しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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(No Subject) / コジマ 引用
No.561 2013/04/26(Fri) 17:49:17

こんにちは、私の友人で身長が低い事を悩んでいる男がいるのですが最近悩み方が尋常じゃないんです、理由を聞いてみたら自分の身長が低い事が理由で付き合ってた女性に振られてしまったみたいなんです、彼女いわくやっぱり身長が高い人じゃなきゃ一緒に歩いてて恥ずかしいらしいのです。(彼女の身長は157で友人は158)その事で友人は酷く落ちこんでしまい、自分は生きている価値が無いだとか男で身長が低い奴は恋愛出来ないだとか、とにかく物凄いコンプレックスになってしまったみたいなんです。彼は私にとって他とない大切な友人です、彼の悩みを少しでも軽くしてやりたい。彼にかけてやれる何か良い言葉は無いでしょうか・・・。突然申し訳ありません。


 
「問え。そして見極めよ」^^ / しまの 引用
No.562 2013/04/27(Sat) 14:32:03

これはまず、にあるアプローチとしてありがちなものとして、「そんなことないよ。こう感じるようにすればいいんだよ」という「なぐさめ枠はめ」(ハハ・・^^;)ではないものをお求め場合、というアドバイスになります。島野から言えるのは、ですね。

なおそうした「なぐさめ枠はめ」アプローチ事足りる場合もあり得ます。これはまずは相手思春期以前の幼少かつ問題の程度が比較的浅く本人の心の根も多少とも素直な場合です。(ならそんな相談出ないか。ハハ^^; いちおうアプローチ論として。)なら、そうした言い方の中で、建前奇麗事ではない、広い視野に立った「そんなことはないぞ。それはこれこれ・・」という知恵のあるアドバイスができたならば、効を奏する可能性十分にあると思います。
今回は、まずはそうではないと察する状況

ならば島野からのハイブリッド流だと、一言として言うと、こうなるわけです。
「問え。そして見極めよ。何が本当の問題なのか」。

まずは、本当にそう思ってるのか?ですね。背の低い男は存在価値がないと。
そしてこうも問うといいでしょう。お前にとって女性との愛とは、背の高い人じゃなきゃ一緒に歩いて恥ずかしいという女性(それってかなり浅い女性のような・・^^;)に気に入られるということだけなのか?、と。
何が本当の問題なのか。ここからはちょっと心理分析的になってきますので、話として好むかどうか人により違いが出てくるでしょう。とっつき易い視点としては、これこれの背が低い男をどう考えるか。たとえば漫画『ワンピース』に出てくる仲間たちの中の背の低いメンバー(僕は読んだことないので想像で言ってます^^)背の低さによって人間の魅力が全否定されるか?
多分違うでしょうと想像すると同時に、まあ僕自身の経験も含めて見えてくるのは、背の低いことそのものが問題というより、自分に自信がない男として女性に面することが、死にたくなるほど(^^;)メゲることなんですね。

まあこのアプローチ結論は、「本当の問題は別のところにある」というあたりになるのではと。
その先は、人生の生き方を、あるいは自分への自信を高めるためのアプローチを、根本的に学び直してみるのはどうか、といった話になるのかなと。で、ハイブリッド心理学の紹介するも良し。
多分一番効果てきめん克服役に立つのは、普遍的な仕事スキルと生み出す行動法で社会で生きる自信を高めることあたりになると思います。 そのための情報はこれ、とピンポイントに指すためにはもう少し事例集など整理しなくちゃですが、今後そちらに作業を進めていく予定部分
あとは、女性の側の断片的な好みにどう気にいられるかなんてことよりも、自分から愛する気持ちこそが、人間としての自分への自身の源になることを、ぜひ体得したい。

なお実際の伝え方としては、上記のような言葉直接言うのでも、あるいは「心理学のサイトに投稿したらこんな言葉が返ってきた」とかの言い方でも、しっくり行く方で行えばよろしいかと思います^^。



現実の受け止め方について / serori 引用
No.553 2013/03/17(Sun) 00:27:19

 こんにちは、seroriです。二度目の質問、失礼いたします。

 前回アドバイスをいただいてから、仕事において建設的な行動法を少しずつ学習し、取り入れていくことにより、おかげ様で、徐々にではありますが不安や罪悪感なく行動できるようになってきております。ありがとうございます。

