しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1185 2016/06/12(Sun) 18:16:33

外化および孤独を受け入れる事についてです。


人から向けられる軽蔑感情などは、差し引いて考える、という事ですが、
ある程度時間を過ごすとその人が、自分ではない他の人に対してしている
発言などから「この人はこう考えているだろう」という予測がつけられるように
なると思います。


この人は「こういう人間関係」でこそリラックスできるのだろうな、という事が
わかってくる(例えば、からかいあったり、常に談笑にもっていこうとするなど。)。
すると、自分の素のままのコミュニケーションの方法では相手が「つまらないな」と
思うだろうなという事がわかってしまう。
会話の内容に本当に面白さを感じているかどうかとはまた違います。
まったりと物事に対しての思索を共有するようなコミュニケーションが好きな
人もいれば、2言目には冗談を交えたいという人もいますよね。


すると、自分なりにとるコミュニケーションが途端に「ぎこちなく」なってしまいます。
そうなるのが嫌なので、もう話さない。
当初は「親しくなろう」という姿勢を見せてくれていた相手も、
敬語に戻ったり、よそよそしく接するようになる。まあ、当然ですね。

それでも、自分なりのコミュニケーションをとるしかないと思うんです。
つまらないなと思われているだろうけど、私は敵ではないという事を
みせる必要がある。


周りをみていると、そうしているように思います。


これに関しては「外化」とはいえないのではないか?
なぜなら、他の人に対してされていた発言のデータから成立している
予測だからです。


やはり仕事の話のみで、孤独を受け入れるというのは極端すぎるし、
休憩時間が気まずすぎて、仕事時間までギスギスしてしまいます。
しかしそうするしかありませんでした。

そしてそうして、こっちが避ける事によって相手もこちらを避けるようになり、
自分を嫌った相手へのイライラした気持ちがどんどん強くなってしまいます。


そして、和やかな飲み会の席でそういう関係の人たちと対峙する恐怖。
せっかく今後皆で頑張っていこうという、門出の飲み会なのに、
自分と同じ席になった人はきまずい思いをしなければいけない。


おとなしいだけで人畜無害な平和な人とは違い、
誘われても頑なに断り、壁を作っているという外面印象を与えてしまっている
自分。


そして、なんとか同じグループの人には「つまらない、雰囲気をぶち壊しにする人間ではない」という認知をあたえられていたと思うのですが、それが飲み会で「偽物」だった事が明るみに出る恐怖。

僕にとって、「接しづらい、空気を悪くする人間だ」と思われてしまうような
外面印象を出してしまうのは、そこから「相手への殺意、強烈な憎しみ」に連鎖して
しまうが故にここまでの恐怖になっているんだと思います。


建設的な行動は心がけていますし、破壊の行動は一切していません。
ただ、休憩時間や帰宅の時間に、全くコミュニケーションがとれない。
内心では相手への軽蔑感情や破壊衝動が渦巻いているので、どうしようもないのです。


このままだと飲み会を欠席しないと精神がおかしくなりそうです・・・。


感情の強制がないと適意がすぐに表情に出ます。
難しいです。


 
「外化」と「健康形」「成長形」^^ / しまの 引用
No.1186 2016/06/20(Mon) 10:21:40

「外化」「投影」と「予測」「推測」

>これに関しては「外化」とはいえないのではないか?なぜなら、他の人に対してされていた発言のデータから成立している予測だからです。

その通り「外化」「予測」いちおう別の話ですね^^。

「外化」は、「本来自分の中にある感情が、自分の中ではなく他人の中にあるものとして知覚する現象」
初期原稿ですが以下など参照「自己建設型」の生き方へ - 6.対人関係を阻害する「外化」
その結果「外化」というのは、相手の内面感情「見える」かのよう感じ取るものであり、イメージとして意識浮かんだりまとわりついたりするのものになります。「投影」同じ意で使う言葉と言えます。

一方そうではなしに、これこれの状況相手はこう感じているのではという思考一般「予測」「推測」という言葉などで言えます。

言えるのは、「外化」「投影」誤りであり「予測」「推測」なら正しいとは言えないということ。
意識方法の違いであって、内容実際事実通りなのかはまたそれぞれケースバイケースです。これは詳しい説明省きますがよろしいでしょうか。

ですので、

>すると、自分の素のままのコミュニケーションの方法では相手が「つまらないな」と思うだろうなという事がわかってしまう。

というのが「外化」ではなく「予測」だとして、実際そうなのかどうか何とも・・という^^; まあそう感じるのであればそうなのかもしれませんね、というようなになるかと思います^^; まあ、婚活パーティで、相手こっちのことつまらない人思ってるんだろうなーと感じるのであれば、まあ大抵はその通り^^; というような。


「未熟形」「未熟形」と「健康形」「成長形」

まあまずそんな話として、重要なのは、そこに付随する細かいニュアンスの、「未熟形」「病み形」そして「健康形」「成長形」知ること、見分けること、ですね。
「外化」なのかどうか以前に、ということになると思います。その違い分からない方向定めようがありませんので。

ただの「つまらないな」「つまらないと思われるのは残念」程度であれば「健康形」
それが「許せないつまらなさ」という「怒り」であったり、「つまらないと思われる自分は破滅」とかの「恐怖」感情となると「病み形」です。
「成長形」は、まず「健康形」受けて、自分の前進方向を定める感情へと向かうものです。「もっと相手を楽しませられるよう、会話術やユーモアを学ぼう」とか、「ここで相手に面白いと思われることは重要ではない。もっと重要なことに目を向けよう」とか。

「未熟形」「病み形」はただ流し理解し、「健康形」「成長形」の中で自分の前進方向性を模索し見出す。
指針になります。

「つまらない、雰囲気をぶち壊しにする人間」「接しづらい、空気を悪くする人間」といった、「雰囲気」「空気」を重視するのは「未熟形」です。これはよろしいですかな。未熟ほど雰囲気とか依存し、成長成熟するごとに、そんなの関係なく自分の前進方向自分で定められるようになる。
雰囲気や空気を守ることを「善悪」考えるようになると、次第「病み形」帯びてしまいますね。まそれが昨今の文化でもありますが、あくまで健康病み見分け大切です。「つまらないと思われてしまう」のはまあ事実だとして、そうしたニュアンス部分「外化」ではないかという有用でしょう。

職場の飲み会とかのであれば、まあまずはそれでクビになることはないでしょうから、まずはただ流し以前にも言ったと思いますが、人生における自身の交友のあり方の模索という全体取り組むのが方法性になると思います^^。


 
Re: 外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1187 2016/06/25(Sat) 21:10:51

職場の飲み会であれば、クビにならずとも嫌われると思うのですが、嫌われるのは仕事に影響ありますよね?

孤独を受け入れるってなんですか?
業務上のやりとりも業務外で培った関係性で
円滑さが明らかに変わっていますよね?
全然嘘じゃないですか、、、。
雰囲気や空気を守るのが未熟形なんですか?

楽しみの共有、という事で会話をしていても、
結局休日まで過ごす事はできない。訪れる沈黙や落胆を
恐れているため。
こんなに普通に話しているのに、なぜいざ休日も遊ぶとなると避けるのか。そう感じられてから、今までよりもぎこちなく接されるようになる。



行動の後悔、、、

今まで、きまって全体の飲み会があるタイミングで体調を崩して早退や有休で欠席していて、どのようにこの状況を回収したらいいかわからないです。
今までは、体調悪化のタイミングがたまたま飲み会のある日だった、、という認識をされる事をなんとか保っていたと思います。
しかし、そろそろ、偶然でなくそのタイミングで体調が悪化しているのだという事のごまかしが効かなくなってきたと思っています。


またなぜか、社内向けのプレゼンテーションの決意表明で社会人としての決意表明として、雑談が苦手なので課題としたいとかいう発言をしてしまいました。
感情と行動の分離としては失敗でした。
同期とうまく馴染めなかったが、それは心を閉ざしているのではなく雑談が苦手だからそうなってしまったのだという認識を同期にしてもらう事で、嫌われるのを防ごうという意図がありました。無難な事を言うべきだったと後悔しています。


これは行動面でどうしたらいいのか、という部分ですね。


それから楽しみと喜びの共有の会話をしたいのですが、
わかりあい認め合う事を目的としたような質問をされた場合どうしたらいいのですか?


 
Re: 外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1188 2016/06/25(Sat) 21:56:06

それから
●謎が多い人
●闇がある人

などと言われる事にどう対処すればいいですか?

楽しみの共有が出来ないから孤独を受け入れていたら、こういわれるように
なりました。

常時暗くて、心を閉ざした様子であれば、
「寡黙で暗い人なんだなあ」ということになると思いますが、
話すときは感情の強制にならない範囲で相手に好意は持っているという外面印象は
作りますが、休憩や飲み会となるとその場から立ち去っている、といった状況が
「謎」と言わせてしまうんだと思います。

どう対処するのがいいのでしょうか。

今は「謎めいた風なだけで別にベール脱がしても何もないよ」
とかいってごまかしてます。

だけど、外面現実の事実が、もうごまかしようの無いものになってしまうと、
明らかに「ごまかしている」と思われる視線が強烈に感じられて、つい
正直に話したくなってしまうんです。


人事の方などにもそろそろ聞かれると思います。
何か身体的な病気などであれば、事前に相談してくれないと突然業務に
支障が出るのが困る、というニュアンスの話を少しされましたし・・・。


加えて今回は、飲み会のつい30分前までは、健康な外面印象を保って
業務で、プレゼンテーションの司会などをやっていたため、
「社交的な場における精神的不具」という認識が避けられないように
思います。まさに化けの皮がはがれる・・・といった感じで、もうその場に
いる事も恐ろしくてたまりません。


自分としては最悪のパターンは、人に対して憎しみや敵意を抱いていると
いうことがバレて、それが知れ渡る事です。
また社交の場全般に避けざるを得ないほどの恐怖を感じていると認識される事です。

それならいっそ「会食恐怖症」などで、ある場面でのみ精神的な緊張が高まる
などという認識をされた方がまだいいなぁと思ってしまいます。

誰に向けてどう説明すればいいのかも変える必要はあると思いますが、
ある程度話していた同期には、直前まで普通に話していた事の疑問を解消するために
「寝不足と業務で疲弊してたから、飲み会の途中で充電切れのような状態になって、完全に黙ってしまって醜態をさらしたくなかったんだよね〜」などと説明しようかなと
思ってます。


ただ問題の根本は、前回触れていただいたポイントにある事はわかっています。


やはり社交の場になると、1対1で話していた時には「ある程度の好意」を
感じていた相手が、他の人ともっと楽しそうに話している様子をみると
好意が消えうせ、敵意となり、その人と話そうと思うと「敵意を隠さないと」という
事に意識がほとんど集中して、結果会話どころではなくなり、相手から
「仲良くなれたと思ったのに急に距離を置かれている」と思われて、
以前よりもぎこちなく接されるようになる、という事です。


感情の論理としては、「自分を一番に思うべきなのになぜほかの人といるほうが
楽しそうなんだ」「自分といるときは気をつかっている。ほかの人といる時よりも
緊張していて、疲れる時間なんだ」

そして嫌われているようだ、という認知になると憎しみに転じる、というのは
前回触れていただいた通りです。


それに、今回も含め、休日のような長い時間や、飲み会などの時間では
「急に電池が切れたように話さない」状態になってしまうため、
それを避けているわけですが、それに気づかれてしまうと、
「わたしと話しているこの時間もただ無理をしているだけなのかもしれない」
と思われて、話がギクシャクしてしまいます。


方向性・・・という大きな話はわかるのですが、
今目の前のこれをどう乗り越えれば外面的に一番変な事にならないのかが
難しいです。


 
「自身の感情をどう感しるのか」への問いから価値観向き合いへ^^ / しまの 引用
No.1189 2016/06/30(Thu) 13:56:27

「自身の感情をどう感しるのか」に向き合う

これはまず全体状況としてかなり苦境を感じておられるのは分かり、仔細網羅的説明とアドバイスを書こうとすれば1冊の本になってしまうようなになるでしょうが、それも実際的ではないので、逆に可能な限り簡潔単刀直入アドバイスしましょう。
まず大枠の基本指針として、外面内面それぞれについて、

・外面において特別に対処する問題はない。通常の行動法の一環の話になる。
・内面においては、自分の感情の動揺の流れを理解し、そのそれぞれの感情について、自分として合理的と感じるかそれとも不合理と感じるか、病んだ感情だと感じるか、脱したいと感じるか等、自らに問う必要がある。

