しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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交友 / チェンジ 引用
No.731 2013/12/07(Sat) 22:28:55

出かけた時、若いカップルがたくさんいました。この方々を目にして、充実していて深刻な悩みなんて無い時期なのだろうと感じました。

悩みは、人それぞれではありますが、例えば恋愛時期には楽しく悩みがあまり無く、結婚してだいぶ経過してからや、子供を育てている時期などに悩みが出てくることが一般的に多い気がしますがいかがでしょうか。これは、いろいろな経験をする中で、知識が増えたり何かの課題が出てくるからであると感じます。



「怒り」から離反傾向への課題変更 / 引用
No.701 2013/11/22(Fri) 17:38:24

こんにちは、お久しぶりです。
あれ以来、一部の場面を除き、怒りの頻度や強度はかなり減ったように思えます。
基本的に内面の問題に関して、ひとつの怒りの課題が片付いたら別の怒りが生えてくる感じでしたが、最近は怒りの根っこにあるものが視野に入ってきた感じです。
やはり根本的に、離反型の人格から派生した怒りはかなり根強い感じがしています。
「自由」と「安全」への望みが非常に強く、そのために愛や豊かな生活を放り投げる思考パターンが自分の中に存在しているようです。

人生全体から考えた時、先々の仕事に関しては特に問題ない思考は出来ていると思います。
「より得意な分野に鞍替えした方が有利である」という至極当然の結論に辿り着いたため、それについては問題ないですが、残念なことに住んでる地域ではそういう求人が今のところ見当たらないため、情報集めに徹しています。
ただ、「人生のパートナー」という課題に関しては、「自由」と「安全」への望みが強いためか、異性への恋愛感情すら芽生えない状況。極論すると「現実の異性なんて信用できるか!」というところでしょうか^^;
そういう望みが強いのも、人間関係であんまりロクな目に遭ってないため、既に人間不信に陥っていることが原因なところまでは自覚しています。

考えてみると、生まれ育ちの環境の悪さもですが、ある程度育った後にも原因はありそうです。
趣味に関して、特に学生時代は、「自分の都合、自分の勝手に進めることができるのがまずは基本。」というのとは真逆の環境に居たのを思い出しました。
周囲の「こうあらねば」に振り回され、心身ともに消耗し、肝心の勉強が疎かになってしまうという状態もあったように思えます。
しかも、それに対して自分自身も何の疑いも持たない状態。
自分を含め、一緒に行動している人同士が互いに運動部の顧問のような目を向けている状態だったのを思い出すと、今でも気持ち悪さを感じます。
社会人になってからも、プライベートで人と接するときにそういう環境が多く、かなりゲンナリしました。
それに完全に懲りて、いつの頃からか仕事以外の人間関係から随分と撤退してしまい、傍観者の立場を決め込んでいます。職場での雑談などは普通に出来ているのですが。

先日のイベントで行動を起こした時もそうですが、最近のマイブームでもあるカラオケも、だいたい単独行動。
最近は一人カラオケ対応のお店も結構出てきて、便利な世の中になったなあと感じています。
自由と平穏だけで人生を終えるならそれでも良いのかもしれませんが、全体的に調和がとれた状態を目指すのであればやはりいろいろ不足していることにはなる。
だとすれば、離反型の傾向も、取り組んだ方がいい課題ではあるんだろうなあと思います。
目の前の出来事においての課題としても、幾つか挙がってきたようです。

「いつもギリギリに出勤してしまう。余裕をもって出勤しようとしても内面で強烈に拒絶してしまう」
ギリギリの出勤でも間に合えば問題ないんでしょうけど、アクシデントが起きてしまえば遅刻してしまうでしょうし、出来れば改善したい点ではあります。
似たようなことで、同僚から「減量したいなら徒歩で通勤してみては?」と提案されたのですが、「こんなトラブルまみれの職場のために、何時間も移動時間を割くのは嫌だなあ…」という感覚が湧いて、適当にやり過ごすだけにとどめた、ということもありました。どうやら、登校拒否の中高生のような心境に陥ってる模様です。

あとは、人を頼るのが苦手な傾向に気付きました。
トラブルが起きても、上司に相談したりお任せしたりすることで最悪減給や解雇もあるかもしれない、と猜疑心が湧くことが多く、対処して報告した後に店長から「その場で連絡入れてくれればよかったのに」と言われる場面もありました。
それ以外でも、作業の幾つかについて、他のスタッフにやらせるより自分でやった方が早いと考え、ついつい自分だけで済ませてしまうこともかなりあったのを思い出します。

以前ご相談した「組織でうまくやっていけない」というのも、「窮地になっても誰も信用できず、頼るに値せず、強烈なストレスを感じる」という感覚が多少あったのかなあ、と思います。
過去の職場でも、他の部署から急ぎの作業をいくつも振られた時、のんびりやってる他の先輩たちを尻目に一人で焦って錯乱する場面を何度も経験したのを記憶しています。急ぎの作業が増えたのでお願いしますと頼んでも、じゃあやっといて、の一言で済ませられてしまうこともしばしば。
「なぜ自分だけ追いつめられてるんだろう」と精神的に疲弊し、仮病を使って数日欠勤したこともありました^^;
今考えてみると、人間不信がいろんな場面に悪影響を及ぼしてきたなあと。

