しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


新規トピック入力フォームへ 記事検索 過去ログ記事サイトトップの検索の方でヒットします^^) 

対人関係 / リュクス 引用
No.960 2014/09/06(Sat) 14:37:23

私は対人関係が長続きしません。自分で考えつく、あるいは人から言われた原因は、
1 小さいころから今までクラスなどで浮く存在、水をかけられたり、物を隠される軽度の嫌がらせあり(利己的な言動をしているから)でトラウマ化し  信用できない
2 距離の取り方が下手で自らの意思で孤立していくか、少数人に依存傾向になるか
3 自分ですら感情の振り幅に疲れる
4 言い方、伝え方が下手。変な所で馬鹿正直で生真面目
5 感情を顔や言葉に出しすぎる  すぐ泣く
6 ストレス耐性が低く、発散も苦手
7 相手の興味に関係なく延々しゃべってしまう、意見を押し付ける
8 場の空気や感情を読むのが苦手
9 無駄に高いプライド(友人でもかわいそうと思われていることに気づくと関係を切ってしまう)
10 上記のことを改善しようとし、途中で嫌になり放り投げる

今はすべてが面倒になり、極力関わりをさけています。これで良い気楽だと思う反面、寂しさがあります。友と思ってくれる人を寂しさを埋める都合のいい人として、最終的にお互いが傷つくよりはと思います。私はどこで折り合いをつければいいのでしょうか。


 
まず「自分自身において楽しみと喜び」から^^ / しまの 引用
No.964 2014/09/10(Wed) 11:40:14

これは一言で、ずばり
・人との関係以前に、自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を見出す。次にそれを共有することにおいて、人との関係のための行動に向かう
という姿勢指針になりますね。
純粋な「喜びと楽しみ」として、人と共有できるものがない場合は、「何もしない」です。
人それぞれが別個の人間であり、共有できない面も持つことを、受け入れることが重要です。

「友達ならこうするよネ」といった、間柄の約束同盟的な行動の仕方が、それとは対極の、お勧めではない、心の健康と人との関係を妨げるものになります。

参考になる相談事例など紹介したいところですがまだちょっと整理できておらず(今後『メール相談事例集』など整理予定)ちょっと不便かと思いますが、まず上記指針理解納得できるか検討頂き、「こんな場面はどうすれば?」といった具体的材料などあれば書いて頂くと、より詳しい具体的アドバイス可能かと思います^^。


 
RE:まず「自分自身において楽しみと喜び」から / リュクス 引用
No.969 2014/09/11(Thu) 23:49:52

さっそくのご返答ありがとうございます。
 対人関係が続くうちに数人しかいない友達にすがりつくようになり、依存または甘えすぎてワガママをいって喧嘩になりなんどかやっているうちに関係修復できなくなり友がいなくなるというサイクルを延々続けていることに気付きました。
 また大学に入り、中・高校のクラスメイト(顔見知り程度の関係)が列車事故と自殺で亡くなりました。これらのショックに加え夏休みを終えて後期に入り友達が以前のようにまたいなくなってしまうという怯えにとりつかれ対人恐怖・常に悪口を言われているという被害妄想意識から抜けられぬまま大学を卒業しました。毎日が地獄で自殺衝動もありました、就職はいまだに出来ていません。卒業後の現在はひきこもり状態で外出すら怖くなっていますが自殺願望は薄れました。


まずは対人恐怖・悪口の被害妄想から抜け出る方法が知りたいです。次に自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を見出していきたいです。参考になる資料があればお教えいただきたいです。



 


 
「対人恐怖」「悪口妄想」の克服^^ / しまの 引用
No.976 2014/09/27(Sat) 13:48:49

たいへん遅くなりましたが、「対人恐怖」「悪口妄想」克服について理解しておきたいこと一通り書いてみましたので参考頂ければ^^。


「対人恐怖」「悪口妄想」の克服のための「実践」

ハイブリッド心理学が考える「対人恐怖」「悪口の被害妄想」克服は、まずはのような3ステップ「実践」積み重ねによる、というものになります。

1)心の健康と成長に向いた建設的な対人行動法の理解
建設的であることによって、
 ・人を恐れる必要のない行動法
 ・人に悪口を言われることのない行動法

であることに安心を持てるような行動法を、まず理解することが最初になります。
で言った、「純粋な楽しみと喜びの共有として行動する」といったものが、それになります。

2)自分の内面感情の理解(自己分析)
に対して何かの行動へと駆り立てる自分の内面感情が、上述建設的行動法から見て、
 a)建設的行動法に沿ったものであり、行動に移して良い感情 (ex.これこれを一緒に楽しみたい)
 b)建設的行動法に沿わず、行動に移すべきでない感情 (ex.自分を誘わなかったことを非難し理由を問い正したい)
どっちか検討する。
同時に、自分が感じているもの何をどのよう「怒り」「怖れ」「望んで」いるのかなど、自分の感情解きほぐす、ということもここで行います。

3)問題場面での自分の行動の最終判断
自分の感情解きほぐしを経て、最終的には「自分は本当に何を望んでいるのか」問い、それが「生み出す」ことにつながるのであれば、そのための建設的行動法最終判断して実行する、というものになります。
「生み出す」ものでなければ「何もしない」「感情をただ流す」答えになります。


