しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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苦しみの中にいます / りょうたろう 引用
No.694 2013/11/18(Mon) 22:29:50

こんばんは。先日はコメントありがとうございました。

進展、と言えるのかもしれませんが、現在私は今までで最大の苦しみの中にいます。そこまでの経緯は色々あったのですが、結論から言うと「私はあまりにも醜い」という考えに至ったためです。今までの自己不全感や、身体的なコンプレックスや、対人関係の悩みなどが全てこの「私は醜い」という一つの苦しみへと純化されたような感じです。

何が醜いかというと、やはり不実と傲慢ということになるでしょう。自信がないという素振りを見せながら、内心では全ての他人を見下していたこと。他人というのはただ私を褒め称えるためだけに存在していると考えていたこと。そして、自分自身の感情に対してあまりにも不誠実であったこと。内面向き合いの末にこれらのことが、もはやごまかしようのないものとして浮き彫りになってきたのです。今はおぞましくて鏡も見られません。

テレビを見ていたら、幸せそうな家族や、目標に向かって努力している人や、好きな仕事や趣味に囲まれている人が出てきます。そして思うのは、自分はあのような光の中にはいられないということです。「いてはいけない」という道徳的な考えも混じっているかもしれませんが、そもそもこの罪人のような気持ちのまま幸せになるなんて不可能だと感じます。そしてそれに気付いた後でもなお、呼吸するように新たな嘘が私の中に生まれてきます。嘘だらけの自分が嫌で嫌でたまらないのに。

そして、もうどうしたらいいのか分からなくなりました。不実と傲慢が「罪」であることはもう感覚としてそう思います。償いというものがあるなら償いたい。
「どうすればいいでしょうか」とは、自分自身に聞くべきことかもしれません。しかし、どうか島野さんの考えをお聞かせください。


 
「外面・内面・外面」の取り組み実践の検討を^^ / しまの 引用
No.698 2013/11/21(Thu) 11:44:36

これはアドバイスとしては、まずはごく単純明快シンプルなものになりますね。

手順通りに、「取り組み実践」を進めてみることをお勧めします、ということです。
今回『入門 - 3.取り組み実践』
で説明しているもの。
特に、
外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践
で説明している「外面・内面・外面の3段階ハンドルさばき」ですね。

書いて頂いた内容は、まずは「内面」だけになっていると思います。
それを、具体的行動場面しっかりと想定して、
1)まずハイブリッド心理学からの「心の健康と成長に向かい得る行動法」としてはどうなるかの把握理解
2)それについての理解納得、およびそれを踏まえての内面感情へのありのままの向き合い
3)再び具体的行動の結論への向き合い

という順序進めます。

>テレビを見ていたら、幸せそうな家族や、目標に向かって努力している人や、好きな仕事や趣味に囲まれている人が出てきます。そして思うのは、自分はあのような光の中にはいられないということです。「いてはいけない」という道徳的な考えも混じっているかもしれませんが、そもそもこの罪人のような気持ちのまま幸せになるなんて不可能だと感じます。

というであれば、仕事、趣味、家族その他の目標に向かうための、建設的行動法によるアプローチが出てきます。
それは内面感情はいったん置いといても、習得向上が可能なものです。特に「原理原則行動法」「仕事の普遍的スキル」など。それをどう学ぶか。
趣味も、まずは他人とは無関係に、自分で楽しみを持つことからです。それをどう探すか。
そうしたアプローチについて、自分はどう理解納得し、それを選択したいかどうかを、自分に問うことからです。
この理解納得状況がどんなものかを踏まえないと、何も言えないわけです。

まあ心底から選択したくなれば、「自分の不実と傲慢」といった感情も、多少感じ方変わるでしょう。そうしたアプローチすぐ意識が回らないようであれば、まずそうしたアプローチどうイメージできるかに、取り組んでみることからになるでしょう。

一方で、自分今まで、そして今どんなことによってそうした人生の前進にアプローチしようとしてきたか。しようとしているか。
そこに、

>自信がないという素振りを見せながら、内心では全ての他人を見下していたこと。他人というのはただ私を褒め称えるためだけに存在していると考えていたこと。そして、自分自身の感情に対してあまりにも不誠実であったこと。

というのが、ただ自己嫌悪にふける(^^;)だけではない、自分の根本的な誤りの自覚とその捨て去りへとつながるような、変化起き得る道が出てくると言えます。

>償いというものがあるなら償いたい。

という言葉について言えば、「自己嫌悪」であれば他人への償いの問題ではないですね。他人への償いというテーマであれは、客観的に他人に与えた害という、原理原則的な思考を持つことが重要です。

ということで、まずは「外面・内面・外面」という向き合い方法における、「外面」部分の取り入れですね。
まあサンドイッチのようなものです。それがハイブリッド心理学の取り組み実践です。外面向けの2枚のパンではさんだ、内面感情という具がある。外面向けの2枚のパンではさむからこそ、内面感情の具うまく消化吸収されるという按配です。
もちろん具だけ食べたいというのは自由ですが、それはハイブリッド心理学でない別料理ですね^^。

