しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
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については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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アドバイスありがとう。 / ロバート 引用
No.512 2012/10/31(Wed) 15:51:41

アドバイスありがとうございました。何とか、やっていけそうな気がしてきました。

母と共に「ハイブリッド心理学入門偏」を読んで
とても学ぶ所が多かったです。
最近自分の心が前より、少しだけしっかりしている様な気がします。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート 引用
No.516 2012/11/12(Mon) 18:51:26

『悲しみの彼方への旅』届きました。ありがとうございます。
早速読んでいます。半分程読みましたが、自分と似ている心情が。
多い様に感じました。対人感情や。
鏡で自分の容姿を見ての、感情の移り変わり等は。
かなり近い様に思えます。自分はまだそこに、囚われています。

最近夢を見ている時。自分の心の変化を、感じる様に成りました。
この歳に成るまで。自分の夢はほぼ全て、人の目をひたすら気にして。
何とか非難されない様に、死に物狂いで振舞い続ける、と言う物でしたが。

「死に物狂いで」までは行かなく成り、「少し振舞っている」位に、
変わってきました。以前は夢を見ている時はいつも。
何かに胸を縛り付けられている様な、感覚が凄くて。
窒息しそうな感覚を夢で感じて、起きると「ぐったり疲れている」と言う感じでしたが。
かなり、軽くなりました。


 
Re: アドバイスありがとう。 / しまの 引用
No.517 2012/11/13(Tue) 07:47:47

報告ありがとうございます。が無事届いたようで安心しました^^。

>自分と似ている心情が。多い様に感じました。対人感情や。鏡で自分の容姿を見ての、感情の移り変わり等は。かなり近い様に思えます。自分はまだそこに、囚われています。

それらを「治そう」とするのではなく、「望みに向き合う」ことを人生を通して行う中でそれらが自ずと克服されていることなど、まず感じ取って頂ければと思います。今回の解説の通り、「ギャップを生きる」中でですね。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート 引用
No.518 2012/11/19(Mon) 15:57:47

*個人的状況内容によりご相談者の依頼により削除^^*

内容:対人行動場面についての相談ご質問。相手の怒りに出会った場合など。


 
「社会生活の向上」ワンポイント^^ / しまの 引用
No.519 2012/11/20(Tue) 09:43:55

これについては、「社会生活の向上」というテーマでの具体的検討材料にはなるかも知れませんね。相手なぜどのように怒ったのか。自分はそれをどのように捉え直すことが可能か。
自分の落ち度でなければ寝込むまでもないですね。一方、自分が聞きたかったことの内容については、正しい知識としてはどうなるのか。ここで質問して頂いても構いません。島野のカバー範囲であればアドバイス致します^^。

*個人的状況へのアドバイス部分一部削除^^*

こうした「言葉の使い方」が、社会行動対人行動結構重要なキーポイントになります^^。相手を怒らせたのも、多分言葉の使い方工夫が足りなかったからかも知れませんね。これも勉強です^^。


 
Re: アドバイスありがとう。 / ロバート 引用
No.520 2012/11/20(Tue) 11:44:42

ありがとうございます。
大変参考に成ります。
*以下個人的状況内容によりご相談者の依頼により削除^^*


 
「行動学」と「愛情要求」への取り組み / しまの 引用
No.521 2012/11/22(Thu) 11:21:16

これは思わずクックック笑える話ですね^^; いや失敬、ともかくそうした「質問の仕方」というのが一番、「社会行動」としては「素朴で無邪気な質問」「侮辱」受け取られてもめごとを起こす、典型的かつ定石的な問題としてありがちです。
それが「何かご存知でないでしょうか」となるともう完全相手への駄目出し言葉になってしまいますね。その一歩手前だったという状況^^;

まあ皆それで苦労するわけです。に言えばそれが「学び」であり、「人と接する時の、極度の緊張に対処するための」答え一つでもあるわけです。緊張がどうのこうのという前に、言葉の使い方学ぶそれで大丈夫となっていき、緊張ただ流しながら行動できるようになった先に、緊張自分でどうこう解消しようと躍起になるのとは別の形で、自然に消えていくようになります。これが答えです。

まあいずれにせよその相手にとってはそれが「弱点」であり、それを見事に一突きしてしまったわけですね。ハハハ^^; そうした、相手によって気にすることがらが何か感じ取り、それに触れない言葉の使い方をするといった、実にチマチマした細かい工夫の積み重ねが、「社会行動」の能力向上大きな一面です。緊張がどうのこうのなんてのはどうでもよろしい^^。(やや極論調^^;)
まともかく「社会行動」の能力向上というのは、そうした細かい話だということで^^。

下のホワイトホイップさんへのアドバイスでも似たような話をしていますが、
(『過食と精神的原因への対処』 しまの No.513 2012/11/03 の中の「カウンセリングの利用法」)
医者なりカウンセラーなり、自分が必要とする「効果」持ち得ないものであれば、とっとと早めに見限るのが賢明ですね^^。

>人の怒りにぶつけられると。問答無用で心の大ダメージを感じるので。出来るだけ。怒りに会わない様な、行動を心がけたいです。
>自分自身も、怒りを覚える事は結構有りまして。

については、以下2方向アプローチになると思います。

1)怒りを用いない行動法
怒りを用いない行動法習熟することが、まずは人の怒りにも出会わなくなる王道です。
これは「行動学」という、ハイブリッド心理学外面行動向け学び一大領域になります。

まずは今回の解説で、
「学び」とのギャップを生きる
の中の
「おさらいをしながら、流れを見ていきましょう。」以降に書いた、
着実な「目的思考」を対人行動と社会行動の基本的な「素材」にするという基礎となり、

さらに、詳細情報へのインデックス整備するのがまだこれからになるのですが、
『実践ガイド』 - V.実践の概要説明 - 3A 行動法
まとめたような学びがあるという話になってきます。これを20代30代を通して、実体験の中で習得していく。
まずこれに取り組むのがです。緊張をなしくたいというのはその後。というか、その頃には緊張なんてなくなっているかと^^。

2)自分の「愛情要求」への取り組み
人の怒りに出会うのが大ダメージになるのは、まず言って法外な愛情要求現実離れ(?^^;)した愛情要求があるせいです。この点については、「人の怒りに出会わないようにする」というより、「自分の法外な愛情要求に向き合う」答えです。
これについては、まずは
理論編上巻 4章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−1
での「愛情要求症候群」についての解説まど参考頂くと良いかと。まずは自分がいかに法外で現実離れした「愛情要求」を持っているか自己分析確認が、克服への入り口になると思います^^。

これもロバートさんの場合取り組み方向性全体観が出てきた感じですので、また質問などあれば新規トピック立てて何でもお寄せ頂ければ^^。



感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ 引用
No.507 2012/10/25(Thu) 23:52:07