とうことになると思います。

まずは内面側の向き合いになりますね。それに応じて外面の話どう見えてくるか決まる、と。
つまり、現在感情動揺流れは、
?@誰よりも自分に優先的な好意が向けらることを求める感情
?Aそれが満たされない時に湧く敵意と憎悪
?B敵意と憎悪が相手に気取られ、嫌われることへの恐怖

というれにおおよそなっていると思います。

問題は、こうした流れの感情そのものについて、自身でどんな位置づけのものだと認識しているのか、です。
合理的な感情だと考えるのか。それとも未熟で病んだ部分のある感情であり、脱したい感じるのか。

それがどうもこれまでの話から察するに、こうした感情の流れそのものについては固定された前提のように、その上で外面を、まあ言ってしまえば取り繕う方法質問しておられるような。
そうなるともうハイブリッド心理学では役に立てるものはない、ということになるかと思います。

まず言えるのは、上記?@→?Aという流れの感情を、自身でどう感じるのか、ですね。それがまず問題の起点になっていますので。
まずは?@を、社会人にもなった人生段階自分にとって、その上に立って他人全般と接することができる感情感じるのか
もし心底から、もうそれはできないのだと感じるのであれば、もうその時点で、?A敵意と憎悪というのも、反応的に湧いてしまうのはあるとして、「流せるもの」「流すしかないもの」へと後退するのでは、と考えますが・・。?Bしかり


「優先好意」要求感情と価値観への向き合い

そうして感情動揺の起点となる感情について、自身でどう感じるか明確化することを足場に、「価値観」への向き合い意味を成すものになってくると思います。
つまり、自分への優先的好意が得られないと敵意憎悪に流れるという動揺の起点感情脱したいと、心底から望むのであれば、「愛」を「楽しみ喜びの共有」として位置づけ、それが得られないのであれば孤独を受け入れる、という価値観一つの道としてあることを、心底から模索できるようになる。
ということです。
そうではなく、感情動揺の終点である「敵意と憎悪が相手に気取られ、嫌われることへの恐怖」脱したいから、その価値観考えてみようととしたところで、そうは問屋が卸さない、ということです。

なぜなら、後者では対等な選択肢模索に、なっていないんですね。
前者においては、「自分への優先的好意」「求めるvs求めない」の、問題の根本における選択模索になる。
しかし後者では、「自分への優先的好意を求める」という根本そのまま維持放置したまま、「嫌われる恐怖」への対策として「分かりあい認め合いvs楽しみ喜びの共有」選択検討・・?なんて変な話になってくる。これでは価値観選択思考として意味がないわけです。
これはよろしいですかな。それはまるで、酒を飲み過ぎて健康を損なう不快脱したいと、酒の翌日迎い酒をするのがいいかそれとも熱い風呂に入るのがいいのか選択検討するようなであるわけです。根本選択は、まず酒を飲む時自体どう抑えるかにある・・という例えがいいかどうか^^; まこれは長年の苦闘の末にようやっとゴールが見えてきた僕自身の課題^^ゞ

ですので、

>感情の論理としては、「自分を一番に思うべきなのになぜほかの人といるほうが楽しそうなんだ」・・(略)・・そして嫌われているようだ、という認知になると憎しみに転じる、というのは前回触れていただいた通りです。

とのことですが、根本問題は、「自分を一番に思うべき」というその最初の起点感情を、自身でどう思うのかです。単刀直入に、それは健康な感情だと思うのか?
ハイブリッド心理学から問えるのは、まずはその部分だけですね。それ以降の話は、もう自動連鎖なのであまり検討の余地がない。それこそ流すしかない。
その問いを、まず自身に投げて頂ければ。からまた何か言えるものあるかどうかは、それいかんですね。


「外見意識膨張」症状への向き合い

あともう一つ向き合って頂くテーマがあります。
一言で、「外見意識膨張」というようなもの起きている。これを自身で把握できるか。まあ一つ病みの症状のようなものとしてすね。だからこそ割り引いて考え流すべきものとして。

つまりがおおよそ、「こんな人間だと見られた。こんな疑問を持たれた。どう収拾したらいいか」というものに終始しておられます。
「どう見られるようにすればいいか」と。

引用列記すれば、
>なぜいざ休日も遊ぶとなると避けるのか。そう感じられてから、今までよりもぎこちなく接されるようになる。
>心を閉ざしているのではなく雑談が苦手だからそうなってしまったのだという認識を同期にしてもらう事で、嫌われるのを防ごうと
>謎が多い人 闇がある人 などと言われる事にどう対処すれば
>明らかに「ごまかしている」と思われる視線が強烈に感じられて、つい正直に話したくなって
>「社交的な場における精神的不具」という認識が避けられないように
>最悪のパターンは、人に対して憎しみや敵意を抱いているということがバレて、それが知れ渡る事  また社交の場全般に避けざるを得ないほどの恐怖を感じていると認識される事
などなど。

これはまあ僕自身経験(大学生頃)があり分かるのですが、TVに映る自分のように「人にこう見られる」という外見意識に、心がのっとられるような状態ですね。
これは「自己操縦心性」伴うものでもありますので、意識制御で消すようなことはできませんが、まずはそうした病みの症状心がのっとられる傾向自分に起きていると自覚し、それとは違う健康な意識世界にも立った行動を模索することができるか、ということになると思います。
それとは違う健康な意識世界とは、まあまあ基本的に、人の人物印象というものをあまり意識しない意識世界です。ごく即物的に、人の行動を見る世界というか。
まずは少しでもこうした目線を持てるか。まずはこの問い投げておきましょう。


「外見印象勝負」の価値観感情への向き合い

そしてそこに付加的に、これも加えねばならない視点「外見印象勝負」の価値観感情がある模様
「健康で豊かな心で人と親密になれる姿という勝利」とでもいうものを抱く観念、感情ですね。これ自体が、病みを帯びたパラドックス感情です。健康な姿に勝利を味わおうとすることにおいて、健康でない^^;
>飲み会の途中で充電切れのような状態になって、完全に黙ってしまって醜態
といった言葉に、それが見える
その言葉に言えば、盛り上げの中心になれることを勝利のように感じる感情ですね。
実は「敵意憎悪」といったものが湧く原因に、これがあります。「自分への優先好意要求」だけではそうはならないというですね。

つまりここで「自尊心への価値観」テーマなってきます。「打ち負かし自尊心」ではなく「生み出し自尊心」へ。その選択転換できていくごとに、そうした「外見印象勝負」の価値観感情強度を減じ敵意憎悪同時に強度を減じるものになっていきます。


外面現実問題への対処

そうして、自身の内面感情について自身でどう考えるか明確にすることによって、つまりそれらを健康なものではなく不合理だと思えるようになって、外面については冒頭結論
・外面において特別に対処する問題はない。通常の行動法の一環の話になる。
行けるわけです。

まあ一言で、「こう見られる、どう対処すれば」というのは、「対処しない」ハイブリッド心理学からの答えになるわけです。それはそもそも対処が必要な現実問題ではない
対処必要になるかどうかは、実害の客観的程度判断する必要があります。空想イメージに起こす動揺の程度ではなく
例えば「謎が多い人 闇がある人」といった言葉を、メ−ルで一日数十回も送りつけられたり、仕事のコミュニケーションの中にも実際現れるような場合、といったになるでしょう。それもまあごく雑談的○○くんは謎が多いからなあ、といったレベルではなく、だから彼を仕事から外しましょうといった話が実際出るようなレベルだと、対処が必要になるかも知れない。

あと、書いて頂いた幾つかの場面について書いておきましょう。

まずはっきり現実対処の答え求められるのは以下です。

>今まで、きまって全体の飲み会があるタイミングで体調を崩して早退や有休で欠席していて、どのようにこの状況を回収したらいいかわからないです。
これはちょっとNGですね。早退有休となると、仕事の客観的数字になってきますので。口実つけて、勤務時間終了時にそそくさと逃げるように退社、であればなんとかOK
今までの状況どう収拾すればいいか。単純です。飲み会を避けるために早退や休暇というのは、やめることです。一方今までのことについては、何も言わなくていい早退休暇なくなれば、人事から話が来ることはないでしょう。
飲み会出るかどうか次の話特に理由がなければ出るのが目標になるでしょう。上記内面向き合いかなり真剣に経て、ということになると思います。


>孤独を受け入れるってなんですか?業務上のやりとりも業務外で培った関係性で円滑さが明らかに変わっていますよね?全然嘘じゃないですか、、、。雰囲気や空気を守るのが未熟形なんですか?

業務外の個人的関係影響されずに、円滑に遂行できるようになるのが仕事のスキルというものです。個人的好意を得られなくても、まずそれを築く。それが、職場で個人的好意を得られない孤独受け入れるというスタートになります。
「雰囲気」「空気」というものを見るのは、未熟形です。雰囲気に負けて間違った選択をするのというのがありがち


>それから楽しみと喜びの共有の会話をしたいのですが、わかりあい認め合う事を目的としたような質問をされた場合どうしたらいいのですか?

自分として楽しめないのであれば、何も言わないことです。喜びと楽しみの共有なることだけ話す。内面のマイナスカミングアウトした方がいいですか、という質問時折受けますが、僕のアドバイス一貫して「ノー」です。言葉にしことは、マイナス事項ほど一人歩きしてしまいます。それが自分の前進妨げてしまいます。


ということで、自身の内面の感情への自分の考え明確化するとことから始めて頂ければ^^。
そして終わりの方に書いたアドバイスなども、理解納得できないのであれば、むしろはっきり自分はハイブリッド心理学の考えとは違うと、これまた明確化するのが通り道になると思います。

『実践詳説』
4章 「学び」への理解 - 「学び」への入り方Web版 PDF版P.76)
書いています。一読あれ^^。
一部抜粋しておきます。
=======
ですから、そのような心底からの納得この心理学の学びに問うということは、ここにもう一つの道が現れる可能性を含むことでもあります。
それは、この心理学に納得せず、この心理学に「ノー」を突きつけることです。
これがはっきりすれば、これもまた単純な話になります。この心理学を選ばないのですから、この心理学が言うような心の豊かさの境地ならないのは、不思議な話ではありませんね。これはもう人それぞれの自由です。
そうした段階から、自分の考えを問う必要がある、ということです。
=======


 
Re: 外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1197 2016/07/31(Sun) 14:43:22

なるほど確かに、おっしゃる通りで、
価値観向き合いになると途端に頭の中がぼんやりと、
うやむやになってしまうようです。


怒ることをやめないのも、
怒ることによって、自分は特別扱いを受ける権利のある人間だからこそこんなにささいな事でも相手に怒りを感じる権利があるのだ
という論理の感情があり、優先的好意を求めない、つまり
無下にされてもそれほど怒らないという事は、
自分が特別扱いを受ける権利、つまり生まれながらにして
他人にとって、特別である人間だという観念を手放す事になってしまうから、絶対にこれは手放したくないのだ、という激しい抵抗があります。

現実がそうではないとしても、
せめて空想の世界ではそうでありたい、
現実がどれほどその観念を裏切ろうとも、
怒り続ける事によって空想の世界では、
本当は特別なのだ、という論理を保ち続けたい。


あとは打ち負かし自尊心ですよね。
これも、こんなに手放したくないと内心で思っているとはと驚くくらい、手放す事に抵抗があります。
人との豊かな愛情関係で完結せず、それを
みせつけて、その相手に屈辱を与えるところまでが
理想として抱かれます。
だから、人間関係でも、全体調和ではなく、
誰か望ましい人物と良好な関係を築き、その姿をみた
うまく人間関係を作れない人間に屈辱を与える、
という、表立って打ち負かさないけど、水面下で打ち負かして人の屈辱感を感じ取って快感を得る、というイメージがどうしても出てくる。
何かを生み出すという方向に目を向けても、
人が生み出して喜んでいたものを凌ぐ価値のものを
生み出し、喜んでいたその人に劣等感を感じさせるところまでが理想に含まれています。


これを、手放したくない。
刺激的だからでしょうか。
それが含まれないような心を知らないから
でしょうか。
この論理を投影して、そもそも人が自分に
人間関係を作れない人間としての認定をして、
心の中で打ちまかしている、というイメージ
が起点になっているのか。



それを自分がどう思うのか、というのは
日常意識の自分として、ですよね、、、
不合理、、、と言うか、その論理を持ち続けて、
良好な人間関係が築けるとは思えないし、
大人同士の愛というものをその感情によって立ちながら
外面および自分の心の中で実現させることも
難しいですよね。


