しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
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返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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出会いとお別れ / ピヨ 引用
No.803 2014/02/25(Tue) 21:38:49


 夜間、「最愛の方が、他界したらとてもつらいと」感じた時、とても声が出ないような苦しみを味わったことがあります。

 他界や別れなど、出会いと別れがあることや、辛さは時とともに落ちついてくると言われています。

 最愛の方に対して、上記の苦しみを感じることがあることは、その方を思い過ぎているからでしょうか。
 しかし、大事と思える方がいたと言う事実の方が、後悔とならないような気もします。

 愛を得られなかったと思う苦しみは、長年の苦しみになりますが、最愛の方との別れは、別の意味で短期間に強い苦しみがあると思えます。

 


 
「愛する人の死」への向き合い方^^ / しまの 引用
No.813 2014/03/07(Fri) 16:47:52

「人を愛する気持ちが心豊かにする」とは

>しかし、大事と思える方がいたと言う事実の方が、後悔とならないような気もします。

そうですね、何よりもその視点大切になると思います^^。

よく「傷つくのが怖いから愛さない」とか「別れが辛いからつき合わない」とかの言葉聞くことがありますが、本当に人を愛する気持ち心をいかに豊かにするかを、知らないままの言葉ということになると思います。
では「本当に人を愛する気持ちが心を豊かにする」とはどういうことか。これがまた本を一冊かけてしまうようなになると思いますが、ごく手短に言うと以下2面があると思います。

1)「愛する気持ち」による心の充実とプラス感情
心が温かく、充実した気持ちになる。これはその時その時における、「今の心」の次元の範囲内におけるもので、変動がある。惑いが生じると乱されがち。

2)人生で「愛し尽くした時」「愛し遂げた時」により成熟し豊かな心に変化する
「より成熟し豊かな心」とは、一言「自分から愛することができる心」です。相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる実際の対人場面において、安定した心でです。結果対人場面動じることがなくなってきます。
「愛し尽くす」「愛し遂げる」というのは人生長い歳月をかけないと良く分からないことである一方、それによる心の成熟と豊かさのこの変化後戻りがなく、「別の心」「別の人間」になるような、異次元の変化


「愛する人を失う悲しみ」が心の豊かさへの入り口

そうした心の仕組み踏まえると、どのよう心の豊かさ向かうか否かに、大よそ2つの道がでてきます。

一つの道は、「まず愛されること」しがみついてしまうもの。
相手から愛されれば自分も愛することができる。これはまあ「未熟」から始まる限り仕方ないことですが、問題は、「そうじゃないとプライドが許さない」なんて思考で、「自分から愛する」ことを嫌ってしまうもの。こうなるともう心が豊かになる道ブロックされ、いつまでも心が豊かにならず、動揺ばかりで、上記のような「知らないままの言葉」出てくることになります。

もう一つの道は、まず人生何らか「愛する人を失う悲しみ」「愛が得られない悲しみ」を、自分自身で受けとめ尽くすという体験をすることで、心の成熟と豊かさ入り口立つというものです。
つまり心が未熟であるうちは、「自分から愛する」という気持ちどういうものか、良く分からないまま、まず愛されることにあぐらをかくように生きてしまいます。しかしその相手が、死んでしまう。その時初めて自分が相手をどのように愛していたかを、自分自身で知る。それが、人生心の豊かさ向かう道入り口になる。
ごく波風のない日常場面で言えば、たとえばまず祖父母出会うのがそうした体験始まりであり、もっと鮮烈なのは震災関連して沢山見聞きしたと思います。

つまり、「本当に人を愛する気持ちが心を豊かにする」というのは、まず「愛する人を失う悲しみ」「愛を得られない悲しみ」を自分自身で受けとめるというのが、どうやらスタ−トになるのが人間というものなんですね。
それを過ぎて、ちょっとしてから、自分の心以前より豊かになっているのに気づいて、それから、「自分から愛する」というのがどういうことかが、少しづつ何となく分かるようになってくる。そしてそこから長い歳月をかけて、まず相手から愛されることを多少必要とする心の部分も持ちながらも、「愛し尽くす」「愛し遂げる」という心の営みの中で、さらに心が豊かに成熟していく。


「悲しみ」を経て「おおらか」へ

ということで、「愛する人の死」への向き合い方としては、上述のような心の豊かさの道心の懐入れておいた上で、あとは感じるままに気持ちを心の中で流すという姿勢お勧めになりますね。
つまり、
・悲しみを自分自身で受けとめる先に、心の豊かさがある。だから悲しみは思いっきり流していい。
・さらに心が豊かになる先に、人の死を「おおらかに受け入れる」気持ちというのも持てるようになる、というのもアリと心得ておく。
表面的には悲しんでさえおらずドライに見えるかも知れないが、薄情だなんて言う必要なし。
・あとはごく基本的な日常思考として、人はいつか必ず死ぬのが現実だということは頭に入れておく。覚悟しておく。
それを受け入れていないと、
「悲しみ」「苦しみ」に偏ってしまい、この場合も「受けとめられない」という状態で心が豊かにならないままになってしまいます。
などがポイント

一言で、
「愛する人の死」において、「苦しみ」は不合理思考から。
「悲しみ」を経て「おおらか」に向かえばいい。

のように憶えておいて頂くと良いかと^^。

参考まで、実は今日ちょうど3年前に亡くなった僕の母の命日なのですが(このあと一同で墓参り^^)母の死目前にして僕が感じたことを、
2011-03-06写真と言葉 『「魂の感情」と「命の感情」』
短文で書いていますのでご覧頂くと良いかと。全く別の2つの感情同居しているのが実に印象的でした^^。


 
Re: 出会い / ピヨ 引用
No.814 2014/03/08(Sat) 16:25:30


 島野さん、こんにちは。
 
 具体的な助言をたくさん頂くことができました。愛について、今後も思考していきたい。

 「相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる。」については、まさに日常の対人場面での理想の対応のあり方そのものでした。


 母の命日とのこと。
 2011-03-06 「魂の感情」と「命の感情」もきくことができました。

 対人場面について、別の著者の本に、人はそれぞれの人の関心によって違った思考があること。お互いの、思い違いがある。騙そうと思って生きている方がいる。
 自分の意見・意思をハッキリ相手に言って、生活することとある。相手の主張を、ただこちらが聞いているだけであると、相手はいつでも主張を強化してしまう。

