しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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初めまして、悩んでおります / みゅみゅ 引用
No.641 2013/10/04(Fri) 22:09:46

はじめまして。22歳、大学生です。
大学生になってから対人関係や自分の考え方について悩みが出てきたので相談させていただきたいと思います。
親に屈託なく接することが出来ません。大学に入った頃から親に悩み事や自分のやりたいことを素直に言えなくなってしまいました。自分のやりたいと言ったことにそれは無駄だ、もっと大学生としてやっておくべきことがある、などと言う親に萎縮して結局は自分のやりたいことは親に隠れてやったり我慢してしまいます。親が自分のことをどう見ているかが不安で、自分のダメな面をさらけ出すことができません。
また、人を自分のことを好きになってくれるかどうかで見てしまいます。自分に対して好意を抱いてくれそうな人には自然に惹かれますしそうでさそうな人とは距離を取ろうと思ってしまいます。なのでもし人を好きだと思ったとして、それが本当に親愛の情なのか好意につられているだけなのかわかりません。
そして何をするにも承認欲求を抱いてしまいます。正直な話、自分に対する贔屓の目を抜いてみても自分より劣っていると思われる他人が自分よりもちやほやされているのを見ると不快になり、自分より優れているものを持った人の自分より劣っている点を探さずにはいられません。
こんな感情を制御して親とも他人とも正常な関係を築くことが出来るようになるのか、そうなるためにはどうすれば良いのか悩んでおります。
お忙しい中とは存じ上げますが、何かアドバイスをいただければ幸いです。


 
「自分の成長」という観点からまず何が問題課題かから考える^^ / しまの 引用
No.648 2013/10/09(Wed) 17:46:58

まずはごく入門的アドバイスをしますと、

まずは何が問題であり課題か、から考えよ。自分の成長という観点から。

ということになると思います。
そこで「成長」とは、「自らによって幸福になれる能力の増大」を言います。これは『入門編上巻』で言った話^^(P.45)
必ずしも親にとっていい子であることが「成長」ではないですね^^。場合によってはその逆「成長」だったりします。

そうした「成長」向かうための重要な心のテーマ「愛」と「自尊心」があり、ハイブリッド心理学では、「愛」「分かり合い認め合うこと」ではなく「喜びと楽しみの共有」位置づける姿勢、そして「自尊心」「人に優越し打ち負かす」ことによってではなく「現実において生み出す」ことによって培い築く姿勢で、自身「望み」に向かって全てを尽くして生きることで、そうした「成長」へと向かうことができる。これがハイブリッド心理学考え方です。

そのために私たち自身が実践することとして、「動揺する感情を克服したいのだから、まず感情を鵜呑みにして考えない」という自明の指針の上に、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」と呼ぶ基本姿勢と、その上での外面のさまざまな行動法と、内面感情への自己分析などを行うのが、ハイブリッド心理学「取り組み実践」になります。

そうしたことを踏まえて、そもそも何が問題であり課題か、から考えるという話になります^^。
それでまずはこうなるというアドバイスなど書いてみますと、

>親に屈託なく接することが出来ません。

そもそも「親」というのは大抵、屈託なく接することができるような相手ではありません。大抵子供に自分の考えの枠を押しつけようとする、成長を妨害しがちな存在というのがというものです^^;
ですので、親に接する望ましい姿勢とは、「屈託なく接する」なんてものではなく、「十分に作戦を練って接する」というのが望ましいものになると思います。

>親が自分のことをどう見ているかが不安で、自分のダメな面をさらけ出すことができません。

必ずしもさらけ出す必要などありません。
親との関係において何を生み出すか目的ありきの問題になりますね。「ダメ面」な面がたとえば何かの病気になってしまい高額な治療費が必要親の援助を得たいということであれば、それをさらけ出すのは有益なことでしょう。
親との関係において何を生み出したいのか、から考えてみて頂ければ^^。

>自分に対して好意を抱いてくれそうな人には自然に惹かれますしそうでさそうな人とは距離を取ろうと思ってしまいます。

これは自然なことであり問題ではないと思いますヨ^^。僕だって友人にするのは僕を好いてくれる人です。僕を嫌いな人とわざわざつき合おうなんて思いません^^。

>そして何をするにも承認欲求を抱いてしまいます。正直な話、自分に対する贔屓の目を抜いてみても自分より劣っていると思われる他人が自分よりもちやほやされているのを見ると不快になり、自分より優れているものを持った人の自分より劣っている点を探さずにはいられません。こんな感情を制御して親とも他人とも正常な関係を築くことが出来るようになるのか、そうなるためにはどうすれば良いのか悩んでおります。

それが今の未熟な心だとして、これからどのように心の成長に向かうかだと思います^^。
上述「愛」「自尊心」というテーマでもあり、まずは自分の価値観を確認することからになると思います。
人生を通して歩む成長であり、ここで「こうすればいいですヨ」と付け焼刃なアドバイスで済むことではなく、「愛」「自尊心」というテーマへの自分の考え方、そして日常での思考法行動法全て、そして「日常生活と社会生活の向上」といった人生の全般的テーマに、どう向かうか。それらの全てが、人との関係のあり方結実しましす。

ですので、「生涯の学び」として、手ごろそうなもの(『ブログ書籍No.1ハイブリッド人生心理学の紹介』あたりがいいかも^^)から、継続的な読書をすると共に、具体的な場面「この場合はどう考えれば?」という実践的な取り組みを、今後検討されると良いと思います。
具体的な思考法行動法については、まだまだ情報が散らばっており「まずこれを読んでみて♪」と言えるものがない点ご不便かと思いますが、もうじきしたら『メール相談事例集』など掲載開始予定ですので^^。

