってしっくりきている実感があります。これまでの行動も考えてみれば一人での行動が起点になっていましたし、今は一人で楽しめるものを増やす、あるいは一人で行動できる範囲を広める時期なのかもしれない。と感じてます。たまに一人で遊びに行ったとき「この面白さを共有できる人がいれば尚良いかもしれない」と思うことはありますが、同じことに興味関心を持ってる人が周囲にいるならともかく、残念ながら今はそういう人が居なくなってるので、それなら無理をする必要もないか、という感じでいます。勿論、自分も周囲も興味関心が移り変わる可能性はあるので、その時はその時でまた考えるとして。

 大きな流れで考えている間に、大学以降自分の人生の進み方に芯が無くなったのを自覚しました。その原因を考えてみると、ここ数年は人間関係に懲りまくっているものの、在学中や社会に出て間もない頃は人との関わりを増やすことを考えすぎており、特に在学中は、人の輪に入る度に上手くやっていけないことを大学の勉強も将来の進路もそっちのけで悩み続けていた、というのを最近思い出しました。親類や学外の知人などから「勉強だけではダメだ」と言われたのをバカ正直に受け止めすぎたのもあり、だんだん勉強は悪いものなのだという感覚を持つようになっていったことも記憶しています。道徳思考の中でお金は汚いものだと言ってる人が巷には少なくないため、この辺は「学歴」や「勉強」を「お金」に置き換えると非常に考えが纏まりやすかったのですが、そういう周囲の道徳思考に流されて自分の進路について自分の頭で考えることを怖がっているところもあったかもしれません。「このまま勉強で進路を決めていったら周囲が敵だらけになる!」と思いつめていました。大学受験の直前に叔父や叔母から呼び出されて「受験したくないならしなくていいんよ?」と言われたり、在学中には「普通に生きなさい」と言われたりしたのをよく覚えているのも、そういう話の象徴だったように思えます。冷静に考えれて学内に目を向ければ、公務員だの国家資格だのを目指そうと真剣に目標を立てている人もかなり多かったし、敵しかいなくなるとは限らなかったにもかかわらず。
 そういうものを思い出しているうちに、自分には無いと思い込んでいた学歴に関するプライドは、ただ抑圧されていただけだということに気付きました。最初にご相談させて頂いた内容の通り、特に仕事中は気が短いことが多いですが、抑圧されていたプライドによって「何故この俺がこんなことで糊口を凌がなきゃならないんだ!?」という感覚も水面下に存在したことに気付きました。これに対する答えは上記のように既にハッキリ出ており、強烈に凹んだ感情を流すことになりました。その後、「確かに在学中は他人に流されすぎて、大学に行ったことが無駄になってしまった。ならば、もし自分が真剣に勉強したらどれだけのことができたんだろうか?」という疑問が湧いてきて、「それならば今試してみようか」という結論に至りました。
 参考書を調べてみると評判の良さそうなものがあったので、ためしに1冊買って読んでみると、意外にスラスラ読み進めることができました。あるいは、断片的な記憶はあったので、たまに懐かしさを感じたりしました。少し前までそういう行為や願望こそが偽物だと決めてかかってたのが嘘のようです。資格試験を目指すかどうかはさて置き、学生の頃に全然身につかなかったものを取り戻したい、少なくとも母校を出たのに見合う程度のことは吸収したいと感じています。まさに、十ウン年前の忘れ物を取りに行くような感じだな、と。

 とりあえず、勉強への推進力が付きそうなものが見つかったのは大きな前進のように思えます。反面、当分の間は仕事中に流す感情が増えそうですが。
 最近までの進み具合として、ご報告させていただきます。


 
Re: 学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / しまの 引用
No.1006 2014/12/06(Sat) 16:48:28

具体的問題での前進があるようで、なによりです^^。

具体的問題での前進積み重ねの中で、心の基盤強くなり、それによって、「価値観」「人生の前進」といった大きく長いテーマについての考え方にも変化が起きてくる、ということになるかと。
そうした前進向き合い生涯続く、という見通しでまずは向かうとよろしいかと^^。

>最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。

これはどんな問題があって「何かを変えないと」と感じたのかをより明瞭化することで、ハイブリッド心理学からのアプローチも出てくるかも知れませんね^^。

長いテーマへの取り組みについては、進み具合について僕からコメントなどおよばないものになると思いますが、問題の状況に応じた歩みの道のり中長期的な視野などについては多少アドバイスできることもあるかと思いますので、質問などあればまた何でもお寄せ頂ければ^^。



