しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


新規トピック入力フォームへ 記事検索 過去ログ記事サイトトップの検索の方でヒットします^^) 

暴漢に襲われた友人 / コジマ 引用
No.765 2014/01/22(Wed) 22:40:06

数日前に友人が暴漢に襲われました。駅のホームで偶然目が合ったと言う理由で問答無用に殴られたみたいなんです。友人は鼻を折られる重傷を負ってしまいました・・・。友人は、もう二度とこんな目には合いたくない!何か良い自衛方法があれば教えてくれ!と相談されました。私なりに自衛方法は考えてはあるのですが、もし、島野さんだったらどのような自衛方法を取るのか知りたくなりました、友人にアドバイスを伝えるさいに参考にしたいのでご回答頂けたら幸いです(m_m)ちなみに細かい状況を言いますと、時刻は午前10時でして友人が電車から降りる時に乗るのを待っていた人間に暴力を振るわれたとの事です。さっき目が合っただろ、調子乗ってんじゃねぇよ、殺すぞと言われた後、胸ぐらを掴まれ顔面を思いっきり殴られたとの事です。ちなみに、友人の年齢は35の男性で、加害者は20代の男性です。


 
「事故に遭わないための姿勢と技術」^^ / しまの 引用
No.772 2014/01/28(Tue) 17:46:06

これは一言でいえば、「交通事故に遭わないための運転姿勢と運転技術の全て」といったになると思います^^。
過度なスピード控える一方、流れに合わせられるということも重要になってきます。急発進急停止、急な路線変更など「乱暴な運転」を避ける。信号進む場合も、交差する道路から車が突っ込んでこないことを確認してから進む路肩の車路地の陰から、人が飛び出してくる可能性を考える。狭い道すれ違う場合は、相手に譲ることを基本とする。譲られたお礼の動作をする。など、とにかく手合い頭相手に不快な思いをさせないよう気を配る。などなど。

それらに匹敵する気配りを、電車においてはするということになると思います。まあ雑踏の中一般で言えることになりますね。

なら、まず人に絡みそうな人間察知したら極力距離を取るように・・というのは書いて頂いた状況には当てはまらないかもですね。
相手ごく見分けのつかない人々として、まず人と目は合わないようにしますね。人の顔は、基本正面から見るものではない。(攻撃されるので猿と目を合わさないようにという話と基本同じ。アハハ・・^^;)
電車から降りる時であれば、まずホームの地面を見てしっかり足を下ろすと思います。自然に行動していれば基本目は合わず、さらに、目が合うのはあまり好ましいことではないと思っていますので自然に行動する以上に目が合わないと思います。
また、電車乗り降りなど雑踏を通る時は、極力穏やかな表情で、そこにいる人達には何の意識も持っていないことを表情で示すようにします。全く関係ない理由で苦い表情をして人ごみとすれ違うと、どこで「何か文句あるのか!」と因縁つけられるとも限らない^^;

外面行動法としては、ざっと書くとそんな感じ^^。
あとは内面感情としても、基本的人へのトゲトゲしい気分は持たず、誰に対しても穏やかな親しみ感を持てるようになっている結果、そうした外面行動法べつに神経を使うものではなく、穏やかな内面感情をそのままうまく外部にも向けるという、ストレスないものにできている次第です。これは心の成長全体歩みの話になりますね。

ということで、まあ内面感情の要件なんてことはさておき、「交通事故に遭わないための運転姿勢と運転技術の全て」という例え話で考えて頂くので良いかと。
もちろん「自衛しようのない事故」という災難もあるのは交通事故同じでしょうが、そうした姿勢と技術持つと持たないとでは、話が大分違ってくると思いますので^^。


 
Re: 暴漢に襲われた友人 / コジマ 引用
No.774 2014/01/28(Tue) 18:28:26

ご回答して頂きありがとうございます!非常に参考になりました^^以上の内容を参考にしたアドバイスを友人に伝えようと思います^-^



対象について / ピヨ 引用
No.761 2014/01/11(Sat) 19:20:05


 島野さんの本の中で。

「本当に愛するもの」とは、命の重みにおいて愛する、生涯で出会うただ一人の人物のような相手を指す。ただその相手に近づくことを願う「魂の愛への望みの感情」。

『悲しみの彼方への旅』で描写した私の心の激変も、「あの下級生を見ることの輝きを知る、等々。
 
 これまで、愛する気持ちの対象になったきっかけで、生涯で出会う人物とは、島野さんの本の中では、下級生ということでしょうか。本の内容が、膨大なこともあり読み込めていないのですが、再認識して内容を深めたいと考えました。