 そこで、今回ご質問したいのが、行動法を実践する際、「現実をありのままに受け止める→考える(解釈する)→行動する」の一連の流れ、特に「受けとめる」「考える(解釈する)」のが遅くて、うまく行動できないことが多いことに気付きました。一言で言ってしまえば「頭の回転が遅い」ということなのだと思います。

例えば、

「ご飯を食べて行ってよ」と言われる→状況を考慮して「食べていくべきではないのでは?」と考えている(途中)→「どう?どう?」といった感じで急かされる(相手から新たなアクションが入る)→考えが追い着かず、適当に受け答えをしている

 そして、結果的に「適当な受け答え」が、後から考えると「ああ、あの時はこう言うべきではなかったのかな」「相手を不快にしてしまったかな」と後悔を伴ってしまうことが多々あります。

 こういった状況に陥った際は、

・後悔の感情をただ流す
・そういった状況の時、頭の回転が追い着かないことを認める
・次はどうしたらいいか、調査や読書により学習し、納得する

 というようにするのが理想的なのかな、と解釈しているのですが、これはハイブリッド心理学的には正しいでしょうか?
 行動法や解釈の仕方等について、もし、何かアドバイスがありましたらいただければ幸いです。


 
「今何を学ぶのか。そして今何を本当に感じているのか」の実践解説^^ / しまの 引用
No.555 2013/03/20(Wed) 16:32:27

質問頂いたような現実行動場面検討に際しては、まず「この場合の学びはどうなるか?」という問いから入るのがいいですね。「現実の受けとめ方」というテーマも、その中の一つになるかもしれないということで。

実践の進め方について、今回更新中の解説で、
まずは「問題の捉え方」から
最後、および
「心を病む傾向」からの抜け出しの第一歩
終わりの方
「どう感じればいいか」ではなく、「今何を学ぶのか。そして今何を本当に感じているのか」。

だと書いていますが、その詳しい具体例解説という感じになりそうなのを書いてみましたので参考頂ければ。


まず「学び」は、心の健康と成長に向かい得る行動この場合どんなものか。
最初のうちとにかく自分で考えて答えを出さねばという話ではなく参考例(今後掲載予定^^;の事例集など)を見るなり、こうして質問頂くなりで良いと思います^^。

で、場面としては「仕事」ではなく「交友行動」「親愛」というテーマになりますね。これが仕事関係で食事に誘われるという話になると、また適切な行動の考え方変わってきます。これはよろしいかと。

実践的には、3つほどの考慮ポイントが出てくる感じです。

1)「目的思考」
「食事に誘われた時の善い行動」なんていう道徳的思考ではなく、「目的思考」から始めるのが実践になります。
それで言うならば、まず大きな前提として、その人とのつき合い育てる(続ける)という目的の下で考えるか、それともカドを立てずにつき合いをやめる(^^;)という目的の下で考えるかで、話が変わってきます。
今回はまずは前者ということで良いかと。

2)「親愛」への価値観と行動法
まずはこれが「学び」メインテーマになってくると思います。「親愛」への価値観行動法ですね。
これについては今更新中の解説の、最初
ハイブリッド心理学のアプローチ
でも、
==================
重要なのは、人や社会に接する外面においては、気持ち感情の良し悪しおよびその行動表現の良し悪しによる「人物印象」によってではなく、「現実において生み出す」という結果の向上において自分の価値を高めるという行動法を培い、「気持ちを分かり合い認め合う」というものではなく「喜びと楽しみと向上を共有する」ことを人との親愛とする行動法に向かうことです。
==================
と書いた通り、ハイブリッド心理学が考える「心の健康と成長に向かうための行動法」基本主題になるものです。
ここでは「人との親愛とする行動法」の話になりますね。