 ちなみに、ハイブリッド心理学の内容を拝見する中で、過去の原稿が参考になることが結構あるのですが、離反型の態度に関する表記で、「これ、丸っきり俺じゃないか^^;」と思った部分がありました。

>不完全な迎合追従で生み出される離反退却の中で、比較的感情の豊かさが保たれている場合、彼彼女は現実世界に対して概して幻滅感を抱き、夢や空想、マンガや文学の世界を自分が
>感情的に生きる世界と考えたりします。
>このように軽度な迎合従順と離反退却がバランスを保つようにしてできた人格といのは、従順迎合が近代のマジョリティであるのに対して、現代のマジョリティとまさに言えるものでしょう。

 自分がオタクになったキッカケは中学校に入ってからだったと記憶してますが、家でも学校でも、家庭内不和やイジメに巻き込まれて人間関係が面倒くさくなり、その頃に読み漁ったライトノベルなどの世界に完全に没頭していたのを今でも明確に覚えてます。また、人間関係の面倒くささは小学校に入ったあたりでも漠然と感じており、登校中などに「死ぬまでこんな面倒臭い人生がずっと続くのかなあ…」などと、小学生らしくないことを考え、ゲンナリしていたことも結構多かったように記憶してます。一方で、学校で習った道徳教育を、国語算数などの科目と同じように完全に鵜呑みにしてしまい、表面的にはその通りに振る舞うよう気を付けていましたが(今になって考えると、道徳が小学校の科目の一つとして存在していたことにより、「正しいこと」だと勘違いしやすかったのかもしれないと思います。勉強に真剣に取り組もうとしてる子供にとっては、その辺は避けがたい罠なのかもしれないなあ、と)。
考えてみると、怒りに覆われてる時も、「こんな世の中生きてても何も面白くないし、親の弔いが終わったら俺の役目は何もなくなるから死んでもいいや」という自暴自棄な思考を日常的に持っていたのを記憶しています^^;

 離反退却の態度が課題になる場合、特に気を付けることなどをご指摘お願いします。


 
課題は「離反」ではなく「依存」^^ / しまの 引用
No.712 2013/11/29(Fri) 14:58:51

課題は「離反」ではなく「依存」

これはずばり、取り組み課題は「離反」ではなく「依存」かもですね^^。

つまり、まだ「人に与えられた枠の中で生きる」という生き方姿勢と行動法にいるために、行動様式「服従か反発か」というものになってしまっています。これは基本的に「依存」の中にいるからです。

「破壊」「自衛」「建設」という行動様式を言っていますが、その選択問えるようになるのは、「自立」からです。
「依存」では、行動様式「服従」「反発」という別の話になります。そこで「服従」か「反発」か選択問うことは、あまり成長に向かうことではありません。後者を「選択」したとしてもです。
まず「依存」を抜け出すことです。それが課題です。

書いて頂いた内容印象を一言でいえば、「人に教えられた誤った生き方を引きずって、自分からハズレくじばかりを引いている」というもの^^。
まず、人に教えられた誤った生き方から、抜け出すことです。そうすれば、当りくじハズレくじがあるのが、見えるようになります。そしたら簡単です。手を伸ばして、当りくじをつかめばいい。

いずれにせよ「取り組み実践」としては、『入門』
「外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践
で説明しているように、
1)課題場面における「心の健康と成長に向かい得る行動法」は具体的にどのようなものになるのかの理解
2)それについての自分の理解納得、および対比としての内面感情への向き合い
3)それを踏まえて今取るべき外面行動の結論検討

進めるものです。
重要なのは、1)「心の健康と成長に向かい得る行動法」が、「健康な心の世界」前提にすることです。「健康な心の世界」における「心の健康と成長に向かい得る行動法」を、まずはどう想定できるか。
それにまず取り組みます。

書いて頂いたものにはおおよそ5つほど題材があるかと思いますが、それぞれ手短に書いてみますと、

1.
>ただ、「人生のパートナー」という課題に関しては、「自由」と「安全」への望みが強いためか、異性への恋愛感情すら芽生えない状況。極論すると「現実の異性なんて信用できるか!」というところでしょうか^^; そういう望みが強いのも、人間関係であんまりロクな目に遭ってないため、既に人間不信に陥っていることが原因なところまでは自覚しています。
これはに、どうであれば「信じられる」という話なのか一度持てた間柄は何があっても変えないことを約束してくれることを求めているようなことはないか。

2.
>自分を含め、一緒に行動している人同士が互いに運動部の顧問のような目を向けている状態だったのを思い出すと、今でも気持ち悪さを感じます。社会人になってからも、プライベートで人と接するときにそういう環境が多く、かなりゲンナリしました。
そのような閉鎖束縛的ではない、オープンで自由な交友の和を、具体的にどう考えることができるか
「自分を含め」となると、「人間不信」とはちょっと自分を棚に上げた話ではないかということになってくるかもですねぇ^^;

3.
>「いつもギリギリに出勤してしまう。余裕をもって出勤しようとしても内面で強烈に拒絶してしまう」
>似たようなことで、同僚から「減量したいなら徒歩で通勤してみては?」と提案されたのですが、「こんなトラブルまみれの職場のために、何時間も移動時間を割くのは嫌だなあ…」という感覚が湧いて、適当にやり過ごすだけにとどめた、ということもありました。どうやら、登校拒否の中高生のような心境に陥ってる模様です。
これはもう書くまでもないですね。自分としてはどんな行動戦略を持つか。それがまるでなしですね^^;