具体的場面での思考法行動法については、差しさわりのない範囲具体的内容を書いて投稿頂ければ、懇切にアドバイス返していきますので^^。



はじめまして。相談があります。 / ようすけ 引用
No.625 2013/09/22(Sun) 12:55:27

現在会社を休職中の26歳です。原因は就職前に少し時間ができたので新しいバイトをしたのですが、そこで解離性障害の一種の離人症となりました。燃え尽き症候群とも言われました。
小学校6年で転校をし、そこでうまく馴染めず自分を抑圧してきました。しかし勉強やスポーツに秀でてたため、それで受け入れられるようになりました。そのため、能力向上ばかりに自分の思考が向きました。ある一定の組織の中で上に行くことばかり考えるようになりました。
大学でも同様の価値観で進み、人を上下でわけるようになりました。しかし、知り合いや後輩も増えていき、そんな自分は隠してきました。しかし、やはり下に見ている人間に自分に危害を加えられると(ひやかし等)全力で殴ってしまいたい衝動にかられるので、笑ってごまかす日々が続きました。   
大学も終わりにさしかかったときに知り合いの元でバイトをすることになったのですが、元々以前のバイトではよく仕事ができていたので、いい仕事をしてやろうと意気込んでました。
しかしいざ始めると、新人のため何もできず、周りの人間にも相手にされない現実がありました。急に自分が何者かわからなくなりました。さらに、その知り合いが、自分が下に見ていて危害を加えてくる人間と繋がっていたため、自分の弱い部分につけこまれる、そしてそうしたら自分を抑える自信がない!と、猛烈にストレスを感じ、始めに書いたような症状となってしまいました。

そのまま就職したのですが思考が働かず、現実感もなく体も限界にきて、半年前に休職しました。

まだ働くことのできる状態ではないので、自分の精神状態や体のことを考えて退社しようと考えてます。また、まだ決めかねているのですが、学生時からギターの腕をプロの方にも買われていたので、ギターの講師、サポートミュージシャンをしたいなとも考えています。ギターを弾きながらも人と心で関われる人間になりたい望みがあるからです。しかしギターを弾くと、能力向上を考えてしまい人と心で関われない自分がでてきてしまい、葛藤してしまいます。また、会社をこんなすぐやめる自分を許せないので、ギターを弾くにも、それを取り返すために結果重視になって自分を苦しめてしまうのではないかとも考えます。
他人の目や承認欲求や自分に振り回されてしまいます。



長文且つわかりにくい文章ですいませんが、子供の頃から続く心の状態の整理、これからの自分のもっていきかた等についてアドバイス頂ければ幸いです。


 
まず「社会」について正しく学ぶ^^ / しまの 引用
No.635 2013/10/01(Tue) 11:01:37

起きている問題理解から克服までの視点をざっと^^。


「解離性障害」「離人症」

まず、「解離性障害」「離人症」は、自らの心の動きが自らの許容範囲を超えてしまい、心が心自身を切り離すことによって平穏化を計ろうとする心の防衛機能が働いた状態、などと理解できると思います。まあがいったん自分自身を断絶状態にしたもの。
その結果
>急に自分が何者かわからなくなりました。
といった異常感覚起きるものであろうと。

そうして自らの許容範囲を超えてしまう心の動き材料になるものとしては、まずは「怒り」「絶望」「恐怖」などが考えられ、あとはそれに対する本人の姿勢における「矛盾」「葛藤」が、そうした「解離」「離人」引き起こす背景になると考えられる、という話になると思います。
まあたとえばでは平和論怒り、そしてあいそ笑い、といった矛盾が、もう心の平常機能の許容範囲を超えてしまう、という状態
ですから、その治癒克服は、
・悪感情の克服
・自己矛盾の克服

という2つの観点から、まずは取り組むのがよろしい、というになると思います。


心の問題の根源と克服

そうした取り組みのために、そこでの「悪感情」「自己矛盾」といった問題が、さまざまな「心の障害」「心の病」症状引き起こすほど深刻化する、根源的な原因と、その克服についての大きな視野を持つことが大きな助けになると言えます。
この場を借りて、そうした心の問題の根源と克服についてのハイブリッド心理学の考えを、最新の平易な言葉で書いてみようかと。
(サイトの新しい『ハイブリッド人生心理学とは』ページの内容下書きがてら^^ゞ)

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根源
その根源とは、やはり「幼少期からの自己否定感情と孤独」というようなものであるように感じます。
それを心の底に抱えたまま、「どう人に見られる人間か=自分」という、誰もが足をとられがちな心の轍足を取られるのと、「幼少期からの自己否定感情と孤独」という妨げによって、人生の原動力となる「望み」が、の中閉ざされたり、またはすさんだものへと歪んでしまうことが合わさって、人との関係が、心の中で、悪感情の動揺に満ちたものへと向かってしまうのです。

克服
克服は、「どう人に見られる人間か=自分」という万人の心の轍からも抜け出るような、自分から前へと進む建設的な人生の生き方を学び実践して歩む道のりが、そうした心の問題を深く抱えたケースにおいても、自ずと生み出すものと言えます。
それについてのハイブリッド心理学から答えは、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみを行う」という「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、「望み」に向き合い、全てを尽くして「望み」に向かう人生の歩みが、心の成長と治癒と豊かさの全てを生み出す、というものになります。

歩みの道のり
歩みの道のりは、「感情と行動の分離」姿勢実践によって、さまざまな悪感情への対処を学び、その軽減図りながら、日常生活と社会生活の向上への前進へと歩み、さらにそれを足場にして、自分本当の「望み」への向き合いへと向かう、というものになります。