しかしそこで向き合いが終わる、、


 
価値観選択は「自己反省」ではなく「魅力追及」^^ / しまの 引用
No.1200 2016/08/08(Mon) 10:25:51

「価値観感情」の自覚と向き合い

価値観選択問う場面とは、まさにそうした「価値観感情」自覚場面ですね。その価値観を、これからも自分の価値観とするのか、と。

ただしそこで、「この価値観は良くないのでこっちにしよう♪」などと、健康形成長形の価値観へと気安く選択変更などできないのが、僕の経験でもそうでしたし通例と言えると思います。まさにそうした意識表層だけでの薄っぺらい思考健康形成長形の価値観選んだつもりになっていた自分への建前思考崩れ、深い本心での価値観があらわになるのが、そうした「価値観感情の自覚」場面だからです。
にそれを、苦しみ自覚するようなものとしてです。あるいはその苦しみこそが、自覚した未熟形病み形の価値観を、心の底手放そうとしていることの表れのようなものとして。
『悲しみの彼方への旅』では、「4章 抑圧された感情の開放」「残された感情の開放」あたりのことでしたね。その後私の中で開放されたのは、もはや「対人関係の改善」を目指して自己分析を始めた人間像とは似ても似つかない内面でした。・・ 以降部分(P.58)苦しみ描写あまりしてないですが。

まいずれにせよ、

>これを、手放したくない。刺激的だからでしょうか。それが含まれないような心を知らないからでしょうか。

刺激の強いものの誘惑との対決というよりも未熟と病みからの抜け出しというになると思います。
「未熟」からの抜け出しは、その通り未熟未熟な心しか分からないので、成長形成熟形に向くのが難しくなる、という関門。これは、それでもがどの程度成長形成熟形についての情報取り入れているかが、抜け出し足場になると思います。
「病み」については、歪みがある不合理というのがそれであり(あと心の荒廃という要素)、病みが深刻であるほど、自分の病みを自覚できなっていくというちょっと怖い話がありますので、とにかくしっかりと自覚を保つことからになると思います。

具体的には、

>怒ることによって、自分は特別扱いを受ける権利のある人間だからこそこんなにささいな事でも相手に怒りを感じる権利があるのだという論理の感情があり、

これは理屈になっておらず、病み形。これがもし、自分には特別な能力や美貌があるのだから特別扱いを受けるべきだ、いったものになると、一応理屈にはなっており、未熟形。これよろしいですかな。

>だから、人間関係でも、全体調和ではなく、誰か望ましい人物と良好な関係を築き、その姿をみたうまく人間関係を作れない人間に屈辱を与える、という、表立って打ち負かさないけど、水面下で打ち負かして人の屈辱感を感じ取って快感を得る、というイメージがどうしても出てくる。

これは一応ギリギリ(?^^;)理屈にはなっている未熟形。一方そこで、ではどのよう「望ましい人物と良好な関係」築くのかといった価値観全体の整合性など考えると、それは怒ることで自分の特別扱い権利を主張することによって、となると理屈になっていない病み形。これもよろしいですかな。


価値観検討の意識作業

そこからどのよう健康形成長形価値観選択成され得るのかと言うと、これはもう、
取り組み実践の全体の中で向き合い続けるしかない。
というのがまあ最短文章で言う僕の考えです。

より詳しい流れとしては、たとえば『実践編上巻』どう書いていたかと再確認したところ、以下のようなことを書いていますね。
少々難しい部分もありますが、そういうことだと思います^^。
9章 価値観と行動学  −進み得る道はただ一つ−
「価値観」への取り組み・まず自己理解を深める

?@自分がどんな価値観の中にいるのかの自己理解深める
?Aハイブリッド心理学が採る価値観を基盤とした具体的な思考法を、日々の具体的な生活の中で考えてみて、その結果自分の心どのように動いていくのか確かめていく、地道な思考作業の積み重ね。
?B新しい思考法がもはや自動的に新しい価値観を基盤として生まれてくるほどの、「自分はもうこの価値観で生きる!」という「確信」が心に生まれた時、それが「価値観の選択が成された」ということになる。

つまり意識作業としての模索があり、さらに意識を超え心の根底がどう向きを変えるか、という大きく2段階がある。後者については、年齢的人生年季までも影響するようなものとしてです。


価値観選択は「自己反省」ではなく「魅力追及」

以上、「価値観感情」への向き合い観点実践サマリーの、少々紋切り調アドバイスですが、結局のところは、価値観選択というのは「自己反省」というのではできず「魅力追及」上においてしか心底からのものは成し得ないと思います。
こんな価値観で・・と思っていたのは自分への建前だった。自分は本心ではこんな価値観に魅力を感じていたのだ・・。
という自覚として「価値観感情」あらわになるのですが、そこからさらに
はたしてこの魅力が、自分のこれからの人生におおいても意味を持ち続けるのか?
という問い投げておく。
結論すぐには出ないと思います。また何かの節目に、向き合うといいでしょう。これがアドバイスになりますね。
もちろん、「感情と行動の分離」の、外面は建設的行動のみというのはキープし続けて。これがある限りは、そうは道を踏み外すことはないと思います。もしこの基本原則を採らないとなると、もう完全ハイブリッド心理学とは別の道ですね。

そんな観点込みにして、

>現実がそうではないとしても、せめて空想の世界ではそうでありたい、現実がどれほどその観念を裏切ろうとも、怒り続ける事によって空想の世界では、本当は特別なのだ、という論理を保ち続けたい。
>これを、手放したくない。

という「魅力感」部分こそが、これから価値観選択焦点になっていくのだ、という持っておくといいと思います^^。


 
Re: 外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1212 2016/09/07(Wed) 21:12:14

外面においては対処すべき問題はとりあえずない・・・と
思っていましたが、今日上司と仕事についての打ち合わせの中で、
「もっと先輩とツーカーのやりとりが出来るようにはやくなるといいんだけど」
「先輩と親交を深めてくれ」
「なんかこう・・・コミュニケーションがもっとうまくとれるといいんだけど」
といった旨の話をされました。

それを受けて感情がかなり悪化しています。

仕事上の話も、まだまだ理解が出来ていない面が多くありますが、
現在はそれよりも上のような話をよくされています。

とにかく「馴染め」「和やかに、緊張感なくやりとりが出来るように」
と。


それを要求される事に本当に疲れを感じます。


自分よりも期が一つ上の先輩は、部署の幅広い方々と
和やかに談笑できる人です。一年間の仕事の成果を発表するプレゼンテーションの
ための準備に、部署の様々な方が補助してくれているのですが、その時間も
和気藹々と談笑しながら話を進めています。
来年こんな風に自分がなれるとは思えず、まあ比べるものでもないし・・・と
思いつつ、上司から「そうなってくれ」という圧力が日々かかっているので、
割り振られた仕事に集中できない事もしばしばです。


業務外の関係に影響されずに仕事が進められる事が仕事のスキルというのは
納得はしますが、そうではない姿勢を要求されています。
和やかな雰囲気を作れ、はやく緊張せずにやりとりが出来るようになれ、と
言われています。



自分としては、価値観向き合いもあるのですが、
「明るく元気で」は辛いです。それを常に準備しようと体が気張っているのが
わかります。どう自分が人と接していたいのか、相手に笑ってほしい、楽しませたい
というモチベーションで、出来る範囲で感情の強制をしていました。
体が楽かどうかという指標でみると、もっとゆっくり話したいし、
傍からみると大人しい印象になります。
おそらく今まで、冗談にどう反応して、どこで笑えば相手が困らないか、
という視点で行ってきたやりとりも、自分はそれを「冗談として笑いたくない」
という事がたくさんあるのだろうとおもいます。
それに向き合う事は恐怖を感じます。


どう対処すればいいのでしょうか・・・。


 
場面ごとの検討^^ / しまの 引用
No.1213 2016/09/10(Sat) 09:22:41

まずはいつも言っているですが、取り組み検討場面ごと個別に行います。個別に、場面の課題を把握し、対処していきます。
これをまとめて、あるいは「通し」で解決しようとすると、安直で実にならない精神論を求める姿勢傾いてしまいがちな点が注意ですね。

まず、

>「もっと先輩とツーカーのやりとりが出来るようにはやくなるといいんだけど」「先輩と親交を深めてくれ」「なんかこう・・・コミュニケーションがもっとうまくとれるといいんだけど」といった旨の話をされました。

場面については、指摘されているのが具体的な問題ではなく抽象化した話なので、ここから具体的対処見えないですね。
ですので、
多少とも思い当たる面があるのであれば、「はい、分かりました。努力します」といった前向き返答をすれば、その場面よろしい、ということになるでしょう。
あるいは思い当たる面がなく何のことか分からないのであれば、「すみません、どんなことでしょうか」対話を深めるのもいいでしょう。

実際それはどんなことなのか、自身の認識確認一つテーマになりますね。

>業務外の関係に影響されずに仕事が進められる事が仕事のスキルというのは納得はしますが、そうではない姿勢を要求されています。

この「そうでない姿勢」とは何のこと認識しているか。
業務外で親しくすることを要求されているという?それとも、単純に言って業務場面うまくコミュニケーションできていないという話か。
「ジョークなどで相手を楽しませる」ことを求められているという?。

まあ僕の経験で言って、上司から先輩との業務外の親しさについて言われることはまずないと思うのですが・・。あくまで業務内だけの範囲においても、コミュニケーションの円滑さという考えられることあるかも知れない。ならば対処の知恵出てくるかも知れない。

言えるのはまずはここまでですね。検討頂ければ^^。
具体的検討材料あればぜひまた新規トピックで^^。


 
Re: 外化および孤独の受け入れ / こたろう 引用
No.1214 2016/09/11(Sun) 17:04:20

思い当たる事といえば、
1.「いろいろ聞けるのは新人のうちだから、いろいろな人に質問をして親交を深めてくれ」
と言われたにも関わらず、基本的に隣にいる自分の指導担当の先輩にしか
質問をしていない点。
→これに関しては、他の方は他の方で仕事をしていて、質問をしていいのかわからないし、
この質問ならこの人!という得意分野が特に存在するわけではないので、
結局指導担当の先輩に聞いている、という状況があります。

2.周りの方は、仕事の話による談笑、その前後のアイスブレイク的な意味での雑談や
  冗談のやりとりを結構される方が多いです。
  例えば、ひとつ上の先輩だと、すぐに怒るキャラクターだと年配の方などにからかわれ、
  「変なキャラクターつけるのやめてくださいよ〜」などといって笑っています。
  この話をされた方が、部署で一番えらい方なのですが、
  自分との接し方に困惑されているようです。
  最初は呼び捨てや「お前」とか呼ばれていて、気のいい後輩に対して冗談で「からかい」を
  向けるような姿勢で接されていました。つきあいの長い方や、お気に入りの方とはそのように
  接しているので、そういう姿勢で関係を築きたい方だと思います。
  それで、僕としてはなるべくその姿勢で関わっていただけるように接していたつもりなのですが、
  自分の中の向き合いで、「こんな風な自分で接したくない」とか、ふいに「面倒くさいな。」と
  思ったりすると、感情の強制が弱まった姿勢が接する中で出ます。
  淡々と、仕事の話ができればいい、といった感覚です。
  そういう姿勢が時に出てくるせいか、よけいに「気を使った」感じの接され方をするようになっていま
  す。「お前」が「あなた」になったり。
  仕事の話をしていて、求められるレベルの知識に達していなかった事がありましたが、

  自分「すみません・・・予習が不足していました」とかしこまると、
  課長「いいんだっていいんだって!そんなに萎縮しなくても・・・ゴホン(咳払い)」
  沈黙・・・・
  自分「はい・・・。」(口をつむいでうつむきがちに)
  沈黙・・・・

  自分「・・・はい・・」
  課長「・・・じゃあ、そういうことで」

  →無言でミーティングスペースから自席に帰る。

といった具合です。

3.業務外の親交を深める会で。
  業務外でスポーツをして、親交を深める会がそこそこの頻度であるのですが、
  「後は好き好きでいいけど、最初は出てくれ」と言われたので、出ましたが、
  自分では、ほとんどうまく話せなかったです。

  スポーツ自体はそこまで楽しみの共有にできないわけではないですが、
  まああまり気は進まず・・・。
  先輩はいろいろと話を振ってくれるのですが、こっちからは、聞いても途中から
  興味がなくなったりして話が途切れるのが嫌で、あまり話を振る事に気が進まなくなり、
  あまり話せなかった。

  ただ、自分の興味がある話とか趣味の話を聞かれると、割と話したくてペラペラと
  話すのですが、先輩方は「興味はあまりないけど、親交を深めるために」聞いてくれている
  方も多いと思うんですね。だから、自分は「楽しみが共有できる話だけ」でいいと思っていても、
  先輩方がそういう姿勢だと、「自己中心的で気を使えないやつだ」と思われていると思います。

