しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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No.745つづき / にーな 引用
No.759 2014/01/08(Wed) 14:27:23

島野さん

明けましておめでとうございます。
前回の続きですが、長くなりましたので新規で立てさせていただきます。

>「楽しみ」を共有するというプラス行動は「建設的対人行動法」となり、それ以外の、与えられた問題課題の達成や、マイナスの状況への対処は、全て、基本は「原理原則行動法」になるということです。これで、内面の「怒り」「怖れ」などのマイナス感情は、行動の原動力として役目を持たなくなります。

「喜び楽しみ」とうものは内面で感じることかと思います。そのため、現時点の自分にとって、マイナス感情に巻き込まれない行動・原理原則を識別・選択するのに多少の困難(混乱?)を感じる時があります。というのは、マイナス感情を解消すること(時として破壊行動)が、「自分の幸福に向かうもの」と意識が錯覚を起こしている状態ではないかと思います。島野さんの回答を受けても、自分の気持ちが楽しい・スッキリすることをすること、もしくは反対に自分を抑えることが、瞬間的なマイナス感情の軽減はあっても、必ずしも「建設的対人行動法」とは言えないことがわかります。そのため、取り組むべき行動は常に外側にあり、内面感情はただ流し見つめるのだということも理解できます。現時点では、マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう(もしくは原理原則に従おう)として身動きできなくなる(何が建設的行動、原理原則かわからない)ことがあるのですが、その辺りアドバイスいただけますか?


>ですのでその場面についてはむしろ、なんでそういうメンバー構成で会うことにしたのか
>「自分はこれこれを意図して、こうなればいいと思って言った」というのを明確にすることで


前回と今回のエピソードにおいて、「自分はこれこれを意図して、こうなればいい」という自分の中での問いかけが無く行動を取っていた、ということがやっと腑に落ちました。自衛・建設が大事なのですね。
ひとつ質問ですが、「あるべき姿からの否定感情」と「ただいじけてしまった気分」の違いがわかりません。もっと話すべきと強く感じたのなら否定感情となり、話すべきという気持ちはあまりなくただ不安になっただけならいじけたということでしょうか?
また、「あるべき姿からの否定感情」というのは原理原則がないところには発生しないともいえるのでしょうか?


最後にもうひとつ。すみません、前回の質問の繰り返しになりますが、この状況で原理原則といえるものはないというのはわかりました。「感情と行動の分離」ということでは、自分の行動と気持ちの処理は妥当であったでしょうか?

(抜粋) --この日私が取った行動は、わからない話題であれば「私は知らないなぁ」と正直に言って聞き役にまわり、卑屈感で内面的動揺が起きた時は、席を外してトイレに行くことで気持ちをリセットしました。」--


 
追記です / にーな 引用
No.762 2014/01/12(Sun) 08:37:35

「瞬間的なマイナス感情の軽減」と書きましたが、違うかもと思いましたので追記です。
マイナス感情を解消するために破壊行動に出た場合、むしろマイナス感情は強まると感じました。先のマイナス感情が新たなマイナス感情に置き換わる、もしくはその重ね合わせのようなことが起きているように思いました。だから、破壊行動は何の解決にもならないんですね。

もうひとつ質問ですが、「自分を抑えること」は自分自身へ対する破壊行動と言えるのでしょうか?


 
「長い目での幸福」への「論理的目的思考」で「建設的行動」^^ / しまの 引用
No.770 2014/01/28(Tue) 11:50:56

先日ブログ状況報告の通り遅くなりましたが、あけましておめでとうございます^^。

まずご質問全体への考え方キーワードなど説明しますと、

「建設的」であるとは、行動の基本様式3種類
「建設」 ・・・ 望ましいものに囲まれる生活基盤を自ら築く
「自衛」 ・・・ 望ましくないものに出会わないよう自分から先回りして避ける
「破壊」 ・・・ 望ましくないものを破壊攻撃して消滅させる
というものにおける「建設」を、自分の人生を生きるための行動法基本にする、ということです。

