No.1034 2015/02/26(Thu) 20:20:42
私は、どのような所で求人を出しているのかと考え、求人を見ることが好きな方です。 そして、受けてみたいと思う求人があり、最近応募し、合格にはつながらない経験をしました。 自分の経験よりも、会社側が、できれば即戦力や同社と同様の経験者。それから、より若い年代新規採用者に近い方を採用するなどと考えられます。私は、現在の仕事もやりがいやありがたさはありますが、これまでの経験を他の所で活かしたいと考えることや、今まで無かった求人を目にした時に、受けてみたいと感じることがありました。 今回のような、合格につながらない時、残念な気持ちになります。しかし、今受けてみたいと感じた求人は、今の自分だからそう感じているのであり、過去にはそのような求人は無かったことであるため、年齢でも引っかかってしまうのはしかたないとは感じます。そして、この現状を受け止めることと、再度自分の現在の毎日の仕事をしっかりとこなすことを考えて行っています。それから、興味がある求人に挑戦することは、良い行動とは感じていてます。また、求人を見ることで、自分の仕事に対する姿勢が作られていくことにつながっているように考えています。 島野さんの、求人に対する経験があると思いますので、参考までご意見が聞けたらと考えました。 |
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No.1035 2015/03/01(Sun) 17:32:34
僕が求人に接した体験というのは、人生の中で3つの時期のものがあるという状況です。 1つ目は学生時代のアルバイト。 2つ目は大学院修士卒業時の、IT系に的を絞った就職活動。 そして3つ目は、出版した『入門編』の売れ行きが低調(^^;)で、執筆では生計は立たないのを自覚し、とにかく生きるための再就職というのを考えた2011年の経験。これについては『取り組み実践詳説』などでも触れていますが(P.263)、幾つかの会社に応募し不採用になる中で、自分にはやはり執筆しかないと確信に至り、とにかく自分一人なら食いつなぐという形で執筆専念継続となった次第です。
それぞれ体験談をちょっと添えておきますと、学生時代のバイトは主に軽作業の部類でしたが、中にちょっと接客的作業が入るものもあり、若い頃無愛想だった性格が災いしクビになったものがあり、その時は自分は社会で受け入れられない人間かと失意を感じたなんてのもありました。 一方大学院卒業時は1985年、社会はバブル景気へとまっしぐらで超売り手市場だったこともあり、IT会社への就職は結構スンナリ。 出版の不成功で再就職を検討した時は、執筆開始当初から生計が立たないようなら潔く執筆を辞めるという覚悟でしたので、これも運命、今までに得た「社会を生きる自信」をまた生かす時だと、本気で再就職を考えたという経緯で、今から振り返ると不採用になってホント良かった・・と感じる次第です。受かってたら執筆なんてもう無理ですからね。ほんとアブナイアブナイ^^; という感じ^^; まともかく、よっぽどの即戦力でないと本格的再就職なんてなかなかできない今日この頃という感じですね。
そんなよもやま話を踏まえ、僕の意見としては、 ?@「自分が」 社会で何をしたいか、何をできるか、どんな能力スキルを目標にするか ?A「相手が」 自分をどう選ぶか という2つを、しっかり分けて認識して向き合うことが大切だ、ということになるかと。
もちろん、まずは?@の方にしっかりと向き合うことが大切だ、ということになりますね。しっかり「向き合う」だけではなく、その対象分野について、また関連する社会動向などについてしっかり学び、情報を仕入れることを、いかに着実にできるかが大切。 それによって、?Aの方は自ずと結果がついてくる。ただし、?@がしっかりできれば必ず自分が選ばれるとは限らず、応募者が多数であれば、ほんの僅か自分より条件の整った人が選ばれることもある。それはもうほんの紙一重の差程度のものとして。ま多少とも「水もの」(運に左右されるもの)だということですね。そうした覚悟もまた重要だということになりますね。
こうした二面の向き合い認識を持つ先に、僕の学生時代のように、無駄に「自分は社会で受け入れられない人間だ」なんて感じる必要もなくなってくる、という話になると思います^^。 |
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No.1036 2015/03/01(Sun) 19:06:21
島野さんの、良く考えていただいた意見を読むことができました。
