しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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(No Subject) / こたろう 引用
No.838 2014/03/27(Thu) 19:33:35

1.
昔の割とおしゃべりな自分とかと比較されて「どうした?病気?」と見られるのがおぞましい恐怖です。

⇒合理思考
自分が感じているほど他人は自分に興味はない。
これは宇宙の愛を求める、世界の中心が自分であるという感覚によってそう
感じている。
・・・しかし現実に他人と対面したら、その人の目は自分に向く。
表情に関しては昔とは違って上手く笑えなくなっているし、自分が輪に
入れない状況が続いたことによって、親愛の中にある雰囲気の他人に対して
憎しみが固着していて、やはり「どうしたんだこいつ?」とは思われると
思う。
しかし、そもそもの問題は他人の中の自己像を現実の自分の進歩や興味よりも
明らかに優先どころか、それが全てであることだと思う。


2.
>オドオドならまだいいですが無感情なのは異常者の印象をあたえそうです。

⇒これに関しては合理思考が思いつきません・・・
 異常者というといいすぎかもしれませんが、壁があって
 怖い、心を閉ざした関わりづらい空気を悪くする人間という感じの
 印象は与えると思います。
 
3.
>こういう転落イメージの膨張

⇒大学を中退しても、仕事が全くないわけではない。
 しかし大学の人間関係が出来ずに、社会人としての人間関係が
 築けるのか疑問。

「これこれの転落をする」という自動思考への対抗打になる合理思考を検討してみる。
(4.)
>内面感情を問う姿勢

⇒「荒廃化」した感情を抱えたまま生きる決意、というところですかね。
特に、「自分は何もせずに与えられるべき人間である」
「なぜ俺が頭を下げなければいけないのか。」
「あんたたちは俺のために何でも尽くすべきだ」といった
<宇宙の愛を求める態度>
全く実力も能力とも釣り合っていないのに
こういった感情が自分の仕草などに出てしまって
それを見抜かれる恐怖。


後は、こんな自分と一緒にいて幸せになれるはずがないのに、
相手と友達になったり、知り合いになったり、ましてや恋人になるなんて
望めない、というのは望む資格思考だと思うのですが、
どうしてもこれがぬぐいきれないというか。
それによって高貴に感じている部分もありますが、

実際には、資格というよりは
実際に付き合っていくうちに自分の傲慢さや、愛情の無さ、皮相さに
気づかれて、それによって嫌われるという経験を
避けるために、前もって自分を挫いているんだな、という感じですね。


 
合理思考の例^^ / しまの 引用
No.839 2014/03/28(Fri) 10:29:55

では先のアドバイス(No.836)続きということで^^。

1.
>昔の割とおしゃべりな自分とかと比較されて「どうした?病気?」と見られるのがおぞましい恐怖です。
・どう思うかは彼らの勝手。仕方ない。
・そう思われたとして単位が不合格になるわけでもない。何も起きない。
・「どう見られる」かではなく、自分として何ができるか、何を望むかに向き合う必要がある。


2.
>オドオドならまだいいですが無感情なのは異常者の印象をあたえそうです。
・一時的な無感情は別に異常ではない。そもそも異常者とは何を言うことなのか、自分自身の思考を確認する必要がある。

3.
>こういう転落イメージの膨張
「これこれの転落をする」という自動思考への対抗打になる合理思考検討してみる。
>大学を中退しても、仕事が全くないわけではない。しかし大学の人間関係が出来ずに、社会人としての人間関係が築けるのか疑問。
・大学は中退しない。人間関係とどっちを選ぶかの問題ではない。

結局、大学を卒業することと、友人を前にしたキャラの演じ方と、どちらを重要視するか判断決断問題になると思います。
当然前者正解になると思います。
さらに言えば、そもそも人間関係のために何かを捨てるというような姿勢で、人間関係は作れるのかという問い必要になると思います。「人間関係」というイメージが先にくる思考そのものが、もう現実に何を生み出すものでもないということです。これをいかに直視するか。
人間関係などお構いなし(ただし当然建設的行動法の中で^^)本当の自分で行動し生きる先に、本当の人間関係ができます。人間関係ができなくても大学には行くといった「決断思考」こそが、将来の人間関係豊かにしていくと思います。

(4.)
>内面感情を問う姿勢
どんな内面感情をどのように問う姿勢が起きているのか、具体的にあげればこれも同様検討材料になります^^。
>「自分は何もせずに与えられるべき人間である」「なぜ俺が頭を下げなければいけないのか。」・・(略)・・こういった感情が自分の仕草などに出てしまってそれを見抜かれる恐怖。
・内面感情がどう見られるかではなく、実際そこにある行動場面材料について、どんな行動法で向かうかの問題になる。行動法の知恵とノウハウを使うとき、内面感情がどう見抜かれるかという問題は起きない。

まずはそんなところで^^。
今は人間関係がどううまく行くまいが大学に行くという決断こそを安全ラインとして、そこから自分にとっての本当の人間関係の築き方というものに、じっくり時間をかけて取り組む、というのがお勧めになりますね^^。

そしてその「決断」とは、結局根本は、感情に負け自分を失う(それによって感情がいっそう悪くなる)か、感情を超える意志を持つ(それにより現実を向上させることで感情が良くなる)かの姿勢の違いであり、後者持つかというになると思います。
(参照:『入門 - 4.心の成長変化(1) / 「感情を鵜呑みに考えない」という全てのスタート』)


 
Re: / こたろう 引用
No.841 2014/03/29(Sat) 16:28:34

結局そこですよね。

内面感情なんですが、
自分もなんとか人の中に入れそうだと
思っているうちは、
そこまで嫉妬心による殺意?みたいな
ものが沸かないのですが、
無理そうだ、と思った途端にそれが
吹き出してきて、猛烈な劣等感に
かられ、態度に出さないのも厳しい感じに
なります。


異常者で意味するのは
この間逮捕された統合失調症の
通り魔みたいな感じですかね。
完全にまわりの人と自分を違うものだと
感じ、全く断絶した世界として壁を
作った感じ。
自分が明るい輪に入れないと感じたときに
同じような風になっている感じがして、
怖いです。

行動法がわかれば内面感情が
見抜かれる問題は起きないというのは
やっぱり納得できません。

同じ言葉を発していても、
やはり内面感情が見抜かれれば
関係は上手くいかないと思います。


 
Re: / こたろう 引用
No.843 2014/04/03(Thu) 10:14:33

行動法についてです。


現段階では、
好かれるのも怖い、
嫌われるのも怖い、
良い印象を持たれるのも
悪い印象を持たれるのも怖い、
という状況です。

これは、好かれるのが恐いというよりは
一度期待される自己を裏切ってしまったときの
相手の落胆、その落差が恐いということで、
もちろん表裏一体だと思うのですが、
どう人と関わっていくか混乱しています。


つかず離れずで、
嫌われるわけでも好かれるわけでもない
キャラクターになろうとか...


しかしこれは感情の揺れを最低限に
したいという選択であって、
どうなのでしょう...


人間関係が築けなくても
大学に通うのはもちろんなのですが、
やはり最初の印象はその後の関係性に
関わってきますよね。
なかなかラインが決まらないのは
それもあります。
最初にむすっとして壁を作ってしまうと
そういう印象が固まってしまうし、
そういう印象を持たれていること自体に
耐えられそうもない。
かといって話をしていけば
仲が深まり、距離感に悩まされる。

誘われたりしたら、断って相手を
避けていると思われるのが苦痛。

嫌われる、ひかれるのは
きついが
好かれるのも困る。
興味を持たれないのも
苦しい。


まあ、人にどう思われるかが
重要で、かつ自分が愛情を持てない
というならこの板挟みはある意味当然で、
どの苦しみを流していくのが
先の成長につながるか、ですかね。

対人関係にとらわれすぎて
自分の興味や関心に時間が
とれないのも厳しいですが...


●感情を出さない、について

先のレスをもう少し細かく言いますと、
内面感情を内にキープするってどういう状態
なのかなと、思いまして。

@表情や外面印象にもあまり差がない状態で、
かなりの不安や恐怖や怒りを内側にみてとれる。
その上で建設的な行動。
この場合だと、相手が自分の感情に気づいていないだろつうと思えるので、その安心感はある。

A表情や外面印象には出る。
声が震えたり、汗が出たり、顔が強張ったり、
目が死んでいたり。鬱病?と思われたりする
ように元気がなかったり。
その上で建設的な行動。
相手が自分の感情に気づいているかもと思われるので、
それが気づかれる怖さはあるが、
それは仕方ないものとして、
行動で関係は維持する。

B表情や外面印象には出る。
しかし、相手は自分の感情に気づいていても、
それによって軽蔑したり見下したりするかは
人によるし、そう感じるのは自分の自分に対する
見方だという認識が、安全の保証になる。
その上で、建設的な行動で
関係は維持する。

例えばですが、恐怖感、不安、
感じているとどうしても顔が強張り、
青ざめます。
血の気がひくという感じ。

ましてや恐慌感情の渦?心性崩壊に向かうような
状態で、人前に出れば、目は虚ろで、
顔は青ざめて、という状態だと思うのですが、

外面の安全をふまえてそれを流すというのは、
「嫌われない」
「悪い印象を与えない」
「関係が崩れない」
「引かれない」
という事ではなくて、

先のレスにあったように
「嫌われても死なない」
「悪い印象を与えても仕事がなくなるわけじゃない

「関係が崩れても、死なない」
「引かれても、生きていける」

といった事になるんですよね?