4.
>人を頼るのが苦手な傾向に気付きました。
>過去の職場でも、他の部署から急ぎの作業をいくつも振られた時、のんびりやってる他の先輩たちを尻目に一人で焦って錯乱する場面を何度も経験したのを記憶しています。急ぎの作業が増えたのでお願いしますと頼んでも、じゃあやっといて、の一言で済ませられてしまうこともしばしば。「なぜ自分だけ追いつめられてるんだろう」と精神的に疲弊し、仮病を使って数日欠勤したこともありました^^;
今考えてみると、人間不信がいろんな場面に悪影響を及ぼしてきたなあと。

これは具体的なコミュニケーション技術課題ですね。言葉の使い方一つで事態が変わります。

5.
>登校中などに「死ぬまでこんな面倒臭い人生がずっと続くのかなあ…」などと、小学生らしくないことを考え、ゲンナリしていたことも結構多かったように記憶してます。
>考えてみると、怒りに覆われてる時も、「こんな世の中生きてても何も面白くないし、親の弔いが終わったら俺の役目は何もなくなるから死んでもいいや」という自暴自棄な思考を日常的に持っていたのを記憶しています^^;
まあこれは過去の話として、「ではどうであればいいか」の具体的思考がないままの感情という、総合的な表現ですね。

ということで、問題は全て、自分としてどんな行動法が取れればという戦略がないまま、与えられた枠への不平に流れる、というものになっていると思います。
僕からは、言葉の表面印象以上に、まず良い環境が与えられることを求めている、子供の心がある・・というか働いているという印象
そんな話として、取り組み課題は「離反」ではなく「依存」だというです。
まず課題は、「自分としての行動法の戦略を持つ」ことです。


「自分」ではなく「場面」に取り組む

「取り組み実践」上述のように、まずハイブリッド心理学からの行動法の答えはこうだというのを、知ることからです。で、それについて自分はどう感じるかに向き合うことから始める

そこで取り組み課題材料にするのは、「場面」です。「自分」ではありません。
「場面」に応じて心の健康と成長に向かう行動法があり、それに取り組むことで、「自分」における取り組み課題が分ってきます。そこからさらに詳しい分析取り組みもできます。

「自分」最初から「課題」に考えるのは、結局、「自己理想像」にそぐわないものを取り上げるという取り組み姿勢になります。
「自己理想像」とっかかりとして取り組むこと自体悪いことではありませんが、それだけでは心は固定化されます。成長に向かうことなく、長い目では心は停滞と貧弱に向かってしまいます。

また「離反」一般的に言って、取り組み課題にはできません「離反」は、「場面」への対処がうまくできない場合に、最後に自分の心を守るための、比較的健康な反応だからです。
取り組むべきは、「場面」への対処を知らないでいる状態克服です。
さらには、「離反」に覆い隠された、「望み」が、取り組み課題になります。

ということで、まずは上記引用番号を振った、2、3、4あたりから取り組みになりますね。ハイブリッド心理学からの答えどんなものか、見当つきますか。分からなければまたご質問頂ければ。
そうして、まずは社会で自分が生きるための、自分から持つ行動法への自信というのが、異性とのおつき合い足場になるという順番として、やがての話にも取り組めるようになる、という道順です。
そうした道順有無で、話が全く変わります。現状の、自分としての生き方および行動法の戦略をあまり持てない状態のまま、異性への望みを考えても、一体どんな完璧無比の異性を求めるのか、ちょっと見当もつかない^^;

ちょっと辛口アドバイスだったかもですが、検討あれ^^。


 
Re: 「怒り」から離反傾向への課題変更 / 引用
No.723 2013/12/05(Thu) 14:25:30

アドバイスありがとうございます。
あと、非常に申し訳ありません!
改めて読み返してみると内容が非常に混沌としていて、過去の問題と現在の問題をごちゃ混ぜにしているところが多く存在してます…

まずは、必要以上に過去の心境を絡めないよう気を付けながら設問について考えたものを挙げます。

2.
>自分を含め、一緒に行動している人同士が互いに運動部の顧問のような目を向けている状態だったのを思い出すと、今でも気持ち悪さを感じます。社会人になってからも、プライベートで人と接するときにそういう環境が多く、かなりゲンナリしました。
そのような閉鎖束縛的ではない、オープンで自由な交友の和を、具体的にどう考えることができるか。
「自分を含め」となると、「人間不信」とはちょっと自分を棚に上げた話ではないかということになってくるかもですねぇ^^;

「自分を含め」ていたのは、学生の頃と、社会に出て間もない頃でした。むしろ今はそれに懲りて、仕事以外で人と関わることを忌避し「こんな歪みを正常だと考えてる連中など信用できるか!」と考えている状態、ですね。
むしろ、当時の自分と今の自分が会うことがあれば、説教してやりたいと思うぐらいです^^;
散々懲りた結果、「人と接するなかでは当たりくじを引けない。ならば必要のないところでは人と接するのは止めるか。必要なところでだけ人と接すればいい」と考え、一人でいることを楽しめるようになろうと方針転換を行いました。
当時の人間関係の中で「さっぱりした交友関係を作れそうな機会がなかなか見つからない!」という嘆きを感じた記憶はあります。
今思えば、何故若い頃に、今のように一人でいることを楽しめなかったのだろうか…と思うことならよくあります。
「オープンで自由な交友の和」については、出来ることならばそういう場所の方がいいですが、それに出会うのは天文学的確率だろうなあ、というのが今の本音です。
封建的な風習か、その集団の中での恋愛問題が拗れてワケの分からん面倒なもめごとに巻き込まれるか、そのどちらかは確実に存在するので、バカバカしく思えることばかりでした。

