しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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進路について / masa 引用
No.878 2014/05/05(Mon) 23:36:01

アドバイスありがとうございます。
コメントの文字が意味ごとに色分けしてあり、いつも見やすいです。

選択肢の挙げ方もやはり目的思考をベースにしていないからこうなってしまっているのでしょうか?

島野さんがおっしゃるとおり、僕は就職が嫌だと感じていたんだと思います。皆と同じことをして地味に生きたくない、自分は特別だ!という気持ちからなんだと思います。就職していく人を軽蔑していました。今は平凡な人生でもいいのでただ成長成熟したいです。

出来るのは社会を知ることからなんですね。
価値を感じることを探さなきゃと躍起になっていました。


芸人に対してのスタンスもやはり結果残せてから考えたいと思います。今は趣味の範囲でできればいいかなと感じます。
就職経験を生かせる職をピックアップしてみたいと思いますが、経験のあるコールセンター業務はほとんどが受信業務です。問い合わせや受付がメインでほとんど紋切り型に話しているため、人との会話が得意という感覚はあまりありませんでした。
また、電話営業のコールセンターで仕事していたことがあるんですが、商材が(映像コンテンツ)とてもお客にオススメできるものと感じれず(当時詐欺に近い商品だと感じていました)、営業のノルマも毎回越えられず結局会社をクビになり、営業職にかなり苦手意識があります。
そういった状態でも営業は候補に入れるべきでしょうか?


 
Re: 進路について / masa 引用
No.879 2014/05/06(Tue) 01:55:12

すいません、また新規で書いてしまいました。以後レスから入れます。


 
「選択肢見極め思考」・職業選択における「現実を見る目」^^ / しまの 引用
No.882 2014/05/12(Mon) 11:06:36

>すいません、また新規で書いてしまいました。以後レスから入れます。

同じ話でも読みやすい程度適宜新規入れて頂いてokです^^。ま先の僕がコメントする対象の記事離れ離れになってしまったので直した次第

ちょっと間伸び説明っぽく(?)なっていますが「選択肢見極め思考」とはどのようなものかと、
あと「職業選択」における「現実を見る目」からのごく実際的なアドバイスなど^^。


人生における重要場面での「選択肢見極め思考」

>選択肢の挙げ方もやはり目的思考をベースにしていないからこうなってしまっているのでしょうか?

何がいけなくてこうなってしまう、というより、こうならないような、今までとは違う思考法をどのように積み上げる、ですね。かなりの思考法鍛錬に、それができるようになります。

どーでもいい(?)参考話ですが、スキーの技術がうまくなるために、スキーがまだうまくない時ほど「どこを直せばうまく滑れる?」という発想を持つのですが、実際うまくなるほど「これを直せば」といったものとは話が全然違ってきて、今までやったことのない難しい運動要領どう積み上げられるかであるのが分かってきます。
この話どっかで触れたことがあるようにおぼろげに記憶しているのですが、探してもどーも見つからないのでここで書きますと、中にはまるで重力に反するように脚を使う、ありえないと思えたような運動技術出てくるわけです。こうしたのも、「直す」というのとはもう全然違う、新しい技術の地道な積み重ねの先に、そのための運動神経がまず備わってきて、さらにそれにパワーも加えられるといった展開によって、スキー本当にうまくなっていく。
これはバ−ンズ『いやな気分よさようなら』で、コーチが選手のミスを叱ったところでミスは直せないというにしたのと同じですね・・とこれに触れた原稿を探したところスキーの技術の話一緒に書いていましたね^^ゞ 「直す」のではなく技術の「追加形」だと。
『実践編上巻 10章 人生への実践−1 −プラス行動学−』
「テニス」検索するとヒットする箇所

人生における重要場面での「選択肢見極め思考」とでも呼べるものも、同じように、かなりの思考技術積み上げ積み重ねできるようになるものです。
『概説 - 5.歩みの道のり / 前進への基盤となる意識過程 一覧表』
にまとめた「意識過程」で言っても、その全て駆使して、総合的に導かれるものだとも言えます。

ですので、「目的思考をベースにしてないから?」というのは、やや、まだ何も本格練習しない段階で、自分がプロのようにできないのはどこがいけないから?という発想やや似ているのにご注意です。まこれはmasaさんそんな段階だと言うより、この喩え表現書きたかった次第^^。


「選択の前提」から「現実を見る目」で埋めていく

まあ実際この人生における重要場面での「選択肢見極め思考」というのは、かなり高度な思考技術によるものであって、今回のアドバイスに際しても、僕自身結構時間をかけ手順を踏んで思考した結果アドバイスしています。

参考までどんな手順思考したかと言うと、「選択の前提」から「現実を見る目」で埋めていくというのが重要になるかと。
ものごとの「良し悪し」を、あくまで「何の目的のためには」という「目的」ありきで考える「目的思考」確かに重要ですが、ここではさらに、その答えの内容与えるものとして「現実を見る目」重要になってくると思います。
「何をどう考える」という「どう考える」において「目的思考」活躍するとして、「何を」という思考材料段階で、「現実を見る目」材料の内容を決定するものになります。この段視野が偏ると、その後「どう考える」どう工夫したところで、良い答えは見つかりようもない。

で、僕がまず考えたのは2つのことです。
・就職をやめれば芸人としての成功に近づけるというわけでもない
・結婚の条件として言われたからという姿勢では、どんな職業も身につくものではない


そこで今回のアドバイスとして、2つ目の話前面に出すことをまず考えた今の彼女に結婚の条件として言われたから考えるという姿勢では、どのみちその職業は身につくものではない。言われたからではなく、自分からの人生設計として考える必要がある、と。
ただこれを言うと、どうも方向が変になるようにも感じたんですね。好きな道にこそ行くべきだ・・というと就職やめて芸人目標一本?というような。
でそこに上記1つ目の話再度加えると、これはもう「現実問題」としての「選択肢」は、芸人をどう目指すかとも、彼女に結婚の条件として言われたことにどう返すかとも違う、ごく自分個人の人生の問題として「本格的な就職」に向かうかどうかだけの「選択肢」が今はあるのが、浮かび上がってくる、という次第です。


本当の選択は何かを見極める

これは「選択」だと思っていた問題実は「選択」でない「選択」全く別のところにある。それについてまず自分自身としての選択を決めたならば、あとは、最初に「選択」だと思ったいたものもう相手(たとえば芸の審査員や彼女)に任せるしかない、つまり自分として何も迷い惑う必要もないことであるのが見えてくる、という流れ好例だと言えます。

こうした流れ僕自身の体験上も、結構あります。相手に受け入れられるためにはこうするのが良いのか・・だがそれではこれができなくなって・・で、相手の意向に沿うようにして受け入れられるか、それともそうせず相手に離れられてしまうかの選択のように思えてくるのですが、自分として本当に何を望み得るのかを、「現実を見る目」の下でとことん突き詰め「今自分にできるのはこれだ!」というものが見えた時、もうそこに「相手に受け入れられるか離れられるかの選択」は、消えているんですね。その惑いが、消えている。自分はこうする。あとはどうにでも好きなようにしろ、と。自分の前進の感覚が、相手側の反応の違いへの不安を、凌駕するようになるわけです。


職業選択における「現実を見る目」

ということで、「選択肢見極め思考」そのものはもうかなり総合的なものということで、それを培うためには上記参照「意識過程一覧表」全てじっくり取り組む先というになると思いますが、

・本格的就職を考える場合の選択肢候補
について引き続き「現実を見る目」だとどうなるというアドバイス追加しておくことができるかと。
それは書いて頂いたものに対してあまりに別世界の思考とも言えるため、一体どうすればそうした目が持てるのかというも出るかもですが、まずはとにかく書いてみるとこんな感じ。

>皆と同じことをして地味に生きたくない、自分は特別だ!という気持ちからなんだと思います。就職していく人を軽蔑していました。

これはもう「現実」何を見ているのでもなく、イメージだけの世界ですね。そこで「軽蔑」とは何を軽蔑していたのかさらに細かく分析してもいいのですが、まずはとりあえず過去のことということで今特に取り上げる必要はないかと。

>人との会話が得意という感覚はあまりありませんでした。

これは社会における自分の長所能力認識できていないという形での「現実を見る目」欠如言えるかもです。基本的に喋るのが苦手、活舌が悪いといった人沢山います。まず「声の出し方」レベルでは就職において使える能力があるということになると思います。

>商材が(映像コンテンツ)とてもお客にオススメできるものと感じれず(当時詐欺に近い商品だと感じていました)、営業のノルマも毎回越えられず結局会社をクビになり、営業職にかなり苦手意識があります。

それは「低質な営業の世界」典型例ですね。ノルマのための押し売り
そういうのとは全く別世界「高品質の営業の世界」というものを、どう知るかからになると思います。それこそまさに「価値の生み出し」の世界です。
それを説明する本結構あると思います。ま僕自身その方面では知識がちょっと少なく、とりあえず記憶からすぐ出てくるものとしてこんなものなど。
奇跡体験!アンビリバボー 十勝バスが北海道に巻き起こした奇跡 3月6日

>そういった状態でも営業は候補に入れるべきでしょうか?

まず「低質な営業の世界」だけで考えている状態脱するその上で、就職業種職種検討をすると良いでしょう。

「入れるべき」というという言葉はちょっと不適です。「現実を見る目」からは、「入れるべき」かどうかというより、就職の間口として何がどの程度あるのか客観的な数字の事実です。「入れるべき」というという言葉はちょっと道徳的
となると、「就職」というのは基本的「営業職」「技術職」「専門職」といった大きな切り口から成り、今回の話で言えば「技術職」「専門職」のための情報特に検討しなければ、まず「営業職」というのが間口としてあるということです。求人も多いでしょう。ただしそこから、自分として「高品質の営業の世界」として展開できるものを見出すことが課題になる、というになるでしょう。
「べき」もなにも、とにかくそうした現実の間口があるという事実を、まず認識する。 もちろん、それとは別のものととなれば、準備を積んでの技術職や専門職という選択肢もあるという事実

ここまでの話職業選択思考のための「材料」ですね。そこから、自分として何に優先基準置くかといった「選択思考」そのものんを働かせていく、ということになると思います^^。



経過のご報告です / 引用
No.862 2014/04/19(Sat) 17:01:39

 前のトピックでアドバイス頂いた「「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法」を読み返しているうちに、学生の頃付き合ってた相手との出来事を思い出しました。音楽の好みが噛み合わない時に、相手から「私が聴いてる曲なのに…」と文句を言われたのを思い出し、その言葉に当時は多少の申し訳なさを感じ、以前ふと思い出した時は反発的な怒りを感じましたが、今回思い出した時はちょっと気持ち悪く感じました。
 ただ、当時〜去年のはじめぐらいまでの趣味娯楽の半分以上について考えてみると、どうやら周囲の比較的仲が良かった人に追従してやってたように思えます。一見楽しくのめり込んでるように見えて、内面では背景的に何かに追い立てられてるようなのめり込み方をしていたような…。別に生計立てるためにやってるわけでもないのに、「ああしなければ」「こうしなければ」が山のようにあったと思います。
 今は一人カラオケにのめり込み、採点機能でスコアアタックなどもやってますが、スコアと歌の上手さはイコールではないことを十分把握し、強迫観念もまず起きない。もちろん、間違えたりスコアが落ちたりしたら瞬間的に悔しくはなりますが。
 たぶん、この辺については、未熟な愛の価値観からの抜け出しは視野に入っているのかな、と感じてます。
 自尊心については、仕事中の悪感情への接し方の変化だったり、上記にある心底のめり込めるものに出会えたりと、日々生み出せてる感覚はじわじわと出てきているものの、まだまだ取り組むことが山のようにあるため、打ち負かし自尊心からの抜け出しには距離があるように感じています。今は自分に向上させることが出来そうなものを増やしつつ、未熟な価値観を表に出さないように努める時期なのだろうなあと。