そうした取り組み実践方法を、検討してみて頂ければ。
具体的行動場面想定の上、
「学び」の主要テーマ
であげた
2.「破壊」から「自衛」そして「建設」へ
3.行動学
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
5.悪感情への対処

といった視点からだとどうなるか検討します。まあちょっとした受験勉強並みの思考作業量になると思いますが、それをやるのが「取り組み実践」ですので^^。

具体的行動場面想定材料など出して頂ければ、具体的アドバイス可能です^^。



対人行動について / レース 引用
No.680 2013/11/09(Sat) 09:57:12

 職場での対人行動について

 仮にKさんとします。Kさんは、行動力があり職場の中心のように活動的です。
いろいろな仕事も手にかけています。しかし、自己主張が強く、自分を立ててくれない同僚を煙たく想い、そのことを上司に感情的に強く訴え相談して、同僚を移動させてほしいとか、それができないなら自分は病院にかかるようなことになってしまう。また、仕事を辞めますとまで言う。仕事が、できるKなので、上司はこの方の思いを優先してしまいがちです。
 私も、Kさんのペースに合わせるとコントロール力が強いので、自分じゃなくなる気がしています。しかし、Kさんの思いで人事が決まることは、言ったもの勝ちのようで不利益感があります。
 人は、本人の思いどうりにはならないこと。
 
 建設的行動の前に、周囲の人間は、何を考えれば良いのでしょうか。
 


 
「問題の始まりに対処できれば人物の問題は起きない」^^ / しまの 引用
No.681 2013/11/10(Sun) 10:55:42

これはまず格言的一言でいえば、
「問題の始まりに対処できれば人物の問題は起きない」
とでも言えますね。

つまり、まず一つ一つのものごとうまく対処できるかどうかという、問題の始まりがあります。そこでは、一つ一つのものごと問題課題です。
それがおおよそにしてうまく行かないと、問題「人物の問題」へと変貌していきます。
まあ仕事の場でも、今ちょうどその時期を迎えている、プロ野球人事にしてもそう。まず「この仕事をどうするか」「このプレーはどうか」といった、一つ一つのものごと問題課題にしているのが、おおよそにししてうまく行かない場合に、「この人をどうするか」「誰を戦力外通告にするか」といった、「人物の問題」になってきます。

まずはそれと同じかと。

>Kさんは、行動力があり職場の中心のように活動的です。いろいろな仕事も手にかけています。しかし、自己主張が強く、自分を立ててくれない同僚を煙たく・・

ということであれば、まず行動力あり活動的なKさんとの協働作業という一つ一つの課題に、うまく対処できれば、残り「自分を立ててくれない同僚を煙たく・・」以降のように、「人物の問題」へとエスカレーションすることもない。

>私も、Kさんのペースに合わせるとコントロール力が強いので、自分じゃなくなる気がしています。しかし、Kさんの思いで人事が決まることは・・

についても、自分を失うことなくKさんとうまくやっていく対処ができれば、残り「Kさんの思いで人事が決まることは・・」という問題なくなりますね。というか、有利な話になるかも知れない。

ということで、まず僕からアドバイスできるのは、Kさんと協働作業をしようとする時に最初に起きる問題に、どう対処するかという持つ、ということです。
その答えは、むろん「行動学」です。「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動学」3セットです。
自分を見失うことなく、強引な相手にストレスを感じることも、自分を卑下するような姿勢に陥ることなく、うまくやっていける、まさにそこにこそ揺らぎない自己の確立を見出すことができる、そんな行動法というものがあります。まずは以下など参照下されば。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)

具体的場面状況など書いて頂ければ、より具体的アドバイスも可能かと^^。

まああとは仕事場面考え方として、職場基本「より出来る人間を基準に」というものですね。でないとそもそも職場全体としてどーしようもない。そして実際「人物の問題」としてコトが人事問題エスカレーションしてしまった場合、僕も仕事時代はそうでしたが下っ端の人間にはもう手が出さなくなり、自分が取り上げられるのならもう建設的もへったくれもなく、まずはまな板の上の鯉になるだけです。出来る人間の声が優先されるのもどーしよーもない。
まあまずはいかにしてそんな状況にならないか知恵ノウハウですね。
まずは上記視点からの検討を^^。

以下なども参考になるかと。これも問題の構造全く同じで、「うまく合わせられない相手」どう対処するかという問題として捉えていたのが、結局「より出来る人間に合わせる自分の能力」問題へと噛み砕いていったものですね。
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピック


 
問題の始まり / レース 引用
No.683 2013/11/10(Sun) 17:07:02

 問題の始まりと書かれ、考え込んでしまいました。なぜなら、対人としての性格の違いが大きいからこうなるのであって、こちらが変われば良いということなのかもしれません。

 また、原理原則行動法は、相手に感じたことは一切言わず、原理原則だけを言うとありますが、相手は、相手に感じたことを言っているから、人事の話になってしまうのではないでしょうか。これについては、島野さんはどうお考えでしょうか。やはり、こちらがキチンとしていれば良いことでしょうか。

