しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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怒りについて / こたろう 引用
No.1017 2015/01/01(Thu) 16:33:07

社会行動においては、
どんな場合でも怒りよりも良い行動法がある、
という事で二つのケースでお尋ねします。


これは親子関係(親から子に対しての接し方)においても当てはまるのでしょうか?


僕は、親に怒りを向けられたから不満を持っているというよりは、
同じ目線に立って、話を聞いてもらったり、時には対決する事も覚悟の上で、
「向き合って」ほしかったという感覚が大きくあります。


確かに頭ごなしに自分の考えを押し付けられ、全く聞く耳を持たない態度で
こられていたら、同じように大きな不満や憎しみをためていたでしょう。


しかし、問題をさらりと交わしたり、こっちが自分の意思をぶつけても、
まるでゴムに衝撃を吸収されるかのように取り合ってもらえず、
しばらくすると
何も問題は起こらなかったかのように、優しい態度でまた応対される。


真剣に話を聞いて、大人としての絶対に正しい意見というのではなく、
個人として「こう思う」という事をぶつけてほしかったと思うんです。
怒る事すらも面倒に思うほど、真剣に向き合う覚悟もないくせに、
お父さんは〜とかお母さんは〜とか言われても、そうはよびたくないという
根深い抵抗感があります。


いつでもかかってこい、というくらいの気構えでいてもらえたら、
反抗期を向かえる事も出来たのに。
信頼していないと反抗が出来ないというのに凄く共感できます。


これはヒステリックに自分が否定されたことに逆上するような怒りでは
ないですが、相手と対決し、対等に向き合っているからこその怒りが
あるのではないかと感じます。




次に、友人が危険を省みない行為を行う事に対して、です。

今回は、雪山登山でした。

島野さんも今年から雪山を始められたようで、ご存知だと思いますが
雪山登山には様々な危険がつきもので、道具類、知識、歩行技術など様々な
準備が必要です。

自分はもともと登山をしていて、雪山には登った事はないものの、
身近に登っている人がいたため、どれくらい危険であるかは肌で感じていた
つもりでした。


友人は今年はじめて山に登ったにも関わらず、いきなり赤岳(八ヶ岳)に
一人で登ると言い張っていました。
僕はもっと低い山で歩行技術などを学んでから、最終的に今シーズンの
最後に目指せばいいじゃないか、といいました。
また、登山用品店に一緒に行き、店員から冬の赤岳の難易度などを
彼に聞こえるように質問したりしていました。

しかし「いける気がするからいく。」と聞きません。

終電電車でアクセスし、前日に買ったピッケルを持って登りました。
すでに厳冬期の時期なのに、保温性の無い3シーズン用の靴に
軽アイゼンをつけて登りました。
バスがないので登山口までも歩き、計18時間くらいの行程でこれまた終電電車で
帰宅。
天候が良かった事もあり、凍傷も免れ、帰ってきました。


会ったらどういう態度をとればいいのか迷いました。
なにバカな事してるんだよと怒りたい気持ちと、その行程や状況について
聞きたいという気持ちが混在していました。
また、「一人では危険だし、人といる事が怖い自分は、雪山に挑戦したい気持ちが
どこかにありつつも、出来ないとくすぶっていたのに、ろくに勉強もせずに
すぐに雪山に登りやがって、ふざけるな」
「18時間も歩きとおせる体力は自分には絶対にない」
「せっかく近しい友人が共通の趣味をはじめたと思ったら、
自分ではついていけないレベルの登山にどんどんのめりこんで行って、
凄い人たちとしか山に行かなくなるんじゃないか」
など羨望の気持ちも混ざっていて、錯綜状態だったともいえます。


結局「なにやってんだよ・・・死んでたかもしれないんだぞ・・・」
と静かに不機嫌な態度をとる結果になりました。
「次は絶対ツアーか雪上訓練受けろよ」と何度も言いました。


