しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
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返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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運転トラブルの場面の建設的行動と反論の建設性について / wh 引用
No.925 2014/06/27(Fri) 14:19:41

自分が正当だと考えている行為で、他人に怒られたり非難されると非常にストレスを感じます。ストレスを感じすぎて、相手を憎み攻撃したい衝動に駆られます。

今回質問をしようと思ったきっかけは、今日の自動車の運転の際のトラブルです。
片道三車線の道路の左側車線を通行しており、交差点を直進しようと黄色信号の段階で停止線を越え交差点に進入しました。すると、対向車線の相手でその右側車線から右折しようとしている車の運転手から、「信号を見ろ、赤信号だろう」というジェスチャーをされました。こちらとしては黄色で停止線を越えたつもりなのに一方的に非難されてしまい、怒りがおさまらずその車を追いかけて警察で話をしたい、こちらの言い分をいいたいという衝動に駆られました。

運転中のトラブル(こちらとしては相手方の危険運転と考えています)で怒りの衝動に駆られることが時にあり、怒りが収まらず相手を追いかけてナンバーを控え警察に連絡したこともあります。

こういう行動は破壊的だと感じる一方、何もしないと理不尽な思いでどうしようもなくなり攻撃する衝動も否定しきれません。

運転場面での相手方の危険運転トラブルにあった場合における建設的行動について、お考えを拝聴したいです。

また、この怒りを分析すると、自分にも言い分があるにもかかわらず非難されるとなぜか言い返すことができないという性格が子供の頃からあり、一方的に悪者扱いされても悔しいが言い返すことができず、そういう自分に対しても悔しくて泣いてしまうということが思い当たりました。

相手に反論するという手段を持っていないためか、相手に一方的にいわれることに対して異常な悔しさを感じてしまうのかもしれないと分析しています。


言い返すことは、自分を護る、自分の見方に自分がなるということを自分に示すためにも必要な、建設的行動でしょうか?子供の頃からの性格からか、相手に言い返さないと負けた感じがして、自分でさえも自分の味方になっていないことにいいようのない怒り・悔しさ・憎しみが生じてしまう気がしています。


 
破壊型行動の「価値」と「勝算」を吟味するパラドックス前進^^ / しまの 引用
No.930 2014/07/01(Tue) 12:04:54

「パラドックス前進」

これは先日アップした中の
『5.歩みの道のり  (2)真の前進へ』 ・「パラドックス前進」
良い例となると思いますのでじっくり説明しましょう。

遠く先に見据えるものとはむしろ逆の方向へと向かっていき、その結果その変化へと近づく
というやつですね。
つまり「取り組み実践」では、

・「学び」の内容の正確な理解
・自分がどのようにそれとは違うものを取ろうとしているかの自覚
が、極めて重要になります。

前進はこの2つが揃った時においてこそ生まれるさえ言えるように感じます。その時こそ、「今」「前進すべき未来」とのギャップはっきりするからです。
そうしたギャップなく「自分はこれでいい」という意識でいる時というのは、「学び」の理解が不正確で「そのつもり」という浅い思考の中で前進しないままでいるか、もしくは前進できた後の状態かのどちらかです。
今まさに前進する
という我々の意識は、「前進すべき未来」「それとは違う今」はっきり捉えるという状態になるわけですね。

ですので実践的にも、むしろ「自分はどう学びを納得できていないか、学びとは違うものに心が向かおうとしているか」にしっかり向き合うことこそが、前進を早めるものになると言えます。


「自分に味方する」と「建設的行動」

で、まず今回検討内容がどんな「学び」対応するかの整理から言いますと、

>言い返すことは、自分を護る、自分の見方に自分がなるということを自分に示すためにも必要な、建設的行動でしょうか?子供の頃からの性格からか、相手に言い返さないと負けた感じがして、自分でさえも自分の味方になっていないことにいいようのない怒り・悔しさ・憎しみが生じてしまう気がしています。

まずここにある「自分を守る、自分の味方でいる」というのは内面姿勢のことで、もちろんそれは重要です。
時にこれが失われてしまうことがある。特に「善悪」の観念の中で、それを見失いがちだと言えるでしょう。で、「自分を責めてしまいます」なんて言葉をよく見聞きする。自分を責めたところで、何も良くならないのに。
まずそうした混迷の姿勢脱し「自分を守り育てる」ことをこれからの自分の進む道定める
これはもう全ての前提であり、『入門編上巻』でも「3章 自分を優しく育てる」タイトルに掲げたように、ハイブリッド心理学そのもの開始の宣言のようなものでもあります。

に、そのためにどうするかという、具体的「学び」テーマ出てきます。「自分を守り育てる」という姿勢についてはあくまで前提として、もうテーマにはならないものとして。
そこに、「破壊から自衛と建設への選択」とか「建設的行動法」といったテーマ出てきます。

ですのでまず、「自分を護る、自分の味方になる」という内面姿勢「建設的」という言葉を使うと、ちょっと言葉の使い方として混乱するので、話を分けるのがよろしいかと。
つまり自分を護る、自分の味方になることは全ての前提として大切
「言い返す」ことは、「行動法」としては破壊型の行動法。ま「言い返す」内容「相手の否定」として。
これはよろしいでしょうか。
これは「学び」としては
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ / 2.行動の基本様式の転換 および 3.行動学
該当します。

一方「相手に言い返さないと負けた感じ」は、「自尊心」という内面テーマになってきますね。「価値観」とも言える、内面姿勢テーマです。
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ / 4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法

「自分でさえも自分の味方になっていないことにいいようのない怒り・悔しさ・憎しみ」は、「悪感情」という「症状」。これについても対処姿勢「学び」出てきます。
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ / 2.行動の基本様式の転換、5.悪感情への対処

なお「取り組み実践」では、こうした「学び」項目ごとに、一つ一つ「向き合い」を行います。外面の行動法はどうか。内面の価値観はどうか。湧いてくる悪感情その都度の対処はどうか。
全て自分を守り育てるためにです。

心が本当に変化するのは、このように外面行動法、内面価値観、湧いてくる悪感情への対処、まずこの3面全てが「学び」の方向へと本当に納得習得されてからです。
雨漏りするのであれば、家の濡れなくなるのは、その原因全てふさいだ後だというですね。屋根も。どれか一つふさいでも、どこかに抜けがあったら、そこからから水浸しになってしまうのと同じです。うんこれはいい喩え^^。


破壊型行動の「価値」と「勝算」を吟味する

ということで、今回書いて頂いた状況としては、
外面行動法 ・・・ こうした状況「破壊」ではなく「自衛」「建設」とはどのようなものか検討
内面価値観 ・・・ 現状「人にどう見られどう扱われるか」による「プライド」。それを「自ら生み出す」ことによる「真の自尊心」へという壮大な目標課題
悪感情対処 ・・・ 現状「流される」。それを、上の2つを足場自己分析解きほぐしによる解消ができるようにという、長い歩み
というまずは3面全体的な目標と言えると思います。

でまず手始め外面行動法ですが、最初に言ったように、「目指すべきもの」「それとは違う今」はっきり認識することが、「パラドックス前進」として重要になります。
破壊型行動「価値」吟味する、さらには「勝算」吟味する、という実践になってくるでしょう。

繰り返しますが「自分を守り育てる」という前提で、外面行動法「破壊」「自衛」「建設」という基本3様式が出てきます。
自分を守るための破壊型行動法として、「価値」があるというかもうそうするしかないのは、山でクマに出くわした時街で暴漢に襲われた時です。これはまごうことなく「自分を守るための破壊型行動法」課題になってきますね。「こらー!」とか大声を出して何でもいいから相手にダメージを与えられるようなもの投げつける、打ちつけるなど、そうした心の準備日ごろできているかが課題になります。「勝算」なくても、そうしなければならないということにもなってくるかと。

もちろんハイブリッド心理学「自衛と建設を100パーセントにまで」などど言っているのは、そうした特別な場面ではない、日常の社会生活においてのです。
今回の話も、この「ごく日常の社会行動場面」該当しますね。ちなみに昨日買い物で出かけたところ、一日で2度クラクション鳴らされるという珍しい羽目苦笑い^^ゞ


今回例の「原理原則行動法」からの考え方

そうした「ごく日常の社会行動場面」において、「破壊型行動法」にもなり得るものが、実はハイブリッド心理学「行動学」にもあります。
上記リンク「行動学」で、「3種類の行動法」として言っている中の、
・原理原則行動法 ・・・ 相手人物に感じたことは一切言わず原理原則について話すという行動法

つまり「この場面での原理原則はこう」というものを前面に押し出すことで、「貴方が間違っている」と、相手を否定する行動出るというのもあり得る

>怒りが収まらず相手を追いかけてナンバーを控え警察に連絡したこともあります。
というのも、その先「原理原則による裁き」あることを期待して、ということになると思います。

そこで重要になってくるのは、自分が「社会で勝てる原理原則」の側に立つことです。それを持つことです。
そうすれば、社会が自分の味方になってくれるからです。すると、自分が腕力振るったり大声を出したりしなくても、社会が相手を制裁してくれる。相手バカでなければそのことが分かるので、相手の方から折れてもくるようになる。
ですので、

>自分が正当だと考えている行為で、他人に怒られたり非難されると非常にストレスを感じます。
という時、まず「自分がどう正当か」「原理原則思考」重要になってきます。

今回
>交差点を直進しようと黄色信号の段階で停止線を越え交差点に進入しました。すると、対向車線の相手でその右側車線から右折しようとしている車の運転手から、「信号を見ろ、赤信号だろう」というジェスチャーをされました。こちらとしては黄色で停止線を越えたつもりなのに一方的に非難されてしまい、怒りがおさまらずその車を追いかけて警察で話をしたい、こちらの言い分をいいたいという衝動に駆られました。

