10 28. 2004 |
・掲示板メンテナンスのお知らせ★
・la signora
10月28日(木)の13時頃から17時頃までの間、 Update:10 28. 2004 00:45 [No.110] |
10 28. 2004 |
・閑話休題♪
・la signora
怒涛の連載中ですが、帰京のご報告です。 Update:10 28. 2004 00:32 [No.109] |
10 27. 2004 |
・新潟だより・8
・la signora
地震があったその日土曜日のLa Scoglieraは、昼も夜も満席で大変だった。カメリエーラのひとりは急に辞めてしまったし(当初は彼女に新潟に行ってもらうはずだった)、Ryokoは私の代わりに『鮨割烹・黒瀬』に行ってもらっているので、ホールは2名不足。よりによってその日は、キッチンもひとりお休み。manabuが結婚式に出席のため代休をあげる約束を前々からしていたので、計3人も不足している。そういう日に限って満席になるのは、飲食業の昔からのジンクスではある。シェフもさとちゃんも、さぞやへとへとであったであろう。なにせ二人前も働いてもらっているのだ。一週間の疲れも溜まっている。そんな状況下、徹夜で車を走らせて来させて、さらに火曜日までぶっ通しで働いてもらうというのは無理なのではないか。催事が終わったら代休をあげるつもりではいたけれども、彼女がぶっ倒れてしまったらお店が困る。お客様に迷惑が掛かってしまう。色々考えた結果、無理に私も彼女も移動することはない。日曜日も私と地元のマネキンさんのふたりでやればいいことだ。人手が足りなくて多少売り損なう部分もあろうが、そんなわずかな売り上げよりも、店やスタッフのほうがよっぽど大事だ。私はついに結論を出した。 Update:10 27. 2004 08:07 [No.108] |
10 27. 2004 |
・新潟だより・7
・la signora
そうこうしているうちに、船長から電話が入った。「あ゛〜!!! やっと連絡がついたぁ!」ごめん、ごめん。こっちは大丈夫だから。かなり揺れはしたけど、普通に仕事もしてたから。それよりさぁ、新幹線がアウトみたいなんで、飛行機を取ろうと思ったんだけど、なかなかちょうどいいのが無くって・・・・・・。「今からLa Scoglieraに行って、シェフとさとちゃんを乗せて新潟に向かうから」え、向かうって、車で!?「そうだよ。シェフの実家が大変なんだ。一瞬連絡がついたときがあって、シェフがお父さんと話ができたんだ。幸い怪我はなく無事らしいんだけど、自宅は危険なので避難所に行くと言っていたらしい。色々と不便だろうし、ご両親二人では復旧作業も大変だろう。水とランタンと食料を積んだ。状況によっては、シェフも俺もそっちを手伝うつもりだ」え゛――!! マジで。でも、そんな、高速も波打ってて危ないらしいし、第一車でって何時間かかるのよ? 「わからない。走れる道を選びながら行くし。じゃ、ともかく向かうから。朝には着けると思う」そっかー。てっきり私のこと心配してくれて来るとか言ってるのかと思ったら、とんだ自惚れだったのね(爆)。シェフのお父様は、イベントの初日に顔を出してくれていた。こっそり、普通のお客様のふりをして買おうとしていたあたり、シェフと性格が似ていると思ったら可笑しかった。「お父様、できれば日曜日にまたお母様も御一緒にいらしてください。実は料理講習会をやるので、シェフ、来るんですよ」案の定、お父様はそのことを知らされていなかった。ふふ。ばらしちゃったぜ。日曜日、楽しみだわ。と思っていたのに、それどころではなくなってしまった・・・・・・。 ―つづく― Update:10 27. 2004 05:57 [No.107] |
10 27. 2004 |
・新潟だより・6
・la signora
ようやく目にしたニュースの様子では、明日の新幹線の復旧はかなり難しそうだ。さて、どうしようか…。当初の予定では、日曜日の朝の新幹線でシェフとさとちゃんが新潟入りし、忙しいであろう日曜日は一緒に働いて、営業を終えたら私とシェフは帰京。残りの二日は彼女に任せるという算段であった。が、私の帰りも、彼らの新潟入りも、新幹線では無理そうだ。そういえば、先日新潟駅に降り立ったとき、「新潟空港方面」という看板を目にした。「近くに空港があるのか……」と意外に(失礼)思ったものだ。ではもしものことを考えて、飛行機というルートを確保するか。ホテルで船長からの連絡を待ちながら、夕食もとらずにパソコンを立ち上げる。インターネットでの予約が一番だと思ったのだが、なぜか上手くいかない。仕方が無いので航空会社に電話をかける。 Update:10 27. 2004 05:28 [No.106] |