それがハイブリッドに逆行する考えだというのは拝見していても、「人と深く関わることはバカらしい」という感覚があるのが偽りのない現状のようです。

3.
>「いつもギリギリに出勤してしまう。余裕をもって出勤しようとしても内面で強烈に拒絶してしまう」
>似たようなことで、同僚から「減量したいなら徒歩で通勤してみては?」と提案されたのですが、「こんなトラブルまみれの職場のために、何時間も移動時間を割くのは嫌だなあ…」という感覚が湧いて、適当にやり過ごすだけにとどめた、ということもありました。どうやら、登校拒否の中高生のような心境に陥ってる模様です。

これはもう書くまでもないですね。自分としてはどんな行動戦略を持つか。それがまるでなしですね^^;

返す言葉もありません。
ただ、全くいい策が見当たらず、何をどうすればいいか全くわからない、という感じではあります。
勤務地に早く到着できるよう、その場所で何か楽しいものを見つければ少しは変わるだろうか、というのを試してみたものの、最近は休みの日に勤務地に近寄ることすら嫌になってきたのを実感しています。もう、その場所自体が大嫌いになってきたというか。
たぶん、今の仕事で生み出す価値に共感できないところが強いからなんでしょうけど、店のPRというのは運や相手の意思によって結果が左右されることもあり、なかなか安定した業績を出しづらいところがあるため、きちんと価値を生み出せているという認識がしづらく、揺るぎない自信を得るのが難しいものだと改めて実感することが多いですね。
あとは売上とは関係のない対応(酔っ払いやチンピラ、構ってチャンなど、店を使う気ゼロな人々、あるいは店を使わせたら条例的な問題が生じる人々への対応)、観光案内紛いな対応など。
これでは店が期待してる価値など生み出せてないよなあ…という感覚にしかならず、徒労だけで日々を送ってるように思えてきます。
幸い最近は店内のパソコンを整備する作業もたまに指示されるため、そういう時間だけは安心して作業に集中でき、価値を生み出せているという実感を得られています。せいぜい、週に1時間かそこらしかありませんが…。
いずれにしても、ハードウェアの知識を使うような、工場のような場所での求人があれば、と思い探してる最中なので、それを見つけて就職できれば、というのが現状です。

4.
>人を頼るのが苦手な傾向に気付きました。
>過去の職場でも、他の部署から急ぎの作業をいくつも振られた時、のんびりやってる他の先輩たちを尻目に一人で焦って錯乱する場面を何度も経験したのを記憶しています。急ぎの作業が増えたのでお願いしますと頼んでも、じゃあやっといて、の一言で済ませられてしまうこともしばしば。「なぜ自分だけ追いつめられてるんだろう」と精神的に疲弊し、仮病を使って数日欠勤したこともありました^^;

今考えてみると、人間不信がいろんな場面に悪影響を及ぼしてきたなあと。
これは具体的なコミュニケーション技術が課題ですね。言葉の使い方一つで事態が変わります。

これも、過去の職場での内容でした。そこも体育会系で儒教精神が重んじられる環境だったので、自己犠牲の強さが当たり前の現場でした。

まあ、今の職場でそういうことが起きることはほぼ無いですが、当時のそういう出来事のために、今も上司を頼れないのが問題になってるところはあります。
「目上の人間というものは、自分の仕事を増やすような報告を「言い訳」と一蹴し、気に入らないやつには懲罰や解雇という粛清を加えるものなのだ」という感覚がなかなか抜けないというところです。
先日書きこんだ内容のうち、態度の悪い警官に絡まれた件についても、解雇を恐れて一人で対応し、店ではなくて自分自身の個人情報をごっそり抜かれ、事後報告した後店長から「なぜそこで連絡してくれなかったのか」と宥めるように注意されたのですが、未だにそれを鵜呑みにしていいものかどうか疑わしいモンだと考えます。

やはり、改めて再考してみても、過去の出来事に懲りて今は人を遠ざけて過ごしたがっている、というのが、調和のとれた状態を目指す中では問題になるんだろうな…という感じになります。

また、今回、自分自身で意識していなかった問題が浮かび上がってきました。
ひとつは、特にプライベートで、人に何かを説明する際に意味不明な焦りを感じていることがたまにあり、そういう場面では纏まりが無くなる点。
仕事上では殆ど見られない傾向なので、今のところは助かってますが…。
とりあえず、焦りの解除については、具体例が書かれている場面以外では未だにコツが掴めていないところがあるので、どうにかコツをつかみたいところではあります。

あとは、極度の面倒くさがり、という問題点。
公私を問わず、物事にはメリットの数倍、あるいは数十倍のデメリットが必ず存在するという感覚が強く、それを考えると何を行うにも大きな面倒臭さを感じるようです。
問題が発生した時に真っ先に頭に浮かぶのが「めんどくせえ…」なので^^;
別のカウンセラーの方が説明されてたのを偶然見つけたのですが、面倒くささには「完璧主義」が背景にあるのではないかという記述があり、「そういう可能性もあるのかなあ」とは思います。これも充分に問い直してみる必要はあるかもしれません。