生活 / コト 引用
No.997 2014/11/03(Mon) 12:00:14

 長年その職業を全うされ、定年を迎えた方が、その後何をするかは自由である時間を、特にやることがない、という方もいます。
 長年働き、その仕事で身につき、学んだことなどたくさんあり、尊敬いたします。
そして、自分と違う分野の職業を長年されていた方と話をした時、その方が何もすることがないというのは、もったいないなと感じました。そして、そのような方の話を聞きたいと思いますし、本を出版していれば読むこともできます。ただ、どの職業でも、たくさんの定年者がありますから、特別なことではないかもしれません。

 それから、働くということは、大変なこともあり、どのような仕事が良いのかと、立ち止まってしまうこともあります。

 また、自分の生活の中で、何をしていきたいのかは良い視点かと感じます。

 

 


 
「仕事」への向かい方の3段階^^ / しまの 引用
No.998 2014/11/06(Thu) 14:01:19

「仕事」への向かい方は、人生を通して以下3段階になる、というのが僕からの意見およびアドバイスになります^^。

第1段階「収入のため」 ・・・ 欲しい収入、必要な収入を得るために、とにかくできることから始める。僕の場合学生時代アルバイトからこれがスタート

第2段階「自己の能力探究」 ・・・ 自分この社会どこまで行けるかの、能力発揮の追及へと邁進する。僕の場合社会人時代がこれに該当しますね。行きたい会社その中での自分のポジションどう高められるかへと向かう。

第3段階「本当のやりがい」 ・・・ 文字通り、本当のやりがい向かうこととして仕事向かう僕の場合はこの執筆活動です^^。

細かい説明省き僕の場合の例説明としましたが、およそそうした大きな3段階があるというのは何となく分かるのではないかと思います。
そこで重要なのは、この3つの段階というのを順に積むことで、最後の第3段階「本当のやりがい」としての仕事の向かい方見えてくるだろう、ということですね。「本当のやりがい」という仕事の向かい方望ましいものであるのは誰にとってもそうだと思いますが、上記第1段階第2段階すっとばして、最初からそれを望んでも、「本当のやりがい」として仕事にしたいものの内容そのものが、見えてこないと思います。

人生を通して、上記の3段階があるという長期的見通しを持った上で、10年、20年かけて「本当のやりがい」にできる仕事を見つけていく、という向かい方良いと思います^^。

書くというのは、「本当のやりがい」として見出したもの他に例がなく、人に伝えることに意味があると感じた場合になると思います。「本当のやりがい」の段階にまで行ければを書くかどうかあまり大きな違いではなくなると思います。

ごく手短に、そんな意見およびアドバイスになりますということで^^。

参考:
『進路相談』 masaさん No.871 2014/05/01
トピックでのコメン
『「選択肢の正しい立て方」・「仕事」への入り方』 しまの No.877 2014/05/05


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.999 2014/11/06(Thu) 20:02:04

回答ありがとうございます。

 群馬の山の写真、紅葉きれいですね。雪で、寒さも感じました。

 「本当のやりがい」について、考えさせられました。

 定年後の方であれば、自分のやりたいことに専念するということかと感じました。

 「本当のやりがい」は、仕事だけに見いだすのではなく、仕事は生活のためとして、それ以外の自分の時間でやりがいに取り組まれている方も多いかと感じました。

 「本を書くというのは、人に伝えることに意味があると感じた場合」とのこと。

 また、自分の考えをまとめたり、深めたりする場合は、文章に書いてみることや、文献の参考を加えたりして、論文を書くこともあるかと思いました。

 働いていると、会社としての忙しさがあります。やりがいはありますが、あれもこれもと業務が増えていき、燃え尽き症候群ではないですが、この業務量で良いのだろうかと疑問に思えることもあります。ただ、忙しさは会社全体に言えることで、業務をこなすことで少しずつでも仕事がはかどり、自分の成長ともなると言えます。しかし、その流れに乗れないのであれば、悲観的になることもあるし、責任の軽い職に転職するなどがあるかと感じます。
 