こういう風にみられた、こういう目でみられた、
というのは外化のメカニズムとして
感じざるを得ないということでしたが、
それを外化だと認識することで、
不安がそこまで肥大せず、顔色や挙動不審な
動きなどにはつながらないという事でしょうか。

こういう風にみられた→感情がゆれる
→ゆれた感情の動揺を見抜かれた
→さらに怖くなる→さらに挙動不審に
→さらにそれがみられていると思い
→さらにビクビクする

このループでどんどん外面の仕草、顔色などが
悪化していってしまう。
最終的に本当に
「病んだ人」
「関わりたくない人」
「目が虚ろで気持ちが悪い人」
大部分の人に
こういう印象を持たれてしまう
のではないかと思うのです。


外面行動ができれば、表情の問題が
起きないというのが、納得できないのは
こういうところてす。




恐慌感情に襲われても、
外面印象としては普段通りだというなら
勇気を出して向かえると思うのですが、
顔が強張り、笑えなくなり、額が冷たくなり、
青ざめているのに、それに向かうというのは
どうしても難しい感じがする。


勝手ではありますが、
復学が目の前に迫っていて、
すごく怖くて混乱しています。
アドバイス頂きたいです。


 
最低ラインの再確認^^ / しまの 引用
No.844 2014/04/03(Thu) 11:44:17

取り急ぎ、恐らくはアドバイスできるのは今までと大体同じ話で、

>人間関係が築けなくても大学に通うのはもちろんなのですが、

結論として出たならそれで良くはもうあとの話になってきますね。

>やはり最初の印象はその後の関係性に関わってきますよね。

はまず、関係性は持てないことを覚悟するというになると思います。
重要なのは、自分にとって本当に確かな関係性とはどのようなものなのかを、これから模索することになるかと。ということは、確かでない関係性持たないという姿勢に、いったん安住の地を見出すことからではないかと。

そこから、今までとは全く違う関係性のあり方を、これからの人生築いていくということですね。それは長い道のり得るものであり、今は何もなくてもokだという姿勢で行くのがベストだと思います^^。

細かく書いて頂いた想定ケースについては、それぞれどう考えればいいかを考えても答えは出ず、それらの全てがもう問題なのではなく、実際に大学に行くことができるというのが問題。ということは、まずは無表情無口でも最低限必要な事務的会話はできるというのが、どの想定においても最低ラインになると思います。
まずはそれからですね^^。

それに耐えられないから何か方策を、という選択肢はなく、まずそれを耐えて次に何を模索できるか、というになると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.845 2014/04/03(Thu) 18:58:11

それに、耐えられないから何か方策を?
のそれ、というのは
「しゃべらないで無愛想であることによって
とっつきにくい、接したくない、恐い、といった
印象を持たれ、避けられると感じた状態」
でよいですか?


実は今日前もって大学に用事があり、
行ったのですが、
想定外の旧友?二人に会いまして、
自分の事をどう話すかをある程度は
決めていたのですが、
流れで
メンタル崩して、体調が...とか
2年間ほとんどなにもしていないとか
いってしまいまして...

いう必要もないことを
言ってしまうのは「普通こうだろ」を
裏切るのが恐いからですね。
相手の中でつじつまがあってないと
ものすごい不信感を持たれているような
感覚になってしまう。
暗いけど、メンタル崩してるなら 仕方ないと
納得してほしいんでしょうね。


しかし態度は自動的に昔の感覚だったので
もうよくなってるじゃん、

かれらの繋がりで、よく一緒にいたメンバーで
呑もうよとかいう話になってしまいました。
また、インターネットのsnsで
●●復活!とか書き込もうみたいな。


やはり、突然音信不通になったのが
いったいなんなのかとウワサになっていた
みたいで...


しかし、また昔のような自分をってのは
無理そうで、でも連絡をとらないのもむずかしい...

しかしまた流れに沿って、
自分を演じれば、同じことの繰り返し
なんですよね。
だからリセットしたかったのに...


変わってしまったんだなと
失望されるのが得策だということですか?


すでに自分の存在を、当時の同期に
さらされてしまいました。


彼らとは縁は切りたくないですが、
全く関わらないのも難しいし...


 
Re: / こたろう 引用
No.846 2014/04/03(Thu) 22:33:44

重ねて申し訳ないですが、
細かくかいた想定ケースは、
僕の状況があまりに外面的関係が
築けない現状だから、
という意味でどれというのは
ない、ということですか?


外面行動が安定した場合でも、
同じ疑問は抱くと思うのですが、、、
それとも論点自体がおかしいでしょうか?


 
交友行動の指針^^ / しまの 引用
No.847 2014/04/04(Fri) 10:07:42

交友行動については、
・「破壊」の行動モードでなければ何でもok。「絶交する」は破壊ですが、「今回は参加しない」は破壊ではないですね。そうした、モノは言い様によって破壊にならないのをうまく使い、ゼロか100かではない、自分に可能なラインを築いていく。
・相手もあることなので、最初から「これで」と行動法を決めるのは無理。多少流される成り行きでも良し。
・「友達ならこうすべき」「裏切り」とかは不合理思考。あくまで「楽しみの共有」として可能なものというのが合理思考。


といったものを外面行動指針にして、その中で自分に可能なものを探して実行するというものになると思います。
あくまで「自分として何ができるか」優先基準です。「人にこう思われるように」という操縦的なものではなく。「こう思われる」という配慮無駄ではありませんが、あくまで2番手です。
それらの中で、本当に自分に無理なく、交友を豊かにする自分なりの行動法どんなものか探し、築いていくというものになります。
実際の行動で、体験通してです。

「イメージ」を基準に行動を決めるのではなく、「現実の体験」の中で自分を知り、行動法を向上させていくという地道な一歩一歩重要ですね^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.848 2014/04/06(Sun) 19:02:09

●感情を出さない、について

の下の部分についてが、
細かく書いた想定ケースなのですが、

感情と行動の分離によって、
心の中では恐怖や不安におびえながらも、
とてもムリだと感じながらも、
必要だから、あるいは望んでいるから、
現実に向かう、という事は
どこかでやることであって、
ハイブリッド心理学の基本ですよね?
交友に限らず。


そういうときに、
感情の膿がもとになって
白い眼でみられた、こういう風に感じられた、
というのは
「自分の内面でおこったことだ」
という理解が大切だという記述があったと思います。

心性崩壊が起こるときも、
その理解が大切だと。


そういった状況になるまで、
悪感情をかかえたまま行動するしかない。

そこで、上の@ABのどれがキホンになるのだろうか、
という事を聞きたいのです。


内面感情は見せるものではなく、自分で受け取るものだという
上で行動を磨いていく。
なぜそこまで表情や外面印象に関して島野さんがノータッチなのかがよくわからないのですが。それによって「現実」自体が変わってくると思うので。



交友を豊かにする自分なりの行動法、自分で考えることだとは
思うのですが、例えばどういった事になるのでしょう?
線引きを決めるということですか?


 
ありのままの自分を受け入れる一歩^^ / しまの 引用
No.852 2014/04/08(Tue) 16:49:07

>外面行動ができれば、表情の問題が 起きないというのが、納得できないのは こういうところてす。

表情の問題も含め、「楽しみの共有」として行動できそうならば、積極的にそうすればいい。できそうでないならいったん孤独を受け入れる、というになります。
表情の問題あまりに不安になるようであれば、無理をせずというです^^。
ですので@ABのどのケースにおいても、それでも「楽しみの共有」として交友行動をできそうか、したいかという問いになると思います。Yesであれば向かえばいいし、Noであればいったん退却も良し最初からどれをベースに、と決めておくようなものではないと思います。

アドバイス全体としては、あくまで今大学に出ること優先であり、交友2番手。そうした人生全体の全体舵取りの中で、ありのままの自分を受け入れることにまず成長の一歩があり、受け入れる時間多少持つことで、感じ方変化するであろう、そこからまた新しい一歩模索に行く、というものになります^^。


>交友を豊かにする自分なりの行動法、自分で考えることだとは 思うのですが、例えばどういった事になるのでしょう? 線引きを決めるということですか?

紋切りアドバイス(^^;)になりますが、ハイブリッド心理学からの「交友を豊かにする行動法」は、「楽しみの共有」として向かうものです。互いの間柄や距離線引きをするようなものではなく、流動的でオープンなものとしてです。
ですので「楽しみの共有」できれば積極的に行動を共にする、できなければ無理に行動を共にしないという姿勢行動法こそが、豊かな交友と、個人の確立共に築くことのできるものと考えています。



生活 / ピヨ 引用
No.829 2014/03/17(Mon) 21:45:11

 今日は、人生には過去からの現在の生活環境がある。また、年齢も加算していく。
生きると言うことは、毎日いろんなことを考える時間が、与えられているということのうれしさを実感しました。

 また、身近な特定の愛する方(異性)がいない方の場合、寂しさと体も心も満たされない思いが、憂鬱につながるのかと考えました。(仕事や対人関係からの憂鬱も無関係とはいえませんが。) 

島野さんは、執筆の生活やスキーなどの趣味も長年されているとのこと。ハイブリッド人生心理学では、愛についてがメインと考えられましが、寂しさは無くなるなどですが、島野さん自身は、身近に特定の愛する方がいなくても、活き活きと生きられるのでしょうか。


 
「生き生き生きる」ための条件^^ / しまの 引用
No.831 2014/03/21(Fri) 16:22:29

「生き生き生きる」ための条件は、「愛」だけでなく「個の確立」というものも重要になると思います。
以下4つ条件だというのが僕の考えです^^。

【個の確立】
・「楽しみ」を持つこと(趣味、人とのお喋り、TVなど何でも)
・「やりがい」「生きがい」となる、打ち込めるもの、その目標を持つこと
【愛】
・本当に愛するものに向かうこと(人、ものごとを問わず)
・本当に愛する特定の相手を持つこと