まずこの違いが、自分の行動場面分かるかになります。
つまり「親愛行動」仕方姿勢には大きく2種類があるということです。「閉鎖型」「開放型」とも言える。
「閉鎖型」は、「友だちならこうだよね」と、暗に「間柄の約束」を持とうとするようなもの。「それで友だち?」とかの怒りにつながりやすい。
これはまず「分かり合い認め合う」という美徳のよう感じる中で取られる姿勢なのですが、心の健康と成長とは実は反対を向いている姿勢であることの理解重要になってきます。
「開放型」は、その場その場「喜び」「楽しみ」の共有があれば行動を共にするし、なければしない友だちだからと言って常にこう・・なんて考えは取らない。一緒に行動するのが楽しくて行動を共にしている結果がその間柄という捉え方

まずは、その「閉鎖型」が心の未熟と病みに向いたものであり、「開放型」心の健康と成長に向いたものであるという考えを、どう理解納得できるかになると思います。
理解納得としては、「閉鎖型」「束縛し合い」「閉鎖的で相互依存的な友人関係」など不健全なものつながりやすい一方、「開放型」多少ドライな割り切りの場面があったとしても、互いが別個の人格であることの受け入れや、心の自由が守られるといった理解できればいいと思います。その上で、心底から「喜び」「楽しみ」の共有として行動できるのであれば、そこに豊かな親愛がある、と。
まずこれについての理解納得を確認する。

そこでもし「そうは言っても・・」とか納得できない、たとえば「開放型など奇麗事で、実際はみんな閉鎖型」とか感じるような場合は、多少取り組みテーマ変化してきます。問題がちょっと根深くなってくるケースであり、もうちょっと詳しい心理状況確認必要になりそう。

3)実際の行動法の振り返り再検討
上記の納得理解踏まえて、今回の問題について振り返り再検討を行います。
ここでは、「結局自分は何を感じ、何を気にしたのか。それを含めて、どう行動できたか」という問いをするのが良いでしょう。

なおそこで「納得理解を踏まえて」というのは、無理に「開放型の行動にするためには・・」とかつなげて考えるということではなく、取り組みの確認作業としてまず行っておくということです。
スポーツ競技ストレッチ行っておくような話ですね。心をときほぐして問題感情を見えやすくするということです。あるいはそこで、「体のここが動かない」というのが分かるかも知れない。
さらに、納得理解が最終的に、「こう行動できた」という発想へと自然つながってきます。

今回の場合、何を感じ、何を気にしたのかですね。
分かりやすい話としては、例えばもう夜も遅かったから躊躇したという話であれば、ある程度今後はこんな基準で・・といったものを考えられるかも知れません。
あるいはもっと全般的な話として、その場で食事を共に、結局したくなかったということか。自分がどうしたいという気持ちそのものが何か麻痺するような感じだったのか。


とりあえずこんな進め方で、そこで上記「分かりやすい話」のように、はっきりした答えが見えてくるものもあれば、「全般的な話」のように、答えが見えてこない場合もある。そこで答えが見えてこないのが自分の現実だ、と受け入れるという話も出てきます。この場合は、もう「適当に成り行きに任せる」出せる答えであったりするでしょう。
はっきりした基準が見える問題であれば、次の行動につながるでしょうし、そうでない場合も、こうした向き合い次の心の変化を準備していくものになる、という流れになります。「こうであればこう」といった思考がはっきり出ないとしても、次の似た場面で、少し違う感じ方をしている自分見えたりする。そこから、また同じ作業繰り返していくわけです。

その積み重ねの中で、自分で「こんな自分で・・」と意識するのを越えた変化が、起きていくという流れになります。

「結局何を感じたのか」見えてきたもの内容によっては、さらにアドバイス可能なものもあるかも知れませんので、何かありそうなら書いて頂ければ^^。


 
Re: 現実の受け止め方について / serori 引用
No.558 2013/03/21(Thu) 15:21:24

アドバイス、ありがとうございます。

>「閉鎖型」と「開放型」
 私の場合は、「開放型」の方が楽しく生きられる方向に向かいやすい、という納得理解は得ているものの、「親愛を得たい相手に不快な思いをさせない(現実において害を発生させない)」ためには、相手の考え方が「閉鎖型」の傾向にある場合でも受け入れて、自分の行動を決めた方が良いこともある。と考えています。