「魂」と「命」のゴール
「本当の望み」が、「本当の自分」です。その中でさらに最も惑いのない「望み」の感情を、「真の望み」と呼んでいます。
外面における建設的行動法と、内面への深い自己分析に、「真の望み」に近づいた時、私たちのに、「自分」という惑い完全に消え去り、「自分」を超えるような「望み」の感情体験されます。
それをハイブリッド心理学では「魂」の望みの感情と呼んでいます。
それとの向き合いは、私たちのに、「現実の世界」「魂の世界」という、2つの心の世界生み出します。そしてその2つの世界への向き合いによって、やがて「永遠の命の感性」体得することで、私たちは「揺らぎない自尊心によって支えられ、愛によって満たされ、もはや何も恐れるもののない心」 という、心の成熟ゴールへと向かうのです。
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まず「社会」について正しく学ぶ

ということで、ようすけさんの場合、まずは上記「歩みの道のり」で書いている「社会生活の向上」どうなるかというのがポイントになるかと^^。
それを一言でいうなら、こう言えると思います。

まずは「社会」について正しく学べ。自分の心に向き合うのはその後でいい、と。
関連テーマとしては、まずは以下3つ程度かと。

・社会における人間の「上下」
これについてはここ考え方簡潔に書いてみますと、
社会における人と人の関係は、決して「上下」という皮相なものではなく、「生み出す価値」に応じた「役割」にあるものです。組織で上に行くとは、何かの能力で人を打ち負かし勝利する結果などではなく、その組織生み出す「価値」への情熱と、それに向かって組織向上メンバー導きをすることへの「意志」によってです。
ですので、「人を上下に分ける」といった姿勢とても未熟で愚かなものであり、そうした衝動自分の湧く場合は、ハイブリッド心理学からは、その感情を心の中で押さえつけ振り消すような姿勢ではなく、以下のような「学び」を踏まえての精緻な自己分析を携えての向き合いをするのがお勧めになります。
まずは、その「上下」とはどんな基準における上下なのか、ですね。それで自己分析すれば、まず言ってそれは理屈にもなっていない不合理なものであるのが、自分自身で分かるのではないかと。それを実感するごとに、その衝動自ずと弱まり、やがて消えていくという流れが考えられます。

・行動学(建設的対人行動法/原理原則行動法/ウインウイン行動法)
まずは以下など参照^^。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)
より本格的に学ぶなら、
ハーバード流交渉術
(知的生きかた文庫)

などは「ハイブリッド心理学指定の必読書」です。

また、
『実践編上巻』 9章 価値観と行動学
にもより本格的な解説があります^^。

・仕事の普遍的スキル
まずはこの掲示板最近のものとして、
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20
のトピック

の中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586
2013/07/23

など。
この手の情報結構あちこちに散在しているので、今後うまくインデックス整理するよう計画中です^^。

こうした、「社会についての正しい学び」踏まえて、「人を上下で分ける」といった内面感情への向き合いをすると共に、
真の強さを体得する
といった視点にも向き合うのがいいですね^^。


進路選択の基本

まずはそういった「社会についての正しい学び」「真の強さ」といった価値観への向き合いをすることで、心の状況はもう全く違うもの向かっていくと思います。
これからの進路選択も、それを踏まえて検討していくと良いでしょう。

そこで鉄則になるのは、心の内面的な課題の問題と、自分の外面的な客観的能力資質の問題を、分けて考えることです。
>しかしギターを弾くと、能力向上を考えてしまい人と心で関われない自分がでてきてしまい、葛藤してしまいます。また、会社をこんなすぐやめる自分を許せないので、ギターを弾くにも、それを取り返すために結果重視になって自分を苦しめてしまうのではないかとも考えます。他人の目や承認欲求や自分に振り回されてしまいます。
一言でいえば、そうした内面的な問題課題は、どんな職業に就いたとしても出てくる問題です。全く同じ姿で。ですからそれを職業選択の基準としてあれこれ考え惑うことは、かなり無駄なんですね。どんな職業を採った場合も、自分はその問題に立ち向かわなければならないと腹を据えるのがお勧めです。
また、その克服への視点を持っておくことです。上記「社会についての正しい学び」が、その良い足場になり、上述「心の問題の根源と克服」が、その大局的、最終的な道のりを述べたものとしてです。

そうした内面課題問題は、いったん置いといて自分の能力資質について客観的な自己評価の上で、進路選択検討すると良いでしょう。もちろん「社会についての正しい学び」踏まえてです。


また、休職中であれば、「焦り」厄介な問題として現れると思いますので、似たような状況を扱ったものとして、
『実践編上巻』5章から8章にかけて取り上げている「D男さん」の事例など参考になると思います。復職までの過程『下巻』完結するのですがまだ執筆手付かず^^; まずは上巻部分でも十分参考になるかと^^。

あとは、長い自己取り組みをするなら、『取り組み実践・詳説』時間の折日々読んで、「人生の学び」として自分の意識過程じっくり取り組んでいくのがお勧めになります。
まずはざっとこんなところで^^。


 
Re: はじめまして。相談があります。 / ようすけ 引用
No.637 2013/10/02(Wed) 22:47:12

返信ありがとうございます。
アドバイスは非常にありがたく、今後の参考にできそうです。
しかし申し訳ないことに、休職の期限が来てしまい、迷ったのですが退職という形をとりました。体がまだまともに働ける状態ではないというのと、現実感のなさがきつすぎるので、一旦実家に帰ろうと考えたためです。