対人恐怖・悪口妄想はどのように消えていくのか

のような「実践」によって、対人恐怖・悪口妄想どのように消えていくのかについて言うと、まず重要なのは、
・「建設的行動法」が分かれば、さらにはできれば、対人恐怖・悪口妄想が消える、という安易短絡的なものではない。
ということです。

そうではなく、
・自分が心の健康と豊かさ、そして本当の強さに向かっているという実感が心の中で形作られ、建設的行動法がそれを生み出しているという心底からの確信ができるに至り、それでも湧き起こる対人恐怖・悪口妄想を「心の中でただ流す」によって、流した分だけ、もはや二度と起きないものへと心の根底から消え去っていく。
というものになります。

従って、それに向かうためには、建設的行動法そのものの理解並んで、さらには増して心の幸福と豊かさ、そして本当の強さとは何か建設的行動法がそれにどうつながっていくのか、といった理解重要になってきます。


「取り組み実践」

そのため、ハイブリッド心理学活用を行う「取り組み実践」は、次の二頭立てで行うものになります。

1)目の前の日常生活および人生の場面への上記「実践」の取り組み。
2)人生を通して心の健康と豊かさに向かうとはどういうことかについての学びと取り組み。


この2つ相互依存関係にある取り組みだと言えます。
後者長い目があってこそ、目の前の場面感情に流された短視眼的な行動で道をそれず、成長に向いた行動をより確かなものとして行うことができます。
また、成長長い道のり別の人間のように変化していくというのは、頭で分かるようなものではなく、「実践」実際多少とも積み重ねる体験によって、「こういうことか!」と分かるようになります。これがさらに目の前の場面での行動成長に向いたものへと、確信の下で導くようにもなるでしょう。


学びの資料

ですので、
>参考になる資料があればお教えいただきたいです。
についても、

1)自身の悩みテーマにおける建設的行動法の具体的な学び
2)心の成長の歩み全体についての学び

という二頭立てで考えて頂くと良いと思います。

1)具体的学び
については、今後『メール相談事例集』整理予定で、それができるとこの辺読んでと分かりやすいのですが今はまだで、ちょっとご不便かと思いますがとりあえず、この掲示板「交友行動」とかのキーワードで検索(←クリックすると出ます^^)して頂くと何か参考になるトピックが出てくるかと思います。

2)成長全体の学び
これについてはハイブリッド心理学全て参考図書です^^。やはりまずは『入門編』からですね。


最初のアドバイス^^

ということで、まず全体としては以上のような話になりますという前提で、

>まずは対人恐怖・悪口の被害妄想から抜け出る方法が知りたいです。次に自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を見出していきたいです。
について最初の具体的アドバイスとして、

・「自分自身において嘘のない、純粋な楽しみと喜び」を見出すためには、まず何よりも、「一人になれる」「一人で行動できる」「一人で楽しめる」ことが必要。
ということになると思いまず。まず一人で行動でき一人で楽しめる。そこで見出す「向上」「楽しみ」を、人と共有する。そうしたものとして交友行動もあるのが、成長形になります。

・「日常生活の向上」という基盤
まずはごく平凡な日常生活の中で見出す向上楽しみにこそ、そのための材料があると言えます。炊事洗濯、料理、お洒落、美容、健康、防犯、などなど。
そこで「占い」に頼るといった非論理的思考でなく、こまめにネットから情報を仕入れ自分でも試行錯誤し研究するといった知恵とノウハウの姿勢が、なによりも、まず自分で楽しめ、次に人と共有することで交友行動も生き生きすることにつながるものになるでしょう。

・「マイナスを消す」ではなく「プラスを生み出す」
>また大学に入り、中・高校のクラスメイト(顔見知り程度の関係)が列車事故と自殺で亡くなりました。これらのショックに加え夏休みを終えて後期に入り友達が以前のようにまたいなくなってしまうという怯えにとりつかれ対人恐怖・常に悪口を言われているという被害妄想意識から抜けられぬまま大学を卒業・・(略)・・
については、まずはそうしたマイナス出来事があるからどうこうする云々よりも、まずにおいて上述のような「プラスを生み出す」という姿勢と生き方、そして行動法を、見出すかになると思います。
それが確かなものになり、それでも流れるマイナス感情「ただ流す」ことで根底から消えていくという流れになるのは上述の通り。
来歴に躓きと妨げを抱えた場合マイナス感情克服については、『概説』全体説明しているようなものになる、というのがハイブリッド心理学考えです。ここでは手短に説明は不可能な、心の深奥の仕組みによって、ということになりますね。

いずれにせよ対人恐怖感悪口妄想は、「成長」の後で消えていく、という順番理解大切です。
我々弱く未熟な存在であることからスタートし、そうである限り、他人が怖いし、下手な行動をして悪口を招く可能性がある存在です。対人恐怖感悪口妄想は、身体の病気や怪我の際の「痛み」のように、自分に成長すべきものがあることを示すサインでもあります。それが最初から消えればこんな自分を演じられるのに・・といった発想すると、「成長」完全に閉ざされますので注意ですね。
>まずは対人恐怖・悪口の被害妄想から抜け出る方法が知りたいです。次に自分自身において嘘のない、純粋な「楽しみと喜び」を
という「次に」というのは順番が逆だということですね。それらが消えるのは、最後です。