 
/ ピヨ 引用
No.764 2014/01/19(Sun) 08:19:15

 ここ最近、夢を見るようになりました。熟睡している時は、夢は見ないと言われています。心当たりは、最近早めに就寝して時間の余裕があること。もうひとつは、ハイブリッツド心理学の実践をして脳が変わっている最中だからなのかと感じています。

 脳が変化していった時は、島野さんは夢などは見る日が多かったでしょうか。それとも、熟睡でしたでしょうか。


 
「生涯で出会う相手」「夢」^^ / しまの 引用
No.771 2014/01/28(Tue) 16:39:36

先日ブログ状況報告の通りお待たせしました^^。

「生涯で出会う相手」

>命の重みにおいて愛する、生涯で出会うただ一人の人物のような相手

『実践詳説』「序章 / 人間の真実」で言っている、「心の成長の山の頂きに向かう尾根にある2つの峰」のうちの一つですね^^。(P.30人間の真実

重要なのは、「愛」「欲」違いしっかりと見据えることで、すると本当の「愛」というのはそう相手無差別に乱発(^^;)できるものではなく、相手が限られてくる、という話。「欲」はいくらでも相手無差別に発情し得(^^;)ますね^^;
以前『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20などでも言った^^。

そうして限られてくる、本当に愛する相手に向かうという、人生の宿題があるという^^。

>これまで、愛する気持ちの対象になったきっかけで、生涯で出会う人物とは、島野さんの本の中では、下級生ということでしょうか。

『悲しみの彼方への旅』で書いた大学時代では、そうだったということになると思います。
ただその頃心を病んでいた傾向があまりに妨げになっており、その「下級生の子」への思いも、「現実」の中の感情というより「空想」の中の感情だった感じですね。
それでも「本当に愛する感情」呼び覚ましてくれた、他に変えられない出会いだったということになります。

その後の、健康な心回復した僕の人生において、一番の役割を果たした「生涯で出会う相手」は、他の執筆の中で多少(ごく短くバラバラに^^;)触れていますが、結局初恋女性になっている次第です。これはいずれ『日記ブログ』で、僕の心の歩み全体の流れとして書いていく予定です^^。


「夢」

>ここ最近、夢を見るようになりました。熟睡している時は、夢は見ないと言われています。心当たりは、最近早めに就寝して時間の余裕があること。もうひとつは、ハイブリッツド心理学の実践をして脳が変わっている最中だからなのかと感じています。

まさにそうだと思いますね^^。
「夢」については、
『実践詳説』「終章 「真の望み」への道 / 「純粋な愛への望み」の感情は「自分」と「現実」を超えたものへ」で、
それはおうおうにして、心の変化を先取りするようなものとして現われる
と書いた通り。
P.251「純粋な愛への望み」の感情は「自分」と「現実」を超えたものへ

ですので、印象的な夢日記など書いておくと、後から読み返して、心の変化流れ実に絶妙な前後関係があるのが感じられて面白いと思います一つの立派な執筆作品になる感じ^^)

>脳が変化していった時は、島野さんは夢などは見る日が多かったでしょうか。それとも、熟睡でしたでしょうか。

比較的浅い睡眠の傾向のせいか、ちょーをよく見ます。ま脳が変化するというほどのだけでなくても、僕の今までの人生心の変化が絶えることがなかったこともあり。
この辺『実践詳説』の上記部分書いていますので^^。「夢」僕にとって「もう一つの人生」だったと感じられるほどだった、と。
でも(まだ心が変化中?^^)よく、印象的な夢を見ます。しばしば、まるで映画のような芝居がかったストーリーの夢を見て、自分でも感心している感じです。これも今後『日記ブログ』などで紹介していければと^^。


