No.646 2013/10/07(Mon) 14:43:10
島野さん、こんにちは。 長くなりましたので新規トピックを立てます。
私の希死念慮は、「望み」にも沿う「こうならねば」が膨張する流れとして起きていたのだと理解できました。一見、的はずれのことをやっていたように見えますが、私の20年間は自分を高めようとする行為でした。無意識でしたが、彼と釣り合う人間になろうと努力していたんですね、現実を無視したままに。
「受け止められる側の心」「受け止める側の心」について明確にイメージすることができませんでした。「受け止める側の心」については、” 培い築くのにざっと2〜3年 ” ということは、行動法と生き方の学びから育つ心という理解でよろしいでしょうか?「受け止められる側の心」については、「受け止める側の心」の変化によって浄化される魂からの感情という理解でよろしいでしょうか?
>「命」にしっかりと根ざす「強さ」「自尊心」を得た時、「愛」が得られないことで「生きていても仕方ない」とはそう簡単にはならないんですね。 頭ではすごくよくわかります。他人にだったらそうアドバイスできるでしょう。でも、今の自分には ”この世に生まれてきた意味を失った” と感じます。 幼いのかもしれませんが、正直な気持ちです。 諦め切れないんだと思います。現実にあざ笑われているような気がします。「人間は一人で生まれ、一人で死んでいく」、事実だと思うし、好きな人と一緒にいたって本当にそうなんだから、一緒じゃなくてもいいんだと思えます。でも、そう思った時に心に力みと悲しみが流れます。これまでは、その力みと悲しみにすら気付かず、仕事の功績に喜びを感じていたような自分でしたが、今はそうはいきません。 踏ん張りどころなのかもしれませんね、安易に穴埋めの愛に走らないためにも。
どうもありがとうございました。^^ |
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No.654 2013/10/11(Fri) 12:01:56
>諦め切れないんだと思います。現実にあざ笑われているような気がします。「人間は一人で生まれ、一人で死んでいく」、事実だと思うし、好きな人と一緒にいたって本当にそうなんだから、一緒じゃなくてもいいんだと思えます。でも、そう思った時に心に力みと悲しみが流れます。
「諦められればいいという話ではない」が今回のアドバイスですね^^。 >>「命にしっかりと根ざす「強さ」「自尊心」を得た時、「愛」が得られないことで「生きていても仕方ない」とはそう簡単にはならないんですね。 というのは、諦められるようになるという話ではなく。
書いて頂いたのは、
諦めたい心 ←→ 諦められない心 という葛藤があるように察せられますが、取り組みの方向性とは、
受けとめられる心 ←→ 受けとめる心 という「向き合い」にあるという話になり、
>「受け止める側の心」については、” 培い築くのにざっと2〜3年 ” ということは、行動法と生き方の学びから育つ心という理解でよろしいでしょうか?
というご質問で言えば、今回の話でのテーマとしては「行動法と生き方の学びから育つ心」という表現だとまだ範囲が広すぎ、今回のテーマに対するかなり限定された方向性が、こうなると思います。
彼しか愛せない心 【受けとめられる心】 ↑ ↓ 彼以外の人も愛せる心 【受けとめる心】
そこで「彼以外の人も愛せる心」をどう培うかに、「ざっと2、3年」という話です。それで完了というより、何かをつかみ始めるのを感じるまでに、ということになると思います。その先の「向き合い」は、もう生涯ものだと思います。 で、「彼以外の人も愛せる心」をどう培うかは、もはや彼への感情への向き合いではなく、むしろ彼以外の人にどんな目線を向けて生きているかという話、そして彼との関係以外の、日常生活と人生への向かい方の全てに、取り組むことによってになると思います。 その内容が実際どのようなものなのかは、今回のお話ではまったく情報がありませんので、全てがこれからの新らしい取り組みになるでしょうし、その先に上記のような「向き合い」が始まり、そして続けられた時、最後に出される答えは予想だにつかないものになるのではと、推察します。
>「受け止められる側の心」については、「受け止める側の心」の変化によって浄化される魂からの感情という理解でよろしいでしょうか?
これはYesで。それが最後に何を示すのかは、恐らくは予想だにつかないものになるだろうと。
僕に今言えるのはそこまでです。その取り組みをすることを、つまりまずは「彼以外の人も愛せる心」を、まずはご自身が望むか否かですね^^。 |
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