しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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生活について / ピヨ 引用
No.671 2013/10/27(Sun) 21:48:44

 晴天の休日、家の掃除と物の整理をして片付きました。
また、自分の予定、読書や買い物等やりたいこともやることも済ませ快適です。
仕事も、順調にこなしています。
 それから、食事のありがたさ・晴天のうれしさ・夜の睡眠のうれしさも感じています。
その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。
 その日のやることを、行い快適であること。
 話は、変わりますが、人口動態や社会問題にも目を向けてみると、人口推移では、60才以上になると、男性が減っていることを見ました。

 生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。

 そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。健康の保持と、加齢からくる老化や自分の弱点からの症状などは受け入れながら、回復や目的と発想を目指すということになるのかと感じました。また、絆を考えながら。

 島野さん、別の見方がありましたらお願いします。
 

 


 
「何のために生きるか」という問いが消える歩み^^ / しまの 引用
No.672 2013/10/30(Wed) 09:36:49

>その後、「何をするために生きているのだろう」と感じました。その日のやることを、行い快適であること。
>生きることは、楽しむことと、自分の弱点の克服ということも分かりますが上記のように、快適であるとそれだけでうれしい気持ちになり、悩みや弱点を忘れるような気分になりました。そして感じたことは、快適の上で「健康で生活する」ことが目的にしようと感じました。

「何をするため、何のために生きるか」という問いに対しては、いろいろな表現ができると思いますが、
まずは「幸福になるために生きる」というのが素朴で素直な話になると思います^^。

ハイブリッド心理学「取り組み実践」としては、昨日アップした『入門』『3.取り組み実践』でも書いていますが、
「感情と行動の分離」の姿勢と実践を携え、自らの「望み」に向き合い、「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
というのが、「何のために生きるか」というか、「どう生きるか」という、ハイブリッド心理学からの「生き方」の答えそのものになります。

そこで「幸福」とはか、「望み」とはかという具体的な話になってきて、それはまずやはり「楽しみ」「快適さ」「健康」といったものであるのが、自然な姿として良いものと思いますね^^。「絆」もですね。

ハイブリッド心理学としては、そこからはさらにそうした「幸福」「望み」に向かうための、より具体的な思考法と行動法や価値観への取り組み重視しています。そうした具体的なものにおいて誤った方向に向かうと、なかなか「幸福」に近づけず、「何のために生きる?」という問い嘆きを含んだものになってしまいがちです。

また、そうして「幸福」「望み」に自ら向かう思考法行動法積み重ねを通して、「望み」そのものが、より惑いなく、「結果」をあまり問うことなく「幸福感」増えていくもの変化するよう、「成熟」道のりがあると考えているのがハイブリッド心理学です。
その先に、「自分」というのは大きな「命」のつながりの中の、ほんの断片、ほんの仮りの姿感じるようになるという「永遠の命の感性」に至った時、「何のために生きる?」という問いそのもの消えている、という心の成長歩みがある、と。

この辺の話手短にまとめたものを、『入門』引き続き書いていきますのでご参考にして頂ければ^^。


 
物思い・恋・生活について / ピヨ 引用
No.675 2013/11/03(Sun) 10:30:48

・「幸福になるために生きる」
・「望み」に向かって全てを尽くして生きる。
・「楽しみ」「快適さ」「健康」「絆」。

島野さん、コメントありがとうございました。上記は、素敵な言葉であると感じました。

 ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

 最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。
たしかに、心から想う方がいる時は、その方に言葉や関心を向けることが自分の望みそのものとなり全力を尽くして生きているといえます。

 しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

 それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。


 恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

 コメントお聞かせ下さい。


 
「恋」が「愛」に変化する道への目^^ / しまの 引用
No.676 2013/11/04(Mon) 17:19:56

体調悪化を伴う治癒

>ハイブリッツト心理学の考えを進めていくと、一時期体調が悪くなると書かれていたことについて、私は最近身体と頭部もスッキリ快適ですが、頭がボーッとして物思いにふけっているような時があります。これは、関係あるのでしょうか。

『理論編下巻』の
4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−

などで説明している、特別な治癒過程についてのかと思います。
一言でいうと、病んだ心の底には、普段は蓋をされた、不安定な感情の塊があり、何かの衝撃的な体験の中でその蓋が取れて、不安定な感情の塊が一度どっと吐き出された後に、すっきりと健康になった心が現われることがあるという話ですね。
心理療法の世界では「カタルシス」と呼ばれているものの一種と言えると思います。その中には、不安定な感情の塊どっと吐き出される時一時的に体調悪化が起きることもありますが、心配はいりませんというですね。

ですので、「頭がボーッとして物思いにふける」といった状態は、まずは全く関係ない話になると思います。まこれは誰でも時にはあることということで^^。


「恋」が「愛」に変化する道への目

「恋」はまずは、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
お答えした話の中での、

「恋愛」同義語という話で良いかと思います。「愛」よりも「欲」比率が高いもの。

>しかし、本能である性を満たしたいから・取り残されたくないから・寂しいからなど、自己満足のためという部分というかそういう観点の場合の恋愛の形も考えられるケースがある。

というように。

一方、「恋」「愛」入り口とも言えますね。まだ「愛」にはなり切れてないとしても、その先本当の「愛」見出されるかも知れない。
「恋」→「愛」→「絆」(つながりが保たれる)
という過程がある、というになると思います。

ということで、僕からの意見としては、人生の大きなテーマとしてあるのは、一番太い「愛」と「絆」ですので、それに向かう途上過程について言うならば、

>最近知人との話の中で、「恋をする気持ちを忘れたらおしまいだよ」とありました。

というのは、まあそうだと言ってもいいかも知れませんね。
でももっと大切なのは、「恋をする気持ち」「本当の愛」へと変えていくもの何か見る目だという言葉を添えたい^^。
でそれは何かと言いますと、ハイブリッド心理学からは、
「愛」外面行動としては「分かり合い認め合う」ことではなく「喜びと楽しみの共有」として向かう
「愛」「欲」まだ混ざっている場合には、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではな惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、というを持っておく。

この2点を踏まえて、あとはもう「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすことだ、と。そうして多少悩み苦しむ体験経る中で、「恋」が「愛」に変化していくとはどういうことかが、分かってくる、と。これはもう長い人生の道のりそのものになりますね。

>それから、失恋中とか・子供等を養うために仕事だけの生活で恋どころではない・恋する方がいない・勉強や趣味で時間を使っている・治療中などと生活は、恋をすることだけではないと想います。