まずはざっとこんなところで。検討頂ければ^^。

具体的場面での建設的行動法については、「こんな時はどうすれば」という具体的材料があれば、書いて頂ければ具体的アドバイス可能ですので^^。



(No Subject) / アランドロン 引用
No.963 2014/09/10(Wed) 04:55:02


島野さんへ

数年前から、時々、サイトは読んでいました。
数年前は、憎しみで毎日が苦しかったです。
最近、また読むようになりました。

詳しくは、書きませんが、殺人とかも考えていました。
愛されない怒りと、自尊心が傷つけられたからです。
かなり本気で、最近まで考えていたんです。^^;

昨日と今日、何時間もかけて読みました。
もう殺人をする気は起こさないです。
心理メカニズムを理解したのが大きいと思いました。
ダウンロードしたのも全部、読んだと思います。
心理学のサイトは、沢山ありますが、魂が共感したり、震える文章は少ないです。


なんでアランドロンを夢を見たかと思いました。
島野さんの文章から、アランドロンを感じるんです。
アランドロンの顔を見るのと、文章を読むのが同じ感じがします。


 
「愛されない憎しみ」からの抜け出し^^ / しまの 引用
No.967 2014/09/11(Thu) 11:46:41

>数年前は、憎しみで毎日が苦しかったです。
>愛されない怒りと、自尊心が傷つけられたからです。

通り道ですね^^。
僕もそこを通ったことは、『取り組み実践詳説』
12章 「否定価値の放棄」への道 - 島野が通った主な転換の流れ (P.208)
でも触れた通り。日記「そこにいる人間全てを、殺してしまいたかった」という言葉を見つけて驚いたという^^;

おさらいがてら、そうした「愛されない憎しみ」からの抜け出しポイントをまとめておくと、以下3点になりますね^^。

1)「誰にでも愛される必要がある」という衝動の自覚
一方的に、誰にでも愛される必要があるという、容赦ない衝動。まさに自分はそれには値しないという自己軽蔑において。それが他人からの容赦ない軽蔑の目として空想に映し出され、他人への憎悪が起きる。
これを自覚することは極めて苦しいですが、まさにその抜け出しとして、その心理メカニズムの全貌が自分の中に捉えられる、ということになります。上記リンクでも説明

2)「建設的行動法によって得る人からの信頼」への視野
「愛されない憎しみ」で抱いた、「愛されるためにはこんな自分でなければ」といった空想とは全く別世界にある、「建設的行動法によって得る人からの信頼」への視野持つ建設的行動法に習熟し、実際に人との関係において一切の否定的言葉を使わず行動できるようにもなった時、それが見えてきます。
これは僕の経験でも、上記1)の苦しい時点では全く見えず(教えてくれるものもなかったので)、大分遅くなってからになりましたが、いかにこの視野を早く持つかによって、憎しみからの抜け出し早く、そして心が楽になるものになると思います。

3)「心の依存から自立への転換」
上記2つ意識的向き合いだとして、実際そのようにして心が抜け出し変化することの根底に、もはや意識実践を超え「心の依存から自立への転換」その人どう起きているかという背景がある、という
これについてはここでは説明は良いかと^^。

ということで、これから2)の視野向かう歩みになるかと^^。


 
Re: / アランドロン 引用
No.974 2014/09/21(Sun) 00:07:40


しまのさん、ありがとうございます。
書いて良かったです。^^



(No Subject) / フウ 引用
No.952 2014/08/29(Fri) 18:59:37

 久しぶりに、読者広場等に目を通しました。
「開かれた世界」「閉ざされた世界」について、少し読者広場を見ました。

 島野さんは、このような深い内容を書かれていますが、これまでの経験で学び、自分で深めて言っているというような事を、以前読みました。
 今回思ったことは、このような学びの中、最近心理学関係の本を読まれていることは、ありますか。
 私は、興味を持った心理学関連の本を読んでいます。


 
最近の読書^^ / しまの 引用
No.953 2014/08/31(Sun) 16:01:58

心理学関連の本は、最近はほとんど読まないですね^^ゞ

僕の執筆活動にとって役に立った本は、『過去原稿』に載せている参考図書のようなものですが、それらではまだ足りず経験そのものから学んだことを書いていますので、書くために何かを読むこともなくなっている今日この頃です。書くために読むなら、まずは過去の僕自身の文章♪

読書一般について言えば、就寝前の寝つけ薬がてら何かしら読むようにしており、心理学関係何か面白そうなものがあれば・・とたまには目を配っているのですが、どうも言っている内容が論理的でなかったり、「感じ方の押し売り押しつけ」みたいのだったりばかりで、とても読んでられない・・と感じるものが大抵のため、結局読むものがない感じです^^;

ちなみに今読んでいる本は、村山斉『宇宙は何でできているのか』新田次郎『孤高の人』(山岳小説の中で人気が高いもの^^)です。後者面白すぎ寝つけ薬にならず神経が興奮してしまうので、日中にちびちび読んでいる次第^^。


 
Re: 本能と人について / フウ 引用
No.954 2014/08/31(Sun) 17:47:13

 島野さん、週末回答を読むことが出来ました。

 心理学の本も、昔からたくさんあることを感じています。そういった著者、大学教授など昔からあったことを最近になって出会います。

 島野さんは、最近は心理学関係は読まないとのことですが、以前は読んだのかもしれません。

 少子高齢化に関連して、人口減が言われていますが、本能として年齢を問わず妊娠してしまうことも自然に考えられることについて、やむなく中絶などがあるかと思われます。妊娠を予防することは、ある程度啓蒙できると思いますが、妊娠は授かり物という言葉を使う場合、何度も妊娠してしまう場合も授かり物であっても、何度も出産は環境的・体力的・経済的に現代は、余裕の無い社会とも感じます。また、結婚や出産ではなく、キャリアを持ち自己実現の生活を選ぶ生き方など多様です。
 私は、子供有無に関係なく、学ぶことはたくさんあると言えます。また、本能や家庭関係を寄り処というより、自分の学びたい学問に時間を使うことを大切にしています。