採用に至らないとは、人気の企業であり、また若い方のが採用されやすい、競争に残るには、並みでは乗れないとのこと感じます。 さらに、不採用になってから、良く考えると、実際その企業で働かないで、今の生活を続けた方が良いとの察しが下さっていることもあると感じることもありました。 受からない失意も、挑戦には伴い、これも自分にとって自分の行動の結果であり、自然な感情とも思えています。
「社会で何をしたいか、何をできるか、どんな能力スキルを目標にするか その対象分野について、また関連する社会動向などについてしっかり学び、情報を仕入れることを、いかに着実にできるかが大切。自分が選ばれるとは限らず。」と。その通りと、感じたことと、失意が軽減しています。
本日は、ある方のホームページで、読んだ記事がありました。 「母子関係で大切なことは、安定して安心と安全、満足と快を子に供給し続けることで、豊かな情が育ち、それが充足されていないと、大人になって心理的にうまく接することは出来ない。」と書かれていました。
このことは、当然の事で、重要な言葉であり、言葉で言うのは簡単ですが、そう言い切れるものなのだろうかと課題が残りました。 そして、私自身振り返って考えてみると、幼少時は満足のある親の関わりがあった。しかし、親自身の生活環境から、すべて子供に満足の環境を与えていられるのもでもないといえるし、自分が成長するにつれて、自分の考えや、親の考え方の違いも考えるようになるため、もっとこういう親であったらと、親のせいにしていた子ども自身の思考の部分も大きく影響すると考えられた。 このように、自分が大人になってから、気がつくことが多く、ただ言葉での「安心と満足と快を子に供給し続けること」だけでは、子育てを実際する方にとっては、では具体的なアドバイスになってはいないように感じられました。 たまたま、この記事を目にした日に、レストラン席の隣席が、可愛い赤ちゃんと父の2人で、父が良い関わりをしているのを感じました。子育て中は、食事、身の回りのお世話など、無我夢中で行っていることと言えますし、親自身良い関わりを持とうと努力をしていると感じます。しかし、子供のタイプ個性や、親の個性により、言葉や行動は、それぞれ一人ひとりことなることや、思春期から大人になってから、多くの方が人間関係で困難を感じる方が多いのは、ある意味自然というか、人間ゆえとも感じられます。 親も、子も、良い関わりをすることは、重要と安易な言葉を言う前に、親自身も、子供自信も「自分は、社会では受け入れられない人間だとは思わないように」という言葉の方が、惹きつける言葉に考えられます。しかし、社会では受け入れられない人間だと思わないようにという言葉の具体的な言葉は、やはり安心と快の充足に行きつくのかもとも考えられますが。大人から見た快の充足でも、子供から見たら快の充足ではなく、お互いの考えが食い違うこともありえますし、子供はまだ自己中心的であるから、大人が教え導くことも生活でありなど考えます。 このことについて、島野さんならではの考えをお願いいたします。 |
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No.1037 2015/03/02(Mon) 15:25:08
>「母子関係で大切なことは、安定して安心と安全、満足と快を子に供給し続けることで、豊かな情が育ち、それが充足されていないと、大人になって心理的にうまく接することは出来ない。」と書かれていました。 >このことは、当然の事で、重要な言葉であり、言葉で言うのは簡単ですが、そう言い切れるものなのだろうかと課題が残りました。
そうですね、それだけだとちょっと話が狭すぎるかも知れませんね^^; ハイブリッド心理学では、大人になってどう人にうまく接することができるようになるかは、その人の心の成長と成熟の総合的結果だ、と考えます。 まあ幼少期の母子関係というのも、その中の一つの要因。ただし完璧な親はいませんので、蒸し返してもどうにもならない面が多く(^^;)、そこに何か不十分なものがあったとしても、誰もが持つハンディの一つとして、自身がどう人への接し方を学びか、そして成長全般に向かうかが重要になってくる、ということになると思います^^。 |
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No.1038 2015/03/02(Mon) 18:54:55
早速、コメントを読むことができました。島野さん、ありがとうございます。
「心の成長と成熟の総合的結果であり、生活の過程では、誰もが持つハンディの一つとして捉え、自身が人への接し方を学び、成長全般に向かう」と。
自分自身をまとめると、人の記事に左右されるのではなく、自分はこうしていくという、心の成長に向かう行動を貫くことであると考えることが出来ました。 |
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