 また、先日の刷り込まれた不要な観念に気付いて放り捨てた書き込み以来、怒りなどの裏側の感情みたいなものが少しは見えてきた感じがします。
 たとえば仕事中、ふとしたことで怒りを感じた時、まず「仕事中の自分は周囲に見下されている」という感覚を強く自覚し、次第に「自分も今の仕事を自分で見下している」ということを自覚しました。これだけでも怒りは一気に治まりましたが、こういう感覚を持つことへの自分が感じているメリット、デメリットというものも考えていきたいと思いました。こういう「自分が今居る環境への否定」の感覚が、過去の環境下でケアレスミスを多く引き起こすことにも影響していたのかもしれない、と、今文章を打ってる間に思い浮かんだので。
 別の日には、「どうせ世の中の連中にとっては、イケメンと女以外は問題外の存在なんだろうよ!」などと、かなりやさぐれた感情が湧きましたが、「イケメンは不細工よりも広範囲の物事が許される」という感覚があるようだ、と自覚しました。何かの言葉に「※ただしイケメンに限る」と続けるジョーク(…だと思いたいですが^^;)がたまにありますが、それがリアルに起きていると言わんばかりの感覚のようでした。実際に自分がそうなりたいかと自問自答してみると「見た目が良いほうが印象が良くなるのであればそれに越したことはないが、別に生活を切り詰めてまで整形したり値段の張る服を買ったりするほどでもないな」という感じで、「ならばそんなに金がかからない範囲で見た目を良くしていくぐらいのことならもう少し意識を持ってもいいのではないか。」と、日常生活の向上に関しての課題を一つ増やす形で落ち着きました。こっちに関しては、容姿を良くするという自然な望みが流行への反抗心で妨げられ、荒廃化させただけの話なんだろうな、と、理論を読み返した中で思いました。
 マスコミや政治家などの、影響力や権力を引っ提げてる連中への敵対意識も少しは減ったかもしれません。これについては従来、「世間は彼らの云う事を鵜呑みにしている。このままだと、声のうるさいだけの連中が支配することになり、日本はぶっ潰れてしまう!」という感覚が強かったことも影響してたのでしょう。今のところ「みんな本当にそういう連中の云う事を鵜呑みにしているのか?」という問いぐらいは出来るようになってますが。

 あとは、前のトピックで「誰も自分に味方など居なかった」という感覚があったという話について、この感覚自体が誤りだったのを自覚しました。母方の祖父母が離島に住んでいた頃…ちょうど私が中学に上がるぐらいまで、年にだいたい1〜2回ほど会いに行ってましたが、それを思い返すと、大抵のことでは祖父母が自分に味方してくれていたように思えました。祖父からはよく船でいろんなところに連れて行ってもらって釣りも教わり、祖母もよく郷土料理を振舞ってくれて、他にもかなり労ってもらいました。祖父はすでに他界してますが、お葬式があった当時は今よりも私の感情が荒廃していたこともあり、それを十分悲しむ精神的余裕がなく、つい先日、祖父が最後に自分に伝えてくれた言葉を思い出す中で涙しました。考えてみれば、両親からの愛情はあんまり適切なものではなかったかもしれないが、それを祖父母が補おうとしてくれたのではないだろうか、という思いと、「いつも味方になってくれたこと」への感謝の念なども込めて。祖母は存命中ですが、距離が遠いため、折を見て改めてお礼を言いに行きたいとも思っています。

 しっかり意味を把握しながら取り組もうと思い直し、最初の書き込みから半年を超えましたが、先日のトピックでの気付きのお陰か、思ったよりも前に進んでいるのではないか?という感じがします。
 それ以前は、周囲の他人の未熟な行動をあざ笑い、自分に向けられた不快な態度に無条件に怒り憎しみを向けるだけでしたが、今では不完全ながら怒りの裏側の感情を汲み取ろうとすること自体がかなりの前進なのではないかと。「感情と行動の分離と言われても、どうしても行動が感情に引っ張られるばかりでにっちもさっちもいかず、余計イライラする。自分には向いてない。やめてしまおう…」と、20代の頃に取り組みを諦めた頃のことも思い出すと、当時では全く想像もつかなかったろうなあ、と思います。
 より把握出来るようになったことだけが要因というわけでもなく、「他人に追従することなく心底から楽しめること」に出会えたことや、その前後で、結局一人でイベントで行動を起こす羽目になった中、成功とは言えないにしてもとりあえず実行はし切ったことなどが無ければ、以前同様どこかで投げ出していたかも知れません。
 何より、他人を笑う中で「じゃあ自分はどうなんだろう?」という思考が偶然起きて苦しみ、そこで感情の起き方が若干変わり、「こういうことが本当に起きるのであれば、もう一回ハイブリッドを試してみるか」と書き込みを始める経験が無ければ、未だに世の中や他人を憎み見下すだけの苦しみの中でもがいていたのだろうなあ、と。
 いろんな偶然の要因が積み重なって前進している感じが強いので、今後は自分で確信して前進できるように変わっていければ、と。そのためにも、また日常生活の向上に努めていきたいと思います。今のところ、ある程度「望み」として認識されているのは、日常生活を自分の手に取り戻すこと、のように感じられるので。


 
補足 / 引用
No.863 2014/04/19(Sat) 18:02:45

>今のところ「みんな本当にそういう連中の云う事を鵜呑みにしているのか?」という問い
勿論自分に対する問いかけ、の意です^^;


 
隠れた観念の発見と崩壊 / 引用
No.868 2014/04/22(Tue) 16:27:01

また連投になってしまいましたすみません^^;

上記の内容を書き込んだ時まであっさりスルーしていたのですが、祖父母からは随分良くしてもらったのに、何故か愛情やら心の問題に触れるときに全く考慮してなかったのはなぜか。それどころか、長い間細かな記憶が薄れていたのはなぜか。
少なくとも、忘れたいようなことではなかったので疑問を感じ、かなり重要なことだと日増しに思えてきたので思考をしてみると、また変化を感じました。

今までの感情の中での理論に則れば、そういう記憶を塗り潰す必要があるぐらいに、愛情を受け損ねたり災厄を受けたりしたという観念を重視していたのかもしれない。だとすると、自分はそういう災厄の中で生きてきたことで自尊心を得ていたのだろうか、という仮説が浮かびました。
小学校・中学校と、自分で取り柄だと思えることが勉強ぐらいしかなく、高校に進学すると、自分よりも成績の高い人間のほうが多くなり、勉強が取り柄だという自尊心も損なわれ、幼少の頃から家庭環境も学校での人間関係も良いものだとは感じなかったため、「修羅場の中で生きる運命を背負った」という観念にしがみついて自尊心を得ようとしたのだろうな、と。

先生の記述に「後に比較的深刻な心の障害を体験した人は、まず間違いなく思春期の一時期に「視線恐怖症」を体験していると私は推察しています。」とあるように、実際、高校の頃に視線を同級生と合わせるのが怖い時期がありました。眼が変だとか虚ろだとか言われ、ますます他人と視線を合わせることに怯えてた記憶も。
また、当時のことを思い出すと「現実が付いてこない」という感覚もあったと思います。スポーツも苦手、流行などわからない、最後の砦だった勉強も、進学校に入ってからは落ちこぼれの部類になってしまった。何のとりえもない状態でこんな場所に来てしまった。どうしよう。と、何もかも終わったかのような感覚もあったような。
ついでに、当時、ホームレスを見かけたときに恐怖心がありました。ほぼ間違いなく「将来こんな風になったらどうしよう」という感覚はあったと思います。最近でも、そういう方々を目にするたびに、当時の恐怖の残骸のようなものを感じることはたまにあります。結局、それらの恐怖心を塗り消し、自尊心を維持するため、「こんな修羅場の中でも何とか生きてこれた」ことを自尊心の土台にしてきたのだと思います。

修羅場を求めてる、と頭に浮かんで最初は「狂気の沙汰だ」と、ばかばかしく感じましたが、いろいろ思い浮かべていくうちに、当時の自尊心を崩壊させないためのものだったのだろうか、祖父母に関する記憶を薄める必要があるぐらい追い詰められてたのだろうか、というのは容易に考えがまとまりました。

後の人生では、当時好きだった声優さんなどの影響で根性論に染められたことなどもあり、自分の意識していないところで「修羅場のような環境」への執着があったのだと思われます。わざわざ自分の能力では遥かに及ばない難しいものに挑んだり、過保護な保護者の元で育った異性との交際にうつつを抜かしたり、今思うとそれが本当に「望み」からくる行動だったのか非常に疑わしい行動にばかり駆られていたように感じます。その割に「難しい。困った。どうしよう」と悩むばかりで、ろくに前に進めた実感は皆無に等しく、それでいて撤退することが「逃げ」で「人生の終わり」であるという感覚に追い立てられていたようです。一方で、修羅場である必要があるためか、周囲や世間の悪いところばかりが非常に目立つようになり、他人の言うことにも過剰に刺を感じ、些細なことで怒り憎しみを抱くようになり…。確かにこういう風に考えてみると、「空想と現実を逆転させて自尊心を守るシステム」として成り立ってるように感じられました。浪人までした末に地元ではレベルが高いとされている大学に入ることが出来た時も、第2希望だったとは言えさほど喜びを感じられず内心で困惑したのをよく覚えてますが、こういう価値観があったことを考えるとそれにも納得できます。数年前に過去の仕事の知識のみでマイナーなパソコン関連の資格に合格した時のほうがよほど感情としては嬉しかった気がします。3級ですが^^;

今の頭で考えるとこういう自尊心の得方は必要無いな、というのが即座に浮かび、次の瞬間、肩の荷が下りたというか、大きな安心感を得たというか、そういう感じがしました。しばらくして、ざっくり云えば「ヒーローになれなかった」的な、幼稚園児の描くような夢への軽い落胆を感じました。今頃そういうものを自分が感じることに滑稽さを感じたため、笑いながら落胆するという奇妙な感覚でしたが。ですが、少し考えると、これは内面の問題としては結構意味が深いものだったのかもしれません。その後は、気分がやけに高揚した日になりました。

あと、何となくですが、悪感情でも比較的健康なそれと不健康なそれに違いがあるのかなあ、というのが頭に浮かびました。上手く言えませんが、比較的健康な状態だと、パッと浮かんでもすぐに抜けていく感じがするような…。最近、怒りとか焦りとかの類が浮かんでも、以前に比べるとすぐに抜けていくような感覚があることも若干増えてきたので。

何にしても、内面の大きなつっかえが取れたようで、かなりホッとしています。
また、改めて先生のサイト及びハーバード交渉術を一通り読みなおし、どれぐらい理解納得が得られるか確認してみたいと思います。


 
Re: 経過のご報告です / しまの 引用
No.869 2014/04/28(Mon) 09:24:05

いろいろ視野が深まる前進があったようですね^^。
ぜひ引き続き「これから向かうもの」への取り組みなど続けて頂ければと^^。


 
価値観の選択が視野に / 引用
No.874 2014/05/04(Sun) 16:34:58

レスありがとうございます。

それ以降も細かな気付きなどはありましたが、特に先日価値観への取り組みが視野に入ったので引き続きご報告いたします。

前提として、今の仕事で抱えている内面の問題は、たとえ接客業じゃない場所に移ってもどこかで火種になるだろうこと、遠方の勤務地からの求人にも応募できるように多少貯えを作っておいたほうがいいことなどを考え、しばらく今のバイトで内面・外面への取り組みを行おう、という結論に至っている状況です。正直なところ、今の職場では苦手な分野で謎の評価をされている、という気分は拭えていませんが、何故か仕事中に内面の気付きや変化が多いため、ハイブリッドの取り組みには適している感がある、というのもあります^^;

割引券を配ってる時に「配布枚数がすくないのは受け取りやすさを考えずに漫然と配ってるから」という普段から自覚はしていることについて「では、改善したくない理由、改善の妨げになっているものは?」と自問し「そりゃ、昼はともかく、夜は酔っ払いやガラの悪い人が多いから、バカにされたり否定的なリアクション貰って怒りが起き、士気が下がるのは損だし…」と自答したところで、「否定的なリアクションを貰う、つまり否定されたと感じて怒りや傷つきを自覚するのは、愛の問題かそれとも自尊心の問題か」という問いかけが思い浮かびました。これは今までの取り組みの中でも初めてのことでした。ようやくこういう考え方が出来る準備が心に整った、ということでしょうか。
実際に考えてみると、見知らぬ人に愛を求める感情は今のところ自分の中に自覚できないので、ならば自尊心の問題だろうか、と考えると、確かに自尊心を損なったことに対する怒りや傷つきがある、と内面から返答が来ました。
「実践編(上)」の価値観に関する記述を読み返し、「打ち負かし優越」に価値を感じているからこそ、相手から打ち負かされていると感じた時に自尊心を損なうのだろうか、と考え、更に、この価値観の下では、自尊心は奪い合うものになってしまうという欠点も思い浮かびました。典型的なのは、「言い負かせば勝ち。言い負かされたら負け」というノリで行われてる、議論のための議論の場とか…。何にせよ、自分の現在の立場や能力というものを考えると、打ち負かされることのほうが多いであろうことは容易に推測され、打ち負かし優越の衝動に固執しても打ち負かされて怒りや嘆きを暴発する危険性のほうが大きいではないか、という考えに至りました。