 
Re: 対象について / ピヨ 引用
No.773 2014/01/28(Tue) 18:12:43

「本当に愛する感情」を呼び覚ましてくれた、他に変えられない出会いだったということになること。

 その後の、健康な心を回復した僕の人生において、一番の役割を果たした「生涯で出会う相手」は、結局初恋女性になっている次第ですとのこと。

 が分かりました。いずれ『日記ブログ』で、僕の心の歩みの全体の流れとして書いていく予定ですとのこと。
 
 ぜひ、読みたいです。

「夢」

 心当たりは、最近早めに就寝して時間の余裕があること。もうひとつは、ハイブリッツド心理学の実践をして脳が変わっている最中だからなのかと感じています。

まさにそうだと思いますねとは、うれしく感じています。

『実践詳説』の「終章 「真の望み」への道 / 「純粋な愛への望み」の感情は「自分」と「現実」を超えたものへ」で
それはおうおうにして、心の変化を先取りするようなものとして現われる

 印象的な夢は日記などに書いておくと、後から読み返して、心の変化の流れと実に絶妙な前後関係があるのが感じられて面白いと思いますとのこと。

 睡眠をよく取るようにしていること、夢をみることは楽しみです。

 今後『日記ブログ』などで紹介も、ぜひ読みたいです。

 ご意見を聞くことができて、良かったです。ありがとうございました。



No.745つづき / にーな 引用
No.759 2014/01/08(Wed) 14:27:23

島野さん

明けましておめでとうございます。
前回の続きですが、長くなりましたので新規で立てさせていただきます。

>「楽しみ」を共有するというプラス行動は「建設的対人行動法」となり、それ以外の、与えられた問題課題の達成や、マイナスの状況への対処は、全て、基本は「原理原則行動法」になるということです。これで、内面の「怒り」「怖れ」などのマイナス感情は、行動の原動力として役目を持たなくなります。

「喜び楽しみ」とうものは内面で感じることかと思います。そのため、現時点の自分にとって、マイナス感情に巻き込まれない行動・原理原則を識別・選択するのに多少の困難(混乱?)を感じる時があります。というのは、マイナス感情を解消すること(時として破壊行動)が、「自分の幸福に向かうもの」と意識が錯覚を起こしている状態ではないかと思います。島野さんの回答を受けても、自分の気持ちが楽しい・スッキリすることをすること、もしくは反対に自分を抑えることが、瞬間的なマイナス感情の軽減はあっても、必ずしも「建設的対人行動法」とは言えないことがわかります。そのため、取り組むべき行動は常に外側にあり、内面感情はただ流し見つめるのだということも理解できます。現時点では、マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう(もしくは原理原則に従おう)として身動きできなくなる(何が建設的行動、原理原則かわからない)ことがあるのですが、その辺りアドバイスいただけますか?


>ですのでその場面についてはむしろ、なんでそういうメンバー構成で会うことにしたのか
>「自分はこれこれを意図して、こうなればいいと思って言った」というのを明確にすることで


前回と今回のエピソードにおいて、「自分はこれこれを意図して、こうなればいい」という自分の中での問いかけが無く行動を取っていた、ということがやっと腑に落ちました。自衛・建設が大事なのですね。
ひとつ質問ですが、「あるべき姿からの否定感情」と「ただいじけてしまった気分」の違いがわかりません。もっと話すべきと強く感じたのなら否定感情となり、話すべきという気持ちはあまりなくただ不安になっただけならいじけたということでしょうか?
また、「あるべき姿からの否定感情」というのは原理原則がないところには発生しないともいえるのでしょうか?


最後にもうひとつ。すみません、前回の質問の繰り返しになりますが、この状況で原理原則といえるものはないというのはわかりました。「感情と行動の分離」ということでは、自分の行動と気持ちの処理は妥当であったでしょうか?