 また、生活の為に仕事を変えられない方もいると思われます。それから、その仕事を全うすることを選ぶ方も多く、定年して仕事を時間していた時間が自由時間となり、何もやることが無いという方も、いらっさるのかということかと思われます。

 今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。
 この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。
 
 しまのさんは、考え執筆されることは、やりがいとのこと分かります。
 私は、毎日の目にしたことや、考えたことや感想は、いきがいの要素と言えます。

 例えば、今日は、なぜあの方は悪口を言いふらし、根回しをしているのだろう行動を目にした時、「あの方は、被害者だと思われたいことや、不安であるからなのだろう」など、感じました。そして、人の生き方を考えさせられたり、自分の生き方は〜すると答えにつながります。

 社会からいろいろなことを求められており、会社自体が忙しくなっていると感じます。

 忙しさに流されず、また業務をこなすことを基本に考えながら、悲観的から抜け出して、進んで生きたいと考えています。その中で、生きがいについても考えて行きたいです。

 再度、ご意見お願いいたします。
 
 

  


 
Re: 仕事 / しまの 引用
No.1000 2014/11/12(Wed) 14:47:38

次の3つのパターン人それぞれということになりますね^^。
 A)「本当のやりがい」として仕事に向かう
 B)仕事以外でやりがいのあることを持つ
 C)定年になり、やりたいことが見つからない

一番幸せなのはまあまあ避けたい、という感じかなと^^。

になるのは、上記コメントしたような3段階を経て、というのが僕の考えになりますという話。仕事については第1段階「収入」もしくは第2段階「能力探究」までの向かい方にとどまり第3段階「本当のやりがい」として向かうまでにはならなかったケースだというになりますね。
いずれにせよ、にならないよう、定年以前から自分のやりたいことを模索する姿勢重要だ、というになると思います。


>今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。

この辺一過性で収まらず問題を感じるようであれば、具体的対処検討するのがいい話にもなり得ますね。知恵とノウハウというものが、かなり具体的問題内容ごとに出てきます。
何かヒントなど欲しいものが出たおりは、新規トピックなどで何でもご質問入れて頂ければ^^。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1001 2014/11/12(Wed) 20:35:37

 「自分のやりたいことを模索する姿勢」と、考えさせられます。

 比較的のんびりしている職業もあると思われますが、社会で求められている情報量や貢献度などから、毎日必死に仕事をこなしている職場の多いと感じます。多忙の職場は、どんどんやることが流れ作業的というか、舞い込む気がいたしております。

 より良い向上、社会の仕事を考えることは、やりがいにもなることです。

 自分のやりたいことを模索するとは、業務の向上もありえると言えます。

 外的な出世や優雅な生活としてではなく、いろんな対人の中で、働くのであるから、対人場面からの自分自身の心身の向上に取り組むことが、自分のやりたいこととも言えます。
 しかし、これは誰もが毎日対人場面があるのだから、当たり前の喜怒哀楽であるからとなりますか。また、やりたいことの模索に対してのレベルは高くはないとなりますか。

 自分の内面から、向上させる取り組みが、生きること。そして、やりたいことそのものと感じます。


 
Re: 生活 / コト 引用
No.1002 2014/11/13(Thu) 20:24:51

 本日感じたこと。

 人は、毎日何かしら、いろんな場面があり学んでいると感じます。しかし、人はそんなには変わらない部分があり、毎日同じ会話場面を見ます。

 そして、自分は相手に流されずこういう自分でいようと考えたことを、日々しているとも考えます。そのことを、日々確信していきます。

 ですので、自分自身の向上とは、ありのままの自分であるとも考えると、やりたいことというのは、自分そのもの姿であると感じました。

  相手との違いを、当たり前に見れることでもあると言えます。 
  ありのままの自分でいて、相手からの不快にも、気にせずにいられること。

  このような中で、やりたいこととは、自分の心身の向上と考えると、仕事からのやり がいというのは、職場を通して自分の心身の向上の実践ということなのか。

  まだ、答えが出ません。



(No Subject) / こたろう 引用
No.989 2014/10/13(Mon) 10:38:51

新規トピックで失礼します。

もちろん、打ち負かすことに自尊心を持ち、
わかり合う事に愛を求めれば、その姿勢で関わる人にとって迷惑になるのは目に見えています。


しかし、人生の姿勢にかかわりなく、
この場所には自分よりももっと生来的に愛情を
持てた人間がいるほうが良いとか、
このチームにはもっと実力がある人が
入ったほうが良いとか、こういう迷惑に
なってしまうという感覚は起こってくると
思います。