 
Re: 「怒り」から離反傾向への課題変更 / しまの 引用
No.730 2013/12/07(Sat) 22:27:23

>「オープンで自由な交友の和」については、出来ることならばそういう場所の方がいいですが、それに出会うのは天文学的確率だろうなあ、というのが今の本音です。

もしこの辺について取り組むとしたら、ハイブリッド心理学取り組み実践としては、
1)「楽しみの共有」として交友行動に向かう姿勢と行動を、自身がどう持てている、取れているか
2)交友の場の状況
3)そこで取られるコミュニケーションの具体的内容

を、具体的に取り上げての検討になりますね。
他の話についても、さらに取り組む場合は、「場面」かなりの具体的分析からになると思います。

まずご自身として、何を克服したいと思うか、からになると思います。それについて、そうした具体的検討進むというのがよろしいかと。
まずはこれをなんとか、というものを絞って頂くと(僕の方ではざっと読んで絞れず、全部に返すのは無理^^; 申し訳ない^^)、僕の方でもアドバイスを返せるかと思いますので、そうした具体的場面検討として挙げられそうなものがあれば、また新規トピックにてがいいですね^^。



愛想笑い / チェンジ 引用
No.721 2013/12/03(Tue) 23:15:32

 私は、笑顔が好きなためか、笑みで会話をする習慣があります。しかし、それは嫌と言われた時もあります。

 愛想笑いの場合、笑みで対応したほうが相手は、話しやすいかなと感じてきました。
しかし、笑みで対応すると言語数が減り、言語力が弱くなります。

 これからは、笑みでの対応を止めて、目で聞き、しっかり思考を働かせて、その会話に対し言葉で返し、普通に接していこうと決めました。

 それから、肯定で会話すると良いとのここから、〜より〜した方が良いよと話をした時、それは否定とも受け取れたと言われました。それは、〜よりと言う前に、相手の会話に対して、そうかもしれないねと受け止めることが先決かと感じました。

 島野さんの視点は、いかがでしょうか。


 
Re: 愛想笑い / しまの 引用
No.728 2013/12/07(Sat) 17:15:28

どんな表情仕草がいいかというより、行動全体として肯定的建設的になることが重要だと考えます。

表情仕草は、その中でごく自然に、がまずはよろしいかと。
話の内容と食い違う笑顔などはやはり違和感を感じさせてしまうと思いますので、常に意識するのであれば、例えば「いつも口角を少し上げる」程度などがよろしいかと^^。

>それから、肯定で会話すると良いとのここから、〜より〜した方が良いよと話をした時、それは否定とも受け取れたと言われました。それは、〜よりと言う前に、相手の会話に対して、そうかもしれないねと受け止めることが先決かと感じました。

これがそうした、行動全体として肯定的建設的かという話で、もし相手が自分で何も問題を感じていないのなら、〜より〜した方が良いよと話をするのは、まずは相手の否定になりますね。その場合は、そこにどんな問題があるのか、それを相手に指摘する必要があるのか、から検討するのが良いかと。

ともかく、一律にどんな言葉を返すのがいいかというより、内容いかん行動法言葉の使い方問題になると思います^^。


 
仕草 / チェンジ 引用
No.729 2013/12/07(Sat) 22:15:15

「いつも口角を少し上げる」程度などは、良い案と感じました。それから、目はよく開いてを付け加えようと思います。

相手が自分で何も問題を感じていないのなら、「〜より〜した方が良いよと話」をするのは、まずは相手の否定になりその場合は、そこにどんな問題があるのか、それを相手に指摘する必要があるのか、から検討するのが良いかと。
内容いかんの行動法や言葉の使い方の問題になると思いますとの言葉、参考になりました。

ありがとうございました。



ドライな人 / コジマ 引用
No.717 2013/11/30(Sat) 13:47:03

こんにちは^^いつもお世話になっております、この前ふと思ったのですが、ドライな性格って具体的にどのような事を言うのでしょうか?島野さんのご意見をお聞かせ頂けたら幸いです。


 
「ドライな人」^^ / しまの 引用
No.725 2013/12/05(Thu) 18:10:53

「言葉」使い方については、辞書の活用有効ですね^^。ネットで見られる便利な時代です^^。

「情にほだされない様子」とのこと。それでいいと思います^^。
「ほだされる」とは「情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる」とのこと。
つまり、情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られるようなことがないのが「ドライ」

「原理原則行動法」は、外面においては結構ドライな行動法でもありますね。
ただしその内面においては、相手の情に深く打たれている場合もあるでしょう。この場合は、この人自身ドライではない。
内面においても、人の情にあまり反応しないのが、正真正銘ドライな人、ということになると思います^^。


 
Re: ドライな人 / コジマ 引用
No.726 2013/12/05(Thu) 19:47:33

なるほど^^ご回答して頂きありがとうございました!!