では、「価値の生み出し」を元に考えたらどうなるか…。「生み出した価値を基準に自尊心を得るということでいいのかな」と判断し、今の環境で生み出してきた価値…出来るだけ具体的に、どれだけの人に店を案内し、どれだけのお客様に応対し、店のパソコンをどれだけ修理し、店の看板をどれだけ作り設置してきたかを考えているうちに、「知らん人に多少絡まれたところで、今まで生み出してきた価値は潰えることはない!」と内面から返ってきた気がしました。更に、以前の職場で生み出した価値や、他にも色々な場面を思い浮かべたあたりで、よくわからないけど泣きたい感情だったり、今までしんどかった、という思考だったりが浮かんできました。

先日ご報告した中で今の仕事への否定的な感覚を自覚したことも挙げましたが、「今の場所への否定がなくても、よりよい条件や職種での求人があれば面接を考えるだろう」という気付きもあったお陰か、仕事中の嫌な気分が、今までとは比べ物にならないレベルで全般的に激減しました。疲れや夜の冷え込みがある時、人通りがなくて暇な時に「帰りてぇなぁ」と思うぐらいのことは勿論ありますがw

これを元に今までに起きた問題を想起してみると、いかに不味い考え方でモノを判断していたのだろうか、ということに即座に気付きました。元来自分に足りていなかったのは「愛」ではなく「自尊心」であり、その自尊心も、打ち負かし優越することに価値観を置いた自尊心だったこと、友人や恋人との交流においても、主に求めていたのは愛ではなく自尊心であったことなどが、今これを打っている間に次々と自覚されていきました。自尊心を求める中で、それを愛の問題とごちゃ混ぜにして考えてきたため、どちらの問題もややっこしくなるという、先生の記述そのままの状態だったのか、と。
更に、弄られ役になることを極度に嫌う原因やら、「一人になりたい」と思っていた原因やらに、自尊心を失うことへの抵抗があったのだろうか、というのがおぼろげに見えてきました。

今回のことで、価値の生み出しについて、あるいは自尊心についてのご説明に関して、より理解が深まったのを実感しました。
何より、「愛」と「自尊心」を切り分けて問題を考えるという実践がスムーズに頭の中で進み、明確に価値観に切り込めたのは初めてでした。
また進展があったらお知らせします。


 
「学びの時期」の歩み方^^ / しまの 引用
No.880 2014/05/08(Thu) 10:39:27

『概説 - 5.歩みの道のり / 5つの「成長の段階」』
で言っている「成長の段階」として、本格的「学びの時期」に入ってきたという感じかと^^。

書いて頂いたものを拝見して、とりあえずアドバイスとしては全体的な進み方で、日々新たな感じ方への向き合いになると思いますが、
・自分の今までの感じ方はこうだったという振り返り
がまずあるとして、その後には
・これから何にどう向かうかという自分への問いかけ
毎度セットのようにするのがよろしいかと。
するとまた、「やはりこれは・・」という妨げのようなもの見えるかも知れない。その時はそれについて答えが出ないまま向き合いが終わるような感じになることが多々あるのですが、実はそうして「意識では答えが出ない」まま、実は心に変化が始まっている、そしてしばらくして再び、新しい感じ方はっきりと自覚されてくる、という流れになる。これが僕の経験からもかなり基本パターンとして言えることです。

そんな進み方として、検討内容的には、あくまで大局的には「感情と行動の分離」「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解」という両輪を携え、「望みに向かって全てを尽くして向かう」という根幹どう自分が向かうことができているか、という視点からが良い、というになると思います。
「望みにどう向かうことができているか」に、今取り組むべき視点の答えが出てきます。まず自分どんな視点見つけるか。それが「否定価値」というのをはっきり捉えるまでに、
『3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ』
ざっと列記したようなテーマ項目についてほぼ納得習得を得て外堀を固めるという歩みが、これからの数年間になるという大局感向かうと良いかと。

とりあえず日々の出来事に際してそうした検討という引き続きの実践でもいいですし、あとは以前自分で書いて方向性が見えなかった点について再確認してみるとかもいいですね。例えばが言った「オープンな交友関係」について、そんなものが世にあるとは思えないというようなこと(?)言っておられたものなど。
はまた新規トピックでどーぞ^^。



進路相談 / masa 引用
No.871 2014/05/01(Thu) 02:19:12

こんばんは。島野さん、ハイブリッド心理学いつも参考にさせていただいてます。
僕は、現在25歳です。四月で芸人の学校(一年)を卒業したばかりなのですが、考えが大きく揺らぐ出来事がありました。

今付き合っている彼女と先日会ったときの話です。
年齢が三個下の彼女とは離れた場所に住んでいるので、お互いの時間の都合上、基本的に月に一度しか会えないような関係です。
会ってない間、彼女は僕に内緒で以前告白された男の子と食事に行った様で、その彼にもう一度告白されたとのことでした。そのとき彼に、「もし俺たちが結婚して子供が生まれたとしても俺は就職先があるし、今別で同時にやっている整体がうまくいけば将来独立するつもりだから、芸人の彼氏なんかより俺の方がお前を幸せにできる!」と言われたそうです。もちろん気持ちがなかったから断ったそうですが。
内緒で会っていたことに対し怒りを感じましたが、罪悪感を感じていたようだったので、彼女も学んでいるんだと考えるようにし行動化せずにすみました。が、彼が僕を否定したことを聞くと腹が立って、彼女に対し感情的に反応してしまいました。「それは違うだろう!俺だって将来のことよく考えてる!と…」その後は自己嫌悪に陥りました。

今まで二人で結婚の話はしたことがないのですが、彼女は上記の件もあって僕と会わない内に色々考えていたようで、20代後半までには結婚をしたいと考えていると話してきました。もし僕と結婚し、子供が出来たことを思い描いたとき、僕が芸人を目指していることを考えるとあまり現実的ではない。そして10年経つ頃(10年スパンで芸人を目指していると伝えているので)僕は結果が出ていず、それで別れでもしたら女の寿命を考えるとちょっと辛い…。だから出来れば就職して欲しいと思ってたし、将来を考えるなら、相手を改めた方がいいんじゃないかと迷っている自分もいたとのことでした。
僕が芸人、結婚についてどう考えているか聞かれ、好きでもないところに就職なんかしたくない!ということと、彼女との結婚をイメージしていてすぐではないけれど、結婚するのならゆくゆくは子供も欲しいと考えていることを伝えました。
僕はその話をしたときに、今後の人生で結婚して子供を育てることになったときをイメージし、現実的なリスク(経済的)を初めてあんなにリアルに意識しました。自分の子供には心理障害の影響を与えたくないのでかなり先の話だと思っていたのですが、彼女の希望も考慮にいれると検討しなければいけないと思いました。
また、内緒で会っていた彼の言葉を聞き反論はしましたが、反論している最中自分は現実地に足がついていない、意見が全く子供だなと感じていました。芸人を目指す(社会的に見たらかなり難しい)という事に対する甘さを感じました。まさに図星だったからこそ怒ったんだと思います。

僕は高卒で、卒業後ずっとフリーターでした。バイト、派遣、バイト、派遣、と転々とし、やりたいこともなく模索もせず、ふらふらとただ遊んでいた時期もありました。意見をあまり持たず流され続け、21歳くらいまで自分に自信を持つなんていう思考はない人生でしたが、自己啓発本や、人に出会い、自分でも頑張ればなんでもできるんじゃないかと思うようになりました。0か100かしかない思考でした。
芸人を目指した理由としては、人を笑わすことが嬉しいので芸人を目指すことで、本当に好きな事を見つける何かとっかかりになるんじゃないかということ、笑いの技術を使えば人生を生きていく上でコミニケーションが今より楽しくなるんじゃないかという期待、そして成功してちやほやされている自分の姿を想像してのことでした。
ですがハイブリッド心理学も参照し改めて自分と向きあってみると、芸人を目指すことは、結果を求めた枠はめの一つにすぎないんじゃないか。社会に反し人と同じことをやりたくなかったという気持ち、笑いをとることで自分に愛情をもらってるような錯覚をしているんじゃないか。ネタ書きもはかどらず、自分に圧をかけるような形で無理やりしていたこと。それらを考えると目指すことに疑問はあったのだと思います。結果ばかりを求めていたからか。何かを積み重ねたいという焦りもありました。もともと最近そういった矛盾は強く感じていたのですが、今回の件でさらにその問題がはっきりと現れたようでした。そして今就職という考え肩の荷が下りた様な感覚もあります。

今後もしお笑いが好きだったら職にしなくても趣味の範囲でやればいい。まだまだ先の事ですが、結婚や子供の事を考えたらやはり今のうちから職に就くことが現実的だなと思いました。今までアルバイトや派遣の仕事に惰性的に向かっていたので、今後は自分の成長のためにも、仕事に責任を持って取り組んでみたいと思っています。

現在深夜のコールセンターの派遣社員をしているのですが、お笑いの時間を作るために入った場所なので、就職するなら普通の昼の仕事をしたいと考えています。大企業などに憧れは感じますが、25歳の高卒では現実的ではないので、自分が就職できる範囲で一度就職してみたいと思っています。焦りも感じています。同じ就職先に一生勤めたいというよりは、就職のキャリアが欲しいのと、やっていくうちに派生して何か自分にあったものが見つかればいいなと思っています。就職活動の情報も何もなく、全く素人なのでネットで色々と調べてはいますが不安です。

結果的には島野さんの様に価値を感じれる仕事が出来たらいいなと思っていて、自分に何の職が合っているか模索してみましたが、自分が好きな仕事は頭で考えてもわからない、体験あって初めて見えてくるものなのだと思いました。自分に今できること、何が生み出せるんだろうと考えたとき、今までコールセンターに合計5年近くいるので、入りやすいとは思いましたが、コールセンター自体は給与が高く楽だからやっていただけで好きなわけではありませんし、やっていて特に楽しいとも感じません。

以前芸人を目指す前に儲かる事ないかな〜と、片手間で個人で海外から輸入した商品を二個だけ売ったことがあるのですが(利益はよかったのですが時間がかかるしつまらないのですぐに辞めてしまいました)、それからなんとなく、今後まだ発達していきそうなインターネット系の仕事(web関連、アプリ、マーケティング、コンサル)に興味が少しありますが、未経験でいけるところが少ないのでどうなのかなと。

反面、彼女との愛情に依存して就職という考えに至っている危険性もあるのかとも感じていて、何が自分にとって良いのかわからない状態です。
自分の本心があまり見えない今、自分を客観的に見れていないので、ハイブリッド心理学から見る指針、検討材料などがあれば島野さんのアドバイスを頂きたいです、よろしくお願いします。


 
進路相談 / masa 引用
No.876 2014/05/05(Mon) 10:48:03

*管理者メモ*
No.872 2014/05/01(Thu) 11:53:20
として新規トピック入力頂いたのをレスに移しましした。


また、島野さんは心理学系とは別の職種についたようですが、当時どのような点が自分に合うと思い就職先を選んだのですか?