 しかし、相手の問題というか、相手も変わらなければならない部分があると思えるのに、仕事ができるから良しと思われてしまうのは、微妙と感じました。

 これまでの、自分の未熟な部分からの、捉え方も作用しているとは感じます。

 社会に出るとは、対人問題を避けて通ることは出来ないですし、前進をしていくために考えていかなければならない。

 また、人は妬みなどで人を見る行動をする方もいます。
 
 


 
Re: 問題の始まり / しまの 引用
No.684 2013/11/10(Sun) 17:53:48

どんな課題場面で、まずはどんなことができた、それについてどう言われたといった具体的内容を書いて頂ければ、実際の対処方法についてより具体的アドバイスができるかと思います^^。
具体的なノウハウ積み重ねになってくると思います^^。


 
Re: 対人行動について / レース 引用
No.686 2013/11/12(Tue) 20:12:19


島野さん、回答ありがとうございます。

 どんな課題場面で、まずはどんなことができた、それについてどう言われたといった具体的内容ということなのですね。

 実際の対処方法についてより具体的アドバイスと、
 具体的なノウハウの積み重ねとのこと。

 
 ただ、直接言ってくるのではなく、上司に言っています。

 すべて気になる相手の行動に不満な方なのだと思います。


 
「人ではなく仕事を相手に仕事をする」^^ / しまの 引用
No.689 2013/11/14(Thu) 21:32:15

>どんな課題場面で、まずはどんなことができた、それについてどう言われたといった具体的内容ということなのですね。
>ただ、直接言ってくるのではなく、上司に言っています。すべて気になる相手の行動に不満な方なのだと思います。

具体的内容をお聞きしてどんなアドバイスになるかをごく簡潔に言いますと、一言では
「人ではなく仕事を相手に仕事をする」
とでも言えるものになります。

つまり、まず「どんな課題場面で、まずはどんなことができるか」段階で、「原理原則行動法」中心として、与えられた課題について最大の効果を生み出せる行動法を取る。
それができれば、相手にとっても一緒に仕事をして有益なので、その後の「どう言われる」という問題はもう起きなくなります。

「仕事」というものには、そうした「どう言われる」ということなど全く心配無用になる答えがあるということですね。それが「仕事のスキル」というものでもあります。

で、まずはそれはどういうことかを説明するのに、具体的内容になってくるという次第です^^。


 
仕事について / レース 引用
No.690 2013/11/15(Fri) 20:18:56


 島野さん、具体的な回答をありがとうございました。

 理解することができました。

 この回答の言葉をよく考えて見ます。



生活について / ピヨ 引用
No.671 2013/10/27(Sun) 21:48:44

 晴天の休日、家の掃除と物の整理をして片付きました。
また、自分の予定、読書や買い物等やりたいこともやることも済ませ快適です。
仕事も、順調にこなしています。
 それから、食事のありがたさ・晴天のうれしさ・夜の睡眠のうれしさも感じています。
その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。
 その日のやることを、行い快適であること。
 話は、変わりますが、人口動態や社会問題にも目を向けてみると、人口推移では、60才以上になると、男性が減っていることを見ました。

 生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。

 そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。健康の保持と、加齢からくる老化や自分の弱点からの症状などは受け入れながら、回復や目的と発想を目指すということになるのかと感じました。また、絆を考えながら。

 島野さん、別の見方がありましたらお願いします。
 

 


 
「何のために生きるか」という問いが消える歩み^^ / しまの 引用
No.672 2013/10/30(Wed) 09:36:49

>その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。その日のやることを、行い快適であること。
>生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。

「何をするため、何のために生きるか」という問いに対しては、いろいろな表現ができると思いますが、
まずは「幸福になるために生きる」というのが素朴で素直な話になると思います^^。

ハイブリッド心理学「取り組み実践」としては、昨日アップした『入門』『3.取り組み実践』でも書いていますが、
「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、自らの「望み」に向き合い、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
というのが、「何のために生きるか」というか、「どう生きるか」という、ハイブリッド心理学からの「生き方」の答えそのものになります。

そこで「幸福」とはか、「望み」とはかという具体的な話になってきて、それはまずやはり「楽しみ」「快適さ」「健康」といったものであるのが、自然な姿として良いものと思いますね^^。「絆」もですね。

ハイブリッド心理学としては、そこからはさらにそうした「幸福」「望み」に向かうための、より具体的な思考法と行動法や価値観への取り組み重視しています。そうした具体的なものにおいて誤った方向に向かうと、なかなか「幸福」に近づけず、「何のために生きる?」という問い嘆きを含んだものになってしまいがちです。