現在実家にいるのですが、学生時代の友人等も自分がこのような状況になっていることを知っています。
そこで、家にいて母親と会話する時や友人と話すときも、なんだか自分が丸裸になっている気分で、世間にさらされている感じがします。思えば今まで、部活や勉強やサークル等で自分を埋めて自分の精神的な逃げ場にいつも逃げていた気がします。それらがすべてなくなったので、他人と関わるときに自分の全てを見られているような感じがして、落ち着かないというか、自分がさらされているただのモノのようになってしまいます。常に「これをしていればいい」「これをしていれば自分が正当化される」というものに無意識にしがみついてたため、他人と心で交流することに恐怖を感じます。

もともと他人の手本のような存在であった(それを勝手に期待として受け取ってしまい演じていた)り、他人にアドバイスや助ける立場が多かったため、今の自分がどう他人と接していいかもわからない感もあります。ダメな自分を受け入れれてないということかと思いますが。

このような場合においても、上記のような実践を重視していくべきでしょうか?
すいませんがアドバイスお願いします。


 
Re: はじめまして。相談があります。 / ようすけ 引用
No.638 2013/10/03(Thu) 01:44:00

追記で失礼します。


現在の状況で新たな人との交流、新たな事をしたりするのが、どんどん自分が自分でなくなってしまう感じで、それが恐怖なんだと思います。元々自己執着が強い傾向はあるかと思います。例えば、サークルの人達とはある一線を引いて付き合ってて、プライベートは別で自分には進む人生があるという感じだったのですが、今のありのままの自分で接することで距離感がつかめなく、今までの関係とか色んなものが壊れていく感じがします。
もし自分が立ち直った時、この関係がまたどうなるのかとも考えてしまいます。
しかし、今のようにありのままで接するところから、どんどん成長に向かっていくのかとも思ってます。

また、母子家庭なのですが、大学に入ってからは特に精神的な親子関係は逆転気味ということもあり、それに共依存してしまって、母子分離ができてないことも原因かと思います。


 
Re: はじめまして。相談があります。 / ようすけ 引用
No.640 2013/10/04(Fri) 13:06:07

連続ですいません。
本当に自分が何をしているのかよくわからなくて、社会や人の目からとにかく逃げていたい気持ちです。死にたいのですが、そんな勇気もないしそんな親不孝もしたくないのですが、どうしたらいいのかがわかりません。大学時代の友人が割と人をバカにするタイプなのですが、すごく楽しそうに生きてて、そいつらにも見下されて見放されるのが嫌で身動きがとれないです。
自分だけが社会から切り離されている感じで、何をしても満たされないです。
お勧めしてもらった記事のD男さんの例とかなり似ている感じはあります。自分の過去がすべて無駄になったかのような感じです。また、恨みが過去にむいてしまいます。
まずは積極的休息をしてから行動すべきでしょうか?


 
「人の目を気にしないように」ではなく「自分として本当に確かなこと」へ^^ / しまの 引用
No.647 2013/10/08(Tue) 11:44:24

>このような場合においても、上記のような実践を重視していくべきでしょうか?

そうですね。上記のような実践重視すべきというか、それがハイブリッド心理学としての実践になります^^。

追加で書いて頂いたような心の状態は、そうした社会についての正しい学びを持たないまま人や社会に向かおうとした結果としての、心の混乱とも言えると思いますので、まずは心の混乱そのものを早急に解消ししようと焦るのではなくいったん目線を自分の心から、心の外部のさまざまなものごとに切り替えて、社会についてじっくり学び直してみるのがお勧めになります^^。
「人の目を気にしないように」ではなく「自分として本当に確かなこと」を見出していくことが大切です。人を気にする心の動揺は、ただ心の中流す「自分として本当に確かなこと」築いていくごとに、人を気にする心の動揺自分で治そうとすることなく消えていきます。

まずは、「D男さん」の場合にもまずは目標としたように、「これならできる」という最低ラインを見出すことからになると思います。落ち着いた生活リズムをまずは回復することとしてですね。

>まずは積極的休息をしてから行動すべきでしょうか?

「落ち着いた生活リズム」というのがまず取り組みテーマになると思います。心身疲労の蓄積があればもちろん多めの休息からですね。回復に従って、これから疲労を蓄積させない生活リズムとはどんなものか模索へ、という順番になりますね。

「学び」の個々のテーマなどで疑問などあれば、また何でも新規トピック立てて質問頂ければ^^。



「脅し」というキーワードと、取るに足りない小さな望みへの踏み出し / 引用
No.627 2013/09/25(Wed) 03:43:29

こんにちは。
まず、先日のアドバイスを拝見した前後から、自分の内面に関して「脅し」というものがキーワードになってそうに感じました。
幼少の頃、教育にせよ、いじめにせよ、脅しの下で行われていたことを思い出し、それ以降も、脅しや圧力だと感じたものに対して過剰反応を起こす自分に気付きました。
たとえば時事問題で国民に何らかの規制をかける法案が報じられた時、あるいは上司から注意を受けた時、あるいは今までの怒りを感じてきた場面。などなど。
下手すると、今までの人間関係の大部分で、脅しや圧力を感じながら(ある程度の割合で錯覚しながら?^^;)過ごしていたかもしれません。
こうして見ると、「自分は社会全体から脅しや圧力をかけられ、それに何とか抵抗しながら日々を送っている!」という感覚があり、それを漠然としか自覚していなかった感じでした。

決め手は、しまのさんからのアドバイスの中で
>「感情による決めつけ」であることに加えて、それらが「道徳の授業型人生感」の思考だということです。
>「こうでなければ生きていけないぞ」と、画一的な「あるべき姿」を掲げて脅すというやつ。