この中で「本当に愛する特定の相手」というのが身近にいる必要があるか、それとも距離が離れていてもその条件を満たすかについては、人それぞれかと思いますが、まずは「本当に愛する特定の相手」がいるということが、「魂」のレベルで重要になると感じています。物理的距離どうか以前に。

僕自身について言えば、自分自身の時間を極めて重要視する傾向もあり、身近にいることは今は求めていない感じですね。距離は多少離れていても、そうした特定の相手がいます。
50代前半にして、そうした全体が揃ってきた感じですね。長い歳月の中で、日々向かうものの取捨選択の先に得るものという感じ取り組むと良いかと^^。


 
Re: 生活 / ピヨ 引用
No.832 2014/03/22(Sat) 08:39:49

「個の確立」と、本当に愛する特定の相手を持つことの話、参考になりました。

 身近にいる必要があるか、それとも距離が離れていてもその条件を満たすかについては、人それぞれかとのこと。

 島野さんは、特定の相手が見つかり、全体が揃ってきたと充実した話を聞かせていただきました。

 「特定の相手がいない」と、生きがいを喪失している方も多くいるのではないかとも考えます。また、何か不安感につながることも考えられます。

 それから不安になった時は、人によっての方法がいろいろだと思われます。例えば、音楽を聴く・お風呂に入る・布団に入る・人に話す・紙に書く・目を閉じて悲しみに浸る等々。

 自己の確立と、出会いを視野に入れた、社会参加が必要かとの考えにいたりました。

 島野さんは、どうお考えでしょうか。再度、聞かせて下さるとありがたいです。

 


 
「不安」への対処・社会参加^^ / しまの 引用
No.835 2014/03/27(Thu) 14:42:08

>それから不安になった時は、人によっての方法がいろいろだと思われます。例えば、音楽を聴く・お風呂に入る・布団に入る・人に話す・紙に書く・目を閉じて悲しみに浸る等々。

ハイブリッド心理学「取り組み実践」では、「感情と行動の分離」ということで「外面行動は建設的なもののみに、内面感情はただ流し理解する」という対処法になります^^。
「不安」であれば、

1)まずは自分が何をどのように不安に感じているのか「原因」についての「自己分析」

2-1)その「不安の原因」心の外部にあるものであれば、建設的な行動法による対処。たとえば家に泥棒が入られるのではという不安であれば、セキュリティ対策についてしっかり学び予算の範囲内設置するなど。「将来の生計への不安」であれば、長い人生設計として職業年金による収入計算するなど。
2-2)「不安の原因」心の内部にあるものになるにつれて、より深い心理学的学び取り組んでいく。

3)いずれにせよ「原因」に応じた「建設的対処」した後で、「この不安は実際には何も恐れる必要はないんだ・・」「流して」いく。

というのがまずは道筋になります。
まずは「原因分析」からですね^^。

>自己の確立と、出会いを視野に入れた、社会参加が必要かとの考えにいたりました。

その通りですね^^。「自己の確立」も決して社会に背を向けることではなく、「愛する相手を得る」ことと同じく、社会の中生きる中でのことですね。
仕事、交友、婚活などの社会参加全てが、「自己の確立」「愛する相手を得る」両方につながる、「総合的な人生の活動」だと言えるかと思います^^。


 
Re: 生活 / ピヨ 引用
No.837 2014/03/27(Thu) 18:33:04

 総合的な人生の活動と。
 
 まだまだ、私のほうは、学び途中の段階ですので、島野さんのように全体が揃ってまでにはいたっていません。

 島野さん、回答ありがとうございました。



(No Subject) / こたろう 引用
No.807 2014/03/01(Sat) 19:50:50

宇宙の愛が自分に向けられているべきだ。
それが真実だ。

自分のために他人が存在するべき、しているはず。

なぜ自分から相手に気を遣わなければ
ならないのか。

自分は何の努力もせずに
与えられるべき、好きなことだけして
生きていて良い人間であるはず。


こういう感覚がかなりあることに気づきました。


ありのままに内面感情を解放したら、
道行く幸福そうな人に対して
破壊的な感情がわきでてきます。
大学で一人でいたらおかしくなりそうというか、
すでにおかしくなっているのか。



優先順位として、大学の授業にとりあえず
出て、卒業したい、仕事の選択肢を狭めたくない
というのが一番。


しかし、未熟がこうさせるとわかっていても
恐ろしいですね。常にそれを自覚しながら歩いていると
ぼうっとしてきて、勉強どころではなくなってしまいます。


自分のありのままの気持ちに向き合っていると
なにも手につかない感じです。


この状態でよく日常が過ごせるなぁと
思ってしまうのですが、
この状態になると楽しいこともどうでもよくなって、
人と共有する楽しみを自分の中に増やす機会もどんどん失ってしまう。


心の中に憎しみを自覚しようとすると、
やはり表情に出ますよね。
ありのまま自覚するほど、顔もどんどん
鬱的になってきます。


しかし、自己操縦心性が感情の強制を自動化させるメカニズムに頼って今の状態だということもわかります。


感情と行動の分離では、
もちろん「ふるまい」 「表情」も行動のうちですよね。

感情は回りには見られていない、というのは
かなりこれが習熟して初めて一定の安心感を得られる気が
します。

これは認識としておかしいですか?


一瞬一瞬自分の傲慢さや、受けとる愛しか
ないとか、幼児性や甘い人間だという
雰囲気が漏れだし、それを気づかれて引かれている
イメージに覆われます。言葉の端々や、
ふるまいのぎこちなさなどから。


外化と現実の見分けが難しい。


表情だけ軽い笑顔を保ちながら、
内面に破壊的衝動を沸き上がらせる
練習。まさに仮面といった感じですが、
この方向で具体的な行動をつけたして
いけばいいのですか。

それとも、世の人は憎しみや鬱的な顔を
していても行動が建設的なら気づかないものなんでしょうか?

●望みの断念について

来歴を振り替えると、自分の場合
望みの断念は全て他人に対しての迷惑や、
他人の目が気になるというものがほとんどでした。

スポーツでは自分が迷惑をかける。

他人に馴染めない。



望む資格というよりは実際に迷惑や実害を
産み出している感覚がします。


行動としてではなく、雰囲気や空気。


これは白い目イメージとしてやり過ごして
望む環境にいくしかないんですかね。


島野さんは対人恐怖の時代に、
自分のギスギス感が場の雰囲気を悪くしているという
感覚がありながらやり過ごしていたのですか?

それは現実ではないという認識のもとで。

どうしても見抜かれる、漏れ出す、相手に
不快感を与えて動揺させてしまうという
感情をやり過ごせない...


白い目イメージはかなり後まで残るってこと
だったと思いますが、
これがありながら望みに向かっていくなかで
薄れてはいくんでしょうか。


 
「細かい場面ごとの合理思考」という外面軸実践を^^ / しまの 引用
No.817 2014/03/10(Mon) 17:25:37

これはまず今のご心境としては、現状打破のため自分の心を何とかしなければ、心を治さなければ、といった焦りの中におられるかも知れませんが、
そのように「自分の心に向く」という内向き取り組みではなく、
「“心”以外のこと」に思いっきり視点を変えるような姿勢お勧めになると思います。

これはブログ僕の写真の下「便利リンク」として、取り組み実践キモになるような記事へのリンクをつけていますが、「姿勢」というのをクリックして頂くと出てくる
2011-12-07『成長の道標への歩み方-13・取り組み姿勢の正誤』
にしているものがずばり言えるものです。

つまり、

>感情と行動の分離では、もちろん「ふるまい」 「表情」も行動のうちですよね。感情は回りには見られていない、というのはかなりこれが習熟して初めて一定の安心感を得られる気がします。これは認識としておかしいですか?

というであれば、「ふるまい」「表情」「行動」「感情」回りにどう見られるかについてどう考えればいいか、といった十把一からげの問いではなく、「細かい場面ごとの合理思考」どんなものになるかという、かなり細かい場面ごとの(言葉の繰り返しですが^^;)思考法検討必要になる、ということです。

たとえば大学に行くのであれば、
a)講義の最中
b)その前後の時間一般
c)休み時間や昼食時などに輪となりその中にいる場合

といった場面ごとに、話は大分違ってきますね。これはよろしいでしょうか。

当然、自己の内面感情人に覗き見られるようなことにもなる可能性があるのは、c)の場面ですね。一方、a)の場面は、よほど挙動不振な動作(^^;)しない限り、それはないでしょう。
そのように、細かい場面ごとの合理思考検討し、その中で、今の心の状態でも何とか行動できるものを、探すことです。
そのように、自分の心をどうこう治すというのではなく、心の外部に向けた思考を合理的にする取り組みによって、自ず治癒と成長へと動き始めます。
もちろん内面分析として、もっぱら目線自分の心の内部向ける作業も、取り組み実践の過程においては有用となりますが、それも全てまずは外面において安全を保つことで得る安定足場にできる範囲でのみ、進めることができます。

ですので、やはりまずは友人に会うというのはナシの形で大学に行くというのを最低ラインとして持つのが、スタートラインになると思います、という^^。
まずその最低ラインつまりとにかく講義の席に身を置くという場面においては、

>表情だけ軽い笑顔を保ちながら、内面に破壊的衝動を沸き上がらせる練習。まさに仮面といった感じですが、この方向で具体的な行動をつけたしていけばいいのですか。それとも、世の人は憎しみや鬱的な顔をしていても行動が建設的なら気づかないものなんでしょうか?