(抜粋) --この日私が取った行動は、わからない話題であれば「私は知らないなぁ」と正直に言って聞き役にまわり、卑屈感で内面的動揺が起きた時は、席を外してトイレに行くことで気持ちをリセットしました。」--


 
追記です / にーな 引用
No.762 2014/01/12(Sun) 08:37:35

「瞬間的なマイナス感情の軽減」と書きましたが、違うかもと思いましたので追記です。
マイナス感情を解消するために破壊行動に出た場合、むしろマイナス感情は強まると感じました。先のマイナス感情が新たなマイナス感情に置き換わる、もしくはその重ね合わせのようなことが起きているように思いました。だから、破壊行動は何の解決にもならないんですね。

もうひとつ質問ですが、「自分を抑えること」は自分自身へ対する破壊行動と言えるのでしょうか?


 
「長い目での幸福」への「論理的目的思考」で「建設的行動」^^ / しまの 引用
No.770 2014/01/28(Tue) 11:50:56

先日ブログ状況報告の通り遅くなりましたが、あけましておめでとうございます^^。

まずご質問全体への考え方キーワードなど説明しますと、

「建設的」であるとは、行動の基本様式3種類
「建設」 ・・・ 望ましいものに囲まれる生活基盤を自ら築く
「自衛」 ・・・ 望ましくないものに出会わないよう自分から先回りして避ける
「破壊」 ・・・ 望ましくないものを破壊攻撃して消滅させる
というものにおける「建設」を、自分の人生を生きるための行動法基本にする、ということです。

そこで「望ましいもの」とは、「長い目での幸福」のために、というのがミソになります。目先の気分や感情の良し悪しで考えるのではなく、さまざまな行動法によって、「現実」においてどんな「結果」訪れるのかを「長い目」見通す感情で考えるのではない論理的思考重要になります。
「長い目での幸福」根本目的と位置づけた「目的思考」として、どんな行動を取るとどんな結果になるという「論理的思考」を働かせて判断するものとして、「望ましいもの」自ら向かい生み出すという行動法です。

一言で、「長い目での幸福」への「論理的目的思考」によって「建設的行動法」可能になる、ということです^^。

ということで、

>現時点では、マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう(もしくは原理原則に従おう)として身動きできなくなる(何が建設的行動、原理原則かわからない)ことがあるのですが、その辺りアドバイスいただけますか?

「マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう」という流れだと、「建設的行動法」問題というよりも、「どうやりすごすか」の問題になってしまうように感じます。
建設的行動は、マイナス感情が流れたから、それへの対処、というものとして行うのではなく、何かの問題課題や望みについて、行動法を問うものとして考えることができます。
ですので、流れたマイナス感情については内面感情としては「流す」として、外面行動としては、マイナス感情うんぬんではなく、置かれた状況の客観的把握などから問題課題を考え、それに対して「長い目での幸福」のためにはどんな行動が最善の結果を生み出すかという思考に、考える姿勢切り替えることが重要です。
まずはこれでアドバイスになりますかどうか^^。

>「あるべき姿からの否定感情」と「ただいじけてしまった気分」の違いがわかりません。

一言でいえば、「あるべき姿からの否定感情」「怒り」であり、「ただいじけてしまった気分」「悲しみ」だという違いです。
「悲しみ」である「いじけた気分」については、まずは「ただ流す」ので良い。それが「現実を受け入れる」という姿勢と共にあるのであれば、成長への長い道のり通過点としてよくあるものです。
す。
「怒り」である「あるべき姿からの否定感情」は、価値観と行動法を見直す取り組みお勧めになります。まあハイブリッド心理学取り組み実践全体になってきますね。
この違いです。よろしいでしょうか^^。
実際どっちだったのかは、

>もっと話すべきと強く感じたのなら否定感情となり、話すべきという気持ちはあまりなくただ不安になっただけならいじけたということでしょうか?

ということでいいと思います^^。

>また、「あるべき姿からの否定感情」というのは原理原則がないところには発生しないともいえるのでしょうか?