 妊娠、授かり物とのことについて、島野さんはどういう意見がございますか。
 
 


 
「妊娠」「授かり物」^^ / しまの 引用
No.955 2014/09/03(Wed) 10:34:46

妊娠出産という女性身体の機能については、「命」をつなぐための、極めて基本的身体機能だと、としては考えます。それは心臓と同じように、基本的な身体機能だと。

でそれが人の人生どのような姿になるかとして、「授かり物」と感じられるような幸せなものもあれば、望まざる悲劇のように感じられるものもある。
いかにその前者に向かうかに、個々人の生き方姿勢と行動法問われる、ということになると思います。そこにさらに「運」も絡むので、「授かり物」と感じられるような姿になることもあるだろう、と。
お答えになりましたかどうか^^。

以下でも「知恵とノウハウそして自己コントロール、自己管理が重要」といったをしていますのでご参考^^。
『欲について』 ジンさん No.696 2013/11/20
でのレス
『「自然の性」からの考察^^』 しまの No.704 2013/11/24


 
Re: 以前のレスを見ました。 / フウ 引用
No.956 2014/09/03(Wed) 19:32:57

それによりますと、
 より細かい話については、まあハイブリッド心理学ではあまり展開していないのが現状です。というのは、心の健康と豊かさに向かうごとに、性の問題はテーマとして重要でなくなってくるからです。
 あまり詳しい分析をするより、心の健康と成長への取り組みの中で、自然と、性衝動もごくシンプルで自己コントロール可能な身体的衝動に落ち着いていく、という理解を持っておくのがいい話になります。
 などありました。

 私は、様々ことに関心を持つことがあり、今回の質問もそうでした。
 
 生き方は、人それぞれであり、いろいろな方の生き方を目にすることがあっても、実際自分自身は何を選んでいくのかであること。島野さんの言うように、個々人の生き方姿勢と行動法が問われるとのことから、社会の関心というより、自分の確立に力を入る思考・行動に切り替えていこうと考えることになれました。

 ご助言ありがとうございました。島野さん、補足がありました時は、お願いいたします。



マンションの騒音について / oed 引用
No.950 2014/08/17(Sun) 06:33:03

分譲マンションの隣人の騒音に対して、意見を伺いたく存じます。
隣人は日曜大工が好きなようで、越してきた当初から騒音がひどい感じでした。しかも夜中に壁にトンカチで何かを打ち付けたり、床に落としたり、窓の開閉も時によると煩く、音に過敏な自分は起きてしまい寝付けなくなります。

持ち回りの管理組合当番も無視するような非協力的な人です。
管理事務所に訴えて張り紙をしてもらいましたが、相変わらずです。こちらは自衛出来る限りはしていますが、防音壁の調査など数万円では済まないです。なぜ迷惑してる方が払うのか理不尽ですし、想像力のない隣人に怒りが湧きます。

ハイブリッド的には、どのような考え方ができますか。
管理組合ができることはせいぜい張り紙どまりです。突然カンカン音がするのを録音でもして、弁護士に相談でしょうか。言って聞く相手とも思えません。
下手すると逆効果です。

ひたすら怯えて精神安定剤飲んで耳栓でもして我慢する「自衛」は、ストレスがたまります。
どうしたら望ましい環境を「建設」できるのでしょうか。
睡眠不足になると非常に体調を崩すので、睡眠を騒音で邪魔されて怒りを感じるなと言われても無理です。下手すると殺意が湧きます。

ぜひご意見をよろしくおねがいします。


 
Re: マンションの騒音について / しまの 引用
No.951 2014/08/26(Tue) 10:20:10

執筆の方でちょっと頭がふさがり気味で、遅くなりまして^^ゞ

また遅くなったのはアドバイスとしてもちょっと難しい案件であり、これは
「すでに望ましくない事態に出会った後」の対処法
問題ということで、
・いかに破壊的結末を避けるか
行動法として、「破壊」ではなく「自衛」「建設」という、「選択」「知恵」出てくる、というになると思います。

まず「選択」について言えば、「すでに出会った望ましくない事態」を、いかに望ましくないかの深刻さ度合い判断については、姿勢の「選択」、またそれに応じ多少の「知恵」出てくるということになると思います。

お勧めなのは、詳しい講釈(^^;)を省略手短に言えば、「様子を見る」のが良かろう、というものです。分譲マンションに来ての大工仕事騒音ということであれば、そういつまでも続くものではない。そのうち止むのを待つが良い、という^^;
これが単に騒音だけでなく、何かと因縁つけられ脅され金品要求されと、少し前刑務所内で自殺した、尼崎の連続不審死事件の角田美代子容疑者のような「攻撃的搾取者」に出会うという望ましからざる事態であれば、人生をかけていかに相手に意識されずに逃げるかが、対処法になるといったものになると思いますが、今回書いて頂いたものは、そこまでではないと察せられるかと。