について言うと、かなりびみょうー^^;
「黄色信号」というのは、基本的には「赤信号」準ずるもので、「赤」絶対的通過はNG「黄」そのための猶予を与えましょうという話かと。基本止まりましょうという話であって、基本まだ通っていいヨではない、というになるかと。
ですので、警察に話を持ち込んだとして、勝てる見込みは難しいような。「お互い注意しましょうね」終わればまだいいとして、「悪いのは止まれる黄色で止まらなかった貴方の方ですよ」と言われる危険さえあるように感じます。「そうではなかった、止まるとなると急ブレーキだ」主張しようにも、ビデオ判定でもない限り分が悪い。
まずはこの辺の考え方どうなるかですねー。

さらに考えられるのは、「相手が悪い」ケースつまり原理原則として相手が悪いという話ではなく、相手の人間としての質が悪いケースです。つまり一般の人でないケース^^; 警察を出るや首をつかまれ、「お前なめとんのか、落とし前つけろ」と脅迫されるというケース^^;下手すると・・と、いくらでもその先に起き得る人生の悲劇想像膨らませることができるようににもなってきます。

まずはそこまで全部踏まえた上で、あとは「選択」ですねー、というになると思います。

「破壊から自衛と建設へ」転換取り組みは、そのように、「破壊型行動」「価値」「勝算」じっくり吟味するという、パラドックス前進極めて重要になる次第です。


完全な「自衛と建設形」だとどうなるか

行動法についての視点としてはそんな話として、「自尊心」についての内面価値観取り組みも、かなりここで重要になってくるでしょう。

上記の通り、「人にどう見られどう扱われるか」による「プライド」求めているから、人からのちょっとした批判などに過剰に心が反応してしまう。それを、「自ら生み出す」ことによる「真の自尊心」へと、目指す方向軌道修正する、というになります。

具体的「問い」としては、
・今回の出来事の中で、自分がどのように「人にどう見られどう扱われるか」による「プライド」を求めたか、の自己分析
まあ意味はあるとして、それよりも、
・普段の日常生活と人生の大きな方向性として、自分はどのように「自ら生み出す」ことによる「真の自尊心」に向かうことができているか
という問い、およびそれに基づく実践
より有効なものになると思います。
非難された場面で起きる悪感情解きほぐしだけでは、心の変化たかが知れています。「自ら生み出す」ことによる「真の自尊心」向かい、それが獲得されてきた段階で、今回のような動揺心の根底からなくなってくる、という流れになります。

その先に、今回のような車の運転中姿勢どうなるかについては、
『暴漢に襲われた友人』 コジマさん No.765 2014/01/22
へのレス
『「事故に遭わないための姿勢と技術」^^』 しまの No.772 2014/01/28
など参考になると思います。抜粋すれば
--------
これは一言でいえば、「交通事故に遭わないための運転姿勢と運転技術の全て」といったになると思います^^。
過度なスピード控える一方、流れに合わせられるということも重要になってきます。急発進急停止、急な路線変更など「乱暴な運転」を避ける。信号進む場合も、交差する道路から車が突っ込んでこないことを確認してから進む路肩の車路地の陰から、人が飛び出してくる可能性を考える。狭い道すれ違う場合は、相手に譲ることを基本とする。譲られたお礼の動作をする。など、とにかく手合い頭相手に不快な思いをさせないよう気を配る。などなど。

--------


「原理原則行動法」によって「破壊型」も「建設型」に変化し得る

また付け加えておけば、上述のように「選択の中にあり得る破壊型行動法」として「原理原則行動法」があるわけですが、これは洗練していけば、こちらから相手を否定する行動というよりも、相手が自らの誤りに気づき改善向上するのを手助けする行動というモードへと前進し得ます。
そこにおいて、「自分を守り育てる」という前提の下に、「行動法」から「破壊」ゼロになっていくという流れになる、という次第


とりあえず今回の話考慮するといいのは、ざっと以上のようなになるかと。
「取り組み実践」としては、今回の話にどう心の収まりをつけるかの問題というより、今回の話を発端に示される以上のような「学び」に、これからの人生を通して取り組む、になると思います。
まずはそんなものハイブリッド心理学「取り組み実践」です、ということで検討してみて頂ければ^^。



(No Subject) / こたろう 引用
No.889 2014/05/23(Fri) 14:07:47

前のレスが全く納得できていなかった
事がわかりました。
僕が立てた2つ前のスレッドの
行動における表情の1、2、3です。


まず、交友に関してではなく
全般的な関係においての質問でした。


今自分がどうかというよりは
感情と行動の分離において
建設的な行動法にでる場合の
心持ちがどうなのかを知りたかったわけです。


簡単に言うとこうです。

感情の強制なしに、
表情や外面印象を作ることは可能か?

表情や外面印象は建設的行道には
入るのか?入らないのか?


感情の強制→無酸素運動、続かない。
感情は流して建設的行動法。


という論理ですよね。


しかし、楽しみを生み出す事において
ぶすっとした無表情で建設的な行道を
してもそれはいい結果になるのか?
仕事などなら、まあわかりますが。



内面に感情を守ることが
感情と行動の分離ですが、
怒りが行動化するというのは
@肉体的攻撃
A否定価値をもとにした非建設的な批判
など、言葉の発言としての攻撃

はまず一つの安心材料になる。

表情にでるのはどうなのでしょう。


生物としてそこを完璧にというのは
厳しいと思います、
加えて否定言葉を使わずに肯定的な
発言をしているときの、声の調子や無理している
感じは伝わると思うのですが、
いかがでしょうか。


 
Re: / こたろう 引用
No.890 2014/05/23(Fri) 20:59:39

●小競り合いは破壊か?

小競り合いは破壊に入るのでしょうか?

じゃれあいのような。
昔から憧れがあったというか、
すましてお互いに良いことを言い合う
ようなスマートな関係よりも、
漫才の掛け合いみたいな、
小競り合いのある関係にひかれるというか。


もちろん本気で言い合いをするのではなく、
「あんたバカ?」「ばかじゃないの?」
みたいなやりとりですね。


親はスマートなやりとりしかなく、
お互いの悪いことを言わないわりに
そうやってふざけあうような小競り合いも
ないし、なんか嘘っぽいなぁって感覚を
もって見ていた事が大きいかな、と。



こういうのに楽しみを感じるのは
実はそこに根っことしての攻撃性が
あるのかな?
って気もします。


一方で楽しみの創造だとも思います。



あとは、議論?というのはどうなるのかな、と。


お互いの意見がぶつかり合うことによって
自分に新しい考え方が生まれたりしますよね。

例えばアイドルで誰が好き?
なんてのも議論が白熱して楽しかったり
...楽しいというより必死になってる
だけなのでしょうか?

共通部分だけに着目すると
違うところはノータッチが基本になると
思います。

一方で欧米では聞かなくても積極的に自分の
意見を話す事が当たり前だとも言います。


ある意味、違いを確かめても
それが当たり前だという文化があるから
日常として成り立つのでしょうか。


「相手が自分を理解する事を強要する」
という要素が内包された形の議論が
問題であって、
お互いがわかりあえないから、違っているからこそ
相手と自分の立場や考えを表明するという
目的にあれば、意見が違うことを話すのも
いいのかなと思うのですが、ハイブリッド的には
そこも徹底ですかね?


内容の重さにもよるかなとは
思うのですが、、、


別の考えや視点に触れるという
意味で議論は楽しかったりするので。



日本ではオフィシャル的な議論の場で
なければ


 
Re: / こたろう 引用
No.891 2014/05/25(Sun) 20:28:38

すみません、
途中で切れてしまいました。

<つづき>
議論をすることは
「お互いの違いを認め合う」というものでは無い
状況も多い気はするのですが、
健康な人の場合はむしろ意見が違うことを
違うものとして話すのも気兼ねしていないような感じもします。


 
Re: / こたろう 引用
No.892 2014/05/25(Sun) 20:48:50

●感情の強制および理想からの見下し

自己処罰によって何を得ていたか。
様々な行動を、「しなきゃだめだろ!」に
頼っていたことがわかりました。
特にただ簡単にできて楽しいことではなく、
やらないと後々マズいことになる面倒なことたちですね。

そこで、攻撃することをやめて、少しづつ成長しようという
目を自分に向けてみると、
一気にやる気がなくなり、まったく行動する気が失せてしまいました。

何も努力したくない、それでも自分はゆるされるべき、
もう何もやりたくない。

同時に、「興味がある」という感情の強制によって、
勉強をしようとしてきた部分が大きかった。
これは「興味がある自己像」を強制せずに勉強ができるかを
試みて、リアルにわかりました。

ありのまま自分が本当に興味があるかを問うてみると、
すべてのことが「どうでもいい」「考えるのが面倒」に
なってしまって、こちらもまったく行動にうつせなくなってしまいました。


やらなければいけないこと、やらないとマズいことをやらないのは
やはり「覚悟」の欠如なのでしょうか。


一歩一歩育てる姿勢を向けようとすると
「こんなことはしたくない。面倒。」


何をやっても人の中に入らなければならない時に
破滅する。それに向かってただ時間だけが過ぎていく。
だから何をやっても無駄。という感覚が根底にあるのかもしれません。



またありのままの感情に向き合おうとすると
背中がはって吐き気がして、頭がしめつけられる感覚になり、
こんな状態で人に会ったらという不安で外を歩くのも怖くなり、
頭がしめつけられるような感覚では
活字を読んでいくのが苦しいので勉強も手につかず、と
すべてが悪循環になってしまいます。



やはりこうなると自分を鼓舞するために
感情の強制を使うことになる・・・。


力を抜いてしまうと、
この自分は何も苦労する必要がないという
自己が出てきてしまう。

それに対してその姿勢でいると
どうなるのかという現実を誇示してみても、

そんなこと知らん。


といった感覚。


進めません・・・。


 
Re: / こたろう 引用
No.895 2014/05/29(Thu) 18:28:30

さらに重ねて質問失礼します。

望みの感情というのは、
少なからず幼少時代に
挫折を経験し、物心ついた時には穴埋めへの
望みになった状態であるという
事だったと思います。


しかし望みの成熟の結果、
出てきたより純度の高い望みというのは
自分の中に種として存在していた
というよりは生まれてからの
経験によって条件付けられるもの
だと思います。