そこで「望ましいもの」とは、「長い目での幸福」のために、というのがミソになります。目先の気分や感情の良し悪しで考えるのではなく、さまざまな行動法によって、「現実」においてどんな「結果」訪れるのかを「長い目」見通す感情で考えるのではない論理的思考重要になります。
「長い目での幸福」根本目的と位置づけた「目的思考」として、どんな行動を取るとどんな結果になるという「論理的思考」を働かせて判断するものとして、「望ましいもの」自ら向かい生み出すという行動法です。

一言で、「長い目での幸福」への「論理的目的思考」によって「建設的行動法」可能になる、ということです^^。

ということで、

>現時点では、マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう(もしくは原理原則に従おう)として身動きできなくなる(何が建設的行動、原理原則かわからない)ことがあるのですが、その辺りアドバイスいただけますか?

「マイナス感情が流れた時に、建設的行動を取ろう」という流れだと、「建設的行動法」問題というよりも、「どうやりすごすか」の問題になってしまうように感じます。
建設的行動は、マイナス感情が流れたから、それへの対処、というものとして行うのではなく、何かの問題課題や望みについて、行動法を問うものとして考えることができます。
ですので、流れたマイナス感情については内面感情としては「流す」として、外面行動としては、マイナス感情うんぬんではなく、置かれた状況の客観的把握などから問題課題を考え、それに対して「長い目での幸福」のためにはどんな行動が最善の結果を生み出すかという思考に、考える姿勢切り替えることが重要です。
まずはこれでアドバイスになりますかどうか^^。

>「あるべき姿からの否定感情」と「ただいじけてしまった気分」の違いがわかりません。

一言でいえば、「あるべき姿からの否定感情」「怒り」であり、「ただいじけてしまった気分」「悲しみ」だという違いです。
「悲しみ」である「いじけた気分」については、まずは「ただ流す」ので良い。それが「現実を受け入れる」という姿勢と共にあるのであれば、成長への長い道のり通過点としてよくあるものです。
す。
「怒り」である「あるべき姿からの否定感情」は、価値観と行動法を見直す取り組みお勧めになります。まあハイブリッド心理学取り組み実践全体になってきますね。
この違いです。よろしいでしょうか^^。
実際どっちだったのかは、

>もっと話すべきと強く感じたのなら否定感情となり、話すべきという気持ちはあまりなくただ不安になっただけならいじけたということでしょうか?

ということでいいと思います^^。

>また、「あるべき姿からの否定感情」というのは原理原則がないところには発生しないともいえるのでしょうか?

「あるべき姿からの否定感情」内面感情であり、「原理原則」というのは、人と人の間、そして社会での行動法ルールとして、最終的に正しいものとされ勝てるものというようなです。
ですのでとして一応別テーマになると思います。
まあどんな状況でも自分勝手な論理「あるべき姿からの否定感情」抱く人はいますね^^; それを、「怒り」頼ることのない、「原理原則」による行動法変えることが取り組みになるという次第です。

>この状況で原理原則といえるものはないというのはわかりました。「感情と行動の分離」ということでは、自分の行動と気持ちの処理は妥当であったでしょうか? (抜粋)
--この日私が取った行動は、わからない話題であれば「私は知らないなぁ」と正直に言って聞き役にまわり、卑屈感で内面的動揺が起きた時は、席を外してトイレに行くことで気持ちをリセットしました。」--


これは上述の通り、もう「建設的行動法」問う段階というより、「やりすごし方」の話の段階になる感じですね^^;
その場面それでいいと思います。そうした体験を踏まえ、今後どんな相手とどんな会い方をするかについての自分の考え方を築いていくことが、重要になるかと^^。

>もうひとつ質問ですが、「自分を抑えること」は自分自身へ対する破壊行動と言えるのでしょうか?