「あるべき姿からの否定感情」内面感情であり、「原理原則」というのは、人と人の間、そして社会での行動法ルールとして、最終的に正しいものとされ勝てるものというようなです。
ですのでとして一応別テーマになると思います。
まあどんな状況でも自分勝手な論理「あるべき姿からの否定感情」抱く人はいますね^^; それを、「怒り」頼ることのない、「原理原則」による行動法変えることが取り組みになるという次第です。

>この状況で原理原則といえるものはないというのはわかりました。「感情と行動の分離」ということでは、自分の行動と気持ちの処理は妥当であったでしょうか? (抜粋)
--この日私が取った行動は、わからない話題であれば「私は知らないなぁ」と正直に言って聞き役にまわり、卑屈感で内面的動揺が起きた時は、席を外してトイレに行くことで気持ちをリセットしました。」--


これは上述の通り、もう「建設的行動法」問う段階というより、「やりすごし方」の話の段階になる感じですね^^;
その場面それでいいと思います。そうした体験を踏まえ、今後どんな相手とどんな会い方をするかについての自分の考え方を築いていくことが、重要になるかと^^。

>もうひとつ質問ですが、「自分を抑えること」は自分自身へ対する破壊行動と言えるのでしょうか?

まず言葉の話として、「抑える」「破壊」ではないですね。
「破壊」「壊す」という行為行うもの。「抑える」何かの行為しないでいること。
「抑える」ことが自分にとって長い目で「破壊」になることはないか、という設問は考えられますが、具体的問題で考えた方が話は早い(^^;)と思います。
多分いろんな例をあげても、「自分を抑える」ことが「破壊」とまでなることはないと思いますが、「抑える」だけ成長できるものでもないので、これも上述の通り、置かれた状況の客観的把握などから問題課題を考え、それに対して「長い目での幸福」のためにはどんな行動が最善の結果を生み出すかという思考だとどうなるか、ということになると思います^^。

とりあえず理屈の考え方はそんな感じで、より正確にはやはり具体的材料考えるのが良いと思いますので、考えたい材料などあれば何でもトピックで入れて頂ければ^^。



自分が神になろうとすることについて / green 引用
No.751 2013/12/24(Tue) 22:16:40

自分が神になろうとすることについて、質問があります。このときの神とはどのような神で、またどのような心の姿勢が神のような姿に対応しているのでしょうか。依存の願望が満たされないことにより現実を否定して、空想の中に逃げ込み、空想の中で願望が満たされる世界を創造し、その空想の世界の規律を作ることで世界を支配しそして、理想と違う現実を破壊しようとする様子が神の姿に似ているのかと思いましたがいかがでしょうか。このときの神とは世界を創造し支配しまた破壊する神ではないかと思いました。現実を無視した空想の中で人は神のように振る舞えるのかなと思いました。


 
Re: 自分が神になろうとすることについて / しまの 引用
No.753 2013/12/28(Sat) 10:13:30

そうですね、まずはそうした理解グーだと思います^^。
もちろん「それでは駄目だ」では「否定価値」焼き直しになってしまいますので、それとは違う心の世界を、いかに見出し築くかになりますね。

取り組み実践としては、
1)日常生活と人生の場面での建設的な思考法行動法に取り組み、それが十分に体得されてくることで、
2)「自分が神になろうとする衝動」が、いかに変幻自在な形で自分の思考と感情に働いているか自覚する
という、大きく2段階になります。
それが
『入門 - 3.取り組み実践』
「「学び」の主要テーマ - 6.「否定価値の放棄」の根本的選択
で、
==========
具体的な思考法行動法において「建設」へと向かい、「強さ」を得ることで外堀を埋めるような形で、心の奥底にあるこの衝動に気づき、捨て去る
==========

というものになります^^。

それによって見出される別の心の世界とは、一言でいえば、
「全ての命が、命のままに生きる世界」とでも言えるかと^^。


 
Re: 自分が神になろうとすることについて / green 引用
No.757 2014/01/05(Sun) 21:29:39

他人に否定されることをとても恐れているのですが、これは自分の持っている否定価値の他人への投影なのでしょうか?自分が神になろうとする衝動の他人への投影として他人を神にしようとする衝動みたいなものはないでしょうか?