これはまあ、仕方ないこともあるとして、もったいないことだという話になるかと。まずは自分「こんな状況では無理」と決めつけないで、心をオープンにしておくことから、というになるかと^^。


「人類愛」

ということで、

>恋も、楽しみ・健康に含まれると思いますが、島野さんの考えからは、恋は望みとなり必要なものと考えるのか、人を愛し絆に結びつく過程と見るのか。それとも、恋だけの一対一の関係ではなく、人類を愛することが幸福と見るのか。

への返答としては、
「恋」「愛」への入り口としては必要。ただし、その入り口に入ったら、いつまでもその入り口を見ているのではなく、その先「愛」目を向けたい。

また一番太い「愛」と「絆」は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものだと思います。
ですので「人類」という全体自分が相手にするものとして本当に「愛」の感情を持つというのは、一般的な人間ではちょっと難しいと思うのですが・・。嘘偽りのない「人類愛」持つ可能性のある人としてまず考えられるのは、たとえばローマ法王とかダライ・ラマといった人物が浮かぶのですが。

ちなみに自分の執筆を、「人間のための仕事」と感じる感覚でやっているのですが、「人類愛」となるとどうも・・という感じですね^^; 自分が「愛」を向ける相手とのしての人類全体なんて、とてもじゃないけど僕のイメージ能力の中には入らない。
島野はあくまで俗人凡人ということで・・^^ゞ


 
生き方について / ピヨ 引用
No.677 2013/11/04(Mon) 20:45:24

 島野さん、回答ありがとうございます。

「恋」という「望み」に向かって全力を尽くすのは、愛を得られる過程となり得るからということ。

 恋の、「欲」の部分はいずれ自分を豊かにするのではなく惑い悩ませ、心を貧しくさせるものになる、という目を持っておき、その先の「愛」に目を向る。
 また、一番太い「愛」と「絆(つながりが保たれる)は、あくまで一対一で直接相手にできる者へのものであり。「喜びと楽しみの共有」として向かう。


「人類愛」とは、表現の仕方に語弊がありました。
島野さんのように、人間の大切なことを教える方の活動のことを言いたかったのでした。「人間のための仕事」とありました。
 話は変わりますが、いろいろな職業がありますが、ほとんどが人間のための仕事と感じますが、島野さんは、「生き方を教える人間の基本の心の仕事」と感じます。

 家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

 また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

 それから、自己の価値を持つことは基本ですが、家庭や職場の人間同士の違いで体調を崩される方が多いと感じますが、その方の行動を見て感じること(なぜ相手は、否定的な感情の方なのだろう。周りが振りまわされて、逆にこちらが疲れるなど)がこちら側の人間の生き方の学びになります。
 そして、この中での疲労感は、自己こちら側の未熟・弱いな部分であったり、自信が無い時に出やすいこともありえるえとも感じます。

 人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。
 
 島野さんのコメントを聞かせて下さい。
 


 
Re: 生き方について / しまの 引用
No.678 2013/11/06(Wed) 18:10:50

>家族や同僚や友人以外でも、異性の友人・同僚とも、愛・絆を作ることは、良いことと捉えても良いものと感じます。しかし、配偶者がある方は、他の異性とは親しく絆をつくることを不倫とかとらえたり、タブーと見る方もいます。

これも、
『「愛」と「欲」と「絆」』 しまの No.664 2013/10/20
(↑クリックして表示される最後の記事)
で言った、太い絆細い絆になりますね。絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆数に限りがあるものになると思います。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、他の異性と過度に親密になるのは避けるのが「誠実」だという話になるかと^^。

>また、乳幼児や友人・同僚に対しては、同性・異性に関わらず、必ず恋から始まるものだけではなく、関心や尊敬などから愛・絆となると感じます。

「恋」から始まるのは異性相手愛と絆の場合ですね^^。

>人の行動や症状は、個別のものであるから、その人間の集団の人間関係の中で、感じる疲労感は自然なこととして受け止めて、そこから学ぶことで、なりたい自分を作っていくことにつながるとも感じています。

対人行動社会行動での「学び」になりますね。これはもうハイブリッド心理学「取り組み実践」として、「建設的行動法」など具体的「学び」用意していますので、何か具体的材料などあれば個別新規トピック質問頂くと良いかと思います^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.679 2013/11/06(Wed) 19:48:15

絆を作ることは良いことですが、本当に太い絆は数に限りがあるとのこと。
配偶者を本当に大切に思うのであれば、親密な異性は避けるということ。

 対人行動や社会行動での「学び」。
具体的材料などあれば個別に新規トピックで質問頂くとのこと。

 分かりました。

 島野さん、コメントありがとうございました。


 
/ ピヨ 引用
No.682 2013/11/10(Sun) 16:47:14


 島野さんの文2010、1、21 命の生涯より、

(全ての人に愛される愛を手にする「心の強さ」を支えに、もう一つの命の望み、「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」に、向き合うのが良い。
これは人により、これからの実際の外面目標にする場合もあるし、人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合もあるでしょう。)について。

 (1)実際の外面目標にする場合もある。

 (2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になる場合    もある。

 上記、(1)・(2)について、もう少し、お聞きしたいと感じます。噛み砕いて、例えば〜などとコメントを望みます。


 
「ただ一人の相手と愛し愛される」という人生テーマ^^ / しまの 引用
No.685 2013/11/12(Tue) 09:50:31

2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
書いたものですね^^。

「ただ一人の相手と愛し愛される」という「愛への望み」について、

(1)実際の外面目標にするケース
これは現在恋人がおり結婚模索している、あるいは今は相手がおらず婚活などで相手探しをする、といったものが当てはまりますね。
またすでに結婚している場合も、夫婦をより深めることに努力する、など。

(2)人の心におけるその位置づけについて改めて内面考察をするだけの形になるケース
受験就職恋愛どころではないという場合も、そもそも何のために進学、そして就職するのか、といった「人生観」への向き合い大切です。一流大学一流企業に行けたとして、どのように幸福になれるのか。ただ仕事に身をすり減らして一生を終えて満足か。
するとそこには必ず本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標テーマが出てくると思います。一流企業は、そのためのほんの一つの手段に過ぎないかも知れない。まあもちろん異性獲得が目的の全てではないとして。
というように、今は恋愛結婚に向かうのではないとして、まずは「内面考察をするというものです^^。