まず言葉の話として、「抑える」「破壊」ではないですね。
「破壊」「壊す」という行為行うもの。「抑える」何かの行為しないでいること。
「抑える」ことが自分にとって長い目で「破壊」になることはないか、という設問は考えられますが、具体的問題で考えた方が話は早い(^^;)と思います。
多分いろんな例をあげても、「自分を抑える」ことが「破壊」とまでなることはないと思いますが、「抑える」だけ成長できるものでもないので、これも上述の通り、置かれた状況の客観的把握などから問題課題を考え、それに対して「長い目での幸福」のためにはどんな行動が最善の結果を生み出すかという思考だとどうなるか、ということになると思います^^。

とりあえず理屈の考え方はそんな感じで、より正確にはやはり具体的材料考えるのが良いと思いますので、考えたい材料などあれば何でもトピックで入れて頂ければ^^。



自分が神になろうとすることについて / green 引用
No.751 2013/12/24(Tue) 22:16:40

自分が神になろうとすることについて、質問があります。このときの神とはどのような神で、またどのような心の姿勢が神のような姿に対応しているのでしょうか。依存の願望が満たされないことにより現実を否定して、空想の中に逃げ込み、空想の中で願望が満たされる世界を創造し、その空想の世界の規律を作ることで世界を支配しそして、理想と違う現実を破壊しようとする様子が神の姿に似ているのかと思いましたがいかがでしょうか。このときの神とは世界を創造し支配しまた破壊する神ではないかと思いました。現実を無視した空想の中で人は神のように振る舞えるのかなと思いました。


 
Re: 自分が神になろうとすることについて / しまの 引用
No.753 2013/12/28(Sat) 10:13:30

そうですね、まずはそうした理解グーだと思います^^。
もちろん「それでは駄目だ」では「否定価値」焼き直しになってしまいますので、それとは違う心の世界を、いかに見出し築くかになりますね。

取り組み実践としては、
1)日常生活と人生の場面での建設的な思考法行動法に取り組み、それが十分に体得されてくることで、
2)「自分が神になろうとする衝動」が、いかに変幻自在な形で自分の思考と感情に働いているか自覚する
という、大きく2段階になります。
それが
『入門 - 3.取り組み実践』
「「学び」の主要テーマ - 6.「否定価値の放棄」の根本的選択
で、
==========
具体的な思考法行動法において「建設」へと向かい、「強さ」を得ることで外堀を埋めるような形で、心の奥底にあるこの衝動に気づき、捨て去る
==========

というものになります^^。

それによって見出される別の心の世界とは、一言でいえば、
「全ての命が、命のままに生きる世界」とでも言えるかと^^。


 
Re: 自分が神になろうとすることについて / green 引用
No.757 2014/01/05(Sun) 21:29:39

他人に否定されることをとても恐れているのですが、これは自分の持っている否定価値の他人への投影なのでしょうか?自分が神になろうとする衝動の他人への投影として他人を神にしようとする衝動みたいなものはないでしょうか?


 
「人に否定される怖れ」の克服^^ / しまの 引用
No.760 2014/01/08(Wed) 16:43:12

「人に否定されることへの怖れ」克服は、まずは「自分の考えを持つ」といったになりますね。

人に否定されたとして、「では自分ではどう考えるのか」重要ですね。相手の言う通り自分に問題がある自分でも考えるのであれば、その改善向上に取り組めばいい。相手の言うことを真に受ける必要はないと考えるのであれば、うまく受け流す行動法を取れればいいというになりますね。
そのように、相手がどう自分を否定するとしても、自分の考えで対処できるようになることで、「人に否定されることへの怖れ」自然と減少していくと思います。

に、「自分の考え」というものを持てず、相手の言いなりになるような姿勢の時、当然「人に否定されることへの怖れ」増幅されるという話になると思います。
その時

>自分の持っている否定価値の他人への投影なのでしょうか?自分が神になろうとする衝動の他人への投影として他人を神にしようとする衝動みたいなものはないでしょうか?