島野さんの執筆への気持ちなどもそうでしょう。



こういう事を考えると、
時代が古くなればなるほど
選択肢が少なくなるので、
自分の望みへ向かえる人が少なかったことが
予想されます。
もちろんその時々の時代背景や
制度によってくるでしょう。

その中でも、そもそも未開部族のように
仕事の選択肢もない、娯楽の選択肢もないような
時代もあれば、
文明が進んで仕事や娯楽の種類は増えたが
身分制度などによって選択肢はほとんど
ないような時代もあったでしょう。


現代はその点で
それぞれの人がそれぞれの
興味や望みを追求する事がかなり容易になった
時代だと思いますが、
それがこれほどまでに心の病を量産している
のは現代のどういう部分がおもだった原因なのかなと。


親の宇宙の愛が欠如することによって
感情の膿が生まれるとして、
情緒道徳以外にも、宇宙の愛が欠如するに至る原因が社会の
仕組みや状況にあるのではないかと。


そう考えると、社会で産み出す価値が
むしろ社会の中の人間の幸福に対する悪しき
影響を持続させている事もある。


効率を追求して時間短縮する技術を買うために
金を払って、その金のために多大な時間を労働に使っている。ここにも、矛盾を感じたり。


そういえば
島野さんも学生時代は自分のような
心をやんだ人間を産み出した社会に
戦闘的な姿勢を持っていたという
記述がありました。
そこから社会人経験を積んで、
どうその価値観が転換したのか
聞いてみたいです。

上流階級にいくほど、
おおらかな心の持ち主が多かったという
記述がありましたが、
それ自体は社会というものは
戦闘的にみるほど悪いものではなかった
という説明にはなってない気がするのです。
そこらへんの話をもう少し聞いてみたいです。


 
「表情・外面印象」「小競り合い・じゃれ合い・議論」「面倒」「社会観」など^^ / しまの 引用
No.901 2014/06/14(Sat) 10:03:22

一通りざっと手短に^^。


「表情」「外面印象」と「建設的行動」

まずこの辺の話。

>感情の強制なしに、表情や外面印象を作ることは可能か?
>表情や外面印象は建設的行道には 入るのか?入らないのか?

ハイブリッド心理学からの指針は、教科書文として書くと以下の通り。
−−−−−−−−−−−−−
「表情や外面印象の作り方演じ方」は、ハイブリッド心理学の取り組みにおいては、単独の実践テーマにはならない
まずは
具体的場面ごとの建設的行動法沿った形で、ごく自然にできれば良い。そのためまずは、 場面に応じた建設的行動法納得理解先の話になる。
その上で、「ごく自然」難しい場合に、「うまく乗り切るためのその場しのぎ法」としてのそれは出てくるが、あくまでこれは自身の緊張不安低減ためのもの程度となる。

一方
建設的行動法内容を欠いたまま「表情や外面印象の作り方演じ方」によって相手や場面に対処しようとする姿勢になると、「人の目の中でこう見られる人間に」というストレスによって心を病む傾向が出てくるため、これを抜け出し場面ごとの建設的行動法理解するのがまずは取り組み課題になる。
−−−−−−−−−−−−−

ですので、上記質問について言えば、
・建設的行動法を心底から納得しており、それに合う本心からの偽りのない感情があれば、感情の強制などなしに、豊かな表情で行動するのも可能になる。そうでないものは、行動を避ける、もしくは感情をあまり表に出さないのが無難。
・表情と外面印象には、建設的行動法に含まれてくるものもあればそうでないものもある。これはもう具体的場面ごとの細かい検討問題。

となります。
「全般的な関係においての質問」とのことですので、具体的場面など書いて頂ければ、さらに具体的な説明ができるかと思います^^。

「感情の強制」心の健康に害がありますので、まずそれをやめることが指針です。
一方健康な範囲に含まれる「感情の演技」というのはあります。これについては、「パーティ」「葬式」など具体例も出して以下で多少詳しい説明をしていますので参考頂ければ^^。
『実践編上巻』 8章 人生をかけた取り組み−4 −「感情強制」の解除・内面の解放−
中ほどにある
「感情の監視操縦」への視点のまとめ

「感情の監視操縦」の基本機能
部分です。

>感情と行動の分離において 建設的な行動法にでる場合の 心持ちがどうなのかを知りたかったわけです。

について総じて言えば、
「表情や外面印象をどう演じるどう見られるか」という意識から、「相手との関係にあるものの中身内容の向上を生み出す」という意識への転換が、成長の道のりだと言えると思います。
これについては、詳しく書いているものとして以下などありますので一読されるとよろしいかと^^。

ブログ記事書籍No.2 愛と能力の成長課題
対人行動と対人感情
「対人感情と姿勢」の4型-1 〜-4

ブログ記事書籍No.8 心の成長と治癒の過程
詳説・心の治癒成長メカニズム
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-1 〜-11

「表情や外面印象という意識」からの抜け出しについては、
『取り組み実践詳説』
序章 ハイブリッド人生心理学とは / ハイブリッド人生心理学のアプローチ
5章 基本的な妨げへの取り組み / 心を病ませる4つの心理メカニズムからの抜け出し
などでも詳しく扱っています。それがもう主題そのものですね。

またそのように、「表情」「外面印象」行動するというのは、自分を見失い自分の中身を貧弱に、時に病ませもする一方、一方人から見ても結局、何か無理があり不自然で中身がないように大抵見えてしまうという、役にあまり立たないものという視点からも、そうした意識からの卒業まず課題だと言えると思います。


「小競り合い」「じゃれ合い」「議論」

「小競り合い」「じゃれ合い」「議論」について。
これも「建設的行動」入るか、また「交友」のための行動法なるか、という視点からのご質問のようで、手短に言うとこうなります。

まず言葉の話になりますが、「競争」「場面状況」ことであり、「行動法」ことではないですね。
一方「小競り合い」は、「ことさら競争を強調」し「もめごと」のように振舞う行動であり、「建設的」ではなく「破壊的」入ってくると思います。
「議論」も同じように、まずは「場面状況」であり、その中でどんな議論の仕方をするかに、「行動法」として建設的かどうかが出てくる。
「交友」のための行動法ということであれば、「競争」「議論」をまず「交友」のための行動法として、つまり競争を持ち出し、あるいは議論をふっかけることで友達になるというのは、あまり一般的ではないと思います。あくまで、共に楽しめるものであることが明瞭であるもの持てるかどうかになると思います。

「じゃれ合い」というのは、「からかい合う」「ふざけ合う」「いたずらし合う」といった要素を含む親密さ様子、と言えるでしょう。
これは回、「喧嘩するほど仲が良い」といった言葉で言ったように、「様子」として魅力を感じるということであり、「行動法」にするのは無理があると思います。楽しみだと思ったとしても、相手によっては大きな不快感を感じる危険もありますね。また年齢を重ねるほど、いきなり「じゃれ合い」しようとするような態度を取ると、人は引いてしまうようになってくると思います。

>もちろん本気で言い合いをするのではなく、「あんたバカ?」「ばかじゃないの?」 みたいなやりとりですね。
これはあからさまな「破壊の言葉」ですので、本気か否かを問わず無論NGです。


「面倒」への対処

>そこで、攻撃することをやめて、少しづつ成長しようという 目を自分に向けてみると、一気にやる気がなくなり、まったく行動する気が失せてしまいました
>やらなければいけないこと、やらないとマズいことをやらないのは やはり「覚悟」の欠如なのでしょうか。
>一歩一歩育てる姿勢を向けようとすると 「こんなことはしたくない。面倒。」

この辺については、具体的内容による取り組みになってきます。何をすることについて面倒というか。
何か取り組みたい材料書いて頂ければ具体的アドバイスできるかと。
話の流れとして出ている話かも知れませんが、推測で話を始めるとキリがないため、お手数ですが都度書いて頂ければ^^。


時代社会と心の病

>現代はその点で それぞれの人がそれぞれの 興味や望みを追求する事がかなり容易になった 時代だと思いますが、それがこれほどまでに心の病を量産している のは現代のどういう部分がおもだった原因なのかなと。

たしかにというのは、戦争やら飢饉、疫病など大変な時代もあり、人それぞれ「望み」向かうことが難しかった時代もあったと思います。その点現代かなり恵まれていますね^^。
それにもかかわらず心の病量産されることについては、社会の何が生み出したというより、「心を病む」ということがもう人間の心のメカニズムとして備わっていると、としては考えています。外面の何がきっかけでそれが発動するとは、もう一律には言えないものだ、と。

『入門編下巻』ではそれを次のように書いています。(P.238)
-----------
 健康な心は、健康な心の下に育つのだと、私はこの心理学の整理を始めながら考えていました。しかし今では、それは間違いだと考えています。
 健康な心とは、必ずしも健康な心の下に育てば得られるというものではないのだと。
 順調に健康に育った心でさえも、時に人間と人生の真実を見失う。それが人間の不完全性なのです。そしてその下に育った子供の心が病むのです。
 自らの病んだ心に向き合ってこそ得られる、心の健康がある。その下で、子供の心は健康に育つことができるでしょう。この不定形の輪廻が、人間の心で続くのです。私はこれを思う時、なぜか目に涙が浮ぶのを感じます。
-----------


ですので、としては社会の何が原因、という考え方しないです。原因がどうだったというより、克服への歩みについて扱うのがハイブリッド心理学になります^^。

>島野さんも学生時代は自分のような 心をやんだ人間を産み出した社会に 戦闘的な姿勢を持っていたという 記述がありました。そこから社会人経験を積んで、どうその価値観が転換したのか 聞いてみたいです。

これは一言で、高校時代そうした姿勢から、大学進学心の破綻といった経験を経て、克服のために社会がどうというより心の仕組みそのもの関心が深く向かったというのが最初の流れです。
またその流れの中で、僕の中「心の自立」始まっていたということでもあります。「心の依存」の中で、まず人や社会の悪い面への不満ばかりが膨らみます。「心の自立」が始まることで、それよりもまず自分が成長しなければ、という意識になってくる。
そしてその先に、