 
「選択肢の正しい立て方」・「仕事」への入り方 / しまの 引用
No.877 2014/05/05(Mon) 10:52:05

「選択肢の正しい立て方」

これはまず、「選択肢の正しい立て方」という課題になりますね。
つまり「選択肢の立て方」ちょっと間違っているかも知れない。だから混乱する。

つまりここでは、まず
「本格的就職はせず芸人を目指し続ける」vs「彼女のために本格的就職をする」
どっちを取るかという選択だと思考していると思います。

そこでちょっと間違いでは僕個人の意見として言うなら、
・本格的就職を避ければ芸人に近づけるわけでもない
のが現実ではないかと。芸人として生計を立てるというのは、よっぽど素質と才能がある場合であり、そうであればスポーツのプロを目指して一日数時間の練習時間が拘束されるというのとは違い、本格的就職上でも可能と思います。実際そんなケースの芸人結構いると思います。
ですので、今思考しておられるであろう上記選択肢の前者は、そもそも意味がないのではと。

となると、選択肢の後者、「彼女のために」というのも、選択肢としての意味がなくなってくるんですね。「彼女のために就職する」のをやめれば芸人に近づけるわけでもない。
つまりこれは「就職をやめれば芸人に近づける」という幻想が生み出した「選択肢」であって、そもそも実際には選択の問題ではないわけです。
単に本格的就職を目指すか、そんなの嫌だとするかだけ問題芸人という目標も、彼女に今言われたということも、関係なくと言えるものとして。後者は、今の彼女に限らず、結婚はしないという選択にもなってくるでしょう。

ただしもし、金にならなくとも今出番があり時間が拘束される芸人活動の場具体的にあるというのであれば、それと就職との選択という話にはなりますね。今はそうしたものではないと思います。
まあ順当に言って、本格的就職へと向かうことができるのであれば、そうするに越したことはない、というになるのではと^^;


仕事はまず実践スキルで選ぶ

就職における進路検討は、まず

>結果的には島野さんの様に価値を感じれる仕事が出来たらいいなと思っていて、自分に何の職が合っているか模索してみましたが、自分が好きな仕事は頭で考えてもわからない、

という僕の例を出したのが、僕の執筆活動指しているのだとしたら、手短に言って参考にするのは「間違い」です。
一方、

>また、島野さんは心理学系とは別の職種についたようですが、当時どのような点が自分に合うと思い就職先を選んだのですか?

前のIT系の仕事指しているのであれば、それを参考にするのが「正しい」

つまりその2つは、人生の段階として別のものだということです。
後者は、心身が健康であればまず向かいたい、「社会に出て仕事をする」という人生の活動段階
前者は、そこにおける自己の能力可能性の発揮ある程度形になってくると共に、人生後半視野に入り、さて残りの人生をどう生きるかという最後の進路選択可能になってくる段階
ご相談は、前の段階のものと思います。当然、前の段階をすっとばして最終段階を考えたいというのはナシです。

でまず「社会に出て仕事をする」という人生の活動に入るための進路検討ノウハウとしては、
「価値を感じられるか」ではなく、「金になり自分にその能力がある」ものから選ぶ
・仕事の
「印象イメージ」ではなく、中の様子を実際に見て、その実践面実務面におけるスキルで自分の適性を考える
といったものが基本になります。

そもそも「価値とは何か」を、実際に社会出て仕事などする中で学んでいくものになります。ならば、「これから社会に」「これから本格的就職を」という段階で、つまり「価値とは何か」がまだこれから学ぶ、要はまだ良く分からない段階で、「価値」どう感じられるかで仕事を選ぼうとするのは、かなり無謀(?^^;)です。それはかなり偏った判断になる危険がある。
だからまず、「金になり自分にその能力がある」という条件で、いかに幅広く検討するか、からなんですね。もちろんまっとうな仕事として^^;
ITの仕事選んだものも、それです。もう研究者の道は考えず就職しようと思った時、大学の教養科目でやったプログランミング自分にかなりの適正能力があったのに着目したわけです。そして社会はまさにバブルに突入、コンピュータ企業雨後の筍のように出てきた時代です。で就職自体はそれまでの「社会に出る恐怖」などに比べ結構スンナリ決まった次第。この辺の経緯『悲しみの彼方への旅』でも書いていますが(P.326あたり)、そうした具体的は話ちょっと割愛していますね。

基本的に、全ての仕事「価値」あります。価値のない仕事などありません。ただしその中で、自分が生み出すことに価値がある重みとなると、話が違ってきて、まさにそれを模索するのが、それからの人生の一つの段階になるわけです。
まず社会にあるレール熟知することです。それに乗るとどのように前進できるか。その上によくある障害とその対処法、その上でうまくバランスを取る思考法行動法。そしてレールの上で、どこまで到達できるのか。
そうした「社会を知る」ということがほぼ完了した時、人生の段階次のもの移行するわけです。引き続きレールの上で進むか、それともレールなき道を進むか。の場合、それまでに20年歳月を経た次第。で結局レールから降り執筆の道に向かったわけです。


「生活費」「能力」から「価値」「生きがい」へ

また
>自分が好きな仕事は頭で考えてもわからない

については、「仕事」というのは基本的「好きなもの」として入るものではないと思います。基本生活費を稼ぐためであり、そのために仕事をして、それで余った時間「好きなこと」をできればいい。それでも「嫌々ながら」とはならないのが、まずは健康な姿と言えるかと。
そうした形「仕事」へとエネルギッシュ向かうことができない場合、何か妨げがある一つの「症状」として取り組み得るものになるというになると思います。

「仕事」はまず「好き」「楽しみ」としてではなく、「生活費」のための「能力発揮」として入り、その中「価値」知っていき、さらにその中から「自分がやってこその重み」見出していく頃、やがてそれが「生きがい」となる。これは人生の段階として2つ別のものであり、前者20代30代後者40代50代という年齢見出すとい道のりイメージ向かうのが良い。
まとめるとそんな話になるかと。


コールセンター業務からの発展

以上が「仕事」への入り方としてハイブリッド心理学から言える一般的アドバイスとして、

>今までコールセンターに合計5年近くいるので、入りやすいとは思いましたが、コールセンター自体は給与が高く楽だからやっていただけで好きなわけではありませんし、やっていて特に楽しいとも感じません。
>今後まだ発達していきそうなインターネット系の仕事(web関連、アプリ、マーケティング、コンサル)に興味が少しありますが、未経験でいけるところが少ないのでどうなのかなと。

について、より具体的に、からの個人的意見など書いてみますと、
現在コールセンター業務であれば、それが勤まるというのもそれなりの能力特性あっての話になると思いますので、その能力特性からの発展としてどんな仕事考えられるか、という検討アプローチが考えられると思います。楽しいと感じるものというより、やはりとっつきのレベルにおいても「価値」感じるもの(例えば扱い商品)というからになると思います。

一方インターネット系というのは、僕自身のIT系の経験から言って、多少とも理数系の素養と、結構時間労働的なキツい面もありますので、それを突破できるだけのIT系能力到達必要になると思います。まず未経験からチャレンジするのは一般的にはかなりの困苦の道になるのを覚悟の上ならというになるかと。

ですので今コールセンターということであれば、人との会話が得意という能力特性が考えられますので、そこからの発展形として僕がまず浮かべたのは、保険の外交営業員とかですね。医療保険など、人の人生にとっても重要な商品であり、やり方によってやりがいのある仕事ではと(逆に言えばやり方がマズいとどんな仕事も価値を失う)それ以外にも、まずは営業関係検討候補になり、いくらでも間口があると思います。

そしてお笑い演芸引き続き目指すのであれば、そうした傍らコンテスト出場とかもできるでしょうし、そこで入賞とかなって初めて、仕事との選択という話現実味を持つということになると思います。


とりあえず書いて頂いた情報からのアドバイスは、そんな感じになりますです^^。



(No Subject) / こたろう 引用
No.855 2014/04/11(Fri) 21:15:37

新トピで失礼します。
●自分なりの交友行動法
楽しみの共有として
向かうのはわかるのですが、その内容
(なにをどういう風にしたら
自分は現時点で楽しいと感じるのか)を
イメージではなく現実においての
体験で知る、ということで
いいでしょうか。

その内容は人の趣向、
あるいはその時点での
精神的な自立の具合による。

例えば買い物は好きだけど
人と一緒にいくのはわずらわしい。
その場合楽しいことだけど
共有する楽しみとはいえない。

山登りは好きだけど、
あのおしゃべりな人と行くのは
疲れるから、大人しいあの人と
行く。


●話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない

とりあえず大学には行けています。
今はほぼ誰とも会話していません。

自分は人間関係を築くに当たり、
100と0に二分してしまうのがやはり課題
だと思っているのですが、
例えば趣味が同じだという事がわかったと
すると、その人とは友達になるべきだ、
という圧力を感じます。

気が合うかどうかより、
その趣味がやりたいからやっている
という自立した姿にやはり
憧れる。
オープンなタイプの人だと、
共通の趣味について話が盛り上がれば、
「一緒にいこうよ」というのが
自然な流れだという事は多いと感じます。
もちろん、それがたんなる社交辞令だというのは
これから増えていく年齢ではあると
思うのですが、
それでもその言葉が恐ろしくて、
そういうタイプの人に自分の趣味を
隠したくなったり、新しい趣味をしたくても
知り合いに誘われるのが怖くて
やらなかったりします。

サーフィンとかやってみたいんですが...


共有できる楽しみがそこにあっても
(共通の趣味、興味)楽しくない、
というのはなんら不自然ではない事だ、
という認識は大丈夫でしょうか?
会話のテンポ、雰囲気、リズムの合う、合わない、
なども「楽しみ」の要素になりますよね。

これはある程度、健康な心の人でも
あること。

でも、心がより自立して、
自尊心が高まれば、
「どんな自分でも受け入れてもらえる」という
必要性が少なくなる分、
より広い交遊に、
居心地の良さも含めた「楽しみ」を
感じられるようになる。
しかし、これは長い目でみる
必要がある。




今は、居心地の悪さを感じずに済む関係の
中で、まずは「理解し合うこと」より
共通部分の楽しみを向上させる、という
ベクトルにしていきたいと思います。


また、共有できる話題を話すのみに
留め、一緒に休日にそれをしたりと
いうことはしない、という距離感を
作れれば、関係性の中の中間的、
グレーゾーンの付き合いを増やして
いける気がするのですが、
これに関しては具体的な言葉の使い方とか
を考えていった方がいいのでしょうか。

毎回用事をでっちあげるのも
変ですし、かといってあなたとは
休日は過ごしたくないというのも
変ですし。


 
「本当に確かなもの」を増やしていく^^ / しまの 引用
No.858 2014/04/13(Sun) 17:02:18

>楽しみの共有として 向かうのはわかるのですが、その内容 (なにをどういう風にしたら 自分は現時点で楽しいと感じるのか)を イメージではなく現実においての 体験で知る、ということで いいでしょうか。

それでいいと思いますヨ^^。まあ多少イメージで把握もしておくことも有用だと思います。そして実際の体験で知っていく。両方ですね。後者より重いとして。
その積み重ねで、自分はどんなことを、誰とするのが本当に楽しいと感じるのか、「本当に確かなもの」を増やしていくのが成長であり人生の歩みになると思います。

書いて頂いたものざっとコメント入れるならこうしたもの。
「〜なら友達になるべき」という「圧力」をかけたところで友達にはなれない。
「姿への憧れ」から入るのはokだが、それだけでは長くは続かない。「結果」の姿ではなく、「過程」を楽しめるか
「共有できる楽しみがあっても楽しくない」は、実際のところ「共有できる楽しみ」ではないということ。人と一緒に行える活動かどうかのカテゴリー分けはあるとして、その後の話からが取り組みになる。
「自尊心」「自分を尊敬できること」であり、交友の広さとはとりあえず別の話
「言葉の使い方」は生活の全ての場面で重要。

>今は、居心地の悪さを感じずに済む関係の 中で、まずは「理解し合うこと」より 共通部分の楽しみを向上させる、という ベクトルにしていきたいと思います。

それでいいと思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.859 2014/04/17(Thu) 12:17:15

●望んでいるけど楽しめない

優越したい、打ち負かしたいという
感情が一番対人状況でリアルな
感情ですが、一方で一緒に楽しい
時間を過ごしたいという気持ちも
その底にはあります。
この場合は優越したい、
あらを探したい、自分が上だと
証明したいというのは出来るだけ
否定せず内に留め、楽しみたいという
気持ちをもとに外面行動をしていく
ということになると思います。


共有する行動への興味が
共通していても、
共有できる楽しみがないということ、
はやはりそうですね。

そのような場合の内容について
考えてみました。

●話があわない。
→普段の生活、笑うポイントなど。
●劣等感を感じて楽しめない。
→自分は人を好きになれないのに、彼は
友達を普通に作れる。
自分はやりたいことを見つけられてないのに、彼は
打ち込んでいるものがある。
自分は中身がからっぽに感じ、見た目ばかりに気を使っている気がするが、彼は自分の独自の価値観を持っているから見た目にそこまで執着していない。


会話をすればするほど劣等感で
心が萎えていきます。
情報が入ってくればそれが
比較項目として自動的に劣等感を
感じてしまう。

例えば

こないだ知り合いが...
→自分は知り合いが少ない
酒飲みの席で...
→大学で大人になる前にみんな社会人への
橋渡し的な関係性を学んでいるのに
自分は飲み会なんてほとんどいってない


会話ができないのではなく、
なにを聞いてもそれが「そっちは?」
に転じる事が嫌だし怖いので、
話すことがなくなってしまうんです。

それでも前者の意味では楽しみがあるんです。
くだらない話をしているだけで
面白い。一緒にカラオケでふざけたりとかは
楽しい。
だからこそ失いたくない交友。



しかし後者(劣等感によって話すことがない、居心地が悪くなる)があることで、
結果自分よりも劣っていると感じる人
たとえば友達はほとんどいない、
人とうまくやれない、見た目がダサい、
面白くない、流されて生きてる、

あるいは、劣等感を感じるけど
相手がそれを自虐する自分を見下すよりは
受け入れてくれる、あるいは笑ってくれる、
という2パターンの関係しか
作れない。

自尊心に向かうことが答えでも、
交友は相手あってのこと、
今は
劣等感で楽しめないから会わないという
選択をすれば、相手はもう縁が切れたと
判断する可能性も充分あります。

どう返事すればいいか迷っているうちに
旧友から
「しばらく連絡とってないだけで
切れる関係だとは思ってなかったんだが...
残念。」
というメールがきました。




関係を切りたくないけど今は
会う元気がないことを素直に
いうべきでしょうか。

僕の望みとしては彼らとは
共有する楽しみはあるので
切れたくないのです。


しかし今は会えないといって
いつか元気がでるのか疑問です。

だから劣等感を内に持ちながら
遊ぶ友達は増やしていきたいんですが...