その後、
上記の行程を越える無茶な行程を組みました。
また終電でアクセスし、今度はもっと歩行時間のかかる登山口から登ると
いうのです。

今回もつらつらと、そっち側は雪が多いからラッセル時間がかかるとか、
山荘のブログで、固い雪に新雪が積もって雪崩がおきやすくなっていると
書かれているとか、とめましたが、

「いや、いける」と聞きません。

最終的にイライラしてきて「もう知らないわ」と呆れて怒った風で
僕は背を向けて帰りました。
自分が登るわけでもないのに、コースの危険箇所などを調べている自分にも
イライラしてきていましたし、どうとめたらいいのかに一日中右往左往していて、
他の事に手がつかない事にイライラしていました。

その時買いたての雪山用登山靴を持っていたため、
それを一時的に奪ってしまう事も出来ました。


結局、強行的スケジュールで、夜間に尾根から滑落して、
遭難状態になりました。ほとんど寝ずに二日間行動し、幻覚を見たりも
しながら何とか自力下山しましたが、軽度の凍傷や打撲などの後遺症が残りました。


一歩間違えたら本当に死んでいました。


「嫌われたくない」という思いがもっと小さければ、
馬鹿な事するんじゃないともっと強く言えたと思います。
頬を引っぱたいても良かったんじゃないかと思います。



でも同時に、ほとんど唯一の友人ともいえる彼に依存しすぎている
面も大きく感じ、それは別途課題だとは思ったのですが。



どういっても理屈や論理では通じない時に、
怒りが心を動かす事もあるんじゃないかな?と思うケースでした。



今回は、友人という立場、また本人が心配をかけたいとかいう心理ではなく、
純粋に危険を認知していない、でも行きたい、というケースでした。

しかし例えば非行少年を息子に持った時に、同じように危険な事に
向かっていってしまう事もあるかもしれません。
そういう時、真剣に声を荒げて叱ってくれる、止めてくれる事を求める
心理がどこかにあるのではないでしょうか。


上記は自己保身のためのヒステリックな怒りではなく、
他人に対して自分の身を切って真剣に向き合う時の「怒り」だと思いますが、
こういったものも使わない方が良い結果につながるのでしょうか。


 
Re: 怒りについて / しまの 引用
No.1021 2015/01/13(Tue) 10:00:47

ちょっとどんなアドバイスにしようかと時間食いましたが、ごく結論のさわり(?^^;)だけ手短に。

>社会行動においては、どんな場合でも怒りよりも良い行動法がある、という事で二つのケースでお尋ねします。これは親子関係(親から子に対しての接し方)においても当てはまるのでしょうか?

もちろんそうですね。
親子関係であっても、何か具体的問題(たとえば家事の分担とか互いの生き方とか)があるのであれば、互いが別の人格であることを尊重し、行動学を駆使した建設的行動法お勧めになります。これは問題の内容いかんになります。
そうした具体的問題というよりも、親が自分にとって何か理想的なあり方でなかったことへの怒りといったことであれば、完璧な親などいないという不完全さとして受け入れ、「何もしない」のがより良い行動法だということになると思います。

>上記は自己保身のためのヒステリックな怒りではなく、他人に対して自分の身を切って真剣に向き合う時の「怒り」だと思いますが、こういったものも使わない方が良い結果につながるのでしょうか。

まずは「遭難しそうな行動を怒る」よりも、「どうすれば遭難しないかの知恵を伝える」のがより良い行動法だということになると思います。
それでも相手が聞かない時どうするか。
一般に、自分にとって大切な相手が、愚かな行動によって自らを滅ぼそうとしている時、それに対して「怒り」を表現して止めることは、意味のあることだと思います。まあ相手は知恵のある行動ができない結果がそれなので、知恵をアドバイスするというのが得てして功を奏さない、切羽詰った場面ということになると思いますので。