 「結果として楽しくなる方向に向かわない(その相手と楽しみを共有できない)」のなら、身を引くのを基本としていますが、相手や状況に応じて「本音と建前」を使い分けることは、ままあります。
 実は、以前は「本音と建て前」を使うことにも少し罪悪感を感じていたのですが、ハイブリッド心理学を学び始めてから、それもなくなりました。現実において価値を生み出す、外面行動向けの便利なツールなのだから、好きに使えばいい、と。


>結局自分は何を感じ、何を気にしたのか
 今回は、「相手に対して何か言動をする」という場面全般において「頭がついていかない」と判断してしまったのですが、アドバイスをいただいて、それよりもまず、問題の切り分けから入る必要があるかな、ということに気付きました。

 まずは、自分の言動を振り返る際に「その場面で何を感じ、何を気にしたのか」が、はっきりと分かる単位まで、問題を切り分けて考えてみようと思います。


 
Re: 現実の受け止め方について / しまの 引用
No.560 2013/03/21(Thu) 16:29:20

>実は、以前は「本音と建て前」を使うことにも少し罪悪感を感じていたのですが、ハイブリッド心理学を学び始めてから、それもなくなりました。現実において価値を生み出す、外面行動向けの便利なツールなのだから、好きに使えばいい、と。

そうですね。意識して本音と建前を使い分ける分には、心の健康においては問題ないと思います。意識できないまま本心と異なる気持ちに自分を駆るようになると、心の健康に良くないという話。
あとは妥協線の引き方どううまくなるか^^;

>まずは、自分の言動を振り返る際に「その場面で何を感じ、何を気にしたのか」が、はっきりと分かる単位まで、問題を切り分けて考えてみようと思います。

そうですね。そうして切り分けた問題への自分なりの対処を考えて「この場合はこう」といった答えを出していくことの、積み重ねとして、最終的には「頭の回転が早い」ように見える姿にもなる、ということだと思います。
そうした積み重ねなくして、いきなりどんな場面でもすぐ対処できる「頭の回転の早さ」なんてものは、よほどの天才のようなあり得ない話になるかと。
芸人の話の面白さとかも、そうした「積み重ね」だと思いますね。まこれはどーでもいい話^^;(いや結構「話の面白い人になりたい」というテーマは頻繁ということで^^)



報告と挨拶として書かせてもらいます。 / けん 引用
No.556 2013/03/20(Wed) 19:03:41

こんにちは。
何カ月か前に書きこませてもらったものです。
この前言い足りなかったことを書いてみたいと思います。
自分のもののように使わせてもらって申し訳ないです。

少し進展がありました。

まず、おそらく自分は発達障害者です。
正式な診断ではないのですがセラピストに言われました。

その上で。

長らく僕は「親に対する、社会に対するサボタージュ」をしていました。
本格的にそういう行動に出たのは高校時代からだと思います。
つまり、「前向きな行動を一切とらない」「いいと思うことをあえてしない」というようなものです。
具体的に言うと「大学進学したくないのにする」や「一人暮らししたくないのにする」「自分の将来のためになると思うのにそれをやらない」ということです。

そういうことは徹底的に自分を痛めつけるようなことでした。
25才の今、精神的にボロボロです。

しかしこれまでそれをやめられませんでした。それしか自分のできることはなかった、というような気になってたんです。サボタージュというのは破壊活動らしいのでおそらくずっと家族や社会を破壊していたんでしょう。堕ちる快感のようなものにすがってやめられませんでした。
しかし、ようやく少し進展が見えて自分で就職の登録会に応募するまでになりました。
それも自分が思う自分にいいと思える方向の。
自分は進歩だと思います。まだまだですが。