「晩婚活」なんてのも昨今はあるようで、にとっても、人生のテーマになるという話ですね^^。


 
Re: 生活について / ピヨ 引用
No.687 2013/11/12(Tue) 20:48:30


 仕事は、異性と出会うためという選択より、〜になりたいう職業・自分の希望があり選んでいる比重が高いと感じます。

 また、その仕事から得られる経験と能力の向上・誇りなどが得られるとも感じます。
快適な生活の質を高めることにもなります。しかし、過労や人間関係など心身の負担も伴うとも感じます。
 
 家族が仲良く暮らしていない家庭も多い気がします。なんかしらの悩みもあるとも感じます。自ら、一生独身を選択する方もいると思います。そういう生き方もあると思います。

 本当に愛せる異性を得て家族を作るといった人生の目標は、素敵なことです。

 内面考察は、人生観に大切と感じました。



初めて質問させていただきます。 / ミクラス 引用
No.673 2013/10/31(Thu) 12:50:30

こんにちは。ミクラスと申します。
以前にも一度、コメントさせていただきました。

わたしは今までの人生の中で、悩み苦しみが非常に多かったため、その苦しみを軽減するために真理を追求してきました。そして色々な宗教や哲学、自己啓発法などを学びましたが、いまではこの島野先生の心理学こそが終着点であると、信じています。

まだ、入門編の上下巻を読んでいるのみですが、読むスピードもゆっくりで、熟読して内容を十分理解済みとは言えないと思いますが、無礼を承知で質問させて頂きたいと思います。

手短に話しますと、私は今ブログを書いていますが、読者の反応が悪かったり、コメントが来なかったり、こちらのコメントに返信がなかったりすると、がっかりしてしまうことが、度々ありました。

それでも、自分の中で書きたい思いがあるのだから…と、書き続けてきました。また、自分もコメントをもらったら嬉しいのだから、みんなもそうだろうと思い、できる限り他のブログにコメントをしたり、悩んでいそうな人には励ましのメッセージを送ったりしてきました。それは自分の中に、そうしてあげたい。愛したい衝動というか思いがあるからこそ、そうしているのだと思っていました。

しかし今日、それは結局、自分が愛したいのではなく「愛されたい」思いの裏返しに過ぎないということに気づいたのです。ブログのランキングとかを気にするのも結局は自我で(島野先生は違いますよ。ご自分で素晴らしい教えを確立されたのですから、それを多くの人に広めるのは素晴らしいことです)、自己満足の道具に過ぎないと思うようになりました。

そんなこんなで、ブログに対する熱も急激に冷めつつあります。その一方で「不完全性の受容」という観点から見れば、そんな自己の不完全性を認めつつ、自分の本当の願いを求めて行くべきなのかとも思います。ただ、その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし、そのへんの答えが、自分の中で見つからない状態です。

島野先生のご著書をもう少しじっくり読み込んで、腹に落とし込んでいけば自ずと解決する問題かとも思いますが、差し支えなければ良きアドバイスを頂きたいと思います。

よろしくお願いいたします。


ミクラス


 
「応用の学び」と「向き合い」の例として^^ / しまの 引用
No.674 2013/11/01(Fri) 12:08:25

学び方

>まだ、入門編の上下巻を読んでいるのみですが、読むスピードもゆっくりで、熟読して内容を十分理解済みとは言えないと思いますが、無礼を承知で質問させて頂きたいと思います。

これについては、ぜひ先日アップ
『入門 - 3.取り組み実践』
に書いた進め方頭に入れておいて頂ければればと思います^^。

「3ステップ」として書いた、後ろ2つ「応用の学び」「向き合い」というのがとても重要になってきます。その積み重ねが、ハイブリッド心理学への取り組みの歩み前進です。
一方『入門編』などは最初「基本的な学び」教養科目的な部分になりますね。

ですので、『入門編』もまずはざっと読めるところまで読んだら、「応用の学び」どうなるのか重点を移していくのが良いかと。まあそのための材料読みやすく提供するのが、これから着手予定『メール相談事例集』とかなんですけどね。この掲示板で質問頂くのもウエルカムです^^。

そうして「応用の学び」「向き合い」ステップ実践していく中で、また再度『入門編』など時間の折じっくり読んでみて、自分の理解納得度を確認してみる、といった長い取り組みを考えていくのが良いかと^^。


「応用の学び」と「向き合い」の例として

で、書いて頂いた話について言えば、「応用の学び」として重要になってくる題材は、

>今までの人生の中で、悩み苦しみが非常に多かったため

と書いておられる「悩み苦しみ」場面そのもの他ならなくなると思います。もちろん解決済みであればいい話として^^。
それに比べれば、今回の話は比較的「周辺的」な話かも知れませんが、「応用の学び」「向き合い」としてはどんな話になるかのとして、ちょっと書いてみますと、

まず取り組みの指針は、
「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」を携え、「望み」に向き合い向かう。
ですね。

外面行動については、ブログを書く、他の人のブログにコメントを書く。それらは建設的な行動として良いと思いますヨ。中傷などを書くのでなければ。
一方内面感情については、コメントがないとガッカリする、人を愛したい気持ちからコメントする、実は自己満足であったことに気づく。それで自然だと思いますヨ。人との関係への行動とは、まあそんなものからだと思います。誰だってそう最初から心が純粋で統一できているわけではない^^; そうした自分の「望み」に含まれる、さまざまな感情の要素を、ありのままに感じ向き合う中で、次第に変化していきます。より嘘のないのへ。
こうした揺れ動きの中で、自分の本当の「望み」を見極める姿勢を持った上で、そうした揺れ動きにもなるであろう体験に、むしろ積極的に向かうことの方がむしろ重要です。

そうして外面行動建設的なものの範囲内で行い、内面感情にも向き合う中で、変化したなら、再びそこから歩み始めればいいわけです。新しい自分として。
「感情と行動の分離」を携え、「望み」に向き合い向かうという、一貫した歩みとしてです。
そこにおいて、

>自分の本当の願いを求めて行くべきなのかとも思います。ただ、その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし、

で言えば、「本当の望み」探求し続ける「べき」でしょうし、自分を不幸に追い込むのは、むしろそれ、つまり「望み」の探求やめてしまうことです。
そうして「本当の望み」探求した結果ブログを続けるのかそれともやめるのかのどっちに転ぶかには、「べき」などありません。心が変化する中で、今本当にやりたいと思うことであればやればいいし、嫌気が勝るのなら放っておいても問題は何もないと思います^^。
どうするのが正しかというよりも、こうした体験を通して自分が成長するとはどういうことかをつかむのが重要になってくるということですね。