という問いなくなると思いますがいかがかと。皆講義に集中している場面であれば、軽い笑顔を作る必要もない^^; 「建設的行動」を問うようなものでもなく、気づくも気づかないも、見ていない^^;
最低ライン行動そのようなもの安全を確保し、その一方で、「憎しみ」感じることがあれば、それはまた別の問題として、どんな場面でなぜ憎しみを感じるのかという分析検討をするのは良いと思います。これについては、
『怒りについて』 りょうたろうさん No.801 2014/02/25
トピック取り組み手順アドバイスしていますので参考にして頂ければ^^。

>外化と現実の見分けが難しい。
>どうしても見抜かれる、漏れ出す、相手に不快感を与えて動揺させてしまうという感情をやり過ごせない...

についても、まずは上述「細かい場面ごとの合理思考」取り組む中で、自ず見分けの感覚がついてくると思います。
「細かい場面ごとの合理思考」できるかどうかに、かかっていると言えますね。

ちなみに、

>島野さんは対人恐怖の時代に、自分のギスギス感が場の雰囲気を悪くしているという感覚がありながらやり過ごしていたのですか?

その当時は、そうした場面からは離れ、とにかく学業に向かうことに専念しました。そうして社会に出て、まず自分「楽しみ」持つにそれを共有する行動として人の中に、という道順克服した次第です^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.818 2014/03/10(Mon) 21:13:22

返信ありがとうございます。
細かい場面ごとの思考ですが、
a、bはもちろん気になりません。


人と顔をつき合わせて関係を続けて行くという場面ですね。
cの場面です。


自分の楽しみを持つにも、
a)一人でできて、一人ではじめられる趣味
b)一人でできるが、一人でははじめづらい趣味
c)一人では出来ない趣味

などあると思いますが、
a以外では人と顔をつき合わせて関係を続けて行くのが必要と
思われます。


そういった場面においての安全行動を構築するにあたり、
今までの「イメージによる練り上げ」を脱して、
内面感情をありのままに自覚しながら会話するという方法を
考えていくにあたり、表情に出てしまうのをどうやってやり過ごすのか、
聞きたかったのです。

また、常に自分の内面感情を自覚しようとすると、
道行く人を「心の健康な人」と「心の不健康な人」といった色眼鏡でみたり、
自分はあの純粋な笑顔を持つことはできないんだ。。。といった感覚にさいなまれて、
自分の楽しみや勉強どころではなくなってしまうんです。


コレに関しては、そういった感情が沸いてくるのだなぁ、と思いつつ、
自分の楽しみややるべき事になるべく気持ちを持っていくのは
「ごまかし」にはならないですよね?


なんだか心性崩壊に持っていくために自分を悪く考えようとしているような
感じもあります。これは何の意味もないんですよね。



講義に出るまでの外面安全を作る力は今でもあります。
課題になっているのが
グループ講義にあたって、または教授とのやりとりにあたって、
または望みを模索するにあたって楽しみの共有として人の中に入っていくにあたって、ですね。


 
Re: / こたろう 引用
No.819 2014/03/10(Mon) 21:22:28

で、これらのひっかかりになるのが
「自分が入って迷惑にならない場なんてない」
「自分がギスギスした空気を作り上げる」
「自分が持っているのは偽者の関心でしかない」
「それが暴かれてしまう」


これらは、内面感情として流しながら、
でもそういった場に「参加してもいいんだ」という
「ゆくゆくは人を好きになれるために必要な場面なんだ」
「今は偽者の関心でも仕方が無い」
「多少それによって嫌われることも、一つのハンディだ」

といった思考によって、
望みを断念しないようにして、
外面行動を構築していくという感じですかね?


 
合理思考の王道 「原理原則思考」^^ / しまの 引用
No.821 2014/03/11(Tue) 12:14:59

場面ごとの合理思考とは「原理原則思考」

>人と顔をつき合わせて関係を続けて行くという場面ですね。cの場面です。(休み時間の輪)
>自分の楽しみを持つにも、a)一人でできて、一人ではじめられる趣味 b)一人でできるが、一人でははじめづらい趣味 c)一人では出来ない趣味 などあると思いますが、a以外では人と顔をつき合わせて関係を続けて行くのが必要と思われます。(趣味の輪)
>講義に出るまでの外面安全を作る力は今でもあります。課題になっているのがグループ講義にあたって、または教授とのやりとりにあたって、または望みを模索するにあたって楽しみの共有として人の中に入っていくにあたって、ですね。 (グループ講義)

その3つ「人と顔をつき合わせる関係」がまた、場面としては大分種類が違います。そうした細かい場面の違いごとに、合理思考検討するというになります。
ですので、番号を振っていくならのようにするのが良いかと。

【授業場面】
a)講義の最中
 a1)一般講義
 a2)グループ講義
b)その前後の時間一般
c)休み時間や昼食時などに輪となりその中にいる場合
【趣味の場面】
d)一人で行う趣味
(これはもうこのテーマ外かもですが)
e)人と一緒に行う趣味(始める時のみの場合とその後も含めてもの場合がある)


重要なのは、こうした細かい場面ごとに、「合理思考」の中には違う言葉が出てくることです。
「こういう場面では、これこれを基準にして、こう行動するのが良い」という「これこれ」が、それぞれ違ってくる。
そうしたものを幅広く正確に体得していくのが成長であり、社会行動能力の向上です。

そうした、細かいキーワードしっかり使う思考が、「原理原則思考」です。
『入門 - 3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ 3.行動学』
での「原理原則行動法」のための思考ですね。


合理思考の王道 「原理原則思考」

たとえば「グループ講義」であれば、

>で、これらのひっかかりになるのが「自分が入って迷惑にならない場なんてない」「自分がギスギスした空気を作り上げる」「自分が持っているのは偽者の関心でしかない」「それが暴かれてしまう」

といった内面懸念に対して、外面向け合理思考(原理原則思考)は、

・そこでの「迷惑」とは、講義テーマとは無関係な私語や、人の発言を遮るとかの行動
・「なごやかな雰囲気」といったものはグループ講義の目的からは2番手以降のもの
・自分の関心が本物か偽者かは、グループ講義では特に問題ではない

といったになると思います。

一方、

>これらは、内面感情として流しながら、でもそういった場に「参加してもいいんだ」という「ゆくゆくは人を好きになれるために必要な場面なんだ」「今は偽者の関心でも仕方が無い」「多少それによって嫌われることも、一つのハンディだ」

については、
・「参加してもいい」「人を好きになれるために必要」というより、単位のために参加する義務があるという話^^;
なおグループ講義への参加人を好きになれるかと言うと、ちょっと関係ない気がします^^; ハイブリッド心理学からは、まずは建設的行動法への正確な理解と納得および実践その道だというになるかと。
・自分が何によって嫌われると感じているかを明瞭にし、まずはその向上対処についての理解に取り組むのは良い。もちろんグループ講義での個人的な人の好き嫌いは2番手以降の問題。
といったになると思います。

そのように、「これこれの場面には、これこれの基準で参加の行動をする」という合理思考を、まず検討します。
それで、自分参加できるもの参加しなければならないものに、参加する。

そこまでの検討ができれば、

>そういった場面においての安全行動を構築するにあたり、今までの「イメージによる練り上げ」を脱して、内面感情をありのままに自覚しながら会話するという方法を考えていくにあたり、表情に出てしまうのをどうやってやり過ごすのか、聞きたかったのです。

という問題特に起きないのではと。
まず「内面感情をありのままに自覚しながら会話する」というのはちょっと違い「目的に応じた会話」をします。
上記のような細かい場面の違い応じたものとしてですね。それができれば、「表情」といったものは特に問題ではなくなってくると思います。
に言えば、それら「こうした基準で参加する」というものに自分が合わないようであれば、もう「表情」以前の問題として、参加は断念しなければならないかも知れない、というでもあります。これは上記番号を振りなおしたc)e)あたり関係しますね。たとえば人と一緒にいることへの不安の減少というのが、多少基準になる。動揺が多い場合は、ちょっと無理と。「関心の真偽」も多少基準であり、人にどう見られるか以前に、自分にとって本当に楽しめるものか検討する話として。

「“心”以外のことに目を」というのは、以上のような話です。まず外面軸として、自分の内面感情とは別の話として「原理原則」による行動法の枠を持つ。
その沿っていれば、まずは外面行動オーケー。次に、動揺を克服しより行動を広げるための内面分析へ、という道順になります。
じっくり検討あれ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.825 2014/03/14(Fri) 22:16:38

おそらくなんですが、
先生と話した瞬間に幻想が崩れ落ちる
気がします。

それは、自分はなにもしなくても
食事を与えられ、否定されることなく
生きていけるという王様のような
感覚です。


大学に戻って話した瞬間に精神崩壊する
感覚が確かなものに感じられます。

ただ、自分はまだ完全に依存の状態で
ありますので、どういった形の崩壊になるのか...


目の前で崩壊しそうなんですが、
そこはどうも対策できないのでしょうか。


 
「崩壊」をやり過ごす^^ / しまの 引用
No.826 2014/03/16(Sun) 16:14:03

・外面においては、何も起きず安全であること
・内面においては、「崩壊」を経て安定した心再生すること
この2点しっかりと心に入れて、あと「ただやり過ごす」ということになると思います^^。

「ただやり過ごす」とは、何もせずに時間が過ぎるのを待つということです。
注射をする時の恐怖やり過ごすのと同じですね。椅子に座ってを差し出し、あとはどうにでもなれ(^^;)何もせずその時間が過ぎるのを待つ痛みでパニくりそうな衝動だけは抑えて我慢することが大切ですね。

同じです。ただ授業に出て精神崩壊でパニくりそうな衝動だけは我慢して、あとはただ時間が過ぎるのを待つ
そうやってやり過ごして終わらせれば、次第新しい心の風景広がると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.827 2014/03/16(Sun) 19:08:12

実際に、パニックになっておおなきする
感覚しかしないのですが、、、
のどがつまって体が震えだして...とか。


まあ、それでいいというのは
わかるのですが、


2年前は死ぬほど泣いてしまい、
とてもではないですがそのままいられる
状態ではなかったので...