また、そうして「幸福」「望み」に自ら向かう思考法行動法積み重ねを通して、「望み」そのものが、より惑いなく、「結果」をあまり問うことなく「幸福感」増えていくもの変化するよう、「成熟」道のりがあると考えているのがハイブリッド心理学です。
その先に、「自分」というのは大きな「命」のつながりの中の、ほんの断片、ほんの仮りの姿感じるようになるという「永遠の命の感性」に至った時、「何のために生きる?」という問いそのもの消えている、という心の成長歩みがある、と。

この辺の話手短にまとめたものを、『入門』引き続き書いていきますのでご参考にして頂ければ^^。


 
物思い・恋・生活について / ピヨ 引用
No.675 2013/11/03(Sun) 10:30:48

・「幸福になるために生きる」
・「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
・「楽しみ」「快適さ」「健康」「絆」。

島野さん、コメントありがとうございました。上記は、素敵な言葉であると感じました。

 ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

 最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。
たしかに、心から想う方がいる時は、その方に言葉や関心を向けることが自分の望みそのものとなり全力を尽くして生きているといえます。

 しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

 それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。


 恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

 コメントお聞かせ下さい。


 
「恋」が「愛」に変化する道への目^^ / しまの 引用
No.676 2013/11/04(Mon) 17:19:56

体調悪化を伴う治癒

>ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

『理論編下巻』の
4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−

などで説明している、特別な治癒過程についてのかと思います。
一言でいうと、病んだ心の底には、普段は蓋をされた、不安定な感情の塊があり、何かの衝撃的な体験の中でその蓋が取れて、不安定な感情の塊が一度どっと吐き出された後に、すっきりと健康になった心が現われることがあるという話ですね。
心理療法の世界では「カタルシス」と呼ばれているものの一種と言えると思います。その中には、不安定な感情の塊どっと吐き出される時一時的に体調悪化が起きることもありますが、心配はいりませんというですね。

ですので、「頭がボーッとして物思いにふける」といった状態は、まずは全く関係ない話になると思います。まこれは誰でも時にはあることということで^^。


「恋」が「愛」に変化する道への目

「恋」はまずは、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
お答えした話の中での、

「恋愛」同義語という話で良いかと思います。「愛」よりも「欲」比率が高いもの。

>しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

というように。

一方、「恋」「愛」入り口とも言えますね。まだ「愛」にはなり切れてないとしても、その先本当の「愛」見出されるかも知れない。
「恋」→「愛」→「絆」(つながりが保たれる)
という過程がある、というになると思います。

ということで、僕からの意見としては、人生の大きなテーマとしてあるのは、一番太い「愛」と「絆」ですので、それに向かう途上過程について言うならば、

>最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。

というのは、まあそうだと言ってもいいかも知れませんね。
でももっと大切なのは、「恋をする気持ち」「本当の愛」へと変えていくもの何か見る目だという言葉を添えたい^^。
でそれは何かと言いますと、ハイブリッド心理学からは、
「愛」外面行動としては「分かり合い認め合う」ことではなく「喜びと楽しみの共有」として向かう
「愛」「欲」まだ混ざっている場合には、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではな惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、というを持っておく。

この2点を踏まえて、あとはもう「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすことだ、と。そうして多少悩み苦しむ体験経る中で、「恋」が「愛」に変化していくとはどういうことかが、分かってくる、と。これはもう長い人生の道のりそのものになりますね。

>それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。

これはまあ、仕方ないこともあるとして、もったいないことだという話になるかと。まずは自分「こんな状況では無理」と決めつけないで、心をオープンにしておくことから、というになるかと^^。


「人類愛」

ということで、

>恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

への返答としては、
「恋」「愛」への入り口としては必要。ただし、その入り口に入ったら、いつまでもその入り口を見ているのではなく、その先「愛」目を向けたい。

また一番太い「愛」と「絆」は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものだと思います。
ですので「人類」という全体自分が相手にするものとして本当に「愛」の感情を持つというのは、一般的な人間ではちょっと難しいと思うのですが・・。嘘偽りのない「人類愛」持つ可能性のある人としてまず考えられるのは、たとえばローマ法王とかダライ・ラマといった人物が浮かぶのですが。

ちなみに自分の執筆を、「人間のための仕事」と感じる感覚でやっているのですが、「人類愛」となるとどうも・・という感じですね^^; 自分が「愛」を向ける相手とのしての人類全体なんて、とてもじゃないけど僕のイメージ能力の中には入らない。
島野はあくまで俗人凡人ということで・・^^ゞ


 
生き方について / ピヨ 引用
No.677 2013/11/04(Mon) 20:45:24

 島野さん、回答ありがとうございます。

「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすのは、愛を得られる過程となり得るからということ。

 恋の、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではなく惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、という目を持っておき、その先の「愛」に目を向る。
 また、一番太い「愛」と「絆(つながりが保たれる)は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものであり。「喜びと楽しみの共有」として向かう。


「人類愛」とは、表現の仕方に語弊がありました。
島野さんのように、人間の大切なことを教える方の活動のことを言いたかったのでした。「人間のための仕事」とありました。
 話は変わりますが、いろいろな職業がありますが、ほとんどが人間のための仕事と感じますが、島野さんは、「生き方を教える人間の基本の心の仕事」と感じます。