まずはこんなところアドバイスになりましたかどうか^^。
多少追加の着目点など書いておきますと、
>その自分の思いが、結局は自分自身を不幸に追い込んでいくものだとしたら、そうすべきではないと思うし
とは、自分の何をどう律しようとしたのか、その「律し方」に誤りがあるかも知れないというのは、もう少し詳しく検討する価値があるかもしれませんね^^。



自己の重心 / りょうたろう 引用
No.668 2013/10/25(Fri) 22:29:30

こんにちは。前回はアドバイスありがとうございました。

今回、新たな躓きと気づきがあったので質問させていただきます。
まず外面についてです。前回の投稿をしてからは、大学で民法や経営の講義を受ける中で、社会の中に生きる存在としての自分を感じるようになりました。自分は権利を持った存在であること、様々な契約の束の中にいること。そういった世の中の仕組みについてよく知り、権利や契約を使ってしっかり身を守りながら生き抜いていく。そのように考えると何だか社会を無人島に見立てたサバイバルのようで、少し楽しさを感じます。私がやっている皿洗いのアルバイトでは、お客様に料理とサービスを提供することを全員で目指しているのであり、そのうち一部を自分は受け持っているのだと考えるようになりました。同じ職場の人達は共通の目標を持ちそれぞれの役割をもった人たちだと思うと、今まで仕事中に感じていたストレスのうち多くが軽減しているのを感じます。

外面はこのような感じなのですが、内面については大きな躓きを感じています。前回のアドバイスの通り「ちやほやされる」という空想を思い切り解放してみようとしてみたのですが、なんというか奥行きのない絵画のように、なんのイメージも掴めないのです。普段はこの空想が頭の中を占領しているといってもいいくらいなのに。
そこで思ったことは、ちやほやされることを私が望んでいるというより、そもそも他人の目の中でしか自分というものをイメージできないのではないか、ということです。

別の機会にじっくりと自分の子供時代を思い返してみたのですが、どうも記憶の続く限り遡ってみても自分はすでに自らを監視し制御しようとする心の動きを持っていたようです。親に気に入られようとして異なる自分を演じようとする子供の姿は別段珍しくもないのかもしれません。しかし、当時の私自身は何か、何かが他人と違うと感じていました。自分という存在がいて、念じれば手足が動くし考えることもできることを不思議に思っていましたし(この感覚についてはうまく表現する言葉が思いつきません)、叱られた時の自分の傷つきやすさはちょっと異常だという意識さえありました。親などに叱られた時は、言い訳も謝罪も言うことができず硬直していて、「とてつもなく恐ろしいことが起きてしまった」という思いが頭の中をぐるぐる回っていました。叱られることに対する異常な恐怖は今でも変わらず続いていて、激しく糾弾されている人をみると「自分がもしあれほどの怒りを向けられたら、死んでしまうのではないか」とさえ思います。それから今思い出したもう一つのエピソードは、私の財布か何かを買いに行った時の話です。「好きなのを選んどいてね」と言って母親は別の売り場へ行ってしまったのですが、一人になるとどれを選んだらいいか分からず戻ってきた母親を呆れさせました。そう言えば「呆れられる」ことも大きな恐怖の対象ですね。

とにかく、自分に対して演技をしているような違和感は、もはやいつから始まったのか分からないほど慣れ親しんでいます。そこから、周りの人たちは「当たり前に生きている」のに自分はそうではない、という拭い難い感覚が生まれたように思います。

これはハイブリッド心理学でいうところの「自己の重心」の話だろうと思います。今現在悩んでいるのは、何か精神的に動揺することがあると「自己操縦モード」に切り替わり、何時間でもネットサーフィンをしたり空想にふけったりしてしまいます。そうしたいという積極的な気持ちはなく、何かから逃げるような不安感だけがあります。そして「自分を持てない」ことが時として死にたくなるほどの惨めさという形でのしかかってきます。

自己の重心を失った今の状態を受け入れて、現実の問題の解決へ向かうということしか私には思いつきませんが、どう思われますでしょうか。


 
Re: 自己の重心 / りょうたろう 引用
No.669 2013/10/27(Sun) 16:41:36

この投稿をしてから、しばらく頭の中の雑音が消え去って現実感が戻ったような状態になりました。その時の私は、ギュッと身を固くして、何かに怯えるような心境でした。現実のすべてが自分を押しつぶそうとしているように感じられ、いつしか私が空想の中で生きるようになったことも無理もないと思えるほどでした。

同時に、ハイブリッド心理学に出会ってから、現実に向かって生きていこうと「決意」したことも嘘っぱちだったと思いました。現実を改善するくらいなら空想の部屋に逃げ込んでしまった方が楽だ。それが私の一貫した姿勢であったと思います。実際には全く楽などではなく、常に現実がドアを叩いてくるのに怯えなければなりません。時折それに対して「もう耐えられない」となるのですが、それでもやはり抜け出ることができませんでした。

自分は何かから逃げ続けるために生まれてきたのだろうか、そんなはずはない、と考えずにはいられません。しかも自分の意志で逃げているというより、足が勝手に動いていて私はそれを見ていることしかできないような感じです。

読み返してみると、誰が書いたのかと思うような病んだ文章が出来上がっていたので少し驚きました。白状すれば、私はこの掲示板で「物わかりのいい生徒」を演じようとしていましたし、今回は苦しみを見せつけて同情を引こうという気持ちがあります。しかし島野さんなら、私がいくら喚いてもブレない存在でいてくれるだろうという予感もあります。
正直なところ今ここに書いたことすら真実なのか分かりません。頼むから何か確かなものをくれ、と叫びたい気分です。

今の私に何かアドバイスはあるでしょうか。


 
「自己不全感覚」は「取り組むことなく消える道」へ^^ / しまの 引用
No.670 2013/10/27(Sun) 18:27:45

社会生活の前進^^

>そういった世の中の仕組みについてよく知り、権利や契約を使ってしっかり身を守りながら生き抜いていく。そのように考えると何だか社会を無人島に見立てたサバイバルのようで、少し楽しさを感じます。

まさにそれ
「人生観」の学び
で言った「大自然を生きる一匹型人生観」ですね^^。前回投稿頂いた『大人になりたくなかった?』とかの感覚からは大きく前進かと^^。

>私がやっている皿洗いのアルバイトでは、お客様に料理とサービスを提供することを全員で目指しているのであり、そのうち一部を自分は受け持っているのだと考えるようになりました。同じ職場の人達は共通の目標を持ちそれぞれの役割をもった人たちだと思うと、今まで仕事中に感じていたストレスのうち多くが軽減しているのを感じます。