こんばんは、「感情と行動を別にする」で検索しこちらのHPにたどり着きました。

私は39歳の女性で摂食障害(過食嘔吐)で18年になります。20代の頃心療内科や精神科にもかかりましたが、薬だけで一向に良くならず治療をあきらめていました。

去年からやっぱり自分と向き合う必要があると感じカウンセリングを受けはじめました。
カウンセリングでも気づきはありましたが、今年であったHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「まさにこれが答えなのか?」
とも思いました。

理想の自分と現実の自分のギャップが埋められず、理想の自分を作り上げ妄想の世界で生きて来ました。それに気づいたのも最近です。
たまに見え隠れする現実が怖くて妄想の世界へ逃げてきましたが、ここにいるできないことだらけの自分が自分なんだと知りました。
心のどこかでいつも誰かが何とかしてくれると思っていたので、どこかにすごい先生がいて魔法の薬を飲んだら治るんじゃないか?とも思っていました。

今は自分しかいないことはわかりました。モヤモヤ、イライラはすぐにリセットしたいし
答えが出なければ全部壊してしまいたい感じで、無意識に毎日過食嘔吐していました。
8、9月とわりと調子がよく、昔よりも大分太っていてスタイルも悪い自分は嫌だけど日々の生活をするべきことをこなすことができる。これなんだろう、これでいいんだよね?といいながらいましたが、10月に入り調子が悪いです。

調子が悪いときほど今どんなことを思っているのか自分を見てみるのですが、原因は多分11月1日にある健康診断かな?と思っています。
また去年より太っていてそれを見るのがすごく怖いです。

昨日仕事から帰ってきて思ったのですが、、「どんな嫌な感情やいまいち原因がわからなくてモヤモヤ、イライラしていても行動は自分が選ぶことが出来る。」このまま夕食の支度をして、食べて子どもの宿題を見て、風呂に入って寝ることもできるし、過食して何も感じないように見ないようにも出来る。どちらを選ぶかは自分なんだ、ここで「えいっ!」って夕食を作ってふんばれ〜!!とも思ったり、
「感情と行動を別にするって結局は感情を我慢すること???」と思い我慢なんて出来ないし続かない!と過食してしまいました。

過食する理由を探していたのだと今は思いますが。

「感情と行動の分離」とはどうしたらできるのか?また初級から一から読めばいいのですが、量も膨大で一体どの編から読んでいいのかわかりません。

アドバイスいただけたら幸いです。


 
ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」^^ / しまの 引用
No.508 2012/10/27(Sat) 10:40:42

ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」

まず、ハイブリッド心理学における「感情と行動の分離」は、感情を意のままに変えられる自己コントロール術を目指すものでもなければ、思い立った行動であれば何でも必ず実行できるような超人的意志力を目指すものでもありません。
そうではなく、
外面の行動法としては心の健康と成長に向かうことができるような行動法を学ぶ
内面に感情にについては心理メカニズム理論なども学びながら、ありのままに開放して深く理解する
という2面の向き合い方をするという実践です^^。

つまり感情と行動を別々に切り離すという話ではなく感情と行動にそれぞれ別の向き合い方をするというのが、ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」です。

そもそも外面の行動法として「心の健康と成長に向かう行動法」とは、内面感情もしっかりと配慮するものです。そこでどのように配慮していくかに、具体的学びが出てきます。そうした「学び」が、今までの、ただ感情に流された思考とは全く違うものになってくるという話です^^。


ハイブリッド心理学が目指すもの

それが目指すものは、総合的な心の健康と成長、そして人生の豊かさです。それは上記の2面の取り組みを続けることで、その2面のはざまから、私たちの「命」そのものが本来持っている心の自然治癒力と自然成長力開放される、という考えのものです。

その先に至るのは、「心」「魂」「命」というものを別々に感じ取ることができるようになる、「心と魂と命の開放」というものになる、という主旨心理学です。
それも瞑想トレーニングのような修行(^^;)の先に「悟り」として開くようなものとしてではなく、日々の日常生活と人生での具体的な思考法行動法や感情地道に取り組んでいくものです。


摂食障害へのアプローチ・読書法

ですので、摂食障害についてはあまり専門ではないのですが、やはり日常生活と人生の全般の面で、充実感が得られておらず、ストレスをうまく解消できるものがない場合に、「身を削るような空虚感」「食べること」に向かってしまうことが考えられますので、摂食障害そのものの治療以外に、日常生活と人生の全般で「生き方の向上」に取り組むことが、外堀を埋める形で根本治癒に向かうために役に立つと思います。

そんなものとしてご興味があれば、何から読めばということですが、「メール相談事例集」家族関係・恋愛関係・仕事関連・心の障害関連といった基本的悩みパターン分類した掲載今後予定しており、それを読んで頂くのが一番手早いと思いますがまだ作業が追いついておらず、まずはこの読者広場過去トピックなど眺めて頂くと多少参考になるものがあるかも知れません^^。
それらを参考に、何か具体的行動場面などでのご相談を書けそうであれば何でもお寄せ頂ければ^^。

じっくり学ぶ場合は、『入門編』やサイトの『ハイブリッド人生心理学とは』あたりをざっと一度読んでから、あとは1日に2、3ページ(製本での相当量で)を日々読んでいくといった、人生を通しての学びモードで読んでいくのがお勧めの読書法になります^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ 引用
No.509 2012/10/27(Sat) 21:42:34

早々の返信ありがとうございます。

過去トピックを見たり、『入門編』『ハイブリッド人生心理学とは』も呼ん少しづつでみようと思います。

しかしいつも子どもが寝てから本を読もうとかHP(カウンセリング関係)をじっくり見てみようと思いつつも過食になって結局出来なかった。となる日が多いです。

「出来ないのは過食のせいだ」と何か出来ないのはいつも過食のせいにして自分を守って来ました。過食を盾にしてその後ろに隠れてきた自分、過食に隠れた本当の苦しみや悩みを過食で隠して何も感じないようにして来たこともわかりました。

今まではどうして過食になるのかなんて理由もわからず、わかりたくない自分がいて回復の道のりを歩くことを自分で選んでいませんでした。

見たくない自分、醜く情けない自分を見るのが嫌で、自分の思い通りにならないことがあるとイライラ、モヤモヤを抱えていることができずに今は過食しているのだと思います。

前までは無意識になにも考えずに夜は過食嘔吐になっていました、今は過食するにしてもキッチンで「このイライラ、モヤモヤがあっても行動は自分で選べるよ、ここのふんばりなんだよ、ここなんだよ、ここで感情と行動の境界線を引くんだよ。」とワンクッション考えるひと時があります。

頭では色々とわかってきたこともあるので、あとは実践というか身体でわかるしかないのだろうと思うのですが。

また質問させてください。

@ そのワンクッションおいて考えるときにどのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?もう一押しのような気もするのですが・・・。

A それともう一つはカウンセリングでは「過食になる原因が必ずある」と言われます。  私自身今は過食が最初ではなく何かがあるからその次に過食があるとも思うのですが、その原因を考えてみてもた「多分これかな?」と心当たりがあるときと、考えても良くわからないけど何だか切なくて心がモヤモヤで重たい時も多いです。そんなときもとことん原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか?