 
「人に否定される怖れ」の克服^^ / しまの 引用
No.760 2014/01/08(Wed) 16:43:12

「人に否定されることへの怖れ」克服は、まずは「自分の考えを持つ」といったになりますね。

人に否定されたとして、「では自分ではどう考えるのか」重要ですね。相手の言う通り自分に問題がある自分でも考えるのであれば、その改善向上に取り組めばいい。相手の言うことを真に受ける必要はないと考えるのであれば、うまく受け流す行動法を取れればいいというになりますね。
そのように、相手がどう自分を否定するとしても、自分の考えで対処できるようになることで、「人に否定されることへの怖れ」自然と減少していくと思います。

に、「自分の考え」というものを持てず、相手の言いなりになるような姿勢の時、当然「人に否定されることへの怖れ」増幅されるという話になると思います。
その時

>自分の持っている否定価値の他人への投影なのでしょうか?自分が神になろうとする衝動の他人への投影として他人を神にしようとする衝動みたいなものはないでしょうか?

という心理メカニズム働くかも知れませんね。実は自分が神のように他人を否定したい衝動があり、他人が横暴な姿に見えてしまうということもあるかも知れません。
それを込みにしても、やまりまず「自分の考え」を持って、「自分の考えで行動する」ことができるようになることが第一歩です。それによって、そうした投影メカニズム左右されることなく、相手の言うことが妥当かどうかを判断できるようにもなりますので。

そうしてまず「自分の考えで行動できる」ようになって、前アドバイスのように
1)建設的行動法に取り組み、十分に習得できたら
2)自分が神になろうとする衝動の確認へ

という道順になります^^。

「自分の考えを持つ」ための実践は、ちょっと読むのが面倒かも(^^;)ですが、
『取り組み実践詳説』2章、3章あたり詳しく説明しています。
・「自分自身に対する論理的思考」(P.63、自分自身に対する論理的思考
・「現実を見る目」
(P.49、意識の素地 「現実を見る目」
などがになります。



体について / ジン 引用
No.754 2014/01/03(Fri) 18:24:53

 以前、島野さんのコメントから欲は減ってくるなどの話がありました。

人に移る感染症は、気をつけたいものなのですが、エイズなどの感染症が、日本でも増えています。予防するかどうかは個人の取り組みが大きいと考えられます。

生き方の選択は、それぞれでありますし感染することが無いのであれば、風俗店などからの感染などの課題とはしないのですが、今回テーマになりました。

感染と生き方について、島野さんはどうお考えでしょうか。


 
望む結果に応じた行動^^ / しまの 引用
No.755 2014/01/05(Sun) 09:40:46

「感染」について言えば、まずは「正しい医学的知識を持ち、自衛のための行動習慣や指針を持つ」ということになると思います。
まあたとえば一番代表的なのは、帰宅時手洗いとうがいをする習慣など。これは風邪やインフルエンザへの感染防止のための行動ですね。

「エイズ」「風俗店での感染」といった言葉から浮かぶのは、不特定相手の性交渉によってリスクの高まる感染というのがあるというだと思います。
これはまずは自分がそうしたリスクのある行動避けるというのに加えて、交際する相手選ぶ条件一つとして、そうした不特定相手の性交渉する(した)人間ではないことを考慮するといった行動指針が考えられますね。
もちろん、感染防止や、相手の人柄としてそれを重視するならば、です。そんなこと一切気にせず、あるいはそうした過去を克服した相手つき合いたいと考えるのも、人それぞれ生き方の自由ですね。

「感染」のみならず、望む結果に応じた行動ができることが重要です。ストーカー被害に遭いたくなければ、安易な出会いですぐ深いに関係を持つのは避けるなど。この点、去年三鷹で起きた、女優の卵の女子高生のストーカー殺人事件は、何であんな育ちの良さそうな女の子が、「facebookで知り合って交際」なんてことしたのか・・首を捻りましたが・・。

社会のどこにどんなリスクが潜むのかを知り、日ごろからの行動習慣の中に、それに対する自衛を盛り込むようにする。
これは「日常生活と社会生活の向上」基本一つと言えます^^。


 
Re: 感染について / ジン 引用
No.756 2014/01/05(Sun) 15:34:13

 選択は、それぞれの生き方の自由があると私も思います。

 人々に対して、安易な気持ちで、リスクを背負うことが無いような選択ができるとよいなあと考えています。

 ただ、風俗店だけではなく、それぞれの良さや魅力がある所でもあるとも感じるため、何に魅力を感じ、またリスクをどう考えているのかになるのかとも思いました。

 コメントありがとうございました。

 今後も、自分の中でのテーマにしていきたい内容でした。




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