 家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

 また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

 それから、自己の価値を持つことは基本ですが、家庭や職場の人間同士の違いで体調を崩される方が多いと感じますが、その方の行動を見て感じること(なぜ相手は、否定的な感情の方なのだろう。周りが振りまわされて、逆にこちらが疲れるなど)がこちら側の人間の生き方の学びになります。
 そして、この中での疲労感は、自己こちら側の未熟・弱いな部分であったり、自信が無い時に出やすいこともありえるえとも感じます。

 人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。
 
 島野さんのコメントを聞かせて下さい。
 


 
Re: 生き方について / しまの 引用
No.678 2013/11/06(Wed) 18:10:50

>家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

これも、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
(↑クリックして表示される最後の記事)
で言った、太い絆細い絆になりますね。絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆数に限りがあるものになると思います。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、他の異性と過度に親密になるのは避けるのが「誠実」だという話になるかと^^。

>また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

「恋」から始まるのは異性相手愛と絆の場合ですね^^。

>人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。

対人行動社会行動での「学び」になりますね。これはもうハイブリッド心理学「取り組み実践」として、「建設的行動法」など具体的「学び」用意していますので、何か具体的材料などあれば個別新規トピック質問頂くと良いかと思います^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.679 2013/11/06(Wed) 19:48:15

絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆は数に限りがあるとのこと。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、親密な異性は避けるということ。

 対人行動や社会行動での「学び」。
具体的材料などあれば個別に新規トピックで質問頂くとのこと。

 分かりました。

 島野さん、コメントありがとうございました。


 
/ ピヨ 引用
No.682 2013/11/10(Sun) 16:47:14


 島野さんの文2010、1、21 命の生涯より、

(全ての人に愛される愛を手にする「心の強さ」を支えに、もう一つの命の望み、「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」に、向き合うのが良い。
これは人により、これからの実際の外面目標にする場合もあるし、人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合もあるでしょう。)について。

 (1)実際の外面目標にする場合もある。

 (2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合    もある。

 上記、(1)・(2)について、もう少し、お聞きしたいと感じます。噛み砕いて、例えば〜などとコメントを望みます。


 
「ただ一人の相手と愛し愛される」という人生テーマ^^ / しまの 引用
No.685 2013/11/12(Tue) 09:50:31

2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
書いたものですね^^。

「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」について、

(1)実際の外面目標にするケース
これは現在恋人がおり結婚模索している、あるいは今は相手がおらず婚活などで相手探しをする、といったものが当てはまりますね。
またすでに結婚している場合も、夫婦をより深めることに努力する、など。

(2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になるケース
受験就職恋愛どころではないという場合も、そもそも何のために進学、そして就職するのか、といった「人生観」への向き合い大切です。一流大学一流企業に行けたとして、どのように幸福になれるのか。ただ仕事に身をすり減らして一生を終えて満足か。
するとそこには必ず本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標テーマが出てくると思います。一流企業は、そのためのほんの一つの手段に過ぎないかも知れない。まあもちろん異性獲得が目的の全てではないとして。
というように、今は恋愛結婚に向かうのではないとして、まずは「内面考察をするというものです^^。

「晩婚活」なんてのも昨今はあるようで、にとっても、人生のテーマになるという話ですね^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.687 2013/11/12(Tue) 20:48:30


 仕事は、異性と出会うためという選択より、〜になりたいう職業・自分の希望があり選んでいる比重が高いと感じます。

 また、その仕事から得られる経験と能力の向上・誇りなどが得られるとも感じます。
快適な生活の質を高めることにもなります。しかし、過労や人間関係など心身の負担も伴うとも感じます。
 
 家族が仲良く暮らしていない家庭も多い気がします。なんかしらの悩みもあるとも感じます。自ら、一生独身を選択する方もいると思います。そういう生き方もあると思います。

 本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標は、素敵なことです。

 内面考察は、人生観に大切と感じました。



初めて質問させていただきます。 / ミクラス 引用
No.673 2013/10/31(Thu) 12:50:30

こんにちは。ミクラスと申します。
以前にも一度、コメントさせていただきました。

わたしは今までの人生の中で、悩み苦しみが非常に多かったため、その苦しみを軽減するために真理を追求してきました。そして色々な宗教や哲学、自己啓発法などを学びましたが、いまではこの島野先生の心理学こそが終着点であると、信じています。

まだ、入門編の上下巻を読んでいるのみですが、読むスピードもゆっくりで、熟読して内容を十分理解済みとは言えないと思いますが、無礼を承知で質問させて頂きたいと思います。

手短に話しますと、私は今ブログを書いていますが、読者の反応が悪かったり、コメントが来なかったり、こちらのコメントに返信がなかったりすると、がっかりしてしまうことが、度々ありました。