ちょーGoodな前進ですね^^。まさにその方向の先に、「仕事の普遍的スキル」(*)などもありますので、大学の授業などもいい情報源として、「権利」「契約」など「原理原則」さらに実践的な面への視野広げていくと良いと思います^^。

(*)最近よく参考にあげていますが以下など参照^^
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20
のトピック
の中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586
2013/07/23



「望みの開放」

>前回のアドバイスの通り「ちやほやされる」という空想を思い切り解放してみようとしてみたのですが、なんというか奥行きのない絵画のように、なんのイメージも掴めないのです。普段はこの空想が頭の中を占領しているといってもいいくらいなのに。

については、「望みの開放」は、「あれば、ありのままに、なるべく思いっきり、開放する」取り組み実践です。「あれば」そうする「なければ」それだけの話^^;
普段は頭が占領されるとのことですので、そうしたに、「なるほど自分の望みはこんな絵か」と、「記録」するように自覚確認するのがいいですね。それが引き続きの向き合い良い材料になると思います。


「自己不全感覚」は「取り組むことなく消える道」に取り組む

>今現在悩んでいるのは、何か精神的に動揺することがあると「自己操縦モード」に切り替わり、何時間でもネットサーフィンをしたり空想にふけったりしてしまいます。そうしたいという積極的な気持ちはなく、何かから逃げるような不安感だけがあります。そして「自分を持てない」ことが時として死にたくなるほどの惨めさという形でのしかかってきます。自己の重心を失った今の状態を受け入れて、現実の問題の解決へ向かうということしか私には思いつきませんが、どう思われますでしょうか。

残りのこうした話「自己不全感覚」とか呼べる問題と思いますが、ハイブリッド心理学から言えるのは、それを直接どうこうして治すような「治療法」はない、ということです。
「自分を持てない」ことをどうするかではなく、「これが自分だ」と思える確かなものを持つようにしていくことです。それを一つ一つ積み重ねていくことです。その先に、「こんな自分を持てない自分は・・」といった「自己不全感覚」は、やがて波間に消えるように、自ず克服されていきます。
たとえば、

>叱られることに対する異常な恐怖は今でも変わらず続いていて、激しく糾弾されている人をみると「自分がもしあれほどの怒りを向けられたら、死んでしまうのではないか」とさえ思います。
>そう言えば「呆れられる」ことも大きな恐怖の対象ですね。

というであれば、「怖れの克服」という課題地道向かう。まず言えるのは、本当に死んでしまうのは甚大な物理身体的危害がある場合です。そうした「現実」を見る目と、自分の思考感情不合理向き合う。もちろん問題対処の行動法習得することの上でです。
そうした、具体的材料ベース「これが自分の考え」という確かで信頼できるもの積み重ねに、「自分を持てない自分」も、いなくなっていることに気づく、という道のりになると思います。

ですのであとは、そうしたさまざまな「自己不全感覚」あまり深刻に取りあげないことですね。「これをどうにかしなければ」という意識集中によって、さらにヘンに(^^;)なってしまう。今すぐにはどうこうしようもない見据え上述のような取り組み向かうことです。

>私はこの掲示板で「物わかりのいい生徒」を演じようとしていましたし、今回は苦しみを見せつけて同情を引こうという気持ちがあります。しかし島野さんなら、私がいくら喚いてもブレない存在でいてくれるだろうという予感もあります。

この点については、ハイブリッド心理学は基本的に自己取り組み心理学であり、その上で役に立つことだけ僕からはコメントしますのでご安心ご了承(?^^;)あれ^^。



質問です。 / ピヨ 引用
No.649 2013/10/09(Wed) 21:00:53

記事の中に、「合わない方とは、距離を置く」とありますが、職場でも同様ということですか。


島野さんは、毎日がゆったりしていると感じますか。それとも、早いのでしょうか。
私は、早いです。

 怒りで生きている方の場合、怒りをもったまま亡くなる方の場合、島野さんからはどのような意見があるのでしょうか。

 よろしくお願いします。


 
Re: 涙について / ピヨ 引用
No.653 2013/10/10(Thu) 21:20:37

 泣くということは、感動した時と逢いたいと深く感じた時かと感じます。

 満たされない子供心が、親に逢いたいと苦しみもがく時の心境かと感じました。
人を心の芯から思う心。

 大人であれば、やはり満たされない心があった時にシクシク泣きの感情に浸るということかと感じます。

 感情の発散という考え方よりは、人を想う気持ちの時と感じますが。

 島野さんの考えをお聞かせください。


 
「交友」と「仕事」で切り替える^^ / しまの 引用
No.655 2013/10/12(Sat) 11:59:47


『小学生時の怒りについて』 ピヨさん No.628 2013/09/25のトピック
の中でお答えしていない質問について^^。

>記事の中に、「合わない方とは、距離を置く」とありますが、職場でも同様ということですか。

「交友」「仕事」全く話が異なり、「合わない相手とは距離を置けばいい」と言えるのは「交友」場面ですね。ま無理をする必要はないという話。多少改善が見込めるのであれば、多少無理をして近づく試みをするも良し。まずは「自分は何を望むか」への向き合い重要になる場面です。

一方「仕事」は、そもそも「合う相手」「合わない相手」という違いをなくすことが重要課題になります。なぜなら「仕事」個人と個人の交友の場ではなく、「社会」に対して「価値を生み出す」という「役割」を遂行する場だからです。人を相手にするのではなく、「役割」などの「原理原則」を相手にします。もし相手無理難題や難癖をつける人間であれば、それに対してうまく対処するための「原理原則」が出てきます。つまりどんな相手にもうまく行動できる答えがあるということです。それを学ぶことが重要です。
それができるようになると職場での人間関係も、まずは安定したものになります。
そこからさらに休憩時間や仕事の後のつき合いをどうするかは、「交友」問題であり、上述の通り。相手同じ人間であっても、「交友」「仕事」向かう姿勢や気持ちをしっかりと切り分けることが大切です。

そうした、人を相手にするのではなく、「役割」などの「原理原則」を相手にする行動法については、まずは
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピック
の中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586 2013/07/23
など読んで頂くと良いかと。とりあえずこのトピック全体を読んで頂くと、そうした「切り分け」意識の流れが分かると思います^^。

>泣くということは、感動した時と逢いたいと深く感じた時かと感じます。満たされない子供心が、親に逢いたいと苦しみもがく時の心境かと感じました。人を心の芯から思う心。大人であれば、やはり満たされない心があった時にシクシク泣きの感情に浸るということかと感じます。感情の発散という考え方よりは、人を想う気持ちの時と感じますが。