今日浮かんできたのが、
推進力のある自己像の策定を読んでいて、
オドオドする自分をみられるなら
死んだ方がいいという感覚で、
前もこの自己像が保てなくなったのが
崩落につながった気がします。


外面では安全を保つ、というのは
オドオドした自分でなく外面を保てるという
事ではないですよね?

そうできないなら死ぬ、という感情なんですが、
実際にはオドオドせざるを得ないんですよね、多分。


 
Re: / こたろう 引用
No.828 2014/03/16(Sun) 20:29:49

原理原則では大学は勉強をするところだと
いうのが第一ですし、グループ講義も同じですね。

現実的な自己像を描くと、
やはり授業をこなし、ゼミの人間関係を
とりあえず作るくらいが限界なのですが、

その状態を人にみられることが
耐えられないです。


結局は、理想の自己像を保つために
まさにゼロ現実を選んでしまう、
というのはそうしないと心が崩れるからです。
しかし今回ばかりはリアルに中退という
方向になってしまうので、かなり現実が厳しくなる
ことも理解しているのですが、
感情は真逆で、推進力のある自己像を
断固として受け入れないという感覚です。


人に関わりづらいとか、みっともないと
思われる感覚に耐えられません...
ここが自己操縦心性の大きな壁なんでしょうか。
ほとんど全部が他者評価に依存していると自覚しました。


高校までの自分は自己理想にかなっていて、
幅広く交流を持っていて、今とは大分違います。


思考の上では、産み出す自尊心に向かうために、
今の自分から一歩一歩、と思っているのですが、
昔の知り合いにあって落ちぶれたと思われたら
死んでしまうという感覚もあります。


その点、とりあえず見た目に関しては
お洒落して爽やかにしたい気持ちもあるのですが、
そうすると「こんな雰囲気なのにオドオドして失望した」「見た目とのギャップがありすぎる」
と思われるのが怖くて、昔よりも大人しそうな雰囲気に
してしまいます。


完全に自己像が混乱してまして、
推進力のある自己イメージを描いても
いざ人に向かうとなると「オドオドしてなくて人と器用にかかわれる、イメージ」に心が支配されます。
あげく、どんな話し方が自分なのか?とか
考えてわけがわからなくなる...


●元同級生について

元同級生が一人同じ学年に復学します。
きっと、ほかに知り合いもいないから、同じ講義なら隣に座ったりすることに
なり、昼食も...となるのが自然な流れだと
思うのですが、そうはできそうもありません。


昼だけ一人で食べるのも変なやつだと思われそうで、
その次会ったら避けてるのか?変なやつだ...と
思われるのが怖いです。


全般にいえることですが、
オドオドして関係を作るのに限界がある自分を
全く受け入れられてなくて、常にその自己否定が
根底に流れている感じです。


これに関しては、
崩壊するとしても
外面現実の安定を実際に欠いているのだと
思うのですが、
実際にひかれたり、嫌われたり、変な目でみられる、
みっともなく思われるという現実ありきで、
崩壊は起こり得るのでしょうか、、、


とにかく自己像が崩れるのが怖くて体が
動かなくなりそうです...


 
「最低ラインの行動学」^^ / しまの 引用
No.830 2014/03/21(Fri) 11:38:23

「外面における安全」としては、
・オドオドしても単位はもらえる
・自己像が採点されることはない

といったになると思います^^。

オドオドしても、必要な講義には出る世界一奇妙なオドオドした姿でも、必要な発言はする、といったものからが、まずは「推進力ある自己像」になると思います。そうしてスタートしました。えっへん。と威張る話ではない^^;

>元同級生が一人同じ学年に復学します。

については、僕の体験上からアドバイスするなら、「なりゆき」いいと思いますヨ。自分からこんな間柄モードでと決めるより、相手からの出方待ちの姿勢で行くのが一番、「最低ラインの行動学」的にベストになると思います。
相手こっちをもう親しく接する相手と見ず、何もしないで通り過ぎるかも知れません。あるいは「よっ」と表情を崩す程度かも。そうした場合でも、まずは「無視された怒り憎しみ」とかに走らなければ、健康な世界です。以前言った「薄い間柄」ではそうしたものになるのが、もうこれからの対人関係だという正解だと思います。
昼食とかも、誘われたらという程度に考えておけば良いかと^^。

まずはそうして、内面のオドオドそのままでも行動できる線模索することからですね。内面のオドオド減少するのは、それが身についてさまざまな場面での行動のバリエーションが持てるようになった頃からになると思います。それでも残るものについては、またアプローチの次元異なってきます。現時点での取り組みは、まず上述のようなラインの模索いかに向かえるかになると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.833 2014/03/22(Sat) 18:03:02

もともと、そういうキャラクターだったら
まだいいんですけどね...


昔の割とおしゃべりな
自分とかと比較されて
「どうした?病気?」と見られるのが
おぞましい恐怖です。


周りの華やかな世界に入れないという
感覚、家族連れをみても自分は一生ああはなれないんじゃないか、だれも友達がいなくなる、これからどんどん荒んでいくんだ、とか考えが止まらず、性欲もなくなってしまいました。

内面感情を問う姿勢が大きな原因で、心の医学思考に
ならず、ただただ自分を断片的な言葉で責めている
状態になってしまいました。
頭痛もかなりあります。

これに関しては変えることは難しいのでしょうか。

医学思考を持つことで、将来的には望みにも
迎えるのだという認識を足していくことでしょうか。
そこまでは意識的に舵取りをする。


そういったことはむしろ絶望の妨げ?
かなと思って、放置していたら、日に日に顔が
死んでいき感情が無くなってきて焦っています。
よけいに人前に出られない自分に...

オドオドならまだいいですが無感情なのは
異常者の印象をあたえそうです。


オドオドした自分から出発して
現実において関係を作っていくという
決意に踏み切れません。
他人の中でまあまあイケてた高校時代の
記憶のまま消えてしまいたいという気持ちが
かけまわっています。


こういう転落イメージの膨張と
それに伴う疲弊にはどう対処していけばいいのでしょうか。

流す、というのは膨張しるままにすることでは
ないですよね。

医学的な目が難しい段階で
自分の気持ちに向き合いすぎたかなと
感じています。


 
「対抗打となる合理思考の検討」を^^ / しまの 引用
No.836 2014/03/27(Thu) 15:13:01

これは認知行動療法にせよハイブリッド心理学「感情と行動の分離」にせよ基本同じで、
感情に流れマイナスの膨張に走る自動思考がそれらとして、対抗打となる合理思考どんなものか検討することが対策になると思います。

>そういったことはむしろ絶望の妨げ?

「絶望」自分から向かうものではありません^^; そんな絶望期待(?^^;)には何の意味もないです。
自分として全力で克服成功に向かうしかないです。

ということで、「対抗打となる合理思考の検討」自分でできてこそ克服になると思いますので、まずちょっとエクササイズなさると良いかと。その結果書いてみて頂ければ、これは即アドバイス(島野からの答案例^^)など返せますので^^。
とりあえず以下3項目あたりが材料になるかと。
1.
>昔の割とおしゃべりな自分とかと比較されて「どうした?病気?」と見られるのがおぞましい恐怖です。
2.
>オドオドならまだいいですが無感情なのは異常者の印象をあたえそうです。
3.
>こういう転落イメージの膨張
「これこれの転落をする」という自動思考への対抗打になる合理思考検討してみる。
(4.)
>内面感情を問う姿勢
どんな内面感情をどのように問う姿勢が起きているのか、具体的にあげればこれも同様検討材料になります^^。

レスが多くなってきたのでそろそろ新規トピックで入れて頂くとベターですね^^。



出会いとお別れ / ピヨ 引用
No.803 2014/02/25(Tue) 21:38:49


 夜間、「最愛の方が、他界したらとてもつらいと」感じた時、とても声が出ないような苦しみを味わったことがあります。

 他界や別れなど、出会いと別れがあることや、辛さは時とともに落ちついてくると言われています。

 最愛の方に対して、上記の苦しみを感じることがあることは、その方を思い過ぎているからでしょうか。
 しかし、大事と思える方がいたと言う事実の方が、後悔とならないような気もします。

 愛を得られなかったと思う苦しみは、長年の苦しみになりますが、最愛の方との別れは、別の意味で短期間に強い苦しみがあると思えます。

 


 
「愛する人の死」への向き合い方^^ / しまの 引用
No.813 2014/03/07(Fri) 16:47:52

「人を愛する気持ちが心豊かにする」とは

>しかし、大事と思える方がいたと言う事実の方が、後悔とならないような気もします。

そうですね、何よりもその視点大切になると思います^^。

よく「傷つくのが怖いから愛さない」とか「別れが辛いからつき合わない」とかの言葉聞くことがありますが、本当に人を愛する気持ち心をいかに豊かにするかを、知らないままの言葉ということになると思います。
では「本当に人を愛する気持ちが心を豊かにする」とはどういうことか。これがまた本を一冊かけてしまうようなになると思いますが、ごく手短に言うと以下2面があると思います。

1)「愛する気持ち」による心の充実とプラス感情
心が温かく、充実した気持ちになる。これはその時その時における、「今の心」の次元の範囲内におけるもので、変動がある。惑いが生じると乱されがち。