もちろんそうした非反撃的姿勢取るかどうか「選択」であり、書いて頂いたような「善悪の怒り」で対処するも、自由です。その場合書いて頂いたような、録音し弁護士に相談、といった対処法も、違法でもなく可能かと思います。
しかし、まず言って反撃的姿勢で対処するのは、事態を悪化させる可能性かなり大きいと思います。生活騒音というのは裁判でどうこうなる部類ではあまりないかも知れませんし、相手を怒らせさらに悪化させる可能性も。

僕ならどうするか参考までに書いておけば、まず多少の騒音はもうこの世に生きている限り避けられない腹をくくりその相手に対しては、極力特別な意識を持たない友好的態度で接する、といったもの。そしてただ何もせず騒音は止むのを待つ相手同じ人間です。そういつまでも、人に不快な事態、ということは自分にも多少は不快な事態を、続けるものではない。

・・まあそう聞いてすぐ受け入れられる話では多分ないと思います^^; まず言えるのは、そうした「怒りを捨てた」行動法や生き方姿勢は、今回のような出来事に出会って、それへの対処を考える中で導き出せるようなものというより、もっと定常的な日常生活、社会生活の全てを通して、「学び」「選択」通して至るものだということです。

ではその「学び」「選択」とはどんなものか。それに関心がおありでしたら、「怒り」の根本的有害性説明している『入門編上巻』などから、まず読んでみて頂くとよろしいかと思います^^。

つけたし: (8/26 12:15)
ということで今回の話そのまま当てはめられるような話ではないかと思いますが、

『暴漢に襲われた友人』 コジマさん No.765 2014/01/22へのレス
『「事故に遭わないための姿勢と技術」^^』 しまの No.772 2014/01/28
など、「徹底的な自衛の精神と行動法」として多少参考になると思います^^。



「開かれた世界」「閉ざされた世界」に関する質問 / こたろう 引用
No.946 2014/08/06(Wed) 10:26:47

*管理者メモ*
これは
『(No Subject)』 こたろうさん No.931 2014/07/01(Tue) 17:20:52
へのレス
『Re:』 こたろうさん No.941 2014/07/25(Fri) 17:48:59
として入れて頂いたものを、この
新規トピックとして移動させて頂きました。
今後も、
話のテーマが変わった場合新規で入れて頂くとよろしいかと^^。タイトルも適当に入れて頂くとなおよろし^^。


ありがとうございます。
仕事の部分の向かい方に関しては、まだ少しひっかかる部分があるので
また少し考えて見ます。


また、スレッドが長くなってきてしまっているのですが、
入門編下巻の前半部からの質問になります。


●開かれた世界
=自分だけに注がれる特別の目がない。なぜなら「人物」をあまり問わない世界だから。
価値ある行動をすることができれば、人物を問うことなく評価されるが、その場限りである。
人々は「身内」ではなく、「他人」なのである。
それぞれが別の存在として、それぞれが唯一無二の方角へ向かっている世界なのですから。


であるからして

●閉ざされた世界
=身内と感じられる人々の中で、自分が特別な存在になりえる閉ざされた世界に
惹かれつづけてしまう。
具体的な思考を見失い、再び人の顔色が基準になりはじめる。


●閉ざされた世界で惑う時・・・・
=問題は、あるべき姿にかなえないこと、に感じられるが、
実際は違う。本当の問題は、「閉ざされた世界」における「愛に」、「嘘」が混じることになる。
そして「嘘」が許せなくなる。それはあるべき姿にそぐいようもない、まがいものですから。


●愛と嘘の表裏一体の罠
=愛されるために、ありのままの自分を隠して、別の人間を演じようとする。
そこに「嘘」がはじまることになる。
「嘘」だけはどんなに心が健康であろうとやんでいようと、心の根が善人であろうと悪人であろうと
ほとんど変わること無く、人間が本能的な嫌悪を感じるものなのです。
かくして、愛されるために嘘をつき始めた心は、ほぼ必然的に破綻への道をたどります。

それは
●「あるべき姿」を演じるのが難しいからではなく
●愛されるためにでも「嘘を演じること」をしている、自分自身が嫌になってくるのです。

ありのままの自分を感じ取る感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは
愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、
そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに「自分への嘘」がつきまとい、自分がそれを
激しく嫌悪していることを、感じ取るかもしれません。


あるべきものがある世界では、自分に嘘をつかねばならない。

であるからして、それに絶望して、

開かれた世界へと旅立つ。

その絶望とは「自分に嘘をついて愛することはできない」ということ。
自分に嘘をついた時、私たちは自ら愛する事が根本的に出来なくなる。
それは、価値を感じなくなってしまうということなのです。


<勝手にまとめてしまっている部分もありますが、以上引用>


という事ですが、
疑問となるのが以下の部分です。


●自分だけに注がれる特別の目がない。なぜなら「人物」をあまり問わない世界だから。
価値ある行動をすることができれば、人物を問うことなく評価されるが、その場限りである。
人々は「身内」ではなく、「他人」なのである。
それぞれが別の存在として、それぞれが唯一無二の方角へ向かっている世界なのですから。


⇒開かれた世界が人物を問わないというのがよくわからない。
定められた姿を守らなければいけない環境よりも、開かれた世界で自己の純粋な
個性を発揮できれば、元いた存在の規律のある世界の人々からは嫌われたり、
のけ者にされる事は考えられても、嘘のない姿に惹かれる人々が出てくる事が
考えられる。
そうならば、そこで生まれるつながりは「他人」というほど遠くない
、むしろ特定の「人物」として評価を受けるし、それは一過性の評価ではない事も
多いのでは?