是非アドバイスをお願いします。


 
摂食障害への具体的アプローチ^^ / しまの 引用
No.510 2012/10/29(Mon) 10:25:34

では具体的アプローチなどさらにじっくり練ると、こんな感じになりますね。

>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?

これについては、「自分に言い聞かせる」というより「知恵」を考えるのがお勧めですね。
「言い聞かせる」というのはどうしても「命令」「強制」というがあり、うまく行っても一時的なものになりがちのように感じます。ちょっと気分が緩む元に戻ってしまうものとして。「励まし」「慰め」も、やはり一時的なものになりがち。
まあこれらが全て無意味なわけではなく、気持ちとしてそれを求めている時には時に必要にもなるでしょう。それを時折混ぜるとしても、一貫した前進「知恵」によってがお勧めです。

過食であれば、実際のところどの程度食べても大丈夫か、どの程度以上食べるとマズイかを、しっかりと「数字」などで把握することが始めになると思います。時刻など。
またどうしても口に何か入れておきたくなってしまう場合に入れて良いもの工夫するという手もあると思います。先日TV『世界仰天ニュース』で、巨漢なかなか痩せられない女性が、偶然友人にもらった「よっちゃんイカ」にハマり、いつも何か口に入れているという行動はそのまま、口に入れるものがイカになった結果、噛む量に比べ胃に入る量も少なくカロリーも低いということで何十キロか痩せられたなんて話を見ました。

あとは、「食べること以外で気持ちが充実するもの」どう見つけるかですね。大きいのはこっちの方になると思います。
ちなみに島野の生活というのは、そういつも文章がすぐ浮んでキーボードを打つことができるわけではなく、文章練るために表面上は何も手につかない時間も結構あるので、そこでついビールを飲み始める(^^;)なんて生活パターンあり得るでしょうが、島野の場合はボロ家や庭の手入れやら洋服の寸法直しやら全部自分でやったり山登りトレーニングやらで結構ひっきりなしに動いている感じです^^。
無理に決めてやるのではなく、普段から「こうしたらいいな」というのをいろいろ考えていて、「これやりたい!」なったらやる気分乗らなければやらない、という結構暢気なやり方でです。結果、口に物を入れる時間あまりないという感じです。検討できそうか、ご参考まで^^。

>A原因はこれ!と言う物を追求した方がいいのでしょうか

上述の通り摂食障害専門ではなく、ハイブリッド心理学としての総合的な立場から、また僕自身の個人的知識からという話になりますが、まずは「話は別」考えていいと思います。つまり、「原因はこれ!」分かることで過食解消するようなものは多分ない^^;
特に原因がなくても、いつも食べてて太っている人もいるし、精神的原因があって過食になる場合も、過食克服その精神的原因克服ちょっと別の話になってくると思います。それが見つかったとして(まず考えられるのは前コメントのような「身を削る空虚感」)、まず考えられるのは、過食については上述のように単独に対処克服する一方、精神的原因についてはより長期の取り組みになるというものです。これについては、前コメントのように「総合的な心の健康」取り組む以外に王道はないと思います。

まずはこんなアプローチ全体感でどうかと^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ 引用
No.511 2012/10/30(Tue) 23:37:00

アドバイスありがとうございます。

>@どのように自分にいってあげたらよいのでしょうか?

頭の中ではいつも夕飯はワンプレートのお皿におかずを乗せてそれを食べてもっと食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食になってしまいました。それでもキッチンで色々と考えたり、メールをしたりしてましたが・・・
途中から過食モードになってきてお皿になくなっても次々と食べ始め結局「もう駄目だ、もう過食してしまえ」みたいな。
でも毎日が実践だと思うので明日からもやってみます。

「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・・と思い娘が生まれる前はちょっと興味があった「Webクリエイター講座」に毎週土曜一日通いましたが、課題も多く平日過食しながら夜遅くまで課題に取り組みましたが充実感はなく、本当に好きではなく「○○しなくてはいけない、何かしなくてはいけない」と思っていたのだと思います。

これからの人生でも見つけたら断然いいと思いますが、まだ見つかりません。見つからないことにもあせりを感じます。「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。
でも焦っても駄目ですね(^_^;)



去年の7月から毎月1回カウンセリングをスカイプで受けていました。先回から2ヶ月に1回受けています。
そのカウンセラーにあるHPに「感情はありのままで、日常の生活を淡々とこなす。どんな嫌な感情もあっていい、その感情をそっと脇において今やるべきことをこなしていく。」と書いてあるのを見て「これが答えかもしれないと思った。感情と行動を別にするにはどうしたら良いでしょうか?」とメールした所、「私の理論とは違うからわからない。治りたくて色々なHPや本を見るのはわかるが情報に振り回されて本末転倒なのではないですか?」と帰って来ました。
カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。

今まで本やHP読んだりしましたが、右耳から入って左耳から抜けていく感じで「これだ!」というものがありませんでした。去年からのカウンセリングもいまいち、このまま受けていて良いほうへ行くのだろうか??とも思っていましたが、そのHPの言葉に出会い、そこには「頭は妄想、身体は現実、身体でつかむもの」これなんだろう。と「納得というかこれしかないんじゃないか」と初めて思ったのです。

正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。

色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか?

何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。
HPにはこういう事が書かれていましたが・・・と言うと「じゃやってみればいいじゃん!」とか「今までカウンセリングしていて府に落ちるような感じはないの??」と言われ「・・・」だったり。

たびたびの質問ですみませんが、よろしくお願いします。


 
過食と精神的原因への対処 / しまの 引用
No.513 2012/11/03(Sat) 12:43:18

では引き続き前回指摘した、過食そのものとその精神的原因克服という2段階があるという前提で、アドバイスを加えましょう^^。


過食そのものの克服

・「食べてしまう」ことの防止策

>食べたいときは野菜サラダを食べようとおもいつつ・・・今日も途中から過食に

これについて最も即効的対処策一つは、過食になって困るような食材を家に持たないことです。まあこれは過食する食品の種類によって対処策できるものできないものがあります。
一番分かりやすいのは島野自身の例で、ポテチやおせんべいなどのスナックをつまみにビール飲むのが大好きなのですが、そうしたおつまみがあると必ずビール飲み始めてしまう(^^;)ので、スナック類の買い置きは基本しないようにしています^^; 「今日はビール飲むぞ!」決めた段階買う

