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No.868 2014/04/22(Tue) 16:27:01
また連投になってしまいましたすみません^^;
上記の内容を書き込んだ時まであっさりスルーしていたのですが、祖父母からは随分良くしてもらったのに、何故か愛情やら心の問題に触れるときに全く考慮してなかったのはなぜか。それどころか、長い間細かな記憶が薄れていたのはなぜか。 少なくとも、忘れたいようなことではなかったので疑問を感じ、かなり重要なことだと日増しに思えてきたので思考をしてみると、また変化を感じました。
今までの感情の中での理論に則れば、そういう記憶を塗り潰す必要があるぐらいに、愛情を受け損ねたり災厄を受けたりしたという観念を重視していたのかもしれない。だとすると、自分はそういう災厄の中で生きてきたことで自尊心を得ていたのだろうか、という仮説が浮かびました。 小学校・中学校と、自分で取り柄だと思えることが勉強ぐらいしかなく、高校に進学すると、自分よりも成績の高い人間のほうが多くなり、勉強が取り柄だという自尊心も損なわれ、幼少の頃から家庭環境も学校での人間関係も良いものだとは感じなかったため、「修羅場の中で生きる運命を背負った」という観念にしがみついて自尊心を得ようとしたのだろうな、と。
先生の記述に「後に比較的深刻な心の障害を体験した人は、まず間違いなく思春期の一時期に「視線恐怖症」を体験していると私は推察しています。」とあるように、実際、高校の頃に視線を同級生と合わせるのが怖い時期がありました。眼が変だとか虚ろだとか言われ、ますます他人と視線を合わせることに怯えてた記憶も。 また、当時のことを思い出すと「現実が付いてこない」という感覚もあったと思います。スポーツも苦手、流行などわからない、最後の砦だった勉強も、進学校に入ってからは落ちこぼれの部類になってしまった。何のとりえもない状態でこんな場所に来てしまった。どうしよう。と、何もかも終わったかのような感覚もあったような。 ついでに、当時、ホームレスを見かけたときに恐怖心がありました。ほぼ間違いなく「将来こんな風になったらどうしよう」という感覚はあったと思います。最近でも、そういう方々を目にするたびに、当時の恐怖の残骸のようなものを感じることはたまにあります。結局、それらの恐怖心を塗り消し、自尊心を維持するため、「こんな修羅場の中でも何とか生きてこれた」ことを自尊心の土台にしてきたのだと思います。
修羅場を求めてる、と頭に浮かんで最初は「狂気の沙汰だ」と、ばかばかしく感じましたが、いろいろ思い浮かべていくうちに、当時の自尊心を崩壊させないためのものだったのだろうか、祖父母に関する記憶を薄める必要があるぐらい追い詰められてたのだろうか、というのは容易に考えがまとまりました。
後の人生では、当時好きだった声優さんなどの影響で根性論に染められたことなどもあり、自分の意識していないところで「修羅場のような環境」への執着があったのだと思われます。わざわざ自分の能力では遥かに及ばない難しいものに挑んだり、過保護な保護者の元で育った異性との交際にうつつを抜かしたり、今思うとそれが本当に「望み」からくる行動だったのか非常に疑わしい行動にばかり駆られていたように感じます。その割に「難しい。困った。どうしよう」と悩むばかりで、ろくに前に進めた実感は皆無に等しく、それでいて撤退することが「逃げ」で「人生の終わり」であるという感覚に追い立てられていたようです。一方で、修羅場である必要があるためか、周囲や世間の悪いところばかりが非常に目立つようになり、他人の言うことにも過剰に刺を感じ、些細なことで怒り憎しみを抱くようになり…。確かにこういう風に考えてみると、「空想と現実を逆転させて自尊心を守るシステム」として成り立ってるように感じられました。浪人までした末に地元ではレベルが高いとされている大学に入ることが出来た時も、第2希望だったとは言えさほど喜びを感じられず内心で困惑したのをよく覚えてますが、こういう価値観があったことを考えるとそれにも納得できます。数年前に過去の仕事の知識のみでマイナーなパソコン関連の資格に合格した時のほうがよほど感情としては嬉しかった気がします。3級ですが^^;
今の頭で考えるとこういう自尊心の得方は必要無いな、というのが即座に浮かび、次の瞬間、肩の荷が下りたというか、大きな安心感を得たというか、そういう感じがしました。しばらくして、ざっくり云えば「ヒーローになれなかった」的な、幼稚園児の描くような夢への軽い落胆を感じました。今頃そういうものを自分が感じることに滑稽さを感じたため、笑いながら落胆するという奇妙な感覚でしたが。ですが、少し考えると、これは内面の問題としては結構意味が深いものだったのかもしれません。その後は、気分がやけに高揚した日になりました。
あと、何となくですが、悪感情でも比較的健康なそれと不健康なそれに違いがあるのかなあ、というのが頭に浮かびました。上手く言えませんが、比較的健康な状態だと、パッと浮かんでもすぐに抜けていく感じがするような…。最近、怒りとか焦りとかの類が浮かんでも、以前に比べるとすぐに抜けていくような感覚があることも若干増えてきたので。
何にしても、内面の大きなつっかえが取れたようで、かなりホッとしています。 また、改めて先生のサイト及びハーバード交渉術を一通り読みなおし、どれぐらい理解納得が得られるか確認してみたいと思います。 |
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