一人きりで常に行動していて
周りの大学生は休憩時間がやがやして
いるのを見ると羨ましくて
死にたくなります。
大学の勉強も打ち込めるほど興味が持てるわけでもなく、行きの電車帰りの電車では知り合いに会うことに
怯え、家ではこんな自分にしたのは親のせいだと
いう感情にさいなまれ、不幸や不機嫌をみせつけるような態度をとってしまいます。
毎日頭痛がしますし日に日に笑えなくなりますし
表情の心配があるならその状況に入らない、
を続ければこの先表情は上向くことは
ないと思います。

人格障害的感情を
自分のハンディとして受け入れて
克服するんだという気持ちがポーズでしか
ないんだと実感しています。


とりあえず大学に通うのを最低ラインに
しているものの、日をおうごとに割れるような
頭痛が増していきます。
結局行けっていわれているからいっている、
みたいな感覚です。


ここまで書いていて自分は根本的に変われない人間
なんだと感じられます。
論理的に省みることが出来ている方とは
違って、感情に流されることしか
できないし、いつまでも現実から解離した理想にしがみつづけてしまう人間なんだなと思います。


このままだと感情が枯渇します。

その焦りもあって話したりする相手を
失いたくない焦りが
あるのだと思います。


 
「現実における選択」として「価値観の選択」に取り組む^^ / しまの 引用
No.861 2014/04/19(Sat) 11:54:17

「自尊心」価値観の選択

>優越したい、打ち負かしたいという 感情が一番対人状況でリアルな 感情ですが、一方で一緒に楽しい 時間を過ごしたいという気持ちも その底にはあります。

その2つの感情は、両立しないと思います^^; 人を打ち負かしたいのなら、一緒に楽しい時間をすごすのはまず不可能ですね。

選ぶ必要があるということですね。
ハイブリッド心理学からは、感情「ただ流し理解する」ものであって「選択するもの」ではありませんが、感情生み出す根底になるものとしての価値観思考法行動法「選択するもの」です。

この話の場合は、「自尊心」のための価値観の選択重要になってきます。
『入門 - 3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ / 4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法』
記載の通り、
========
「自尊心」 ・・・ 「人を打ち負かす」「人に認められる」よりも「現実において生み出す」こと、そこにおいて生み出す価値の、自分自身にとっての大切さにおいて獲得し築く
========
というものを、本当に自分のものとして選ぶか。それへの向き合いに、まず取り組む必要が出てくるということですね。

「価値観の選択」というのは、自分への建前思考では何の役にも立たない、結構難しい作業でもありますね。
これについては
『実践編上巻』
9章 価値観と行動学  −進み得る道はただ一つ−
などが参考になると思います^^。


「現実における選択」という根本

そうした「価値観の選択」できるための根底姿勢として、「現実における選択」というものが重要になります。
「現実の選択」という言葉で言っても良いかと。
現実というのは、空想で描いた通りの都合の良いものには、ほとんどならないものです。「これは現実においてあり得る」というものしっかりと見据え、選択しなければならない。上記の話で言えば、自分の中人との関係についての対立矛盾する感情を持ったまま、表面においては人と良い関係を築こうと望んでも、そうは「現実」という問屋が卸さない

だから、自分が実際現実においてどんな感情を持っているか向き合うことから始めたならば、それを生み出している自分の思考法行動法や価値観じっくり取り組み、その「選択」に向き合っていかなければならない、ということですね。

そうした「現実における選択」「現実の選択」として、確かなものを積み重ねていく中で、自分徐々に変化します。

>ここまで書いていて自分は根本的に変われない人間 なんだと感じられます。論理的に省みることが出来ている方とは 違って、感情に流されることしか できないし、いつまでも現実から解離した理想にしがみつづけてしまう人間なんだなと思います。

「空想通りに変われる」という幻想しがみ続けるか、それとも「現実における選択の積み重ね」によって変化していく道選ぶかですね。
実際、今、少なくとも学校に行っているという現実において、休学した自分からは変化しているわけです。まこれは暫定的な状態かも知れませんが、変化とはこうした地道な前進の積み重ねしか成し得ないということですね。

こうした「現実における選択」「現実の選択」のための心の基盤培うのは、『取り組み実践詳説』詳しく解説した意識過程の中では、「現実を見る目」になります。
「2章」にて主に説明していますので読んで頂くと良いかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.864 2014/04/20(Sun) 18:48:24

心底から「生み出すこと」を自尊心に出来ていないのは
感じます。
「生み出すもの」に価値を感じられるものがあまりないのかも
しれません。

行動としてそれを定着できれば、シフトする方向に行くと
理解していたのですが、今のところ向き合っても
「わかってるけど、人を打ち負かすのにうっすら喜びを感じるし、
揚げ足をとって調子に乗ってるやつをくじいてやりたい」
という感覚ですね。

打ち負かすことに快感を感じてしまうのは
感情が荒廃化している以上は、必然ではなかったですか?
その荒廃化感情を持ったまま行動は建設的に・・・というのが
方向性だと理解していたのですが。

感情では打ち負かすのに喜びを感じてしまっても、
これからの自分の価値観としてそれを選ぶか、ということでは
ないんですか?


後半、抽象的で理解できないです。
「現実における選択」「確かなもの」


確かではないものとはなんでしょうか。
価値観を、みせかけの納得で、それによって自分をかきたてる。
これは確かではないもの、ですね。

正直、ゴリゴリに心は依存に留まろうとしているので、
ハイブリッド心理学の価値観を自分に問うと、
反発ばかりって感じです。

だから確かな選択なんて全然できない。

なんで、自衛しなきゃいけないの?
社会に出る前に死にたい。
そんなめんどくさい事したくない。


心から返ってくるのはこういう言葉です。


結果、価値観をおしつけて強制的に
かきたてるような姿勢になってしまいます。



現実における選択の積み重ね。
どういう選択が積み重なっていくのか、イメージがわかないです。
価値観の向き合いの過程、なども。
例えばでいいんですが、バカなもので、
具体例が知りたいです。

でも価値観に向き合って感情が変わるわけじゃないんですよね。


 
「確かなもの」の「選択」の積み重ね^^ / しまの 引用
No.873 2014/05/01(Thu) 14:03:18

ちょっと遅くなりました^^ゞ

>確かではないものとはなんでしょうか。価値観を、みせかけの納得で、それによって自分をかきたてる。これは確かではないもの、ですね。

「確かでないもの」とは、たとえば「占い」です。これからの天気予測したいならば、占いではなく気圧配置による天気予報など、より確かなもの「選択」する。
思考法行動法価値観についても同じように、より確かなものを選択していく取り組みになります。「みせかけの納得」はもちろん、確かではないものですね^^。

>現実における選択の積み重ね。どういう選択が積み重なっていくのか、イメージがわかないです。

どう積み重なるかその時は良く見えないとしても、人生上述のように「より確かなもの」を自分で選択していくことを、とにかく日々重ねていくものだということです。そこに「成長」があると。
今回の話で言えば、「とにかく大学に行く」という「選択」今後の進路選択も、この選択あってこその次の積み重ねになりますね。

>打ち負かすことに快感を感じてしまうのは 感情が荒廃化している以上は、必然ではなかったですか?その荒廃化感情を持ったまま行動は建設的に・・・というのが
方向性だと理解していたのですが。

>感情では打ち負かすのに喜びを感じてしまっても、これからの自分の価値観としてそれを選ぶか、ということでは ないんですか?

それは大体その通りですね^^。湧いてしまう感情選べないので、それを内面に抱えたまま外面行動可能な限り建設的にするのが良いのですが、内面感情があまりにすさんでしまうと、外面での建設的行動ちょっと無理で、破壊行動なんとか抑えるだけになってしまうと思います。
その状態から抜け出したいならば、すさんだ感情が湧き出る根本的な大元に、取り組む必要があります。それが「価値観」であり、「自尊心」「人を打ち負かす」ことそれとも「自ら生み出す」ことのどちらに、自分として本当に重みを置くかという、自分への「問いかけ」していくというになります。

>正直、ゴリゴリに心は依存に留まろうとしているので、ハイブリッド心理学の価値観を自分に問うと、反発ばかりって感じです。だから確かな選択なんて全然できない。

もちろん「選択」自由です。ハイブリッド心理学からは、これこれの「選択」したならば次にこれこれの道がある、という道筋の説明をするまでになります^^。その道に実際行くかどうかは、お任せしています^^。基本的自助自己啓発の心理学になりますので^^。

>価値観の向き合いの過程、なども。例えばでいいんですが、バカなもので、具体例が知りたいです。

むしろ「価値観への向き合い」として単独具体的に言えるような過程はない、と言えると思います。まず日々の生活の全てにおいて、「本当に確かなもの」「選択」積み重ねをする「成長」がある。まずそれがあって、「価値観への向き合い」できるようになる、まずは言えるかと。
ですので上記最初「確かでないものの見分け」といったがまず通過点であり、その次に来るものとして向き合ってみて頂ければ^^。



少しはコツが掴めたかも…というご報告です / 引用
No.834 2014/03/26(Wed) 14:50:26

お久しぶりです。
前回の書き込み時点では、考えれば考えるほど、書き込めば書き込むほど混乱が強くなっていっていた感じもあったので、内面的な取り組みから離れ、とにかく破壊的な感情を行動化させなければ良し、という感じでしばらく日々を送り、若干落ち付いてから、人との関わりについてどう考え、どう感じるのか自分自身の確認を行いました。
次第に「とにかく煩わしい。俺は一人になりたいんだ!」という強い感情を自覚し、その感情について考えていくうちに、子供の頃から持ち合わせていた感情であることを思い出しました。
では何故、一人暮らしをしていて尚且つ自由度の高かった大学生活で、人の輪の中に入ろうとしていたのか。喜び楽しみの共有はあったのかと考えてみましたが、「喜び楽しみはさほど感じられなかった。一人だとバカにされる可能性があった」というのが思い浮かび、一人で過ごすことが増える前の人間関係を考えると、恋愛を含めて「バカにされたくないから」という動機が底にあったことに気付き、現状を考えれば一人で過ごすことでバカにされることはそうそうありはしない、ということを改めて認識しました。まあこれは、以前…特に学生の頃と現在では世間の認識も変わってきた、というのもあると思いますが。