という部分を読んだとき、「脅し」というものがキーワードになっているのはほぼ間違いないと感じました。
そして、社会から脅しや圧力をかけられている、という感覚が、来歴の中で自分の内面に取り込んだ「脅し」の外化ということになるのだろうか、と感じられました。
まずは、理屈の上でそれを知るだけではどうにもならないので、脅しや圧力を感じた場面ごとに、先日のアドバイス通り「それは具体的にどういうことなのか」を問い直すようにしています。あくまで一部の場面ではありますが、少しは踏みとどまる力が出てきた気がします。まだ、そういう気がする、というレベルですが。

あと、これは娯楽の類での場面ですが。
取るに足らないものではありますが、一応の小さな望みに真剣に向かって行けたような気はするので、そのご報告です。
興味あるジャンルのイベントで、ちょっとしたことを行ないました。
従来は、やってみたいと思っていたけど尻込みし続け、ただ会場に足を運んでいろいろ見て回るだけでした。
尻込みした理由は、会場で入場前にも浮かんだ「自分なんかがこういうことをするのはおこがましい。場違いな感じがする」という感覚が主なものでした。「具体的にはどういうことなのか。誰かに実害があることなのか」と問い直し、「ルール違反や大失敗で誰かに迷惑をかけない限り大丈夫なはず」と自分に言い聞かせながら参加しました。
準備中に見回してみると、質も内容もバラバラで、実は自分が心配していたほどのものではなかったかもしれない、と思うと少しは落ち着いてきました。
結局は誰かから直接評価されることもなく、自分で見ても成功とは言えないものではありました。従来何かに取り組んだ時なら「もう二度とやらねえ」「やっぱり俺が何か行動してもろくなことは起きない」といういじけた気分で覆われるところでしたが、今回は、イベント中や帰りに、いじけた気分だけでなく、冷静に改善点がポンポン出てきて、従来とはちょっと違う感覚を味わいました。
後日、経験者である知人たちと(内面の話は伏せて)その話をしたところ、「いいスタートが切れたのでは」とか「最初は絶対失敗するモンですから」という言葉が返ってきて、共通の話題で盛り上がりました。

その後のバイトで、まだイベントでの疲れは大いに残ってたのに、気分は何だか分からないけど多少軽い状態で作業に取り組めました。
どういうことなのか考えてみると、それまでは通行人に割引券を配るときに、多かれ少なかれ気後れを感じていたようで、それが若干減ってるように思えました。
これから、再挑戦するかどうかはまだわかりませんが、これが望みに向かった効果であるのならば、趣味のレベルまで昇華させるのもいいなあ、と思いました。


 
後日談 / 引用
No.634 2013/10/01(Tue) 08:02:01

その後、価値の生み出しに関する定義についての理解が曖昧だったことを自覚してサイトを調べて回り、掲示板のログを見て、やはり意味をはき違えていたことを自覚し、大いにズッコケる、ということがありました。(「心理学本下巻に向けての考察-224:「未知」への意志と信仰-116」より)
確か以前も拝見してたハズなんですが、当時は、大小を問わない成功経験のことを指すようにしか感じられなかった記憶が。そういう解釈では、なおさら心が荒れるのもおかしくないよな…と。少なくとも自分にとって、病んだ心の領域というのは、読解力にも悪影響を及ぼすのかもしれないな、と感じました。

その際に前後の記事も拝見し、「望む資格思考」について読んでいるうちに、もしかすると、先日のイベントでは、自分の「望む資格思考」に初めて打ち勝ったのではないか、ということに気付きました。

実際、あれ以来、自分の悪感情が全体的に減少しているようにも思えました。
まず、イベント内で同じようなことに取り組んでいた人々に対して、クオリティ面での批判的な目を向けることが全く無くなっていました。
当初は、自分が同じ経験を持ったことにより、「他人を批判していいのは自分が批判される覚悟がある奴だけだ」と感じていたのだろうと思っていたのですが、実生活に戻った際に他者への批判的な姿勢が目に見えて減少しているのに気付いた時、それだけでは説明がつかないように思えましたが、望む資格思考に打ち勝ったのが原因であれば、確かに他人に対しての態度が緩くなるのも頷けると思いました。

正直、娯楽系の一つのイベントで行動を起こしたぐらいでこのような変化が起きるとは思いもしなかったので、どちらかと言えば戸惑いの方が強いですが、それだけその行動に対する望みの深さがあったということなのかなあ、と。

その後、バイト中などに価値の生み出しへの意識を集中しながら作業をしている間に、よく原因の分からない軽い苦しみを二回ほど通過しました。想像の域を出ない推測ですが、従来の感覚では上手くいかないことを内面で感じ取った結果なんだろうなあ、と思います。

しばらくして、来歴で受けた仕打ちなどが頭に浮かびました。
「良くて汚れ役、悪くするといじめられ役。「こうあらねば」という押し付けを守った報酬がこういう仕打ちだったなあ」という感想は従来通りでしたが、従来はそういう時に怒りや憎しみで完全に覆い尽くされるのが常だったのに、今回は泣くのを必死で堪える羽目になりました(仕事中だったので^^;)。まるで、自分の来歴に自分自身で同情の涙を流そうとしてるかのような、今までに経験したことのない感覚でした。従来よりは、自分で物事を受け止めることが出来た現象なのかなあ、と。