  部署全体にうまく馴染んでいる先輩の例だと、
  おじさんたちの家族の話とか、奥さんとどういう関係性だとか、お子さんがいらっしゃると
  休日出かけられなくてきついですよねとか、完全に相手が話したい分野の話に少しだけ
  自分の話を入れながら会話している感じです。

業務内容についての話をするための知識、それを引き出してうまくまとめて言葉にする能力、理解力なども
求められているものの一部だと思いますが、そうではなく和やかな雰囲気を作る事、相手の喜ぶような人間に
なる事、なども含めての話だと理解しています。
もちろん断言はされていませんが。「雑談をしろ」と。
周りの方が、仕事以外の話や、プライベートなどについての会話も大事にしている人ばかりなので、
そういうふうに受け取っています。
業務外でも遊べ、とか飲みに行け、という意味ではないと思いますが、
仕事に関係ない話も和気あいあいとやれよ、和やかな雰囲気でいい関係で仕めていけるために、
という感覚でしょうか。


 
「職場のコミュニケーション」テーマ・「新人」の考慮点^^ / しまの 引用
No.1217 2016/09/18(Sun) 10:38:37

「職場におけるコミュニケーションと人間的関係」テーマ

まずテーマ整理ごく簡潔に、キーワードレベルで書きますとこんな感じになりますね。

まず大きく、「職場におけるコミュニケーション」
そこに「および人間的関係」付加することができます。

意識作業および姿勢として、3つ領域になってきます。
a)業務上のコミュニケーション(業務遂行そのもの)
b)業務外のコミュニケーション(雑談など)
c)個人的レベルでの親交関係(総合的な個人関係)


上記3つそれぞれについて、ハイブリッド心理学からの方向性考えはこうなります。
a)・・・必須事項(マストハブ)ハイブリッド心理学から、島野社会人経験も踏まえた具体的業務内容に応じたノウハウあり。
b)・・・必須ではなく職場ごとのその歓迎度に応じ、各自可能な範囲で前向きに参加すれば良い(ナイスツーハブ)。その内容についてハイブリッド心理学ではあまりノウハウはなく、基本各自の模索お任せ
c)・・・これはまず社会人として、そうしたものどのような役割持つかについて理解する良い職場組織流動的であり一時的でもあるため、最終的総合的な個人関係ものを言うことも理解すると良い。総合的個人関係築き方は、小手先のノウハウではなく、成長の歩み全体になる。

そこで悩みとして時に出てくるパターン一つに、「雑談が苦手」「まず雑談でなごむことが業務コミュニケーションを円滑にするため必要なのでは・・」といった惑いがある。
これへのハイブリッド心理学考えは、「業務の習得にまい進せよ。そこに雑談スキルは不要」というもの。そして業務コミュニケーション円滑にする最大の原動力は、その業務への熱意である、と。
これについては、
『仕事場での「世間話」への姿勢^^』 しまの No.1105 2015/09/03
『「プライベート談話場面恐怖症」の克服アプローチ^^』 しまの No.1110 2015/09/09
など既出です。


『新人』の場合の考慮事項

・・とまではもう耳にタコかも知れませんが、

>業務外の関係に影響されずに仕事が進められる事が仕事のスキルというのは納得はしますが、そうではない姿勢を要求されています。

についてあるいは、もう一個考慮事項加えておくのがいいかも知れない。あるいはこれ方向性考え混乱原因かも。

>もちろん断言はされていませんが。「雑談をしろ」と。

これは業務コミュニケーションがまだうまくできない場合に、せめて雑談などで先輩に馴染んでくれ、そうすれば以心伝心で業務コミュニケーションを伝授されるのを期待できるのだが・・上の人思っているのが考えられます。

これは「新人」の場合だけにあり得る限定事項です。
あまり依って立てる方向性ではない考えるのが正解だと思います。時代の流れから言って、業務コミュニケーション先輩から以心伝心で教えられるという、一種受け身姿勢通用するのか過去の時代となり、もう情報ネットなどでも揃っている分、最初から自分でスキル獲得に向かうことができることが求められる時代変化していると思います。

いずれにせよ、「もっと雑談せよ」的なこと言われるのは、僕の予測では、「新人」である場合だけです。新人で、かつ業務コミュニケーションがまだうまくできない場合
2年目からは、恐らく、ずばり直球業務コミュニケーションの出来不出来問われます。そしてどう積極的業務外コミュニケーション図っているかなど、上司から言われることなどあまりなくなる。

ということで、それを込みにして、
・とにかくまい進すべきはノウハウを学ぶことによる業務コミュニケーション(業務そのもの)のスキル獲得
・業務外コニュニケーションは、自分なりの可能なものを長い目で模索

というのが方向性結論になります。


取り組み実践・テーマ確認から

ということで、生活場面での取り組みとしては、
・どのテーマの問題か
・そのテーマについてのハイブリッド心理学の方向性考えに理解納得できるか

確認からになります。

そこで上記のようなハイブリッド心理学方向性考え納得できない、という場合は、ハイブリッド心理学からもうあまり言えることはなくなる^^;
理解納得できるようであれば、一歩踏み込んで具体的な詰め行けるかもしれない、という

ということで、まずテーマ確認からしますと、

>1.
>2.
については、業務知識および業務コミュニケーションまだ習得未満状況振る舞い方法問題になりますので、それだけを問題として取り上げること自体がやや、前進力なく後手後手への拘泥(言葉の意味はよろしいですかな^^)になりますので、問題課題としては、そこでテーマとなる業務知識および業務コミュニケーションの内容そのものに応じた習得方法焦点をあてるのがいいと思います。
さらなるアドバイスは、その業務知識および業務コミュニケーション内容そのものいかんになります。事例集No.002さん事例のようにですね。

>3.
については、上記
b)業務外のコミュニケーション(雑談など)
位置づけ説明、および「新人」場合考慮事項といった全体的な話アドバイスになります。雑談など実際どうできるかは、あくまで2番手問題として長い目で各自が模索するといい、というのが僕からのアドバイスです。

以上、アドバイスになりましたかどうか^^。



悲しみの克服について / 治男 引用
No.1190 2016/07/14(Thu) 11:33:50

島野メモ:
異性関係および家族関係についてのご相談最初のご入力内容省略しました^^。


 
自己方向づけあってこその「心を解き放つ」・自己分析例など^^ / しまの 引用
No.1192 2016/07/24(Sun) 11:41:42

自己方向づけあってこその「心を解き放つ」

>心を解き放てというキーワードで検索したら、このサイトに繋がりました。思い出すと苦しい、考えると苦しいという状況ですが、自分を受け入れる、全てを受け入れるという事で何とか対処しようと考えるものの、浮き沈みがあり、非常に苦しいのが実情です。何とか克服したいと考えています。お助け下さい。

これは一言で、こんなアドバイスになりますね。
行動法をわきまえ、未熟な感情を見分け、それでも自分自身の中で守るべき「愛への望みの感情」を見出した時、そこに答えが示されるであろう。
と。
それが「心を解き放つ」ことによる答えとしてです。闇雲心を解き放ったところで、答え出ず収集がつかない自己方向づけあってこそ「心を解き放つ」ことが意味を持つ、ということになります。

ハイブリッド心理学では、そうした「心を解き放つ」ための取り組みを、生涯にわたる「心の成長」歩みとして営むための実践説明しています。
まずはそうした「心の成長」というもの自体に、どのように関心を持てるか、になると思います。サイト眺めて、じっくり読んでみようか、という気持ちなれるようであれば、おそらく上述「そこに答えが示される」といのがどういうことなのか、おぼろげ見えてくるかも知れませんし、そうでなしに、ただその最後の答えだけ体感できるようなアドバイスいまここで、というのはちょっと難しいかも知れない。

といった話になるかも知れませんが、実際進めるとしたらどんな感じになりそうか、ごく要点書いてみましょう。・・とは言っても、書いて頂いた状況からじっくり考えてみると、ごく要点だけでもまあ以下のような結構な話の量になります。


悲しみ苦しみの克服までの歩み・自己分析例など

まずは話の繰り返しからになりますが、「心の成長」というものそれ自体に、関心を持てるか。「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、それが、依存的な恋愛感情と、それがうまくいかない悲しみ苦しみ抜け出す方向に、そもそも心が向くどうか分かれ目になると思います。

そうして「心の成長」という大上段から、自分人生採用する価値観行動法「選択」自らに問いていくのがになります。
ここに再び分かれ道があり、ハイブリッド心理学採用する価値観行動法を、自分自身本当に心底から選択するかです。そう思ったのは実は自分への演技のようなものだったと、意識の鎧脱ぐことに向き合う時間結構必要になるかも知れません。

ハイブリッド心理学採用する価値観行動法とは、
「愛」「楽しみと喜びの共有」として向かう、それが実現できない時孤独を受け入れる、という価値観であり、
「建設的対人行動法」として、共通目標共通利益のみに着目して行動する、それがないならば何もしない、という行動法です。
これを、自分成長するための価値観行動法として、これからの人生のためのものとして心底から選択するか
そこから多少「行動学」、まあ今回の話で言えば恋愛行動学のような知恵とノウハウ加えるいいでしょう。異性との交際であれば、一度交際を解消したのであれば、その後基本プライベートな接触はしないのが原則です。それがマナーでもあります。それができず
>3年半後の事実の判明に、何も出来ませんが、相手の女性に、全て分かったよ、責めたりしないから会話しませんかと留守番電話に残しました。
といった行動をするのは、ストーカーに発展する可能性ありとして、過剰な拒否反応を招くのも無理ない話です。
異性から振られた「理由」問うのも、言ってしまえば、こんな言葉でご容赦ですがちょっと愚かです。それはただ、こっちが相手にとってベストではなかっただけのです。それ以上特別な「理由」問えるのは、それなりに堅く結婚の約束をした場合などになるでしょう。
自分がこんなに思っているのだから、相手もそれに応える「べき」といった思考は、健全な思考ではありません。これはよろしいでしょうか。
また既婚段階相手との交際を開始したのであれば、それこそ振られる理由など問うべくもない^^; これはいいですよネ。

そうして心の成長向かうための価値観行動法選択への方向性しっかりと持つことが、内面感情ありのままに開放するでの安全弁になると同時に、開放する感情「自己分析」を通して解きほぐし整理するための、足場土台になります。
つまりそこから行うのは、自分の中感情一つ一つ切り分け心の健康と成長におけるその位置づけを理解すると同時に、それぞれ自分の感情に対する自分の姿勢を、明瞭にすることです。
3つの姿勢どの位置づけとして、自分はそれぞれの感情を扱うのかです。「全て受け入れる」なんていう建前抽象論(?)ではなく。
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情


「自己分析」として重要なのは、感情連鎖流れどこに行き着くかを確認するようなものではなく(それは流されているだけ)、感情連鎖をより前の方へと遡り、まずどんな感情があり、そこにどんな感情もしくは観念が加わることで次の感情に変化したのだという、自分の感情の流れのメカニズムを分析することです。だから「自己分析」
そしてそこに入り混んだ不合理な要素見分けることが、何よりも、耐え難い悪感情消滅するのに助けになると思います。
たとえば愛情怒り憎しみ変化する流れであれば、上述の、「自分の思いに相手は応えるべき」といった観念や、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージ入り込んだ可能性がある。
またそれが苦しみ変化するのであれば、相手は応えるべきだとする、自分の一途で気高いはず(?)思いに、実は自己欺瞞があり、心の中で自分の首を絞めるような自己攻撃感情起きているのかも知れない。あるいはもっと一般的に、気に入ったものは手に入れないと気に食わないという、人生での感情がそこで悶絶起こしているのかもしれない、などなど。

そうやって自己分析不合理要素感じ取ることが、耐え難い悪感情消滅させる最大の助けになるのですが、結局それも、最初に言った、心の成長への価値観と行動法心底から選択していてこそ、それら自分自身不合理だと感じ取れるのであり、その時悪感情消滅する、という効果なり得るわけです。