これが適用可能なものか。とにかく、過食になって困る食材を手にするハードルを、物理的に高くするということです。「自分に言い聞かせる」という内面向けワンクッションを置くことに加え、外面でもワンクッション設けることですね。
ちなみに島野は今日は日本シリーズでも観戦しながら、数日振りビールを飲む予定です^^)/ (←ちょーどーでもいい話^^;;)


精神的原因の克服
まずは「ストレスや空虚感」過食してしまう感情的要因であろうとして、その克服です。

・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート

>「食べること以外で気持ちが充実するもの」これもずっと探してきました。何か夢中になる事をし始めれば・・(略)・・「Webクリエーター講座」に毎週土曜一日通いましたが・・(略)・・充実感はなく、本当に好きではなく・・(略)・・「やりたいこと、興味があることがないのか??」と。でも焦っても駄目ですね(^_^;)

それは「趣味」というより「職業」ですね^^; 「Webクリエーター講座」となると。まずストレスの素になるものです。職業というものは。良く悪くも。
今回のアドバイスのような「気持ちが充実するもの」として重要なのは、「純粋な楽しみ」という感情から動き始めることです。
それはもちろん「やりたいことがないの!?」と詰問されて慌てて見つけるようなもの(^^;)ではなく、生きていることで自然と出会うものです。
それをふさいでしまっているものがあるかも知れません。「自分一人で楽しむ」ことを罪悪感に感じるというものなど。
でもそうした「自分一人で感じることのできる純粋な楽しみを感じ取る心」が、心の健康と成長に向かう道を選ぶ、最後の根本的な足場になるんですね。幼い頃に感じた、何気ない風景感動を感じた気持ちや、庭の片隅の葉っぱで遊ぶことに夢中になった気持ちを、忘れていませんか。といった歌の文句のような話になりますが、まずそうした気持ちに耳をすませることからです。

・「自分を持つ」「自分の考えを持っていく」

>色々なHPを見てきて情報に振り回されたことも確かですが、その中から自分が「これかもしれない!?」と思ったことを行動しようとするのは今カウンセリングを受けている身では良くないことでしょうか?  何となくカウンセリングの先生以外の事をすると悪いような気がしているのです。

「空虚感」というのが過食の引き金になる典型的な感情要因なのですが、その遠因中の遠因が、この辺にあるかも知れませんね。
つまり「自分がない」という心の状態にあるかも知れません。というか、そうなる傾向が、その言葉に示されているように感じます。
今カウンセリングを受けいている身であれば、重要なのは、その先生の言うことにとにかく従うこと、ではなく、まずその先生の用いるアプローチ本当に自分の問題を解決するものであるのかどうかを、まず検討し判断することです。
この検討判断は、その先生の側で行うものではなく、受ける側で行うものです。もちろん先生は先生で判断している。それが本当に信頼できるものかについて、自分なりの判断下さねばならないということです。
これは病気になって治療を受ける時の必須の姿勢です。出あたりばったりに医者に任せるのではなく。医者を選ぶ必要がある。だから島野群馬で住んでいる今でも、歯医者だけは会社時代からの東京の医者に通っています。

こうした、日常生活でのさまざまな話題の節々に現れる、「自分がない」状態が、「心の空洞化」というものを生み出しており、「空虚感」生み出し「過食」つながる、という流れになっている可能性もあると思います。
過食そのものに対しては遠因中の遠因ですが、人生の生き方としては基本的重要テーマになりますね。まず日常生活「自分の考えを持つ」ことに地道取り組んでいく。
今回の解説原稿の中の「自分自身に対する論理的思考」などをまず参考下されば。

それによって、

>カウンセラーの先生の言うことは「あまり情報は取り入れなくていい」と言うのですが、私はそのHPに書いてある言葉にはっとして「きっと克服への道のりはこれなんだろう」と思ったのです。

も、自ず答え出てくる、というか出していかなければならない問題ですね。問題は何で、克服法は何。後戻りのないよう、しっかり「本当に確かだと思うこと」確認しながら積み上げていく思考法です。
そもそも「情報は取り入れなくていい」では思考するための文章として不完全です^^; 「どんな情報」と、もう少し5W1Hを加えないと。情報は「取捨選択するもの」です。


カウンセリングの利用法

>正直、カウンセリングもただ1時間特別な話と言うわけでもなく、13,000円も取られるので金銭的にも負担に思っています。3ヶ月に1回のカウンセリングは間が開きすぎといわれてこの間から2ヶ月に1回にしてもらいましたが、少し不信感も持ってしまっています。

これについてどう考えるかも、「自分の考えを持つ」という日常テーマ一つになってきますね。
島野の考えを言うならば、医療にせよカウンセリングにせよ、「効果」に対して妥当な支払いを考えるのがまずは順当だと思います。歯医者に行けば、虫歯が治るからお金を払います。マッサージを受けるならば、30分なり1時間なり時間かけてもらっただけの効果が、その都度あるから、その都度お金を払います。そうしたものが、そのカウンセリングにはあるかという話にはなりますね。
1時間13,000円と聞いて思わず「げー!」と口に出しましたが^^。

ちなみに島野は、心の成長の効果生み出すのは本人の「命」だという考えに立ち、相談対応無償主義にしております^^。


 
Re: 感情と行動の分離とは / ホワイトホイップ 引用
No.514 2012/11/07(Wed) 23:30:02

お返事ありがとうございます。

・「食べてしまう」ことの防止策
過食する食材は通常の夕飯以外には大体菓子パン、チョコ、スナック、アイス等があり菓子パンやチョコ食べると「あーもう駄目だー」という気分になるのでなるべく菓子パンとお徳用のチョコは買わないようにと思っているのですが仕事帰りにスーパーに寄って安売りをしているとついつい買ってしまいます。
特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得がなるかな?とか何かを欲しているかのように過食にならない日でもスーパーへ行って特売の野菜等を買ったりします。特に野菜を買う必要もないけど。いつも「もっともっとほしい」と不安なのかもしれません。
娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。

・「純粋な楽しみ」という感情からのスタート

小学2、3年生頃は絵や漫画を書くのが好きで家でも良く書いていました。

無意識ですが楽しむことに罪悪感を感じているのかもしれません。

私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。

どうしたら愛してくれるのか、母に今どう移っているのか?まわりの人たちにどう移っているのかが一番大事でした。自分がどうしたいのか?なんて考えたこともなかったです。
身体はあっても自分はいませんでした。

いつの間にか自分が感じることもわからなくなり、自分がどうしたいのか?さえ人に聞かないと不安でした。自分がどう思っているのか、どうしたいのかわからないし自分の決めたことに自信がなく怖いのです。これでいいのか?周りから見たら何か言われるのじゃないか?と
小さい頃、母が兄に「朝御飯なにがいい?」と聞き兄が「ご飯」と言うと私にも同じものを出すことが不満で「私はパンがいい!!」と言うと「わがままばかり言っているな!!」といつも私が言うことは「わがまま」と怒られました。いつからか自分がこうしたいと言うことは悪いことだと思ってきました。
自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか?