それからしばらくは、本当に一人で生きていくとしたら必要になるものは何か、特に老後のことを考えたらどうすればいいか、などを真剣に考え、ある程度のプランをまとめてから、再びその感情に向き合いました。
なぜそういう感情を持ったのか自分に問うてみたところ、従来の「さんざん束縛されて育ったから」という思考以外に、自分の気に入らないものに対して曖昧な根拠で「ダサい」「キモイ」と罵り倒す輩が多数横行し、恣意的な善悪論で他人を排斥しようとしている世の中への反感が明るみになり、その背景に「ありのままの自分では迫害される」という感覚が見え、「愛されることはもう諦めているが、これからも迫害されるであろうことに憤りを感じる」という思いがあるのを認識しました。

このあたりで、以前の書き込みで取り組もうとしたことのミスや、なぜ依存に関する指摘を受けたのか(当時は正直なところ全然わかりませんでしたが)を実感し、何となくコツを掴んだのかな…とは思います。
見えてきた感覚から察すると、最初にご相談した「仕事中に通行人から罵られて怒りを感じる」状況の根っこにあるものもこれだったのかも知れないな、と思います。
これについては今後、「迫害とはどういうことを言っているのか。それは今の自分の現実と釣り合う感覚なのか。こういったものを「悪意ではなく未熟さや不完全さ」として扱う見方があるが、これについてどう考えるのか」などについて、折を見て自分で問いかけていこうと思います。

他には最近、年が近い割に甘えた態度で作業している新人にイライラすることがあり、当人は別に悪人ではないのは把握しているので、これこそ「悪意ではなく未熟さや不完全さによるもの」という典型例だと思い、自分の感情に取り組んでみました。
まずは、「では自分は甘えについてどう感じ、どういう経験があるのか」と問いかけてみると、子供の頃に親や親せきにあんまり甘えることができなかったのを思い出し、「もしかすると、甘えたいという感情をどこかで置き去りにしてたのかもしれない」という仮説が浮かびました。そこで「十分甘えた記憶がないのであれば、そういう欲求を当時持っててもやむを得ないしなあ」と考え、とりあえずそこで思考を保留しておきましたが、しばらくして次第に物悲しい感情がうっすらと流れてきたので流しました。
その新人へのいらつきも若干おさまり、今後は「何がどうまずいのか」の説明を行う感じでの指導がやりやすくなりそうだと思います。

取り組みに再挑戦してからも随分経過する中でようやくコツを掴み始め、まだまだ向き合う感情や問題が山積みですが、ようやく感情への向き合い方が見えてきたように思えます。あとは、幸福への取り組みに関して、社会生活どころか、日常生活の向上すらまだまだのように思えるので、しっかり取り組んでいければ、と考えています。


 
書き込んだ日の夕方以降からの変化 / 引用
No.840 2014/03/28(Fri) 15:57:37

書き込んだ後の通勤中、「この療法(当時はハイブリッド療法だったので)で人生逆転させて、今まで自分に嫌な思いをさせてきた連中にざまあみろと言ってやる!」という、このサイトを見つけて連日読みふけっていた頃の心の動きをありありと思い出し、実際に感情への向き合い方が少しわかってきた現状との違いを感じ、うっすらと出てきた苦しみを流しました。
考えてみると、物心ついてからの物事への取り組み全般についても、そういう報復感情以外はほぼ空っぽの状態で物事を見ていたのかもしれません。

ハイブリッド心理学を知ってから今までに、かなりの年月が経過しているにもかかわらず、ここ最近まで何一つ分かっていなかったこと、もしくはそれまで完全に復讐の鬼と化した内面状態で過ごしていたこと、そしてその復讐の鬼が行き場を失くしたであろうことが考えられ、それまでの自分の無知を思い知らされました。
それを踏まえて、次第に「今まで人間嫌いの感覚や報復感情を成立させるために、他人のことを十把一絡げに否定的に見てきてはいないだろうか?」という仮説が浮かんだりしました。それが内面に染み渡るかは今後次第だと思いますが…。
少なくとも一連の変化で、仕事中に通行人から否定的なリアクションを受けて、「我慢している」という感覚が少し減ってきた感じはあります。

去年からの段階でハイブリッドに関する思考レベルでの勘違いをいくつも見つけ、最近感情レベルでの勘違いをようやく発見し、と…日常生活や社会生活以前の段階でノロノロした進み具合を痛感していますが、焦らず外面行動に取り組もうと思います。


 
想定外の変化 / 引用
No.842 2014/03/31(Mon) 02:48:53

その後、面白い経験をしました。
(その間は面白いなんて言ってられないぐらい疲れましたがw)

些細なことで怒りを感じ、「また怒りを感じてしまった…」という思いと怒りに乗っかった思いが両方浮かんできて、しばらくして、「よくわからないけど苦しい」という感覚を味わいました。
この時は何事かよくわからず、「怒りに重きを置いた感覚が行き場を失くしたんだろう」という風にしか考えられませんでした。しかし、翌日雨の中を通勤してる時に妙にイライラしてることを自覚し、そういうものではなさそうだな…と思いました。

そして仕事中(^^;)しまの先生のサイトを読み返す中で「怒りを用いない行動法」というフレーズを見てる中で「あれっ?」と思い、何故今になって違和感があったのか考えているうちに、怒りを「用いない」という部分に対してそれまで何か違う捉え方をしていたことを自覚。次第に、従来はニュアンスとして「怒りを感じない行動法」という風に勝手に脳内変換されていたかもしれない、と思いました。「詳説・感情を鵜呑みにしない思考」を読み返してみると、今までよりやけに納得した感じで読み進めることができました。「それはなぜか」と自分で問うてみると、どう考えても「怒りについて問題だと感じる感覚が減ったからだ」としか思えませんでした。もっと言うなら「怒りという感情自体を否定し、忌み嫌う感覚」が減った、ということかもしれません。

まだ確信はできませんが、もしかして、今まで怒りが問題だと考えていた事柄については、むしろ「怒りが問題だと感じる感覚」が問題だったのだろうか、という風に思えてきました。かなりビックリするとともに、精神的に余裕が出てきてからは笑えてきました。先生のサイトでは「パラドックス」という言葉がよく出てきますが、もしかして、これが正にそういうことなのか?と。
実際、雨にイラついてる時、「これも特別扱いを望んでるということなのかな…?」という感覚が意図せず出てきました。感情が出てからそういう思考ができるまでの時間が、体感的にはかなり短くなったように思えます。抵抗感も減ってるような…。

想定外の変化で実のところ未だに戸惑ってますが、これが前進に繋がってくれてればいいんだけどな…という感じでいます。


 
「依存から自立へ」の視野の下での取り組み実践^^ / しまの 引用
No.850 2014/04/07(Mon) 11:17:37

ちょっとアドバイスまとめるのに日数を要しました^^。

心の成長の前進のための思考基盤

これはまず状況としては、
・「感情と行動の分離」の両輪(外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解する)がそこそこ揃ってきて、感情動揺への向き合いで細かい効果が出てくるようになった。
一方、「望みに向かう」ことによる心の成長と人生の前進という大きな流れにおいては、まだ少々壁を前にしている。
といった状況かと思います。

でその理由としては、『入門』(後で『概説』に変更予定^^;)次の原稿(「歩みの道のり」分かりやすく整理したいと思っていますが、「感情と行動の分離の両輪を携え望みに向かうことによる心の成長と人生の前進」支えになる思考基盤が、結局大きくは2つの軸にあるということになると思います。

1)「自分自身への論理的思考」
これは「感情を鵜呑みにしない思考」というごく基礎的なことから始まり、「自分を偽らない」ことや「思考や感情の歪みの解きほぐし」といった、成長治癒への基礎になるものです。
これができると、取り組み向き合いによって細かい改善効果得られるようになる。
蓮さん今回報告なさったのも、これが整ってきたというものになると思います。「感情と行動の分離」両輪部分

2)「心の自立と成熟」への視野
一方、細かい改善レベルではなく、「望みに向かうことによる心の成長と人生の前進」という、日々別人へと変化するような、異次元のレベルでの変化は、「心の自立と成熟」への視野という思考基盤必要になります。

これはつまりまとめると、
・「自分自身への論理的思考」によって、今の自分における「本当に確かなもの」を見出す思考を持つ
・「心の自立と成熟」への視野によって、
今の自分を超えた「本当に確かなもの」を模索する思考を持つ
ということが必要になるということです。
で、蓮さんの場合前者は揃ってきているようだが、後者はまだちょっと不足しているようだという状況


依存を自覚できないのが依存^^;

で、後者の状況が、

>このあたりで、以前の書き込みで取り組もうとしたことのミスや、なぜ依存に関する指摘を受けたのか(当時は正直なところ全然わかりませんでしたが)を実感し、何となくコツを掴んだのかな…とは思います。

というのを生み出していると思います。
前回「依存が課題」だと指摘しましたが、それへの取り組みは、コツをつかむというより、大上段からの問いによって根本的な思考の転換取り組む必要があります。

一般に、「依存が課題」という時、その問題が深刻であるほど、本人は自分の問題が依存にあることを自覚できないという問題が起きます。に言えば、問題が依存にあることを自覚できない様子に、問題の深刻さが示されます。
まず、「感情」として自分の依存を自覚できなくなります。代わりに、「怒り」を感じます。
次に、「思考」依存を認めないもの変化します。「善悪」にすり変わるものとして。ここで問題が固定化され、「心の病」の傾向土壌となります。
さらに問題が深刻になると、依存をできない様子がさらに異質なものとなり、「知覚」依存の世界の中で依存を自覚できないものに変化します。自分が常に監視されている。思考が電波として漏れ出す。幻聴が起きてくる。この段階になると「心の病」の傾向よりさらに深刻化した「精神の病」段階
そのように、自分の依存を自覚できない、自覚しないというのが、心を病む根幹となる、恐るべきメカニズムとも言えるものなんですね。
全て「心の依存」「病み」温床です。それが克服課題です。

ですのでに、自分依存自覚できることから、成長そして成熟始まるわけです。まあ単に依存を自覚すれば成長に向かうのではなく、それがどんな克服の方向性の下にあるのかを感じ取ることにおいて、ということになるでしょう。
最後までです。最後まで、依存を根本的に脱した存在になどなり得ませんので。依存から自立へと向かい、そこに完全なる自立はなく、やがて向かうべきは、依存と自立の区別を超えたものになるわけです。それが「魂」「命」という流れ

>そこで「十分甘えた記憶がないのであれば、そういう欲求を当時持っててもやむを得ないしなあ」と考え、とりあえずそこで思考を保留しておきましたが、しばらくして次第に物悲しい感情がうっすらと流れてきたので流しました。その新人へのいらつきも若干おさまり、今後は「何がどうまずいのか」の説明を行う感じでの指導がやりやすくなりそうだと思います。

これは自分依存認め、そこにあった「依存の愛」という「魂の望み」感じ取ったために起きた治癒だと言えますね。
一方その前に書いて頂いている「煩わしい」「一人で生きていくためには」といった部分は、自分依存把握していないために、何かコツをつかんだかのように不明瞭だった感情明瞭化まではできているものの、それがどんな解決の方向にあるのかは見えない、といった状況になっていると思います。


「依存から自立へ」の視野の下での取り組み実践

いずれにせよ上記2つの話、つまり取り組み実践に必要な思考基盤、そして依存を自覚しない依存という問題への対処として、アドバイスしたいのは2つです。

1)最新説明の手順に沿った「取り組み実践」

まずは
『入門 - 3.取り組み実践』書いていること全体しっかり憶え、特に「3ステップ」「外面・内面・外面」手順しっかり頭に入れる。
そして
『実践ガイド - U−4.実践の基本的な進め方 / 2.実践の基本的な検討手順チャート』
図示しているものが、より正確な手順になるものとして参照頂ければと思います。

決定的に重要なのは、まず何が「問題・課題・望み」なのかの明瞭化から始めることです。そしてそこで「外面問題」と「内面問題」に分けることです。
「感情を鵜呑みにしない」というのが、ここから始まっています。何が問題なのかから、感情に流されずに考える。チャートではその下「学び」来るという流れで書いていますが、実は「何が問題なのか」の把握方法から、「学び」始まっていることになります。

「ハイブリッド心理療法」標榜していた頃から学んで頂いたようですが、そこで言っている手順では、かなり不足します。
一言で言って、それは成長治癒の変化起きる際の意識表面だけを取り上げているものであり、成長変化起きるための心の足場作り準備過程などは盛り込めていません。
その結果、心の変化への足場ができていない段階で、ただ感情を明瞭化するだけで、問題の本質と克服を理解しないまま、いきなり来歴の感情を「分析」してみるという、誤った進め方がありがちです。これは取り組み実践の全体が感情に流されて進められる「感情を鵜呑みにした実践」になってしまいます。
それでとしても新しい解説いつまでも模索していた次第です。ようやっと十分な解説が揃ってきた感じ。