⇒続いて、自分に嘘をつくと人を愛する事ができないということについて。
それは、価値を感じなくなってしまうことだ、と。
これは、嘘をついて演じている自分で関わらねばならない人を愛せないということなのか?
それとも、嘘をついている自分がいる以上、他人全般、あるいは世の中のほかの様々な物に価値を感じなくなるということなのか?



⇒さらに、頻出する「嘘をついて愛される」について改めて整理したいです。
これは、「あるべき姿」を演じなければならないという事。


まず、集団は

@存在の規律のない集団(開かれた世界の集団)
A存在の規律のある集団(閉ざされた世界の集団)

実際は相対的な違いなので、度合いの違いになるかと
思いますが、こう分けられます。


存在の規律の濃い集団、はそれぞれ規律の内容が違います。


それぞれの
集団内において、愛される事を目的にした時に、
存在の規律に合致した条件を持つ人物は自分に嘘をつく必要はありません。
なぜなら、ありのままの自分で愛されるから。
一方、集団において、存在の規律に合致した条件を持たない人物は、自分を偽る
必要があります。


⇒つまり、存在の規律に合致した条件を持つ人物は、
閉ざされた世界にいても自分に嘘をつかないでいられるということになりますね。
つまり、愛する事も出来る。

「偽る」というのは如何なるものか?

⇒「趣味?」「性格?」「キャラクター?」



ここで、存在の規律に合致しない人物は、
@集団内で自分を偽る事に成功する
A集団内で自分を偽る事に失敗する
のどちらかになります。

Aの場合は、集団内で愛される事が出来なくなります。
@の場合は、集団内で愛される事は出来るが、
いくら愛されても「偽りの自己が愛されている」だけなので、
自分から愛する気持ちは持てません。よって、愛されている事にも
価値を感じる事が出来ないし、
嘘をついて愛されようとする「傲慢さ」に無意識に苦しみます。


そこで、どっちにしてもその現状を打破したいという
欲求が出てきます。その時、嘘をつかずにいれる集団に入る事が
考えられます。

@「存在の規律」の条件が、自分の持っている条件に合致する集団に入る。
A「存在の規律」がない集団に入る。


@が成功した場合、その人は自分を偽らずに済むので、閉ざされた世界に
いながら、その集団の人を愛する事が出来ます。
Aの場合は、開かれた世界にいるので、人を愛する事ができます。


⇒ここまで整理して、開かれた世界に行かなくても、
より自分の性質に合致した閉ざされた世界にいれれば
愛されながら愛する事が出来るのではないだろうか?という疑問が沸く。
つまり閉ざされた世界にいながら「嘘」の自分じゃない自分でいられる
ということです。



●自分の経験として、開かれた世界を価値観として持った集団は、
怖いです。なぜなら、そこではそれぞれの人が「何がしたいか」ということと
「自発性」を持って関わりあっていて、自分にはそれが欠けているからです。
いわゆる、学校で良い子ちゃんをしていたような人は少なく、
それぞれがそれぞれの趣味思考があって、芯があって。
「何をすればいいのか」という正解探しの姿勢では、浮いてしまう。
これは、僕には「自発性」「自立性」の「存在の規律」に感じられる。
「存在の規律」を人に対して課さないという「存在の規律」みたいな。

「成長する存在であることを受け入れ、弱く不完全な存在であることを認める」
ことが開かれた世界の性質だとすれば、上記のような感覚を持つ集団は
「開かれた世界」の集団ではないのかもしれません。

あるいは、「成長する存在であることを受け入れ、弱く不完全な存在であることを
認める」という性質を持っているのに、自分が勝手に人間として自分の方が
圧倒的に劣等だという見方をしてしまっているだけなのかもしれません。



●嘘を許す姿勢が、重要な選択になってくる。

人が弱く不完全な存在である時、どうしても「嘘」をついてしまう場面が
出てくることになります。
嘘を決して許すまいとしたとき、人は「嘘」をさらに「嘘」によって隠そうとし
はじめるからです。「嘘」を許さない姿勢によって、「嘘」は深まるのです。


⇒上記、存在の規律、における「自分に嘘」をつく、
あるいはここの部分の「嘘」。「嘘」というのがよく出てきますが、
抽象的でわかりません。
ハイブリッドで述べられている嘘とは何なのでしょう。性格を偽ること?キャラクターを偽ること?思っているのと違うことを言うこと?自分の欲求をごまかすこと?
出てくるごとにバラバラなものを指しているのかもしれませんが、
「嘘」というワードになって漠然としてしまってわからない感じがします。



一連の「閉ざされた世界」から「開かれた世界」への選択、
「嘘」を許すというのはどんな時のどんな嘘をどう許すという事なのか?
例えばある特定の人物のストーリーとして、対比的に描かれていればより理解できる気がし
ます。

というのは難しいかもしれませんが・・・・


 
Re: 「開かれた世界」「閉ざされた世界」に関する質問 / しまの 引用
No.947 2014/08/06(Wed) 10:35:53

「2つの心の世界」

まず言葉の理解から整理しますと、「開かれた世界」「閉ざされた世界」というのは、
『入門編下巻』「5章 3つの心の世界」
書いているものになりますね。

でそれが何を言っている話かと言うと、
・人と人との絆を得ようと、あるいは保とうとする仕方に現われる「病み」と、そこから抜け出すためにまず目を向けるべき世界
という、かなり特定テーマについてのだと理解頂くとよろしいかと思います。