自分で摂食障害を治すしかない、自分でしか治せない、誰もなんともしてくれない。自分の足で一歩づつ歩くしかない。と思うようになりましたが本心はそんな事わかりたくなかったし過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。

まとまりのない長文お許しください。

NPO法人心ざわざわと言うHPに出会い「感情はありのまま、行動はあるべきよう」と書いてあり、どうしたら感情と行動の境界線をひけるのか?とネットサーフィンして島野さんのHPにたどり着きました。このように返信頂ける事、感謝しております。

「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。


 
取り組み課題と歩み方全体 / しまの 引用
No.515 2012/11/09(Fri) 16:51:11

取り組み課題おおかた出てきたようですので、考え方と歩み方の全体などざっと^^。

・論理的思考

>「自分自身に対する論理的思考」を参考にまた是非質問させてください。
それに取り組むことに関心を持つのは前進ですね^^。
「自分自身に対する論理的思考」は、「感情を無視して理屈で行動する」なんてものではなく感情を整理し、行動の前進につなげられる感情と、そうはできず自分の中だけで吸収消化すべき感情見分けていくといった、「自分を導く」ためのものであるのがハイブリッド心理学の取り組み実践です。

そのためには、「それは何がどういうことか」というのを、「自分にとって本当に確かなことの積み上げ」として考えていくことが大切です。「そんな気がしただけの間違い」は、はっきりと捨てていく。
例えば、
>特に食材が不足していなくても、いつも何かお買い得があるかな?
「過剰」につながるようであれば「得」ではないですね。まあ確かに「お買い得」ではあっても「無駄」になる。
>過食に逃げている方が楽なんだろうと思います。
過食に逃げても楽じゃないから相談しているという話^^; こうした思考からはっきり「本当に確かなこと」の積み上げ思考へ^^。

>娘のおやつとは別としてスーパーに行く曜日や菓子パン、お徳用チョコはなるべく控えてみようと思います。
それがいいですね。まあ「なるべく控える」ではなく、はっきり「買わない」の方がいいと思います。今日は何時にこれ食べる♪と決めた以外は。
あとは時にどうしても食べたくなりコンビニに走ってしまうのも良しとするので、まずはいいと思います。とにかくクッションを多くして、「食べる?やめる?」と考える敷居増やしていくことですね。そして今食べると決めた量だけ買う。それを長く続ける中で、大きな敷居境目自分の中できてくるかと。


・「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」

そのような「自分自身に対する論理的思考」によって、まずはそうした「日常生活と社会生活の向上」に取り組み、それを足場「愛」「自尊心(自分への自信)」「人生の生き方」といった大きなテーマについての、自分の考えを問いながら学んでいき、その先に、心の根底で働いている、「自分を不幸にする」大きな歯車取り去るというのが、
「学び」の流れチャート図
表現しているハイブリッド心理学取り組み実践の道のりになります。

一言でいえば、
>どうしたら愛してくれるのか、母に今どう映っているのか?まわりの人たちにどう映っているのかが一番大事でした。
といった、「愛され認められて自信を持つ」という受け身依存ベースのものから、「結果において生み出すという自尊心」「純粋な楽しみと喜びとしての愛」、そして「何がたしいか」ではなく「何がたしいか」による生き方という、人それぞれ別個の存在であることを受け入れる、心の自立ベースのものへ。
ただし「そう感じるようにしましょう」ではなく「ギャップを生きる」というものになるのが正解であるのは、今更新中の解説何度も言っている通りです。

>私の望むような愛情の形をくれなかった母を恨み、憎んで来ました。また親に感謝できない自分は価値のない駄目な人間だと思って来ました。
やはりこうした「精神的原因」掘り当たりますね^^。
「愛されなかった思い」は、『理論編下巻』最後「Y子さん」言葉のような「魂の感情」に、答えというか収まりどころがあるものになるかも知れません。そんなものもある知っておくといいでしょう。
終章 人生の答え−3 の最後の方「魂に魂が宿る」です。

一方、「愛がこうあるべき」という観念は、「自分を不幸にする」大きな歯車の1つです。これを捨てるのがになるかも知れない。「こうあるべき愛がなかった」ことが不幸の原因ではなく、「こうあるべき愛」という基準から現実を切り捨てることが不幸の原因なんですね。
『入門編下巻』「9章 愛への道」ではこんなこと書いています。(愛が向う道 「現実世界」 P.279)
=========================
 「愛がこうあるべき」という想念に駆られた中で、自分をその通りに愛せなかった他人は、「悪」に見えたでしょう。そして他人をその通りに愛せない自分が、「悪」に見えたでしょう。
 しかし「愛」をめぐる全ての「べき」から開放された時、この人の前に、全く別の視界が開けます。
 それは「悪」だったのではなく、「弱かった」のです。弱く、追い詰められ、自分のことで精一杯だったので、「愛がこうあるべき」と絵に描いた通りには、他人を愛せなかった。それだけです。
 それは自分のスタートラインでもあるのです。それらの過去の人々の姿とは、今の自分の姿でもあるのです。
 この全てを、受け入れるのです。
=========================


>自分が心から楽しいと思うこと・・・自分をよく見て耳を済ませたら昔のように聞こえてくるでしょうか?
こっちから耳をすませるのと、向こうからやってくるのとの、「出会い」です。耳をすませることですぐ聞こえてくるとは限らない。しかし常日頃耳をすませるようにもしないと、聞こえるべきもの聞こえてこないでしょう。


・道のり全体の歩み方

いずれにせよ、全て「自分自身に対する論理的思考」による「日常生活と社会生活の向上」の中で具体的に学び、自分に問う中で「気づき」さらに「出会い」もあるという歩み方になります。
ですので読書については「これとこれを全部読んで理解すれば分かる」なんて話ではなしに、料理のレシピ本と実際の実践という感じで、ざっと把握するのと日々の生活の中での実践という感じで、最初のアドバイスに書いたような人生を通しての学びモード歩み進めていって頂ければと思います。

レスが増えてきましたので、新規トピック立てて何でも相談頂ければと^^。



執着について / パーニャ 引用
No.498 2012/10/06(Sat) 21:23:32

はじめまして、3ヶ月程前に偶然こちらのホームページにたどり着き、ハイブリット心理学について一通り読ませていただきました。ブログも興味あるテーマ毎に読みました。情報量がすごくて、ちょっと難しい部分もあり、読んでいても目が滑ってしまって頭に入らないことも多いのですが…