ただし相手の愚かな行動を怒りによってどう変えられるかは、もうあまり言えることはなくなってきますね。結局相手自身が、知恵のある行動を目指すのでないと。
建設的行動法が通じない相手を、怒りで変えようとしても限度があり、究極的には、相手がそんなことをしない一番確実なのはその相手をCENSOREDことなんてことにもなってくる。まあ実際殺人事件一部は、そうした思念の下に起きるのかも知れませんね。

ですのでやはりこれも、最後は相手の自己責任自己判断に任せ、それ以上「何もしない」という以外には答えがない場面があることも、受け入れるのが良いかと思います。

いずれにせよ、書いて頂いたような、結構特別な場面への検討だけでは最終的な答えは見出せず、対人関係全体そして人生全体への取り組みを通して、長い歳月を経て、心が落ち着く答えが、向こうからやってくる、という長い目持つのが良いかと思います^^。



仕事 / コト 引用
No.1013 2014/12/26(Fri) 19:45:41

 仕事とは、業務を取り組む場所であり、やることがたくさんあります。その時間の中で、淡々と業務をこなすだけではつまらなく疲れるから、不満の発言のりアクションや、ワイワイと楽しい話題をする方がいた方が良いと話される方もいます。
 たしかに雰囲気というものはあり、おもしろい話題があった方が、楽しいということは分かります。しかし、仕事をこなすことを優先させ、仕事量が多く時間を目一杯取り組みたいという姿勢があります。
 雰囲気の不満を言う方は、仕事が大変だから、楽しい雰囲気が必要なことや、楽しく仕事をしたいと考えているのかと思います。
 仕事は、仕事をするために集まった集団であり、友人関係とは違う。
 日々、集団内で個々が、対人の持ち方を考えていると思います。
 島野さんの、ご意見をお願いします。


 
仕事場における親しみ^^ / しまの 引用
No.1014 2014/12/29(Mon) 18:36:23

もちろん、仕事場仕事をすること第一の目的として集まる場であり友だちを作ることを第一の目的として集まる場ではありませんね。
ただもちろん、だからと言って仕事を通じて親しくなる相手ができる可能性に、背を向ける必要もないということになると思います。

まあそれが基本的な話として、ハイブリッド心理学から加えることのできる視点としては、以下2つになるかと。

仕事がつまらないからワイワイしたい(ということはそれは仕事とは関係ない話題)といった消極的、逃避的な親しみではなく、仕事を前向きに行う向上心や楽しみ、情熱を共有するという積極的、成長的な親しみに向かいたい。

・そうした積極的、成長的な親しみどう向かうことができるかは、仕事場に行ってからではなく、生活と人生の全体日々そうした積極的、成長的な親しみ向かうことへの取り組み重要になってくる。

まずは手短に、そんな視点になりますね^^。


 
Re: 状況 / コト 引用
No.1015 2014/12/30(Tue) 18:11:09

私も、同感です。
また、仕事を前向きに行う向上心や楽しみ、情熱を共有するという積極的、成長的な親しみは、すばらしいことです。
生活と人生の全体で日々そうした積極的、成長的な親しみに向かうことへの取り組みが重要になってくるということも、その通りと思います。
 ただ、このように考えていない方としては、違う対応をされていることが現実にはあります。

 個々人は、これまでの生き方・考え方で、状況や方法を見ることから、態度や対応の違いが出てしまうのだと感じます。それゆえ、ある意味、相手に対する苦痛を感じるのではなく、自分自身の方法はどうしていくかということなのかと思いました。

 島野さん、補足がありましたらお願いいたします。
 
 
 


 
「取り組み実践」^^ / しまの 引用
No.1018 2015/01/03(Sat) 14:59:18

>相手に対する苦痛を感じるのではなく、自分自身の方法はどうしていくかということなのかと思いました。

そうですね。まさに、自分自身としてはどんな姿勢どんな行動法で行くのかが課題となる。
そうした「積極的で成長的な親しみ」理想だとして、実際どうすればそれに向かうことができるのか。