という心理メカニズム働くかも知れませんね。実は自分が神のように他人を否定したい衝動があり、他人が横暴な姿に見えてしまうということもあるかも知れません。
それを込みにしても、やまりまず「自分の考え」を持って、「自分の考えで行動する」ことができるようになることが第一歩です。それによって、そうした投影メカニズム左右されることなく、相手の言うことが妥当かどうかを判断できるようにもなりますので。

そうしてまず「自分の考えで行動できる」ようになって、前アドバイスのように
1)建設的行動法に取り組み、十分に習得できたら
2)自分が神になろうとする衝動の確認へ

という道順になります^^。

「自分の考えを持つ」ための実践は、ちょっと読むのが面倒かも(^^;)ですが、
『取り組み実践詳説』2章、3章あたり詳しく説明しています。
・「自分自身に対する論理的思考」(P.63、自分自身に対する論理的思考
・「現実を見る目」
(P.49、意識の素地 「現実を見る目」
などがになります。



体について / ジン 引用
No.754 2014/01/03(Fri) 18:24:53

 以前、島野さんのコメントから欲は減ってくるなどの話がありました。

人に移る感染症は、気をつけたいものなのですが、エイズなどの感染症が、日本でも増えています。予防するかどうかは個人の取り組みが大きいと考えられます。

生き方の選択は、それぞれでありますし感染することが無いのであれば、風俗店などからの感染などの課題とはしないのですが、今回テーマになりました。

感染と生き方について、島野さんはどうお考えでしょうか。


 
望む結果に応じた行動^^ / しまの 引用
No.755 2014/01/05(Sun) 09:40:46

「感染」について言えば、まずは「正しい医学的知識を持ち、自衛のための行動習慣や指針を持つ」ということになると思います。
まあたとえば一番代表的なのは、帰宅時手洗いとうがいをする習慣など。これは風邪やインフルエンザへの感染防止のための行動ですね。

「エイズ」「風俗店での感染」といった言葉から浮かぶのは、不特定相手の性交渉によってリスクの高まる感染というのがあるというだと思います。
これはまずは自分がそうしたリスクのある行動避けるというのに加えて、交際する相手選ぶ条件一つとして、そうした不特定相手の性交渉する(した)人間ではないことを考慮するといった行動指針が考えられますね。
もちろん、感染防止や、相手の人柄としてそれを重視するならば、です。そんなこと一切気にせず、あるいはそうした過去を克服した相手つき合いたいと考えるのも、人それぞれ生き方の自由ですね。

「感染」のみならず、望む結果に応じた行動ができることが重要です。ストーカー被害に遭いたくなければ、安易な出会いですぐ深いに関係を持つのは避けるなど。この点、去年三鷹で起きた、女優の卵の女子高生のストーカー殺人事件は、何であんな育ちの良さそうな女の子が、「facebookで知り合って交際」なんてことしたのか・・首を捻りましたが・・。

社会のどこにどんなリスクが潜むのかを知り、日ごろからの行動習慣の中に、それに対する自衛を盛り込むようにする。
これは「日常生活と社会生活の向上」基本一つと言えます^^。


 
Re: 感染について / ジン 引用
No.756 2014/01/05(Sun) 15:34:13

 選択は、それぞれの生き方の自由があると私も思います。

 人々に対して、安易な気持ちで、リスクを背負うことが無いような選択ができるとよいなあと考えています。

 ただ、風俗店だけではなく、それぞれの良さや魅力がある所でもあるとも感じるため、何に魅力を感じ、またリスクをどう考えているのかになるのかとも思いました。

 コメントありがとうございました。

 今後も、自分の中でのテーマにしていきたい内容でした。



自己イメージについて / green 引用
No.743 2013/12/16(Mon) 21:41:18

自己イメージというのは外から見える自分についてのイメージですので、他人からどう扱われるかということに関係するのではないかと思います。したがって、他人に依存する中で自己イメージは重要になってくると思います。そうだとすると自立に向かう中で、自己イメージというのは重要性を失う方向にあるという理解は合っていますでしょうか。自立に向かう中で自己は形を失い未知になっていくのでしょうか。