 相手が、あまりにも考え方が偏って、話し合いにならない時は、その方とは事務的なやりとり以外は、関わらないようにします。島野さん、これらは誰に対しても、自分から愛せるようにとの考えには、反することになりますか。
 


 
認知 / ピヨ 引用
No.815 2014/03/09(Sun) 09:55:21

 最近読んだ本の中で、自閉症の診断のことが書かれてありました。
項目の中で、「興味のあるものを見せる・持ってくる・指差す」を自発的に求めることの欠如などありました。
 たしかに、どのような場面でも欠如があるなどの診断となと考えられます。

 これとは別に、対人場面の中で、気のあわない方などに対しては、興味のあるものをみせたり、積極的に親しい関わりを取らないと、その方は不満になり、自閉・発達・精神等々の障害があるのではないかと解釈する方もいます。人が、何を思い・発言するかはその方らしさではありますが。

 対人場面を考える時、目の前にいる方は、どんな会話をされて、どんな行動をされるかはそれぞれ、第一印象や見た目、日々の行動で認知されています。
 心の成長を考えた時、いろんなことに対して不満を捉えるのではなく、より良い生き方を視点にしていくことかとまとまりました。

 島野さん、助言いただきたいです。よろしくお願いいたします。


 
一貫した行動法で^^ / しまの 引用
No.820 2014/03/11(Tue) 10:40:08

>「相手から愛されることを必要とせずに、まず自分から愛せる。」については、まさに日常の対人場面での理想の対応のあり方そのものでした。

そうですね^^。ただまあ「まず自分から愛せる自分」という絵に描いたような理想の姿自分に押しつけてもなかなかそうはなれませんので、
「喜びと楽しみの共有として愛に向かい続ける。その中で思い通りにいかない場面では、まず愛されることにしがみつかずに、悲しみを自分自身で受けとめ、そこから再び喜びと楽しみの共有として愛に向かう」
ということの積み重ねで、年齢を重ねる中自然とそうした理想の姿にも近づく、と心に入れておいて頂くと良いかと思います。

こうした年齢の積み重ね必要というは、
『入門 - 4.心の成長変化 / 「心の成長課題」と「成長の望み」の鍵 一覧表』
その下説明部分手短にまとめていますので参考頂ければ^^。

>相手が、あまりにも考え方が偏って、話し合いにならない時は、その方とは事務的なやりとり以外は、関わらないようにします。島野さん、これらは誰に対しても、自分から愛せるようにとの考えには、反することになりますか。

「誰でも自分から愛せる」というのは、以前ダライ・ラマにあげた「人類愛」これですね)ほどではないとしても、ちょっと理想が高すぎる(^^;)かも知れませんので、まずは「好きな相手」「愛する人」との実際の関わりあいで、相手から愛されることを待ちしがみつくではない行動を取れることが重要になってくる、ということからになると思います。
「好きな相手」「愛する人」ではない他人全般への行動法としては、これもあくまで「喜びと楽しみと向上の共有」という一貫した行動法になります。とくにその相手「愛する」とまでは行かないとしても。

つまり、行動法愛情の有無によって変えるものではないということですね。
そうした一貫した建設的行動法生きる中で、愛情をより自分から持てる人間へも成長するということです^^。

>心の成長を考えた時、いろんなことに対して不満を捉えるのではなく、より良い生き方を視点にしていくことかとまとまりました。

上述が、まさにそうした「より良い生き方」になるかと^^。

なお「自閉症」というのは心の問題というより、脳の先天的な障害が関係しているようですので、そうしたハンディがある相手という広い気持ちで見てあげるのがいいですね^^。


 
Re: 行動 / ピヨ 引用
No.822 2014/03/11(Tue) 18:49:15

 こちらが、相手に振りまわされないようにと考えて行動を選択していても、相手はそれに対してさえ、不満な表情をされている方もいます。

 それぞれの性格・考え方が違うのであるから、相手がどう捉えようとしかたのないことですが。

 ただ、相手に振り回されないことは、基本に置いて、不満な表情にも気にせず、かつ
状況を経験しながら、自分から持てる人間に成長させて行くことが人生の課題のような気がします。

 島野さん、いかがででしょうか。

 コメント、ありがとうございました。


 
具体的な実践^^ / しまの 引用
No.823 2014/03/13(Thu) 16:44:22

そうですね^^。あとはそうした課題に向かって、より具体的実際にどんな思考法行動法で対処すればいいかの、場面場面での具体的な検討重要になってくると思います。
それがハイブリッド心理学「取り組み実践」ですね。

振り回されてしまいそうな相手であれば、どんな「言葉」駆使して対処するかなど、具体的知恵ノウハウがまた出てくると思います。それを学び実践することの積み重ねによって、「成長」生まれます。

ということで、「この場合はどうすれば」といった具体的な材料があれば、細かいアドバイスを返していけると思いますので、あれば何でも入れて頂ければ^^。


 
Re: 対応 / ピヨ 引用
No.824 2014/03/13(Thu) 21:15:21

 具体的な知恵とノウハウがまた出てくると思います。それを学び実践することの積み重ねによって、「成長」が生まれると。

「この場合はどうすれば」といった具体的な材料があれば、細かいアドバイスを返していけると思いますので、あれば何でも入れて頂ければ^^と。

 島野さん、ご親切にありがとうございます。

 その時は、よろしくお願いいたします。



質問 / 田中 引用
No.800 2014/02/23(Sun) 18:01:04

以下の部分が気になっています。
>>>>
私たちは、「人の気持ち」によって望みを抱き、「人の気持ち」によって怖れを抱くのです。
そこに、「成長」があるのです。


そこで、「自分の望む気持ち」が「人の気持ちへの怖れ」を凌駕して、行動へと向った時、そこにはっきりと、「成長」が現れるでしょう。

「人の気持ちへの怖れ」があまりにも強く、「自分の望む気持ち」が行動へと至れない場合もあるでしょう。これをありのままに感じ取り、受け入れることも、また一つの「成長」になります。
やがて同じ場面で、「望む気持ち」が「怖れ」を凌駕する時の訪れに向っての、準備としての成長に。


人間の「不完全性」

これが「心の自立」の中に生まれる「意志」だけで可能になるかどうかは、人間の場合、とてもあやふやです。

そもそも完全な「心の自立」というものはないというのが、ハイブリッド心理学の考えです。(詳しくは『入門編下巻』で^^)


さらに、心に映る「人の気持ち」を疑えなくなる、「心を病む」という側面を、程度の差こそあれ誰もが抱えるのが人間だと、ハイブリッド心理学では考えています。

そこに、「意志」だけでは足りないものを補うものとして、「信仰」というものが出てくる。
それが人間の心なのかも知れません。


「信仰」がないと、「意志」も持てないのかも知れない。 それが人間の心なのかも知れません。
今はそう感じています。

>>>
これ理解はできるのですが、具体的にどのように他人に臨むのか具体例で教えてもらえませんでしょうか?
他人に接する時、その人と良い関係を持ちたいと思う。しかしながら、そう思えば思うほど失敗することに恐れを持つ。ということになると思いますが、どのような意識で人に向かうのが良いと思いますか?