それまでの取り組みでは、反面教師的な人を見たり思い浮かべたりした後、「じゃあ自分はどうなんだ?」という感じで進めてきた感が強かったですが、今回の出来事で望む資格思考に向き合ったと思われる取り組みは、意外と広範囲に影響を及ぼしてくれたように感じました。
「大自然を生きる一匹型の言葉」で頂いたアドバイスがここまでの進展を生むとは想像もしていませんでした。
まだ「望む資格思考」が消滅したとは思えませんが、今後望みの妨げが出てきた時にも生かせそうな経験になったとは思います。
重ね重ね、本当にありがとうございます。


 
「匿名性における価値の生み出し」という重要転換^^ / しまの 引用
No.642 2013/10/05(Sat) 18:13:13

>「自分なんかがこういうことをするのはおこがましい。場違いな感じがする」という感覚が主なものでした。「具体的にはどういうことなのか。誰かに実害があることなのか」と問い直し、「ルール違反や大失敗で誰かに迷惑をかけない限り大丈夫なはず」と自分に言い聞かせながら参加しました。
>従来何かに取り組んだ時なら「もう二度とやらねえ」「やっぱり俺が何か行動してもろくなことは起きない」といういじけた気分で覆われるところでしたが、今回は、イベント中や帰りに、いじけた気分だけでなく、冷静に改善点がポンポン出てきて、従来とはちょっと違う感覚を味わいました。

これは取り組みの前進としては、前回
『近況報告です。』 蓮さん No.604 2013/08/17のトピック
からの流れとして、

「感情による決めつけ思考」の見直し
   ↓
「道徳の授業型思考」から「大自然を生きる一匹型思考」による見直し
   ↓
原理原則思考を中核にした「望む自由・自己能動・価値の生み出しの思考と行動」


という風に前進しているものと言えますね^^。

>その後、価値の生み出しに関する定義についての理解が曖昧だったことを自覚してサイトを調べて回り、掲示板のログを見て、やはり意味をはき違えていたことを自覚し、大いにズッコケる、ということがありました。(「心理学本下巻に向けての考察-224:「未知」への意志と信仰-116」より)  確か以前も拝見してたハズなんですが、当時は、大小を問わない成功経験のことを指すようにしか感じられなかった記憶が。そういう解釈では、なおさら心が荒れるのもおかしくないよな…と。少なくとも自分にとって、病んだ心の領域というのは、読解力にも悪影響を及ぼすのかもしれないな、と感じました。

これは何とも大変な資料の山から読み返すご足労だったかもですが、
過去掲示板ログ2008.02
収録
『心理学本下巻に向けての考察-224:「未知」への意志と信仰-116』 しまの No.1483 2008/02/25
で書いた
===============
誤解されがちなのは、「価値の生み出し」が、「建設的思考法行動法」の先で人に賞賛され自尊心にもつながるような、何か素晴らしい生産的行動をするという、建設的行動の一段の向上のこととして考えるものです。===============
という誤解だったということかと。
そこで言っていることキモは、「人物を問わない」という「匿名性における価値の生み出し」という姿勢そして思考と行動が、「人の目」の檻の中でしかものごとを思考できない「心の依存」からの抜け出しのため、最も内実のあるツールになる、というようなですね。
それを、「人の目の中での成功」という圧迫の中にある心読んだため、そうしたキモが見えなかったという経緯かと。まあ確かに心の状態が読解力にバイアスを生み出してしまうという、なかなか厄介な問題があるのが誰の場合実情であり、「これは今の自分には分からない話だ」という自覚を携える読書が、
「学び」とのギャップを生きる
ことで成長変化が「準備」されるために大切になるという話だと思います。
まあ蓮さんの場合、それでも何とか「準備」心の中で起きていたという話になるかと^^。でになって、そうした話「体得」段階のものにできる時を今迎えることになった^^。

>その際に前後の記事も拝見し、「望む資格思考」について読んでいるうちに、もしかすると、先日のイベントでは、自分の「望む資格思考」に初めて打ち勝ったのではないか、ということに気付きました。
>実際、あれ以来、自分の悪感情が全体的に減少しているようにも思えました。まず、イベント内で同じようなことに取り組んでいた人々に対して、クオリティ面での批判的な目を向けることが全く無くなっていました。
>正直、娯楽系の一つのイベントで行動を起こしたぐらいでこのような変化が起きるとは思いもしなかったので、どちらかと言えば戸惑いの方が強いですが、それだけその行動に対する望みの深さがあったということなのかなあ、と。

行動の仕方ちょっと変えたことが、ご自身で思いもよらぬ感情全般の良い変化につながったということになると思いますが、そうなって何の不思議もないようなものとして、「匿名性における価値の生み出し」というのは大きな転換テーマです^^。
それは「望む資格思考」打破直結するものであり、上記の流れサマリーに書いたように「自己能動」という、感情全般の積極性と力強さ生み出すものであり、さらに言えば「否定価値の放棄」というハイブリッド心理学最大の転換テーマにも、多少「接触」しているかも知れない。

だから「魂の開放」にもつながっているものであり、で、

>従来はそういう時に怒りや憎しみで完全に覆い尽くされるのが常だったのに、今回は泣くのを必死で堪える羽目になりました(仕事中だったので^^;)。まるで、自分の来歴に自分自身で同情の涙を流そうとしてるかのような、今までに経験したことのない感覚でした。

といった変化も^^。

なおこの「匿名性における価値の生み出し」について心理学本で述べたものとしては、
『入門編下巻』では、
8章 人間の真実 「人生」

「心の自立」への礎
===========
 「破壊」から「建設」への基本行動様式の選択に立ち、「価値言葉」を使いこなすことで、社会で優れた行動ができるようになる能力向上を、積み重ねることです。それを、「人物を問わない」という「匿名性」において歩むことが、「魂」の広い「愛」の感情に馴染みます。
 これが、社会で全ての人を相手に建設的な行動ができる、心の自立した人間へと成長するための、ハイブリッド心理学が自信を持って人々にお伝えできる、「人生の方法論」です。
===========