例えば、明らかに自立した愛を持てずに、
依存的な愛になってしまう人が、
自分でそれをわかっていて、
なのに誰かと結婚をしようという
発想になる事自体が、どうなってるんだ?
と感じます。


相手のただ一回の人生の一部分に、
愛情を持てない人間と結婚する時期を作って
しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?
と思います。


成長する存在として自己を見るならば、
少なくとも外面的には共有部分を楽しむという
姿勢で結婚生活を送るなら良い、
という事になると思いますが、
それでもなお、健康な愛情を感情レベルで
持った人と結婚した方が絶対に幸せだし、
仮に子供が産まれても、心理障害を持つ事は
考えづらい、という事は事実でしょう。
それなのになぜ自分を相手に
勧められるのか?


交際ならば、20代を過ぎれば、
結婚を前提にしている人も多いのに、
心に欠陥を抱えた人間と付き合って大事なチャンスを得られる時間を浪費させてしまう、という発想はないのかな、とか。



この「もっといい人がいる」という
発想は、歪んでいるとは思うのですが、
事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。


しかし実際は、(特に心が健康な人は)
自分が相手に一番ふさわしいとか、自分よりも
良い仕事ができる人がいるというのは
事実だとしても、恋愛はするし、スポーツのチームであれば
最大限自分に出来ることはするし、
仕事もしますよね。



合理思考がすっきり整理できればと
思いますが、どういった言葉になりますでしょうか。


それと地続きに、
望みについても疑問があります。


内面では望みを解放する、という
事ですが、
上記のような発想になってしまうため、
望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。
というのは、自分の性格を考慮した、望みの
ビジョンは、現実感がないわけです。

そこで、現状の性格の障害をクリアした理想自己像が描かれて、
その自分が例えば女性を幸せにしていたり、
仲間と笑っていたり、子供をあやしていたり、というビジョンになります。
これだと、その望みのビジョンに矛盾が感じられなくなり、描きやすくなります。


つまり、自分がなにをしたい、誰とどうなりたい、というのではなく、
こういう風な自分が、こういう風な雰囲気でこんな言葉を発して、その自分に誰かがこんな感情をもったりする、とか、
こんな自分が、このスポーツをしていて、
その自分に誰かがこんな感情を抱く、という望みになります。


「受け身の愛」という望みを解放するとして、
今のダメダメな、臆病で人に気を遣えない
自分が、それでも特別だから一方的に愛される、といった望みもある事は自覚しました。
一方、その望みを描いた後で、これは現実にはありえない事だ、という認識が出て、
女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる、
といったイメージを描き直す、という
感じです。


 
Re: / こたろう 引用
No.990 2014/10/13(Mon) 11:32:53

女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる

→という自分が、女性に好かれる


に訂正です。


お聞きしたいのは、
望みの描き方は後者でいいのか、
という事です。


後者は「嘘をついた自分」になる
のでしょうか。

嘘をついた自分というのは
愛されるためにこうでなければならない
というあるべき姿を当てはめる事だと
理解していますが、
愛されるためにというよりは、
そういう自分でいる事が気持ち良い、
そういう自分が愛される事が気持ち良い、
というイメージなんです。


またこの全てが、
愛され自尊心、または受け身の愛の
ベクトルにあるのはわかるのですが、
まずは内面ではその望みを解放するという
事ですよね?


内面の健康な成長として、またそれに向かう外面行動としては生み出す自尊心に向かう。

生み出す自尊心は、それによって愛される事を
結局望むことになるのではないか?
といったテーマの記事が、過去原稿にあったと
思うのですが、場所を見失ってしまいまして、
もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。


 
「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く^^ / しまの 引用
No.991 2014/10/17(Fri) 11:57:44

「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

これは学びのテーマとしては、まずは「望みへの向かい方」であり、

・「望み」は「行動法」を携えて向き合い描く

という指針言えるというになりますね。
これは特に若い年齢において、長い人生の歩み視野として重要な指針になります。

>女性を喜ばせたり、気を使えて、自分を持っていて、という自分が、自分を好きになる →という自分が、女性に好かれる に訂正です。お聞きしたいのは、望みの描き方は後者でいいのか、という事です。