泣くということ、そして「悲しみ」というのは、結局のところ「失った愛に向き合う」という心の営みだ、と考えますね。それに向き合うことで、逆に「取り戻す」ことにもつながることもあるものとしてです。
「怒り」「悲しみ」一見近いマイナス感情に見えるかも知れませんが、「怒り」心の豊かさにつながらない感情であり、「悲しみ」心の豊かさにつながる感情として、ハイブリッド心理学では位置づけています(『入門編上巻』P.20など^^)。


 
Re: 質問です。 / ピヨ 引用
No.656 2013/10/12(Sat) 18:46:11

島野さん、ありがとうございました。職場の人間関係について、考えさせられました。また、ヒントが得られました。

 泣くと言うことは、悲しみであり「失った愛に向き合う」という心の営みというのは、
幼少時に愛を失っていたものが、根っこにあるから、辛い時にシクシクと泣きの感情がでるということと理解しました。

 また、現在親身に考えてくださる友人などのありがたさを受けて、辛い時に思い出して、うれしくて涙が出ることがあります。

 日常怒りを出している方や、自分自身に向き合うことなく生活している方を見ると、
私は、自分について向き合って過ごしている・考えている時間が多いことと、比べて考えると生き方の違い以外の、これまでの心の使い方を振り返り、これからの自分を考えているのだと思います。それゆえ、休日は友人と楽しくショッピングなどや買い物をすることより、心理学などを学ぶ自己学習の時間を優先になっています。

 自分の心について、向き合って生きている生活は、私は有意義です。
島野さんのご意見だったらどうでしょうか。

 怒りP20から、呼んでみた中で、思い出しました。
幼少時に、家族で自動車で旅行した時、車酔いで吐いていた時、吐くこと自体嫌なことであるし、泣いていました。それを見た、身内の人ですが、「いつまで泣いているんだ」と怒鳴られたことが今も覚えています。
 人は、イライラしてしまったとき、怒ることがあるのは分かっていますが、その時は、やさしく言って欲しかったと感じました。私自身も、言い返すようなタイプではなかったので成長につながらなかったのだと感じています。

 この件について、島野さんのご意見をお聞きしたいと感じています。

 

 


 
外面行動と内面向き合い^^ / しまの 引用
No.658 2013/10/15(Tue) 22:38:50

>また、現在親身に考えてくださる友人などのありがたさを受けて、辛い時に思い出して、うれしくて涙が出ることがあります。

これも、「見失われていた愛」に向き合い、心に取り戻すということですね^^。

>それゆえ、休日は友人と楽しくショッピングなどや買い物をすることより、心理学などを学ぶ自己学習の時間を優先になっています。自分の心について、向き合って生きている生活は、私は有意義です。島野さんのご意見だったらどうでしょうか。

外面に向かって行動することも、内面に向き合うことも、まずは両方とも有意義だと考えて良いと思います。
まあ我々はとかく外面において流されやすい存在で、単に惰性で続けるような、有意義さが減っている外面行動にとらわれがちなので、そうした時しっかりと内面に向き合い、自分にとって本当に大切なもの、価値があるもの何か問う。そうして大切なもの見えてきたら、積極的にそれに向かって行動する。
この、内面向き合い外面行動の、交互の繰り返しになるというのが僕自身向き合いイメージです^^。

>人は、イライラしてしまったとき、怒ることがあるのは分かっていますが、その時は、やさしく言って欲しかったと感じました。私自身も、言い返すようなタイプではなかったので成長につながらなかったのだと感じています。

「やさしく言って欲しかった」と、自分が感じる気持ち明瞭にしたことは、これから自分怒りを使わない行動をできる成長へと向かうための、第一歩になると思います^^。
「怒りを使わない行動法」とはどういうものかの、これからの具体的な学びこそが大切になってくると思います^^。


 
Re: 質問です。 / ピヨ 引用
No.659 2013/10/16(Wed) 20:03:46

島野さん
 
 回答、ありがとうございます。

 「やさしく言って欲しかった」という気持ちは、言われたときの不快が大きかった
ことと、これまでずっと心のトラウマになっていたことですので、以前から自分が感じる気持ちは、明確ではありました。

 おばあちゃん子であったため、離れて暮らすようになってからも、夜に祖母を思い出した時は、「祖母に会いたいよ」と号泣することがありました。現在は、そのような気持ちで泣くことは無くなっています。

 大好きな祖母に会いたいと思う強い気持ちは、「見失われていた愛」とはニュアンスが異なると感じます。
 もしくは、愛のありがたさを思い出しているということになるのかなと感じました。

 入門編(下)P194
 「この人とはいつまでも一緒にいたい、という感情を感じる。はっきりとした理由を問うことなく、ただその人が自分にとって大切な存在であると感じ、その気持ちにおいていつまでも絆が守られる。」について

 これは、異性・同性に関係なく、そう感じるということでしょうか。
 自分のことを親身に話をきいて下さる方などの中で、なんとなくそう感じる方もいる場合、絆と言えるのでしょうか。
 また、そう思える方の場合、例えば前世から知り合いだったなどは関係ありますか。

  


 
Re: 質問です。 / ピヨ 引用
No.660 2013/10/16(Wed) 20:08:00

 続き

 その親身になって下さる方は、自分に特別にそうしてくれていると言うよりは、
その方がそういう関わりが上手であったり、社交性やコミュニケーション力が高いのかとも思われました。

 それから、一対一でのコミュニケーション力があっても、大勢の前では上手に話すことができない方もいるとは思いました。


 
「真の絆」^^ / しまの 引用
No.661 2013/10/18(Fri) 09:52:46

>大好きな祖母に会いたいと思う強い気持ちは、「見失われていた愛」とはニュアンスが異なると感じます。もしくは、愛のありがたさを思い出しているということになるのかなと感じました。

そうですね。そうした表現合うと思います^^。

>入門編(下)P194 「この人とはいつまでも一緒にいたい、という感情を感じる。はっきりとした理由を問うことなく、ただその人が自分にとって大切な存在であると感じ、その気持ちにおいていつまでも絆が守られる。」について これは、異性・同性に関係なく、そう感じるということでしょうか。自分のことを親身に話をきいて下さる方などの中で、なんとなくそう感じる方もいる場合、絆と言えるのでしょうか。

「真の絆」になりますね。
その通り、同性異性に関わりなく言える話です。
「真の絆」とは、
1)相手がどう自分を感じるかよりも、自分からいかに相手を大切な存在と感じるか
2)生涯を通して、つながりを保つことができるという現実行動