人生の前進 / masa 引用
No.711 2013/11/28(Thu) 00:11:11

この間視線恐怖について質問させて頂いた派遣社員24歳です。
以前アドバイスをいただいた人生のイベントのテーマで掘り下げてみました。

交友
@自分の話以外、興味があまり湧かないため、皆が楽しく話していても自分は心から楽しめないし、楽しく振舞おうとするため疲れる。
A友達といて楽しいときもあるが、楽しめないときの方が多い。人といると疲れてしまうので、一人でいる方が楽だけど寂しいという矛盾が苦しい。
B団体でいるときなど、話してる人が自分に視線を送ってくれるかどうかすごく気になってしまう。
C何人かで話してるところへ入るときは、煙たがられるんじゃないか、わざわざ入っていっても楽しめないんじゃないかと萎縮する。
D能力や見た目で付き合う友達を選んでしまう。他の人と話すときは無駄だな、何か他に有意義な時間の過ごし方があるんじゃないかと感じる。
Eコミニケーションが下手な人といるときは天狗気味で、堂々としている。内弁慶な感じ
F自分の友達が他のコミニティーで楽しくやっていると嫉妬してしまう

恋愛
今交際している女性がいるのですが、4.5年前までは、他の男性と話したらいけないなどと、束縛をすることが多かったので、相手のことを尊重するように意識しています。「ありのままでいいよ」など、自分なりに考える無条件の愛に沿った言動をしているのですが、気持ち的には何もストレスは感じません。

仕事
コールセンターに勤めているのですが、威圧的な態度をとられたらこっちもそうしたり、お客様のスタンスによって自分も冷たくなったりして、そんな対応をする自分に対し自己嫌悪しています。


現在芸人を目指していて、仕事をしながら週3日間学校に通っているのですが、あらためて思うと、そこでのコミニケーションが上手くとれず悩んでいます。成功を望む気持ちが強いので、いままでその勉強を理由にコミニケーションに時間を割くことを避けていました。
友達に囲まれているという理想の自分と、友達が少ないという事実とのギャップを受け止められていない感じがしました。
また、全体を通して、母親から愛情をあまり受けられなかったことが元々の原因なのではないかと感じています。
具体的な取り組み方のアドバイスが欲しいです。よろしくお願いします。


 
Re: 人生の前進 / masa 引用
No.722 2013/12/03(Tue) 23:20:08

「人生の前進」というテーマで自らを振り返ってみるというアドバイスを受け、こういった内容を書かせて頂いたのですが、的を得ているのか不安です。まだハイブリッド心理学の理解が甘いため、浅はかな質問で申し訳ありません。

改めて自分の質問を読み返してみると具体的場面について具体的に書かれていないのでそれぞれ改めてレスさせて頂きます。


交友 
@飲み会や、団体で話している場面など。
A団体でいるときでも数人でいるときでも。
B年の近い人といるときはほぼどんなときでも。
C特に学校の休み時間など。いくつかのグループが出来ているのですが、僕は完全に孤立しています。輪に入りたいけど無理して入っても楽しめないだろうなと感じます。自分が想像している交友関係の理想が、「皆に囲まれている自分」、なのと、皆と同じことをしていない不安、また、人間関係に対してハードルが高いという思いこみから、そんな矛盾を感じるんじゃないかと思います。
D学校でも職場でも仲のいい人と話すとき意外は常に。
E主に学校であまり仲のよくない人と話しているとき。
F友達のフェイスブックを見て、自分がいないグループで出かけている場面や、楽しんでる場面の写真を見たときなど。


具体的な状況を挙げましたが、これ以外に一人でいるときも気分は常にすっきりしません。常に悩んでいる状態というか、勉強をしなければ、ハイブリッド心理学での今出来る行動をとにかくしたいと焦っています。
そもそも問題として僕が捉えている内容は、ハイブリッド心理学で言うところの具体的な問題場面状況に沿っているのか不安です。上記は感情の動揺の大きい場面ですが、また治療そっちのけの質問をしてしまっているのではないかと。
以前解答して頂いた、「白い目で見てくる人にどう対処するかよりも、癌の治療そして火傷の治療に、まずは最善を尽くすことです。そこで人の目にどう対処するかという悩みに心が占領され、治療がそっちのけになったら、もう完全に本末転倒です。」という事は理解はできるのですが、具体的な問題場面状況との線引きがよくわかりません。

僕が挙げた問題場面には、僕の「愛情」の認識が、「分かり合い認め合う」ことになっているから生じることも含まれていると思います。そのため友人に対しての独占欲も強く持っているとも思います。
愛情は「喜びと楽しみの共有」がハイブリッド心理学での学びということを基準に考えると、楽しい事を探すことに意識を集中させる、などになるのでしょうか?

また、ハイブリッド人生心理学の取り組み実践・詳説、4章学びへの理解では、友人をどう増やせるかの前に、まず自分が本心から楽しいと思えるものを探す。という風な事を書いてらっしゃいますが、この答えはどの様な導き方から出るのでしょうか?