2)人生で「愛し尽くした時」「愛し遂げた時」により成熟し豊かな心に変化する
「より成熟し豊かな心」とは、一言「自分から愛することができる心」です。相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる実際の対人場面において、安定した心でです。結果対人場面動じることがなくなってきます。
「愛し尽くす」「愛し遂げる」というのは人生長い歳月をかけないと良く分からないことである一方、それによる心の成熟と豊かさのこの変化後戻りがなく、「別の心」「別の人間」になるような、異次元の変化


「愛する人を失う悲しみ」が心の豊かさへの入り口

そうした心の仕組み踏まえると、どのよう心の豊かさ向かうか否かに、大よそ2つの道がでてきます。

一つの道は、「まず愛されること」しがみついてしまうもの。
相手から愛されれば自分も愛することができる。これはまあ「未熟」から始まる限り仕方ないことですが、問題は、「そうじゃないとプライドが許さない」なんて思考で、「自分から愛する」ことを嫌ってしまうもの。こうなるともう心が豊かになる道ブロックされ、いつまでも心が豊かにならず、動揺ばかりで、上記のような「知らないままの言葉」出てくることになります。

もう一つの道は、まず人生何らか「愛する人を失う悲しみ」「愛が得られない悲しみ」を、自分自身で受けとめ尽くすという体験をすることで、心の成熟と豊かさ入り口立つというものです。
つまり心が未熟であるうちは、「自分から愛する」という気持ちどういうものか、良く分からないまま、まず愛されることにあぐらをかくように生きてしまいます。しかしその相手が、死んでしまう。その時初めて自分が相手をどのように愛していたかを、自分自身で知る。それが、人生心の豊かさ向かう道入り口になる。
ごく波風のない日常場面で言えば、たとえばまず祖父母出会うのがそうした体験始まりであり、もっと鮮烈なのは震災関連して沢山見聞きしたと思います。

つまり、「本当に人を愛する気持ちが心を豊かにする」というのは、まず「愛する人を失う悲しみ」「愛を得られない悲しみ」を自分自身で受けとめるというのが、どうやらスタ−トになるのが人間というものなんですね。
それを過ぎて、ちょっとしてから、自分の心以前より豊かになっているのに気づいて、それから、「自分から愛する」というのがどういうことかが、少しづつ何となく分かるようになってくる。そしてそこから長い歳月をかけて、まず相手から愛されることを多少必要とする心の部分も持ちながらも、「愛し尽くす」「愛し遂げる」という心の営みの中で、さらに心が豊かに成熟していく。


「悲しみ」を経て「おおらか」へ

ということで、「愛する人の死」への向き合い方としては、上述のような心の豊かさの道心の懐入れておいた上で、あとは感じるままに気持ちを心の中で流すという姿勢お勧めになりますね。
つまり、
・悲しみを自分自身で受けとめる先に、心の豊かさがある。だから悲しみは思いっきり流していい。
・さらに心が豊かになる先に、人の死を「おおらかに受け入れる」気持ちというのも持てるようになる、というのもアリと心得ておく。
表面的には悲しんでさえおらずドライに見えるかも知れないが、薄情だなんて言う必要なし。
・あとはごく基本的な日常思考として、人はいつか必ず死ぬのが現実だということは頭に入れておく。覚悟しておく。
それを受け入れていないと、
「悲しみ」「苦しみ」に偏ってしまい、この場合も「受けとめられない」という状態で心が豊かにならないままになってしまいます。
などがポイント

一言で、
「愛する人の死」において、「苦しみ」は不合理思考から。
「悲しみ」を経て「おおらか」に向かえばいい。

のように憶えておいて頂くと良いかと^^。

参考まで、実は今日ちょうど3年前に亡くなった僕の母の命日なのですが(このあと一同で墓参り^^)母の死目前にして僕が感じたことを、
2011-03-06写真と言葉 『「魂の感情」と「命の感情」』
短文で書いていますのでご覧頂くと良いかと。全く別の2つの感情同居しているのが実に印象的でした^^。


 
Re: 出会い / ピヨ 引用
No.814 2014/03/08(Sat) 16:25:30


 島野さん、こんにちは。
 
 具体的な助言をたくさん頂くことができました。愛について、今後も思考していきたい。

 「相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる。」については、まさに日常の対人場面での理想の対応のあり方そのものでした。


 母の命日とのこと。
 2011-03-06 「魂の感情」と「命の感情」もきくことができました。

 対人場面について、別の著者の本に、人はそれぞれの人の関心によって違った思考があること。お互いの、思い違いがある。騙そうと思って生きている方がいる。
 自分の意見・意思をハッキリ相手に言って、生活することとある。相手の主張を、ただこちらが聞いているだけであると、相手はいつでも主張を強化してしまう。

 相手が、あまりにも考え方が偏って、話し合いにならない時は、その方とは事務的なやりとり以外は、関わらないようにします。島野さん、これらは誰に対しても、自分から愛せるようにとの考えには、反することになりますか。
 


 
認知 / ピヨ 引用
No.815 2014/03/09(Sun) 09:55:21

 最近読んだ本の中で、自閉症の診断のことが書かれてありました。
項目の中で、「興味のあるものを見せる・持ってくる・指差す」を自発的に求めることの欠如などありました。
 たしかに、どのような場面でも欠如があるなどの診断となと考えられます。

 これとは別に、対人場面の中で、気のあわない方などに対しては、興味のあるものをみせたり、積極的に親しい関わりを取らないと、その方は不満になり、自閉・発達・精神等々の障害があるのではないかと解釈する方もいます。人が、何を思い・発言するかはその方らしさではありますが。

 対人場面を考える時、目の前にいる方は、どんな会話をされて、どんな行動をされるかはそれぞれ、第一印象や見た目、日々の行動で認知されています。
 心の成長を考えた時、いろんなことに対して不満を捉えるのではなく、より良い生き方を視点にしていくことかとまとまりました。

 島野さん、助言いただきたいです。よろしくお願いいたします。


 
一貫した行動法で^^ / しまの 引用
No.820 2014/03/11(Tue) 10:40:08

>「相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる。」については、まさに日常の対人場面での理想の対応のあり方そのものでした。

そうですね^^。ただまあ「まず自分から愛せる自分」という絵に描いたような理想の姿自分に押しつけてもなかなかそうはなれませんので、
「喜びと楽しみの共有として愛に向かい続ける。その中で思い通りにいかない場面では、まず愛されることにしがみつかずに、悲しみを自分自身で受けとめ、そこから再び喜びと楽しみの共有として愛に向かう」
ということの積み重ねで、年齢を重ねる中自然とそうした理想の姿にも近づく、と心に入れておいて頂くと良いかと思います。

こうした年齢の積み重ね必要というは、
『入門 - 4.心の成長変化 / 「心の成長課題」と「成長の望み」の鍵 一覧表』
その下説明部分手短にまとめていますので参考頂ければ^^。

>相手が、あまりにも考え方が偏って、話し合いにならない時は、その方とは事務的なやりとり以外は、関わらないようにします。島野さん、これらは誰に対しても、自分から愛せるようにとの考えには、反することになりますか。

「誰でも自分から愛せる」というのは、以前ダライ・ラマにあげた「人類愛」これですね)ほどではないとしても、ちょっと理想が高すぎる(^^;)かも知れませんので、まずは「好きな相手」「愛する人」との実際の関わりあいで、相手から愛されることを待ちしがみつくではない行動を取れることが重要になってくる、ということからになると思います。
「好きな相手」「愛する人」ではない他人全般への行動法としては、これもあくまで「喜びと楽しみと向上の共有」という一貫した行動法になります。とくにその相手「愛する」とまでは行かないとしても。

つまり、行動法愛情の有無によって変えるものではないということですね。
そうした一貫した建設的行動法生きる中で、愛情をより自分から持てる人間へも成長するということです^^。

>心の成長を考えた時、いろんなことに対して不満を捉えるのではなく、より良い生き方を視点にしていくことかとまとまりました。

上述が、まさにそうした「より良い生き方」になるかと^^。

なお「自閉症」というのは心の問題というより、脳の先天的な障害が関係しているようですので、そうしたハンディがある相手という広い気持ちで見てあげるのがいいですね^^。


 
Re: 行動 / ピヨ 引用
No.822 2014/03/11(Tue) 18:49:15

 こちらが、相手に振りまわされないようにと考えて行動を選択していても、相手はそれに対してさえ、不満な表情をされている方もいます。

 それぞれの性格・考え方が違うのであるから、相手がどう捉えようとしかたのないことですが。

 ただ、相手に振り回されないことは、基本に置いて、不満な表情にも気にせず、かつ
状況を経験しながら、自分から持てる人間に成長させて行くことが人生の課題のような気がします。

 島野さん、いかがででしょうか。

 コメント、ありがとうございました。


 
具体的な実践^^ / しまの 引用
No.823 2014/03/13(Thu) 16:44:22

そうですね^^。あとはそうした課題に向かって、より具体的実際にどんな思考法行動法で対処すればいいかの、場面場面での具体的な検討重要になってくると思います。
それがハイブリッド心理学「取り組み実践」ですね。

振り回されてしまいそうな相手であれば、どんな「言葉」駆使して対処するかなど、具体的知恵ノウハウがまた出てくると思います。それを学び実践することの積み重ねによって、「成長」生まれます。