2つポイントになるものと僕は考えています。

ですので、「親身な人になんとなくそう感じる」程度だと「絆」にはちょっと不足するかも知れませんね。

>また、そう思える方の場合、例えば前世から知り合いだったなどは関係ありますか。

「前世」のことは僕は専門外で、何も分からないです^^; ご了承あれ^^。

>それから、一対一でのコミュニケーション力があっても、大勢の前では上手に話すことができない方もいるとは思いました。

「自分からいかに相手を大切な存在と感じるか」ポイントですので、これも「絆」にとってあまり関わりのない話ですね^^。


 
絆について / ピヨ 引用
No.662 2013/10/18(Fri) 22:13:32

 島野さん 回答ありがとうございました。

 絆の話の説明が、p194だったのですね。

 恋愛中の相手を思う心は、絆の2つのポイントと同じ内容と言えますが、恋愛は、絆というより「愛」が妥当かなと感じています。

 絆は、親子・家族など以外でも、2つのポイントを感じる方と出会い、絆と言えると感じました。

 絆は、人により、何人もいる方もいると考えられます。それから、寮より質というように、大切な方がいることは、一人だけでも心の満足感は持つことができますが、心の成長によっては、何人か増えていくことも考えられ、より生きる喜びが増えるように感じました。

 島野さん、恋愛中は絆より愛の比率が高いでしょうか。
また、絆の人数についても聞かせて下さい。


 
昨日の追加 / ピヨ 引用
No.663 2013/10/19(Sat) 18:02:28

 〜依存症という疾患名がいろいろ耳にする言葉があり、
その中で人間に対しては、共依存や人間関係、(家族・上司など・・)に依存するものがあると言われています。

 上記の2つのポイントは、健全のものと考えられますが、
疾患となる依存でも、自分のことよりも相手のことを尽くしてしまうなど、不安からくる過度の相手へなどと心配してというポイントが異なりますが、真の絆の考え方と一部重なる部分があると思います。

 島野さんの言葉で、何か違いを一言で表すとどう言う捉え方が考えられますでしょうか。

 


 
「愛」と「欲」と「絆」 / しまの 引用
No.664 2013/10/20(Sun) 12:03:07

まず言葉定義としては、

「愛」・・・相手を大切に思う気持ち
「絆」・・・「愛」によってつながりが保たれる様子

とするのが良いと僕としては考えています。
「愛」それぞれの人内面の気持ちの話。「絆」は、内面「愛」という気持ちがあった上で、外面現実において実るもの、という話。
まずは言葉使い方としてですね。

一方人と人のつながり生み出すのは「愛」だけでなく、相手を大切に思うのではなく、とにかく自分が大切で、相手を自分の「欲」のための利用するものとしてつながるものもあります。これは「絆」とはあまり呼べないと感じます。外からは一見そのように見えてもです。

まず言葉定義をそうするならば、

>恋愛中の相手を思う心は、絆の2つのポイントと同じ内容と言えますが、恋愛は、絆というより「愛」が妥当かなと感じています。
>恋愛中は絆より愛の比率が高いでしょうか。

については、「恋愛」「愛」よりも「欲」の比率が高いと感じますね^^。

>また、絆の人数についても聞かせて下さい。

「絆」には太いものと、細いものがあると思います。
一番太いものは、親子関係と、生涯を共に生きる相手だと思います。つまりまず「通常」というか単純に数えてみると、まずは親2人、生涯のパートナー、子供と、せいぜい片手で数えられる前後のものですね。
いつまでも年賀状を送り合うような相手も、「絆」一つではあると思います。これは細い「絆」で、数的にはもう人それぞれですね^^。
ただfacebookで友達3ケタなんてのは、もう「絆」とは言えないものもかなり出てくると思います。

>疾患となる依存でも、自分のことよりも相手のことを尽くしてしまうなど、不安からくる過度の相手へなどと心配してというポイントが異なりますが、真の絆の考え方と一部重なる部分があると思います。

「依存」はどっちかち言うと「愛」よりも「欲」によるつながりと言えるかも知れませんね。相手に尽くすというのも、相手を自分のものにしたいからというのであれば、「欲」の話になってくる。

もちろん、相手を大切に感じるから相手を自分のものにしたくなるというように、「愛」「欲」重なってしまうのも、心が若く未熟であるほど起きてくることだと思います。
それについては、内面の気持ち「愛」「欲」見わけるというに、つながりの行動を「喜び」と「楽しみ」の共有においてのみ行うという外面の行動法重視しているのがハイブリッド心理学です。そうした外面の行動法があった上で、内面自己分析時に役立てることで、「絆」になり得ない「欲」自ずと淘汰されていきますので^^。


 
絆の考え方ついて / ピヨ 引用
No.665 2013/10/20(Sun) 13:52:18



・「愛」・・相手を大切に思う気持ち。
・「絆」・・・「愛」によってつながりが保たれる様子。
・「恋愛」は「愛」よりも「欲」の比率が高い。
 ・「絆」には太いものと、細いものがあると思います。

 ・絆、親2人、生涯のパートナー、子供と、せいぜい片手で数えられる前後のもの。

              
 ・「依存」は「愛」よりも「欲」によるつながりと言えるかも知れませんね。相手に尽  くすというのも、相手を自分のものにしたいからというのであれば、「欲」の話にな  ってくる。

 ・内面の気持ちを「愛」と「欲」で見わけるという前に、つながりの行動を「喜び」と 「楽しみ」の共有においてのみ行うという外面の行動法を重視しているのがハイブリッ ド心理学です。 
 そうした外面の行動法があった上で、内面の自己分析も時に役立てるこ とで、「絆」 になり得ない「欲」は自ずと淘汰されていきます。
 など。


 島野さん、上記、詳しい回答をありがとうございます。少し、難しくゆっくり考えてい こうと感じました。


 @親であっても、関係が良くない場合は、絆が強いとは、言えないこともあると感じま す。

 Aまた、夫婦関係でも諸事情で、尊敬する方など、別の方に絆を感じることなどにより、絆が細いと言える形もあると思われますし、人によっては、いろいろな形の絆があると感じます。それゆえ、夫婦が強い絆と言えないケースもあると思われます。

 @・Aについて、一番太い絆とは言えないと思われますがいかがでしょうか。

 


 
re:絆の考え方ついて / しまの 引用
No.666 2013/10/20(Sun) 17:41:44

>@・Aについて、一番太い絆とは言えないと思われますがいかがでしょうか。

これはその通りですね^^。親子夫婦であっても関係が良くなければ、それはあまり太い絆ではなくなってしまいますね。

一方、親子生涯のパートナー同じように太い絆は、他の関係たとえば友達関係では築けない、というのが僕の考えというか人生経験から感じていることです。
よく言われることですが、「家族の絆」他では代えられない、という話ですね。自分が生まれた家族がどうだったかというより、自分から作る家族というのが、やはり人生の大きなテーマになると思います^^。