 
「成長と成功を知り、覚悟と共に自分の望みを問う」^^ / しまの 引用
No.724 2013/12/05(Thu) 17:49:40

問題課題の把握

>そもそも問題として僕が捉えている内容は、ハイブリッド心理学で言うところの具体的な問題場面状況に沿っているのか不安です。上記は感情の動揺の大きい場面ですが、また治療そっちのけの質問をしてしまっているのではないかと。

まずは問題課題場面の把握としてはokだと思います^^。視線恐怖でケンカ売ってくるように見える相手どう対処すればいいか、だと治療そっちのけになってしまいますが、なぜ視線恐怖になるかの心の衰弱状況そのものに、問題課題移すということで^^。

で、まず前の方で書いて頂いた内容を見れば、視線恐怖になるのもうなずける背景が見える感じです。
まあ一言でいえば、
・人との親愛コミュニケーションがうまくできない
・「能力」や「見た目」が、人を見る際に重みを持っている

という一方で、
・「芸人を目指して」いるとは、不特定多数の人の目を意識する面かなりあると思いますので、
こりゃー視線恐怖にもなるわな、という感じ^^。


心の成長への土台を築く

それに対するアドバイスは、まずは、一言「心の成長への土台を築く」ということです。
20代半ばという若さ、また「気分は常にすっきりしません。常に悩んでいる状態」といった、広範囲な心の問題課題状況があることに対して、テーマ特定の話いいのですが、テーマに関わりなく言える基本への取り組みなお重要になると思います。

「心の成長の土台を築く」とは、一言で、

「成長」と「成功」を知り、自分の「望み」を問う

ということだと言えます。
そのような姿勢意識、そして思考を、築くことです。これこれについて、「成長」このようにあり、「成功」こうであれば可能になる。ならば自分今何を望むのか、と自分に向き合う姿勢です。そので、次の行動を考える。
これがやはりまあ、先のにーなさんへのレス
『内面感情ではなく「場面」に取り組む^^』 しまの No.720 2013/12/03
で、
============
取り組み実践は、どのような状況においても、
『入門 - 3.取り組み実践』
「外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践で説明した、
1)「心の健康と成長に向かい得る行動法」の理解2)それについての自分の納得、および内面感情への向き合い3)それを踏まえての行動の結論検討
という手順で進めます。
============

という、
「外面・内面・外面」の向き合い姿勢の、総合版でもあるわけです。


「成長」と「成功」への正しい答えを知る

そこでテーマが「心の成長」一般であればハイブリッド心理学から答えがありますし、テーマ具体的な実践的目標であれば、どうすれば「成功」できるかの、良質の答えがまたそれなりに出てきます。
そうした、「成長」「成功」について、まず正しい答えを知り、それを踏まえ自分の「望み」を問う。そうした姿勢、またそうした手順で考える思考を、築いていくことです。

まあそこで得てしてには間違った答え、勘違いの答え結構溢れていますので、見分けていくことが重要になりますね。
まあこれも一言で言えば、正しい答え長い向き合いの中で、残ります。間違った答え、勘違いの答えは、それを聞いた時は「そうか♪」と分かった気分を安直に感じさせる一方で、うまく行かない消えて散ってしまうものです。
正しい答えは、うまく行かない場合にも、なぜうまく行かないのかの「教え」をもたらします。それは時に「痛み」でもあります。しかしその「痛み」自分を成長させるものであることが分ってきた時、「痛み」など無縁を装う安直な教え全てが、誤ったものであるのが分ってきます。
この違い早く見分けて、次第に、勘違いの答えすぐ捨て正しい答え蓄積していくようになれるのが、これまた「成長」です。


「覚悟」と共に「望み」を問う

ですので、「心の成長の土台」として「成長と成功を知り、自分の望みを問う」ことにおける「自分望みを問う」とは、

「覚悟」と共に「望み」を問う

ということだとも言えます。「成長」「成功」への正しい答えとは、そこには必ず「痛み」を経るがあることを教えるものであろ、それを知った上で「望む」とは、必ず「覚悟」を伴うものになる、ということです。
「覚悟」という心の働き重要性は、
『詳説』でも『5章 基本的な妨げへの取り組み』「2つの心の世界を持つ」などでも書いていますが(P.108)
「心の依存」「心の自立」分ける、意識面における最も根底の違いは、この「覚悟」という姿勢持てるか持てないかの違いではないかと、僕としては考える次第です。

だから、「覚悟と共に望む」ということが、成長への原動力の、本質だということです。
覚悟のある望みが人を成長させ覚悟のない望みが、人を未熟にとどめる、さらには堕落させる、と言えるかと。


「望めるもの」の答えは「覚悟」の先にある

まずはそれがテーマに関わりなく言える、心の成長土台作り取り組みとして、あとは各テーマに応じた「成長」と「成功」答えを知り、それについての自分の理解納得向き合う
さらにそれを足場に、「場面」に応じた具体的行動法を考える場合は、さらに詳しい状況に応じてというになりますが、まずは各テーマについての答え考え方向き合うことからということで良いかと思います。

でまず「交友」については、

>僕が挙げた問題場面には、僕の「愛情」の認識が、「分かり合い認め合う」ことになっているから生じることも含まれていると思います。そのため友人に対しての独占欲も強く持っているとも思います。愛情は「喜びと楽しみの共有」がハイブリッド心理学での学びということを基準に考えると、楽しい事を探すことに意識を集中させる、などになるのでしょうか?

その通りですし、「この場合の答えは?」という情報自分から探しにいく実践、いいじゃないですか^^。しかも質面倒くさ『実践』を読んでとなるとなおさら^^。

>また、ハイブリッド人生心理学の取り組み実践・詳説、4章学びへの理解では、友人をどう増やせるかの前に、まず自分が本心から楽しいと思えるものを探す。という風な事を書いてらっしゃいますが、この答えはどの様な導き方から出るのでしょうか?