という短文(P.233-234)

あと
『実践編上巻』 4章 ハイブリッド心理学の実践と道のり概要

「心の自立」「価値の生み出し」という本格的前進

そして
『理論編下巻』 7章 人生の答え−2

「匿名性において生み出す」・「揺らぎない自尊心」への第一歩
があります。
ここで書いている
===========
 これがひいては、足手まといの「自己顕示欲」によって動揺する自分を抱えながらも、それに惑わされずに安心して人と接することのできる、しっかりとした方向性を私たちに与えてくれるのです。
===========

という部分は、今読み返して、かつての僕自身を救ったものとして、じんと来る感覚がありますね^^。

ということで、外面内面双方かなり方向性が出てきたと思いますので、今後自分にとってより大きな価値のものに向かう人生の歩みとして、取り組みの洗練と深まりもさらに出てくると思います^^。



大人になりたくなかった? / りょうたろう 引用
No.626 2013/09/23(Mon) 23:48:24

こんばんは。二度目の投稿をさせていただきます。りょうたろうです。

これまでも何度か投稿しようとした事があったのですが、そのたびに何だか嘘を書いているような気がして「これはもう少し自分で考える必要がありそうだ」となり先延ばしにしていた次第です。

さて、今のところ一応進展のようなものはあり、最近では自分の中の「こうしろ、そうすれば幸せになれるぞ」という声に対して一つ一つ疑いの目を向け、時には逆らってみて結果を検証するという姿勢を心掛けています。まだかなり流されがちではありますが・・・

そして今日はブログ記事の「愛と能力の成長課題」の章を読んでいて一つ自覚したことがあります。それは、もはや可愛い子供ではなくなってしまった自分に対する絶望感と、自分と他人両方に対する怒りです。中学校に上がろうとする頃のことだったか、自分の子供時代が終わりつつあるのを感じて絶望に打ちひしがれた日があったことを思い出しました。一人呆然とお風呂の水面を眺めていたことを今でも覚えています。今にして思えば、愛されなくなるのではという恐怖があったのでしょう。それでもその後中学では成績もトップで、何とか「いい子」でいることができました。その頃のことは私の中で黄金時代として記憶されています。しかし高校に入ってそうはいかなくなってから、いよいよどうしたらいいか分からなくなってしまいました。自分、他人、物など何に対しても「好き」という感覚はあまり持っていなかったように思います。そして大学生の今に至ります。

小学生のあの日から目を逸らしてきたものに今私は直面しているのだと感じます。もはや私をちやほやしてくれる人はいない。抜きん出た存在でいることもできなくなった。そう思うと今更ながら動揺している自分がいます。子供のままいきなり大人の環境に放り出されたような。周囲の人たちはどうやって人間関係を築いているのか、何であんなに自信を持って趣味なり目標なりに向かっていけるのか、何も分からない・・・と。

明日目が覚めたらまっさらの自分から再スタートだ、というわけにはいかないだろうという予感はあります。相変わらず愛されたいとは思うでしょうし、自分も他人も嫌いなままでしょう。だから実践することは特に今までと変わらないかな・・・と思っています。

今回は自分で考えを整理する意味も込めて投稿させていただきましたが、何かアドバイスがあればぜひお願いします。


 
「心の成長への視線」を先に^^ / しまの 引用
No.636 2013/10/01(Tue) 17:56:14

>最近では自分の中の「こうしろ、そうすれば幸せになれるぞ」という声に対して一つ一つ疑いの目を向け、時には逆らってみて結果を検証するという姿勢を心掛けています。

その実践okです^^。

>もはや私をちやほやしてくれる人はいない。抜きん出た存在でいることもできなくなった。そう思うと今更ながら動揺している自分がいます。子供のままいきなり大人の環境に放り出されたような。周囲の人たちはどうやって人間関係を築いているのか、何であんなに自信を持って趣味なり目標なりに向かっていけるのか、何も分からない・・・と。

これについては、自分に何かを説教するようなものではなく、

1)「ちやほやされる」という願望心の中でむしろ思いっきり開放し、それが満たされた自分の姿を描き、願望の見極めをする。
できるだけその結末まで。ちやほやされて、その後どうなるのか。働かずにお金がもらえる・・? 自分では何もせず魅力的な異性に言い寄られる・・? 本当のところどの辺に自分は願望を抱いているのか。

2)成長する心における行動法学ぶ
これは
『はじめまして。相談があります。』 ようすけさん No.625 2013/09/22のトピック
で、
『まず「社会」について正しく学ぶ^^』 しまの No.635 2013/10/01
説明した「行動学」「仕事の普遍的スキル」といったものに他なりません。それを習得実践できている人が、まずは人間関係を築き、自信を持って趣味や目標に向かっていけます^^。
これらは、今読んで理解すれば実践できるといった安直なものではなく、まず知って、これからの人生の中で、さまざまな「体験」の中で、自分としてそうした行動法どう納得するか、それを妨げる感情としてどんなものが心に湧くか、といったものに向き合っていくものです。その向き合い「心の成長」生むわけです。
上記トピックでのアドバイス全体が、りょうたろうさんの場合も結構参考になると思いますので、ぜひじっくり参考頂ければ^^。

3)「ちやほやされなくなることへの絶望」対極と言える、成熟した心の豊かさというものについて問う
これもまず知って自分としてどう考えるかに、人生を通して向き合うものです。
「成熟した心の豊かさ」については、
「望みの成熟」の2つの道
などで書いているものを参照