それでも、自分の中で書きたい思いがあるのだから…と、書き続けてきました。また、自分もコメントをもらったら嬉しいのだから、みんなもそうだろうと思い、できる限り他のブログにコメントをしたり、悩んでいそうな人には励ましのメッセージを送ったりしてきました。それは自分の中に、そうしてあげたい。愛したい衝動というか思いがあるからこそ、そうしているのだと思っていました。

しかし今日、それは結局、自分が愛したいのではなく「愛されたい」思いの裏返しに過ぎないということに気づいたのです。ブログのランキングとかを気にするのも結局は自我で(島野先生は違いますよ。ご自分で素晴らしい教えを確立されたのですから、それを多くの人に広めるのは素晴らしいことです)、自己満足の道具に過ぎないと思うようになりました。

そんなこんなで、ブログに対する熱も急激に冷めつつあります。その一方で「不完全性の受容」という観点から見れば、そんな自己の不完全性を認めつつ、自分の本当の願いを求めて行くべきなのかとも思います。ただ、その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし、そのへんの答えが、自分の中で見つからない状態です。

島野先生のご著書をもう少しじっくり読み込んで、腹に落とし込んでいけば自ずと解決する問題かとも思いますが、差し支えなければ良きアドバイスを頂きたいと思います。

よろしくお願いいたします。


ミクラス


 
「応用の学び」と「向き合い」の例として^^ / しまの 引用
No.674 2013/11/01(Fri) 12:08:25

学び方

>まだ、入門編の上下巻を読んでいるのみですが、読むスピードもゆっくりで、熟読して内容を十分理解済みとは言えないと思いますが、無礼を承知で質問させて頂きたいと思います。

これについては、ぜひ先日アップ
『入門 - 3.取り組み実践』
に書いた進め方頭に入れておいて頂ければればと思います^^。

「3ステップ」として書いた、後ろ2つ「応用の学び」「向き合い」というのがとても重要になってきます。その積み重ねが、ハイブリッド心理学への取り組みの歩み前進です。
一方『入門編』などは最初「基本的な学び」教養科目的な部分になりますね。

ですので、『入門編』もまずはざっと読めるところまで読んだら、「応用の学び」どうなるのか重点を移していくのが良いかと。まあそのための材料読みやすく提供するのが、これから着手予定『メール相談事例集』とかなんですけどね。この掲示板で質問頂くのもウエルカムです^^。

そうして「応用の学び」「向き合い」ステップ実践していく中で、また再度『入門編』など時間の折じっくり読んでみて、自分の理解納得度を確認してみる、といった長い取り組みを考えていくのが良いかと^^。


「応用の学び」と「向き合い」の例として

で、書いて頂いた話について言えば、「応用の学び」として重要になってくる題材は、

>今までの人生の中で、悩み苦しみが非常に多かったため

と書いておられる「悩み苦しみ」場面そのもの他ならなくなると思います。もちろん解決済みであればいい話として^^。
それに比べれば、今回の話は比較的「周辺的」な話かも知れませんが、「応用の学び」「向き合い」としてはどんな話になるかのとして、ちょっと書いてみますと、

まず取り組みの指針は、
「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」を携え、「望み」に向き合い向かう。
ですね。

外面行動については、ブログを書く、他の人のブログにコメントを書く。それらは建設的な行動として良いと思いますヨ。中傷などを書くのでなければ。
一方内面感情については、コメントがないとガッカリする、人を愛したい気持ちからコメントする、実は自己満足であったことに気づく。それで自然だと思いますヨ。人との関係への行動とは、まあそんなものからだと思います。誰だってそう最初から心が純粋で統一できているわけではない^^; そうした自分の「望み」に含まれる、さまざまな感情の要素を、ありのままに感じ向き合う中で、次第に変化していきます。より嘘のないのへ。
こうした揺れ動きの中で、自分の本当の「望み」を見極める姿勢を持った上で、そうした揺れ動きにもなるであろう体験に、むしろ積極的に向かうことの方がむしろ重要です。

そうして外面行動建設的なものの範囲内で行い、内面感情にも向き合う中で、変化したなら、再びそこから歩み始めればいいわけです。新しい自分として。
「感情と行動の分離」を携え、「望み」に向き合い向かうという、一貫した歩みとしてです。
そこにおいて、

>自分の本当の願いを求めて行くべきなのかとも思います。ただ、その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし、

で言えば、「本当の望み」探求し続ける「べき」でしょうし、自分を不幸に追い込むのは、むしろそれ、つまり「望み」の探求やめてしまうことです。
そうして「本当の望み」探求した結果ブログを続けるのかそれともやめるのかのどっちに転ぶかには、「べき」などありません。心が変化する中で、今本当にやりたいと思うことであればやればいいし、嫌気が勝るのなら放っておいても問題は何もないと思います^^。
どうするのが正しかというよりも、こうした体験を通して自分が成長するとはどういうことかをつかむのが重要になってくるということですね。