そこからさらに、自己分析進めることができるでしょう。相手を好きに感じた感情という、起点部分分析です。
それは何を好きだったということか。性格外見、あるいは性的魅力か。そこの辺あまり書いておられない文面全体雰囲気からまず僕が想像したのは、まあ総合的に言って(?^^;)女性としての魅力が今までで一番高かったような相手というかなと。であれば、もしさらに特別に女性としての魅力が高い人物手に届き得る形現れたら、自分はどう感じるだろうか、といった仮説的命題設定をしてみて、自分の心さぐりを入れてみるのも、「自己分析」としていいエクササイズになります。もしそうであれば、その相手もう用無しの(雑な表現ご容赦^^;)、つまり相手を取り替え可能な「愛」だったのではないか、とか自分に問うことができるかもしれない。
まあ僕の感想率直に言って、
>今でも大切で愛している事を自覚しています。
という言葉は、書いて頂いた状況では、どうも不釣り合いのように感じます。その言葉は、それなりに確実な絆を、それなりの人生の時期を通して持った相手使える言葉ではないかと。
「今でも特別に魅力を感じる」というのと、「今でも大切で愛している」というのとは、大分違う感情です。前者はとくかく利己的に相手を欲求しているだけ。それを後者感情であるかのように自己偽装しようとした時、相手からの拒否は、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージに、「うじ虫」「ナメクジ」といった最大級の嫌悪を向けられるイメージ加わるというのがメカニズムです。あるいはこれが「苦しみ」原因かもしれない。

そうやって心の成長への価値観行動法持ち感情不合理要素見極める「自己分析」できるようになれば、さらに、まさに「心を解き放つ」ことが意味を持つ歩みへと向かうことができます。
不合理要素不純要素ない「望み」感情を、心の中で開放し、人生の歩みとして、それに向かうことです。それらはどう実現し満たされることが可能なのか。それを人生において追及することです。
「結婚」とかの固定観念を、心の中では取り外すことが重要です。もちろん外面行動の形として一つの選択にはなるものとして。単純女性の外見などの魅力惹かれる感情であれば、反道徳的ではない範囲行動たとえばお気に入り女優画像収集とかもいいでしょう。そうした個別的願望実現方法個別的に探究した時、「結婚」というのは、相手が好きだという感情だけではなく、相手と共ににどんな家庭を作りたいとかの、共同事業的感情重要になってくることも分かるでしょう。

そうした探究歩み最後に、「心の豊かさ」というものがどう生み出されるのかというテーマが、視野に入ってくる。
「心の豊かさ」とは、「自分から愛せる気持ちの増大」だ、と言えるでしょう。自分自身でそこに幸福を感じられる形で、と。
そしてそれは、実は上記感情の位置づけの中の、
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情
心の中燃やす量応じて生まれていく。
というのがハイブリッド心理学からの結論です。この辺もうここで詳しい説明をするのはやめ、そんな歩みがあり得る、という言葉だけ終わらせておきましょう。

とまあ以上のような心の成長歩みがあるとして、「悲しみ」本当に完全に克服されるのは、つまり「悲しみ」「心の豊かさ」変化し尽くされる、まあそれを「救い」というのであれば救いは、その歩み最後になって訪れる、というものになります。
その途上では、まず価値観行動法への取り組み、そして「自己分析」習得習熟などの、格闘になるだろうと。
上に書いたものは、あくまで参考的ガイドであり、実際の歩みは、自分の足で、つまり自分が考え自分で自分に問う言葉を沢山持っていく歩みとして行って、初めて意味があります。
それに向かうか、ですね。

ということで、僕からのアドバイスは、「道はある」ということですね。それは上述のようなだ、と。まあそれは一つの人生の道そのものだ、ということになりますね。
実際にそれに向かうかどうか、読書日々の向き合いという地道「人生の学び」として、ハイブリッド心理学取り組み実践入ってみるか、と検討頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1194 2016/07/27(Wed) 11:05:30

愚かな事とご指摘の通り、相手は応えるべきと考えていたのは事実のようです。
幸福になりたいと考え、今の自分がいる家庭は本当に居たい場所ではないと思っています。前に進めたいと感じるようになりました。
すみませんが、この記事を削除して頂けないでしょうか?
スパムメールが急増しています。ここに登録してしまった為と推測しています。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1195 2016/07/27(Wed) 12:51:42

とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1196 2016/07/27(Wed) 17:28:20

> とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
> ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


迅速な対応有難う御座います。治男は大丈夫です。
愚かな質問をしてしまったのは、相手をそんな人ではない、信じているという感じから
抜け切れなかった為と思われます。どうしてあのようなとか、こんな事を問いただした
のかなど、過去に遡ると残念な気持ちになるばかりです。もっとより良い方法や繋がり
方法があったはずという後悔でしょうか。
面会できなくなってから長い期間繰り返しの自己問答を行った為に、愛していると錯覚
してしまったのかも知れないと思う様になってきています。想定問答の末に、もう一度
会えた場合、本当にこの感情が愛なのか確認したいという考えもありました。
今となっては完全に会う事も会話も不可能という状況になり、相当相手が私を嫌悪して
いると考えられるのに、そんなはずは無いという感情と、嫌ってもらって結構だという
思いが出ます。そんなはずは無いという状態の時は、凄まじく悲しくなり、嫌って
もらって結構だと思うときは楽な気持ちになる傾向が分かっています。
相手の二股は私に対する裏切りで、私自身も家族を裏切っていたため、自業自得となり
自分の悪行がすべて自分に帰ってきたと思うようになっています。そして相手は自爆し
てしまったと考えています。一番誠意を持って相手を大切に思っていたのは私自身以外
に無いと考えた時、苦しくなります。相手は一分一秒たりとも自分を思い出しても考え
てもいないと思うとき、楽になります。これまでの3年半の間に、少しずつ、一つずつ
諦めてきたと思っています。最後のこの一月ほどの間に分かった事実が強い悲しみを
もたらし、また同じように苦しくなりました。そして、もう一度嫌ってもらって結構だ
という言葉を繰り返す事で自分を楽にしています。


 
「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる^^ / しまの 引用
No.1198 2016/08/02(Tue) 11:44:35

心の成長の全体にまず取り組む

同じアドバイスになりますが、
心の成長へと向いた中で心を解き放った時、そこに動揺や悪感情を凌駕する、新たな感情が見出される。
ということになります。に、知性理性心の成長考えたもの遥かに超えた、自分自身でも予想だにしなかったような、輝きを帯びた感情としてです。

そこで多く場合、まず「心の成長に向く」という前段段階課題になってきます。それなしに、こうしたアドバイス場面で、最後の、輝きある感情が解き放たれるところだけおいしいとこ取りしようとしてもそうは問屋が卸さない、というものとしてです。
そしてこうしたアドバイス場面僕にできるのは、その前段段階である「心の成長に向く」というものに向けて、ご相談者そうさせてあげる、というのはできず、というのも、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、まずそこにおける「自ら」といのが、究極人に言われてできるものではなく、自分で選択しなければならないものだからです。
で、こうしたアドバイスの場面で僕にできるのは、心の成長向くためのヒントとなるキーワードか、もしくはご相談者の方現状でどのように心の成長に向けていないか指摘することまでになる、という按配です。

そして心の成長に向かうとは、「生涯の学び」として当たる必要があります。これは身体の健康向かうのが「生涯の学び」であるのと同じです。食事運動その他生活習慣身体各所維持向上病気怪我予防対処知識などなど、これ一冊読めばそれで全て大丈夫ですヨ、なんて話は毛頭なく、日頃から新聞TVなどでそうした情報接するに、自分自身実践試行錯誤など積み重ね必要になります。

心の健康と成長のためには、価値観と行動法、感情のバリエーションやその変化の仕組みの理解、さらには生き方姿勢を形作る意識基盤などなど、理解すべきこと広範囲におよぶのですが・・その項目全体『辞典』整理しているように・・、問題は、そのための正しい情報日頃本や新聞TVなどで発信されるような状況ではなく(まこの辺の意見はさまざまでしょうが)としては、ハイブリッド心理学著書時間の折日頃読む習慣と、日常生活での実践を模索することとして、まずは心の成長に向かうということ全体取り組むのを、検討されると良いのではないのかなと提案するのがアドバイスになる次第です。


「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる

具体的問題に際してアドバイスできるのは、ごく外面の行動法答え・・これは具体的に言え、今回の話については、行動法として前アドバイスで言った通り、あとは上記のように、心の成長の全体向かうにおいて、当面の話との関連においてヒントになるキーワード、もしくはご相談者どのように現状で心の成長に向けていない察せられるポイントを指摘するまでができること、という

・・とアドバイスの前置きアドバイスそのものより長い感(^^;)がありますが、前アドバイスへの補足的に言えるのは、どのように現状で心の成長に向けていないかの部分になると思います。

それはこの部分です・・と端的な文章引用しようかと思いましたが、どの文章というより、上の追加レスの全体になりますね。
「愛」を、「気持ち」の問題としてばかり問い、生み出す行動として問えていない、という状況察せられます。

互いが好きという気持ちが合うことをゴールのように抱いている雰囲気察せられるのですが、そんな相手世界ゴマンいてもいいわけ(まそんな好条件はなかなかないのが実情ですが^^;)です。問題は、そこから実際何ができるのかです。
互いが好きという気持ちだけでメシを食うことはできず、現実生活の設計と維持という、一大事業問われるのが人生そして結婚というものです。たとえば「信じている」という言葉出てきましたが、それはいったい何を信じているということか。相手が自分を好きという気持ち信じたところで、互いの現実生活前進しないわけです。
その前に、自分は相手との現実生活を築くためにどのような姿勢と行動を持つか問われます。それが明確であれば、、次の問題相手を信じるかという問いにはならず、そうした具体的行動レベル相手は合意するかどうかです。
互いが好きかどうかというのは前段的な話として、相手と実際何をしたいか、何ができるかが、問われます。念のため、性愛行為以外現実生活行動としてです。
実は、そうした「気持ちの問題だけではない行動への姿勢」持っていれば、相手の態度違っていたのでは、とも思えるのですが・・。

心理学的テーマで言えば、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」です。
そしてその姿勢欠如した時、「愛」が、互いが好きという気持ちの一致がゴールのように抱かれ、その後が意識されずに、そのゴールによって相手が自分を幸福にしてくれる、相手が自分に良くしてくれるというようなイメージで抱かれる傾向が出てきます。
どうもそうした姿勢ではないか、と。
「心の成長」向かうことでことで、「愛」が、大分違う角度からも見えてくる。その先に、前アドバイスで書いた、
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

といったものが見分けられるようになり、(3)答えとして見えてくることもある、というになります。

とりあえず今言えるのはこんなところですかねー。ということで、ハイブリッド心理学取り組み全体向かえそうかなど検討頂ければ^^。
「心の成長」の中で「愛」がどう変化するかといったテーマについて手早くは、以下のような原稿など読みつまんでみて頂くといいかもしれませんね。
メール相談事例集

・No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う
・「魂の感情」への向き合い の説明および事例


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1199 2016/08/02(Tue) 20:57:30

(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?
妄想や一定の考えに捕らわれた心を解放するには、心の成長が必要であり、自ら進んで
実践に移すという事だと思います。病んだ心と思いつつ、とらわれたままです。
納得が行かないと何時までも考えるという感じです。
負のスパイラルとでも言うのでしょうか?
死んだ者をいつまでも思い出し、悲しむという事と似ているような気もします。

昨日、釣りに行って仲良くなった同年輩の男性が魚を私にぶつけてきて元々汚い
ズボンに血がつき、ムッとしました。
何時もの自分なら、へらへら笑って、何も無かったような表情を維持するのですが、
通常怒りを表さないのが自分の弱さでもありますが、相手に怒りが伝わったらしく
無口になってしまいました。でも、自分を何時も抑えるような感じなので、これで
良いのだと自分を言い聞かせました。
何時もの通り、悲しく苦しい思い出を、楽しい釣りの時間にも考えていました。
今でも愛していると思い込んでいる女性の実家へ行ってみようと、この2ヶ月の間
何度か考えました。
昨日、実家へ行ったら、もっと嫌な気持ちになると思いました。
まだまだ隠されている嫌な事が有るのではないかと、これ以上嫌な思いはしたくないと
思いました。従って、恋心はあるけれど、好きだけれど、普通の女性として良心が
有ると考えられなくなってきました。
悪感情がまたまた出てきて、人を信頼するという事が出来ないという感じです。
人は性善説で見ており、小学校で塗り込められた良い人という考えや記憶から外れ
られないのです。従って、相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。
これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人では
ないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。
だから苦しむという事だと思いました。


 
「人の様子」よりも「自分の価値観と行動法」に取り組む^^ / しまの 引用
No.1201 2016/08/09(Tue) 09:01:58

明日から北アルプス登山に出かけますので、迅速手短に^^。

>これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?