 
「自己イメージ」 概説^^ / しまの 引用
No.747 2013/12/22(Sun) 16:24:42

「自己イメージ」 概説

「自己イメージ」には、正常な機能として必要不可欠部分もありますね。
心理学からは、およそ以下3段階構造のようなものとして考えられるかと。

1)基礎的自己イメージ(健全形)
人間としての日常生活必要不可欠となる、基本的機能(記憶認知)による自己イメージ性別、おおよその身長体重容貌の特徴など。
これがない男女別のトイレやお風呂正しく行けないですね^^; 「性同一性障害」性別における自己イメージ混乱とも言えるでしょう。「相貌失認」という脳の障害があると、人の顔をうまく見分けられないのみでなく、鏡に映った自分の顔も自分と認識できなくなり、家の中ふと鏡に映った自分驚き「誰?!、何してるの!」と叫んでしまったといった事例を先日TVで見ました。

2)評価づけした自己イメージ(健全形)
「自分はこれができる」という、能力的評価加え自己イメージ急いでいる時、走れば何分で着ける、自転車に乗れるといった身体的能力面での自己イメージ実際その行動をしてうまく行かない場合、体の具合が悪いことがわかり対処できたりします。
自分はこれこれの仕事ができるといった社会的自己イメージ。これがあって、会社に勤めていれば毎日同じ席に座り、自分の仕事に向かうといったことが可能になります。社会生活維持必要不可欠です。
自分はこんな生き方、人への接し方をする人間だという自己人格イメージ僕の場合は、人生執筆に注いで生きている人間「怒り」使わずに人に対処する。この辺はもう揺るがなくなっている次第です^^)v (Vマーク余計^^;)
これらの自己イメージ揺らいでくると、自分の生き方や人への接し方に悩む、という現象になるわけですね。

3)人の目の中の自己イメージ(煩悩・惑い・病み形)
これは厳密にはただ「自己イメージ」であるのみでなく、「人の目」「人の心」の空想イメージでもあります。それが自分をどう見るかイメージ。つまり人が自分のことをどう空想しているかを空想するという複雑な意識であり、その分「心の病み」の傾向つながりやすい意識だと言えます。
病みの傾向の深刻さにもかなりバリエーションがあり、比較的健康なのは、特別なものを持つことで人にちやほやされる期待イメージスキーゲレンデに立つと、滑りのうまさで注目浴びるという自意識過剰気分ちょっとなることもあります。あはは^^; いやーまだまだだと、すぐ練習の方に意識転換修正しますが^^。これは「煩悩形」^^;
「惑い形」は、自分でうまく自分の評価ができず、人にどう見られる、どう言われるかに頼ることで自己イメージを持つもの。当然人の言葉に振り回され、次の「病み形」にもつながりやすい
「病み形」は、心の底での深い自己イメージと、意識の表面の「人の目の中の自己イメージ」に、病んだ食い違いがあるものです。つまり、心の底で深い自己否定感情があったまま、それを否定し去るための、人の目の中で燦然と輝ける自己理想イメージ抱くといったもの。この自己理想イメージをめぐって、「人の目」の空想「賞賛」「軽蔑」、その傲慢さ「見せかけ」への「嫌悪」といった、混乱に満ちた、病んだ意識へと向かってしまいます。


「依存と自立」と自己イメージ

とうことで、

>他人に依存する中で自己イメージは重要になってくると思います。そうだとすると自立に向かう中で、自己イメージというのは重要性を失う方向にあるという理解は合っていますでしょうか。