そこにまさに、 ハイブリッド心理学「取り組み実践」始まる、というになります。
それは「積極的で成長的な親しみ」絵に描いた餅のように自分に押しつけるのではなく、

「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解する」という「感情と行動の分離」の基本姿勢と実践を携え、「望み」に向かって生きる。
というものを、生活と人生の具体的場面一つ一つについてじっくり検討するというのを、生涯にわたり行っていくもの、ということで^^。

そうした「取り組み実践」について、ごく大まかなこと『概説』で、より詳しく『取り組み実践詳説』説明し(無料電子書籍こちら^^)、また今後『メール相談事例集』でその具体的な様子など紹介していきますので、ぜひ参考にして頂ければ^^。


 
Re: 生活場面 / コト 引用
No.1019 2015/01/03(Sat) 16:37:07

 
 私自身、日々遭遇する生活の中で、考えていることが、

 まさに、相手はどうであれ、自分はどんな姿勢と行動法を選ぶのか。そして、「感情と行動の分離」の基本姿勢と実践を携え、「望み」に向かって生きることは、自分のためであるということ。そして、相手にとってはこの行動方が気に食わないと思っている方がいても、躊躇せずに貫くこと。

 生活と人生の具体的場面の一つ一つについて、じっくり検討するということが、
生涯にわたり行っていくものであることを気づかされました。

 島野さん、新たに前に進めます。ありがとうございました。

 



裁量 / コト 引用
No.1004 2014/12/03(Wed) 19:24:34

 職場で主導権を握っているような方がいて、異議を申し出る方がいません。上司というよりは、勤続が長いということと、行動力から、その方の独断で業務を割り振っています。私は、どちらかというと、その方の独断で決めることではないと、感じる方であります。
 大勢で決めると、まとまらないということがあると思いますが、その方の思い通りに事を運ぼうとして、それが通ってしまいがちで、事が終われば良いとの感じです。
 そして、その水面下の不満などからか、別のことで小言を言う方が多いです。
 小言を言っている方が多いことと、言われたことを淡々とこなす事が求められることを考えると、長年組織で働くという事は、大変なことであると感じました。
 そのことを不条理と感じる中でも、その波に乗り、こなすことで、自分の中の許容範囲も広がるのかとも感じます。
 ただ、自分の価値観は、持ったままにです。
 また、視点を移し、自分の業務との兼ね合いをつけながら、突発の業務に対応できるようにとの姿勢でいれば、滞ることはないと考えます。
 島野さんも、会社の経験では、いかがでしたでしょうか。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1005 2014/12/04(Thu) 18:24:43

仕事は、疲れるものであると思います。周りの人も、疲れたと発言することを聴きます。
 仕事は、大切なものですが、最近は忙しさから、あくせくとして、やりがいどころか、こなす事で疲労で、毎日を終えていると感じがしています。
 収入が足りないと、生活が大変になるなどや、なりたい職業を全うする姿の尊敬など、
長期的な視野で考えれば良いのかと感じます。
 


 
Re: 裁量 / しまの 引用
No.1007 2014/12/06(Sat) 16:52:26

>職場で主導権を握っているような方がいて、異議を申し出る方がいません。上司というよりは、勤続が長いということと、行動力から、その方の独断で業務を割り振っています。私は、どちらかというと、その方の独断で決めることではないと、感じる方であります。

集団での行動秩序統率保たれるためには、「リーダー」必要不可欠になると思います。
仕事場面で言えば、社長部長など明示的に任命されたリーダーや、その下で経験の長さなどから暗黙的にリーダー的になっている人などが出てきますね。

もちろんリーダーの言うことが全ての場面で常に最善とは限らないでしょうが、全ての場面「全員で話し合い」を始めると文字通り仕事にならなくなってしまいますので、まずはそうしたリーダー裁量に任されるということになると思います。
もちろんもしリーダーの言うことが本当に間違っている場合は、対処必要になりますね。また間違いばかりしか言わないリーダーであれば、自然リーダーを他の人に代えようという雰囲気が出てくると思います。

