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No.723 2013/12/05(Thu) 14:25:30
アドバイスありがとうございます。 あと、非常に申し訳ありません! 改めて読み返してみると内容が非常に混沌としていて、過去の問題と現在の問題をごちゃ混ぜにしているところが多く存在してます…
まずは、必要以上に過去の心境を絡めないよう気を付けながら設問について考えたものを挙げます。
2. >自分を含め、一緒に行動している人同士が互いに運動部の顧問のような目を向けている状態だったのを思い出すと、今でも気持ち悪さを感じます。社会人になってからも、プライベートで人と接するときにそういう環境が多く、かなりゲンナリしました。 そのような閉鎖束縛的ではない、オープンで自由な交友の和を、具体的にどう考えることができるか。 「自分を含め」となると、「人間不信」とはちょっと自分を棚に上げた話ではないかということになってくるかもですねぇ^^;
「自分を含め」ていたのは、学生の頃と、社会に出て間もない頃でした。むしろ今はそれに懲りて、仕事以外で人と関わることを忌避し「こんな歪みを正常だと考えてる連中など信用できるか!」と考えている状態、ですね。 むしろ、当時の自分と今の自分が会うことがあれば、説教してやりたいと思うぐらいです^^; 散々懲りた結果、「人と接するなかでは当たりくじを引けない。ならば必要のないところでは人と接するのは止めるか。必要なところでだけ人と接すればいい」と考え、一人でいることを楽しめるようになろうと方針転換を行いました。 当時の人間関係の中で「さっぱりした交友関係を作れそうな機会がなかなか見つからない!」という嘆きを感じた記憶はあります。 今思えば、何故若い頃に、今のように一人でいることを楽しめなかったのだろうか…と思うことならよくあります。 「オープンで自由な交友の和」については、出来ることならばそういう場所の方がいいですが、それに出会うのは天文学的確率だろうなあ、というのが今の本音です。 封建的な風習か、その集団の中での恋愛問題が拗れてワケの分からん面倒なもめごとに巻き込まれるか、そのどちらかは確実に存在するので、バカバカしく思えることばかりでした。
それがハイブリッドに逆行する考えだというのは拝見していても、「人と深く関わることはバカらしい」という感覚があるのが偽りのない現状のようです。
3. >「いつもギリギリに出勤してしまう。余裕をもって出勤しようとしても内面で強烈に拒絶してしまう」 >似たようなことで、同僚から「減量したいなら徒歩で通勤してみては?」と提案されたのですが、「こんなトラブルまみれの職場のために、何時間も移動時間を割くのは嫌だなあ…」という感覚が湧いて、適当にやり過ごすだけにとどめた、ということもありました。どうやら、登校拒否の中高生のような心境に陥ってる模様です。 これはもう書くまでもないですね。自分としてはどんな行動戦略を持つか。それがまるでなしですね^^;
返す言葉もありません。 ただ、全くいい策が見当たらず、何をどうすればいいか全くわからない、という感じではあります。 勤務地に早く到着できるよう、その場所で何か楽しいものを見つければ少しは変わるだろうか、というのを試してみたものの、最近は休みの日に勤務地に近寄ることすら嫌になってきたのを実感しています。もう、その場所自体が大嫌いになってきたというか。 たぶん、今の仕事で生み出す価値に共感できないところが強いからなんでしょうけど、店のPRというのは運や相手の意思によって結果が左右されることもあり、なかなか安定した業績を出しづらいところがあるため、きちんと価値を生み出せているという認識がしづらく、揺るぎない自信を得るのが難しいものだと改めて実感することが多いですね。 あとは売上とは関係のない対応(酔っ払いやチンピラ、構ってチャンなど、店を使う気ゼロな人々、あるいは店を使わせたら条例的な問題が生じる人々への対応)、観光案内紛いな対応など。 これでは店が期待してる価値など生み出せてないよなあ…という感覚にしかならず、徒労だけで日々を送ってるように思えてきます。 幸い最近は店内のパソコンを整備する作業もたまに指示されるため、そういう時間だけは安心して作業に集中でき、価値を生み出せているという実感を得られています。せいぜい、週に1時間かそこらしかありませんが…。 いずれにしても、ハードウェアの知識を使うような、工場のような場所での求人があれば、と思い探してる最中なので、それを見つけて就職できれば、というのが現状です。
4. >人を頼るのが苦手な傾向に気付きました。 >過去の職場でも、他の部署から急ぎの作業をいくつも振られた時、のんびりやってる他の先輩たちを尻目に一人で焦って錯乱する場面を何度も経験したのを記憶しています。急ぎの作業が増えたのでお願いしますと頼んでも、じゃあやっといて、の一言で済ませられてしまうこともしばしば。「なぜ自分だけ追いつめられてるんだろう」と精神的に疲弊し、仮病を使って数日欠勤したこともありました^^; 今考えてみると、人間不信がいろんな場面に悪影響を及ぼしてきたなあと。 これは具体的なコミュニケーション技術が課題ですね。言葉の使い方一つで事態が変わります。
これも、過去の職場での内容でした。そこも体育会系で儒教精神が重んじられる環境だったので、自己犠牲の強さが当たり前の現場でした。
まあ、今の職場でそういうことが起きることはほぼ無いですが、当時のそういう出来事のために、今も上司を頼れないのが問題になってるところはあります。 「目上の人間というものは、自分の仕事を増やすような報告を「言い訳」と一蹴し、気に入らないやつには懲罰や解雇という粛清を加えるものなのだ」という感覚がなかなか抜けないというところです。 先日書きこんだ内容のうち、態度の悪い警官に絡まれた件についても、解雇を恐れて一人で対応し、店ではなくて自分自身の個人情報をごっそり抜かれ、事後報告した後店長から「なぜそこで連絡してくれなかったのか」と宥めるように注意されたのですが、未だにそれを鵜呑みにしていいものかどうか疑わしいモンだと考えます。
やはり、改めて再考してみても、過去の出来事に懲りて今は人を遠ざけて過ごしたがっている、というのが、調和のとれた状態を目指す中では問題になるんだろうな…という感じになります。
また、今回、自分自身で意識していなかった問題が浮かび上がってきました。 ひとつは、特にプライベートで、人に何かを説明する際に意味不明な焦りを感じていることがたまにあり、そういう場面では纏まりが無くなる点。 仕事上では殆ど見られない傾向なので、今のところは助かってますが…。 とりあえず、焦りの解除については、具体例が書かれている場面以外では未だにコツが掴めていないところがあるので、どうにかコツをつかみたいところではあります。
あとは、極度の面倒くさがり、という問題点。 公私を問わず、物事にはメリットの数倍、あるいは数十倍のデメリットが必ず存在するという感覚が強く、それを考えると何を行うにも大きな面倒臭さを感じるようです。 問題が発生した時に真っ先に頭に浮かぶのが「めんどくせえ…」なので^^; 別のカウンセラーの方が説明されてたのを偶然見つけたのですが、面倒くささには「完璧主義」が背景にあるのではないかという記述があり、「そういう可能性もあるのかなあ」とは思います。これも充分に問い直してみる必要はあるかもしれません。 |
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