人間の「不完全性」

これが「心の自立」の中に生まれる「意志」だけで可能になるかどうかは、人間の場合、とてもあやふやです。

そもそも完全な「心の自立」というものはないというのが、ハイブリッド心理学の考えです。(詳しくは『入門編下巻』で^^)


さらに、心に映る「人の気持ち」を疑えなくなる、「心を病む」という側面を、程度の差こそあれ誰もが抱えるのが人間だと、ハイブリッド心理学では考えています。

そこに、「意志」だけでは足りないものを補うものとして、「信仰」というものが出てくる。
それが人間の心なのかも知れません。


「信仰」がないと、「意志」も持てないのかも知れない。 それが人間の心なのかも知れません。
今はそう感じています。


 
「取り組み実践」で他人に臨む^^ / しまの 引用
No.802 2014/02/25(Tue) 21:19:30

2010-04-30 『全ての根底は「命」と「信仰」-3』 ブログ記事書籍N0.5 P.15)
での言葉ですね^^。


「取り組み実践」が「向かい方意識」

>具体的にどのように他人に臨むのか具体例で教えてもらえませんでしょうか?

それを手順化しているのが「取り組み実践」になります^^。
『入門 - 3.取り組み実践』
ざっと説明しているのがその内容になります。

「感情と行動の分離」として、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という2つの軸両輪として、
自らの「望み」に向き合い、「望み」に向かって全てを尽くして生きる
というものの一環で、他人へも臨みます。

その検討手順としては、
「取り組み実践」の3ステップ
説明しているように、具体的な場面においては、
具体的場面での応用の「学び」
   ↓
「向き合い」

という検討を経て、実際の行動を選択し向かうというものになります。


建設的行動法によって他人に臨む

例えば間柄を深めたい相手がいる場合、
「応用の学び」としては(ここではちょっとまだ一般形ですが)
「外面行動」としては「楽しみ喜びの共有として向かう。それができないなら孤独を受け入れる」といったものとして、
「内面感情」については、間柄を深めたい気持ちが、楽しみ喜びの共有に向かいたいというものか、それとも相手を自分のものにしたいという所有欲のようなものか、といった感情の種類自己分析をする、といったものになります。
その結果相手への接近行動に自分として安心を持てるようなら、そうすればいいし、そうではないなら引き下がるしかない。そうした検討決断を自ら行う体験積み重ね「成長」がある、といったになります。

まずはこれが、ご質問「どのように他人に臨むのか」答えになります。

それで言いますと、言えるのは「建設的行動法によって他人に臨む」ということですね。これこれの行動法他人に臨む、というのは言える
一方、「こんな気持ちで他人に臨めば」とは言えないですね。それでは「気持ちの枠はめ」という、あまり健康でないものになってしまう。内面感情は、まずはありのままに流し理解するというのが、取り組み実践内面軸です。

>どのような意識で人に向かうのが良いと思いますか?

という「意識」には、多少「気持ち」というニュアンスも含まれる可能性がありますが、「気持ち」については、ありのままの自分の感情に向き合えること、それを分析理解できることまず重要になります。

これも含めて、「どのように他人に臨むのか」答えになります。これはよろしいでしょうか。


「意志」と「信仰」が「怖れ」を超えるものになる

一方そこで問題になるのは、「楽しみ喜びの共有」として相手に近づきたいけれど、うまく行かない「失敗」への「怖れ」があって近づけない、といったケースですね。
ご質問での

>その人と良い関係を持ちたいと思う。しかしながら、そう思えば思うほど失敗することに恐れを持つ。

も、そういったことですね。

参照頂いたブログ記事で触れている「意志」「信仰」は、そこでの「怖れ」克服するものとして役割を果たすものとして、テーマにしているものになります。
これは「他人への臨み方」の話ではなく、自分自身の心の基盤、心の足場になります。それをどう持つかという話。
ですので「意志」「信仰」は、「他人への臨み方」だけではなく、日常生活および人生の問題課題そして「望み」への向かい方の全て同じように作用するものになります。
ですので「他人への臨み方」の問題以前に、「意志」「信仰」持ち方そのものの問題として、向き合う必要があります。これはよろしいでしょうか。

では「意志」「信仰」によって「怖れ」どのように克服されるか。「意志」「信仰」というものを、どのように持てばいいのか、と、さらに深く膨らんでいくのですが、とりあえずここではこの辺までがよろしいかと^^。

「どのように他人に臨むのか」は、「感情と行動の分離」という一環とした姿勢と実践臨む。これをまず理解頂ければ。
そこで「意志」「信仰」「怖れ」克服するための心の基盤になるというを言っているものとして、また関連した部分を読んでみて頂ければと思います^^。


 
Re: 質問 / 田中 引用
No.804 2014/02/26(Wed) 11:00:11


> そこで「意志」「信仰」が「怖れ」を克服するための心の基盤になるという話を言っているものとして、また関連した部分を読んでみて頂ければと思います^^。
はい関連個所は前部読みました。
具体例というのは、例えば典型的なものに異性に告白する場合がありますね。
好きであればあるほど、誰もが拒否される恐れを持ちます。
そういう状況に臨む場合、意志と親交がどう「怖れ」を克服するための心の基盤になるのか?ということが質問内容になります
そうですねぇ、島野さんが好きな女性をデートに誘う場合、
どのように「意志」「信仰」が「怖れ」を克服するための心の基盤になるという話を言っているものなのか教えていただきたくお願いします。


 
Re: 質問 / 田中 引用
No.805 2014/02/28(Fri) 22:56:35

もしかして質問の意図が伝わらないでしょうか?
意思と信仰についての理論的な話はもう十二分なほど書かれていると思います。
しかしながら、具体例、つまり現実の中での具体的な事例を通しての説明はほぼ見つかりませんでした。
具体的な事例が無いとなかなか伝わりにくいため質問させていただきました。
どのようなものでも、説明しやすい物でもお願いしたく思います。