ということで、まずはリーダ−主導権を持つのは良し問題があれば具体的内容に応じ対処、ということになると思います。問題対処については一般論ではなく内容に応じた個別知恵とノウハウになると思いますので、ヒント欲しい内容があれば言って頂ければ^^。

>長期的な視野で考えれば良いのかと感じます。

そうですね。長期的な視野目の前の問題課題への対処の学びという、二頭立てが良いと思います^^。
長期的な視野については、
『生活』 コトさん No.997 2014/11/03
へのレス
『「仕事」への向かい方の3段階^^』 しまの No.998 2014/11/06
僕からの考えということで^^。
目の前の問題課題への対処については、これもやはり内容に応じた個別知恵とノウハウになると思いますので、ヒント欲しい内容があれば言って頂ければ^^。


 
Re: / コト 引用
No.1008 2014/12/06(Sat) 19:54:10

「もちろんもしリーダーの言うことが本当に間違っている場合は、対処が必要になりますね。また間違いばかりしか言わないリーダーであれば、自然とリーダーを他の人に代えようという雰囲気が出てくると思います。」との話が、印象的でした。

 そのような雰囲気になるかは、遠い話の気がいたしますが、しばらく自分のやることに専念して、静止していようと思います。

 ご意見、ありがとうございました。



学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / 引用
No.1003 2014/12/02(Tue) 01:33:02

 こんにちは。

 物理的変化として、混沌としていた自室があらかた片付きました。
 参考にしたのは、TVにも結構出演されていた近藤真理恵さんの著書などですが、よく言われている「物を大切にする」という言葉の意味合いを考え直すのにもずいぶん役に立ちました。少なくとも、自分の役には立たないような物を嫌々ながら収納に押し込んで持ち続けてる状態は、決して物を大切にはしていないのではないか、と。自分に必要な物や持ってて嬉しくなるような物など、残す物を厳選してそれを大切にするほうがよほど精神衛生上良くなることに気づきました。
 他には、余所のサイトで勧められていた精神世界系の著書を読んでみました。感情と行動の分離を理解する手助けになるとともに、先生の説明の中で「他の取り組みも本質は同じ」ということを仰られてましたが、それを実感するような記述もありました。その著書の内容に沿って考えると、私の場合は、思考や感情を自分そのものだと思い込んでそれを前提にあれこれ考えていたことも感情と行動の分離が捗らない理由の一つに挙げられるように思えました。

 最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。それに沿っていくと、何かの行動を起こす場合に他の人との関わりを増やす必要がある、という感覚はだいぶなくなってきており、その方が自分にとってしっくりきている実感があります。これまでの行動も考えてみれば一人での行動が起点になっていましたし、今は一人で楽しめるものを増やす、あるいは一人で行動できる範囲を広める時期なのかもしれない。と感じてます。たまに一人で遊びに行ったとき「この面白さを共有できる人がいれば尚良いかもしれない」と思うことはありますが、同じことに興味関心を持ってる人が周囲にいるならともかく、残念ながら今はそういう人が居なくなってるので、それなら無理をする必要もないか、という感じでいます。勿論、自分も周囲も興味関心が移り変わる可能性はあるので、その時はその時でまた考えるとして。