 
絆の回答から / ピヨ 引用
No.667 2013/10/20(Sun) 22:37:56

 自分から作る家族や、自分の生き方が人生の大きなテーマと、そのとおりですね。

現代は、多様な生き方が可能であり、家族を持たないこともあると思います。

 家族だけではなく、広く社会での自分のあり方を追求すること。


 島野さん、学びのご対応ありがとうございました。


 また、何か気がついたこと、疑問がある時は、発言いたします。



もう繰り返したくない / chie 引用
No.645 2013/10/07(Mon) 02:12:38

島野さま

はじめまして。自分の心を知りたくてネットをうろうろしていたらこちらに辿り着きました。

過去原稿にある「プライド防衛・怒りと憎悪のメカニズム」に書かれたことを正にその通りに辿ってきました。もう二度と繰り返したくありません。もしまた同様なことが起こったら、本当に自分が壊れてしまう恐怖を感じています。

島野さまのサイトをあちこち読んだのですが、何から初めればよいのかわかりません。
アドバイスをいただけないでしょうか。


以下に、私の心に何が起きたか、島野さまの文章を引用させていただきながら、もう少しお話しします。

ある人の言動がきっかけで、私は悲しみで一杯になりました。でもその裏には恐らく「屈辱感と怒りとフラストレーション感」が溢れていたと思います。冷静に考えれば、その人に落ち度があったわけではなく、私の思い通りにならなかったことでプライドが傷つけられただけだったのです。
そして次に私が取った行動は「苦しみの見せつけ」です。

実は似たような行動は、何年も前のことですが、別の人に対しても取ったことがあります。その時は、ここまでで済みました。理性で気持ちを抑えることができたのです。

でも今回は自分を止められませんでした。「苦しみの見せつけ」が相手に通じないと分かったとき、怒りと憎悪が表層に出てきて瞬く間に巨大化して「怒りの決壊」を起こしました。 幸いなことに、言葉による暴力で終わりましたが、危なかったです。

相手は何も悪いことをしていないのに“謝罪”してきて、それに対して私の中では“勝った”という意識が生まれ(自分が愚かなこともその時点で分かっていました)、怒りが氷解するように感じ、自分を収めることができました。ほんの10日ほど前のことです。


まだその時の悪感情は生々しく、忘れようと思っても当時のやりとりを一言一句なぞるように思い出す毎日です。こんな日々が続いたら本来の(表向きの?)私が壊れてしまいそうです。

何を、どこから、始めればよいのでしょうか。
宜しくお願いします。


 
「心の成長」にどう取り組み始めるか^^ / しまの 引用
No.651 2013/10/10(Thu) 13:39:39

>何を、どこから、始めればよいのでしょうか。

これは先にアドバイスを入れた
『初めまして、悩んでおります』 みゅみゅさん No.641 2013/10/04のトピック
でのアドバイス大体同じで、

自分の「心の成長」というものにどう向かうか、という全体の話になると思います。決して「とにかくこれだけ心がければ、こうした行動だけやればいいですよ」といった付け焼刃アドバイスではどうなるものでもなく。

なぜそのような感情悪化状態に陥るのかと言えば、結局のところ、その相手に対する姿勢というよりも、その相手以外の、生活と人生に対する向かい方の不足の全てが、その相手との関係におけるそうした感情悪化として結実(悪い意味で)するということだと思います。
まず言って、それは自分から幸福に向かうという姿勢と、そのための具体的な思考法と行動法のノウハウの不足、ということになると思います。
自分から幸福に向かう姿勢と、そのための行動の能力身につけた時、そうした感情悪化の詳しい心理メカニズム分析などもうする必要もなく、そこから抜け出る道を、心が見出すと思います。

そうした「心の成長」向かうための姿勢や思考法行動法をまとめたのがハイブリッド心理学「取り組み実践」なのですが、その膨大な内容をようやっと整理して『取り組み実践詳説』としてまとめた段階で、これをさらに手短に読んで頂けるものかみ砕いていくのがこれからといことで、ちょっとどこから読んでいいかとご不便をかけている状況ですが、ごく概略としては、

1)基本的意識姿勢や「愛」と「自尊心」といった重要テーマの考え方とそのための思考法行動法などの「学び」
   ↓
2)具体的問題場面における「心の健康と成長に向かい得る行動法」としての、ハイブリッド心理学からの「行動法の選択肢の答え」の理解
   ↓
3)2)で示されるものと自分の内面とのギャップへの向き合い


という、およそ3つのステップになるものです。

そこで
1)長期的で継続的な読書によって心の懐を肥やしていくものである一方、
2)についてはかなり即座に、ハイブリッド心理学からの答えはこうだというのが出てきますので、これを手早く知るようにするのが近道になります。これについては適宜この掲示板を利用頂くなり、今後『メール相談事例集』を掲載予定^^。

書いて頂いたような状況であれば、「心の健康と成長に向かい得る行動法」の選択肢として出てくるのは、まずは単純な話で、
「そうした動揺行動からは、まず身を離すことを覚えよ」といったものになると思います。
まあ問題は、それをどのような1)「学び」理解、そして3)内面ギャップへの向き合いとして、向き合っていけるかになりますね。

生涯を通してのその取り組みを、するかどうかです。
整備途上でご不便かと思いますが、『本』として掲載している内容にどんなものがあるかなどざっと眺め、興味持てる話からでもいいと思いますので、始められると良いかと^^。


 
返信ありがとうございました。 / chie 引用
No.657 2013/10/12(Sat) 20:10:17

繰り返し読ませていただきました。
特に「感情を鵜呑みにして考えない」「外面行動は建設的なもののみ」「感情と行動を分離する」といった言葉にはっとさせられました。

こうしたことを分かっていたら、あるいは意識していたら、私は大切なものを失わずに済んだかもしれません。でも、大切なものを失ったからこそ、ここに辿り着きこれらの言葉に触れることが出来たとも言えます。

お返事をいただいた日は奇しくも私の誕生日で、助言をプレゼントとしていただいた気持ちになりました。地道に勉強して実践していきます。
まだ悲しさ、寂しさ、怒り、悔しさ、喪失感、そうした感情が手放せずにいますが、同時に前を見ていきたいと思います。

何か分からないことや壁にぶつかったらまた教えてください。宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。




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