 
Re: 質問 / しまの 引用
No.806 2014/03/01(Sat) 08:04:23

了解です^^)/
返答は入れた頂いた順に、1週間前後時間がかかることもありますのでちょっとお待ち頂ければ^^。


 
「好きな相手に向かう怖れ」の克服における「意志」と「信仰」の役割^^ / しまの 引用
No.816 2014/03/10(Mon) 12:19:39

お待たせしまして^^ゞ

「好きな相手に向かう怖れ」の克服における「意志」と「信仰」の役割

まず何の話をするのかというテーマ確認から書きますと、「好きな相手に向かう怖れ」克服における「意志」「信仰」役割、ということになりますね。なるべく具体事例も込みで^^。
一通り把握するためには例により本が一冊書けるほど視点多岐にわたるになりそうなので、ちょっとキーワードレベル整理しておきますと、

まず上記テーマ前段として把握しておきたいものとして、好きな相手に向かうこと「怖れ」あまり感じない心の状態感じる心の状態がある、ということになると思います。
●好きな相手に向かうことに「怖れ」をあまり感じない心の状態
・心の成熟・・・「自分から愛することができる」ようになるにつれて、そうした場面での「怖れ」減少する。まず相手から愛される必要があるという心の未熟状態であるほど、相手の拒否に出会うことの怖れ強くなる
・相手との絆と信頼・・・信頼が深まっていれば、その相手に向かうことの怖れ少なくなる
・性格的要因・・・性格的な、不安怖れ感じやすさ社交性vs人見知り引っ込みじあん傾向など

ここでは、上記要因何らかの不足傾向があり、
>好きであればあるほど、誰もが拒否される恐れを持ちます。
ということにもなる状況でのということになります。


「好きな相手に向かう怖れ」の克服への心の基盤

に、そうした「好きな相手に向かう怖れ」感じる心の状態で、何とかその「怖れ」克服して相手への行動ができるようになるための、心の基盤どんなものになるかという全体的な話があります。
この段階で、心の取り組みの立場によって言うことが違ってくると思いますが、ハイブリッド心理学としては、

・心の成長成熟への総合的な歩みにおいて、そうした「怖れ」も克服される

という考え沿ったものになります。
なぜなら、心の成長成熟とは、「愛に向かう能力の増大」のことを指しているからだ、なんて言葉もここで添えられるかと^^。これは『入門編下巻』なり『入門』なり、歩みの後半段階説明しているものでよく言っている話ということでリンクなどは省略^^。

で、そうした大きな視点からは、「好きな相手に向かう怖れ」克服への心の基盤というのは、
・「家」のつくり
喩えられるかと思います。
表面に見えるものから、表には見えないものへと、以下およそ5段階にて、「怖れ」克服基盤となり支えられる

1)家の内装外装・・相手の目に見える自分容姿外見言葉や行動の仕方性格的印象などが、相手にも好まれるものになってきているという自信。まとめて「個性的自信」とか呼べるかと。
2)家の基礎の作り・・「社会的自信」呼べるもの。社会における自分位置職業収入財産家族と友人知人その他人脈などといったものを材料に、総合的感じ取れるもの。
3)家の土台・・・「人間的自信」呼べるもの。自分思考法行動法への自信信頼自分人間性心の芯の状態についての自信感

ここまでは結構単純な話で、要はまず自身の成長の中で、人生で出会う「好きな相手」からなるべく拒否されないような人間にもなっていくことが、「拒否される怖れ」克服の基盤になるというになると思います。
単純ですね。「拒否される怖れ」克服は、まずは「拒否されないという安心安全」を築くことだと^^;

ハイブリッド心理学取り組み実践、特にその中でも外面軸「建設的行動法」側面は、そうしたものへと焦りやストレスなく合理的に向かうためのものですので、まずその学びと実践メインになると思います。
ごく素朴な話としても、まず「手痛い拒否にあう可能性のある下手な行動法」回避し、「手痛くない拒否」に済ませられる(^^;)ような相手へのアプローチ行動法ができるように、というのが基本中の基本となり、それをとして下ろし安全を確保し、最初勇気を出して、それから多少を数をこなせば(^^;)もうほとんどそうした「怖れ」そのものが行動への障害になることはなくなってくる、という流れになると思います。ちょっと俗っぽい(?^^;)結論になってごめんなさい^^;
まこれが「デートに誘う」というレベルでのになるかと^^。


「意志」と「信仰」の役割

一方「告白」というのは一段重い行動で、そこに「意志」「信仰」といったものの役割登場する、というになると思います。

4)家の土台の下の地盤・・・「意志」
「意志」は、「怖れ」も含めた「惑い」の全般克服への心の基盤だと言えると思います。
今回のテーマで言えば、「この人いいな♪」と感じた相手一時的な魅惑感や熱情に駆られてアプローチというのではなく、「自分はこの人を愛することに決めた」「何があってもこの人と生きていく」という揺らぎなさにおいて心に持つものであり、「惑い」捨て去られ「怖れ」減少します。
つまり「愛する意志」というものですね。それによって、相手に向かうことの「怖れ」減少する。場合により消え去るとも言えるかも知れません。

ただしこれはもう「好きな相手に向かう怖れの克服法として意志を持とう」というような発想のレベルで持てるものではなく、「自らの意志によって生きる」ことと「怖れの克服」の全般への取り組みに、そうした「愛する意志による怖れの克服」といった心の境地見えてくる、と理解するのが良いかと思います。
なお「ではどうすれば意志を持てるか」については、関連したブログ記事でもはっきりとは書かなかった感じですが、まずは「一貫した思考」持てるようになることがその第一歩かなと今は思う次第です。

僕個人の意見としては、「告白」というのは、そうした「愛する意志」を相手に伝えるというのが、心の成長形だと思います。それは、相手からの色良い返りがあまり期待できなくても、揺らぎないものになるということです。まあ恋の駆け引き権謀術数のように(^^;)行う「告白」もあるでしょうが、それはもうここでの話のテーマとは別のものということで^^。