「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」原則に立った実践として検討していきます。

対人行動であれば、「建設的対人行動法」として、「共通目標共通利益のみに着目した行動」行います。「愛」を、「喜び楽しみの共有」として向かう価値観にも沿った行動法です。
ですので、相手も同じように楽しみ喜ぶであろうものであれば、何かの行動をしたいという気持ちを、実行に移せば良し(1)
そうでないもの、たとえば「怒り」は、行動化しない(2)
ただ相手に近づきたい。でも相手はそれを喜ばない。であれば行動化しない。それでも相手を思う気持ちに、自分にとって大切なものあると感じるのであれば、それを心の中で守る(3)
で言うとそんなことになります。

そのように、まず「行動法」「価値観」についての自分の考えを築くことによって、それを舟の碇のように水底におろし、荒波のような感情流されることなく解きほぐせるようになります。

上記追加レス材料も、まずはそうした取り組み方必要になりますね。それはまだ未着手のようですので、まずそれを検討頂くと良いかと思います、というのがアドバイスになると思いまず。

>相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人ではないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。だから苦しむという事だと思いました。

これも、「善悪」の価値観テーマになります。ハイブリッド心理学ではについて「良い人」「悪い人」という分類しません行動については、法的、また人道的な観点からの善悪もちろん問います。「原理原則」という視点扱います。
そうした視点なし「良い人」「悪い人」というのを漠然と考えていると、自分の欲求に応える人が「良い人」で、そうでないのが「悪い人」といった、てんで方向性なしのイメージの話になってしまいますね。
この辺『入門編上巻』詳しく説明しています。

ということで、現状
・人の様子→感情動揺
という流れになっていると思いますが、そこから、
・→自分の価値観と行動法の検討(ハイブリッド心理学の学び取り組み)→感情動揺の解きほぐし
という進め方をするよう、検討してみて頂ければと思います^^。

まずは多少の読書からになると思います。じっくり「生涯の学び」として進めて頂ければ。そうした進め方をしようとして、これこれが不明といったなど明瞭化して頂ければ、さらに踏み込んだアドバイスもできるかと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1203 2016/08/16(Tue) 12:06:36

入門編第1巻を読み始めました。まだ、まえがきの部分からそれ程進んではいませんが、
重く沈んだ苦しい感覚が何度も打ち寄せてくる状況が少し変わっています。
あまりにも酷い仕打ちをされて、例えば、相手の女性が引越しをしたという事を周りの
人々は知っているが、自分だけは知らされていないという小さな事柄を知った時、
また、隣に座っている人と夕食をとったけれど、私とは面会さえしてくれなかった事、
そんな事ができる心根はいったい何かという事を考え続けた苦しい時間が本当に無駄
であった様な、忍耐力がついたから良いかといった感覚が出てきました。
どうしてそんな事が出来るのか信じられないという感覚から、あきれてものも言えない
という感覚です。いままで、早く忘れたいと思っていた事が、徐々にどうでもよくなって
来た感じです。ふと気がつくと、相手の立場になって何時も考えています。
自分が相手だったらという考え方だから自分本位かもしれませんね・・・
自分の事を優先させることにしたい。思い出したくない様なお付き合いは金輪際しない。
あまりにもくだらなく下劣な行動をしない。自分勝手で卑怯でインチキで人非人の様な
本当に酷い無茶苦茶なやりくちで他人を置き去りにしない。
私は、幸せになりたい。私にとって幸せとは何か。愛する女性を愛しぬく。一生をかけて
幸せにする。そのために、年金が出るまでに何とか出会う。自分を真正面から見てくれる
信頼でき、本当の意味で愛する事ができる女性と生きる。というものです。
しかし、これだけ囚われると本当に困ったものだと、どうしたら良いか分からなくなる。
これを乗り越えたら、きっと幸せに向かえる気がする。


 
読書と実践^^ / しまの 引用
No.1205 2016/08/23(Tue) 09:47:51

まずはさまざまものの見方考え方価値観思考法行動法内面感情の理解の仕方、そして心への取り組みについて触れるという感じでいろいろ読み進んでみて頂ければと思います^^。

その先に、「価値観」「行動法」選択に応じて自分自身問題材料どう考えられるかという、選択テーマを明確にした思考取り組みをするのが、まずは道筋になると思います。
たとえば
・「愛」への向かい方価値観として、「楽しみ喜びの共有」それとも「分かり合い認め合い」として向かうという、価値観選択がある。自分内面感情そのどちらで動いているのか。別の価値観に立った時、どのように考えられるか、といった思考取り組み
それが「実践」になりますね。

そうしたテーマ選定的この部分はどうか、といった材料あれば、また新規トピックなどで入れて頂ければ懇切アドバイス返していきますので^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1206 2016/08/25(Thu) 12:19:13

人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?
今、かなり強く相手の女性がちっぽけで愚劣で汚らわしく思うようになりました。
以前は、その女性はマッサージ師をしていた為、指が割と太く、それも真剣にやっていた
から素晴らしいとか、とっても前向きで、尊敬すらしていたのに、これまでの私への
暴言や愚かな行動と拒絶を見ていると、人間としてかなり愚劣で劣っているし、誠実さや
問題に対し正面から向き合う、人を裏切らないという真摯さのかけらも見受けられない。
嫌な悲しい思いをさせたくないという愚かな思いやりが、益々強く私の心を傷つけると
いう事を考えもしていないと見られます。
同じ会社の2人と肉体関係におよび、夕食を同席する危険な事すら気にもしないという
態度と思いやりの無さがあまりにも悲しくちっぽけ過ぎる程に思うようになりました。
そんな人ではないという思いを深く裏切られたという残念な思いすらも、もったいないと
思うようになってきました。色々な悲しみ・苦しみ・悪感情を凌駕する、新しい気持ちが
芽生える事がひょっとしたらあるのではないかと、時と共に感じる様な、そして、希望が
持てるようになりました。こうした事ばかり考えていると読書が進まないという動揺と
いうか、集中できないという感覚なので、まだ少ししか進んでいません。


 
「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ^^ / しまの 引用
No.1207 2016/08/30(Tue) 09:18:09

「人を信じる」とは

>人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?

まず「信じる」とは「疑わないこと」だと辞書では出てきますね。
それが「人を信じる」というテーマとなれば、
?@人の心の根が良いものであることを仮定した思考を選択する
?A期待をかける

という、大きく2つになると思います。ま言葉の定義ですね。

ハイブリッド心理学では、「人を信じましょう」というしていません
人の心の根が良いものであるかどうかは、ケースバイケースです。疑うことが必要になる場面も、社会生活では出てきます。安易な儲け話持ちかけられた場合など^^;
一方心の根が良いか悪いかは、心の健康にも関係します。心の根悪いものに傾くのは、心を病んで生じる「心の荒廃」関係します。心が健康であるほど、「良心」にも傾くというのが、ハイブリッド心理学の考えです。
誰が誰にどう期待をかけるかどうかは、もう完全一般論のない、人それぞれ「望み」になりますね。

心の成長への取り組みとしては、そうしたものとして、
・人と社会を見る目を、人生を通して築いていく
・自分の望みに向き合う

という2面重視しています。


「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ

そこにさらにハイブリッド心理学採用する各種思考法行動法生き方姿勢加えて考えるならば、「人を信じる信じない」といった思考そのものを、卒業する方向向かうのが、ハイブリッド心理学取り組みだと言えると思います。

人の心成長によって変化します。もし自分心の成長を目指すのであれば、人の心決めつけず、変化の可能性も視野に入れたいところです。
一方でハイブリッド心理学採用する「原理原則行動法」は、人の心の内面執拗に問うことなく外面における客観的な事実に基づいた、厳然とした対処行う方向のものです。

そうして、人生を通して人と社会を見る目築きながら、実際の場面においては、人の心が変化するものであることへの視野も持ちながら、内面にあまり立ち入ることのない厳然とした行動法も行っていく。
そうした多面的な心の視野持ちながら、自分が何を望むのか真正面から向き合う。すると最後人をどう見て自分がどう行動するかは、人が信じられるか信じられないかに増して、自分自身をどう信じるかの方が重き持つものになっていきます。

「心を解き放つ」惑い煩い動揺凌駕する感情開放されるというのも、そのように揺らぎない自己築く方向性先にあるということになりますね。

今回の件に限らず、日常生活人生さまざまな場面において検討するものとして、そうした自己方向づけ参考としていろいろ読んでみて頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1208 2016/08/31(Wed) 12:17:42

ハイブリッド心理学入門編1巻の25ページ、悲しみの彼方への旅72ページまで進みました。
入門編1巻に怒りは自らを傷つけ、悲しみは治癒を促すという事が本日までの良い言葉
として私の心の中に残りました。
相手の女性はそんな事をするはずは無いという気持ちと、その酷い言動のせいで、不快な
男性の上司になり、定年前に関連会社へ出向して収入が減額される事を避けるという良い
話に乗ることが出来ないという流れの中で、怒りと悲しみが拮抗します。
「私悪い事してる」その他口には出せないほど惨く汚らわしい言葉の意味を3年半かけて
知ったという事で、記憶から消えない状態です。
悲しみが続いているのも事実で、他の対人関係も切れ切れになってしまいました。
愛の共有によって幸福になりたいという希望がありながら、前に進めなかった事の残念さ
がありますが、自分の気持ちが判然としたという事が唯一何か良かった事としています。
昨日、お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくないと
言われました。益々、弱りきっています。
今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替え
なければ自滅する感じです。道を歩いていて他人が極めて不愉快に感じます。
いままであれほど会いたかったのに、今では恐ろしくて会いたくない。間違って会って
しまった時に備える為に、発言する内容を2通り考えていましたが、もちろん相手は
逃げ隠れするから心配ないと思いつつ、それすらも嫌になりました。自分の部下以外は
全員が敵で、我家族は別離したい対象でしかありません。今、心を入れ替えないと
本当に自滅すると感じます。
本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが強く沸いてきました。


 
「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け^^ / しまの 引用
No.1209 2016/09/06(Tue) 13:41:29

「感情と行動の分離」の原則に立った検討

ハイブリッド心理学からは、どんな問題についても、
「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」
という「感情と行動の分離」原則に立って検討します。

>益々、弱りきっています。今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替えなければ自滅する感じです。

というで言えば、こんなアドバイスになるかと。
・まず、気分感情としてではなしに、外面の客観的現実問題を見分け、それに対処する建設的な行動学を学び、心の健康と成長のためのものの見方考え方に接し、馴染んでいく。
・それを皮切りに、内面感情の揺れを生み出した自分の考え方について幅広く見直しながら、内面感情にも深く向き合っていく。


つまりまず、「弱りきっている」「自分がつぶれてしまう」感じることにある、感情の問題と、客観的現実問題切り分けることからです。

もしそれが身体的病気怪我疲労、もしくは金銭的な、あるいは仕事上トラブルであれば、対処必要であり、また対処知恵が出てきます。
一方、「お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくない」言われたというのは、対処すべき問題ではありませんそう思われたのであれば残念なことでしょうが、反撃したところで何も生まれません。まず何もしないことです。それが心の優しさ包容力自らが培う方向性への、第一歩になるでしょう。

そのように、まずは「問題の切り分け」から。


「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け

まあ書いて頂いていること全体として、「過去への怒り悲しみ」というものになっていると思いますが、それをまず、「現在の問題の見方考え方への取り組み」というものに切り替えるのが、基本的心の切り替えになると思います。

そこで治男さんの場合重要になるのは、
・個人的な望みや意向に沿うか否かの問題と、「善悪」の問題の混同
というのを脱することだと思います。

自分他人個人的な望みや意向沿うか否かは、基本的人それぞれの勝手であり、まずは人の動きを受け入れるのがいい。それについて惑い悩み不要方向へと、心を持っていきたいものです。
一方、法的、人道的、さらには社会や集団の仕組みから言える「善悪」というものについて、客観的で原理原則的な考え方取るようにする。

まあちょっと抽象的かと思いますが、まずは「現在の客観的な問題」内容正確に把握することから始め単にものごとが自分の思い通りになっていないのを受け入れる、もしくはしっかり対処が必要な問題には対処する、という切り分け取り組んで頂くといいと思います。
対処が必要そうな問題については、ハイブリッド心理学からまた具体的アドバイス可能かと思います。レスがあまり長くなるのも見ずらいかと思いますので、適宜新規トピックにして入れて頂ければ^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1210 2016/09/06(Tue) 14:12:06

本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが沸いてきました。それが本当に自他共に正しいと思えます。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1211 2016/09/06(Tue) 15:24:54

>幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければなりませんね。

「“今”を原点としたスタート」として向かって頂ければ^^。
また具体的取り上げたい場面課題材料等あれば、個別新規トピックなどで入れて頂くとよろしいかと^^。



ハイブリッド心理学においての具体的な実践についての質問です。 / Air 引用
No.1202 2016/08/13(Sat) 00:27:38

島野さん、初めまして。
現在25歳の社会人の男です。

私の悩みに関してハイブリット心理学では
具体的にどういった取り組みをしていくのかについて質問させてください。

私の悩みは2段階あります。
純粋な悩みと、その悩みを解決できない悩みです。

まず純粋な悩みの方から説明させていただきます

この悩みは、
【人の目・人からの評価を過剰に気にする。】
が一大テーマになっているように感じます。

特に直面することが多く私自身悩んでいることを以下に列挙します。

1.自分の要望をなかなか人に伝えられません。その相手が家族だとしてもです。

相手の言動に対しての要望の場合と自分の純粋な要望な場合があります。

その要望が相手の言動に対しての改善の場合、
嫌だけど我慢できる範囲なら言わないでおこうと思っています。

でもどうしても我慢できず伝えずにいられないという時は
怒りがこもった伝え方をします。
(例:「なんで〜なんだよ!」など。)

そう伝えた後、相手のその言動が改善しようがしまいが
自分の感情は怒りのままです。

改善の場合→「改善できるんだったらもっと早くやれよ!」と思い、怒りの感情。
改善しない場合→「俺はこれだけ我慢してるんだから俺の気持ちを汲んでくれてもいいじゃないか!」と思い、怒りの感情。

その要望が純粋な自分の要望な場合、
「これを要望したら相手に嫌われるんじゃないか」「迷惑なんじゃないか」
「まだそんなことを要望できるような関係じゃないのにと思われるんじゃないか」などと思い
要望することに強く恐怖・不安を感じます。

そのため要望できない、もしくは要望したとしても相手の機嫌を伺うような物言いになります。
(例:嫌だったらいいんですけどもし嫌じゃなかったら〜、など。)

そして要望が受け入れられない時には
「嫌われてしまった」「やはり迷惑をかけてしまった」
「こんなことならやっぱり要望するんじゃなかった」と考え
自己嫌悪、自分を責めるような感情になります。


2.仕事で分からないことがあった時になかなか質問できません。

「こんなことも分からないのか」「バカなのかこいつは」
「なんで今更こんな質問するんだ」「今時間ないのに迷惑なやつだ」
と思われるんじゃないかと思い恐怖を感じます。

それを乗り越えて質問してもその回答に理解できないところがあった時に
そこを追求できず分かったふりをしてしまいます。

追及できないのは上記の質問できない際の思考と同じものが浮かぶからです。
「こんなことも分からないのか」「バカなのかこいつは」、、、。

追及できずに分かったふりをしたあとは
「何のために質問したのか」「結局状況が変わっていないじゃないか」
と自己嫌悪になります。

そして「これでまた同じ質問したらさらに無能なヤツと思われるだろう」と考え
もう同じ内容で質問することはできません。

でも状況は依然として分からないことが分からないままなので
「じゃあもうどうすればいいんだ・・・。」と焦り・追い詰められた感を感じます。

3.マンションに住んでいるのですが、
その帰り道で前を歩いている人も同じマンションに入って行った時に
怒りや自己嫌悪といった感情になりつつ、迂回して少し時間が経ってから帰ります。

その時の自分の内面をあえて言語化するならば、

「俺は同じマンションに住む人と同じエスカレーターに乗りたくない。
なぜなら窮屈感や同じマンション住民として挨拶をしなくちゃいけないといった義務感を感じ、
それらが不快だからだ。

だけどこのまま俺もマンションに入ったら同じエレベーターに乗るかもしれない。
それは避けたいから少し迂回してから帰ろう。

でもなんで俺はこんなことをしているんだ。前のヤツがいなければ普通に帰れたのに!(怒り)

家に帰るだけでこんな状態になっているのは俺だけなんじゃないのか。
俺がおかしいんじゃないか。なんで俺はこうなんだ。(自己嫌悪)」

となります。

4.他人と会話する時に自分の本心・本音を過剰に隠します。

具体的には、
・面白くもないことに笑う、
・相手の意見と自分の意見が違う場合には自分の意見を殺し相手に合わせる、
・頭の中でひとつひとつ自分の発言が相手を不快にさせやしないかとチェックし、
これなら大丈夫だろうと確信できたことだけ発言する。
→なので言葉がすぐでてこない。
→でもあまりにも返しが遅いと会話が成り立たなくなるので、焦る。
→とんちんかんなことを言ってしまう。
→自己嫌悪。

などです。

なので、人と会話するだけで異常に疲れを感じます。

この結果だけ見ていると、私にとって人との会話というものが
“私はあなたの敵ではないですよ、無害ですよ、だから攻撃しないでねと全力でアピールする場”
になっているみたいだと今感じました。

5.挨拶しても返ってこない、メールをしても返ってこないなど
自分からの働きかけに対して自分が望むような反応が返ってこない時
自分の存在というのは相手にとってはその程度なんだ、と思い自己嫌悪になります。

「こっちからわざわざ働きかけているのにその反応はなんだ!」と怒りの気持ちも湧いてきますね。


そして次に、これらの悩みを解決できない悩みです。

これらの悩みを解決するために本などを読むのですが
そこで次の段階の悩みに進みます。

大体の流れを書いてみます。

1.悩みに合致したテーマの本を読んでみる。

2.
(内容が理解できて行動できる場合)
→とりあえず行動してみる。
→うまくいかない。
→自分なりに今度はこうしようと考えまたやってみる。
→うまくいかないことが続く。
→嫌になる。
→解決への行動をやめる。

(内容が理解できて行動できない場合)
→行動しようと思う。
→「失敗したら恥ずかしい」「この行動をしたら人からこう思われんじゃないか」と考える。
→恐怖・不安を感じる。
→嫌になる。

(内容が理解できない場合)
→とりあえず先を読んでみる。
→やっぱり理解できない。
→嫌になる。
→理解しようとするのをやめる。

3.自分の望みは叶えられないんだ、一生このままなのかと思い、絶望のような感情になる。
4.その悩みを解決することから離れる。
5.生活する中でまたその悩みに直面する。
6.やはり解決したいと思う。
7.1に戻る。

この流れを中学生ぐらいの頃からずーっと繰り返しています。

実際、ハイブリット心理学の書籍を木曜日に1日かけて入門編の上巻、下巻を読んだのですが、
理解できないところが多く、結局自分の悩み・課題について
今ここから自分は具体的にどうしていけばいいのだろうと悩んでしまいました。

ちなみに理解できないというのは、納得ができない、というより
日本語として分からないといいますか、読んでもまったく頭に入らないといった感じです。


こういった状態から心の成長に向かうには
具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。

こういった質問自体が他人への依存であり病んだ心なのだとは思うのですが
ご回答いただければ嬉しく思います。

よろしくお願いします。


 
「頭で理解」の真の姿・悩みの状態ではなく内容に取り組む^^ / しまの 引用
No.1204 2016/08/22(Mon) 14:26:24

実践のステップ

これはまず、人生で役に立つ生き方思考法行動法実践というものが、どのようなステップを経て身になっていくのかの説明からするのが良いかと。
それに照らし現状での進め方どんな不足があるのか、というできるかと思います。

で、実践のステップには主に3つがあります。
?@まず頭で理解する
?Aそれを実際の場面で応用実践する
?Bそれを積み重ねる


実はそこにさらにもう一ステップがあり、
?C結構な積み重ねの先に、心が実際に成長変化する
成長変化するとは、もはや四苦八苦することなく、心が自動的に、自らを幸福にするように動くようになるのを、自分自身で実感できるといことです。
そこに至り?@の「まず頭で理解」したことが、人生の真実であったことへの確信得られることになります。それにより、応用実践積み重ねは、もはや微塵の揺らぎもないものとなり、心の成長変化加速度的に進むことになる。
おおよそそんな流れを言うことができます。


「頭で理解」することの重要性

そうした心の成長への実践ステップの中で、どれが一番重要か僕の考えを言うならば、
?@まず頭で理解する
というステップです。

なぜなら、それがないと何も始まらないという、単純順番的もありますが、それにも増して、人生で本当に役に立つ姿勢と思考法行動法とはどんなものなのかという、その真偽のふるい分け重要になるからです。
それだけ、に出される生き方や思考法行動法の指南は、最後まで本当に役に立つものが驚くほどまれな、一時しのぎの励まし慰めもっと悪ければごまかし大多数占めているからです。

そこでありがちなのが2パターン
一つは、「頭では分かっているつもり」という、自分自身への建前の、ごく浅く上辺だけの思考実際行動場面になると、分かっているつもりのものとは正反対の行動をしたりするケース

そしてもう一つ多少とも奥の深い話になりますが、今聞いて話として言葉として理解できるというのは、変わることのできない今の心の中ですぐ分かるという程度の話しかない、ということです。
つまり、今の心未知の心変化する道筋を述べたものを、実際そうした体験をまだ経ていない心で、理解できるはずもないわけです。
むしろに、今聞いても分からないような話としてこそ、今の未熟な心が豊かに成熟した心へと変化していく、道筋と鍵がある。そうした目線を持って、まず学ぶことから始めなければならない、ということです。
ただしそうして学ぼうとする、世に出される生き方指南大半は、一時しのぎ程度、さらにはごまかしでしかない。
それをどう見極め整理していくか。そうしたものとして、
?@まず頭で理解する
というステップ重要になる、ということです。


「頭で理解する」の真の姿

そのため、「頭で理解する」こととして重要なこととして、
・「頭では分かっているつもり」という「理解の浅さ」への理解
・言葉として(実感として)分からないことの中にこそある次のステップを感じ取る理解

といったものを言えます。

たとえば、
>(内容が理解できて行動できる場合)→とりあえず行動してみる。→うまくいかない。
>(内容が理解できて行動できない場合)→行動しようと思う。・・・・→恐怖・不安を感じる。→嫌になる。
というのは、「理解できている」とのことですが、結局は分かっていないわけです。なぜうまくいかないのか、なぜ不安を感じてしまうのか。ではどうすればいいのか。

姿勢行動法について「理解する」言うのであれば、「こうできればいい」という基準あったとして、それができない場合なぜできないのか、できそうなものになぜ不安を感じるのか、ではそのギャップ克服どのようなものとしてあるのか、というさらに一歩踏み込んだものあってこそ、「理解する」言えるものになります。
またそうした一歩踏み込んだ知恵提供してこそ「心理学」なのですが、世に出ているもの9割がたは、そうできれば何の苦労もない、「こうできればいい」という絵に描いた餅のような基準言うだけのものが大半かと思います。

一方でハイブリッド心理学は、言葉としても容易に理解できないであろうことかなり言うと思います。たとえば、
・今の心が死んだ後に、新たな心が芽生える
・「魂の望みの感情」のの燃焼量に応じて「自発的幸福」が増大するのが、「心の豊かさ」への最終的な答え

といったなど。
ではこれにどう向かい得るか言うならば、結局やはり言葉として覚えないと、なかなか進みようがないわけです。言葉として覚えることで、それだけではそこに向かって進みはしないけれども、多少ともその方向を向く。そして生きる体験で、やがて「これがそのことなのか!」見える時訪れるわけです。力強い前進できるようになるのはそれからです。

ですので、「頭で理解する」という最初のステップで、まず問題課題解決ヒントになりそうな情報本などからを得るのはいいとして、そこに、
・そこに書いてあるのは、そうできれば苦労はないような、うまくいった基準の姿か、それともそれができない場合の原因究明や克服など、さらに踏み込んだ深い知恵か
・いずれにせよその内容について、自分は本当に心底から理解納得するか

という2面の、「自分の考え」明確にする作業加えることが重要になります。
まあ深い心理学ほど話が何段階にもわたり、納得理解を進めるのも難しく最初うまくいく姿だけを安易に謳ったもの惹かれると思います。いいでしょう。それを実践してみる体験の中で、うまく行かない原因が見え、より深い心理学言っていることが、言葉として分かってくる。ただ解決姿理解できない。そしてさらに人生の歳月で・・。
といった長い取り組みになると思います。


ハイブリッド心理学ではどう取り組むか

ということで、話が理解できてどうこう、あるいは理解できなくて、という「理解する」ということ自体どう理解するかという前段的な話すっかり長く(^^;)なりましたが、上述のようにまず自分が理解していると感じること自体について厳密に問いながらことに当たるのがお勧めですというのを主旨として、ハイブリッド心理学ではどうなるのか簡潔アドバイスしましょう。

このご質問への回答になりますが、
>こういった状態から心の成長に向かうには具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。

多少とも読んで頂いていればこの言葉出てきているのがお分かりと思いますが、ハイブリッド心理学では、
「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」基本原則に立った「実践」を、具体的場面課題ごとに実践することを行います。