10 27. 2004 |
・新潟だより・5
・la signora
気になっていることはあった。携帯がまったく繋がらなくなっていたのだ。市内の人が「大丈夫?」という電話を掛け合いすぎて回線がパンクしているのだろう、程度に思っていたのだが、それにしてはちょっと不通時間が長すぎる。まったく繋がらないのに、「留守電10件」という表示はされていく。けど、繋がらないのでメッセージは一切聞けない。公衆電話なら繋がるとマネキンさんが言ってはいたのだが、「ホテルに戻ったら、ホテルからゆっくりかけよう。売り上げもまだ計算が終わっていないし、在庫報告も書いてからのほうがいいよな」 Update:10 27. 2004 05:03 [No.105] |
10 27. 2004 |
・新潟だより・4
・la signora
やっぱり、地震以降すっかり客足は遠のいてしまった。最初の一発というよりも、余震による恐怖のためだ。「今日はいい感じだったのに残念だったねぇ」と皆で話していると、伊勢丹さんの担当マネージャーさんがやってきて、「明日、馬場さん来れないかもしれませんねぇ。。。さっきの地震で、長岡のほうで新幹線が脱線してしまったらしいから」との情報をもたらす。翌日の日曜日は店が定休日なので、シェフは新潟入りしてイベント会場で料理講習会の講師を務める約束になっていた日だったのだ。「え、新幹線が…? 大変じゃない!」ニュースをまったく見ていない私たちにとって、その情報ひとつでもかなり驚くべき事実だったのだが、それでもまだ「今夜のうちに直るかしらん」などと、のんきなことを考えていた。しかし、その日の仕事を終え、ホテルに帰ってTVをつけた瞬間、そんな早急な復旧などありえないということを、瞬時に悟ることになる。 Update:10 27. 2004 04:26 [No.104] |
10 26. 2004 |
・新潟だより・3
・la signora
一瞬、全部落ちてしまうかに思われた棚のワインは、無事なんとかそのまま留まってくれた。まるで、ボウリングでぐらぐらぐらと揺れてくれたのに寸でのところで倒れずに元に戻ったピンのよう。ぎりぎりだ。「今の地震大きかったね。びっくりした〜」と皆で無事を喜び合った直後2,3分後だったろうか、また大きな揺れを感じた。ちょうどそのとき、私は片方の足と手が不自由な方の接客をしていた。彼女は本当に怖そうだった。恐怖が十分に伝わってきた。「お客様、私につかまって!!!」そう言って支えてあげるのが精一杯。今回の体験でよ〜くわかったが、地震は余震のほうが怖い。いつまでもこれが繰り返されるのではないか、今度はもっと大きなのが来るんじゃないか、という恐怖にとりつかれるからだ。余震は怖いよ。神戸の震災を経験した人が、「いつも揺れているような錯覚に悩まされている」と言っていたが、私たちもそうだった。ずっと、揺れているような気がする。胃がもやもやと気持ち悪い。船酔いか? そのうち、もういい加減少しの揺れならびくともしないようになってしまった。でも情報から遮断されていた我々は、当の新潟にいながら実はのんきであった。「あ〜あ、これでお客様が怖がって退けてしまうね。残念だなぁ…」そんなことを口々に言い、実のところ命の心配より、売り上げの心配をしていたのだ。外がどんな騒ぎになっているのかも知らずに・・・・・・。ただ、携帯が使えなくなっていることには気づいていた。東京に連絡ができなくて困ったなぁ・・・。 ―つづく― Update:10 26. 2004 05:35 [No.103] |
10 26. 2004 |
・新潟だより・2
・la signora
事の顛末をここに記しておきたいと思う。 Update:10 26. 2004 04:56 [No.102] |
10 24. 2004 |
・無事です!
・la signora
色々な方にご心配をおかけしていたようで申し訳ございませんでした! Update:10 24. 2004 08:17 [No.101] |