執着についてお聞きしたいのです。

私は30代後半の女性です。
20代の頃、創作する仕事を目指していました。
けれどプロを目指す程の情熱も根気もなく、結局日々に流されて普通の会社員になりました。

同時期に趣味で活動していた人が、今では売れっ子プロとなり、様々なメディアによく名前や作品が取り上げられています。
そのたびに心臓を掴まれたような感覚に襲われ、どうしようもない無力感、焦燥感のようなものに支配されてしまいます。
もうすでに同じ土俵にすら立っていないのに、いつまでも執着してしまう自分が情けなくつらくてたまりません。

私が欲しかった以上のものをすべて手に入れている。
その人はそれこそ血の滲むような努力をして、それを手に入れたのだと思います。

やり尽くしていなかったから、自分の中で納得できずにいるのだろうか?とも思います。
けれど、たとえば10年前に戻れたとしても、やっぱり同じことで、夢に向かって死ぬ程の努力はしなかったと思うのです。
私はそうすることもできなかった。だから現状がある。
あの頃はそれなりに楽しかった。できなかったとしてもそれはそれでいいじゃないか、と認めて受け入れて、気持ちを切り替えて生きていきたいのです。

それなのに執着を止めることができません。
いつも人と比べて、成功している人が妬ましく、趣味で楽しくやればいいじゃない、と割り切ることもできず。
「感情をただ流し、行動は建設的に」と意識しても、そしてその通りに日々の生活をこなしていても、そのつらい感情は心の底に残っていて、ふとした弾みに表面に出てきます。

まとまりがなくてすみません。
このような心の状態で、ハイブリッド心理学のどの項目を優先して学べばよいでしょうか。
読んでいるとどの項目も繋がっていて重要に思えるのですが、とにかく量が多過ぎて途方に暮れてしまいます。

アドバイスいただければ幸いです。


 
「情熱」と「成功」 / しまの 引用
No.499 2012/10/06(Sat) 22:37:49

ちょうど手があいてましたので即答しましょう^^。即答向けのご相談でもあり。

ハイブリッド心理学を知って3か月とのことで、まずはどの項目について学ぶかというよりも、今の悩みについての「答え」がまずはどんなものになるのかを知るのが良いと思います。「最初の一歩」がどんなものになるのかからですね。

まず出てくる「答え」とは、「創作における成功」といったものであり、これはハイブリッド心理学ならでは話というより、「仕事での成功」についての一般的な学びの一つになりますね。

それで言えるのは、「社会的成功によって判断するものはそもそも創作ではない」といった話になると思います。

>いつも人と比べて、成功している人が妬ましく、趣味で楽しくやればいいじゃない、と割り切ることもできず。

これは今回の解説の中の「まずは「問題の捉え方」から」で取り上げた相談例で、「思考が、意味のないものになってしまっている」という言葉を書いていますが、これもそのように見えますね。
成功している人が妬ましいとは、趣味だけではとてもじゃないが楽しくやれないということではないかと^^; 本当に趣味で楽しくやれているものは、成功している人をあまり妬ましく感じない

ですからまず問わなければならないのは、その創作の内容そのものに情熱と好奇心を持っているというより、その創作で社会で成功しているという結果イメージに、とにかく自分が惹かれているのではないか、と自分に向き合うことだと思います。

でもしそうであるのならば、そんな自分叱責したところで何にもならない。とにかく、自分がその創作の内容そのものに情熱と好奇心を持っているのか、それともそれはそこそことして、とにかく成功した人間になりたいということなのか、自分の気持ちをしっかりと見据えることですね。
その結果いかんです。それによってまた進む先検討のための切り込む角度違ってきますので^^。

ま言えるのは、「情熱よりも成功」という気持ちで成功する人は、実際はいないのではということですね。それが見えるのであれば、出直しの方向性も見えてくると思います。それこそ本当に趣味でも続けるか、本心から価値と情熱を感じることができる、別のものを探すことに向かうか。

今回書いて頂いた内容については、こうした話だけになりますが、さらに幅広く、対人行動仕事の進め方などで具体的な学びを得ていく中で、「心の成長」「心の豊かさ」といったテーマ目標に感じるようになった時が、ハイブリッド心理学のアプローチどう学ぶかを検討する時になると思います。
具体的な学びについてはまだ掲載が追いついてないので、質問あれば何でもお寄せ頂ければ^^。


 
ありがとうございます / パーニャ 引用
No.500 2012/10/07(Sun) 07:38:10

レスありがとうございます。
即答いただけると思っていなかったので感謝です。


>趣味だけではとてもじゃないが楽しくやれないということではないかと

そうなんですね…。だからいくら自分にそう言い聞かせてもだめなんですね。

>その創作で社会で成功しているという結果イメージに、とにかく自分が惹かれているのではないか、と自分に向き合うことだと思います。

その通りです。
創作を始めたばかりの頃は、確かに純粋に喜びを感じていました。
それがいつの間にか
・人から評価、賞賛されたい
・お金を稼げなければ意味がない
等々、そっちにばかり意識がいくようになっていました。

島野さんが仰っているように、「とにかく成功した人間になりたい」という思いが強いのだと感じます。
私が執着している人は、わかりやすい成功イメージの象徴なのかもしれません。

そして、創作そのものに情熱と好奇心を持っているのか…NOです。
確かに好きなことなのですが、しなければしないでどうにでもなってしまうし、たまにちょろっとやってみて満足、今はそんな程度なのです。

それが現実なのに、なぜ苦しいのか。
今はこの執着に捉われていて、他のものに気持ちが向かない状態です。
他のものに意識を向けようとしても、自分をごまかしている、嘘をついているような気持ちになってしまうのです。
書いていて恥ずかしいです。

「私は成功した人間になりたいのだ」と認識することが最初の一歩でいいのでしょうか。


 
追記 / しまの 引用
No.501 2012/10/07(Sun) 10:24:30

>そして、創作そのものに情熱と好奇心を持っているのか…NOです。

じゃー駄目だ^^、というかなり単純あっさりした話になりますね^^; まずは内容そのものにどれだけの情熱と好奇心があるかが、がその活動どれだけ本当に前進させられるか基本になりますね。
まあそれがどのように成功につながるかへの期待という「下心」(?^^;)については、誰でもブレがあるもので、仕方ないものです。「現実」荒波にもまれて、そうした邪念叩き落されるしかない。痛い目も経て。
それがあまりに順調に成功していると、結構人間ろくなことがないです。沢山の落ちぶれた芸能人の例が示す通り。

と無駄な話も添えましたが、社会にはそうした「成功法則」というのがありますので、知っていくのがいいですね。これはハイブリッド心理学専門ではありませんが、間違いのないキモの部分僕自身社会人経験も踏まえて押さえているつもりですので、必要に応じアドバイス可能です。