>上流階級にいくほど、おおらかな心の持ち主が多かったという 記述がありましたが、それ自体は社会というものは 戦闘的にみるほど悪いものではなかった という説明にはなってない気がするのです。

という「社会観の変化」に至っということについては、
「社会に対し戦闘的」という姿勢は、上述のように「心」と「自分の成長」に意識が向いた時点で終わり
「現実の社会」それまでに考えていたものとは違う、というのは実際の社会人体験通してのことです。
一言で、「ノルマとストレス」で動いていると想像していたものが、「価値の生み出しと愛」で動いている、と。
これについては、これを読んでのことかと思いますが、結構具体的に書いていますので再度確認頂き、また疑問点などあれば質問頂ければと思います^^。
過去掲示板 2006.02
「太陽と惑星」の社会構造 No.909 2006/02/21

なお今回ご質問の全体が、やはり「心の依存から自立への転換」という大きなテーマの中にあると思います。
これについて『概説』昨日アップしたものがそれを主テーマにしていますので、ぜひじっくり読んで頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.906 2014/06/16(Mon) 18:06:29

価値の生み出しと愛、という部分で、
それを目標に取り組む人そのものは
そういう意識だとしても、
現実に物事のニーズに応えていった結果
忙しなく、ゆとりのない時代になったと
感じます。
効率や利便性を追及していった先に
商店街がつぶれ、街の個性がなくなり、
といった
ローカルとグローバルの問題も
そうですが、失われていったものも
多くあるのではないでしょうか。


社会に価値を産み出すというときも
見方によっていくらでも何がいい、悪い
というのは変わりますよね。
自然破壊も深刻ですし。


これに関しては、
経済発展というものの
否定、というよりは自然を守るという
価値の生み出しという見方もできますよね。

なにかの価値を産み出す裏で
廃れていくものや壊れていくものが
ある
これは仕方ないのかもしれないですね。



あとはその廃れていく側のものに
自分が本当に興味をもっているのか
ですかね。
世の中の流れに反対勢力を
持っていたい、みたいな動機もある
かもしれないですし。


あと、島野さんの理論だと
田舎の閉鎖的な人間関係では人々は
精神的に成熟できないような印象を
受けるのですが、未開部族であったり
昔の自分の進路に選択肢がないような
コミュニティの人々は現代人よりも幸福な印象が
あります。
インディアンやアイヌの人々にも
心理障害は蔓延していたのでしょうか。
人間の仕組みとして病むことはわかるのですが、
どうせなら人が病まないような生き方ができる社会に向かっていく
ような価値の産み出し方を社会でしていきたいと
思うのです。


しかしふわふわと考えているだけで、
現実をみていない思考かもしれません、、。



やる気が全く起きなくなってしまうのは
勉強に関してが顕著です。
興味があるという自己像をおしつけて
勉強をしては、漏れ出すように本当はどうでもいい、
なんでこんな事を覚えなきゃいけないんだ、
どっちだっていいんだけど、、、
という気持ちが反動のように出てきて、
一気にスイッチが切れます。

ワークショップなどに参加してもそうです。
興味があると思って参加してみると、
興味がある自己像を自分に当てはめて、
まるで参加してる人と知識比べを
しているような会話になっています。
ふっとどうでもいいんだよなぁという
気持ちになります。


物事をうまくやることもそうです。
試行錯誤や探求心を持って取り組む人に
なりたいと思いつつ、たいしてこだわりを
持って技術を向上させるのが面倒になり、
てきとーでいいか、と。

楽器や、料理や、タスク管理や、
野菜栽培など、
とにかく興味をもって試行錯誤している
自己像を当てはめて取り組んでいるだけで、
しばらくするとふっと全部てきとーで
どうでもいいわ、という気持ちに負けるんですね。


ノウハウはいくらでも仕入れられるのですが。


 
「やる気」のための基本など^^ / しまの 引用
No.911 2014/06/18(Wed) 18:05:20

>あと、島野さんの理論だと 田舎の閉鎖的な人間関係では人々は 精神的に成熟できないような印象を 受けるのですが、未開部族であったり 昔の自分の進路に選択肢がないような コミュニティの人々は現代人よりも幸福な印象が あります。インディアンやアイヌの人々にも 心理障害は蔓延していたのでしょうか。

時代と社会の影響については、僕自身あまり本格考察テーマにしておらず、前コメント程度以上にはちょっとノーアイデアです^^; インディアンやアイヌの人の状況も、知らないです^^;
心の問題への社会要因の影響については、ハイブリッド心理学としてあまりテーマにしておらず、他の心理学や社会学などそうしたものがあるかも知れませんね。この辺ご了承あれ^^。

>人間の仕組みとして病むことはわかるのですが、どうせなら人が病まないような生き方ができる社会に向かっていく ような価値の産み出し方を社会でしていきたいと 思うのです。

そうした視点とても良いものと思います。そうした視点からの社会活動、ボランティアなども結構あるのではと^^。


「やる気」のための基本

>やる気が全く起きなくなってしまうのは 勉強に関してが顕著です。興味があるという自己像をおしつけて 勉強をしては、
>興味がある自己像を自分に当てはめて、まるで参加してる人と知識比べを しているような会話になっています。
>試行錯誤や探求心を持って取り組む人に なりたいと思いつつ、
>楽器や、料理や、タスク管理や、野菜栽培など、とにかく興味をもって試行錯誤している 自己像を当てはめて取り組んでいるだけで、

これらはどれも「自己像」「こんな人」を自分に当てはめるという姿勢進めようとしているのが原因ですね。自分に当てはめ枠はめすれば、反発が起き、やる気が失せるのは自然な心の反応ですね。

「目指す人物印象像」ではなしに、自分が将来何をしたいかという「具体的な将来目標」から、今何が必要か、いずれ役に立つかといった視点から、必要性魅力度を検討するのが良いかと。
「やる気」のための基本ですね。
これは
『実践編上巻』 7章 人生をかけた取り組み−3 −痛みをただ流す・感情への知性の目−
などで、
「やる気」に頼らない行動習慣
として、メール相談事例結構具体的に説明していますので参考になるかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.915 2014/06/19(Thu) 08:05:34

そうですか、、、
現代は宇宙の愛が損なわれやすくなっている
という記述があったので
気になったのですが、やはり損なわれた
ものが少なからずある不完全な世の中で
自分の望みに向かうっていう
取り組みになるんですね。

産み出す、っていうことの
向上や楽しみっていうのが
一方で破壊するものがあるというのは
どうですか?


これに関しても善悪が相対的であるように
絶対的な価値はないということですよね?


ありかとうございます。
えーと、何度も読み込んでます。
具体的な目標を描けないので、
とりあえず就職、卒業を目指して
いるのですが、そこまで必要だと
認識しても行動が進まないから
やる気や自己像をあてはめてやるしか
なくなってるんですよね。


あと今の心で考えているから、
ってことになると思うのですが
電車などで若い社員と上司らしき人が
自然に会話しているのを聞いていると、
自分は借りに入社できても無愛想で、
ぎこちなくて、不快感を与えて邪魔物として
扱われ、すぐやめるんだろうな。
そしたらよけいに親を憎むんだろうな、
これ以上荒んでいくの嫌だな、
なんでこんな人を好きになれないっていう
でかすぎるハンデで糞みたいな人生を送らなきゃいけないのでしょう。
人と関わってみんな成長してるのに、
その機会が持てない、この年相応の
コミュニケーションもとれない、
どうせ無理なら勉強なんかしても意味ないし、
あーーー。


頭痛、、、っていう感じで、
具体的に将来ってのが
みえない、またひきこもるんだろうな、
と思いながら積極的に勉強はできないですね、、


最終的に到達できるはずだという
希望がないと具体的な行動にエネルギーが
わかないのは基本だと思うんですが、
未知というものを想定してそれを
目標?にしてそこからエネルギーを得る
と言う、ことでしょうか?


がんばれない人間はやはり
変わらないんだろうな、でも絞り出す意外に
どうやればいいのか、というところで
グルグルグルグルです。


 
「価値」と「選択」・「自己像あてはめ」でないもの^^ / しまの 引用
No.920 2014/06/26(Thu) 11:51:51

「価値」と「選択」

>産み出す、っていうことの 向上や楽しみっていうのが 一方で破壊するものがあるというのは どうですか?これに関しても善悪が相対的であるように 絶対的な価値はないということですよね?

「善悪」相対的であるように、「価値」相対的。その理解良いと思います^^。
「善悪」は、何の目的のためには、という相対的なもの。ですので「目的」の明確化重要になります。「目的思考」ですね。
「価値」は、どんな時どんな場面で誰にとって、という相対的なもの。ですので人真似ではなく自らの「望み」に向き合うことが大切という

そうして絶対的ではなく相対的なものごとについては、「選択」になってきますね。そして「選択」は自由です。これがハイブリッド心理学基本的スタンス
その上で、どれを選択すると、その先にどんながあるというができます。
「破壊から自衛と建設への転換」も、「選択」であり、ハイブリッド心理学「建設の選択」先にあるを説明する心理学です。その行くかどうかは、もうそれぞれの方お任せするとして。

今回アップ以下部分該当する話になるかと^^。
『概説 5.歩みの道のり (2)真の前進へ』 ・「実践」とは何をするものなのか
---------
1)「学び」への「自分の考え」をはっきりさせる
ハイブリッド心理学からの「学び」をできるだけ正確に、たとえば「感情に流されない」「理屈だけで行動する」ことかといった曲解誤読をすることなく正確把握し、それについて「言われた通りに」ではなく、「自分の考え」ではどうかはっきりさせることに取り組みます。
「これについて自分はそうは思えない」というのが明確になることは、むしろ前進につながります。
「パラドックス前進」として。
ただし「基本行動様式」として
「破壊から自衛と建設へ」という最初の基本テーマについては、心底からの納得ができることが、全て前進始まり前提になるでしょう。もしこれに納得できない、つまり「破壊こそ力」「怒りこそ力」といった考え本心からのものであるならば、つまり先の描写のようにそんな感情があるというレベルでなく、「生き方思想の主張」としてはっきりそう考えるような場合、それはもうハイブリッド心理学全体納得できないというであり、ハイブリッド心理学が言う心の成長道のり向かうこともないというになります。これはもう仕方のないことですが、それが「自分の考えをはっきりさせる」ことだったのならば、全てがそこから始まる、ハイブリッド心理学入り口選択になるとも言えるでしょう。
---------