そこにおける「病み」とは、
・「こうであれば愛してあげよう。そうでなければお前は生きる資格がない」というような「存在の規律」「存在の裁判」という心の世界
であり、
それに適うよう、自分に嘘をつくことで愛され生きようとする心の世界
です。これが「閉ざされた世界」

そこから抜け出すために、「開かれた世界」目を向ける、というになります。
それは人物を問うことなく、生み出すものにおいて尊重される世界であり、一方、自分だけに特別に注がれる目のない世界だ、と。

これはあくまで、「病みからの抜け出し」の際に目にするものを描写しているものであり、「病み」なければ(気づかなければ)、あるいはそこから抜け出そうとしなければ、特にそうした2つの世界対比意識することもないかも知れない、というにはなりますね。


「3つの心の世界」

さらにを話しますと、そうして「閉ざされた世界」から抜け出すために「開かれた世界の行動法」学ぶのですが、「開かれた世界」「自分だけに特別に注がれる目のない世界」であり、そこで「愛」得ようとし、「自分だけに特別に注がれる目」再び欲した時、「閉ざされた世界」再び向かってしまう、という流れ説明しています。

つまりこの「閉ざされた世界」「開かれた世界」という2つの世界行き来だけでは、答えが出ないというです。
そこに第3の心の世界現われる、と。
それが「魂の世界」になる、という話になります。

かなり難解かと思いますが、その先説明しているのが
・『入門編下巻』のその後の部分
・『概説 - 4.心の成長変化(1〜4)』

とうことで説明はそちらに譲り

実践面においては、重要なのは、
「閉ざされた世界」と「開かれた世界」の対比をしっかりと見据え、外面においては「開かれた世界」の建設的な行動法で生きる模索を始める
という部分になると思います。
それによって「心の成長」始まり「心の成長」によってその人の心における「閉ざされた世界」「開かれた世界」「魂の世界」勢力関係の全体変化していく、という流れです。「魂の世界」次第に優勢になる、とここでは手短に言っておけるかと^^。


「2つの心の世界」への疑問質問へのコメント

まずはざっとそんな話の全体だという前提で、ご質問にそれぞれ簡潔にコメントしますと、

>⇒開かれた世界が人物を問わないというのがよくわからない。
>嘘のない姿に惹かれる人々が出てくる事が考えられる。そうならば、そこで生まれるつながりは「他人」というほど遠くない 、むしろ特定の「人物」として評価を受けるし、それは一過性の評価ではない事も多いのでは?

「人物を問わない」というのは、「閉ざされた世界」からの「抜け出し」局面(言わば直後)において鮮明になる様相だと言えます。
もちろん、「新たな場」時間が経つほど、「人物への認識」強くなってきます。そこで嘘のない面で評価され愛されるのであれば、それに越したことはない。
しかしそれで済まず、再び「愛されるための自分への嘘」直面し、再び「抜け出し」必要になるかも知れない。その繰り返しです。
そこで重要なのは「抜け出し」とは必ずしも外面においてその社会や集団を抜け出すということではなく、まずは内面において抜け出すということです。自らに積極的に自分に嘘をつく姿勢から抜け出すその上で、その社会や集団建設的な関係を続けることを、まずは模索する。
こうした模索の積み重ねで、心が成長変化します。


>⇒続いて、自分に嘘をつくと人を愛する事ができないということについて。
> これは、嘘をついて演じている自分で関わらねばならない人を愛せないということなのか? それとも、嘘をついている自分がいる以上、他人全般、あるいは世の中のほかの様々な物に価値を感じなくなるということなのか?

両方です^^。


>まず、集団は @存在の規律のない集団(開かれた世界の集団) A存在の規律のある集団(閉ざされた世界の集団) 実際は相対的な違いなので、度合いの違いになるかと 思いますが、こう分けられます。

「存在の規律」と呼んでいるものと、「組織の規則」あるいは「参加の条件」というもの一般違いを、まず理解すると良いでしょう。
「存在の規律」は、「こうでなければ存在を許さない」というもの。
「組織の規則」「参加の条件」は、ただ単に所属のための条件やルールそうでなければ、その組織や集団からは抜ける必要があるが、その先にどう生きるかは自由「存在の規律」は、そうした自由さえも認めないものです。
「存在の規律」強い集団は、病んだ集団です。「カルト宗教集団」そうしたの多いかもですね。


>⇒つまり、存在の規律に合致した条件を持つ人物は、 閉ざされた世界にいても自分に嘘をつかないでいられるということになりますね。つまり、愛する事も出来る。

これはその通りで、上述の「病み」なければ(気づかなければ)」の(気づかなければ)≠ノ該当するということになるかも知れませんね。
ハイブリッド心理学では、あくまで本人が病みに気づき自ら抜け出すという段階からを取り上げていますので、それについて特に言うことはありません。


>⇒ここまで整理して、開かれた世界に行かなくても、より自分の性質に合致した閉ざされた世界にいれれば 愛されながら愛する事が出来るのではないだろうか?という疑問が沸く。つまり閉ざされた世界にいながら「嘘」の自分じゃない自分でいられる ということです。