何が「問題・課題・望み」なのかの明瞭化から始めることで、「依存を自覚しない依存」への取り組みできるようになります。これは下の具体例で説明しましょう。

2)そこに盛り込まれる「依存から自立への転換」についての理解

そうして「問題の把握」から「学び」を取り入れ、ただ感情を明瞭化するのではなく、問題の本質とその克服について理解するならば、そこに示される問題の根幹「心の依存」であり、その克服「依存から自立への転換」にある、というものに他なりません。
それが自分の問題において、どんなことなのか理解が、決定的に重要になる、ということです。
つまり、上述のように最新説明のようなしっかりとした手順取り組みを行うで、そこで把握される問題から克服までにどのように「依存から自立への転換」という盛り込まれるのかを、理解することが決定的に重要であり必要である、ということです。


取り組み実践の入り口と出口

そのように、取り組み実践一つ一つのサイクルは、

・「何が問題・課題・望みか」の明瞭化検討
から始め、それを感情を鵜呑みにしない、また「依存から自立への転換」についての「学び」を踏まえたものとして行うことを入り口にします。

そしてに、
・そうして明瞭化された「問題・課題・望み」に対して、心の成長に向かうために、今自分にできる、今自分が成すべき、最善の対処の姿勢と行動は何かを見出す。
当然「依存から自立への転換」についての「学び」を踏まえたものとしてです。
これが出口です。

最初から最後まで一貫して、取り組み対象として向かうものは、心の外部にある出来事それに対する外面行動法であることに、十分に注意下さい。感情に取り組むのではありません。感情を分析することで感情が良くなるのが出口なのではない、ということです。
これはブログ僕の写真の下「便利リンク」など載せていますが、「姿勢」としてリンクしている
2011-12-07『成長の道標への歩み方-13・取り組み姿勢の正誤』
参照頂ければ。
そうして、「依存から自立への転換」についての「学び」で、「問題・課題・望み」明確化し、心の成長向かうために今自分にでき今自分が成すべき最善の対処の姿勢と行動見出すという取り組み実践全体の流れあくまであってこそ、そこに混乱解消や、豊かな感情側面開放があれば、感情当然良くなります。
しかし良い感情最大の源泉は、取り組み実践の意識作業ではなく、「依存から自立への転換」において次の一歩を踏み出すという、その人の「生」のあり方の変化そのものだと理解しておくと良いでしょう。


具体的材料

まずはざっとそんなところが、具体的材料にあたる以前に、取り組み実践とは何をするものなのかについて押さえておかねばならないになります。
一言で、「依存から自立への視野の下での取り組み実践」であることを踏まえるということ^^。

それを踏まえて、ようやっと具体的な話を言えます。

>次第に「とにかく煩わしい。俺は一人になりたいんだ!」という強い感情を自覚し、その感情について考えていくうちに、子供の頃から持ち合わせていた感情であることを思い出しました。
>それからしばらくは、本当に一人で生きていくとしたら必要になるものは何か、

これらは一体、何がどう問題としてあるのか外面問題内面問題分ける外面問題については、他人に責任があるものと、自分に責任があるものについて分ける。その「責任の切り分け」のところに、「依存から自立へ」の転換関係してきます。
ともかく、何が問題なのかから。実践まだ始まっていないわけです。

>「ダサい」「キモイ」と罵り倒す輩が多数横行し、・・(略)・・「愛されることはもう諦めているが、これからも迫害されるであろうことに憤りを感じる」という思いがあるのを認識しました。

「愛されたいのか?誰に?」という問いからになると思います。そしてその相手は、愛されることを求めるのが妥当な相手なのか
自分では自分をダサい、キモいと思っているのか?という問い
そして「迫害」について押さえておかねばならないのは、「ここにいるな!出て行け」と実際に言われることは「迫害」であっても、人の輪に入れるきっかけになる誘いが来ないのは「迫害」とは言えないといったことです。

そういった問い視点縦横投げかけて、「問題・課題・望み」明瞭化していきます。

>これについては今後、「迫害とはどういうことを言っているのか。それは今の自分の現実と釣り合う感覚なのか。こういったものを「悪意ではなく未熟さや不完全さ」として扱う見方があるが、これについてどう考えるのか」などについて、折を見て自分で問いかけていこうと思います。

それから「実践」ですね^^。「悪意ではなく未熟さや不完全さ」という視点に、まず誰に何をされたのかという客観的事実確認から。そしてそれが他人と自分のどっちに、どのくらいの責任があったのか振り返り。その互いの未熟さどこにあったのか考えると良いでしょう。


「問題・課題・望み」と「成長の望み」

それらを通して、「問題」そして「課題」として見えてくるのは、ずばり
・思考と感情の全てが「受け身」で始まっている。しかもそれは事実ですらない。
といったことです。「受け身の感情」湧くことから、意識が始まっている。
「課題」とは、
・「受け身では駄目なのだ」と自分に問うこと
だと言えるでしょう。
なぜなら、もう受け身に生きる存在ではないからです。自分で問題と課題を見出し、自分の考えで、自分の「望み」に向かって、自ら方向を定めて生きる存在です。

それをどう感じ取るか。
具体的に何をどう考えるかに、そうした、自分根本的な姿勢向き合う
全てそこから始まると思います。その先何がどう見えてくるかは、受け身ではないエネルギーのようなものを自身の中見出した先のことであり、今僕が言及するのはアドバイスとして過剰かと思います。


押さえるべきこと全部書いているとキリが(^^;)なくなりますので、とりあえずこの辺で。最新説明の取り組み実践手順照らし合わせると、そうしたことが見えてくるであろうということで。
『取り組み実践詳説』で書いている心の成長への意識過程についてじっくり読み自分がそこで書いているような意識過程いかに自分のものとしているかの確認に取り組むような進め方が、お勧めできるものになります^^。


 
Re: 少しはコツが掴めたかも…というご報告です / 引用
No.851 2014/04/08(Tue) 00:50:23

アドバイスに長い時間をかけて頂いたようで非常に恐縮です。
経過のご報告を、と思って書き込んだことによって、想像を絶するお手数をおかけしたことを、非常に申し訳なく感じました。

>「望みに向かう」ことによる心の成長と人生の前進という大きな流れにおいては、まだ少々壁を前にしている。

これに関しては、実際のところ「望み」という言葉に対して、未だ実感が掴めていない感じではあります。
これまで、たとえ無意識でも、嫌な相手に「ざまあみろ!」と言ってやることしか根底に無かったのもあり、自分自身がどういう風に、何を手駒にして世の中に向かっていくか、ということすら、つい最近少し意識し始めた、というレベルではあります。
今ざっと思い浮かぶことにしても、カラオケを最低でも週1回できれば当面はいいや(たとえ一人でもw)、というぐらいのことしか思い浮かばないという感じです。
強いて言うなら「自由と安全」だと思います。
とにかくいざこざを回避して平穏な日々を送りたい。

>・「何が問題・課題・望みか」の明瞭化検討

従来から感じている問題としては、かなり抽象的ですが、どういう事柄を考えるにしても、社会や他人(血の繋がりがあるかどうかを問わず、自分以外のほぼ全ての人)に対する否定と不信の念、だと思います。
「人は集えば相争う」「世の中は万人の万人との戦争」「世間にはチャラい奴しかいない」「仕事中の通行人はヤンキーばかりだ」
…まあ、子供の頃から両親が不仲でがっこうではイジメとは無縁で居られず、20代の頃は暴君タイプでなおかつカルト思考(「神様」だの「宗教or儒教(儒教も宗教っすかね…私には、生まれながらの上下関係を至高とした思想の一つに見えますが^^;)」だのに傾倒していた)の上司と関わることが非常に多く、なかなかまともな感覚のリーダーに恵まれなかったことが大きいようには思えます。
直属の上司が粛正魔に見え、同僚もほぼ全て、自分はさぼりたいくせに他人のことはチクリたい輩ばかりに見え、政治家もマスコミも嘘や誇張ばかり、という感覚なので、職場でも時事問題でも、何を信用したものか、と感じる次第。職場では毎日解雇を恐れ、選挙では白票を投じるようになって久しい。
望みは上記した自由と安全ですが、人は集えば相争うものだと感じている分、それも無理なんだろうなあ…と。
みんなで重箱の隅をつついて揚げ足を取りあい、破壊しあうのが今の世の中…。
自分から見た社会は未だにそういうものに思えます。

>「ここにいるな!出て行け」と実際に言われることは「迫害」であっても、人の輪に入れるきっかけになる誘いが来ないのは「迫害」とは言えないといったことです。

むしろ私は、誘いが来ないことにはあんまり関心はないかもしれません。
一番の問題は、誘い出しておいて苛められ役やいじられ役を強いる輩が沢山居ることです。手招きされてうかつに近づけば殴られる。罵倒される。そういう感覚なので、今は一人でカラオケに行って興味あるイベントに行ければそれでいい、そういう感覚です。
むしろ、迂闊に集団の中に入って行って苛められ、弄られるのが迫害だと感じています。
お笑い芸人にとっては弄られるのはおいしいのかもしれませんが、少なくとも私にとっては不快です。職場にもそういう馬鹿がいたのが不快、というところでしょうか。

とりあえず、現状の内面を洗い出しつつサイトを読み返し、日常生活の向上に努めます。


 
思考だけでの小さい前進? / 引用
No.854 2014/04/09(Wed) 03:44:43

返答を書き込んで間もない状態で、一部の思考を翻す出来事が起きました。
読んだ直後、「依存」という言葉から「お前は何かに依存しているダメな存在だ」と言われてるような気がする、という感情を自覚。やはり自分は何をやってもダメな奴にしかなれないのだろうか…と凹んだ気分を引きずってる所での出来事だったので、従来なら泣きっ面に蜂、という感じで「また責められた」という感情で処理するところ…いや、最初しばらくはそういう感じでしたが。
テレビニュースで何か見たと思しき母親から、「Windowsはもうセキュリティがダメらしいから使わないほうがいい」と告げられ、一応パソコン関連の仕事の経験がある身として「ああ、XPのサポート終了のことか」と判断し、確認するとやはり母親はサポート終了という単語に頷いてたので、もうWindows7にとっくに変えてるから問題ない旨伝えると「テレビではそれもひっくるめてダメになると言ってた」の一点張りでいくら説明しても聞く耳持たず。最後は「せっかく忠告してやったのに…」などとイライラブツブツぼやいていました。
(念のために言うとすねかじりではありません。一応衣食住の面倒は見てます^^;)

こちらも、ろくに意味がわかってない状態での助言ではなあ…と呆れていたのですが、ふと「こんな調子で、母親は俺が小さい頃から、母親から見て危ないもの、くだらないものだと判断したものについては、俺が行動することに対して、脅しながらまるっきり反対してきたっけなあ。それもあってか、自転車に乗れるようになったのも同級生に比べて大幅に遅い時期だったし、身体能力も同級生の中ではかなり低いほうだった…」という記憶が浮かび、まあ当時の子供の間では勉強が出来る子よりもスポーツが出来たり流行にうまく乗れてる子のほうが人気があるものでしたが、それを考えると勉強ぐらいしか取り柄がなかった当時、苛められやすかったのも仕方のない話だったのかなあ、という考えが浮かびました。
あとは、子供の頃にバラエティ番組や音楽番組を観ようとすると両親から「そんなバカな連中が出てるのを見てどうする」「そんなもんはガキが観るようなものだから観るな。俺にチャンネルを貸せ」などと言われてきたのを芋づる式に思いだしたのですが、「こういう感じの言葉が身に着けば、下手をすると、世間にチャラい奴しか居ないと考えてきた原因の一つになるんじゃないか?」という風に思考が進んで行きました。更には「「バカな連中が出てる」「ガキが見るような」番組、という感覚を信じ込んでた場合、それが態度に現れれば、これもいじめの原因になりかねないぞ…」と。
ということは、他人と関わることが苦痛な原因の一つとして、苛められた経験を引きずっていたことを挙げているが、いじめの原因自体が家庭環境内のゆがんだ価値観からきているのか?という結論に至りました。