で、それが書いて頂いた、

>1.自分の要望をなかなか人に伝えられません。その相手が家族だとしてもです。・・(略)・・自己嫌悪、自分を責めるような感情になります。
>2.仕事で分からないことがあった時になかなか質問できません。・・(略)・・「じゃあもうどうすればいいんだ・・・。」と焦り・追い詰められた感を感じます。
>3.マンションに住んでいるのですが、・・(略)・・俺がおかしいんじゃないか。なんで俺はこうなんだ。(自己嫌悪)」となります。
>4.他人と会話する時に自分の本心・本音を過剰に隠します。・・(略)・・なので、人と会話するだけで異常に疲れを感じます。
>5.挨拶しても返ってこない、メールをしても返ってこないなど・・(略)・・自分の存在というのは相手にとってはその程度なんだ、と思い自己嫌悪になります。
>そして次に、これらの悩みを解決できない悩みです。

といった「悩み」解決のためには、どうすればいいかですが、
まず言えることはこうなります。
それは解決はできない。それは悩みの「内容」のことではなく、「状態」のことだからだ。
悩み内容ごとに、解決向かって「実践」問うことができます。その積み重ねによって、「悩み」「状態」も、変わるかも知れない。

つまりまず、「自分の状態」悩み、それをどうこうしようとする姿勢から、「具体的場面課題」しっかり捉えて、その内容ごと知恵とノウハウを学び実践するのが、ハイブリッド心理学行うものになります。
まあもっと平たく言えば、悩んでいる場面の内容を、もっと具体的に検討せよ、ということですね^^。もっと具体的にした段階で、ハイブリッド心理学からいよいろ知恵とノウハウ、そしてより根本的生き方姿勢の選択肢提示が、出てきます。
それは『辞典』でいま整理していような項目わたります。
つまり、具体的問題ごとに、問題の内容を詳しく整理し、その克服のためのテーマを把握し、その内容を学んでいく、ということを地道行います。
それが、
>こういった状態から心の成長に向かうには具体的に何をどうしていくのがハイブリット心理学の実践になるでしょうか。
への回答です。

そうしたものとして、一つ一つ取り組んでみるか、ですね。
そこからはもうここで書けるほど手短にはできず、それこそ一つ一つ取り上げての検討になりますが、どんな視点出てくるかのごくキーワードだけ書いておくと、こんな感じかと。

>1.自分の要望をなかなか人に
要望の内容
応じ「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」どれを用いるかといった「行動学」になります。

>2.仕事で分からないことがあった時に
「価値を生み出す質問」という仕事のスキル
読者広場以下トピックなど参考
『仕事における「質問の仕方」「モチベーション」「怖れの克服」^^』 しまの No.1150 2015/11/23

>3.マンションに住んでいるのですが
相手との知り合い度に応じた立居振舞い法検討

>4.他人と会話する時に
これも会話の内容に応じた行動学です。そこに本音と建前という区別問題ありません

>5.挨拶しても返ってこない
交友親愛への価値観および行動法全体にまず取り組みます。


もしハイブリッド心理学の取り組みとして進めたいようであれば、一つ一つまたトピックとして入れて頂ければ、それぞれまた時間頂くと思いますが、より具体的アドバイス可能です^^。



人が部屋に入ってくるのが嫌 / 卯衣 引用
No.1191 2016/07/23(Sat) 13:22:37

私の部屋はお姉ちゃんと同じなのですが、お姉ちゃんが入ってくる途端イライラします。
どうすればいいでしょうか?


 
「自己分析」で原因ごとに対処^^ / しまの 引用
No.1193 2016/07/25(Mon) 11:14:22

これは一個前のトピックでもテーマになりましたが、「自己分析」必要ですね^^。
自分は何を、なぜイライラするのか、と。
そうして見えてくる原因の問題ごと対策考える、ということになります^^。

たとえば姉にいつも何かイチャモンをつけられる、あるいは何かを干渉されるのにイライラする、ということであれば、さらに、イチャモンをつけられたり干渉されたりする内容それぞれに、どう対処するか取り組みます。具体的「学び」出てくるのはここからです。
あるいは姉の様子どうこうよりも、自分一人の部屋が欲しいのに、という気持ちからイライラが起きているのであれば、また別の話になりますね。まこの場合今どうこうできる話ではなく、将来計画をしっかり練ることが対処なるかも知れない。

そのように自己分析によってイライラ原因分析し、面倒かも知れませんが原因ごと個別に、地道対処積み重ねていく、ということになりますね。
その積み重ねで、対応能力の高い、落ち着いて行動力のある人間へと成長できます^^。



客観性を手に入れようとすると起こる矛盾 / 第三極 引用
No.1183 2016/05/26(Thu) 19:48:32

客観性は非常に重要な概念であり他者に迷惑をかけないようにするという点で欠かせないものであると思っています

しかし今の私に客観性はあまりありません それを補うための応急処置として賢者を装い、他者と関わらない事で客観性がなくても生きられるようにしました しかし客観性はないのですから人と関わったとき他者に迷惑をかける自分があるという事は変わらないわけです

ですので完全な解決のためには客観性が必要である事は変わりません 客観性を手に入れられたとしても変わらないかもしれません ですが今の私は他者に迷惑をかけたくないと思っています よって客観性を手に入れるだけであらゆる惨事を防ごうとするはずなのです 防げるのです

ここまでいっても客観性を手に入れられないのは私の有謬性にあります 私は原罪を抱えて生きているのです 私が未熟であったが故に他人に迷惑をかけた ですが今の私は客観性を持たないが故に過去の事象について迷惑をかけたという事実しか把握していません

しかし客観性という認知能力を手に入れるとあらゆる過去の負の遺産に悩まされる事になるのです あらゆる迷惑をかけた者達の意識を知る事になるからです 地獄です 私にとって客観性は諸刃の剣なのです 少し前の事ですが客観性がなかった事で他者に迷惑をかけた事があります それについて客観性を一時的に手にした時は相当自分の精神が参りました

迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。私はそれに耐えられません 今は客観性を放棄しているので精神は安定しています しかし私がちゃんと育てられていれば無謬でいられたはずなのです いや そもそもにおいて早期に客観性を獲得していれば私はきっと負の遺産を築き上げる事もなかったでしょう

今の私は過去の私を否定しています 違う人間なのだと。彼とは違うと。自己連続性の否定です 否定する事が価値ある事だと思い過去の自分を否定しているわけではありません 私はただ過去の自分が嫌いなだけなのです 私は私の過去を思い出したくありません 思い出してもいいのですが客観性の度合いが強くなるごとに鬱になっていきます

客観性を手に入れる事の矛盾です 私は客観性を手に入れたいです でも過去の自分が冒したことで悩みたくもありません 過去の自分を完全に切り離せない私が問題なのかもしれません ですが過去とつながっている以上過去を思い出させる人間と会う事は必ずあります ですがそのときに客観性を持っていれば持っているほどショックは大きくなるのです

この解決のためには過去を断ち切るために完全に引っ越すか記憶を消すくらいしかないでしょう しかしそれは現実的なことではない このような場合客観性を持ったまま精神を安定させる方法はあるのでしょうか?


 
「自分の過去の罪への苦しみ」への「客観性」取り組み^^ / しまの 引用
No.1184 2016/05/31(Tue) 21:32:43

「主観」と「客観」

う〜んこれはちょっと話が逆のような気ちらほらしているのですが、明日昼出て金曜まで予定にて北アルプス登山に出かける予定のため、手短に^^。
まあ一つには言葉使い方問題があるとして、言葉定義から確認しておきますと、

まずは、
「主観」・・・自身の感情によってものごと解釈した内容
「客観」・・・現実の事実からものごと解釈した内容

であり、そこでさらに、
「主観性」往々にしてものごと不正確で歪めて解釈する方向性であるのに対して、それを正確で健全な解釈へと修正するよう働きかける方向性として「客観性」がある、という言葉使い方になると思います。
これはよろしいでしょうか。

それで言いますと、
>しかし客観性という認知能力を手に入れるとあらゆる過去の負の遺産に悩まされる事になるのです
あらゆる迷惑をかけた者達の意識を知る事になるからです 地獄です

>迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。私はそれに耐えられません
>思い出してもいいのですが客観性の度合いが強くなるごとに鬱になっていきます
>過去とつながっている以上過去を思い出させる人間と会う事は必ずあります ですがそのときに客観性を持っていれば持っているほどショックは大きくなるのです

これは、上の定義で言う主観だとそう感じる、というかと^^。
一方書いて頂いた文面ですと、「客観」「仔細・克明」「主観」「曖昧・滅却」というような言葉の使い方書いておられるのではないかと。問題の件としては、自分過去「有謬」について克明仔細に思い出すことを「客観」表現し、そうすると上の引用のように感じる、という
まあ確かにその2項等式そのようになる傾向多いかも知れず、「客観」「曖昧・滅却」であることはないだろうが、「主観」「仔細・克明」描かれ虚構を作り上げる、ということもある。そうではないかがまずは要注意ですね。

つまり、文面では「客観性」得る悩みが出るという話のようですが、上記定義から言えば、ぶっちゃけて言ってしまってご了承ですが、そもそも「客観性」の視点がない、さらにはもしや、そもそも「客観性」が分かっていないというのが問題課題ではないかと言える、という話です。


「過去の罪への苦しみ」の克服取り組み

ということで、
>この解決のためには過去を断ち切るために完全に引っ越すか記憶を消すくらいしかないでしょう
しかしそれは現実的なことではない このような場合客観性を持ったまま精神を安定させる方法はあるのでしょうか?


という問いそのものからリセットさせて頂き、書いて頂いた範囲ハイブリッド心理学が捉える問題、そしてその克服への課題とアプローチなどざっと簡潔説明しますとの通り。

1.問題現象
「自分の過去の罪・有謬への苦しみ」

2.克服への課題とアプローチ
一言でこう言えます。
まず外面においては、その「罪」の重みとそれに応じた適切な補いの行動の選択肢を客観的に判断し実行することとして、適切な社会行動を果たす。
内面においては、「苦しみ」がどう克服されるかは、今問うことのできる問題ではなく、人生を通して心の成熟に向かう歩みによって、感じ方がどう変化するかの問題となる。

つまり課題としては3つとして構成されます。
 1)自分の過去の「罪」の重さを客観的に判断する。
 2)今現在において、それを補う行動として適切なものがあり得るかを、これもやはり客観的に判断する。
 3)心の成長成熟への歩みに向かう。これはこれから先数十年といったスパンの話となる。


1)2)で、「客観性」重要になります。ここにおいて、「引っ越すか記憶を消す」といった逃げナシです。
3)は、もうこの問題の件の話ではありません。これからの人生どう前向きに生きるかの全体問題です。
一言で、過去の罪とは、足につながれた重しです。それが完全に取り除かれければ前に進めないと、嘆きの中で生きるか。それとも、誰もが程度の差こそあれ、それを持つものと受け入れ、重しがつながれた足を踏ん張って前に歩くか。
そうして前に歩いていった長い歳月を経て、やがてその重しどんなもの見えるか。変わることなく身を潰すかかのような重みのままかも知れないし、実はもう何の重量も持たないものになっているかも知れない。どのどちらであろうとも、もはや揺らぎない心受けとめられるようになるのが、「成熟」だと言えるでしょう。

手短に、そんな話ですね。
まず1)2)については、たとえば人の金を盗んだ(^^;)となれば、相応の賠償を行うといったことが考えられるでしょう。
一方、
>迷惑をかけられた者の意識が頭の中で囁くのです 貴方を殺したいと…。
というのが客観的に相応するのは、殺人を犯してしまったというレベルの、重い罪場合でしょう。
そうではなく、単に何か理想的な振る舞いを損なった程度で、「殺したい」という目で見られるというのは、健全な話ではありませんね。CENSORED」「CENSOREDといった言葉気軽に使うのが最近の若い人(^^;)風潮なのかも知れませんが、それはちょっと病んだ文化だという認識を持てることが重要になると思います。自身の攻撃衝動投影かという自己分析視点有用かも知れませんね。
そうして客観的な判断取り組む一方、だからと言って「殺したいという目で見られる感覚」などの「主観」を、どうこうしません。それは「ただ流す」ものにします。「感情と行動の分離」ですね。この基本原則についてはご理解頂いていますかどうか。


以上、ハイブリッド心理学からの考え方ごく手短に書いてみました。
まずは上記1)2)について、実際の具体的問題の件の内容に応じた「客観的判断」内容が、具体的に問題になりますね。
差し障りない範囲具体的お伝え頂ければ、が考える「客観的判断」考え方などをさらに具体的にアドバイスできるかと思います^^。




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