まず「内面感情はただ流し理解する」という内面側指針として、「ありのままに流す」としてはそれで良いと思います。
一方ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」指針としては、外面側行動法があり、それを学び実践しながら、「望み」への向き合いも生涯続ける、というものになります。
まあただ「望み」を解放すればいいという話ではなく、と。

この辺は、最新『概説』では、
4.心の成長変化  (2)「心の業の捨て去り」と「魂の望みの感情」による心の成長の本格的前進
・「感情と行動の分離」の両輪による「魂の望み」への前進
で、
========
まずは外面の軸主輪として、まずは今望むもの向かうための、建設的行動法行動学学び実践するのです。それがまずは、私たちが望むものに近づくための能力向上させると同時に、「望み」内容惑いと邪心に満ちたものから、より洗練されたものへと「鍛え上げて」もくれるでしょう。
========

などと述べている通り。

また『実践詳説』では、
9章 「成長の望み」と「真実の望み」の導き
「否定価値の放棄」の扉はどう見えるのか (P.154)

で、
========
順番としては、まず「成熟」の変化へと向かい得る心の基盤を先に用意してから、「望み」を次第に「開放」していくという流れになります。
これをに考えないことが極めて重要です。とにかく望みを開放できればいいという話とは、大違いです。例えれば、ぬか床に用意してから、野菜を入れるということです。これをとにかく野菜を容器に入れてから、ぬか床を作ろうと必要なものを探し始めようとしていたのでは、野菜腐ってしまいます。そうした心の基盤をまず築かないと、「望み」腐ってしまうのです。人生腐ってしまうのです。
========

とか喩えて書いた通り。


「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

そして「異性に愛される」という「望み」について言えば、

・「社会を生きる自信」を手土産に「愛」に向かう

という大きな人生の歩みへの視野を持つ、というのがハイブリッド心理学からの指針です。
それなしに、ただ「望みを解放しよう」としたところで、

>内面では望みを解放する、という 事ですが、上記のような発想になってしまうため、望みを描こうとすると、どうしても上手くいきません。というのは、自分の性格を考慮した、望みの ビジョンは、現実感がないわけです。

「愛」という「望み」へのビジュンを明確にしたければ、まずいったん「愛」ばかりに見入るのをやめ、人生の全体に目を向けることです。
学生であれば、やはり就職中核にした生活設計など。そのあかつきに、多少婚活などもやってみて、自分がどんな異性への向かい方ができるのか模索する、ということになるかなと。
それをしないまま、今あれこれ考えても、ちょっとぞんざいな表現ですが、ちょっと無駄^^; と。またそうした人生行路という大上段アプローチなんて面倒なことではなく、異性に好かれる言葉や仕草なりナンパ術(^^;)なりのアプローチ法というのも世に存在し得ると思いますが、それはハイブリッド心理学取扱いメニュー外になりますのでご了承あれ^^。
ハイブリッド心理学はあくまで、「命の生涯」という視野の下における、心の成長の歩みとして、あらゆるテーマを扱います。


「望み」のための「行動法」の各種学び

とうことで、色々書いて頂いたご質問へのアドバイスは、まずは上述のような大きな視野ありきの話になりますね。
「望み」を内面においてありのままに解放するのはいいとして、まず「望み」に向かうための「行動法」の「学び」積み重ね、それを携えて再び「望み」に向き合う。これを人生で続けることです。いますぐ答えは出ないのを受け入れて。
ここで言う「行動法」とは、もちろん単に表面の行動法だけではなく、それを支える価値観人生観や、社会行動の良識的、常識的なルール理解などの学びといった全てを含みます。

とりあえずご質問へのアドバイス手短に書いてみますと、

>相手のただ一回の人生の一部分に、愛情を持てない人間と結婚する時期を作って しまう事に後ろめたさや罪悪感はないのか?と思います。
>この「もっといい人がいる」という 発想は、歪んでいるとは思うのですが、事実じゃないか。という気持ちの方が強いです。

まずはそれぞれの人が自身の人生をしっかりと考え、それぞれに合った相手を自ら選べばいいことですね。外野の他人がとやかく口を挟む問題ではない。
スポーツのチームにしても、どんな人が参加してい良いかは、そのチームの人が考え判断する問題です。プロを目指しているチーム趣味の集いでは全然違ってくる。一律な基準などない。