以上の記憶と思考から、少なくともいじめについては世間が原因というよりは家庭環境が原因であり、世の中チャラい奴ばかりというのも、実際は記憶にすらなかった両親からの歪んだ言葉が原因で起きた思い込みの可能性が高い、と。
とは言え、これも母親は歪んだ価値観にしがみついた結果の行動であり、父親は自分の観たいテレビ番組のことで頭がいっぱいだっただけの、たぶん「未熟さ」からくる行動であり、責めるというのは効率的ではない。まずは、それが自分にどういう影響を与え、どういう被害を招いたかが最大の問題だ、と、両親の非を攻め立てる気にはなりませんでした。ただ、どうせなら「私はこういう人が出てる番組は好きではない」とか「俺はこっちを見たい」とか、正当化抜きの正直な本音を告げてくれればこんな厄介なことになる確率は下がったろうになあ…という残念な気分は残りましたが。

同時に思い浮かんだのは、家庭や学校でこういう理不尽な思いをした当時(正確にはたぶん学校には非はない)、こういう思いをしたくないから、あるいはこういう思いをする人が減ってほしいから、と、法律関係の進路を考えたんだっけ?という記憶も浮かんできました。今の望みではないけど、当時の望みはこういうモンだっけなあ、と。

現状では金銭的な問題などもあり、さすがにまた法律家を目指すというのは現実的な話ではないですが、まあこういうものが見えてきたのは悪くない傾向なのかもしれないと思いました。少なくとも、記憶と思考だけで子供の頃のイジメの原因を分析できたのは初めてなので、一応前進といってもいいのかもしれない、と。

おそらく関連することなので、
>自分では自分をダサい、キモいと思っているのか?という問い。
に関して率直な回答を挙げるとするなら、「少なくとも流行を意識しながらの行動は苦手で嫌いだった」という感じになります。
来歴で上記のような感じだったのに加え「流行だからといってそれに乗っかるだけの行動は、人の目を第一にした、それこそ「依存」の典型になる」という感覚は元から持っていたように思えます。それに対して批判の目を向けられることに耐性がないのはどういうことか。今後はどういう考え方が出来るか。についてが、また考える必要のあることなのだと、現時点では感じています。


 
だいぶ解れてきました / 引用
No.856 2014/04/12(Sat) 17:33:34

今回は連投が多くてすみません^^;

まず、流行に対する自分の思考・行動については、予期せず三国志がいい材料を与えてくれました。
三国志に関して自分なりの解釈を交えて考察しているサイトがあり、そこを見ていると「群雄たちが宗教やオカルトとどういう関わり方をしているか」考察しているページがありました。
まとめると「オカルトに傾倒している群雄も、逆にただ否定してる群雄も滅びの道を歩んでおり、(正史の)曹操などはそういうものを信用していたとは言えないが、うまく利用していた」という話になっており、横山光輝三国志で言えば「仙人を殺して祟られて死んだ孫策」と「妖術に見せかけた迎撃をしてきた敵に、まじないをして部下たちの恐怖心を取り去り、影響のないところから攻め込んだ劉備」が好例だと思ったところで「これって、扱い方を間違えば病んだ思考に陥りかねないもの全般に言えるのか?」という思考が浮かびました。下手をすると「人の目」に流されかねない「流行」「善悪」「悪感情」と言われるものを、危険なものだからと問答無用で否定して無視しようとした態度こそ、この孫策の姿に重なってくる、と。
結局、問題ない形で利用できるのであれば、そういうものも利用してやればいいのだという気付きを得ました。利用できないものについてはそれこそ「何もしない」

それから、歪んだ価値観を家庭環境で身に付けた可能性が高い、ということで、家庭環境の中で取り込んだ社会生活の妨げになりそうな価値観・思想を記憶の働く限り検証しました。
苛められていたことが家庭や学校の表ざたになった後、親から「てめえがシャキッとしてないからいじめられるンだ!」「ンなもん相手を心の中で見下してりゃいいンだ!」と叱責を受けたことを思い出し、「俺には誰一人味方などいないンだ…」と落胆したのを思い出し、「当時は味方が欲しかったのか…」という結論に至って感情を流しました。また、この感情は少なくとも20代半ばまでの人との関わりでもかなり影響していたことも自覚。結構悲しい感情ではありましたが、今必要なものではないな、という判断もつきました。今は一人でもカラオケ出来る、と^^;

あとは、一連の記憶を理論的に整理しました。

1.「危ないもの」「無駄なもの」と断じられたものには猛反対され、勉強ぐらいしかやれることがない状態に。
2.テレビを見ようとする際に「あんなバカが出てる番組観てどうする」「そんなんはガキが観るものだ」という言葉を内面のどこかで真に受け、そういうものが態度に出る。
1.2.により勉強ぐらいしか取り柄がなく、一般的な流行や娯楽を理解できない事態が発生。これは確かに、子供の間ではいじめの標的にされても仕方ないのでは、と思います。

余談ですが、1に関しては、世間話がてら友人に話したところ「『キャリー』って映画に出てくる母親かよw」という反応があったので映画について調べてみましたが、この映画の主人公も厳格な母親の元で冴えないオドオドした子に育ち、いじめられたことが発端で話が始まってるようですね。

「てめえがシャキッとしてないからいじめられるンだ!」
「ンなもん相手を心の中で見下してりゃいいンだ!」
これらの言葉は、事態に火に油を注いだ可能性が高いと思いました。
前者により「世の中に自分の味方になってくれる人は誰一人居やしないンだな…」という認識を決定的なものにし、後者により、自分に嫌な思いをさせたもの全てについて、心の底で悪いところのあら捜しをする意識が定着したと思われます。具体的なものはだいたい想像がつくと思われるので省略しますが、相手の欠点・弱みを衝くような感じの見下し方をするものが多かったと記憶してます。

これらについて、今まで学んできたことをベースに考えられる問題点としてまとめてみました。
・「苛められた原因」が、苛めてきた相手だけでなく、「自分が置かれた環境で問題のある価値観を身につけたこと」にも原因があることを認識できなくなってしまうこと。
・問題のある価値観が原因で苛められたにもかかわらず、それを認識できる当事者が誰も居らず、更に酷い事態を招いている。
意識の向け具合が「シャキッとしているかどうか」に向けられる上、「誰も味方になってくれない」という認識の上に心の底で相手を見下すという姿勢が生まれてしまい、「自分を不快にさせた相手」に対して、不倶戴天の敵であるという意識を不動なものにさせてしまっている。→「人間不信」「他人嫌い」の主要な原因と思われる。
・「相手を見下す」という態度をとっているが、それが真実だとは心底では信じられるわけでもない。そもそも、元々は自分に不快な思いをさせている、という状況をベースにして働かせている思考なので、心底では「正面から挑めば相手から叩き潰されてしまう」という認識がどうしても避けられなくなる。その上、「見下してる相手から不快な思いをさせられている」という認識が働くことは避けられず、怒りの感情を膨張させる原因になっている。→現状の「怒り」の主要な原因と思われる。
・「危ないもの」「無駄なもの」「バカが出てる番組」「ガキが見る番組」という、最初の認識が、更に毒々しいものとなって固定されてしまう。→「チャラい奴ばかり」「ヤンキーばかり」という意識の原因と思われる。

とりあえず一連の流れで、家庭環境から仕入れた価値観により「現実を見る目」を大いにふさがれていたのを確信しました。
元々何が原因か分からない状態で漠然と「これかな…?」と思っていたものではありましたが、これが妨げになっているとしたら、そこからの抜け出しだけでもこれから何年・何十年もかかってしまうことが予測されたため、自分の年齢を考えると、まさに「日暮れて道遠し」だろうな…ということで、あんまり認めたくないと感じていたものでもありました。
母親とのよくある意見の食い違いが発端でしたが、それだけでまさかここまで紐解くことが出来るものがあるとは思いませんでした。またこれをベースに生活向上に努めていきます。


 
既成観念を疑って実践^^ / しまの 引用
No.857 2014/04/13(Sun) 16:25:24

既成観念を疑って実践

追加3つ入れて頂いていますが、まず2つ分見てのコメントが以下。

これは結構重要転換ですね^^。僕のコメント直後に返して頂いたレスの方は輪をかけて話が受け身依存(^^;)になっていますが、次のレスの方で「自分の側の問題」意識が移っている様子

つまり「受け身依存が問題」だと指摘しましたが、それは「他人の側の問題」意識が終始している様子のことです。
それに対し、「依存から自立へ」の転換が生まれた時、「自分の側の問題」意識が回せるようになってくる。
まあ実際のところ、「依存」問題である時、「依存が問題ですよ」というアドバイスをして依存を脱してもらうことは、かなり難しいというかかなり不可能なのが実情というのが僕自身体験的印象です。そうしたアドバイスに対して再び「依存」の中で反応してしまう。「依存だから駄目なのか」と、ただ自分が否定されたという反応になったり、「言われたように依存でなくならねば」というストレスを感じたりと。

まあそんな話はさておき、実践的には『入門編上巻』とかで強調している「自己の重心」というものが重要になりますね。人がどうこうより、自分はどうなのか。自分ではどう感じ考えているのか。
そうして「自分の側の問題」見えた時、話は「依存から自立へ」の転換というより、自分がその中に囚われていた、過去からの不合理自覚になる、と言えるかも知れませんね。上記お母さんとのやり取りの話のように。

他の話についても、「自分の側の問題」思考できるようになると、かなり有益かと^^。
まあその有益さは、気づいた時点心地良いものもあれば、気づくことかなり手痛いものもあるかも知れません。
いずれせよ、それらは「今までこう考えていた」ことの、大いなる誤りだといことになる。

僕からは、気づくこと心地良い(かな?と^^)ものをまず言っておきましょう。

>アドバイスに長い時間をかけて頂いたようで非常に恐縮です。経過のご報告を、と思って書き込んだことによって、想像を絶するお手数をおかけしたことを、

この「恐縮」「不適切」です。読者基本的質問相談であればどんなことを書いて頂くも自由僕自身が定め「権利」。一方長い時間かけてコメント書いたのは島野の好き勝手であり、次の原稿のためにもいい機会だと、この場を利用したまでです。にとっては全てが執筆の肥やしです^^)v
またにとってそれは「想像を絶する手数」ではなく、今まで何度もこれ以上の手間をかけたアドバイスを書いています。
つまりこれは、「相手を知る」というより、自分の既成の他人観反応されたものと思われます。

それと合わせ、蓮さんが書いている他人への否定的文章を見るに、察せられるのは、自分では自覚しない形で、かなり窮屈な社会観世界観の中におられることです。
まやはり「依存の世界観」なんですね。依存し合って生きている人々感覚世界。それとは全然違う生き方をしている人感覚世界を、知らないでおられるという印象
まあこれは時代でもあると感じます。「一人は皆のため、皆は一人のため」といった言葉が言われ、人の目依存の言葉ごく日常語になる時代。たどえば「受ける」など。
これは確か以前「道徳の授業型人生観」指摘しましたね。やはりその一環になると思います。

ともかく実践は、前レスで書いた通り、「何が問題・課題・望みか」明瞭化検討からです。「依存から自立への転換」どう反映するかとか難しい話はさておき、上述のような話として、ともかく自分の既成観念を疑って向き合うと、進みやすくなるかと^^。


「自己の重心」で「今の行動法と価値観」に取り組む

追加で入れて頂いた3つ目も、大よそ2つ目さらなる詳細検討のようですね。それはそれでいいと思います^^。

あとは、大きな視点としては、今の自分「問題」とその「原因」検討として、意識もっぱら「過去」に向いていると思いますが、「問題」「原因」について、「過去」の話はいったん置いといて、「今」の自分の行動法や価値観がどうかに取り組むことが重要になってくると思います。
たとえば「相手を見下す」という言葉が出てきていますが、それは
『入門 - 3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ / 4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法』
において、ハイブリッド心理学とは別の道を取るということか。なら人や社会とうまくいかない「原因」について過去を分析するまでもなく、そこに一因があるのが分かる。

上述のように、自分の既成観念を疑うのと同時に、それによって自分が身に着けた「今の行動法と価値観」をじっくり取り上げ検討するというのがお勧めになります。
また何かあったらなるべくテーマ個別に明瞭化して新規トピックで入れて頂くと良いかと^^。




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