5)さらにその下の岩盤・・・「信仰」
が前に買って住んだ千葉のマンション結構な物件で、基礎30m下の岩盤まで打ち込んでいるとの触れ込みでしたが、それに喩えられる、一番深い心の基盤になります。それが「信仰」呼べるものであろうと。
つまりそれは日常レベルの動揺で持ちこたえられるかを問うものではなく、マグニチュード9の大地震が直下で起きたような時に、それによって最後に自分を支えられるか問われるものとしてあるものだということです

「信仰」とは、「怖れの克服のために最後に頼りにするものへの情緒」などと定義できるものです。つまり「この怖れはこれで乗り越えられる」と、合理的か否かは別として考えられるもの一切消失してしまう、何かの破綻破滅状態において、それでも支えとなるものを持つという情緒です。

実際そうした「信仰の情緒」が、好きな相手に向かう行動での「怖れ」克服場面として前面に登場するというのは、極めて稀なことだと思います。
つまりそれは、もはや「怖れ」を克服するという場面というものではなく、実際精神的破綻破滅状態直面した場面で、最後にそれを乗り越えるという場面のものになるかと。
それだけ、その「愛」その人にとって人生全てをかけるような重みがある場合ということになるでしょう。そしてそれが、実際思いの通りにはいかず、精神的な破綻破滅状態に直面する。そこに、それを乗り越える「信仰」のようなものが登場する。
グログでも若干触れていますが、ドストエフスキー『罪と罰』などは、そうしたもの主題の一つとしているのではないかと。


島野自身の「信仰による乗り越え」体験

具体事例としては、僕自身人生で一度だけ、そうした体験を持っています。社会人としての自信と、自らの成長への自信足場に、『悲しみの彼方への旅』で書いたような顛末を経て再び会うようになり、その後離婚をした初恋女性に、プロポーズ的な告白をしたことです。まメ−ルでしたけどね。
にとって初恋女性結局人生を通して生涯愛し続けるただ一人の相手になっており、その告白うまくいかず彼女とのつながりが絶たれることは、僕にとって一つの精神的破綻になることの怖れ十分あったのですが、それまでの成長の歩みからして、その行動をしないことはもう考えられなかった。で実際そうして、その時いい結果をもたらさず実際僕の中に一つの精神的破綻起きたわけです。そこから僕の中で、精神的破綻を起こした心と、それをただ静かに見つめるもう一つの心並存する時間が流れ、やがて精神的破綻を起こした心ぱったりと消え意識の全てが一度「無」に帰し、それから新しい自分として生き始める、という流れ経たわけです。ちなみのその人とはそれから長い時間を経て再びつながりを保つようになっており、まあ現在進行形の話でもありますね。

細かい経緯はさておき、そうした「精神的破綻」怖れ自ら向かうような行動の中で僕を支えたのが、「未知への信仰」感情だったわけです。
「望みに向かい続ける」ことの先に、「未知」への成長がある、ということを堅く信じる気持ちによって、はそれを乗り越えたわけです。それ以外にはもう何も頼りにするものはなかったという経緯

これはもうかなり特殊事例になると思いますが、心の闇の最も深い部分最終的に克服されるのはこうした流れのようで、その体験を持ったからこそ、その底にある心の仕組み、そしてそれを踏まえ心の成長への歩み方を伝えるハイブリッド心理学書くようになったという次第です。
僕自身のこの体験の流れ全体書こうとしているのが、まずは今後始める『島野日記ブログ』という次第(前宣伝^^)


基本的考え方のまとめ

ということで、一般的には「デートに誘う」「告白をする」といった行動における「怖れの克服」は、まずはしっかりと建設的行動法などの習熟による「社会的自信」基本になると思います。それも結局、「社会行動」の一つですので。
そしてそうした人生体験積む中で、心が成熟してきた頃に、「愛する意志」というのがだんだん分かってくる。ここでまずそうした行動テーマにおける「怖れ」克服ゴール考えていいと思います。

そこまでに、かなりの人生の歳月要すると思います。僕のケースでも、「勇気を出してデートに誘う」といった段階(20代後半)から、「愛する意志」が見えて、人生で重要な「告白」の体験(40代初め頃)をするまでに、ざっと10年強の歳月を経ています。まこれは多少間延びだったかも知れませんが^^ゞ

「信仰」がそうした行動場面意識の前面において問題になることは、一般的なものではないと考えていいと思います。
一方で、「信仰」情緒持ち方は、そうした行動テーマにおける成長の全体関わっていると思います。たとえば「お金信仰」「他人依存信仰」といったものである場合は、前者そもそも「愛」と似て非なるものに向かう、後者自分から行動することへの怖れ基本的に克服できないまま、という流れ考えられるなど。
だから、「信仰」あり方根本を支配しているというですね。見えないままにです。

そうとして、「デートに誘う」といった最初の段階における場面場面における意識上の話としては、「意志」と「信仰」以前の、「社会的自信」獲得そして「手痛くない拒否におさめられる」行動法といったものが、もう9割5分いや9割9分くらい(どっちでもいい?^^;)になると思います^^;
「取り組み実践」としては、このテーマだけに関わらず、建設的行動法幅広く学び実践するで、「意志」「信仰」といったものも自ずと培われるというのがハイブリッド心理学の考えです^^。

とりあえずすぐ書ける具体的話も入れた説明として、まずはざっとこんな話になります^^。



怒りについて / りょうたろう 引用
No.801 2014/02/25(Tue) 00:35:27

お礼が遅くなってしまいましたが、返信ありがとうございました。返信を待っている間に自分なりに考えたことと新たに頂いたアドバイスをもとに、ここ最近は内面の自己分析を主に行っていました。その結果、かなり手応えを得られる結論に至りましたのでお知らせしたいと思います。

今までの人生を通して流れていた怒りと復讐の感情について考えるにあたり、まず思い至ったのは幼少期の私と兄の関係についてです。現在は全く違いますが、そのころ私は事あるごとに兄から否定、怒り、嘲りの言葉を受けていました。「バカ」「グズ」とよく言われ、兄を怒らせたら「ごめんなさいもうしません」と言う決まりでした。