また「破壊」価値を感じてしまうのは「心の依存」産物でもありますので、「心の依存から自立への転換」についてじっくり向き合ってみると良いかと^^。
『概説 5.歩みの道のり (2)真の前進へ』 ・「心の依存から自立への転換」


「自己像あてはめ」でないもの

>具体的な目標を描けないので、とりあえず就職、卒業を目指して いるのですが、そこまで必要だと 認識しても行動が進まないから やる気や自己像をあてはめてやるしか なくなってるんですよね。

「やる気や自己像をあてはめる」のではない進め方説明したのが前のレスになります^^。
それでもうまく行かないのでまた別の方法・・というのはもうハイブリッド心理学から言えるものは残念ながらありませんので、『概説 5.歩みの道のり』説明の、より基礎的な思考姿勢などへの取り組みから、ということになってくると思います。上記「心の依存から自立への転換」なども。

>自分は借りに入社できても無愛想で、ぎこちなくて、不快感を与えて邪魔物として 扱われ、すぐやめるんだろうな。

社会に出るにおいては、これは以前も指摘したかもですがハイブリッド心理学からは「やる気」「外面印象」ではなく「仕事の普遍的スキル」「価値の生み出し」といった視点になります。
以下など参考
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピックの中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586 2013/07/23

>最終的に到達できるはずだという 希望がないと具体的な行動にエネルギーが わかないのは基本だと思うんですが、未知というものを想定してそれを 目標?にしてそこからエネルギーを得る と言う、ことでしょうか?

「未知」はあくまで想定しようもないものですので、そうしたものもあるというのを最後の心の支えとし、具体的な意識においては、目の前のことを一つ一つ前進させていく、ということになると思います。
「自己像あてはめ」ではなく、「そこにある課題への対処」積み重ねですね。


 
Re: / こたろう 引用
No.922 2014/06/26(Thu) 17:20:09

ちょっと間違って伝わってしまっているかもしれません。
自分にとって、建設的、自衛的、破壊的だという
事と別に、


自分にとって建設的な行動であったり、
自分にとっての価値の生み出しが、
誰かにとって、またはなにかにとって、
長い目でみた社会にとって、は破壊であるという事は
往々にしてありえる、という事を確かめたかったのです。


あなたが自分の望みに向かって、
建設的に行動することによって、
苦しむ人もいれば、維持されつづける
世界の不幸もあるし、失われる誰かにとっての価値もある、と言っていただければ気持ちよいのですが。


 
建設的行動による不幸・・?^^; / しまの 引用
No.929 2014/07/01(Tue) 11:38:35

>自分にとって建設的な行動であったり、自分にとっての価値の生み出しが、誰かにとって、またはなにかにとって、長い目でみた社会にとって、は破壊であるという事は 往々にしてありえる、
>あなたが自分の望みに向かって、建設的に行動することによって、苦しむ人もいれば、維持されつづける 世界の不幸もあるし、失われる誰かにとっての価値もある、

いえそれはないと思いますヨ^^;
「建設」ハイブリッド心理学では、自分幸福のために「望ましいものに囲まれる生活基盤を自ら築く」という行動様式
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ 2.行動の基本様式の転換

それが誰かや長い目で見た社会にとって破壊であるとは、それを「望ましいもの」と感じることに誤りがあるということになると思います。それは「反社会的行動」もしくは「社会行動として不適切」なものですね。
もしくは、誰かの建設的行動によって自分や社会が不幸になると考えるのは、「逆恨み」もしくは「曲解」という誤りになると思います。

具体的どんなことを言っているのか書いて頂ければ、それについて僕の考えお伝えすることはできると思います^^。
また新規トピックなどでがよろしいかと^^。



(No Subject) / ルベド 引用
No.921 2014/06/26(Thu) 13:25:28

お久しぶりです。ルベドといいます。統合失調症でひきこもりです。三十代です。二十代で統合失調症になりました。高校を卒業してから仕事もバイトもしたことがないです。薬物療法とカウンセリングを受けていますが、効果ないです。建設的な行動は散歩と腹式呼吸などと喫茶店へ行って、20分くらい居ることです。でも、全然良くなりません。怖いです。望みに向かうといっても、やりたいことがないです。依存性と受動性が強いです。エネルギーがでません。毎日が不安です。どんずまりです。どうしたらいいんでしょうか?


 
「自分自身への論理的思考」で始める取り組み実践^^ / しまの 引用
No.927 2014/06/29(Sun) 11:42:11

これはまず一言こういえるかと。

まずは身近なことから、一つ一つ「必要なこと」を片付けていく。その小さな一つ一つの積み重ねの先に、大きな不安の解消もある。
と。

身近なこととは、朝起きてから夜寝るまでの、食事、歯磨き顔洗い、洗濯、風呂、掃除、寝床の用意。これらをまず自分でスムーズにできること。
これだけでも我々にとって沢山「学び」「実践」が出てくるわけです。そこにおいて、何か惑い不安出てくるならば、複雑難解な心理分析など必要ではなく、その具体的場面において自分の思考と感情のどこに問題課題があるのか、その具体的材料見えてくると思います。
そしたらそれについて、ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」の、外面内面への2面取り組みじっくり進めることができます。

もしそうした日常事には問題ないということであれば、
>効果ないです。
>全然良くなりません
というのが、何がどう問題かというのを、具体的場面ごとの問題として、材料として考える必要があります。ただ感情が悪いというだけでは取り組み材料にできず、具体的場面ごとでの取り組みになります。ですのでまずは日常事から確認するのが良い進め方です。

そこでまず最初に何よりも重要なのは、感情に流されることのない、また感情に頼って考えるのではない、「小学校で習う科学のような、現実において間違いなく確かなこと」の、「しっかりとした論理的つながり」で考える思考というものを、使えるようになることですね。
これを「自分自身への論理的思考」などと呼んでいます。
詳しくは、
『概説 - 5.歩みの道のり (1)5つの「成長の段階」』 ・前進を成すための2つの心の基盤
『取り組み実践詳説』3章 心の成長のスタートラインに立つ
あたりで説明しています^^。

そうしてまず「自分自身への論理的思考」という一番最初の心の基盤確認しながら、上述のようにまず身近なことから「必要なこと」一つ一つ「これはこうすればいい」と片付けていく。その中何か心の惑いや動揺があれば、それを材料「感情と行動の分離」による外面内面本格的2面取り組みへ。

まずはそんな進め方検討してみるのがお勧めになります。
その途上で何か不明点、そして惑い動揺材料など具体的に見えたら、また質問相談頂ければ細かいアドバイスもできるかと思いますので^^。



(No Subject) / りょうたろう 引用
No.914 2014/06/18(Wed) 22:57:40

お久しぶりです。

私はハイブリッド心理学に出会ってから、内面の分析をし建設的な行動法を模索し、自分なりに何とか前に進もうともがいてきました。でも、そういったこと全ては、自己否定感情という「行き止まり」に気付くためのものでしかなかったのかもしれないと今は思います。

ある朝のことです。目を覚ますと、今まで自意識に占領されていたのが嘘のように頭の中が静かになっていました。あれほど悩まされていた頭痛と吐き気も無くなっていたのです。その前日に激しい煩悶でのたうち回ったせいかもしれません。
とにかく、これさえなければと散々思ってきたものがさっぱりと抜け落ちていました。そして・・・全く予想外のことでした。妙に静かな頭に浮かんだのは、「自殺しよう」という明確な意思だったのです。苦しいから死んでしまいたいというのとは違う、積極的に死のうとする意識です。
それが数週間前のことでした。


結局のところ私は、自意識で自分を無理やり立たせて生きてきただけなのかもしれません。物心ついた時から今までずっと。
「どうやって死のうか」「首吊りが楽そうだな」とあれこれ考える時、やっと素直になれたという気さえするのです。今までの前に進もうとする努力の方こそ不自然で窮屈なものだったと。


先日、久しぶりに街へ出かけました。人ごみの中を歩いていると、自分でも訳の分からない自己否定感情に襲われました。歪な出来損ないのくせに何食わぬ顔で買い物なんてしている自分、というような。たまらずトイレの個室に駆け込んでうずくまってしまいました。他人に見られることはもちろん恐ろしいですが、何より自分自身でそのことに耐えられそうにありませんでした。

この自己操縦心性が心の成長を妨げているとか、行動法をもっと習熟する必要があるとか、そんなことを今までは考えてきました。でも、もうそんなの有っても無くても一緒じゃないかと感じます。本当の問題は文字通り、生きるか死ぬかというところにありました。
これほどの自己否定感情を抱えながらも私は今まで生きてこられました。それが自意識のおかげだったのは確かです。自分自身を監視できる能力というのは、小中学校のような「他人の目」の世界ではまさに無敵の力のようでした。
そして今、もはやそれでは前に進めなくなった自分がいます。就職活動が現実のものとして見え始めてきたことが、心の変化の最も直接的な要因でしょう。そのことについて考えるとき、「もういいや、もう無理だ」とあっさり人生を終わらせたくなるのです。まさにメッキが剥がれるように、自分からは望むことができない姿があらわになってきます。

本当に何もかもが無意味になるような自己否定感情についに気づいてしまいました。本当に、人生に対して全く何も期待していない自分がいます。

根源的自己否定感情の成り立ちを直接思い出すことはできません。ただ今現在感じとれる不安や恐怖を極めて抽象的に表すとしたら、次のようになります。自分がこの世界に対して投げかける全てのこと(興味を持ったり、試行錯誤したり、楽しんだり)は拒絶される。というより、無視される。あるいは夢で見た感傷的すぎるイメージですが、次のようにも言えます。自分がこの世に生まれてきた時、誰も自分のことを見ていなかった、と。