だからと言って、気持ちをそれに合わそうとするのは誤りです。

>「私は成功した人間になりたいのだ」と認識することが最初の一歩でいいのでしょうか。

Yesです。さらに思いっきり、自分でも呆れるほどに、成功できた先の「幸福」を妄想してみるといいでしょう。どっかで「これは違う」というものに気づく頭でではなく体でというような形でです。
これも結局は、「成功法則を知る」なりの「現実を見る目」を持った上で、内面を開放することによって起きる「気づき」の成長変化ですね。

「気持ちをおさめる」というのは誤りです。外面の知恵を知り、内面感情は手綱を切って、なるようにならせることです。
これが「感情と行動の分離」であり、「学びとのギャップを生きる」ということです。
そこに「命」が働いて、「心」変化が起きます。結果、自分がどこに向かうのかは、その変化の行き先まず委ねるしかない。

そうした外面と内面を両方合わせ持った視線で向かうことができるようになると、なお良しですね。
これは『入門編下巻』から関連するところなど引用(ベタのテキスト)しておきます^^。
いまさらながら、「目次」にこうしたパラグラフ・タイトルのレベルでの詳細を載せておけば良かった・・と今思いついた感じ^^; まずサイトで提供するようにしようっと♪

なお、こんな感じでいろいろ話は出るでしょうが、まずは「日常生活と社会生活の向上」最初取り組みの柱になりますね。これは誰の場合も同じです。

===================
「魂の感情」を軸にした人生の設計(P.211)

・・(略)・・

 「価値とは何か」について思考し、話すための、一大探究領域が、私たちの社会にはあります。「価値言葉」を使って、ものごとを思考し、人と会話をする練習をしてみて下さい。
 あの人はどうだ、この人はどうだ、という言葉の使い方をするのではなく、ここで生み出される価値とはこれこれです、これこれの価値を生み出すためにはこうすると良い、といった言葉の使い方をします。

 仕事、趣味、家庭と日常生活、その全ての場面にそれがあります。
 仕事であれば、「品質」や「効率」の向上、「お客様の満足」の向上、そのためのさまざまな工夫。「コンプライアンス(法遵守)」なんていう言葉がCMでも流れる時代です。覚えると良い言葉が沢山あります。
 自分で手足を動かして行う趣味を持つのが、やはりお勧めになります。楽しく過ごせる時間が人生でグンと増えてくるからです。そこには「向上」のための「知識」と「技術」が沢山あります。人との交流の機会も増えます。
 10代の頃に夢見たことを、ぜひ一度思い出して下さい。自分には手が届かないとその頃に思った世界が、行動できる範囲の近くにあることに気づくかも知れません。それを趣味に、さらに趣味を超えた充実した人生の活動に、できるかも知れません。私にとって社会人になって本格的に始めたスキーが、例えばそうしたものとしてありました。
 日常生活でも同様です。「生み出す価値」を追求することが、自分自身の、そして人への接し方の、豊かさを増していきます。掃除や片付け、インテリヤのアレンジ、健康と、大きな病気への予防と対処、などなど。

 そのような「現実において生み出す価値」を探究し続けることを、まずは「人生」と位置づけることです。そのための思考法と行動法への習熟を、生涯続けることです。
 事実、社会で成功した人、豊かな人生を獲得した人とは、それを行った人達です。

 この姿勢が、人物の区別をあまり問わない「魂」の、広い意味での「愛」の感情によく馴染むのです。
 これは特に、来歴において自らの「存在の善悪と身分」に傷を負ったような挫折感情がある場合に、その克服のために決定的に重要になります。
 この姿勢は必ず、人からの信頼を得ることができます。それがやがて、心の傷を凌駕するのです。
===================


 
Re: / パーニャ 引用
No.504 2012/10/07(Sun) 20:59:18

>じゃー駄目だ^^、というかなり単純あっさりした話になりますね^^;

そうですよね…。
情熱と好奇心からの発露という出発点ですらないのに、何を(成功した)結果ばかりを欲しがっているのでしょうか。
ただ、そのことがわかっているのにそれでも執着してしまうのが愚かしく苦しくて、相談させていただいたのです。
今のままの心で何度も考えてしまうのがいけないのでしょうか。


>さらに思いっきり、自分でも呆れるほどに、成功できた先の「幸福」を妄想してみるといいでしょう。

成功できた先の「幸福」をイメージしてみてもうまく繋がりません。どこか違和感があります。
どこかで「自分はそれに値しない人間だ、だって努力してないんだから」という風に思っているみたいです。
かといって、じゃあ何が妄想できるかというと、今は色々な方面での「幸福」が浮かびません。

執着し、それに心を捉われ続けて、日常生活も社会生活もおろそかになっていた気がします。
「私はとにかく成功した人間になりたかったのだ」と認識したうえで、現実の生活を向上させていくこと、
まずはそこからのスタートでいいのでしょうか。というか、今はそれしかない気がします。

ありがとうございます。


 
追記2:感情と行動の分離 / しまの 引用
No.506 2012/10/12(Fri) 11:30:11

>執着し、それに心を捉われ続けて、日常生活も社会生活もおろそかになっていた気がします。「私はとにかく成功した人間になりたかったのだ」と認識したうえで、現実の生活を向上させていくこと、まずはそこからのスタートでいいのでしょうか。というか、今はそれしかない気がします。

そうですね。現実日常生活と社会生活の成功には答えがありますので、自分がどんな成功に執着しているかには関わりなく、その答えまず学んでいくのがいい。それもなるべく鋭い答えをです。精神論の類ではなく。具体的質問あればなんでも^^。
そうした「鋭い答え」より豊富懐に持つごとに、「現実世界」での「成功」どうあり得るかについての認識感覚、そして自分がどんな成功に執着しているかといった内面衝動、それらの全体変化していきます。
それ抜きに、あまり自分の内面を反省(?^^;)してもちょっと無駄です。この辺など。

>今のままの心で何度も考えてしまうのがいけないのでしょうか。

外面の行動法についての「学び」の一方で、内面感情無理に押さえたり変になだめて収めるのではなく、最後まで、ありのままに、思いっきり開放しながら、それがどう自分の本性において収まり得るのかを追求する。自分自身心理メカニズム学び補助にして。

そうした、外面内面それぞれ別の取り組みをするのが、ハイブリッド心理学「感情と思考の分離」の姿勢に立った取り組み実践になります^^。



(No Subject) / ゆうすけ 引用
No.502 2012/10/07(Sun) 15:43:12

「成長を望む自分」と「親への罪悪感」とどう向き合えばいいでしょうか?


