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No.727 2013/12/06(Fri) 00:55:14
>ただ、上記引用で「否定価値」がどう働いているのかを言うならば、相手への否定感情が湧くことよりも、「自分が根本的に間違っているような気持ち」というのが、「否定価値」が直接働いている部分なんですね。また少し後の、内面では「どうせ自分なんて」という落胆と悲しみを感じます。という部分。それが、まさに「否定価値」が働いて、意識の表面に現れているもののように見えます。
これ、目からウロコでした^^;。自己処罰ですよね? 他人に嫌な感情をもっちゃいけないと自分に強いていたようです。でもそういう感情も自然なことなんだと理解できたことで、なんだか肩の荷が下りたというか、楽になりました。 同じようなシチュエーションが子供の頃ありました。私が姉に対して何か気に入らないことを言ったのだと思いますが、「そんなこと言っていると人に嫌われるよ」と言われました。内容は思い出せませんが、まぁ意地悪なことを言ったかもしれないとして、その時点ではそれを嫌っているのは姉であり、他人が本当はどう思うかはわからない、千人いれば千差万別の受け取り方があると今の私なら思います。もしかしたら、自分の都合のいいように動いてくれない妹に対する姉側の意地悪であった可能性すらあります。でも幼かった私にその言葉は何かの刻印のように感じられ、それ以降、何か言葉を発する時は他人の気持ちを逆なでしないか勘ぐり、合わせるようになっていたという記憶があります。それでも逆なでしてしまった時には、何か自分が悪いことをしたんだというお決まりの思考の流れでした。
>具体的場面の内容ありきの取り組み開始になりますので、差しさわりない表現範囲で詳しい場面状況など一つ一つ取り上げて頂ければ、それぞれについて具体的アドバイス返していけますので^^。
今回課題となっている場面・状況について書かせていただきます。 ある趣味を共通とする女子会のような集まりがあり、その日は7名程度が参加しました。 その中に初参加の方が2名程いたため、端から自己紹介をしようという流れになりました。 ところが、1人目の方が自己紹介をしているうち、発言者もしくは外野からの質問などで、どうしても自己紹介が頓挫してしまい、一人が終わるのに長い時間を要していました。どちらかといえば、既参加者の方からの新参加者への質問によって反れる事が多かったです。最初はそういった状況に対して可笑しさもあり、爆笑のムードでもあったわけですが、3人目の時に全くそういった流れが改善されなかったため、私は、「もういいんじゃない、話しているうちにお互いにわかってくるし」と笑いながら言いました。場は穏やかな笑いのムードであり、私の発した言葉はその雰囲気にも乗るような違和感のないものだったと自分では感じます。自己紹介をそこでストップさせようというような強い意図もなかったです。あまりにも頓挫するので、ついポロッと出てしまった…という感じでしょうか。名前と出身地程度の紹介は事前に全員終わっていたという背景もあります。すると、その会をどちらかといえば仕切っているタイプの一人の方から、「にーなさんは知っているからいいかもしれないけど、初参加の人がいるんだから、どうしてそう自分のことしか考えないのかな」と感情的な強い口調で言われました。それ以来、彼女のことが苦手となりました。 その後、しばらく疎遠になっていたのですが、ある日、パソコンの調子が悪いから教えてくれないかというメールが来たんです。それをきっかけにまた元の楽しい関係が戻ったように一瞬見えました。それでもその方との付き合いについては慎重になるべきだったのに、また自分を苦しめるようなことをしてしまいました。ちょうどメールをもらった同日にある有名歌手のライブチケットに当選し、チケットに余りがあったため、つい彼女を誘ってしまったんです。その日メールが来なければ誘わなかったと思います。その後、やはり別のことで彼女のことを嫌だなと思うことがたび重なり、手に入りにくいチケットだから、もっと自分が一緒にいて楽しい人を誘うこともできたのに、なぜあんな人を誘ってしまったのだろうと今は後悔しています。
ざっと、今回のストーリーになります。 せっかく楽しみにしていたライブが少し台無しぎみです。ちなみに2人きりで行くわけではないので、そんなには悩んでいません。チケット代は払ってもらうんだし、ライブはライブで楽しもうというのが今できる建設的思考行動法でしょうかね? 今はライブを最後にもう個人的には関わりたくないという気持ちです。どうして自分で自分の首を絞めることをするのだろうと自分のバカさ加減がほとほと嫌になります。島野さんが示してくださった「動揺根本消滅までの道」の途中のブレている状態に今はあり、過去の過ちに対する後悔よりも、今後、望みへ向き合っていく中でブレないものとなっていくと思っていてよいでしょうか? 相手に嫌悪感を抱きながら、少し関係が和らぐ雰囲気があるとまた近づくという不安定な行動を取ってしまう根底には、人と関われない時に感じる「空虚感」を恐れているからではないかと思います。これは、愛情要求症候の消極形でしょうか? 周りから誰も居なくなること覚悟で(実際には家族もいるし、そういうことは考えられませんが)、この空虚感を受け入れる以外無いと思われますか? |
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