>後者は「嘘をついた自分」になる のでしょうか。

「嘘をついた自分」なるかどうかは、自分で向き合って判断するしかないです。
まあ一般的に、「こんなキャラを演じる」という姿勢は、「嘘をついた自分」になる危険がかなり高く、一方上述のような人生設計アプローチには、「嘘をついた自分」になる要素はあまりないですね。問題描いた人生設計がそううまく行く幸運は少なく困苦を受け入れ、人生設計を模索し続けることが重要になりますね。

>生み出す自尊心は、それによって愛される事を 結局望むことになるのではないか?といったテーマの記事が、過去原稿にあったと 思うのですが、場所を見失ってしまいまして、もしわかればいつの記事が教えて頂きたいです。

まず理解手短に言うと、
「愛」という望みが我々にある限り、それは「愛されること」への望みでもあります。愛されることを望むことにならない、「愛」への望みなどない。そして人間「望み」本流は、「愛」です。
これがハイブリッド心理学人間理解です。

次に、愛されることへの望み支えるものとして、自分としては自分をどう尊敬できるかという「自尊心」持ち方に、いくつかの分かれ道が出ててくる。
「打ち負かし自尊心」は、愛される望みバッティングし、相手を打ち負かし自尊心を得ても、その相手からは愛されなくなる
「愛され自尊心」は、愛されないと自分に自信が持てなくなる。結果愛されたい望み「不安」つきまとい、やがて自分に自信を失い、愛されたい相手に向かえなくなる。
「生み出し自尊心」は、まず自分は自分で支える。それによって、「不安」超えて「愛されたい望み」に向かうことが可能になり、やがて「望み」に向かう成熟によって、「愛されたい望み」そのものが、「自ら愛する望み」へと変化していく、という流れになります。

これは単独の記事で扱っているような話ではなく、ハイブリッド心理学全ての本がこの人間心理理解に書かれていると言えるものになりますが、とりあえず
ブログ記事書籍No.2 愛と能力の成長課題
収録
『「愛」と「能力」の人生課題』シリーズ
など読んで頂くと、「能力」という現実課題「愛されたい望み」の2つに、実際どう向かうのが良いか考え方など書いていますので参考になるかと思います。

あとは
1)目の前の問題については「読んで解決」ではなく「今取るべき外面行動の答えを出す」ことで対処。
2)心の懐を肥やす作業として、定常的に読書

という二頭立て実践で、理解を深めていって頂ければと思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.992 2014/10/26(Sun) 23:24:47

ありがとうございます。

つまり、最初は望みの感情を明確化するより、
全般的な関係で、うまく行動する事の技術を
磨くという方針なんですね。


その後の価値観については、
「自分がいいと思う相手を選べばいいだけで、周りがどうこういう問題ではない」という事ですが、
もう少し具体的に合理思考をいただけないでしょうか?


周りがどうこうというより、
本人の意識としてはどうなるのかなと
いうことです。

前記事に述べたような事が事実だと
感じられるとして、それでも自分がそうしたいから、
それで良い、という事ですか?

恋愛関係において、チーム活動において、
仕事において、自分よりも絶対にふさわしい
相手がいる。でも、自分はその女性が好きだし、
そのチームでそのスポーツをやりたい、その仕事をしたい。という状況です。

例えば、自分ではなくもっと心の健康な人が
チームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。

そういう、「有り得た良き現実」を
心を病んだぎこちない人間である自分が、
壊してしまう恐怖感。

所属の条件というのは最低条件という
イメージですね。自分がその条件は満たしていても、
もっと良い人が、もっと愉快な人が、という
事が発想として出てきてしまうんです。


健康な思考だとどうなるのでしょうか。

足を引っ張らないように努力するのみ、
という風に努力する人もいれば、
そんな事かんけーないね、俺がやりたかったんだから。
という風に見える人もいますが。


そもそも人に不快感を与える事に、ついて、
相手に報復を受けないように、という目的に応じて
ハーバード交渉術のような行動法があって、
不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。
という発想自体がないのでしょうか?
善悪観念に根差しているから?
相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?


相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?