自殺を決意するほどに悩みぬいた人が、悟りを開くように人生の意味を知る、といった体験談をたくさん目にしました。ハイブリッド心理学でも「心の死と再生」として説いていますね。
ただ、運なのだろうと思います。いろいろ思い通りにならないながらも健康な心で生きていく人もいれば、病んだ心からスタートしてやがて幸せに向かう人もいるでしょう。でも、やっぱり生きることが苦しすぎて死を選んだ人もいます。
それが理不尽だとはあまり思いません。私だってこの自分でこれから何年も生きていくなんてまっぴらだとしか思えないのですから。

通販で注文したロープが今日届きました。これからどうなるかは分かりません。
今もこうやって生きているのは「未知」がもしかしたら自分にもやってくるんじゃないかという期待からでしょうか。でも同時に、その期待さえも裏切られるんじゃないかという恐怖もあります。その時は今度こそ死を選ぶかもしれません。

今は怒りも悲しみも特にありません。ただ自殺という選択肢があることに少し安心しています。
こんなとき島野さんなら何と言うのだろう、と思い投稿させていただきました。もうアドバイスと言えるのかどうかわかりませんが、・・・よろしくお願いいたします。


 
Re: / りょうたろう 引用
No.916 2014/06/22(Sun) 21:39:47

返信を今か今かと待ち続けています。
せめて、いつごろ頂けるか教えて下さいませんでしょうか?


 
Re: / しまの 引用
No.917 2014/06/22(Sun) 22:43:14

できるだけ執筆の方を優先させて頂いている今日この頃です。次の日曜までには入れるように致しますのでお待ち頂ければm(_ _)m


 
Re: / りょうたろう 引用
No.923 2014/06/27(Fri) 11:58:46

私への返信が後回しになっているのは、まだ時間がかかるという事なのでしょうか?


 
Re: / しまの 引用
No.924 2014/06/27(Fri) 12:43:40

後回しではなく、入れて頂いた順返答返しています(上の注釈欄参照^^)
次になります。現在鋭意編集中p(^^)q

もとい、再確認したら入り乱れて順番一個間違ってたかもですね^^ゞ 申し訳ないm(_ _)m
内容的にも沢山になりますので時間かけていることもあり。 あとちょっと^^。


 
「心の死と再生」の理解と向き合い^^ / しまの 引用
No.926 2014/06/28(Sat) 14:14:10

お待たせしまして^^ゞ

>自殺を決意するほどに悩みぬいた人が、悟りを開くように人生の意味を知る、といった体験談をたくさん目にしました。ハイブリッド心理学でも「心の死と再生」として説いていますね。ただ、運なのだろうと思います。いろいろ思い通りにならないながらも健康な心で生きていく人もいれば、病んだ心からスタートしてやがて幸せに向かう人もいるでしょう。でも、やっぱり生きることが苦しすぎて死を選んだ人もいます。

「心の死と再生」について、この場を借りて僕自身の考察整理も記した上で、実践面でのアドバイスなど^^。


「心の死と再生」の理解

まず「心の死と再生」についてのハイブリッド心理学の考えは、一言では、
「心の死」「心の再生」への通り道になり得る。
・一方で、
「再生」がいかになされるかは、「心の死」どう起きるかではなく、本人の心がいかに「成長」に向かおうとしていたかの、「背景」に依存する。
というものになります。

「心の死と再生」というのは、もともと極めて難解心の仕組みと言えると思います。そうちょっやそっとの説明で語れるような代物ではないと。
そこでこの場を借りて僕自身の理解整理しておきますと、
注・そんな理論面には関心ないということであれば、ここは飛ばし「実践面のアドバイス」行って頂いて構いません^^。

まずそれは2種類の、かなり毛色の異なる心のメカニズム関係して起きるものです。(下記参考資料1)

a)「成熟」の一般メカニズム
「心」がその大元の「命」からはがれた薄っぺらいものであることにおいて、「心」自らに絶望する「心の死」が起き、「命」新たな「心」再生させるというメカニズム

b)「自己操縦心性の崩壊」のメカニズム
「現実の見下し」によって「空想」の中で自分を支えるという、思春期発動する病んだ心の仕組み「自己操縦心性」が、自らを攻撃し自己崩壊を起こすというメカニズム。これにより「自己操縦心性」に伴う「現実覚醒レベルの低下」といった症状治癒する。


「心の死と再生」が起きる条件

どちらも、意識表面上の表現「絶望感」であり、しばしば「自殺念慮」などを伴います。
ただし、我々人間に生じる「絶望」「自殺念慮」全部こうした「心の死と再生」になるものとして起きるのではなく、
・単にものごとがうまく行かず自暴自棄
・外面状況への絶望とだけの意識

というのは、この「心の死と再生」のメカニズムには乗っからない
また、「心の死」が起きても「再生」質量共に貧弱な程度にしか起きないケースもあります。これについては下記参考資料1で以下のように書いている次第。
-------
「崩壊」治癒メール相談途上においても起きることがあり、何もせずただやり過ごすようアドバイスして乗り越えてもらった後には、例外なく、以前より動揺度減少した、「足元がしっかりして」きたような心の状態への、後戻りのない向上治癒が見られます。
一方、「崩壊」治癒による感情変化質的内容が、自他への肯定的感情さらには「生きる喜び」感情といったプラス方向への開放的変化へと結実するかどうかは、かなり個人差があるのが見られました。
それは結局その人以前からの姿勢が、いかに「破壊」ではなく「建設」という行動のあり方、そして自分から愛することができるといった「成長」心底から望んでいるかによる、というのが結論として言えるようです。つまり心底から「破壊」ではなく「建設」を、そして「成長」望んでいながら、病んだ心による歪み内面の壁となって前進阻まれていた時、今までの病んだ心「崩壊」が起き、そこからその人は、プラス方向へと開放されていく感情足場に、より本格的「成長」「成熟」へと歩むようになるのです。
一方そうではなく、以前からの姿勢がなかなか「成長」へと向いていない場合は、「崩壊」による治癒動揺度減少のみとどまるようでした。
-------


また下記参考資料5でも、以下の文章から下で、その「個人差」について結構詳しい考察を書いています。(今は僕もちょっと読み返し省略^^;)
-------
一方、この「心性崩壊」が、先に触れた「建設的絶望体験」の人々と同じような、生きる姿の根本変化を生み出すかどうかには、多少人により違いがあることが、最近分ってきました。
-------


そこで結局「心の死」を経て「心の再生」に向かうとは、一言「背景」と言ったものとして何があった場合かと言うと、次のようなものが考えられます。
まず以下必須のもの。この全てが揃うこと条件であり、どれか一つでも欠けると、「心の死と再生」起きない

1)現実を受け入れて前に進もうとする姿勢
2)「望み」に向かう姿勢
3)失意と絶望の体験
4)自分の今までの心のあり方の誤りの自覚

ここで重要なのは、まず「心の死」というのは3)この体験基本カテゴリーとして、その中4)起きるのが「心の死」だということです。上述単にものごとがうまく行かない自暴自棄など「心の死と再生」ならない大きな理由がここにあります。

その4つがまず必須条件であり、ハイブリッド心理学でなくとも「心の死と再生」を見る人生哲学などは、必ずこの4つ踏まえて生まれていると思います。
一方、ハイブリッド心理学ならではの、「実践的」な要因3つあり、これは「再生」への促しをするものと言えると思います。ま家庭用衣料染料で言えば(洋服好きの僕の趣味からの喩え^^ゞ)上記4つ染料剤本体次の3つ促進剤という按配です。

5)「心の死と再生」への理解 (ここで書いていること下記参考資料など全て
6)「ただ流す」姿勢
 (「ただ実存を守れ」下記参考資料4など)
7)「新しい感覚の現われ」への意識姿勢
 (下記参考資料2


参考資料

1.『概説 - 4.心の成長変化 (4)「心の死と再生」という特別形』
2.『概説 - 5.歩みの道のり (2)真の前進へ』 ・「パラドックス前進」
3.ブログ2010-04-12『「絶望」の名手になれ』
4.『実践編上巻』 3章 自己の受容・未知への選択 「ただ実存を守れ」
5.『理論編下巻』 4章 「未知」への大きな前進−1 −「自己操縦心性の崩壊」という根本治癒−


実践面のアドバイス

以上がまずは

>ハイブリッド心理学でも「心の死と再生」として説いていますね。ただ、運なのだろうと思います。
に対して、「心の死と再生」についてじっくり理解するならそんな話になりますという^^。まあそれ言うかはどうかは、には考えがないです。そこには運の面もあるだろうし、そうではない、自ら生み出す面もある、と。

ですのでに、

>今は怒りも悲しみも特にありません。ただ自殺という選択肢があることに少し安心しています。こんなとき島野さんなら何と言うのだろう、
に対しては、僕から運ではない、ハイブリッド心理学「取り組み実践」として自ら生み出していく面としてはどうなるかポイントお伝えするものになります。運の面については僕には手が出せない^^;

で、一言でいうとこうなるかと。
「心の死と再生」を最後の心の砦(とりで)として、一貫した「取り組み実践」に向かう。


まずは「実存を守る」

まず実際のところ湧いてくる自殺念慮については、当然「ただ流す」「感情と行動の分離」内面側実践です。
自殺衝動強い場合には、僕から心持ちの姿勢としては
・「実存を守れ」