 大きな流れで考えている間に、大学以降自分の人生の進み方に芯が無くなったのを自覚しました。その原因を考えてみると、ここ数年は人間関係に懲りまくっているものの、在学中や社会に出て間もない頃は人との関わりを増やすことを考えすぎており、特に在学中は、人の輪に入る度に上手くやっていけないことを大学の勉強も将来の進路もそっちのけで悩み続けていた、というのを最近思い出しました。親類や学外の知人などから「勉強だけではダメだ」と言われたのをバカ正直に受け止めすぎたのもあり、だんだん勉強は悪いものなのだという感覚を持つようになっていったことも記憶しています。道徳思考の中でお金は汚いものだと言ってる人が巷には少なくないため、この辺は「学歴」や「勉強」を「お金」に置き換えると非常に考えが纏まりやすかったのですが、そういう周囲の道徳思考に流されて自分の進路について自分の頭で考えることを怖がっているところもあったかもしれません。「このまま勉強で進路を決めていったら周囲が敵だらけになる!」と思いつめていました。大学受験の直前に叔父や叔母から呼び出されて「受験したくないならしなくていいんよ?」と言われたり、在学中には「普通に生きなさい」と言われたりしたのをよく覚えているのも、そういう話の象徴だったように思えます。冷静に考えれて学内に目を向ければ、公務員だの国家資格だのを目指そうと真剣に目標を立てている人もかなり多かったし、敵しかいなくなるとは限らなかったにもかかわらず。
 そういうものを思い出しているうちに、自分には無いと思い込んでいた学歴に関するプライドは、ただ抑圧されていただけだということに気付きました。最初にご相談させて頂いた内容の通り、特に仕事中は気が短いことが多いですが、抑圧されていたプライドによって「何故この俺がこんなことで糊口を凌がなきゃならないんだ!?」という感覚も水面下に存在したことに気付きました。これに対する答えは上記のように既にハッキリ出ており、強烈に凹んだ感情を流すことになりました。その後、「確かに在学中は他人に流されすぎて、大学に行ったことが無駄になってしまった。ならば、もし自分が真剣に勉強したらどれだけのことができたんだろうか?」という疑問が湧いてきて、「それならば今試してみようか」という結論に至りました。
 参考書を調べてみると評判の良さそうなものがあったので、ためしに1冊買って読んでみると、意外にスラスラ読み進めることができました。あるいは、断片的な記憶はあったので、たまに懐かしさを感じたりしました。少し前までそういう行為や願望こそが偽物だと決めてかかってたのが嘘のようです。資格試験を目指すかどうかはさて置き、学生の頃に全然身につかなかったものを取り戻したい、少なくとも母校を出たのに見合う程度のことは吸収したいと感じています。まさに、十ウン年前の忘れ物を取りに行くような感じだな、と。

 とりあえず、勉強への推進力が付きそうなものが見つかったのは大きな前進のように思えます。反面、当分の間は仕事中に流す感情が増えそうですが。
 最近までの進み具合として、ご報告させていただきます。


 
Re: 学生時代に置き去りにしていた問題の発見 / しまの 引用
No.1006 2014/12/06(Sat) 16:48:28

具体的問題での前進があるようで、なによりです^^。

具体的問題での前進積み重ねの中で、心の基盤強くなり、それによって、「価値観」「人生の前進」といった大きく長いテーマについての考え方にも変化が起きてくる、ということになるかと。
そうした前進向き合い生涯続く、という見通しでまずは向かうとよろしいかと^^。

>最近は、何かを変えないといけないという目的不明な焦りではなく、もっと大きな流れから考えるように気を付けながら過ごしています。

これはどんな問題があって「何かを変えないと」と感じたのかをより明瞭化することで、ハイブリッド心理学からのアプローチも出てくるかも知れませんね^^。

長いテーマへの取り組みについては、進み具合について僕からコメントなどおよばないものになると思いますが、問題の状況に応じた歩みの道のり中長期的な視野などについては多少アドバイスできることもあるかと思いますので、質問などあればまた何でもお寄せ頂ければ^^。



生活 / コト 引用
No.997 2014/11/03(Mon) 12:00:14

 長年その職業を全うされ、定年を迎えた方が、その後何をするかは自由である時間を、特にやることがない、という方もいます。
 長年働き、その仕事で身につき、学んだことなどたくさんあり、尊敬いたします。
そして、自分と違う分野の職業を長年されていた方と話をした時、その方が何もすることがないというのは、もったいないなと感じました。そして、そのような方の話を聞きたいと思いますし、本を出版していれば読むこともできます。ただ、どの職業でも、たくさんの定年者がありますから、特別なことではないかもしれません。