順当に考えればまず理不尽な否定をしてきた兄に対する怒りだとなりますが、これはどうも違和感が残ります。特に気になったのは、その当時の私は兄に対して一切反発したり自己主張したりしなかったことです。いつかの投稿でも書いた気がしますが、怒りを向けられることは当時の私にとっては世界の終わりのように感じられ、ただ目の前が真っ暗になるような恐怖があるばかりでした。ということは、その時既に「理由は分からないがとにかく自分は悪だ」という自己否定感情があったことになります。そうなるとここからさらに遡る必要があるのか?とも考えましたが、これはもう「物心ついた時から」としか言いようがないように思われました。そしてこれこそが「自分は人並みでない」と幼い頃から私が思い続けていたことでもあります。私は親に虐待されたわけでもなく、兄との関係にしても別段珍しくもない兄弟間のいざこざと言える。それなのに周囲の多くの人と違って自分は心の自立に向かうことに失敗し、心をめぐる問題に苦しんでいる。
  
しかしこれでは論理性も何もないため、「人並み」や「悪」について今の自分はどう考えるかと問うてみました。そして気づいたのは、自分に何かが欠けているという考えは後付けのものにすぎないということです。そもそも「少なくともこれだけのものは持っていないといけない」といったって、生まれたばかりの赤ん坊は何も持っていないとも言えます。今の私が執着している容姿や能力にしても、それさえあれば注目と尊敬そして愛が得られるようなものとして描かれますが、そんなことを言いだしたら私を含め殆どすべての人間に愛される資格はないことになってしまいます。この価値観は明らかに歪んでいる・・・そこで閃きのように次の考えが浮かびました。理不尽な否定を受けたことも、そして物心つく前にあったであろう愛への挫折も、自分に落ち度があったわけではない!と。

今までは「悪いのは自分、変わるべきは自分」という大前提の上に立っていたことがはっきりと意識されました。そう考えると、前回の投稿で書いた小学生の時の決断も自分にとってはきわめて自然なこととして成されたであろうことが分かります。認められるためには自分が変わらなければいけないと。

ここまで自己分析が進んだところで、また怒りがふつふつと湧いてくるのを感じました。そして同時に、幼い頃の自分が望んでいたことが初めてはっきりと思い出されました。それは「この苦しみを、そして自分は悪くないんだということを理解して欲しい」というものです。

小さな子供が泣きながら怒り狂っている姿は大人からすれば微笑ましいとも思えるものでしょう。しかし、私が何よりも深く傷ついたのはそうやって軽くあしらう態度によってだったのだと思います。理不尽な否定を受けたことそれ自体によって引き起こされたのは恐怖や悲しみまでのようです。怒りを感じたのはその後、傷ついた自分を誰も顧みなかったことに対してです。まあ今考えれば私は自分の正当性を主張するようなことは自己否定感情に妨げられてできなかったわけですが、それでも誰か大人に真剣に向き合って欲しかったと思います。両親が共働きだったことも関係しているかもしれません。

あの時の私に必要だった言葉とは、「ひどかったね、君が悪いわけじゃないんだよ」といったものになるでしょう。否定される理由が分からないというのは幼い私にとって存在に関わる重大なことでした。ただ今となっては自分で自分自身にその言葉をかけてやるより他はありません。それで心がどう変化するか今はまだわかりませんが、少なくとも刺さっていたトゲが抜けたようなすっきりした感じはあります。

それでもまだ、なぜ自己否定感情を抱くようになったかは納得のいく答えが得られないままです。正直に言うと不思議でならないのです。私は両親から十分に愛されたという記憶しかありません・・・そこで最後に一つ質問したいのですが、「幼少期に挫折した愛への望み」というものは今の私が意識で感じ取れるものなのでしょうか?それとも、今試みているところですが、すでに存在している自己否定感情の不合理性と向き合うことしかできないのでしょうか。お聞かせください。


 
「外面→内面→外面」で問題整理^^ / しまの 引用
No.812 2014/03/05(Wed) 15:24:16

『入門』原稿佳境部分頭がふさがれていたためお待たせしました^^。


内面取り組み(自己分析)の役割位置づけ

これはまず取り組み実践における内面取り組み(自己分析)役割位置づけについておさらいしておきますと、
『入門 - 3.取り組み実践 / 「外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践』
説明している通り、

【外面】
「日常生活と人生における問題課題と望み」への
外面行動法についての学び
  ↓
【内面】
それについての自身の納得理解への向き合い
 ・内面感情の解きほぐし理解(自己分析)
  ↓
【外面】
今取るべき外面行動法の結論検討


と、「外面→内面→外面」という一連の向き合い一つのサイクルとする、というものになり、
「自己分析」内面取り組みにおいて登場するものになります。


「来歴への怒り復讐」への取り組み

で、上記報告頂いたのは、前回の
『外面と内面』 りょうたろうさん No.782 2014/02/04
での僕のアドバイス・・まあ「内面感情の理解」の、かなり大上段からのポイント説明などになってますが、その終わりで言った
=======
「怒り復讐」とは一体何をどうされたということかというテーマ片付けると、かなり心がすっきりするのではと推測する次第です。
=======

対応したものだと思います。

それについては、上記「外面→内面→外面」における「外面」としてハイブリッド心理学から示す「学び」は、
「今そしてこれからにおいては、怒り復讐の行動化はしない」さらには、
「彼らの行動に何か落ち度があったとしても、それは彼らの悪意ではなく未熟と不完全さによるものであり、非難はしない」

という姿勢を、まず取る、取れるか?と自分に向き合うというものになります。

その姿勢選択できる上で書いて頂いたような自己分析展開されたということでしたら、それなりに「治癒」つながる一つの解きほぐしだと思います^^。

一方そうではなく、「彼ら」を非難したいという気持ちしか見えない状態での自己分析であれば、それは解きほぐしではあるかも知れないが、「治癒」にはまだあまりつながらない
一応念のためその場合は、一言で、「自ら幸福に向かうことができるようになること」全般取り組みます。日常生活と人生の問題課題の、具体的材料ベースでです。自分から幸福に向かうことができるならば、人は復讐を無駄と感じ、自然と放棄するからです。それができない時、怒り復讐に固執する、という心理メカニズムがあるからです。
参考:『入門編下巻』P.78より
=====
 「自ら幸福に向かうことができる」と感じている人は、怒りや憎しみを放棄することが、かなり簡単にできます。これは怒り憎しみの「正しさ」などという理屈の問題ではなく、自分の未来の幸福が見えるのであれば、「復讐」よりそっちの方が美味しそうに見えるという、単純な話です。そして実際、当然そっちの方が美味しいものです。
=====


まずアドバイスできるのは、こうした取り組み順序説明ですね。それについてりょうたろうさん実際どこに立ち、どっちに向いているのかについて、ご自身に向き合ってみて頂くというのが取り組み実践になります^^。