 
というより / ゆうすけ 引用
No.503 2012/10/07(Sun) 16:25:03

日々の生活がままならない事の方が問題でした。


 
「罪悪感」へのアプローチ / しまの 引用
No.505 2012/10/12(Fri) 10:16:13

いま「学びの一覧表」「4.悪感情の克服」の中に、「罪悪感」項目加筆しましたので参照あれ^^。

問題一つ一つバラバラに分けて取り組むのが基本になりますね^^。
「日常生活の向上」については、問題課題かなり具体的になってくると思いますので、精神論ではない知恵とノウハウからのずばりの答え求めていって頂ければ。

具体的質問あれば何でもどーぞ^^。



一方的な暴力について / ゆうすけ 引用
No.492 2012/09/28(Fri) 08:12:55

避けられる争いは極力避けるという考えですが、もしも相手からの暴力に出くわした時の対処方が知りたいです。

私は小さい頃から「人を殴ってはいけない」と教えられて来たし、人を殴ったりした事は一度もありません。しかし、一方的な暴力を振るわれた時に「暴力だけはダメだと心に思って」一方的にやられた事があります。

その後、自分はなんて無力で、暴力に対する抵抗が全く出来なかった事にすごく、落ち込んだし、ただ怖れる事しかできない自分に無力感を感じました。

これは、万が一いざとなったら、自分を守るめに「相手を殴る事」も自分に許すのか、それとも、全く別の考え方の問題があるんでしょうか?


 
5W1Hで「人生を生きる論理的思考」を^^ / しまの 引用
No.493 2012/09/29(Sat) 06:51:37

これはまずは、なぜそんな状況に陥ったのか、また今後陥ると想像しているのか自体の方が、取り組み課題になるように見えますね。
「学びの一覧表」ですと、「3.日常生活と社会生活の向上」という柱テーマの中に入ると思いますが、「建設」のための沢山学びではなく、「破壊」のための行動法を取り上げている状況。まそれについて「学び」あるでしょう。

いずれにせよ、

>私は小さい頃から「人を殴ってはいけない」と教えられて来たし、

これは『入門編上巻』「5W1Hを欠いた情緒道徳思考」として解説しているものになると思います(P.105)「目的思考を欠いた善悪思考」『思考の素地 「目的思考」』)でもある。
しっかりと5W1Hで詳しく状況場面を把握し、そこにおいて何を目的にするかを明確に意識する「目的思考」が、「人生を生きるための論理的思考」『自分自身に対する論理的思考』)になります。

ま察するに、

>しかし、一方的な暴力を振るわれた時に「暴力だけはダメだと心に思って」一方的にやられた事があります。

これは学生の頃(今もかな?)での、未熟な年頃に起きたことではないかと。
社会での心の健康な人間集団は、まず学生社会とはとりあえず別の心の世界になります。一言でいって、そう滅多一方的な暴力というのはない^^; というか起きた時かなり異常事態として、警察なり何か相談窓口なり、また特別な対処法も出てくるものになります。
いかにそうした、学生時代的心の世界から意識を切り換える視野を持てるかという課題もあるかも知れません。

いずれにせよ5W1Hもっと詳細にすることで、大抵のことは「暴力」への対処なんて話よりも、「行動学」の学びになると思います。
5W1Hを詳細にしないまま「人を殴ってはいけない」なんて思考は、意味ありません

「行動学」もう使えず、「一方的な暴力」に対処しなければならない場面とは、まずは暴漢に襲われたり、山でクマに出会った(^^;)ような時ですね。その時は、をかけて戦うしかないと思います^^。


 
(No Subject) / ゆうすけ 引用
No.494 2012/09/29(Sat) 10:22:33

学生時代の事です。相手は父親で、元々いつも怒ってる人なんですが、私が言葉で反抗した事が気に障ったみたいです。寝ていたのですが、殴りかかってきて、しばらく頭を蹴りつけられる感じに。(弁当箱を台所へ出すか出さないかの争いです)

それから7,8年経ちますが、今もできるだけ接触を避けています。自分をかなり押し殺してるし日々ストレスを感じます。
私の望みとしては、別々に暮らすのがいいと考えるのですが、怖れが強くてそこに到る自信がありません。。
社会においても、他人から怒りを向けられる事が怖くてビクビクします。
怒りの後に、最終的に起こり得るであろう、暴力に対する抵抗のなさが、そうさせているのかと思ったんですが。

全身がチクチクするような恐怖に耐えられないです。


 
書き足し / ゆうすけ 引用
No.495 2012/09/29(Sat) 10:45:47

基本的に他人の事は好きだし、人に対する愛も感じる事もあります。
悩みという悩みももうほとんどなくなりました。ただ、怒りを向けられると、頭の中が凄く激しく反応する感じで、これだけが唯一の悩みかもしれません。


 
また書き足し^^; / ゆうすけ 引用
No.496 2012/09/29(Sat) 14:08:19

【母に小さい頃から「暴力はどんな事があっても絶対にダメだ」と教えられてきた。
しかし、私が父に反抗した時には、父が私を殴った。
それに対して母は、「あんたが余計な事を言うからよ」と言った。
私は、暴力はダメだと思い、堪えたのに、その私に対して、あなたが悪いと・・
確かに、私は私にも責任があったのかと思っている。父を刺激したかなと。
父は、「あんな性格だから」と、父が私を殴った事は正当化されてしまった。
母は、私に対して、「あなたがもう少し大人になればいいのよ」と、言う。
私の中で、父親の暴力は正当化されたまま、私は「耐えるしかない」「父を刺激しないようにするしかない」と思った。】

日常的に、父は暴言や暴力、暴れるといった事をしていたので、それを異常だという人もいないし、それが普通だと思っていた事が問題だったのかもしれません。

世間をそういう色眼鏡で見ているという事なんでしょうか。

これを異常な事だと考えれば世界が開けてくるような気もしなくもないような。


 
最終的に / ゆうすけ 引用
No.497 2012/09/30(Sun) 21:10:19

身の危険に際して、「暴力による自衛」を自分に許した時(心の底から選択)に、暴力的でない自衛の手段も初めて考えられました。そして、建設的ならばと考える事もできました。
その結果、父と一緒に住む事はやはり望ましくないと決意しました。避けるのではなく、適度な距離というものが必要だと思いました。

怖れはもう諦めて、自分で自分の人生を切り開く事に力を注ぎたいと思います。

そこで新たな怖れが、それはすべての他人からの愛を失って完全な孤独になり、一人で生きるという事への怖れです。

無意識のうちに、過去の体験(いじめや、家庭の関係などなど)を心の中でめぐり、最終的に心が答えを出した事は、父が私を愛する事は一度もなかったし、これからもないだろうという事。

なんだかわかりませんがこれを感じたとたん、ものすごくスッキリしたし、私の中で「愛」が深まった気がします。

長々と質問やなんや書いてしてしまって申し訳なかったです(;_;)
なんとかなりそうです。




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