ということで、「この場合はどうすれば」といった具体的な材料があれば、細かいアドバイスを返していけると思いますので、あれば何でも入れて頂ければ^^。


 
Re: 対応 / ピヨ 引用
No.824 2014/03/13(Thu) 21:15:21

 具体的な知恵とノウハウがまた出てくると思います。それを学び実践することの積み重ねによって、「成長」が生まれると。

「この場合はどうすれば」といった具体的な材料があれば、細かいアドバイスを返していけると思いますので、あれば何でも入れて頂ければ^^と。

 島野さん、ご親切にありがとうございます。

 その時は、よろしくお願いいたします。



質問 / 田中 引用
No.800 2014/02/23(Sun) 18:01:04

以下の部分が気になっています。
>>>>
私たちは、「人の気持ち」によって望みを抱き、「人の気持ち」によって怖れを抱くのです。
そこに、「成長」があるのです。


そこで、「自分の望む気持ち」が「人の気持ちへの怖れ」を凌駕して、行動へと向った時、そこにはっきりと、「成長」が現れるでしょう。

「人の気持ちへの怖れ」があまりにも強く、「自分の望む気持ち」が行動へと至れない場合もあるでしょう。これをありのままに感じ取り、受け入れることも、また一つの「成長」になります。
やがて同じ場面で、「望む気持ち」が「怖れ」を凌駕する時の訪れに向っての、準備としての成長に。


人間の「不完全性」

これが「心の自立」の中に生まれる「意志」だけで可能になるかどうかは、人間の場合、とてもあやふやです。

そもそも完全な「心の自立」というものはないというのが、ハイブリッド心理学の考えです。(詳しくは『入門編下巻』で^^)


さらに、心に映る「人の気持ち」を疑えなくなる、「心を病む」という側面を、程度の差こそあれ誰もが抱えるのが人間だと、ハイブリッド心理学では考えています。

そこに、「意志」だけでは足りないものを補うものとして、「信仰」というものが出てくる。
それが人間の心なのかも知れません。


「信仰」がないと、「意志」も持てないのかも知れない。 それが人間の心なのかも知れません。
今はそう感じています。

>>>
これ理解はできるのですが、具体的にどのように他人に臨むのか具体例で教えてもらえませんでしょうか?
他人に接する時、その人と良い関係を持ちたいと思う。しかしながら、そう思えば思うほど失敗することに恐れを持つ。ということになると思いますが、どのような意識で人に向かうのが良いと思いますか?




人間の「不完全性」

これが「心の自立」の中に生まれる「意志」だけで可能になるかどうかは、人間の場合、とてもあやふやです。

そもそも完全な「心の自立」というものはないというのが、ハイブリッド心理学の考えです。(詳しくは『入門編下巻』で^^)


さらに、心に映る「人の気持ち」を疑えなくなる、「心を病む」という側面を、程度の差こそあれ誰もが抱えるのが人間だと、ハイブリッド心理学では考えています。

そこに、「意志」だけでは足りないものを補うものとして、「信仰」というものが出てくる。
それが人間の心なのかも知れません。


「信仰」がないと、「意志」も持てないのかも知れない。 それが人間の心なのかも知れません。
今はそう感じています。


 
「取り組み実践」で他人に臨む^^ / しまの 引用
No.802 2014/02/25(Tue) 21:19:30

2010-04-30 『全ての根底は「命」と「信仰」-3』 ブログ記事書籍N0.5 P.15)
での言葉ですね^^。


「取り組み実践」が「向かい方意識」

>具体的にどのように他人に臨むのか具体例で教えてもらえませんでしょうか?

それを手順化しているのが「取り組み実践」になります^^。
『入門 - 3.取り組み実践』
ざっと説明しているのがその内容になります。

「感情と行動の分離」として、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という2つの軸両輪として、
自らの「望み」に向き合い、「望み」に向かって全てを尽くして生きる
というものの一環で、他人へも臨みます。

その検討手順としては、
「取り組み実践」の3ステップ
説明しているように、具体的な場面においては、
具体的場面での応用の「学び」
   ↓
「向き合い」

という検討を経て、実際の行動を選択し向かうというものになります。


建設的行動法によって他人に臨む

例えば間柄を深めたい相手がいる場合、
「応用の学び」としては(ここではちょっとまだ一般形ですが)
「外面行動」としては「楽しみ喜びの共有として向かう。それができないなら孤独を受け入れる」といったものとして、
「内面感情」については、間柄を深めたい気持ちが、楽しみ喜びの共有に向かいたいというものか、それとも相手を自分のものにしたいという所有欲のようなものか、といった感情の種類自己分析をする、といったものになります。
その結果相手への接近行動に自分として安心を持てるようなら、そうすればいいし、そうではないなら引き下がるしかない。そうした検討決断を自ら行う体験積み重ね「成長」がある、といったになります。

まずはこれが、ご質問「どのように他人に臨むのか」答えになります。

それで言いますと、言えるのは「建設的行動法によって他人に臨む」ということですね。これこれの行動法他人に臨む、というのは言える
一方、「こんな気持ちで他人に臨めば」とは言えないですね。それでは「気持ちの枠はめ」という、あまり健康でないものになってしまう。内面感情は、まずはありのままに流し理解するというのが、取り組み実践内面軸です。

>どのような意識で人に向かうのが良いと思いますか?

という「意識」には、多少「気持ち」というニュアンスも含まれる可能性がありますが、「気持ち」については、ありのままの自分の感情に向き合えること、それを分析理解できることまず重要になります。

これも含めて、「どのように他人に臨むのか」答えになります。これはよろしいでしょうか。


「意志」と「信仰」が「怖れ」を超えるものになる

一方そこで問題になるのは、「楽しみ喜びの共有」として相手に近づきたいけれど、うまく行かない「失敗」への「怖れ」があって近づけない、といったケースですね。
ご質問での

>その人と良い関係を持ちたいと思う。しかしながら、そう思えば思うほど失敗することに恐れを持つ。

も、そういったことですね。

参照頂いたブログ記事で触れている「意志」「信仰」は、そこでの「怖れ」克服するものとして役割を果たすものとして、テーマにしているものになります。
これは「他人への臨み方」の話ではなく、自分自身の心の基盤、心の足場になります。それをどう持つかという話。
ですので「意志」「信仰」は、「他人への臨み方」だけではなく、日常生活および人生の問題課題そして「望み」への向かい方の全て同じように作用するものになります。
ですので「他人への臨み方」の問題以前に、「意志」「信仰」持ち方そのものの問題として、向き合う必要があります。これはよろしいでしょうか。

では「意志」「信仰」によって「怖れ」どのように克服されるか。「意志」「信仰」というものを、どのように持てばいいのか、と、さらに深く膨らんでいくのですが、とりあえずここではこの辺までがよろしいかと^^。

「どのように他人に臨むのか」は、「感情と行動の分離」という一環とした姿勢と実践臨む。これをまず理解頂ければ。
そこで「意志」「信仰」「怖れ」克服するための心の基盤になるというを言っているものとして、また関連した部分を読んでみて頂ければと思います^^。


 
Re: 質問 / 田中 引用
No.804 2014/02/26(Wed) 11:00:11


> そこで「意志」「信仰」が「怖れ」を克服するための心の基盤になるという話を言っているものとして、また関連した部分を読んでみて頂ければと思います^^。
はい関連個所は前部読みました。
具体例というのは、例えば典型的なものに異性に告白する場合がありますね。
好きであればあるほど、誰もが拒否される恐れを持ちます。
そういう状況に臨む場合、意志と親交がどう「怖れ」を克服するための心の基盤になるのか?ということが質問内容になります
そうですねぇ、島野さんが好きな女性をデートに誘う場合、
どのように「意志」「信仰」が「怖れ」を克服するための心の基盤になるという話を言っているものなのか教えていただきたくお願いします。


 
Re: 質問 / 田中 引用
No.805 2014/02/28(Fri) 22:56:35

もしかして質問の意図が伝わらないでしょうか?
意思と信仰についての理論的な話はもう十二分なほど書かれていると思います。
しかしながら、具体例、つまり現実の中での具体的な事例を通しての説明はほぼ見つかりませんでした。
具体的な事例が無いとなかなか伝わりにくいため質問させていただきました。
どのようなものでも、説明しやすい物でもお願いしたく思います。


 
Re: 質問 / しまの 引用
No.806 2014/03/01(Sat) 08:04:23

了解です^^)/
返答は入れた頂いた順に、1週間前後時間がかかることもありますのでちょっとお待ち頂ければ^^。


 
「好きな相手に向かう怖れ」の克服における「意志」と「信仰」の役割^^ / しまの 引用
No.816 2014/03/10(Mon) 12:19:39

お待たせしまして^^ゞ

「好きな相手に向かう怖れ」の克服における「意志」と「信仰」の役割

まず何の話をするのかというテーマ確認から書きますと、「好きな相手に向かう怖れ」克服における「意志」「信仰」役割、ということになりますね。なるべく具体事例も込みで^^。
一通り把握するためには例により本が一冊書けるほど視点多岐にわたるになりそうなので、ちょっとキーワードレベル整理しておきますと、

まず上記テーマ前段として把握しておきたいものとして、好きな相手に向かうこと「怖れ」あまり感じない心の状態感じる心の状態がある、ということになると思います。
●好きな相手に向かうことに「怖れ」をあまり感じない心の状態
・心の成熟・・・「自分から愛することができる」ようになるにつれて、そうした場面での「怖れ」減少する。まず相手から愛される必要があるという心の未熟状態であるほど、相手の拒否に出会うことの怖れ強くなる
・相手との絆と信頼・・・信頼が深まっていれば、その相手に向かうことの怖れ少なくなる
・性格的要因・・・性格的な、不安怖れ感じやすさ社交性vs人見知り引っ込みじあん傾向など