いずれにせよ、一つの取り組みサイクルで起きる心の変化微量であり、一回向き合って俄かに変化するようなものではありませんので、これから出会うさまざまなことがらに、「外面→内面→外面」という取り組みあたってみて頂ければと思います。変化は、その積み重ねになります。


「自己否定感情」へのアプローチ

>それでもまだ、なぜ自己否定感情を抱くようになったかは納得のいく答えが得られないままです。正直に言うと不思議でならないのです。私は両親から十分に愛されたという記憶しかありません・・・そこで最後に一つ質問したいのですが、「幼少期に挫折した愛への望み」というものは今の私が意識で感じ取れるものなのでしょうか?それとも、今試みているところですが、すでに存在している自己否定感情の不合理性と向き合うことしかできないのでしょうか。お聞かせください。

テーマごと視点とアプローチがあります。それを全て把握するのは大変ですが、まず一つ一つの問題テーマについての取り組みアプローチ自分自身でしっかり理解することからになります。
これは身体の病気からの回復にあたり、原因から対処法までをまず理解できることが必要であり、に、それを実践できるかという順序になります。
心の問題同じで、まずテーマごとの取り組み法理解することからになります。そのに、長い実践の日々始まります。
一つ一つ、こつこつと。生涯の学びと実践になる次第です。
たとえば「怒り復讐」への取り組みについては、アプローチ上述のような道筋というのもその一つ

・・という前置きはさておき、

「自己否定感情」については、その克服のためのアプローチは、
・自己否定感情の原因ではなく、自己肯定感情を高めることにどう向かうことができているかに取り組む必要がある
というのが、大大大原則(キーボード打ちすぎミスではなく^^;)になります。
なぜ自己否定感情を抱くのかではなく、自己肯定感情を高めることをどうできているか確認する。そうすれば、自己否定感情原因自ずと分かってきます。
まず言えるのは、今これから自己肯定感情を高めようとしている方法誤りがあれば、自己肯定感情に向かわず自己否定感情に傾くのは当然
自己肯定感情を高める方法として正しいものでき、それでも自己否定感情あるのであれば、そこから自己否定感情そのものに着目して、その原因から探るという取り組み意味を持つようになります。

また心理学的な観念から自己肯定感情の原因(責任)を幼少期に求めることがよくありますが、それは「今これからの成長」を知らないまま自己肯定感情を持ちたい願う誤った姿勢です。しばしば、「今これからの成長」向かうことができていないというその人の姿勢こそが、自己否定感情最大の原因です。

ですから、まずは自己肯定感情を高める方法として正しいものどう選択できているかに、取り組む上述の、具体的材料ベースでの、「外面→内面→外面」アプローチとして。
「正しいもの」についての「学び」として、
『入門 - 3.取り組み実践 / 「学び」の主要テーマ』
のような内容しっかりと踏まえながら。

「自己否定感情」へのアプローチとしては、大よそそうしたになります。
りょうたろうさんご相談について言えば、「自己否定感情」一言で言っておられることを、もっと詳しく明瞭に、自分の何をどう感じているかからが、「分析」活躍するものです。そこで感じている細かい内容によって、またアプローチ違ってきます。
これは
『実践詳説』 - 「学び」の一覧表電子書籍版P.6)
「悪感情の克服」項目などで参照可能です。
たとえばそれが「自己嫌悪感情」というようなものであれば、
========
自己嫌悪・・・これにそのまま直接対処しようとするのは誤りであり、
  改善向上すべき、もしくはハンディとして受け入れるべき外面問題と、
  自分の内面衝動の何かに対する自己嫌悪に、まず分けるのが基本です。
  前者は外面向けテーマへ、後者は内面向けテーマおよび心の成長の全体への
  取り組みへ。その先に、「魂の感情」によって浄化されるという
  道のりになります
========

書いていますが、まず「外面の問題」「内面の問題」といったものに、しっかり分けることから。そこから、上記ではごく短文で表現している、膨大な取り組み始まります。

上の「怒り復讐」ともつながりますが、まず問題として何があってそうした話になっているのかという、話の始まり明瞭にすることからですね。


「幼少期に挫折した愛への望み」

「幼少期に挫折した愛への望み」というテーマについて言えば、それを思い出せば即座に何がどうなるとは言えないながらも、「問題の根源」として探求するのが良いもの、という理解まずは良いかと思います。
問題の「原因」として、ではなく。

このテーマは、「望みの根源」探求する、という姿勢で当たるのが正解です。そこに、「魂の望み」あるからです。「魂の望みの感情」は、それを体験し、自分自身で受けとめることで、成熟作用が起きます。
「望みに向かう」という取り組みの根本一環として、それに向き合えばいい。

幼少期において愛への望みに挫折したのが自己否定感情の原因だという目線で取り組むと、完全に方向違いになりますのでご注意です。自己否定感情原因についての正解上述の通り。
その目線は、そもそも「依存」なんですね。「依存」の中にとどまることも、自己否定感情大きな原因一つになります。

ですので、まず「今からの成長」として、上述の通り、自己否定感情の原因に取り組むよりも、自己肯定感情を高める方法の正しさに取り組む
それは結局「社会を生きるスキル」とかのです。それを足場に、「望み」向き合うその中で、「幼少期に挫折した愛への望み」一体どんなものであったかが、思い出されるかも知れない。

あるいは最後まで、それは思い出せない可能性もかなりあります。それはそれで仕方ないことであり、それで別にいいことです。
なぜなら、意識の構造つまり脳の構造が、もう違っているからですね。
参考:『入門編下巻』P.196より
=====
 もうお分かりだと思います。本当の問題の始まりとは、出生のごく早期において、自他未分離の、混沌とした意識の「魂」において起きた、挫折だったのです。
 もの心ついた以降の私たちの意識で、それを思い出すことはできません。なぜそれが起きたのか、悪いのは自分だったのか、それとも他人だったのかを知ることはできません。なぜなら、それはもともと自分と他人の区別のない、渾然一体の意識世界で起きたことだったからです。
=====


いずれにせよ、「幼少期の回想」は、それ自体心の治癒成長のために必要というものではなく、あれば解きほぐしの一環になる程度に考えておいていいと思います^^。


ということで、
「外面→内面→外面」という取り組み手順
・そこで特に「外面」において、どんな問題があり、結局最後(内面向き合いを経て)どんな行動法を選択すればいいか
検討するのが取り組み実践だという理解進めると、より整理しやすくなると思います^^。
これは
『入門 - 4.心の成長変化 / ・「成長」と「治癒」の相互依存関係 』
で、
「外面側の軸が主輪、内面側の軸が補助輪」と言っている通りです^^。