 それから、働くということは、大変なこともあり、どのような仕事が良いのかと、立ち止まってしまうこともあります。

 また、自分の生活の中で、何をしていきたいのかは良い視点かと感じます。

 

 


 
「仕事」への向かい方の3段階^^ / しまの 引用
No.998 2014/11/06(Thu) 14:01:19

「仕事」への向かい方は、人生を通して以下3段階になる、というのが僕からの意見およびアドバイスになります^^。

第1段階「収入のため」 ・・・ 欲しい収入、必要な収入を得るために、とにかくできることから始める。僕の場合学生時代アルバイトからこれがスタート

第2段階「自己の能力探究」 ・・・ 自分この社会どこまで行けるかの、能力発揮の追及へと邁進する。僕の場合社会人時代がこれに該当しますね。行きたい会社その中での自分のポジションどう高められるかへと向かう。

第3段階「本当のやりがい」 ・・・ 文字通り、本当のやりがい向かうこととして仕事向かう僕の場合はこの執筆活動です^^。

細かい説明省き僕の場合の例説明としましたが、およそそうした大きな3段階があるというのは何となく分かるのではないかと思います。
そこで重要なのは、この3つの段階というのを順に積むことで、最後の第3段階「本当のやりがい」としての仕事の向かい方見えてくるだろう、ということですね。「本当のやりがい」という仕事の向かい方望ましいものであるのは誰にとってもそうだと思いますが、上記第1段階第2段階すっとばして、最初からそれを望んでも、「本当のやりがい」として仕事にしたいものの内容そのものが、見えてこないと思います。

人生を通して、上記の3段階があるという長期的見通しを持った上で、10年、20年かけて「本当のやりがい」にできる仕事を見つけていく、という向かい方良いと思います^^。

書くというのは、「本当のやりがい」として見出したもの他に例がなく、人に伝えることに意味があると感じた場合になると思います。「本当のやりがい」の段階にまで行ければを書くかどうかあまり大きな違いではなくなると思います。

ごく手短に、そんな意見およびアドバイスになりますということで^^。

参考:
『進路相談』 masaさん No.871 2014/05/01
トピックでのコメン
『「選択肢の正しい立て方」・「仕事」への入り方』 しまの No.877 2014/05/05


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.999 2014/11/06(Thu) 20:02:04

回答ありがとうございます。

 群馬の山の写真、紅葉きれいですね。雪で、寒さも感じました。

 「本当のやりがい」について、考えさせられました。

 定年後の方であれば、自分のやりたいことに専念するということかと感じました。

 「本当のやりがい」は、仕事だけに見いだすのではなく、仕事は生活のためとして、それ以外の自分の時間でやりがいに取り組まれている方も多いかと感じました。

 「本を書くというのは、人に伝えることに意味があると感じた場合」とのこと。

 また、自分の考えをまとめたり、深めたりする場合は、文章に書いてみることや、文献の参考を加えたりして、論文を書くこともあるかと思いました。

 働いていると、会社としての忙しさがあります。やりがいはありますが、あれもこれもと業務が増えていき、燃え尽き症候群ではないですが、この業務量で良いのだろうかと疑問に思えることもあります。ただ、忙しさは会社全体に言えることで、業務をこなすことで少しずつでも仕事がはかどり、自分の成長ともなると言えます。しかし、その流れに乗れないのであれば、悲観的になることもあるし、責任の軽い職に転職するなどがあるかと感じます。
 
 また、生活の為に仕事を変えられない方もいると思われます。それから、その仕事を全うすることを選ぶ方も多く、定年して仕事を時間していた時間が自由時間となり、何もやることが無いという方も、いらっさるのかということかと思われます。

 今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。
 この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。
 