まずはこんなところアドバイスになりましたかどうか^^。
多少追加の着目点など書いておきますと、
>その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし
とは、自分の何をどう律しようとしたのか、その「律し方」に誤りがあるかも知れないというのは、もう少し詳しく検討する価値があるかもしれませんね^^。



自己の重心 / りょうたろう 引用
No.668 2013/10/25(Fri) 22:29:30

こんにちは。前回はアドバイスありがとうございました。

今回、新たな躓きと気づきがあったので質問させていただきます。
まず外面についてです。前回の投稿をしてからは、大学で民法や経営の講義を受ける中で、社会の中に生きる存在としての自分を感じるようになりました。自分は権利を持った存在であること、様々な契約の束の中にいること。そういった世の中の仕組みについてよく知り、権利や契約を使ってしっかり身を守りながら生き抜いていく。そのように考えると何だか社会を無人島に見立てたサバイバルのようで、少し楽しさを感じます。私がやっている皿洗いのアルバイトでは、お客様に料理とサービスを提供することを全員で目指しているのであり、そのうち一部を自分は受け持っているのだと考えるようになりました。同じ職場の人達は共通の目標を持ちそれぞれの役割をもった人たちだと思うと、今まで仕事中に感じていたストレスのうち多くが軽減しているのを感じます。

外面はこのような感じなのですが、内面については大きな躓きを感じています。前回のアドバイスの通り「ちやほやされる」という空想を思い切り解放してみようとしてみたのですが、なんというか奥行きのない絵画のように、なんのイメージも掴めないのです。普段はこの空想が頭の中を占領しているといってもいいくらいなのに。
そこで思ったことは、ちやほやされることを私が望んでいるというより、そもそも他人の目の中でしか自分というものをイメージできないのではないか、ということです。

別の機会にじっくりと自分の子供時代を思い返してみたのですが、どうも記憶の続く限り遡ってみても自分はすでに自らを監視し制御しようとする心の動きを持っていたようです。親に気に入られようとして異なる自分を演じようとする子供の姿は別段珍しくもないのかもしれません。しかし、当時の私自身は何か、何かが他人と違うと感じていました。自分という存在がいて、念じれば手足が動くし考えることもできることを不思議に思っていましたし(この感覚についてはうまく表現する言葉が思いつきません)、叱られた時の自分の傷つきやすさはちょっと異常だという意識さえありました。親などに叱られた時は、言い訳も謝罪も言うことができず硬直していて、「とてつもなく恐ろしいことが起きてしまった」という思いが頭の中をぐるぐる回っていました。叱られることに対する異常な恐怖は今でも変わらず続いていて、激しく糾弾されている人をみると「自分がもしあれほどの怒りを向けられたら、死んでしまうのではないか」とさえ思います。それから今思い出したもう一つのエピソードは、私の財布か何かを買いに行った時の話です。「好きなのを選んどいてね」と言って母親は別の売り場へ行ってしまったのですが、一人になるとどれを選んだらいいか分からず戻ってきた母親を呆れさせました。そう言えば「呆れられる」ことも大きな恐怖の対象ですね。

とにかく、自分に対して演技をしているような違和感は、もはやいつから始まったのか分からないほど慣れ親しんでいます。そこから、周りの人たちは「当たり前に生きている」のに自分はそうではない、という拭い難い感覚が生まれたように思います。

これはハイブリッド心理学でいうところの「自己の重心」の話だろうと思います。今現在悩んでいるのは、何か精神的に動揺することがあると「自己操縦モード」に切り替わり、何時間でもネットサーフィンをしたり空想にふけったりしてしまいます。そうしたいという積極的な気持ちはなく、何かから逃げるような不安感だけがあります。そして「自分を持てない」ことが時として死にたくなるほどの惨めさという形でのしかかってきます。

自己の重心を失った今の状態を受け入れて、現実の問題の解決へ向かうということしか私には思いつきませんが、どう思われますでしょうか。


 
Re: 自己の重心 / りょうたろう 引用
No.669 2013/10/27(Sun) 16:41:36

この投稿をしてから、しばらく頭の中の雑音が消え去って現実感が戻ったような状態になりました。その時の私は、ギュッと身を固くして、何かに怯えるような心境でした。現実のすべてが自分を押しつぶそうとしているように感じられ、いつしか私が空想の中で生きるようになったことも無理もないと思えるほどでした。

同時に、ハイブリッド心理学に出会ってから、現実に向かって生きていこうと「決意」したことも嘘っぱちだったと思いました。現実を改善するくらいなら空想の部屋に逃げ込んでしまった方が楽だ。それが私の一貫した姿勢であったと思います。実際には全く楽などではなく、常に現実がドアを叩いてくるのに怯えなければなりません。時折それに対して「もう耐えられない」となるのですが、それでもやはり抜け出ることができませんでした。

自分は何かから逃げ続けるために生まれてきたのだろうか、そんなはずはない、と考えずにはいられません。しかも自分の意志で逃げているというより、足が勝手に動いていて私はそれを見ていることしかできないような感じです。