ようすけさんの場合同じように、まずそうした視線持つことからですね。自分の心向き合うのは、その後でいい。
そこから、「学業でトップ」なんていう話も、果たしてどんな意義があったか向き合うのも良し。ま一言おまけですが、学業でトップなんてのよりも(実はちやほやされる材料にもあまりなってないのではと?^^;)行動学の探求姿勢においてトップになる方が、よっぽど人生役に立つかと。

とにかく今の心の中だけで考えず、未知の心への成長変化を迎い入れられるよう、自分の意識過程取り組むのが良い、という話になると思います^^。



(No Subject) / ピヨ 引用
No.623 2013/09/20(Fri) 21:52:52

 内向的とは、固定観念であり、人は変われるとのアドバイスをいただきました。

 とてもおしゃべりな方・静かな方などの違いは、生まれ持った気質と育った環境が大きいのだろうと感じてきました。

 私は、自分を振り返り、どちらかと言えば内向的のパーセントが多いと感じてきました。そして、なぜなのかなと考えた時、生まれ持った性格と育った環境の中で、言葉を発する経験。例えば、親が過保護で何でも話し、子供はうなずくだけでよく、子供に質問して自分の言葉を出させる会話をさせる親では無かったために、自発的が少なくなってしまったのかなと感じてきました。また、過ぎたことは仕方が無いから受け入れて、これからのことを考えるようにしようと感じてきました。

 最近、保育者の子供との会話のやりとりの本を読みました。
そして、共感的な会話のやりとりが自発的を促すなど書かれていました。
会話のやりとりなどを学ぶ時期は、幼少時で職業としては、保育者。それ以外での、会話のやりとりを学べる職業は00と限定されるものではなく、何才の時でも人は変われる・学習できる。どんな職場でも何才になっていてもと感じますがいかかでしょうか。

 私自身は、自分のこれで良いという部分と、もっと自発的な関わりを持つことを必要と感じますが、納得してからではないとそう簡単には取りかかれません。


 また、相手にずばりその方の弱い部分を指摘することは、その方が内面に向き合うために必要と感じますが、それを受け入れることができなくて、高圧的な態度を取る方の場合、指摘はせずに肯定的な会話を作っていくほうが建設的でしょうか。

 よろしくお願いいたします。
 


 
建設的行動法^^ / しまの 引用
No.631 2013/09/28(Sat) 10:20:15

>会話のやりとりを学べる職業は00と限定されるものではなく、何才の時でも人は変われる・学習できる。どんな職場でも何才になっていてもと感じますがいかかでしょうか。

その通りだと思います^^。
基本的な理解とアプローチなど書いてみますと、

「内向的」「外向的」は、前者気持ちが自分の内側に向きやすい傾向気持ちが沈んだり、自分を責める傾向など。後者気持ちが外に向く傾向ですね。一般的に言って後者やはり健康的と言えると思います。
一方「おしゃべり」「無口」はまた話が多少別で、「無口」であっても「外向的」というのもあり得ると思います。「内向的」な「おしゃべり」あるかも知れませんね。人に話しているように見えて独り言というような・・?^^;
文字違い「外交的」になると、人と積極的に交わる行動傾向ということで、多少ともお喋り上手ということになると思います。

ハイブリッド心理学からのアプローチとしては、「自分もこんな外向的な人間に」といった、外から眺めた人物印象を自分にあてはめ押しつけるのではなく、一つ一つの行動場面において、建設的な行動法を学ぶと共に、自分の本心からの「望み」に向き合い、それに向かって全てを尽くして生きることの先に、自分の本性つまり自分の潜在能力として持っていたものの全てを開花させた、成長した人間になるというものです。
まあそれがどれだけ「おしゃべり」になるかは、もう人それぞれですね。あまり「おしゃべり」良いものとばかり考えるのも避けたいものです。無駄なお喋りが豊かな時間を台無しにするというのが実によくあることですので。


ということで具体的行動場面学びとして、

>また、相手にずばりその方の弱い部分を指摘することは、その方が内面に向き合うために必要と感じますが、それを受け入れることができなくて、高圧的な態度を取る方の場合、指摘はせずに肯定的な会話を作っていくほうが建設的でしょうか。

については、相手どんな人物であろうと、否定的な言葉は用いず、肯定的な言葉を用いて接するのが、まずはお勧め建設的行動法になります。
「それでは駄目」と言うのではなく、「こうするといいよ」言うという話し方です。もちろんそのためには、問題意識を持つだけではなく、解決のためのさまざまな知恵とノウハウを、まず自分が持っていくということが重要です。「こうするといい」というえを自分が言えないのでれば、最初から何も言わないでいるのが良いかも知れません。
相手の問題を指摘するだけなら、誰でもできることであり、成長ではありませんね。問題の解決と向上のための知恵とノウハウ得ていくことから、成長始まります。

参考:
2010-01-17『「肯定形文法」で思考する』
『(1)プラス思考』カテゴリー (↑の記事を含む)


 
Re: / ピヨ 引用
No.632 2013/09/28(Sat) 16:40:13

島野様

 回答ありがとうございました。
 「参考:」も読むことができました。

 おしゃべりの方は、いつまでも話をしていて、また他人について陰口が多い時や干渉しすぎの会話の方の場合、そのことがおしゃべり上手とひとまとめにされると疑問をかんじました。

 相手の問題を指摘するだけなら、誰でもできることであり、成長ではありませんね。との言葉は、考えさせられました。こうした方が良いと伝えることが良いとの言葉は、大変参考になりました。




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