という言葉使っています。

これいついては上記参考資料4など。
また比較的最近読者広場ご相談関連した話をしていますので、一読されると良いかと。
『根源的自己否定感情、その他質問』 にーなさん No.609 2013/09/06
第2レス
『「最も大切な愛」という頂きへの裾野からの歩み^^』 しまの No.630 2013/09/27
の中の
「実存を守れ」
ですが、う〜んちょっとトピック全体が長いので抜粋しますと、
---------
その時本人には、自分の心に何が起きているか良く分からない、つまり実際は今まさに心の健康化が起きる瞬間ではあっても「意識」はただ「今駄目になった」としか感じない形で起きますので、そのように自分の心に起きていることと、自分の体という「実存」をもう別のものとして見て、体の方は守ることをしなさいという話をしているということです。

さらに言えば、「実存を守れ」とは、死んでいい、死ねばいい、ということでもあるんですね。「今の心」においては。すると新しい心が再生されます。「実存を守れ」とは、そうした心の仕組みにおいて、自分の「心」は死ぬとして、「体」と、「心」のさらに根底にあって心を再生させる何かという全体は守れ、ということでもあるわけです。実はこれこそ飛躍的に変化させる、最大の原動力だと僕は感じています。
---------

また以前のメール相談で、比較的似た状況つまり就職を迎える人生時期において自殺念慮を持つ若い男性へのアドバイスとして使った言葉など言えば、
・今取れる心持ちとしては結局こうなるだろうというものを言うならば、「当面は屍になったつもりで生きる」
というものです。
まずそこから、それでも自分の体が動くもの、自分にできるものを、ゼロベースで探していくことからになる、と。
実はそれこそ「再生」向かうためのベストの姿勢であることを、僕自身何度もその姿勢を通った体験から感じる次第です。

内面取り組み

そこから、「感情と行動の分離」姿勢に立った、内面および外面への2面の取り組み進めるのですが、
まず内面取り組みにおいては、
「自殺念慮」については、上に述べたように「実存を守る」「屍になったつもりで生きる」といった対処をしたならば、もはやそれは向き合いの対象になりません。それはあまりに末端症状でしかないからです。

むしろ、「自殺念慮」至るまでの自分の感情の流れを、
『概説 - 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ
に出てくる具体的視点に照らし合わせ「自己分析」できることが重要になってきます。
特に
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
5.悪感情への対処

などの視点重要になるでしょう。
そうして視点で、自分は何をどう感じて、感情はどう流れた、というのを自己把握していく。


外面取り組み

一方外面取り組みとしては、当面の問題、それは上記内面取り組み明瞭化する感情の流れを生み出した、当面の外面問題ということになるでしょうが、それについて、それらの感情いったん置いといてハイブリッド心理学の上記「学び」テーマの中の
3.行動学
などからはどんな行動法の選択肢があるかを、まずは把握することが必須になります。

「就職」であれば、ハイブリッド心理学からは「やる気」「協調性」なんて精神論姿勢論ではなく、「価値の生み出し」「原理原則行動法」といった具体的ノウハウの習得武器に、それに向かうというものになります。
これについてはとりあえず、よく紹介しているものですが、以下など一読頂くと良いでしょう。そこに、内面向き合い見える感情の流れはまることなく、自分の行くべき道の方向感じ取れるか。

『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピックの中での
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586 2013/07/23

『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10への第2レス
『仕事場面への向かい方など』 しまの No.547 2013/02/21
=========
「100円ショップの商品の品出し」であれば、・・(略)・・
=========



「未知」は生涯をかけて模索していく

「取り組み実践」としては、ざっとそんなところになりますね。
それによって、まず当面「自殺念慮」については、きれいさっぱり解消するような歩みは、ハイブリッド心理学では想定していません。
その根底に何があるのか、その真の克服はどこにあるのか。それを、生涯をかけて模索する歩みになる、と想定します。そうした道のりを、今掲載中『概説』でも書いています。

「未知」が訪れるのも、まずはずっと先のことだと考えるので正解でしょう。そもそも「未知」は、期待して向かうものではないし、ましては期待して裏切られないものとして得るものではありません。それではバリバリの「既知としての解決」を求めるというになってしまいますね。
一方「自殺念慮」解消は想定していないとは言っても、実際それが向き合いテーマにはならず、上述のようなもの取り組み対象であることへの理解納得ができてきた段階で、実際のところもうもうそれは問題になるものとして湧くことはなくなると思います。
そして全ての解決は、人生も後半になった頃になるかも知れません。それでも余りある幸福後半の人生得られるようになってくる。そうした「成長」歩み探求しているのが、ハイブリッド心理学になります。

まずはざっとそんなものとして、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」取り組むことに興味を持てるかなど、検討してみて頂ければ、ということになりますね^^。
その取り組みにおいては、若いほど、
『概説 - 5.歩みの道のり』
で説明するような「心の基盤」について、自分ではどうかと、一つ一つ理解と納得を問う向き合い大切になることを、申し加えておきましょう^^。

取り組み実践の一つ一つについて、分からない点等あればまた何でもご質問頂ければ^^。



はじめまして… / 迷える子羊 引用
No.900 2014/06/10(Tue) 06:53:42

はじめまして投稿させていただきます。
まず、私のお話から…
かなり小さい頃から、自己の中心がしっかりと確立されていて悩む事もほとんどありませんでしたが
両親の離婚などがあり、自分では悩まないように自分で自分を誤魔化して生きていたような気が途中でしてきました。感情よりも理性で考えるようにしてきたと言うか。
そして、自分の感情を素直に受け取るように心掛けてからの方が生きづらいと感じています。
例えば、苦手な人が出てきた、などです。
今までは、見て見ないふりが出来ていましたが、
自分の本心を覗いてみるとすごく相手に嫌な感情を抱いている事に気づいていたり。
本当に些細な事なのですが、言葉遣いが汚い、空気を読まず出しゃばる、人の物を勝手に覗き込む…など、これらは全て同じ人です、他人ではなく家族です。
嫌いだと思っても縁は切れません…些細な事で嫌う私の心が狭いのか、もっと成長出来れば気にならない事なのか‥本心では一緒に過ごしたくありません。否定価値の放棄というものが、このような人に対して受け入れるという事なのか、まだ分かっていません。
アドバイスよろしくお願い申し上げます。


 
追加です / 迷える子羊 引用
No.907 2014/06/17(Tue) 09:35:09

*新規トピックとして No.902 2014/06/15(Sun) 12:54:42 で入れて頂いたものをこちらに移動しました^^。
by島野


私の主人は経営者で仕事としてキャバクラなどに行くことがあります。しかし、私にはどうも行く事の口実にしか思えず、お気に入りの女性がいるのではないか、私には飽きているので刺激を求めに行ってるのではないかと勘ぐってしまいます。いくら私が建設的に容姿を綺麗に維持しようと綺麗な女性は沢山います。現実問題、誘惑にのるのは嫌だけど、男の性として綺麗な女性と遊びたくなるのは仕方ないのかなとか、でもすごく嫌です。不安です。でも、自分ではどうする事も出来ないと感じてしまっています。主人を信用して傷つくのが嫌でキャバクラなどに行く人ではない人がいい、離婚したいとまで思ってしまいます。以前、居酒屋に行ったと言っていたのに実は内緒でキャバクラに行っていたという経緯もあります。その事について問いただすとその日は居酒屋の後にキャバクラに行ったのを言い忘れただけだと言われました。うちの父親も経営者で夜飲みにいったりする人で小さい頃から母に愛人の存在を教えられ、母は友達などには相談できなかったらしく、まだ小学生の私に生々しい話まで私に話していたトラウマなどもあるのかも知れないとも思ったりします。その話を聞くまでは何の問題もない幸せな家庭だと感じていたので
聞いた時、すごく悲しくて嫌な気持ちになったのですが、母も父も嫌いになりたくないという気持ちにもなりました。でも、安全な家庭に守られている安心感がもろくも崩れた思いでしたが、必死に明るく楽しく生きようとしていた気がします。こんな事に負けないぞというような…
自分には色々と育ってきた環境で傷ついた経緯があると思います。でも、その都度この経験をバネにしようと一生懸命糧にしようと気張って生きてきたような。私は強い、何でも乗り越えられると思いこもうとしていたような。心の声を聞かないようにしてきたような。
長々と意味のない文書でシマノさんに依存してしまっているような感じになってしまって申し訳ありません。
何か突破口が欲しいです。アドバイスお願いいたします。


 
「自分が何をしたいか」から問う^^ / しまの 引用
No.908 2014/06/17(Tue) 09:51:40

これはずばり次のように言えると思います。

まず、次の問いを自分にするがいい。
これからの人生で何をしたいか。夢は何か。目標は何か。


そこにおいて考えてみるいいというになりますね。旦那キャバクラに行くことが、それに対しどう妨げになるか。それが具体的にあるならば、また具体的にそれに対処するための戦法考えられる可能性もある。
あるいは、そうした、これからの人生でやりたいこと、夢と目標に対して、キャバクラは別として旦那助けになる面はどうあるか。そこにおいては旦那感謝することもできるだろう、と。
いずれにせよ上の問いがスタートだということになります。

一方、次のような気持ちにおいて考えても、答えは出ないと言えます。
・相手を自分の持ち物(家もしくはインテリアのような)として、理想に足りない面への不満
・自分が相手に所属するものとして、相手もしくは自分への不満

この場合は、相手がどうという問題というより、その気持ちそのものが、自分を動揺させている原因だと。で上の視点意識を切り替える

なぜなら、互いが別個の人格の人間だからです。
自分の理想であれるために、相手は存在しているのではない。それを認めたところに、「行動法」の戦法が生まれ、それでもどうしても受け入れられない面については、相手が病気にかかったような出来事として、受け入れなければならない場面もあるかも知れません。それも無理であれば、別れることを検討するという最後の選択肢が出てくる。

いずれにせよ全てが、最初の問いの先に、答えが出るものだということですね。
「行動法」の戦法というのも、自分がこれからの人生で何をしたいかという具体的内容ベースのものになります。そこまで検討できれば、それについてまた具体的アドバイスもできるかも知れません。
まずは「自分が何をしたいか」の問い重要になってくると思います。検討してみて頂ければ^^。


p.s
あっあと補足で書いておけば、上の追加投稿入れて頂く前の時点書こうと思ったアドバイスは、
・特定相手の嫌悪感を感じるという問題について、それが起きた時それだけ問題として取り組むことはできない。むしろその相手以外の他人全般への建設的行動法がどうできているかに取り組む必要がある。
といったものでした。
他人一般への行動法力強く建設的なものにできれば、そうした特定相手への対処法も、自ずと出てくるだろうと。