については、実はちょっと逆とも言える感じで、「依存」自分で自己イメ−ジを確立できない「自立」自己イメージを自らしっかりと築く方向に向かう、ということになると思います。

上記3種類について言いますと

「基礎的自己イメージ」は、依存自立かに関わらず正常な日常生活の維持のために必要なもの。

「評価づけした自己イメージ」は、
「依存」だと自分でうまく築けず、人の目人の言葉に頼る。結果、意識自ず「人の目の中の自己イメージ」移る
「自立」だと自ら自己イメージをより高めるための努力をし、高められた自己イメージは揺ぎなく安定する安定するごとに、日ごろあまり意識されるものでなくなる

「人の目の中の自己イメージ」は、
「未熟」から歩み始めることにおいて、誰もがまずは持つものと言えると思います。また、来歴の中で心の病みの傾向を抱え、そこから克服へと歩み始めることもあるでしょう。
そこから、
「依存」とどまることはその自己イメージの病みの傾向ただ深める方向と向かわせ
「自立」はそれをより健全「評価づけした自己イメージ」へと修正していく方向へと向かわせる、
ということになるでしょう。

それは結局、「自己イメージ」位置づけが、
「依存」においては、人の力で自分を幸福にしてもらう、そのために自分は人の目に愛され賞賛される存在になる必要がある、その結果絵に描いた理想が描かれ、それをめぐって揺れ動く自己イメージが抱かれる、というものであるのに対して、
「自立」においては、自ら幸福へと歩む、そのためありのままの自分を受け入れ、現実世界を生きる知恵と能力を獲得していく、その達成状況について自己イメージが抱かれる
という根本的な違いによるものです。

また、自己イメージ内容段階がどのようであれ、
「依存」においては、「自己イメージ」行動場面で「演じるための基準」(^^;)として「使われる」ものである一方、
「自立」においては、相手の実際の様子に対して、どんな「行動法」対処するか重要になり、実際の行動場面では「自己イメージ」はあまり「使わない」ものになる、と言えると思います。総じて、自己イメージそれ自体をあれこれ意識するものではなく、しっかりと心の土台に安定して存在するものになる、と言えるかと。内容的にも、「人にどう扱われるか」よりも「自分がどう人に対処できるか」イメージになる、と言えると思います。

ですので、
>自立に向かう中で、自己イメージというのは重要性を失う方向

一言で、「重要性を失う」のではなく、
「自ら築き高め、揺らぎなくなるごとに、意識する必要もなくなってくる」ものだと言えますね。
「重要性」なくならないと思います^^。とっても重要


「未知」への変化と自己イメージ

>自立に向かう中で自己は形を失い未知になっていくのでしょうか。

「未知」というのは、「心の成長」について、特にそこでの「心のあり方」について言っているです。成長した心は、まだ成長していない「今の心」からは、いかなる形においても「未知」なのだ、と。「今の心」で分かる心のあり方とは、結局「今の心」の中でイメージできる、「今の心」をちょっと変えたバリエーションに過ぎないですね。

ですので、成長できた自分どんな自己イメージを持って生きるようになるのかも、「今の心」からは「未知」だと言えますね。

また、「自己イメージ」はあくまでその時その時の心の状態において持つものですので、「自己イメージ」をどうこう変えることで「心の成長」はできない、とも言えます。あくまで「具体的な思考法行動法」に取り組み、「望み」に向かう人生の体験の中で、心が成長します。
「自己イメージ」をうまく操縦することで心が成長できるというようなことを言っている心理学カウンセリング世には沢山ありますので、それとは大分違う考え方になります。この点は結構重要ですね^^。

「依存」の中にある心は、「自立した心」をイメージすれば自立できるわけではない、ということです。「自立した心」イメージするのではなく、自ら幸福に向かうための、具体的な思考法行動法を学び、実践することです。その中で心は自ず「依存」から「自立」へと成長し、成長できた自分は、「依存」の中にいた自分からは「未知」のものであったことを、感じるでしょう^^。