ここでは、上記要因何らかの不足傾向があり、
>好きであればあるほど、誰もが拒否される恐れを持ちます。
ということにもなる状況でのということになります。


「好きな相手に向かう怖れ」の克服への心の基盤

に、そうした「好きな相手に向かう怖れ」感じる心の状態で、何とかその「怖れ」克服して相手への行動ができるようになるための、心の基盤どんなものになるかという全体的な話があります。
この段階で、心の取り組みの立場によって言うことが違ってくると思いますが、ハイブリッド心理学としては、

・心の成長成熟への総合的な歩みにおいて、そうした「怖れ」も克服される

という考え沿ったものになります。
なぜなら、心の成長成熟とは、「愛に向かう能力の増大」のことを指しているからだ、なんて言葉もここで添えられるかと^^。これは『入門編下巻』なり『入門』なり、歩みの後半段階説明しているものでよく言っている話ということでリンクなどは省略^^。

で、そうした大きな視点からは、「好きな相手に向かう怖れ」克服への心の基盤というのは、
・「家」のつくり
喩えられるかと思います。
表面に見えるものから、表には見えないものへと、以下およそ5段階にて、「怖れ」克服基盤となり支えられる

1)家の内装外装・・相手の目に見える自分容姿外見言葉や行動の仕方性格的印象などが、相手にも好まれるものになってきているという自信。まとめて「個性的自信」とか呼べるかと。
2)家の基礎の作り・・「社会的自信」呼べるもの。社会における自分位置職業収入財産家族と友人知人その他人脈などといったものを材料に、総合的感じ取れるもの。
3)家の土台・・・「人間的自信」呼べるもの。自分思考法行動法への自信信頼自分人間性心の芯の状態についての自信感

ここまでは結構単純な話で、要はまず自身の成長の中で、人生で出会う「好きな相手」からなるべく拒否されないような人間にもなっていくことが、「拒否される怖れ」克服の基盤になるというになると思います。
単純ですね。「拒否される怖れ」克服は、まずは「拒否されないという安心安全」を築くことだと^^;

ハイブリッド心理学取り組み実践、特にその中でも外面軸「建設的行動法」側面は、そうしたものへと焦りやストレスなく合理的に向かうためのものですので、まずその学びと実践メインになると思います。
ごく素朴な話としても、まず「手痛い拒否にあう可能性のある下手な行動法」回避し、「手痛くない拒否」に済ませられる(^^;)ような相手へのアプローチ行動法ができるように、というのが基本中の基本となり、それをとして下ろし安全を確保し、最初勇気を出して、それから多少を数をこなせば(^^;)もうほとんどそうした「怖れ」そのものが行動への障害になることはなくなってくる、という流れになると思います。ちょっと俗っぽい(?^^;)結論になってごめんなさい^^;
まこれが「デートに誘う」というレベルでのになるかと^^。


「意志」と「信仰」の役割

一方「告白」というのは一段重い行動で、そこに「意志」「信仰」といったものの役割登場する、というになると思います。

4)家の土台の下の地盤・・・「意志」
「意志」は、「怖れ」も含めた「惑い」の全般克服への心の基盤だと言えると思います。
今回のテーマで言えば、「この人いいな♪」と感じた相手一時的な魅惑感や熱情に駆られてアプローチというのではなく、「自分はこの人を愛することに決めた」「何があってもこの人と生きていく」という揺らぎなさにおいて心に持つものであり、「惑い」捨て去られ「怖れ」減少します。
つまり「愛する意志」というものですね。それによって、相手に向かうことの「怖れ」減少する。場合により消え去るとも言えるかも知れません。

ただしこれはもう「好きな相手に向かう怖れの克服法として意志を持とう」というような発想のレベルで持てるものではなく、「自らの意志によって生きる」ことと「怖れの克服」の全般への取り組みに、そうした「愛する意志による怖れの克服」といった心の境地見えてくる、と理解するのが良いかと思います。
なお「ではどうすれば意志を持てるか」については、関連したブログ記事でもはっきりとは書かなかった感じですが、まずは「一貫した思考」持てるようになることがその第一歩かなと今は思う次第です。

僕個人の意見としては、「告白」というのは、そうした「愛する意志」を相手に伝えるというのが、心の成長形だと思います。それは、相手からの色良い返りがあまり期待できなくても、揺らぎないものになるということです。まあ恋の駆け引き権謀術数のように(^^;)行う「告白」もあるでしょうが、それはもうここでの話のテーマとは別のものということで^^。

5)さらにその下の岩盤・・・「信仰」
が前に買って住んだ千葉のマンション結構な物件で、基礎30m下の岩盤まで打ち込んでいるとの触れ込みでしたが、それに喩えられる、一番深い心の基盤になります。それが「信仰」呼べるものであろうと。
つまりそれは日常レベルの動揺で持ちこたえられるかを問うものではなく、マグニチュード9の大地震が直下で起きたような時に、それによって最後に自分を支えられるか問われるものとしてあるものだということです

「信仰」とは、「怖れの克服のために最後に頼りにするものへの情緒」などと定義できるものです。つまり「この怖れはこれで乗り越えられる」と、合理的か否かは別として考えられるもの一切消失してしまう、何かの破綻破滅状態において、それでも支えとなるものを持つという情緒です。

実際そうした「信仰の情緒」が、好きな相手に向かう行動での「怖れ」克服場面として前面に登場するというのは、極めて稀なことだと思います。
つまりそれは、もはや「怖れ」を克服するという場面というものではなく、実際精神的破綻破滅状態直面した場面で、最後にそれを乗り越えるという場面のものになるかと。
それだけ、その「愛」その人にとって人生全てをかけるような重みがある場合ということになるでしょう。そしてそれが、実際思いの通りにはいかず、精神的な破綻破滅状態に直面する。そこに、それを乗り越える「信仰」のようなものが登場する。
グログでも若干触れていますが、ドストエフスキー『罪と罰』などは、そうしたもの主題の一つとしているのではないかと。


島野自身の「信仰による乗り越え」体験

具体事例としては、僕自身人生で一度だけ、そうした体験を持っています。社会人としての自信と、自らの成長への自信足場に、『悲しみの彼方への旅』で書いたような顛末を経て再び会うようになり、その後離婚をした初恋女性に、プロポーズ的な告白をしたことです。まメ−ルでしたけどね。
にとって初恋女性結局人生を通して生涯愛し続けるただ一人の相手になっており、その告白うまくいかず彼女とのつながりが絶たれることは、僕にとって一つの精神的破綻になることの怖れ十分あったのですが、それまでの成長の歩みからして、その行動をしないことはもう考えられなかった。で実際そうして、その時いい結果をもたらさず実際僕の中に一つの精神的破綻起きたわけです。そこから僕の中で、精神的破綻を起こした心と、それをただ静かに見つめるもう一つの心並存する時間が流れ、やがて精神的破綻を起こした心ぱったりと消え意識の全てが一度「無」に帰し、それから新しい自分として生き始める、という流れ経たわけです。ちなみのその人とはそれから長い時間を経て再びつながりを保つようになっており、まあ現在進行形の話でもありますね。

細かい経緯はさておき、そうした「精神的破綻」怖れ自ら向かうような行動の中で僕を支えたのが、「未知への信仰」感情だったわけです。
「望みに向かい続ける」ことの先に、「未知」への成長がある、ということを堅く信じる気持ちによって、はそれを乗り越えたわけです。それ以外にはもう何も頼りにするものはなかったという経緯

これはもうかなり特殊事例になると思いますが、心の闇の最も深い部分最終的に克服されるのはこうした流れのようで、その体験を持ったからこそ、その底にある心の仕組み、そしてそれを踏まえ心の成長への歩み方を伝えるハイブリッド心理学書くようになったという次第です。
僕自身のこの体験の流れ全体書こうとしているのが、まずは今後始める『島野日記ブログ』という次第(前宣伝^^)


基本的考え方のまとめ

ということで、一般的には「デートに誘う」「告白をする」といった行動における「怖れの克服」は、まずはしっかりと建設的行動法などの習熟による「社会的自信」基本になると思います。それも結局、「社会行動」の一つですので。
そしてそうした人生体験積む中で、心が成熟してきた頃に、「愛する意志」というのがだんだん分かってくる。ここでまずそうした行動テーマにおける「怖れ」克服ゴール考えていいと思います。

そこまでに、かなりの人生の歳月要すると思います。僕のケースでも、「勇気を出してデートに誘う」といった段階(20代後半)から、「愛する意志」が見えて、人生で重要な「告白」の体験(40代初め頃)をするまでに、ざっと10年強の歳月を経ています。まこれは多少間延びだったかも知れませんが^^ゞ

「信仰」がそうした行動場面意識の前面において問題になることは、一般的なものではないと考えていいと思います。
一方で、「信仰」情緒持ち方は、そうした行動テーマにおける成長の全体関わっていると思います。たとえば「お金信仰」「他人依存信仰」といったものである場合は、前者そもそも「愛」と似て非なるものに向かう、後者自分から行動することへの怖れ基本的に克服できないまま、という流れ考えられるなど。
だから、「信仰」あり方根本を支配しているというですね。見えないままにです。

そうとして、「デートに誘う」といった最初の段階における場面場面における意識上の話としては、「意志」と「信仰」以前の、「社会的自信」獲得そして「手痛くない拒否におさめられる」行動法といったものが、もう9割5分いや9割9分くらい(どっちでもいい?^^;)になると思います^^;
「取り組み実践」としては、このテーマだけに関わらず、建設的行動法幅広く学び実践するで、「意志」「信仰」といったものも自ずと培われるというのがハイブリッド心理学の考えです^^。

とりあえずすぐ書ける具体的話も入れた説明として、まずはざっとこんな話になります^^。




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