 
Re: / こたろう 引用
No.993 2014/10/26(Sun) 23:49:42

前回スレッドの内容とかなり重複してしまっていましたので、
もう少し細かい質問になるように補足します。
最後の部分を引用させていただきます。

>自己の幸福をどんな行動法と価値観によって築き支えるかに取り組みます。
「愛」は「分かり合い」ではなく「喜びと楽しみの共有」、「自尊心」は「打ち負かし」ではなく「現実において生み出すこと」で。
心底からそれに立った時、こんな人間は消えた方がといった観念はなくなる、という流れになります^^。



「喜びと楽しみの共有」を目的にするとしても、取り組みがすすんで感情が良好になるまでは、
自然な愛情を持っている人間の方が
より相手にとって、楽しい、あるいはくつろいだひとときになります。
つまり、より良い喜びと楽しみの共有があるはず、自分は挙動不審でも
共有できる楽しみがあるから参加していても、相手にとってはそんな人と一緒に
いる時間は楽しみではない可能性が高い。


「現実において生み出すこと」を目的とするとして、
感情があまり関与しない生み出すもの(仕事でいえば、裏方でコツコツやるようなものや、事務作業など)であれば、一定の能力を得られるまでは自分よりもふさわしい人間が確実にいるという発想になりますし、
感情が関与するもの(販売接客業、なにかボランティアなどでの活動など)であれば、
生来的に他人への愛情を持てた人間の方が確実にふさわしいという発想になります。



つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば
健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には
なってしまう気がするのです。


しかし、これでは全然、現実に向かえません。


 
「健康形」「成長形」を基準にした行動法検討^^ / しまの 引用
No.995 2014/11/02(Sun) 10:43:05

>例えば、自分ではなくもっと心の健康な人がチームにいれば、休憩時間ももっと皆愉快に過ごせたはず。仕事でも、飲み会で上司に気に入られ、チームで円滑に意思疏通が出来ていたはず。
>健康な思考だとどうなるのでしょうか。

「あまり重要なことではなく、あまり気にしない」になると思います。「休憩時間」「飲み会」であれば。
実働時間、業務時間において円滑なコミュニケーションを持てることは重要になりますね。

ただしそれは「愉快」というのとはちょっと違うと思います。趣味の集いだけではなく本格的技術向上などを求めるスポーツなど団体行動も含め、「仕事」というものであれば、「愉快」を求めるものではなく、「達成感」「成果」を求めると思います。それは基本的に厳しいものであり、愉快になれるというより、困苦の克服を共にするというものが団結への方向性になると思います。
それが「健康形」であり「成長形」になりますね。

>そもそも人に不快感を与える事に、ついて、相手に報復を受けないように、という目的に応じて ハーバード交渉術のような行動法があって、不快感を与える=迷惑をかけてしまう、申し訳ない。という発想自体がないのでしょうか?善悪観念に根差しているから?相手に配慮するのもただ自分が生き残るための戦略、という扱いなんでしょうか?
>相手の感情にまで責任をおいすぎているんでしょうか?

相手の感情にまで責任を置きすぎることに問題があるというようり、相手の感情として空想する内容が誤っている、ということになると思います。
もちろんさまざまであり、我々が空想した他人の感情が、実際そのように抱くようなタイプの人もいるし、全くの杞憂であり何も気にしないようなタイプの人もいる。
そうした中で、「健康形」「成長形」での感じ方を基準に、人の感情についても配慮する行動が、当然心の健康と成長に向かうものになります。病み形未熟形を基準にして配慮する行動法だと、心の病みと未熟のままでいるものになります。
ハイブリッド心理学としては、その前者道を行く、ということになりますね^^。

>つまりこれらを目指しても、やっぱり心理障害の人間は、比較するならば 健康な人間と比べれば、どんな場面にも入らないほうが良いという結論には なってしまう気がするのです。

上述のような、「健康形」「成長形」を基準にした行動法として、一つ一つの場面について向かい方を検討するというのが、取り組み実践になります。
一つ一つの具体的場面ごとにです。どれとして厳密に同じものはありません。

もちろんそれは「健康形」「成長形」で感じられるようにならなければという話ではなく、自身の内面感情としては未熟形病み形流れるとしても、それに完全に呑まれるのを踏みとどまり、健康形成長形のあり方を想定し、とにかく外面行動はその方向において行うということを目指す、ということです。
それが「感情と行動の分離」であり、その積み重ねの中で、内面感情あと追いの形で健康形成長形へと変化を始める、というものになります。
そうした「健康形」「成長形」想定について、まずはぜひ取り組んでみて頂ければ^^。




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