自分から楽しいと思えるものに向かうことのない交友は、やがてただの束縛になり破綻します。自分から楽しいと思えるものに向かうことなく、ただ友達関係だけ欲する人は、誰も同じ苦しみを体験することになります。前の方「交友」について書いて頂いたようなものですね。僕ももちろんそうでした。
そこで、「自分から本当に楽しいと思えなければ、駄目なのだ」「形だけの友達関係では駄目なのだ」気づく。それとも、「友達でいる約束」のようなものに、しがみ続けるか。前者の人間自分の可能性の解放に向かって変化し、後者の人間閉塞感の坂をただ下りていきます。
について学び人の心自分の心様子良く観察すれば、すぐ分かることです。

それともご質問「自分が本心から楽しいと思えるもの」が、どのように導き出されるか、ということですかな。
こっちはすぐに導き出せる答えではなく、一言でこう言えるかと。

「覚悟」の門を通って、自分の足で歩いていく中で、向こうからやってくる
ものだ、と。

「覚悟」とは、「成功」への答え示す条件自分に足りないのであれば、自分はこのままでは成功しない、ということを覚悟するということです。
「交友」テーマであれば、もし自分が心底から楽しめないのであれば、孤独を受け入れることを、覚悟するというです。
「諦める」ということではなく。このままでは自分成功しない。その「覚悟」持った上で、それでもなお「望む」のであれば、自分が変化していく可能性に向かって、そこから歩き始めることです。

そうして「覚悟」を通ることで、心に変化が起きます。ただしそこで「楽しめるもの」「望めるもの」すぐに導けるようになる、という安直なものではありません。
まずは引き続き設定した目標に向かって、歩いていく。するとその先のどこかで、「あっこれは楽しい」というものが訪れる時がやってくる。「自分で導く」のではなく、「向こうからやってくる」ものとして。
だから、歩き続けなければならないわけです。まず行動してみる。自分にとってそれが楽しめるものかどうか分かるのは、後のことです。あるいは、自分にとってこれは根本的に、楽しめないものなのだ、という自覚訪れる可能性もあります。ただまあ年齢若いほど、性急な結論は必要なく、沢山の揺れ戻りを経るものと考えておくのが良いでしょう。


人生の主要テーマの全てに向かう

そういった向かい方を、「交友」「恋愛」「仕事」といった、人生の主要テーマ全てにおいて行うことが重要になります。
また、「趣味」も含めた、さまざまな領域で、そうした向かい方することです。

なぜなら、一つの領域で得た「成長」が、他の領域での「成長」に波及する、役立つという、相互連鎖があるからです。
これが分ってくるのもまた「成長」^^。
「交友」において心の健康と成長に向かい得る行動法分ってくることは、当然、「恋愛」「仕事」においても行動を健全化させていきます。
「仕事」において得る自信は、何よりも「恋愛」において大きな足場になります。これがあるないとでは、「恋愛」全く違った話になってきます。これは先日蓮さんへのレス
『課題は「離反」ではなく「依存」^^』 しまの No.712 2013/11/29
でも触れた話。

ということで、他の領域ざっと見てみますと、「恋愛」については、
>4.5年前までは、他の男性と話したらいけないなどと、束縛をすることが多かったので、相手のことを尊重するように意識しています。
とのことで、不健全パターンだった(^^;)のが健全化に向かっているということでいいとして、

「仕事」については、
>コールセンターに勤めているのですが、威圧的な態度をとられたらこっちもそうしたり、お客様のスタンスによって自分も冷たくなったりして、そんな対応をする自分に対し自己嫌悪しています。
については、『詳説』を読んで学ぼうとする姿勢があるのなら、いくらでも自己嫌悪に陥るだけではない対処法取り組めると思います。
「学び」テーマとしては、『入門 - 3.取り組み実践』で言うと、「「学び」の主要テーマ」
3.行動学
であり、その中の「原理原則行動法」が、コ−ルセンタ−業務ほどそれが活用できる仕事はないとも言えるものになると思います。
情報としては、この掲示板でよくリンク載せていますが以下など。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)
より本格的に学ぶなら、
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)
などは「ハイブリッド心理学指定の必読書」と。

また
>現在芸人を目指していて、
についても、そうした向かい方つまり「成功を知り望みを問う」という向かい方重要、というか、でないと現実の地に足をつけた前進できようもないと思います。
「成功を知る」とは、成功した人の姿を知るということではなく、成功の条件は何か知るということです。「成功を望む気持ちが強い」のはいいのですが、そうした視点あるかどうか。
「芸人」であれば、まずはユーモア好きで、基本的人に接するのが好きであることといった「条件」、そして日ごろから「ネタ帳」を書くなどの積み重ね重要になると推測しますが、

>楽しく振舞おうとするため疲れる。
となると芸人目指すというのはちょっと違和感を感じますが、まあこれも「交友」「仕事」などさまざまな領域上述のような向かい方をする中で、なぜ、そしてどんな芸人を目指すのか向き合いも、地に足をつけた検討の前進ができるようになると思います。


ということで、まずは「成長と成功を知り、覚悟と共に自分の望みを問う」という心の成長への土台培うことに向かい、さまざまなテーマでその同じ向かい方をする。
そうした人生への向かい方始めることで、自分成長の変化が始まる。まずはそれをつかめるかどうかだと思います。そのに、各領域でのさらに細かい話も出てくるということになりますね^^。




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