それができていれば上述の通りハイブリッド心理学から言うことは何もありません。
現にそうはできない、というところから、ハイブリッド心理学としては取り組みを始めます。


>自分の経験として、開かれた世界を価値観として持った集団は、怖いです。なぜなら、そこではそれぞれの人が「何がしたいか」ということと 「自発性」を持って関わりあっていて、自分にはそれが欠けているからです。
>これは、僕には「自発性」「自立性」の「存在の規律」に感じられる。「存在の規律」を人に対して課さないという「存在の規律」みたいな。

正真正銘の「閉ざされた集団」の方が、ずっと怖いと思いますヨ^^; カルト集団とか、暴力で支配された集団とか^^;
いずれにせよ、「自発性」があって関わることができるというのは、「存在の規律」とか「参加の条件」以前の、人間の宿命もしくは摂理、もしくは自明の法則とも言えるもので、まず自分が何をしたいかというものを持つにそれが集団「参加の条件」合致しているのであれば、大いに参加を検討すればいい。合致しないのであれば、その集団への参加諦めなければならない。
そうして、まず自分が何をしたいかという「自発性」「自立性」によって、自らの進路を定め歩んでいく、ということになると思います。それができるのが自由であり健康ですね。

いずれにせよ実践的には、「存在の規律」見えていたものを、自分自身の内面でそう解釈しただけものであり、実際の外界には「開かれた世界」の面があることを、まず捉えることからです。そして「開かれた世界の行動法」学び実践していく、という順番になります。


>あるいは、「成長する存在であることを受け入れ、弱く不完全な存在であることを 認める」という性質を持っているのに、自分が勝手に人間として自分の方が 圧倒的に劣等だという見方をしてしまっているだけなのかもしれません。

そいういうことだと思います^^。で、そうした内面感情については「ただ流し理解する」のみとし、「生み出すことによる自尊心」へと、姿勢論精神論ではなく、日常生活社会生活における具体的場面取り組んでいくのが実践になります。いつかそうした具体的場面ベースでの自尊心が、人と自分の比較による優越感劣等感といったものを超えていく、と。


>ハイブリッドで述べられている嘘とは何なのでしょう。性格を偽ること?キャラクターを偽ること?思っているのと違うことを言うこと?自分の欲求をごまかすこと?
>一連の「閉ざされた世界」から「開かれた世界」への選択、「嘘」を許すというのはどんな時のどんな嘘をどう許すという事なのか?例えばある特定の人物のストーリーとして、対比的に描かれていればより理解できる気がします。

「愛されるために自分に嘘をついていた」自覚されるもの全てです。
「嘘を許す」とはそうして「嘘をついたこそ」そのものへの批判糾弾は、しないということです。嘘によって起きた「実害」そのものについては、しかるべき処罰があったとしても。これは『入門編下巻』P.171説明した話ですね。

ストーリー一つあげるなら、こんな感じ。ある若者が、友達に好かれるようなキャラを演じていたが、そこに無理があり次第に苦しくなる。そしてそのキャラが、自分への嘘であったのを自覚する。そして友人達の輪に入るのが怖くなり、できなくなる。
「嘘を許す」とは、この若者に対してその友人達が、「なんだお前は、いかさま野郎だったのか、許せない」と攻撃を仕掛けてくるようなことはせずこの若者輪に入らないことをただ黙って見守る、ということです。そしてその若者は、無理をして友達の輪に入ることからはいったん退却し、本当が自分が何をしたいのか向き合う日々に、嘘のない自分で人と接することへと向かっていく。
そんなストーリーになりますね^^。
もちろん、それがその友人達の輪再び入るという結末になるのか、それはもうなかったという結末になるのかは、人それぞれ唯一無二の未知になりますね^^。


 
Re: 「開かれた世界」「閉ざされた世界」に関する質問 / こたろう 引用
No.948 2014/08/08(Fri) 17:12:27

下巻135ページより。


開かれた世界だけで生きる事に徹しようとした時、空虚となる。

深みを欠いた、刹那的、もしくは機械的で些末な事柄に心を奪われて生きるだけの繰り返しです。
それは人生を失うに等しいことです。


→なぜそうなるのでしょうか。
理由と具体例があればお願いします。


 
「開かれた心の世界だけで生きることに徹しようとする空虚」^^ / しまの 引用
No.949 2014/08/13(Wed) 12:04:57

「開かれた心の世界」とは「人物を問うことなく、生み出すことで尊敬される世界」であり、それは同時に、特定の相手との深いつながりは、まだない世界です。
ですので、「開かれた心の世界だけで生きることに徹しようと」という表現使うような姿になった時、それは誰とも深いつながりは持たないという生き方なってきてしまいます。
それは「空虚」だ、という表現
これで説明になりましたかどうか^^。

具体例で言えば、前コメント「ストーリー」として書いてみた話で言えば、友達に好かれるよう演じていたキャラに無理があり、苦しくなり、いったん友達の輪から離れ自分をみつめる
そこから、「開かれた心の世界」の中で、自分に嘘を演じることなく人と親しくすることを学んでいければいい。そこから再び特定の相手との深いつながり模索へと向かうことになるだろう。
ところがそこで、もう特定の相手との私的な関わりは面倒、仕事だけして生きていければいい、といった生き方思考になってくると、そこで言う「開かれた心の世界だけで生きることに徹しようとする空虚」になってきますね、といった具体例を言えます^^。
これで説明になりましたかどうか^^。




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