一方「否定価値の放棄」については、こうした具体的場面の問題というより、心の奥底の「業」捨て去りという、多少とも哲学宗教的な、「悟り」とも言えるような取り組みになりますので、ちょっと距離があるテーマになるかと。建設的行動法などの習得がほぼ完全にできた先テーマになります。

いずれにせよ、相手がどうより、自分の人生の生き方課題だということになりますね^^。


 
Re: はじめまして… / 迷える子羊 引用
No.909 2014/06/17(Tue) 14:05:33

アドバイスありがとうございます。
自分でも薄々気づいていた主体性のなさ…
自分が何をしていいか迷っている状態…
まだ子供が小さい事もあり、仕事も辞めてしまい、自分の人生とは何なのか…専業主婦という立場に困惑する日々でした。
お金を旦那から貰い生活をしていく事に何か後ろめたさ?のようなものを感じるというか。バリバリ仕事をしたいがその為に子供達を保育園に預けては可哀想ではないのか。(金銭的に働かなくてはいけない状況ではない為、私のわがままになるのではないかという気持ち)など、ああでもないこうでもないと答えが出ない流される忙しい日々…
毎日を生き生きと生きたいです。
>特定相手の嫌悪感を感じるという問題について、それが起きた時それだけ問題として取り組むことはできない。むしろその相手以外の他人全般への建設的行動法がどうできているかに取り組む必要がある。
>他人一般への行動法が力強く建設的なものにできれば、そうした特定相手への対処法も、自ずと出てくるだろうと。

このふたつについて他人への力強く建設的行動法とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか?
家族だけではなく他人一般全ての人に共通する事なのでしょうか?
分かりやすく教えていただけると助かります。


 
Re: はじめまして… / 迷える子羊 引用
No.910 2014/06/17(Tue) 14:16:54

度々失礼します~_~;
トラウマ的な来歴についてはどうお考えでしょうか?ご意見お聞かせいただけると嬉しいです。


 
「力強い建設的行動法」と「トラウマの克服」^^ / しまの 引用
No.912 2014/06/18(Wed) 18:07:51

>このふたつについて他人への力強く建設的行動法とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか?家族だけではなく他人一般全ての人に共通する事なのでしょうか?

ハイブリッド心理学指針とする対人行動法は、あらゆる相手と場面に一貫したものです。家族であろうと赤の他人であろうと。
『概説 3.取り組み実践』 「学び」の主要テーマ / 3.行動学
手近な説明としては以下ブログ記事など。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)

そこで「力強い建設的行動法」キモとは、まず自分の楽しみ、自分の向上、自分の目標を持つことです。にそれを人とどう共有できるかという視点で、相手への対処を考える。
ですので結局全部同じ話なんですね。まず自分自身がどう人生と生活を前に進むか

>ああでもないこうでもないと答えが出ない流される忙しい日々…

大そうな岐路選択のようなものでなくても、まず料理の腕を上げるといった日常の向上からテーマにすると良いかと。大きな岐路選択もそうした日々の向上延長としてあると思いますので。

>トラウマ的な来歴についてはどうお考えでしょうか?

「トラウマ」というのは、本人にとって「回復不可能な心の傷や挫折」感じられるものを言うと思いますが、基本的にこれは、克服していない心において「回復不可能」感じられるだけの話で、克服成長すれば何のことはない、回復不可能と決めつけのは誤りのものであったと分かる、という流れが考えられます。
心が成長するとは、がもう別のものになってしまうかのように、ものごとの感じ方変化することですので、心の傷や挫折感じたものも、過去に乗り越えた苦労の一つの記憶程度へと、重みを失っていくことがあり得る、ということになります。
手前味噌ですが僕自身の体験としても、若い頃トラウマ的なものと感じた生育来歴のことなど、はもうなんも感じないあっけらかーんとした記憶に残る程度で、感情的に残っているものほぼゼロ状態

そうした「成長」全てまず自分からどう前に進むかへの向き合いから始まるわけです。
そのための「取り組み実践」は、誰の場合同じ進め方になりますので、まずは『概説』などでハイブリッド心理学全体ざっくり把握することなどから始め学び実践検討し始めてみるとよろしいかと^^。


 
Re: はじめまして… / 迷える子羊 引用
No.913 2014/06/18(Wed) 22:17:54

お返事ありがとうございます。
日々の料理の腕の向上とありましたが、主婦ですので、掃除、洗濯、整理整頓、料理など家事に関してはいつもアンテナを張り色々情報収集しております。疲れたりしていても今までは完璧に…と自分を追い詰めるほどでしたが、最近は子供に手がかかることもあり家事に完璧を求め過ぎて気持ちに余裕がなくなるのも問題かと少しは自分にあまくする事もありますが、出来る範囲していると思います。ただ、その程度の事で毎日を過ごすことにこのままでいいのかという気がするのです。
家にいてこの狭い世界でお金も稼がず自己満足していていいのかと。その為に、昨年資格も取りましたが、切羽詰まった状況ではないのに仕事と家庭を両立する必要があるのか、仕事をして子供にさみしい思いをさせないか、子育てが落ち着いてからでもいいのではないのか、と。
掃除をきっちり、ご飯もバランスよく美味しく、整理整頓も引き出しの中まで見やすく、など全てやってもこのままでいいのかと分からなくなってしまうのです。外に出て自立して輝いてる女性を見るともどかしくなり、私だって出来るのに。のような気持ちになってしまうのです。なので、主人に対してもそういう気持ちもあり、夜飲みに行かれると不安になる気がします。
アドバイスいたたいた項目も全て読ませていただきましたが、そう感じている次第です。


 
一貫した「実践」のお勧め^^ / しまの 引用
No.919 2014/06/25(Wed) 16:49:59

一つ一つの材料への取り組み

>日々の料理の腕の向上とありましたが、主婦ですので、掃除、洗濯、整理整頓、料理など家事に関してはいつもアンテナを張り色々情報収集しております。疲れたりしていても今までは完璧に…と自分を追い詰めるほどでしたが、
>掃除をきっちり、ご飯もバランスよく美味しく、整理整頓も引き出しの中まで見やすく、など全てやってもこのままでいいのかと分からなくなってしまうのです。

もちろん「主婦であれば料理の腕の向上に励めばいいんですヨ」といったおざなりアドバイスとして(^^;)言ったのではなく、そうした具体的テーマ、具体的場面状況一つ一つ材料取り組むことが大切です、というアドバイスである次第です。ちなみにそこで「料理」と出たのは、僕自身が今独身にて興味を感じている目標だったりして出た言葉という、ちょっと個人的理由もあり^^ゞ

重要なのは、というかハイブリッド心理学「取り組み実践」としては、そうした具体的材料において、
『概説 3.取り組み実践』 / 「取り組み実践」の3ステップ
説明している「学び」「向き合い」を、日々の日常生活と人生の場面の全てにおいて、一貫した実践として進めていくものになります。
ですので、

>アドバイスいたたいた項目も全て読ませていただきましたが

というのは今回テーマ一番関連しそうなもの幾つかピックアップしたものであり、無論それで話が終わるようなものではなく、こうした実践日々の日常生活と人生の場面の全てにおいて進めるために、
1)日常的な読書・・ハイブリッド心理学の著書の全てを通して、心の懐引き出しを肥やしていく
2)日々の実践・・目の前の事について、「学びと向き合い」を自ら進めていく

という2本立ての進め方よろしいものですと、常々お勧めしている感じです^^。

もちろんこう言っただけではまだ進め方が把握できないと思いますので、まずは『概説』などで全体を把握して頂くことから。
今回相談とアドバイスは、1回1回「学びと向き合い」サンプルを、お示ししたようなものということになります。


「目的思考」

「料理」というテーマ出したついでに、それについての「学びと向き合い」どうなるかと言うと、

・「目的思考」
という、思考法最も基礎的なもの取り組み課題になると言えるでしょう。
『概説 5.歩みの道のり (1)5つの「成長の段階」』 / 前進への基盤となる意識過程一覧表

「善悪」「評価」を「何のためには」という「目的」から考える思考
「何が問題・課題・望みか」からものごとに取り組む姿勢

記したものであり、対する未熟と病み形
「目的」を意識することのない「善悪」「評価」の思考
というものです。

料理の腕を、もっと美味しいものが食べたいから? 旦那に誉められたいから? もしくは子供のため、自身と旦那のため医学的考慮から栄養バランス面の向上
といった「目的」で考え、今何が必要か、目標はどんなものになるか、等々具体的に考える。
それで言うならば、

>全てやってもこのままでいいのかと分からなくなってしまうのです。

という惑いの原因少し見えてくるのではと思います。
まず言えるのは、「目的思考」ではなく「目的を意識することのない善悪評価の思考」で生きていることが、惑いの背景にある、と。

ただしそれが見えただけで、
>外に出て自立して輝いてる女性を見るともどかしくなり、私だって出来るのに。のような気持ちになってしまうのです。

霧散解消する訳には恐らく行かないでしょう。こうした「取り組み実践」日々の生活と人生の全ての場面で一貫して進めることで、
『概説 3.取り組み実践』 / 「学び」の主要テーマ
ざっと列記したような「学び」として広がり、深まっていくことが道のりになります。

それがどんなものになりそうかは、今の時点では何も言えません。一言でいって、一つ一つを積み重ねることなく、先は見えません。それが成長の歩みというものです。

そんなものとして、これからハイブリッド心理学の「取り組み実践」自ら取り組んでみることに興味を持てそうかどうか、検討してみて頂ければ、というになります^^。
実践の進め方一つ一つの材料ごと「学び」については、また質問頂ければ何でもアドバイスできますので^^。
その際新規トピックで良いかなと^^。




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