 
Re: 自己イメージについて / green 引用
No.752 2013/12/24(Tue) 22:43:54

心が依存にあるときの自己イメージの持ち方と、心が自立したときの自己イメージの持ち方が異なることがわかりました。ありがとうございました。



仕事について / レース 引用
No.746 2013/12/19(Thu) 21:00:11

 就業の中で、昇進などでは業務量など多くなり、やりがいやまとめようとする責任も加わると感じます。仕事の中で、昇進など何を求めるかは自分自身が決めることであり、その方の生き方であるとも感じています。
 仕事では、昇進を目指すよりも、あまり負担の無い範囲で行い、帰宅後は島野さんの心理学などの自己学習の時間を持ちたい。仕事は、帰宅後の自分の時間が少なくなるため、できれば短時間であればもっと良いなと感じています。
 仕事は、必要な学びでもあります。また、生き方が変わってから職を変える方もいるということも分かります。

 島野さんは、昇進についての捉え方はどうだったのでしょうか。また、現在の考え方は。


 
「昇進」「出世」^^ / しまの 引用
No.748 2013/12/24(Tue) 10:06:42

会社人時代は、とにかく上に登りつめようという出世願望などはありませんでしたが、「自分が認められた証」として、そこそこの昇進を望む気持ちはありましたね。まあ管理職にならない程度、という感じで^^; で実際その程度には昇進した感じでした。
でもそれは心の充実や満足つながるものではなかったですね。結局、会社の仕事「自分が生み出す価値として一番重要なもの」なかったということです。

その後心の成長体験を経て執筆に向かうようになり、会社も辞めた次第です。にとって執筆が結局「自分が生み出す価値として一番重要なもの」であったわけです。

「昇進」すると仕事の内容も難しく、責任も大きくなり、その分給料も良くなるかも知れませんね。
でも実際「昇進」して意味がある、つまり人生の満足と充実につながるのは、その仕事での「生み出す価値」にいかに情熱を感じているか、そして共に働く人全員への愛情を感じることができるか、というのが要因になると思います。
そうであれば自然と昇進もするでしょうし、そうでないなら、必要に応じた程度の仕事をすればいいという話になりますね。それはもう
>自分自身が決めることであり、その方の生き方
という、その通りだと思います^^。

今の僕残りの人生、どのように有名なれようがなれまいが自分の心理学を書き尽くすことに充実と満足を感じていますので、「昇進」「出世」あまり関係ない、関心ないという感じです^^。


 
Re: 仕事について / レース 引用
No.749 2013/12/24(Tue) 20:09:08

 仕事を生きがいと感じている方の場合も、やりがいを持っていつまでも働いていたいと話を以前島野さんも書かれていました。

 仕事は、自分が生み出す価値ともなる場合もあるのだろと言えます。
それから、自分を作る部分もあると実感します。ただ、島野さんのようにもっと自分の時間が取れるのが理想です。

 本屋に寄ってみると、たくさんの心の持ち方など似たような書籍がたくさんあることを見ました。
 
「昇進」すると仕事の内容も難しく、責任も大きくなり、新たな自信にもなるとも考えられます。

 必要に応じた程度の仕事を、こなすこともひとつの捉え方とのこと。

 島野さんは、自分の心理学を書き尽くすことに充実と満足を感じていますとのことで、すばらしい時間であること。

 自分が生み出す価値、自分の心を変える取り組みについて考える時間が一番取り組みたいことです。

 島野さん、ありがとうございました。


 
Re: 仕事について 2 / レース 引用
No.750 2013/12/24(Tue) 20:30:50


 仕事の向き合い方は、他人との比較競争意識や、社会での評価といった「自意識」の惑いなど影響を考えながら、それらをただ自分にできることを精一杯に行っていくという考え方も含まれる。




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