Twitter について / TJ 引用
No.808 2014/03/02(Sun) 10:01:30

こんにちは。
ハイブリッド人生心理学の言葉をTwitter(@tshybrid_words)で抜粋して配信させていただいています。
基本的に引用ですが、文字数の関係上、一部細かい句読点や文脈が変わらない程度の文章の省略をしてあります。
また、イラストも抜粋してアイコン・背景等に使用しております。
上記のような引用・改変等について問題がありましたら対応いたしますので、ご確認のほどよろしくお願いいたします。


 
Re: Twitter について / しまの 引用
No.809 2014/03/02(Sun) 11:02:29

これは事務連絡ということで、取り急ぎ先に^^。

島野の執筆内容を特に改変しなければ、どんな形でも再配布して頂いてかまいません。さえそうしているものであり^^。
ただそうして再展開して頂いた内容についての確認チェックやフォローなどのサポートちょっと手が回らないご了承頂ければと思います^^。ここでのご質問相談にも時間を食ってしまっている状況でもあり^^ゞ

Twitterやってないので、今は見れない感じです(ID登録すればすぐ見れるのでしょうが・・)。とにかくご自由にお任せしまーす^^)/


 
追記 / しまの 引用
No.810 2014/03/02(Sun) 11:10:24

あっお名前あとのホームページリンクからID登録しないまま見れますね。
とりあえず島野本人による発信ではないことが分かるようにしておいて頂ければ、内容はどんな感じでもオッケーでーす^^)/


 
Re: Twitter について / TJ 引用
No.811 2014/03/02(Sun) 20:18:26

早々にご返信、また許可をいただきありがとうございます。
プロフィール部分に本人発信ではない旨を追記いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。



色々な思いについて / book 引用
No.792 2014/02/15(Sat) 21:51:12

島野様

こんな雑漠なメールですが、
読んでいただけますか? 
何が最優先に取り組めば良いのでしょうか?

7〜8年前に、仕事で行き詰まり、また、個人的な事情もあってか、会社に行けなくなりました。こんなことは初めてでした。30年近く仕事をしてきましたが…。
自宅のパソコンで、どういうきっかけか、島野さんのページに出会い、その時救われました。

優越の感情を基本に生きてきたことの認識と、それではこれから通用しそうにないこと、自分を優しく育てる感覚、など、掲示板を読ませていただき、また社会に向かって歩き始めた感じでした。

でも、去年から、仕事がうまくいかず、具体的には部署の責任者である自分が、現実と噛み合うことなく一つの方向に向けてがむしゃらに進めた結果、多大な他部署の助けを借りなければお客様との約束を果たせない状況となり、会社に対しうる貢献もマイナスとなってしまった状況の中で、厳しく責任を問われ、また、心が苦しくなってしまいました。
結局は現実を見ていなかったのだと思います。

心が未熟で、何処かで誰かに褒められることを求めていることから、策があるわけでもない約束を社外にも社内にもしてしまった。
建設的行動どころではない状況です。
その一方で何処かで今回の失敗を誰かのせいにしたい自分がいたり、元気がない自分を見てか、声をかけてくださる客先に救われる気持ちを持ったり、なかなかすんなりとは行きません。果てしなく疲れた気分もあります。

本当に自分が好きなのは、勉強なんだと思っています。
歴史とか、いろんな勉強や学問を、やりたい。
教養という言葉に憧れがあるのですが、それすらも、子供の頃の幼い状況を引きずったままの自己操縦心性の結果なのだろうか。

でも、また元気が(喉元を過ぎたら)戻るでしょうが同じことの繰り返し、これを少しでも何とかしたいと思っている状況です。
社会人として基本的な期限を守るだとかスケジュールを管理するだとか、疲れてしまってできない気分です。
でも、喉元を過ぎればまた、
やりますと言ってしまう。
本当はきっと出来もしないのに、背伸びするだけ。

なぜなら、そう言わなければ「ならないから」という理由で、結局は解決になっていないのだと思います。
それから、気持ちがスッキリするのが怖い? 気分があります。
うまく行くことのプレッシャーでしょうか? うまくいかなくて、怒られた方が、気が楽だ、、心の何処かで思っているような気がしています。
要するに、普通ではない。普通を装うことはできても、結局は普通になれない。
自分の心の本質は変わっていない。

人に嫌われるのが極端に怖い。

それが、問題点なのでしょうか。


 
Re: 色々な思いについて / しまの 引用
No.798 2014/02/20(Thu) 09:40:19

>何が最優先に取り組めば良いのでしょうか?

これはもう迷うことではなく、まず仕事を安定させることだと思います^^。
自分にできることの範囲で、しっかり計画実行をする。それにおいて、関係者との必要なコミュニケーションをしっかりと行う。
そうして仕事を安定させ、余裕ができてきたら、

>本当に自分が好きなのは、勉強なんだと思っています。

についても、どう向かうことができるか検討始められると思います。時間の折の趣味のように進めるか。あるいは思いきって今の仕事とは別の道を検討するか。
いずれにせよ、今の仕事を安定させることについては、そのための答え今すぐあるものであり、一方将来の進路なり内面のさまざまな悩みについては、多少時間をかける問題になると思います。ですからまずは、今の仕事を安定させ、心の余裕さらには時間の余裕を作り出す
それが最優先になると思います。全てそれからですね^^。

仕事場面の行動法や対処法については、検討したい具体的材料があれば、また詳しく具体的にアドバイスできると思いますので^^。

あっあと参考情報としては、この掲示板「仕事の普遍的スキル」とかのワード検索頂くと、具体的な事例での関連アドバイス結構豊富に出てきて参考になると思います^^。


 
Re: 色々な思いについて / book 引用
No.799 2014/02/20(Thu) 11:42:13

島野様

コメントを頂き、ありがとうございました。
私にとって、大変貴重なものだと思いました。

特に、迷うことなく、仕事を安定させることがポイントであり、そのための答えは「今すぐに」ある、内面の悩みは少し時間をかけるべきものである、という言葉が印象に残りました。

少し時間をかけて、島野さんの文章を読んで、実行して見ます。
また、わからないことが出ましたら、相談させて下さい。ぜひ助言をお願いいたします。




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