そして。
島野さんのサイトか本のどこかに「どんなに深刻な状態にあっても、治癒の方向性はある」という一節があったと記憶していて、それが支えになっています。

質問というわけではないのですがどうしてもここに書きたくてきました。
よろしければ何かお言葉を頂けたらありがたいです。

島野さんに感謝していますし、またさらに学びたいと思っています。


 
自らによる成長と幸福への取り組み^^ / しまの 引用
No.559 2013/03/21(Thu) 16:02:29

>島野さんのサイトか本のどこかに「どんなに深刻な状態にあっても、治癒の方向性はある」という一節があったと記憶していて、それが支えになっています。

その言葉そのものではありませんが、以下などその主旨のものになると思います。
「絶望」とは、問題の深さを示すものではなく、「未知」という解決の「無知」を示すものにすぎないのです。
『実践編上巻』
3章 自己の受容・未知への選択  −憎しみと絶望からの脱出−
最後文章

まあハイブリッド心理学では心の問題を、「病気」が「治る」かどうかというようなものではなく、思考と感情一つ一つの、選択と結果の深いメカニズムにあるものとして取り組んで行きますので^^。
取り組み実践は、心を治すというより、生活と人生の一つ一つの行動場面を材料にして検討していきます。
これについては、
『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10へのレス
『「逆の姿勢で取り組み開始」^^』 しまの No.543 2013/02/13
など参考頂ければ^^。

具体的材料などあれば何でもご質問頂ければ^^。
自らによる成長、そして自らによる幸福への取り組みになりますね^^。



幼児期の子供の心の病です / NN 引用
No.554 2013/03/18(Mon) 20:10:57

島野先生
初めて書かせていただきます。私自身も2度欝になり、親も欝で困っております。そして、今4歳の子供の事で悩んでおります。ハイブリット人生心理学を見せていただいて、今我が子の状態が、よく分かりました。そして、じぶんの状態も当てはまっていてなっとくしました。母親である私が、子供の心の病の種をまいてしまったこと、いつも自分が怒っておちこんでいた、子供はじぶんのせいとおもっていた、今も人を避けたり、すぐ落ち込む、自分を殺して、他人に合わせています。内弁慶で、受身姿勢、歪んだ心、 
ホームページでよまあせていただいて、先生の、『学童期」における心の健康への取り組みこそが、その後の心の問題の克服に決定的な役割を持ち得ると考えています』という文に希望を持ったのですが、さしあたりどのように子供に対処していけばよいのでしょうか?希望はもてるのでしょうか? 私自身現在カウンセリングなどを受け自分を変えることに努めています。今、子供の心の病をどうにかしてやりたくおもいます。そして自分もどうしたら、かわれるのでしょうか?つたない文面で大変失礼いたしますが、」どうぞ、よろしくお願いいたします。


 
子供と一緒に成長する取り組み実践^^ / しまの 引用
No.557 2013/03/21(Thu) 14:21:54

ご自身子供さん心の健康と成長への取り組みについて、一番基本となるものなどアドバイスしますと、こんな感じかと。


まずご自身心の健康と成長への取り組みについては、
「心を良くすることに取り組むのではなく、生活と人生の具体的問題場面での思考法行動法に取り組む」。

これは下の方にある、
『はじめまして』 きてれつさん No.541 2013/02/10
へのレス
『「逆の姿勢で取り組み開始」^^』 しまの No.543 2013/02/13
ざっと読んで頂くと、読書法から具体的取り組み法までを書いてありますので参考頂けるかと思います。
自分の心に取り組むのではなく、心の外部にある問題に取り組むという基本的姿勢大切です。それが回り回って心を健康と成長に向かわせます。
ポイントは、そこで書いているように、「精神的ストレスに頼ることのない、行動学の知恵を用いた行動法を学ぶ」ことです。
まずは目の前の問題などで一番気になることなどから、具体的材料ベース取り組んでいくと良いかと思います。何かあれば書いて頂ければ具体的アドバイス可能ですので^^。


子供さん心の健康と成長への取り組みについては、まずはずばりこう言えます。
子供さんの心を評価したり、作り変えようとしたりするのを、まずやめて下さい。
評価したり作り変えようとしたりする代わりに、愛してあげて下さい。そのためには、今子供さんの心を心配するその気持ちだけで、十分です。
その上で、一緒に成長していくことです。