読み返してみると、誰が書いたのかと思うような病んだ文章が出来上がっていたので少し驚きました。白状すれば、私はこの掲示板で「物わかりのいい生徒」を演じようとしていましたし、今回は苦しみを見せつけて同情を引こうという気持ちがあります。しかし島野さんなら、私がいくら喚いてもブレない存在でいてくれるだろうという予感もあります。
正直なところ今ここに書いたことすら真実なのか分かりません。頼むから何か確かなものをくれ、と叫びたい気分です。

今の私に何かアドバイスはあるでしょうか。


 
「自己不全感覚」は「取り組むことなく消える道」へ^^ / しまの 引用
No.670 2013/10/27(Sun) 18:27:45

社会生活の前進^^

>そういった世の中の仕組みについてよく知り、権利や契約を使ってしっかり身を守りながら生き抜いていく。そのように考えると何だか社会を無人島に見立てたサバイバルのようで、少し楽しさを感じます。

まさにそれ
「人生観」の学び
で言った「大自然を生きる一匹型人生観」ですね^^。前回投稿頂いた『大人になりたくなかった?』とかの感覚からは大きく前進かと^^。

>私がやっている皿洗いのアルバイトでは、お客様に料理とサービスを提供することを全員で目指しているのであり、そのうち一部を自分は受け持っているのだと考えるようになりました。同じ職場の人達は共通の目標を持ちそれぞれの役割をもった人たちだと思うと、今まで仕事中に感じていたストレスのうち多くが軽減しているのを感じます。

ちょーGoodな前進ですね^^。まさにその方向の先に、「仕事の普遍的スキル」(*)などもありますので、大学の授業などもいい情報源として、「権利」「契約」など「原理原則」さらに実践的な面への視野広げていくと良いと思います^^。

(*)最近よく参考にあげていますが以下など参照^^
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20
のトピック
の中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586
2013/07/23



「望みの開放」

>前回のアドバイスの通り「ちやほやされる」という空想を思い切り解放してみようとしてみたのですが、なんというか奥行きのない絵画のように、なんのイメージも掴めないのです。普段はこの空想が頭の中を占領しているといってもいいくらいなのに。

については、「望みの開放」は、「あれば、ありのままに、なるべく思いっきり、開放する」取り組み実践です。「あれば」そうする「なければ」それだけの話^^;
普段は頭が占領されるとのことですので、そうしたに、「なるほど自分の望みはこんな絵か」と、「記録」するように自覚確認するのがいいですね。それが引き続きの向き合い良い材料になると思います。


「自己不全感覚」は「取り組むことなく消える道」に取り組む

>今現在悩んでいるのは、何か精神的に動揺することがあると「自己操縦モード」に切り替わり、何時間でもネットサーフィンをしたり空想にふけったりしてしまいます。そうしたいという積極的な気持ちはなく、何かから逃げるような不安感だけがあります。そして「自分を持てない」ことが時として死にたくなるほどの惨めさという形でのしかかってきます。自己の重心を失った今の状態を受け入れて、現実の問題の解決へ向かうということしか私には思いつきませんが、どう思われますでしょうか。

残りのこうした話「自己不全感覚」とか呼べる問題と思いますが、ハイブリッド心理学から言えるのは、それを直接どうこうして治すような「治療法」はない、ということです。
「自分を持てない」ことをどうするかではなく、「これが自分だ」と思える確かなものを持つようにしていくことです。それを一つ一つ積み重ねていくことです。その先に、「こんな自分を持てない自分は・・」といった「自己不全感覚」は、やがて波間に消えるように、自ず克服されていきます。
たとえば、

>叱られることに対する異常な恐怖は今でも変わらず続いていて、激しく糾弾されている人をみると「自分がもしあれほどの怒りを向けられたら、死んでしまうのではないか」とさえ思います。
>そう言えば「呆れられる」ことも大きな恐怖の対象ですね。

というであれば、「怖れの克服」という課題地道向かう。まず言えるのは、本当に死んでしまうのは甚大な物理身体的危害がある場合です。そうした「現実」を見る目と、自分の思考感情不合理向き合う。もちろん問題対処の行動法習得することの上でです。
そうした、具体的材料ベース「これが自分の考え」という確かで信頼できるもの積み重ねに、「自分を持てない自分」も、いなくなっていることに気づく、という道のりになると思います。

ですのであとは、そうしたさまざまな「自己不全感覚」あまり深刻に取りあげないことですね。「これをどうにかしなければ」という意識集中によって、さらにヘンに(^^;)なってしまう。今すぐにはどうこうしようもない見据え上述のような取り組み向かうことです。

>私はこの掲示板で「物わかりのいい生徒」を演じようとしていましたし、今回は苦しみを見せつけて同情を引こうという気持ちがあります。しかし島野さんなら、私がいくら喚いてもブレない存在でいてくれるだろうという予感もあります。

この点については、ハイブリッド心理学は基本的に自己取り組み心理学であり、その上で役に立つことだけ僕からはコメントしますのでご安心ご了承(?^^;)あれ^^。




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