 しまのさんは、考え執筆されることは、やりがいとのこと分かります。
 私は、毎日の目にしたことや、考えたことや感想は、いきがいの要素と言えます。

 例えば、今日は、なぜあの方は悪口を言いふらし、根回しをしているのだろう行動を目にした時、「あの方は、被害者だと思われたいことや、不安であるからなのだろう」など、感じました。そして、人の生き方を考えさせられたり、自分の生き方は〜すると答えにつながります。

 社会からいろいろなことを求められており、会社自体が忙しくなっていると感じます。

 忙しさに流されず、また業務をこなすことを基本に考えながら、悲観的から抜け出して、進んで生きたいと考えています。その中で、生きがいについても考えて行きたいです。

 再度、ご意見お願いいたします。
 
 

  


 
Re: 仕事 / しまの 引用
No.1000 2014/11/12(Wed) 14:47:38

次の3つのパターン人それぞれということになりますね^^。
 A)「本当のやりがい」として仕事に向かう
 B)仕事以外でやりがいのあることを持つ
 C)定年になり、やりたいことが見つからない

一番幸せなのはまあまあ避けたい、という感じかなと^^。

になるのは、上記コメントしたような3段階を経て、というのが僕の考えになりますという話。仕事については第1段階「収入」もしくは第2段階「能力探究」までの向かい方にとどまり第3段階「本当のやりがい」として向かうまでにはならなかったケースだというになりますね。
いずれにせよ、にならないよう、定年以前から自分のやりたいことを模索する姿勢重要だ、というになると思います。


>今日は、また新しい業務が増えて、行う業務が重なり、気分的に疲れました。この忙しさが重なったことや、新しい業務をやってみる今後の不安もあり、疲れることはあります。

この辺一過性で収まらず問題を感じるようであれば、具体的対処検討するのがいい話にもなり得ますね。知恵とノウハウというものが、かなり具体的問題内容ごとに出てきます。
何かヒントなど欲しいものが出たおりは、新規トピックなどで何でもご質問入れて頂ければ^^。


 
Re: 仕事 / コト 引用
No.1001 2014/11/12(Wed) 20:35:37

 「自分のやりたいことを模索する姿勢」と、考えさせられます。

 比較的のんびりしている職業もあると思われますが、社会で求められている情報量や貢献度などから、毎日必死に仕事をこなしている職場の多いと感じます。多忙の職場は、どんどんやることが流れ作業的というか、舞い込む気がいたしております。

 より良い向上、社会の仕事を考えることは、やりがいにもなることです。

 自分のやりたいことを模索するとは、業務の向上もありえると言えます。

 外的な出世や優雅な生活としてではなく、いろんな対人の中で、働くのであるから、対人場面からの自分自身の心身の向上に取り組むことが、自分のやりたいこととも言えます。
 しかし、これは誰もが毎日対人場面があるのだから、当たり前の喜怒哀楽であるからとなりますか。また、やりたいことの模索に対してのレベルは高くはないとなりますか。

 自分の内面から、向上させる取り組みが、生きること。そして、やりたいことそのものと感じます。


 
Re: 生活 / コト 引用
No.1002 2014/11/13(Thu) 20:24:51

 本日感じたこと。

 人は、毎日何かしら、いろんな場面があり学んでいると感じます。しかし、人はそんなには変わらない部分があり、毎日同じ会話場面を見ます。

 そして、自分は相手に流されずこういう自分でいようと考えたことを、日々しているとも考えます。そのことを、日々確信していきます。

 ですので、自分自身の向上とは、ありのままの自分であるとも考えると、やりたいことというのは、自分そのもの姿であると感じました。

  相手との違いを、当たり前に見れることでもあると言えます。 
  ありのままの自分でいて、相手からの不快にも、気にせずにいられること。

  このような中で、やりたいこととは、自分の心身の向上と考えると、仕事からのやり がいというのは、職場を通して自分の心身の向上の実践ということなのか。

  まだ、答えが出ません。




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