まずはそれを基本心得とし、にその「一緒に成長していく」ための取り組み法重要になってきますが、ここでもご自身心の健康と成長への取り組み同様心に取り組むのではなく、心の外部にある具体的問題への思考法行動法に取り組むという姿勢大切です。でないと、結局子供さんの心を評価し作り変えようとする姿勢に戻ってしまいます。それが何よりも、子供さんの心を萎縮させ、子供さんが心を病んでいくことにつながってしまいます。
そうなってしまいそうなのを踏ん張り、上記基本心得踏まえて、心に取り組むのではなく、心の外部にある具体的問題への思考法行動法に取り組む。この姿勢何度でも確認して下さい。

そこで子供さん一緒に成長していくために取り組む思考法行動法としては、何をおいても「頭ごなしの道徳思考」やめることです。
これが善いことだからこうしなさい、善い人になりなさい、という言い方やめる
その代わりに、こうするとこのように良くなる、これはこれこれのためにこうするという、「目的思考」による言葉に、変えていくことです。
「目的思考」今更新中の解説の以下など参考頂ければ。
思考の素地 「目的思考」

それが、
>ホームページでよませていただいて、先生の、『学童期」における心の健康への取り組みこそが、その後の心の問題の克服に決定的な役割を持ち得ると考えています』という文に希望を持ったのですが、
として読んで頂いたのはこれかと思いますが、
理論編上巻
2章 心が病むメカニズム−1  −「幼少期」の芽と「学童期」の発達−
==========================
 しかしハイブリッド心理学では、実はこの「学童期」における心の健康への取り組みこそが、その後の心の問題の克服に決定的な役割を持ち得ると考えています。
 一言で述べれば、確かに病んだ心の種は幼少期にまかれます。一方、学童期は、後の自らの心の問題への、自己克服力への種をまく時期なのです。


 事実、私自身がそうした条件の揃った、特異なケースであったように感じます。幼少期に植えつけられた病んだ心の種はかなり強力なものであった一方、学童期において、自らそれを克服する力への種を、同時に植え付けられたように感じます。
 それは一言でいえば、「科学の思考」「自己決断の重視」という思考であったと言えるでしょう。
==========================


この「目的思考」が、そこでの「科学の思考」にまずは相当します。

一方「自己決断の重視」については、そうした「目的思考」基本的な思考の習慣として培い育む中で、なるべく子供自身に考えさせる、そして選べるものの中から子供自身に選ばせるということが極めて大切です。選べるものはこの中からというのを、合理的な理由を言える形で用意するのは親の側の役目になりますね。

そうして、「頭ごなしの道徳思考」のない、「目的思考」環境の中で、「自分で決めていく」という習慣の中で、子供の心自然に成長します。
一方で、生育過程多少の病みの種を抱えるのは、もう現代社会では程度の差こそあれ誰でも起きることです。それを克服するは、もう親が関わり得ることではなく、成長後の子供が自ら取り組むもの考えるのが正しい姿勢です^^。

なお『実践編上巻』で取り上げた「A子さん」の事例は、子供への対応などが結構検討材料になっており参考になると思います。
2章および10〜12章に出てきます^^。



はじめまして。 / HI 引用
No.551 2013/03/08(Fri) 06:22:16

島野さん、初めまして。臨床心理士を目指して大学院に通っているHIと申します。

昨日、森田療法の本を読んでいて、ふと自分の中にある「葛藤」が解決されていないことに気づきました。何とはなしに「葛藤」とgoogle検索したところ、島野さんの葛藤についての解説ページに辿り着いて流し読みをしたのですが、私が好きなカレン・ホーナイのことに触れているばかりか、これまで自分が理解していたこと以上のことが纏められておりましたので、とても感動しました。

そういえば、森田療法とカレン・ホーナイは交流があったのだということを思い出し、何だか偶然の出会いがとても嬉しく感じました。

早速、島野さんのハイブリッド心理学の著作を手にとってみようと思います。


 
Re: はじめまして。 / しまの 引用
No.552 2013/03/08(Fri) 08:43:16

葛藤については、ハイブリッド心理学からはこう言えますね。一言心得として言うならば。
「葛藤は解決しようとするな。見極めよ。見極められた時、それは消えている」と。

著作の方は、一冊200円販売今日開始する予定ですのでよければご利用頂ければ。サイトアナウンスします。
ということで取り急ぎ^^。




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